生命の唄~Beast Roar~   作:一本歯下駄

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『運が良かったな【占い師】、ボクが見つけてなけりゃ死んでたよ君』

『あぁ、感謝するよ【猟犬(ティンダロス)】。まさかお前に助けられる日が来るとはな』

『全く……ま、これで貸し借りゼロって事で良いだろ。今後は気を付けろよ』

『……そうだな。仲間の無念は晴らせそうにないな』

『トート、愛してるよ、だったかい? 君は主神の懸想してるのかい?』

『…………はぁ、神に恋しちゃ悪いのか?』

『別に、ボクと同じだなって思っただけさ』


『雲上戦場』《中》

 響き渡る駆動音。

 【恵比寿・ファミリア】が誇る飛行船の一隻。カエデ達が乗り込んでいる一番艦は戦闘艦として改造された船であり、表面上は木材をふんだんに使用した木造船だが一枚引っぺがせばその下には鉄材でくみ上げられた装甲が存在する。

 他二隻のうちヒイラギを乗せた方も同様に装甲が使用されているものの、主力機関の関係で一番艦よりも装甲は薄く、防御性能は低い。

 それに加えて中央帆柱(メインマスト)前部帆柱(フォアマスト)がへしゃげ折れて失われ、なおかつ後部帆柱(ミズンマスト)が炎上し始め、一気に火災が広がっていっている。

 その様子にカエデが悲鳴を噛み殺す間にも無数の巨大な鳥の様な()が飛行船の周囲を飛び交い、無数の攻撃が降り注ぐ。

 

「糞っ、攻撃手段が無さ過ぎるぞっ」

「不味いね、此処じゃ不利過ぎる」

 

 ベートの悪態、フィンの舌打ちが響く。

 ベートもフィンも第一級冒険者である。しかし足場が悪い処か落ちれば即死間違いなしの高々度を飛行する飛行船の甲板上で出来る事は少なく、敵の攻撃を弾くのみしかできない。

 それはカエデも同様。引き抜き構えた『百花繚乱』にて敵が打ち出してくる短矢を弾き、投擲短剣にて迎撃を試みるも素早い動きで回避されてしまいまともな戦闘とは呼べない状況となっていた。

 敵の主な攻撃手段は投擲または小型弩による射撃をメインに、油のたっぷり詰まった陶器を投げつけ火矢を射かける事で火計を講じてきている。

 対する【恵比寿・ファミリア】も黙って攻撃されるのではなく連装大型弩(バリスタ)を稼働させ反撃を試みるも素早い敵の動きに翻弄されて命中精度は良くない。加えて相手は二番艦を背にして戦う事で同士討ちを狙い攻撃は上手く行っていない。

 足場の限られる戦場。落ちれば即死の高々度。襲撃は無いだろうと油断したところを的確に突く戦術。

 既に場は相手方によって支配されており碌な抵抗が出来ていない。

 

「右前方から敵がっ」

「団長! 後部にて火災が発生っ!」

「二番艦炎上! 救難信号を発していますっ!」

 

 武装こそ準備はしていた。非力な身を守るために最上級の武装を用意し、安全地帯である空の上を行く商人達。彼らにしてみればまさに悪夢そのものの光景に何人かは既に戦意喪失して座り込んで頭を抱えている。

 非戦闘員の数が多い【恵比寿・ファミリア】の致命的な弱点。実戦経験の少なさが祟り、最初の強襲が決まった時点で勝敗は決したと言える状況である。

 第二級(レベル3)のモール・フェーレースも、飛行船に対する強襲という初めての状況に戸惑い、碌な指揮ができていない。

 

「仕方ないか……全員聞けっ! これから僕が指揮を執るっ! 大型弩(バリスタ)による迎撃は続行! 残りの者は矢玉の補充と火災の消火に当たれっ!」

 

 第一級冒険者の大声に【恵比寿・ファミリア】の者達が驚きに動きを止め、慌ただしく動き始めた。

 

「おい、どうする? このままだと船が落ちるぞ」

「団長……」

「ベート、カエデ、二人は迎撃を……ペコラとジョゼット、ヒイラギも心配だが今はこの場を死守するんだ」

 

 フィンの言葉にカエデが身を震わせ、ベートは舌打ちをして周囲を睨んだ。

 

「死守っつっても出来る事なんかねぇぞ、アイツら常に距離とってやがって攻撃が届きやしねぇ。変に突っ込んだら地面に真っ逆さまだぞ」

「飛び道具の一つや二つ積まれているはずだ、モールは何処だい?」

 

 近場を走り抜けた【恵比寿・ファミリア】の団員を捕まえてフィンが尋ねればモールは操舵室で船の操舵を行っている事がわかり、フィンは素早く操舵室にかけていく。

 その背を見送ったベートは近場の大型弩(バリスタ)用の太矢を手に取って投げ槍の要領で投げつけ、船の傍を通り過ぎ様に小型弩で攻撃を試みようとしていた敵の脳天をぶち抜き、撃墜する。

 

「あん、耐久は全然なさそうだな。カエデ、お前は後ろの方で迎撃しろ。俺は前をやる」

「……ペコラさん達は」

 

 二番艦が激しく炎上し黒煙を上げながらも一番艦の横を飛行している。いつ爆炎を上げて堕ちるかわからないあの船に仲間が居る事にカエデが不安そうな声を上げれば、ベートが舌打ち交じりに二番艦を強く睨み付けた。

 

「敵をさっさと潰して回収するぞ」

「……わかりました」

 

 ベートの言葉に同意し、カエデは後部甲板の方へ足を運んだ。

 後部甲板に設置された二機の連装大型弩(バリスタ)が凄まじい連射速度を以てして太矢を打ち出している姿があった。それぞれ左右に設置されたその迎撃用武装に張り付く数人の団員。敵の矢が浴びせかけられたのか既に数名が短矢を体中に生やして絶命している姿もある。

 そして何より一部が焼け焦げて後部帆柱(ミズンマスト)の根本が軋む音を響かせている。一応、金属部品にて補強されているおかげか折れる事はなさそうではあるが、それでも不安定に揺れる姿に不安を覚えざるを得ない。

 ギチギチと帆柱を固定している縄が軋む音を響かせ、甲板そのものが振動しており足場は非常に不安定であった。

 

「此処の箱に、あった」

 

 近くの箱をこじ開けてみれば出るわ出るわ、大量の太矢がみっちりと詰まっている。

 数本取り出し、狙いをつけて太矢を投擲するも素早い動きで回避されてしまう。

 二本、三本を投げるもやはり投げる為に作られた訳でもない太矢は命中させるのは至難の業であり、一向に命中しない。

 早く撃退しヒイラギたちを回収しなくてはならないのにと焦りの表情を浮かべ、次の瞬間カエデは尻尾を滅茶苦茶に引っ張られる様な悪寒を覚えて身を伏せた。

 

 空気を切り裂く音。斬ッという何処か懐かしい聞き覚えのある音と共にカエデの背後にあった後部帆柱(ミズンマスト)が切断されて傾き始め、途中で縄が絡み動きが止まる。帆としての機能を失った布地が風を受けてなびく。

 縄がブチブチと千切れる音が響き渡る中、カエデは今の斬撃を放った対象を見て息を呑んだ。

 

 其処に居た。懐かしい姿があった。

 其処に居た。会いたいと願った人物がそこに居た。

 其処に居た。けれども────カエデの知る人物とは言い難い、異様な雰囲気を纏っていた。

 

「久しいな、カエデ」

 

 人の胴体より太く、金属によって補強されていた帆柱を容易く切断したその刃は微塵も鈍った様子は見えない。まるで研ぎたての様に鋭い切っ先。ただの鉄製の剣だと断言できる片刃の刃。だというのに、その剣の切っ先はいままで見てきたどの剣よりも鋭く見える。

 アイズ・ヴァレンシュタインが持つ長剣よりも。ティオナ・ヒリュテが持つ大剣よりも。ティオネ・ヒリュテの持つ湾曲剣よりも。ベート・ローガの持つショートソードよりも。フィン・ディムナの持つ矛よりも。

 第一級冒険者が手にする第一級品の武装よりもなお鋭く見えるその刃。

 それは持ち手が魅せる剣の本質。たとえその剣が錆び、朽ち果てた(なまくら)であろうが、カエデの身を容易に切り裂くであろう鋭さを持ち合わせていると本能に刻み込む強さ。

 

「随分と、強くなった様じゃな」

 

 静かに、剣の切っ先を向けながらも。彼女は静かに微笑んだ。

 周囲に響き渡る怒号は消え去り。太矢と短矢の飛び交う戦場の真っただ中でありながらも二人の間は真空であるかのように周囲の音が掻き消えた静寂に包まれていた。

 

「苦しかったであろう? 辛かったであろう?」

 

 響き渡るのは優しさと慈しみに溢れた声。静かに、けれども力強くカエデの耳朶を打つその声。

 幾度となく耳にしてきた声色。我が身よりもカエデの身を案じ、カエデの無事を祈った女性の声。

 

「安心しろ。不安がる必要はない。ワシは────たとえ世界の全てが敵になろうと。お主の味方でいるからのう」

 

 大鎌を手にした死神が目の前に舞い降りたかの様な感覚。頸に優しく押し当てられた大鎌が瞬く間に自らの命を奪い去る様を幻視し、ようやくカエデは剣を構えて彼女と対面した。

 美しい金色の髪。慈しみの色合いを見せる瞳。和装に身を包み────不自然に巨大な首輪と鎖を引き摺り、左頬を覆い尽くす程の入れ墨の刻まれた顔。

 カエデが彼女の姿を見間違える等、ありえない。

 

「ヒヅチ……」

「ああ、いかにも。よもやワシの顔を忘れた訳ではあるまい?」

 

 優しい微笑み。此処が戦場でなければ、つい先ほど彼女が振るった刃が矢の詰った箱を抱えていた【恵比寿・ファミリア】の団員を真っ二つにしていなければ、此処が【ロキ・ファミリア】の本拠(ホーム)の談話室であったのなら。きっと彼女に微笑み返す事が出来たはずだとカエデは歯を食いしばった。

 モールは語った。会うべきではないと。

 カエデは、ヒイラギに会うべきじゃない。それは正しい事であった。

 カエデは、ヒヅチに会うべきじゃない。今この瞬間、彼女を目の前にしてその言葉が正しかったことを知った。

 

「ようやく、ようやく出会えた。先の攻撃で死んでおらんかった事を神に感謝せねばなるまい」

 

 ヒヅチの姿を前にし、カエデは今まで感じた事が無い程の恐怖を感じていた。

 おかしい、優しい声色も、慈しみが篭った瞳も、自分に向けられる確かな愛情が、おかしいのだと尾を震わせ、百花繚乱の切っ先をヒヅチに向け続ける。

 師であり、育ての親である彼女に刃向ける事を望みはしない。けれども今カエデの目の前に居るヒヅチには刃向けなければならない。その勘に従い刃を向けるカエデは震えながら口を開いた。

 

「ヒヅチ……久しぶり」

「ああ、久しぶりじゃ。壮健そうじゃな」

 

 口元に浮かぶ優し気な笑み。それはカエデの記憶にあるままの表情である。しかしそれが余計に不気味で、違和感をより際立たせる。

 ヒヅチは、こんな戦場で微笑む人物だっただろうか。ヒヅチは、人を斬り殺した後にこんな表情を浮かべるだろうか? 罪を意識し、表情を殺してまっすぐ前を見つめる姿がカエデの脳裏を過り、カエデは首を横に振った。

 

「貴女は、ヒヅチだ。けど、ヒヅチじゃない」

「……ふむ。おかしな事を言う。だがそれは正しいな」

 

 カエデの妙な台詞にヒヅチは同意し、頷いた。其の事にカエデが驚くさ中にもヒヅチは静かにカエデに向けていた刃を下ろした。構えを解き、カエデを見据える姿に見据えられた彼女は震え上がり身を低くして下段の構えを取り防御を意識し始める。

 ────ヒヅチは構えていない方が強い。というより無構えという構え無しで始動を悟らせぬ凶悪な一撃必殺を持ち合わせている相手だ。構えていない方が始動がわかり辛くより恐ろしい。

 カエデが身を震わせる間にもヒヅチは静かに微笑み、周囲を見回した。

 

「此処は騒がしいな」

「…………」

 

 目を瞑り、何かを考えこんだヒヅチは静かに語り始めた。

 

「ワシはな、ヒヅチ・ハバリではないのだ」

 

 

 

 

 

 都の主、我らが崇め奉る都の王。(みかど)の座す間。

 薄暗い部屋の中。光源となる灯油(ともしあぶら)の燃える匂いと御香の香り漂う空間。

 御簾の向こう側より響く年若い帝の言葉に(こうべ)を垂れる自身の姿。

 

『良く、良くぞ成し遂げた。アマネよ』

其方(そち)の働きは聞き及んでいる。永き旅路であったであろう』

 

 今はダンジョンと呼ばれている大穴。化け物生み出すその混沌の坩堝に蓋をした功績を過剰に飾った言葉で褒め称える帝の言葉を聞きながら、自身は身を震わせていた。

 

『──── 一つ、お聞かせください』

『うむ。許可する』

『姉は、姉上は()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 震える声で尋ねる彼女(じぶん)の言葉に、帝は笑った。『可笑しな事を問うのだな』と

 

其方(そち)の首に下げられた其処に居るではないか』

 

 より身を震わせ、彼女(じぶん)は首紐で下げられた勾玉を取り出して表情を引き攣らせる。

 

其方(そち)の姉君は良き術者であった。惜しむらくは()の計画を愚かと断じ、協力を拒んだ事よ』

『けい、かく……』

『さよう。貴様らハバリの者は皆、()の計画を否定したのだ』

『その、計画とは』

 

 他の種族を全て廃し、狐人(ルナール)だけの国を作る事。

 

『今こそ千載一遇の機会よ、あの大穴を塞ぐのに他の種族は皆一様に疲弊している。攻め時は今ぞ』

『お待ちください、彼らは皆、同じ(こころざし)を持った同胞。それを攻め滅ぼす等……』

『……やはり、ハバリの者は皆拒むか』

 

 貴様の父君も、母君も、そして姉君も皆拒んだ。

 

『サンジョウノの者達は上手く処理してくれたが。其方(そち)も同じようにせねばなるまい』

『……今なんと?』

 

 彼女(じぶん)の父も、母も、そして(わたし)も、皆居なくなってしまった。

 理由は何故か。

 

『ハバリの者は強い。その力は()にとって必要なモノ。しかし言う事を聞かぬのであれば無きも同然よ』

『言う事を聞かぬ力等いらぬ。だがサンジョウノの者が上手く活用する方法を生み出してくれたのだ』

『殺生石にその魂を移し替え、持ち得る力を振るえる道具へと転ずるという技法を()の為に生み出してくれたのだ』

『喜べ、其方(そち)の父君も母君も、そして姉君も誰一人として()()()()()()()。彼らは皆、()の力の一部として扱われる事となったのだ』

『そして────不可能を可能とした其方(そち)も、()の力の一部として()()()()()()()()()

 

 父は最強の剣士であった。化け物にのまれて死んだと聞いた。

 母は最強の術師であった。化け物にのまれて死んだと聞いた。

 (わたし)は最上級の結界術師であった。精神消失によって植物状態であった。

 

 父は(みかど)が仕向けた暗殺者に背を刺され、半死半生の傷を負い殺生石の材料として消費された。

 母も(みかど)が潜ませた間者が母の結界術を暴走させて半死半生の傷を負わされ、殺生石の素材として消費された。

 (わたし)はそれに気づき、(みかど)の息のかかった軍属の者を従えず単騎出撃し、失敗して精神消失してしまった。(わたし)がその姉の体を(みかど)に預けた事で、(わたし)もまた、殺生石の素材として消費されてしまった。

 

其方(そち)も、これから我が一部となって世を支配するのだ。喜べ────(うぬ)等ハバリの者は皆永久の礎とし、狐人(ルナール)の繁栄の糧となれるのだ』

 

 他の誰でもない。自らの背後に潜む敵に気が付かずに仲間の全てを贄と捧げた愚かな(わたし)が、(わたし)を取り戻すために刃抜き放ち、(みかど)を討った。

 最強の剣士と最強の術師。父と母の持ち得た力を振るう彼の王、愚かにも世界の全てを望んだ愚王。

 苦戦の末、殺す事に成功し、殺生石の内より父母を解放し、姉君を蘇らせようとし────結果的に狐人(ルナール)の都は吹き飛んで綺麗さっぱり消えて無くなった。

 

 

 

 

 

「サンジョウノの者等だけは逃がしたが、結局ワシは姉上を蘇生できなんだ」

 

 今この場に居るのは、殺生石から引っ張り出したヒヅチ・ハバリの魂をアマネ・ハバリの肉体に捻じ込んだ事によって歪み切った妙な存在でしかない。

 

「姉上を守りたかったのだ。妹を愛していたのだ」

 

 けれど、ヒヅチは妹を守り切れなかった。アマネは姉を救う事叶わなかった。

 

「どれもこれもワシの力不足故にな」

 

 語りを終えたヒヅチは静かにカエデを見据え、剣を向けた。

 焦げ臭い匂いが立ち込める戦場。周囲で響く怒号が返ってきて耳が痛い程に耳朶を打つ。

 恐怖に身を震わせるカエデの前、ヒヅチは静かに剣をカエデに向けて微笑んだ。

 

「今度は失敗せぬ。お主を救ってみせよう」

 

 妹を守れなかった。姉を救えなかった。愚かな残骸と化したこの身であったとしても、カエデを救ってみせるのだとヒヅチは刃を大事な存在に向けて振るう。

 

 火花が散り、ヒヅチの放つ斬撃をカエデが受け流す。

 一度、二度、三度と凄まじい連撃。どの斬撃も一撃でカエデを死に至らしめる即死の軌道を描き、手加減が微塵も存在しない、本気の攻撃にカエデは目を見開いて防御を続ける。

 

「嘘っ!? ぐぅっ?!」

「強くなった、本当に強くなった」

 

 準一級(レベル4)冒険者に至り、身体能力は遥かに向上しているにもかかわらず、ヒヅチの攻撃を受け止め、受け流すので精一杯。カエデは防戦一方となり反撃の余地は微塵も存在しなかった。

 此処まで強さを得てなお、ヒヅチの前に立つ事が限界で反撃もままならない事を知りカエデは奥歯を噛みしめ────結局の所、反撃出来た所できっと反撃の一つも返せないのだと諦めが脳裏を過り、吠えた。

 

「負けないっ!」

 

 脇腹をかすめる一撃。歯を食いしばって耐え、放たれたカエデの反撃の一撃。胴体を狙った袈裟掛けはあっけなく回避され、放たれた刺突がカエデの肩を抉る。

 刀身に走る罅。カエデが目にしたのは頑丈さにおいては右に出る物の存在しない不滅属性(イモータル)という唯一無二の剣の刀身に走る罅であった。

 防御に使った影響か、それともなんらかの魔術か、妖術かわからないがヒヅチの斬撃は百花繚乱の耐久をすさまじい勢いで削り取っていく。

 このままでは押し負ける。抵抗の余地なく、強くなったはずのカエデですら何も出来ずに、摩耗してすりつぶされて死ぬ。その姿がカエデの脳裏に描かれ────横合いから振るわれた短槍がその想像を粉々に砕いた。

 

「キミがヒヅチ・ハバリ……なるほど、強いね」

 

 短槍を構えたフィンがカエデとヒヅチの間に割り込んで戦闘を中断させる。

 間に別の第三者が現れた事でカエデはようやく自分の状態に気付いた。抉れた肩、深く斬られた脇腹、体中をかすめた斬撃による切り傷。全身から血を流しながらカエデは百花繚乱を甲板に突き立てて肩で息をした。

 あと少し、あと二、三撃で自分は死んでいた。そう確信出来る様な恐ろしい斬撃の嵐。

 突如現れたフィンに対しヒヅチは何かを確かめる様に頷き、剣の矛先をフィンに変えた。

 

「ふむ、確か【勇者(ブレイバー)】じゃったか……そうか。お主が」

 

 刃向けられたフィンが警戒心を最大まで引き上げるさ中、狐人は懐から紙束を取り出して放り投げた。

 周囲に散らばる紙切れ。

 その紙切れをフィンが短槍で切り刻み、ヒヅチを睨んだ。

 

「妖術師の使う魔法には紙切れ、符っていうのを使うって聞いたよ」

「ほお、お主も博識じゃなあ。油断も隙も無いと言う奴か。困ったな」

 

 睨み合うさ中、唐突に怒声が響き渡りヒヅチが眉を顰めた。

 

「何をしているアマネッ! 早くヒイラギ・シャクヤクを攫えっ!」

「……五月蠅いのう、【勇者(ブレイバー)】、【凶狼(ヴァナルガンド)】、【幸運の招き猫(ハッピーキャット)】の三人を確実に殺せと言われておったからそっちを優先しとっただけじゃろうに」

「黙れっ! 貴様はカエデ・ハバリを優先していただろうっ!」

 

 ヒヅチに怒声を向けるその人物は巨大な墨絵の鳥に跨り、船を見下ろしていた。

 深い皺の刻まれた枯れ木を思わせる手。深く外套を纏い表情の覗けぬ顔。その手に握られているのは不気味な輝きを宿した魔法石のはめ込まれた木製の杖。

 ぞっとするほどに凝縮された()()()が詰め込まれたそれにカエデが小さく悲鳴を零し、ヒヅチはカエデを心配そうに見てから肩を竦めた。

 

「はぁ、カエデを説得する気はないのか」

 

 ヒヅチの言葉に老婆が身を震わせ、静かにカエデを見下ろした。

 周囲で巻き起こる喧噪を無視したやりとり。気が付けば【恵比寿・ファミリア】の連装大型弩(バリスタ)は全て沈黙しており周辺に飛び交う墨絵の鳥も殆ど姿を消している。

 

「『白牙』よ、貴様の無念、晴らしたかろう?」

「何を────」

「神々が成した愚かな行為によって滅びた一族の末裔。貴様も恨めしかろう? 神が憎らしいであろう? 私と共に、神を滅ぼそうではないか」

 

 カエデに手を差し伸べ、老婆が嗤う。その姿にカエデは首を横に振った。

 

「ワタシは、ただ生きたい(足掻く)だけです。其の為に────神ロキの力が必要です。滅ぼす訳には、いきません」

 

 カエデの言葉を聞いた瞬間、老婆が外套の下で身を震わせ、怒声を響かせた。

 

「貴様も恥さらしの一人かっ!」

 

 カエデが目を見開くさ中、老婆が杖を大きく掲げで叫ぶ。

 

「地上の者らの無念の声も届かぬ愚かな者よ、巨狼の無念を晴らす事もせぬ血の裏切り者よ、貴様は神を恨むべきだ、神を愛し、神に愛される等愚の骨頂。貴様は裏切り者だ、何故神を殺さぬ。何故神を滅ぼさぬ。貴様の部族は、他ならぬ神の手で滅ぼされかけたのだぞ。他ならぬ神によって不幸に陥ったのだぞ!!」

 

 怒りと憎悪がぐちゃぐちゃに混じり合った彼女の声にカエデが身を震わせながらも神に向けられる愛によって生み出された大刀を神を恨む老婆に向けた。

 

「ワタシは、貴女の言う事を聞く気はありません。ヒヅチを、返してくださいっ」

 

 自身の意思をもって、自分だけの人生(みち)を歩むのだとカエデが返した瞬間。老婆の怒気がぱっと消え失せた。

 まるで最初から何もなかったかのように消え失せた事でフィンが目を細めるさ中、老婆は口を開いた。

 

「命令だ、ヒイラギ・シャクヤクを攫え

「カエデ、またな」

 

 ヒヅチの頬に刻まれた入れ墨が不気味に輝くと同時にヒヅチの表情から色合いが消えうせる。

 彼女の顔に浮かんでいた慈しみの表情は空気に溶ける様に消え失せ、まるで機械の様な無機質な色合いに変化を遂げた。

 その姿にカエデが息を呑み、フィンが目を見開く。

 モールの言っていた言葉は正しい。ヒヅチは狂わされている上で、隷属の刻印と呼ばれる従順な奴隷へと仕立て上げる為の古い時代の魔術を使って自由の意思を奪われている。

 それをどうにかしたとしても、彼女は狂っている。つまり刻印を破壊するだけでは無意味でなんとかして正気を取り戻させねばならない。

 フィンが短槍を強く握りしめた瞬間────ヒヅチは縄が絡み傾斜した状態で止まっていた後部帆柱(ミズンマスト)をせき止めていた縄を切断した。

 瞬く間に過重に耐え切れなくなった縄がブチブチと千切れだし、帆柱は中央帆柱(メインマスト)を巻き込んで倒れ────炎上する二番艦に直撃し、一番艦と二番艦を結ぶ即席の橋となった。

 

「いけ、アマネ、なんとしてもヒイラギ・シャクヤクを────『頭脳』を確保せよ」

 

 一人の狐人がその即席の橋の上を駆け抜けていく。目を見開いたカエデが慌ててその背を追おうとし、上から降り注ぐ火球に遮られる。

 

「貴様は此処で私が相手をしてやる。彼の『白牙』の相手を出来るのは私ぐらいであろうしな」

 

 大鳥を駆るエルフの老婆。杖の一振りで詠唱も無く火球の雨を降らせる姿にカエデが表情を引き攣らせ────フィンが投げ放った太矢がその大鳥を掠めた。

 

「カエデ、キミは行くんだ」

「団長っ」

「此処は僕が抑える、行け」

 

 フィンの言葉にカエデが弾かれた様に即席の橋に足をかけ、其処を老婆が狙う。

 フィンの投げた太矢が次々に火球を砕き消し、火の粉が散る中をカエデが駆け抜け、燃え盛る二番艦へと飛び乗ったのを皮切りにエルフの老婆は【勇者(ブレイバー)】を敵と定めて杖を向けた。

 

「愚かな、小人族(パルゥム)の王族の末裔よ、貴様らが落ちぶれた原因もまた、神々ではないか」

 

 神々が降り立ち、小人族の心の支えであった女神フィアナの存在を否定さえしなければ。

 もし神々が降り立ちさえしなければ、小人族が卑屈になる事も無かった。過去の栄光を失う事も無かった。

 失われた過去の小人族の姿を取り戻そうとする【勇者(ブレイバー)】の行動を、古代の英雄の一人、ハイエルフの老婆は嘲笑し、愚かだと断じた。

 

「貴様は愚かだ。ほかならぬ神々によって落ちぶれた貴様が、あろうことか神の手を取るなど」

「……確かに、その通りかもしれない」

 

 神々さえ降り立たなければ。けれども────神が居なければ今は無い。

 

「神が降り立った事で様々な影響があった。それは僕も知ってるさ」

 

 神々が地上で起こした騒動の数々。

 その騒動で傷付いた地上の人々の事。

 他ならぬ小人族が落ちぶれた原因。

 フィンはそれについて知っている。

 其の上で、フィンは彼女に短槍の穂先を突き付けた。

 

「それでも僕は【勇者(ブレイバー)】だ」

 

 神々が、(ロキ)がフィンに与えてくれた二つ名を力強く名乗り、フィン・ディムナはかつての英雄と対峙した。

 

 

 

 

 

 唐突な船の炎上。消火する為に動き回っていた者は短矢で穿たれ倒れ伏し、火の手を止める手は足りなくなっていた。

 それ以上に用意されていた迎撃兵装があっけなく破壊されていった事によって迎撃の手も全く足りていない。そんなさ中、ジョゼットは装備魔法の『弓』を作り出して迎撃を行っていた。

 近場に立つペコラがヒイラギの体を強く抱き締めて守るさ中にも、降り注ぐ短矢によって【恵比寿・ファミリア】の非戦闘員が息絶えていく。

 焦げ臭い匂いと血の匂いが立ち込める戦場。

 よもや雲の上を行く飛行船を襲撃できるだなんて想定外の出来事に浮足立った【恵比寿・ファミリア】に碌な抵抗はできず、フィンの様な支柱になれる者も居ない二番艦の中で唯一迎撃を行っているのはジョゼットとシェトの二人のみ。

 ジョゼットから手渡された魔法弓を手に迎撃を行うシェトは目を細めて呟いた。

 

「畜生、ホオヅキの奴に八つ裂きにされんのとこんな高い所から叩き落されんの、どっちがマシなんだかわかりゃしねえ」

「無駄口をたたく暇があるなら迎撃を急いでください」

「わかってる」

 

 無駄口を叩きながらもシェトが弓を引き、狙いを定めようとして────強い衝撃が船体を揺らし、バランスを崩しかけて狙いが外れてあらぬ方向に矢が飛んでいく。

 

「糞、外した、何が起き────」

 

 弓を片手に振り向こうとしたシェトが目にしたのは刀を振りかぶる狐人(ルナール)の姿。

 目を見開いて驚くシェトに振り下ろされんと迫る刃。

 その刃がシェトの身に届くより前に至近距離から放たれたジョゼットの魔法弓の一撃が狐人(ルナール)の胴に直撃して吹き飛ばした。

 

「なっ!? ヒヅチ姉ちゃんっ!?」

 

 ヒイラギの驚きの声。ペコラの腕の中から一連の流れを見ていた彼女が息を呑むさ中にも、胴に一撃を受けたヒヅチは何事も無かったかのように立ち上がって懐から何かを取り出して放り捨てた。

 木製のヒト型が灰になって崩れるのをちらりと見てから、刃をジョゼットに向ける。

 

「ヒイラギ・シャクヤクを貰い受ける」

 

 その姿にジョゼットとペコラが息を呑んだ。

 カエデの住んでいた小屋で見た式と寸分変わらぬ姿。其処に妙に大きな首輪と鎖。そして頬を彩る入れ墨を足した姿をした彼女。

 そして脳裏に響くのは彼女の式が語った言葉。

 

『ヒヅチ・ハバリを殺せ』


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