生命の唄~Beast Roar~   作:一本歯下駄

118 / 130
『ウチの眷属は一人も減ってないで』

『そっかぁ、じゃあぼくの眷属だけかぁ』

『と、噂をすれば、あの雲の影に見えるんがアンタの所の船やろ』

『あぁ、そうだよ……三番艦が見当たらないね』

『せやな。ついでに他の船もボロボロやな……煙吹いとるで』

『……ロキ、謝るよ。ごめん』

『ウチの眷属は無事みたいやから許したる』


『前に進む者・立ち止まる者』

 オラリオ創設以降数多くの冒険者が命を落とし、そして運良くその(むくろ)が地上まで運ばれてきていれば、この壮大な共同墓地に葬られ、運悪く死体が上がらなければその名のみが刻まれる。

 広々とした霊園。物寂しい雰囲気漂うこの場所をグレースは嫌っていた。

 手にしているのは花束。わざわざ慣れぬ花屋に立ち寄って買い漁ったモノだ。

 花言葉の意味等知らぬと言わんばかりに、ただ目に付いた花を束ねて貰っただけの代物。本来なら死者に送るべきではない花まで混じり合ったその花束を持ったヒューマンは深い溜息を零した。

 

「なんでこんな所に来たんだか」

 

 灰色の髪。腰まで伸ばしていたその髪をばっさりと肩の当たりで切り、短くなった髪を揺らしながら腰に差した湾曲剣(ケペシュ)と背負った片刃槍(グレイブ)。身に着けた軽鎧姿の少女は目的の墓を見つけると乱雑に花束を落とした。

 事件の後、わざわざ自分好みの湾曲剣(ケペシュ)と加えて兎人が好んで使っていた片刃槍(グレイブ)を使いだした彼女は墓の前に立ち尽くし、墓場を流れる風を感じながら、小さく呟いた。

 

「ねぇ、アリソン。アンタはアタシを恨んだりとか、してる?」

 

 カエデを狙った【ハデス・ファミリア】の襲撃。

 最初に行方不明となったのは兎人のアリソンと、エルフのヴェネディクトス。

 アリソンはカエデを売る事を拒み、拷問の果てに冒険者として再起不能とされ────グレースと共に逃走しているさ中に命を落とした。

 あの時の事をグレースは今でも思い出せる。

 

 アリソンを背負っていたのは、グレースだった。

 背に感じる暖かさ、何度も『もうすぐ逃げれるから』と励ましの声をかけ、彼女を安全な場所まで連れて行こうとした。

 途中、鎖の音色が響き始めた所でアリソンが小さく呟いたのだ。『置いていって』と。

 耳朶を打つ彼女の声に際限なく苛立ちが募っていく。今までがそうだった、いつもグレースは置いて行かれる側であり、()()()()()()であった。だからこそ、彼女の言葉に叫び返した。

 絶対に、嫌だと。

 響く鎖の音色。仲間の足に絡みつく鎖。慌てて手を伸ばした所で、アリソンに突き飛ばされた。

 壁から生えた剣に斬り捨てられたアリソンの体が投げ出される。ヴェネディクトスの悲鳴の様な叫びと、アリソンの『逃げて』という台詞が交じり合い。そのままアリソンは鎖が巻きつき、消えてしまった。

 

「畜生……」

 

 何故彼女が、自分ではだめだったのか。

 あれから数日が経過してなお、色濃く記憶に残る光景がグレースの苛立ちを加速させる。

 

 他のレベル1の仲間の死体が次々に鎖に巻き取られて連れていかれる。そんな中、ヴェネディクトスは涙を流しながらつぶやいたのだ。

『グレースが無事でよかった』と

 その言葉が、どれだけ彼女を苛立たせたのかきっと彼は知らない。彼女の生い立ちを知る癖に、彼女の嫌う言動を全く知らない愚かなエルフの少年。

 一時は恋仲となっておきながら、あの件の終わりと同時にその関係を終わらせた彼。

 

 ヴェネディクトス・ヴィンディアというエルフの少年。

 男のくせに線は細く、魔法使いとして鍛えられていない細っこい体つきをした、優し気な風貌の少年。

 グレースと恋人の関係にあった彼は、今は【ロキ・ファミリア】にはいない。

 仲間を売り払い、グレースの命を守ろうとした。

 

「アイツは、あの馬鹿は、あたしが嫌いな事を平然としでかしやがったのよ」

 

 墓の下に眠る兎人に声をかけても、返事は返って来ない。

 置いて行かれる苦しみを知っている。だから置いて行かれるのは大嫌いで、彼女は静かに俯いて涙を零す。

 

「好きだったわ、でも大嫌いになった。でも……でも、やっぱりまだ好きなのよ」

 

 混ざり合ったぐちゃぐちゃの頭の中。懐から一枚の写真を取り出し、グレースは引き攣った笑みを浮かべ、呟いた。

 

「アレックスの阿呆は死んだし。アリソンも死んだ。ヴェネディクトスは何処か行っちゃって、カエデは…………変わったわ。別人みたいになってた」

 

 【ロキ・ファミリア】が行っていた第三級冒険者向けの『遠征合宿』の際に同じ班に編成された第三級冒険者だった頃の五人のメンバー、そして一人の隊長。

 はにかんだ笑顔が眩しい兎人の少女、不貞腐れた表情の虎人の青年、いら立ちを隠しきれないヒューマンの女性、どんな表情をすればいいのかわからずにいた狼人の少女、無表情に近いエルフの青年。そしてまとめ役として抜擢され、責任と不安で頬を引き攣らせたヒューマンの青年。

 あの一件からまだ一年処か二ヵ月も経っていない。そう、二ヵ月前にはまだ全員が生きていて、なんとか上手く纏めようと動くラウルに従って空中分解寸前のパーティという形を保っていた。

 

「……あの時にさ、アレックスをちゃんと注意してたら、あんな風にはならなかったのかな」

 

 言う事を聞かず、横暴に振る舞う愚かな虎人。

 グレースはヴェネディクトスと揃って彼を無視していた。どれだけ声をかけても無駄だと断じ、居なくても良いとすら思っていた。

 そんな中でどうにか仲を取り持とうとしたのは、今目の前の墓の下で眠る兎人一人のみ。カエデは戸惑いながらもなんとかしようとしていたが、それでも本格的に仲を取り持とうとしたのは彼女だけだろう。

 もしも虎人の青年を説得できていれば。もしも彼の苛立ちの原因を取り除いてあげる事が出来ていたら、虎人が起こした事件は起きなかった。

 そうすれば、もしかしたらその虎人が【ハデス・ファミリア】との抗争のさ中、兎人の命を救ってくれたのではないか。

 馬鹿げた想像を脳裏に描き、グレースは溜息と共にその想像を大地に落とした。

 

「はぁ……馬鹿ね、終わった話なのにさ」

 

 兎人の少女は命を落とした。どうしようもなく糞ったれな理由を以てして、命を奪い去られた。

 もしも、もっと自分が強ければ。

 

「あー、カエデの言う事なんとなくわかったかも。そうよね、悔やんでももう遅いわ……」

 

 狼人の少女。常に不安そうな表情でびくびくしてた彼女。

 臨時パーティであるあのメンバーの中で飛び抜けて強かったあの幼い狼人。

 後悔した時には遅い。だから常日頃から努力を惜しまず、前に進み続ける。そんな戯言の様な生き様を貫き通さんとしていた背中の幻影を脳裏に浮かべ、グレースは静かに微笑んだ。

 

「あんたの言う通りだわ、もっと、もっと強くならなきゃ……だってさ、もしもの時って何時? そりゃ、今すぐなんだろうしさ」

 

 無造作に置かれた花束。数多くの名の刻まれた墓石。

 【兎蹴円舞】アリソン・グラスベルという名を見つめ、グレースは拳を突き付けて握り締めた。

 

「最初に死ぬのは、あたしだってずっと思ってた。理由なんて一つよ────それだけ馬鹿な戦い方してたってだけの話」

 

 自らの身を省みることなく、ただ敵に対し抱いた怒りを発散する様な戦い方。そんな戦い方では遅かれ早かれ命を落とす。それは知っていたし、なんなら短命という宿命を背負ったカエデより早く死ぬつもりですらあった。

 それがヴェネディクトスとの恋で薄れ、気が付けば先にアレックスが死に、アリソンが死んだ。

 

「あたしさ、置いていかれるの、大嫌いなんだよ」

 

 自身の両親に置いて行かれた。そして自分は両親を置いて先に進んだ。

 アレックスは、自業自得だった。だから気にも留めていない、そう言い切れなくはない。

 アリソンは……運が悪かった。

 

「運かぁ」

 

 【恵比寿・ファミリア】には『運』を操る猫人が居る。その姿を直接見た事もある処か話したこともあるグレースは空を見上げ、ふと記憶の片隅から情報を引っ張り出して呟いた。

 

「そういえば、カエデって確かその運を操る奴から依頼受けて空の上だっけ?」

 

 期間的には今日の晩には帰還するはずだったと思い出したグレースは首を傾げつつも大きく頷いた。

 

「ま、残ってるのはあたしとカエデだけだし、どこかでパーッと酒でも飲みに行くか」

 

 カエデは酒を飲めないだろうから、適当に絞った果汁でも飲ませて。遠征合宿メンバーの()()()()として一緒に食事でも。

 自らの暗い考えを放り出し、グレースは口を開いた。

 

「という訳だから、アリソン、暇だろうけどもう少し待ってなさい。あたしも第一級冒険者になってから、そっち行くから」

 

 場所ゆえに人の少ないその場所。寂し気な雰囲気漂う墓所に背を向け、グレースは歩き出した。

 

 

 

 

 

 人通りの少ない『ダイダロス通り』の一角。

 外套を深々と被って顔を隠したエルフが一人で枯れた噴水の縁に座り込んでいた。

 入り組んだ道の中、道に迷った訳ではない。『道標(アリアドネ)』を辿れば出られる。だが彼はその場を動く気にはなれなかったし、動こうともしなかった。

 此処に来る途中、知り合いだったヒューマンの女性が花屋で慣れぬ花選びに悪戦苦闘しているのを見てしまった瞬間から、指先が痺れ、必死に足を動かして入り組んだ地上の迷宮をさ迷い歩き、枯れ果てた噴水へと辿りついたのだ。

 フードの隙間から覗く線の細い顔立ち。ほんのわずかに見え隠れする萌黄色の髪。手にしているのは半ばで折れた木製のスタッフ。

 ヴェネディクトス・ヴィンディアは静かに溜息を零し、空を仰いだ。

 フードがめくれ、日差しが顔に差し込み、目を細めながらも彼は呟いた。

 

「グレース、アリソン……カエデ」

 

 かつて、【ロキ・ファミリア】の『遠征合宿』の際に同じメンバーとして活動した者達。

 女性比率の高いファミリアだからこそ、男性二人に女性三人というバランスであったパーティだが、一人を除いてみな良き仲間であった。

 アリソンとカエデが深層遠征のメンバーに選ばれ、地上に残されたヴェネディクトス、グレースの二人。

 それとなく距離が近づき、いつの間にか恋人となり────そして今は赤の他人になった。

 

「愛してる、ぼくは今でも愛してる」

 

 太陽の眩しさに目を眩ませたまま俯き、滴る雫をそのままにエルフの少年は呟く。

 グレースを助ける為、彼女以外のメンバーを売り飛ばす真似をした事を後悔はしていない。むしろグレースが命を落としていたらきっと彼は立ち直る事なんて出来ない処か自暴自棄になって暴れていただろう。

 けれど、そんな彼の選択を彼女は許さなかった。

 

「愛してるんだ、今も、これからもずっと」

 

 仲間を売ってまで、助けて欲しくなんてなかった。彼女はそう言って怒った。

 自分の命と、仲間の命。どちらが大切かなんて決まってる。仲間だと、彼女は言い切った。

 それでも彼にその選択は出来ない。そして結末が同じになろうが、なんどやりなおした所で、彼はカエデを生贄に捧げようとするだろう。

 結果、アリソンが命を落としても。ウェンガル先輩が命を落としても。グレースが生きていてくれるなら、彼は何度やり直しても同じ答えを連ね続ける。

 

「……ぼくは、何をしていたんだ」

 

 グレースと恋人の関係を解消されたのち、ヴェネディクトスは自ら【ロキ・ファミリア】を脱退した。

 理由は、グレースと顔を合わせるのが辛かったから。ではない、彼女が自分の顔を見る度に隠しきれない苛立ちを感じていた様子だったから、ヴェネディクトスは彼女と距離を置いたのだ。

 彼女を傷つけたくないから、彼女に生きていて欲しいから、彼女には笑っていて欲しいから。色々な理由が浮かぶが、その中心にあるのは一つ。

 

 ヴェネディクトス・ウィンディアはグレース・クラウトスを愛しているから。それだけだ。

 

 【ロキ・ファミリア】を脱退して以降、『オラリオ』の外へ行くつもりだった彼だが、神ロキによって強制的に止められた。理由は、外は危険だから。

 かつて自分と同じ様にファミリアを脱退した人物がいた。ディアン・オーグというヒューマンの青年。同じ第三級冒険者の彼は、オラリオの外で命を落とした。

 商隊の襲撃に巻き込まれ、致命傷を負ってオラリオまで逃げ帰り、そのまま死んだ。

 ヴェネディクトスも同じように死ぬかもしれない。危険だからオラリオから出ずにファミリアを探した方が良い。そんな勧めを聞いたヴェネディクトスは、勧めの通りにファミリア探しをしていたのだ。

 しかし、仲間を売る選択をした馬鹿なエルフという噂が流れ、想像した様にはいかず、今なお次のファミリアを見つけられずにいたのだ。

 今日も今日とてファミリア探しをしているさ中、ふと気になった後姿を見つけてしまい、彼女だと気付いた。

 

「……アリソンの、墓参りかな?」

 

 腰の辺りまで伸ばしていた髪をばっさりと斬り捨てた、グレースの姿に息を呑んだ。

 花屋の店先、うんうん唸りながら花を手に取ってこれで良いかと最後には適当に花束にしていた彼女。

 選ばれた花の種類は支離滅裂といって差し支えなく、人に贈るのもおかしく、かといって部屋に飾るのもおかしい。そんな乱雑な選び方で形作られた花束を受け取っていた彼女。

 性格を知っているからこそ、彼女が墓参りに行くのだとわかった。

 

「…………アリソンは、怒っているだろうか」

 

 同じ仲間としてパーティを組んだ事もある兎人の少女。怒りっぽい性格のグレースとは正反対でおおらかでいつも微笑みの絶えないムードメーカーにして、仲間内のぎすぎすした空気をどうにかしようと奮闘していた彼女。

 決して、人に嫌われるタイプではない。むしろ人に好まれる性格をしていたと彼も断言できる良い人であった。

 ファミリア内でも密かに慕われていた彼女。

 

 隧道内で強襲された際、ヴェネディクトスは負傷者であったアリソンよりもグレースを優先した。グレースの事が好きだったから、彼女を優先し、アリソンは死んだ。

 

 彼女の死体は冷水に冷やされ、零れ落ちた内臓と共に隧道に浮かんでいるのを調査を行っていた【ガネーシャ・ファミリア】が見つけ、ロキの元へ送り届けた。

 グレースが怒気を発し、ヴェネディクトスを殴り飛ばすまで五秒もかからなかったのはよく覚えている。

 

「はは、ぼくは、なにをしてるんだろう」

 

 彼女を愛していた。だからアリソンを見捨てた。彼はそれを後悔していない。しかし、もっとよりよい選択があったのではないかと頭をかかえ、ダイダロス通りの一角、枯れ果てた噴水の縁に腰かけて呟きの声を上げた。

 

「何を、どうすれば良かったんだ」

 

 響く慟哭の声は青空の下、誰の耳にも届かずに虚空に消えた。

 

 

 

 

 

 血塗れの草臥れたローブを引き摺る羊人。

 へし折られた片角を仕切りに撫でながら街道を歩きながら、彼女は静かに溜息を零した。

 

「まさか【猟犬(ティンダロス)】に助けられるとはな」

 

 【恵比寿・ファミリア】の飛行船に同乗し、半年ほど放置されていた『オーク討伐依頼』を片付けた後、ひっそりと彼らの向かった先に忍び込んで情報(ネタ)を仕入れようとした矢先だ。

 何者かによって操られたヒヅチ・ハバリによって()()()()式に襲撃された。

 同行していた仲間は皆一刀両断され、唯一生き残ったのはアレイスターただ一人。

 そんな彼女も途中で【猟犬(ティンダロス)】が乱入してこなければ死んでいただろう。

 

「ま、治療の一つぐらいしてくれても良かったと思うんだがね」

 

 腹に走る一条の傷。彼の犬人の少年は鼻で笑って言い切った『その程度で死ぬなら勝手に死んでくれ』と。

 要するに治療する気は無いと断言したのだ。随分とまあ愛想の無い奴だと悪態をつきつつもアレイスターは街道の先に見えてきた街を守る防壁を見て微笑んだ。

 

「よし、もうすぐだな……まったく死ぬかと思ったぞ」

 

 一歩、また一歩を必死に歩みを進め────五歩歩いた所で足を止めて舌打ちを響かせた。

 

 アレイスターの視線の先。防壁によって守られているその街が、燃え上がっていた。

 もくもくと上がる黒煙。耳を澄ませば聞こえてくる住民の悲鳴と怒号。

 近場にあった木陰に隠れつつも彼女は腹の傷を押さえてぼやく。

 

「おいおい、あの街で待機してても殺されていたかもしれないって訳か……どちらがマシだったのだろうな」

 

 【恵比寿・ファミリア】によって送り届けられた街。その街が現在進行形で燃えている。

 誰の襲撃かなど口にするまでも無いと彼女は口元を歪め、小さく呟いた。

 

「トート、不味いぞ……もう【クトゥグア・ファミリア】が動いてる。止められないぞ」

 

 【恵比寿・ファミリア】が懸命に止めようとしていた地上の人々と神々の戦争。

 今まさに開幕の狼煙が上げられている。派手に燃え上がる街並みと、神々を頼り神々に縋った()()()()達。

 あの街を焼いているのは、神クトゥグアが扇動した神に恨みを抱く地上の人々だ。彼の神に力を借り、神に復讐せんとする姿のなんと滑稽な事か。

 邪神の力を借りねば、神に復讐もできない。そして神々の力を借りる事を拒みながらも邪神(クトゥグア)の力を喜んで受け入れる。自らが狂わされている自覚無く、狂った民衆が街を焼いている。

 中には神の恩恵を受けた者も居ただろう。けれどもあの街を攻めている攻め手の人数からして、長くはもたない。そして運の悪い事に彼の街で治療を受けようとしていたアレイスターも長くはもたない。

 

「あぁ、これは……運がなさ過ぎるな」

 

 せめて【恵比寿・ファミリア】の【幸運の招き猫(ハッピーキャット)】を拝んでおくべきだったかと皮肉を零した。

 

 

 

 

 

 滅びた黒毛の狼人の隠れ里。

 過去に存在した古い呼び名で言うなれば────巨狼の墓所。

 ヒヅチは軽く溜息を零しながらも脇に抱えたヒイラギの文句を聞き流しながら鍛冶場の扉を蹴破って中に入った。

 

「此処の辺りに……あぁ、あったあった」

「おいっ! お前何がしたいんだよっ!」

 

 黒毛の狼人の少女の文句に肩を竦めつつも、ヒヅチは近場にあった金床の上に自身の懐から取り出した髪飾りを置き、ヒイラギを手放して棚を漁りだした。

 床に落とされたヒイラギがヒヅチを強く睨むも彼女はヒイラギに背を向けて棚を漁るのみ。

 彼女が漁っているのは槌や鋏なんかが収められた道具箱だ。何がしたいのかわからずに首を傾げるヒイラギに対し、ヒヅチは背を向けたまま命令した。

 

「炉に火を入れろ」

「は?」

「火を入れろと言うたのが聞こえんかったか?」

 

 聞き返せば冷たい氷の様な声が帰ってきた事でヒイラギは身を震わせ、慌てて炉の中を覗き込み、灰が溜まっていないのを確認してから炭の収められた箱を開いて停止した。

 それに気づいたのかヒヅチが眉を顰めつつもヒイラギの背を見て呟いた。

 

「どうした?」

「あー、悪い……燃料が湿気ってる。これじゃ使えねぇ……」

 

 管理方法が悪かったというよりは、数か月間放置されていた事で燃料が湿気り、使い物にならなくなっていた。本来ならちゃんと管理しなくてはならなかったソレを放置したのはヒイラギが悪い訳ではない。

 とはいえこのままでは炉に火を入れられない。そう思いヒイラギがうんうん唸りだした所でヒヅチが彼女の首根っこを掴んで退け、札の一枚を箱の中に放り込んだ。

 

「これで使えるじゃろ」

「何したんだ……ってマジで何したんだ? スゲェ!」

 

 ヒヅチが無造作に投げ入れた札。その効力は一目瞭然。湿り気を帯びて使い物にならなくなっていた燃料が乾燥している。一瞬の出来事に驚きの声を上げるヒイラギを他所にヒヅチは棚から鋏や槌などの鍛冶道具を無造作に取り出して作業場に並べながらヒイラギに声をかけた。

 

「早う火をいれんか」

「あー、わかったよ」

 

 逆らうべきではないと判断したヒイラギが燃料を炉に入れている間に道具を並べ終えたヒヅチは金床の上に乗った簪を見て口元を歪めて呟いた。

 

「母上、形見を壊す事をお許しください」

「……? なんか言ったか?」

 

 小さな呟きを聞き逃したヒイラギが首を傾げつつも炉に火を入れる準備をしている。その背を見つめ、ヒヅチは其処らの棚を再度漁り始めた。

 

「それよりも壊れた刀は無かったかのう?」

「あん? 壊れた刀? そんなもんあったか?」

 

 大きく首を傾げたヒイラギを他所に棚を漁っていたヒヅチは動きを止め、溜息を零してから口を開いた。

 

「ヒイラギ、ワシは裏手の倉庫に行ってくる。炉に火を入れて待っていろ」

「あ? あぁ……」

 

 金色の尻尾が蹴破った扉から出て行ったのをみたヒイラギは大きく首を傾げて呟いた。

 

「あっちの倉庫には姉ちゃんに渡す剣の試作品しかなかった気がするけどなぁ」

 

 毎日毎日、飽きもせずに彼女の父親が打ち続けたカエデ・ハバリに贈る為の剣。それの試作品が山の様に出来上がったのでそれを適当に放り込んだのが裏手の倉庫。彼女の記憶の中では出来上がった剣をとりあえず運び込んでおいた記憶しかなく、他に何かあったかと首を傾げながらも慣れた手つきで炉に火を入れようとし、後ろを振り返った。

 目に映るのは在りし日の光景。

 作業台の上に並べられた道具類の位置は、彼女の記憶にあるソレと相違ない。それがむずがゆさを感じさせ、どうじにヒヅチが父の事をよく知っていたのだなと納得し、炉に火を入れる。

 ヒイラギはふと、父が口煩く言ってきた台詞を思い出した。

 

『ヒイラギ、火傷に気を付けろよ』

 

 再度後ろを振り返り、ヒイラギは口元を歪めて笑った。

 

「わかってるよ、あぁ……わかってるさ」

 

 炉に灯る火。その火と睨めっこを続けていた父の姿を思い出し、ヒイラギは静かに涙を零した。

 

 

 

 

 ガタンと音を立てて壊れた扉。舞い上がった埃に眉を顰めつつもヒヅチは倉庫に足を踏み入れていた。

 日の光が照らしだす範囲を見た彼女は鼻を鳴らして呟いた。

 

「あの阿呆はどれだけ剣を拵えたんじゃ……」

 

 ヒヅチが面倒を見ていたカエデの為に打たれた剣。それの試作品が山の様に積み上がった光景に圧倒されながらも彼女は足を止めない。

 壁一面にびっしりと立てかけられた剣。無造作に倉庫に放り込まれ放置されていたにしては全く錆びても鈍ってもいない剣の数々に感心し、最奥の床をゴツゴツと足でどつく。

 

「此処の辺りか、それとも此処……うむ、記憶と少し構造が変わっておるな」

 

 彼女の記憶ではこの辺りに隠し扉があったはずだが位置が違う。そうぼやきながらも薄暗い中床をどつき、どつき、どついて、ようやく隠し扉を見つけた。

 崩れた剣の山が半ほどを隠している隠し扉。当然、開く事など出来るはずもなく、一本一本丁重に剣を退けねばならなくなったヒヅチは面倒くさそうにつぶやいた。

 

「少しは整理すべきじゃろ」

 

 懐から紙切れを取り出し、その紙切れを破り捨てた。

 此処で式なんぞ使えば神を殺すとのたまうエルフに操られて面倒な事になると舌打ちし、ヒヅチは剣山に手を掛けた。

 一本一本に込められた想い。カエデに向けられた愛情の深さを示す様に、その愛情が不変であると示す様に、まるで新品の様に輝く剣の数々。苦笑の表情を浮かべたヒヅチは小さくボヤいた。

 

「阿呆め、直接言葉にしてやらねばカエデには伝わらんぞ……」

 

 もう、彼はこの世に居ないが、もし自分が死んだら彼にそう伝えると決め、開ける様になった隠し扉に手をかけた。

 

 

 

 

 

 炉から放たれる熱気が部屋全体を包み込み、じっとりと汗が滲む鍛冶場。ヒイラギは炉の温度を一定に保つべく(ふいご)を使って炉に空気を送り込んでいた。

 しっかりと温度が上がり、鍛冶が出来る姿勢になった所でようやくヒヅチが帰ってきたのを音で感じとったヒイラギは入り口に視線を向けてぼやいた。

 

「扉ぶっ壊した所為で炉に余計な風が入りやがる。アンタの所為だぞ」

「そりゃ悪かったの、適当に直しといてくれ」

「アタシが直すのかよ……」

 

 ぶつくさと文句を垂れつつもヒイラギが蹴破られた扉に手をかけた所で、ヒヅチが扉に札を一枚投げつけた。

 へしゃげ壊れていた扉が元の形に戻ると同時に重さが消え去り、ヒイラギは大きくたたらを踏んで扉を持ち上げた。

 想像以上の軽さに驚きつつも扉をもとあった位置に置けば、独りでに壊れた扉はぴたりとはまり込んだ。

 

「嘘だろ、なんだそりゃ超便利じゃん」

「よく見ろ、張りぼてじゃぞ」

「あん? ……うわ、ギッシギシ音がするぞこれ」

 

 ヒヅチの行った一瞬の修復に感心した直後のネタ晴らし。

 元あった状態に戻すのではなく、元の状態に近い状態の張りぼてを生み出すだけの技。

 とはいえ風が吹き込む事もなく、扉が無かった時に比べればはるかにマシかとヒイラギが溜息を零した所でヒヅチがごそごそと素材置き場から鉄の延べ棒を数本取り出し始めた。

 

「これと、これ……後はそうじゃのう。血と……肝もあれば良いんじゃがなぁ」

「なあ、何作るんだ?」

 

 ヒイラギが知っているのは『安全な場所を作る』という事のみ。

 あの飛行船から連れ去られてまだ数時間しか経っていないのだ。出来るなら姉に自身の安否を伝え、ヒヅチが敵ではない事を伝えたい彼女の質問。

 ヒヅチは肩を竦めた。

 

「『緋々色金』じゃな」

「……? なんだそりゃ?」

「まぁ、そうじゃのう。作るのがめちゃくちゃ難しい金属じゃな」

 

 適当に言葉を締めたヒヅチが無造作に金床の上に折れた刀を置き、短刀を自らの腹に突き入れた。

 

「って何してんだ!?」

「うぐっ……少し、待て……この辺りじゃと思うんじゃが……」

 

 ずぶりと沈み込んだ短刀。切れ込みを入れ、その切れ込みに手を捻じ込んで何かを掻き出そうとしている。まるで傷口に残った鏃を手を突っ込んで抉りだす様な行動にヒイラギが青褪める。

 ボタボタと滴る血をそのままにヒヅチが手を引っこ抜き、握り締めていた何かを金床に並べた。

 腹に空けた傷を適当に針と糸で縫い合わせるヒヅチを前に、ヒイラギは恐る恐る金床の上にのせられた何かを見て小さく悲鳴を上げる。

 

「おい、それ……」

「うむ、生き胆だ」

 

 綺麗な色合いをした小さく拳に収まる程度の肝。人の体内から取り出されたばかりで血に滑っているのもそうだがそれ以上に生々しい色合いにヒイラギが尻尾を震わせた。

 

「いや、ヒヅチ姉ちゃん、大丈夫なのかよ……今、その、ヒヅチ姉ちゃんの腹から引っこ抜いたよな?」

 

 自らの腹から生き胆を引き摺りだし、平然としているヒヅチの様子にヒイラギが身を震わせる横でヒヅチが小さく笑った。

 

「この程度じゃ死なんよ、それに全部ではなく一部を千切り取っただけじゃしな」

「……いや、普通死ぬだろ」

 

 内臓を千切り取る。そんな馬鹿げた真似をしながらも平然とした振る舞いをするヒヅチ。彼女の奇想天外な行動に顔を引きつらせたヒイラギは小さくえずいてから口を開いた。

 

「悪い、ちょっと吐いてくる」

「あぁ、その間に終わらせておくからのう」

 

 傷を縫い合わせたヒヅチは傷の上に適当に火で熱せられた鉄材を押し当てた。

 肉の焼ける匂いにヒイラギが慌てて鍛冶場を飛び出していったのを見送り、狐人は脂汗を垂らしながら金床の上の素材を見て微笑んだ。

 

「まぁ、ちっとはマシなもんが出来ると良いな」

 

 見様見真似で作るにはいささか難易度が高いモノだとボヤくと同時にかつての光景を思い出して眉尻を落とす。

 

「あの頃は気にせんかったが、そうか、ワシら狐人は、惨い事をしとったんじゃな……」

 

 狐人の都。其処で作られた『緋々色金』の素材。その内の一つに生き肝が含まれていて。

 それの入手方法をどうするか。そんなもの一つだ、日々の糧に困った貧困者から子供を買い取って切り裂いて取り出す。多くの子供が素材として消費されていた。

 数多くの剣が生み出され、その為に数え切れぬ屍を積み上げ形作られる。なんと罪多き事だろう。

 

「まぁ、今嘆いた所で仕方ないが」

 

 既に滅び去った都で行われていた狂気の産物。

 赤子の躯を魔道具の素材にするなんて、そんなもの朝食前の出来事だ。

 貴重な合金を生み出す為に貧困者の子供から生き胆を奪い去る等、よくある日常の風景に過ぎない。

 

 呼吸をしている事を不思議に思う者は居るか?

 空腹を覚える理由を不思議に思う者は居るか?

 朝顔を合わせたときにごく自然に『おはよう』と声を掛け合う事を不思議に思う者は居るか?

 貧困街から連れてきた子供の腹を引き裂いて生き肝を取り出す事を不思議に思う者は居るか? いなかった。そんな呼吸をする様に当たり前に行われる光景に疑問を覚えた事なんて、無かった。

 

 当たり前すぎて、感覚が狂っていた者達が辿った道の、ほんの入り口に過ぎない。

 あの光景を繰り返してはいけない。自らを戒めなければいけない。

 狐人とは、愚かしく狂った種族だ。

 

「ははっ、ダメじゃな、ワシは元から狂っとる。クトゥグアにナイアル、あ奴らが何もせずとも、ワシは何処かおかしいに決まっているじゃろ……」


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。