生命の唄~Beast Roar~   作:一本歯下駄

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『あの野郎を早く見つけねぇと』

『……ん? この匂い……ベートさん』

『んだよ』

『この匂い、ウェンガルの匂いなんすけど』

『…………』

『この先、血塗れっすね。この血、ウェンガルの匂いなんすよ』

『糞がッッ!!」


『冷刃』

 強襲によって【ハデス・ファミリア】の駆け出しらしい狼人(ウェアウルフ)を仕留めたカエデ・ハバリであったが、その後の戦闘は芳しくなかった。

 貯水用の大きな空間。その中央が崩落して下に落ちたのだ。其処に広がっていたのは理解不能な地下空間。少なくともギルドの情報にも記載されていない地下通路に落ちたカエデ・ハバリとアレクトルであったが、やる事は一つとカエデは剣をアレクトルに向け。アレクトルも応える様にカエデに断頭斧を向けた。

 

 砕けた細氷が地下の空間に広がって部屋内の温度を急激に下げていく。細氷がキラキラと煌めく中を真っ白い残像すら残す勢いで駆けていくのはカエデ・ハバリ。光源も無い暗闇の中、飛び散る魔法の煌めきのみが互いを視認可能としている。それ以外は気配を読んで飛び掛かるというのを繰り返すのみ。

 カエデ・ハバリが振るう氷の剣(氷刀・白牙)がアレクトルに触れる寸前。アレクトルの魔法【失攻刃】によって砕けて細かな氷の破片を空間に散らす。飛び散った氷の破片、魔法の産物であるが故に微光を放ち一瞬だけ暗闇にカエデの姿が映し出される。

 

「またっ!」

「ぬんっ!!」

 

 轟音と共に振るわれる断頭斧(ギロチン・アックス)。頸を切断する為の刃は、第一級(レベル7)の剛腕に振るわれる事でドワーフの鎧すらも巻き込んで胴体を一撃で切断する威力を持つ。当たれば即死なのは違いない。

 攻撃に失敗した瞬間に離脱していたカエデの目の前、身に着けていた緋色の水干の袖口を大きく抉り千切られながらも回避したカエデは静かに闇に身を沈ませる。

 

「っ!」

「『凶刃は我が身に触れず』【失攻刃】」

 

 第一級冒険者の【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナですら『厄介』だと評価する魔法。

 短文詠唱で発動が早い上、確実に()()()()()と言う効果はカエデの()()()()と相性が悪過ぎた。 それなりに広い貯水槽区画全域を駆け巡りながら隙を見つけては柱の陰から強襲するも、【失攻刃】の効力で諸刃の剣は即座に破壊されてしまう。

 攻撃の失敗はイコールで武装の消失。すぐに生み出せるからと言って一度に作り出せる剣は一本のみ。

 最初に手にしていた剣を破壊されて以降、何度も同じように剣を生み出しては攻撃を繰り返すカエデ・ハバリの姿にアレクトルは眉を顰めつつも断頭斧(ギロチン・アックス)を振るう。

 

 無数の柱によって支えられた広い空間だと思われる広大な大広間。

 カエデ・ハバリとアレクトルの攻防が続いている其処に乱入できずに大広間の入り口で戸惑うペコラ・カルネイロは口元を歪めつつも巻角の大槌を肩に担いで呟いた。

 

「入るタイミング無さすぎですし、そもそも見えないじゃないですか」

 

 気配を探り、暗闇の中で刃閃かせるカエデ・ハバリと、【失攻刃】の効力で強襲を防いだ瞬間に反撃するのみで動きの少ないアレクトル。耐久に優れたペコラでも不用意に飛び込めば死にかねないのは最初の一撃で理解しているが故に、ペコラは飛び込む事が出来ずに大部屋の入り口で立ち往生していた。

 

 

 

 

 

 イサルコ・ロッキは血走った目で短剣を振るってジョゼット・ミザンナと切り結んでいた。

 中央に空いた大穴の外周を回りながら戦う二人。大穴の下から粉砕音と轟音が聞こえる度にジョゼットの表情が曇っていく。

 

「死ねぇぇぇぇええっ!!」

「貴方こそ、死んでっ! 下さいっ!」

 

 金属の刃同士が激しくぶつかり合って火花が散る。いくつかの魔石灯が戦闘の余波で破壊された影響かイサルコとジョゼットの闘う空間は光と暗闇が入り乱れておりジョゼットは唐突に強く光る魔石灯に目を眩ませては舌打ちと共に後ろに下がる。

 前に前に、刃を縦横無尽に振るいながらジョゼットを仕留めようとするイサルコ。

 カエデの背を狙って鎖を放とうとした所をジョゼットが後ろからナイフで切りつけた事で既に彼の頭から『仲間を殺したカエデ・ハバリを殺す』と言う考えは消え去り。今は『目の前の恨めしいエルフを殺す』事しか考えられない。

 

「死ね死ねぇ、死ねぇぇぇええっ!!」

「っ、くっ速いっ」

 

 射手として弓を扱う以前に短剣等での近接戦闘術も学んでいたとはいえ、前衛として戦い続けたイサルコ・ロッキに対してジョゼットは劣っていた。持っているのが装備魔法を無力化する特殊な短剣であるからこそなんとか渡り合えているが、装備魔法【縛鎖】を使われた瞬間に形勢が傾く。それを危惧しながらもジョゼットは大広間となった貯水槽区画の反対側の壁をぶち抜き()地下水路に消えて行ったカエデとアレクトルを気にしていた。

 一応ペコラ・カルネイロが其方の方に向かったとはいえ、彼女の敏捷では戦闘に乱入できない。最悪の場合は『邪声』で妨害する事も視野に入れていたが、彼女の『邪声』は全く効果が発揮されなかったのだ。

 

「チッ、面倒ですね」

「死ねっつってんだろっ!!」

 

 つまり、目の前の猫人とカエデと共に地下空間に落ちた牛人のどちらも『邪声無効』の効果のスキルを持つか────狂人に『邪声』は効果が無いのか。

 

「よくも仲間を殺しやがってぇぇえっ!!」

「それはっ、此方の台詞だっ!!」

 

 切り結ぶ短剣を弾き、ジョゼットがイサルコの胴体を蹴り抜く。ドゴシャッと言う異音を響かせてイサルコが吹き飛んで穴の縁のギリギリで止まった。

 

「あぁ……テメェが、アイツを、殺したんだろっ」

「……貴方が、私達の仲間を殺したんでしょう」

 

 イサルコが頸を失った狼人(ウェアウルフ)の躯を指さして叫ぶ。地下空間に響くイサルコの怒声に淡々とジョゼットが答える。底冷えする様な殺意に満ちたジョゼットの言葉にイサルコは青筋を浮かべて呟いた。

 

「大人しく死んでりゃ殺しゃしなかったっ」

「嘘、ですね。貴方は殺しを楽しんでいる」

 

 大量に仕掛けられた罠。薄暗い隧道内をひたすらに進んでいたさ中。響く鎖の音色と嘲笑。

 ジョゼットが庇おうと前に出た瞬間、団員の一人が床から飛び出した鎖に巻きつかれ────そのまま壁の中に消えるのではなく、罠が解除されていない場所を引き摺りまわされた。

 飛来する矢、飛び出す杭、降り注ぐ毒液。様々な罠の中を引き摺りまわされた彼は虫の息のまま水の中に引きずり込まれた。それを見た他の者が救うべく水に飛び込んで────水の中で鎖に巻き取られて溺死させられた。

 ジョゼットが鎖を破壊して助け出せたのはグレースとヴェネディクトスの二人。グレースが抱えていたアリソンが壁から飛び出してきた長剣の一撃で血をまき散らす。

 

 あの光景を見た。次々に隙を見せた仲間が()()()()()()()()()()()()()()()()()()のを、上がる絶叫を、水面を波立たせる手足を、飛び散る血を、血に塗れた隧道内を。

 誰がどう見ても悪趣味としか言いようがない殺し方ばかりであった。

 

「罪人だろ、殺したって構やしない」

「……彼らは()()()()()だけだ」

「あぁ? 知るかよ、俺たちの事を知っちまったんだ、全員殺すに決まってる」

 

 話が通じない。舌打ちしながらも構えたジョゼットに対し、イサルコは気色の悪い笑みを浮かべて呟いた。

 

「クヒッ、ヒヒヒッ、『満ちて瞬け────』」

 

 魔法の詠唱文。この詠唱に覚えのあるジョゼットは目を見開いて即座に斬りかかる。

 

「『────幻影の光、繰り返し映し出す鏡────』」

 

 呪詛(カース)。効果時間はそこまで長くはなく。彼の意図した幻想を見せる訳ではない。しかし、その見せられる光景は彼にとって()()()()()()()になる。

 つまり発動されたら間違い無く不利になる。

 

「『────叶わぬ理想を抱け、愚かなる者よ────』」

 

 閃く短剣をその身に受けながらもイサルコは詠唱をやめない。迷う事無く胸に短剣を突き立てるジョゼット。血反吐を吐きながらイサルコ・ロッキは嗤った。

 

「『────其の光に映る姿は偽りなるぞ』【紫紺の光球】」

 

 最後の最後、イサルコが放った呪詛の光がジョゼットの目の前にふわりと浮き上がる。突き立てた短剣を捻り、完全にイサルコ・ロッキの息の根を止めたジョゼットがポーチに手を伸ばそうとして────その紫の光を放つ光球が離れていくのを見て眉を顰めた。

 あの紫色の光の玉、あれがイサルコの扱う呪詛(カース)。イサルコにとって都合のいい幻想を見せつける。

 過去にそれに呪われてカエデに武器を向ける羽目になったジョゼットの強い警戒を嘲笑うかのようにその光が静かに寄り添う。

 部屋の隅で倒れたグレース・クラウトスに縋りついていたヴェネディクトス・ヴィンディアの背中を紫色の怪しい光が照らしだした。

 

「まさか────」

 

 対象は自分ではなかった。気付いたジョゼットが魔法装備を破壊する短剣を投擲して光の玉を破壊しようと試みるも耐呪詛(カース)用に作られていない装備は無意味にすり抜けて壁に弾かれてヴェネディクトスの足元に転がった。

 

「……ヴィンディアさん」

「あぁ、あ……あぁぁぁぁあああああああああああっ!!」

 

 倒れ伏したグレース・クラウトス。意識はないが息はある彼女に縋りついて放心していたヴェネディクトスが震えながら立ち上がった。

 

「僕の、所為か……僕の所為で……」

 

 気絶しているグレースの頬を撫でたヴェネディクトスがナイフを取り出して自分の頸にあてがう。どんな幻影を見せつけられているのか不明であるが────このままでは彼が自害してしまう。

 

「落ち着きなさいっ!」

 

 ジョゼットが駆け寄ってそのナイフを蹴り飛ばす。刃の部分が宙を舞う。淀んだヴェネディクトスの瞳がジョゼットを捉えた。

 

「あ……」

「落ち着いて、グレースさんは生きて──」

「あはは、はは、ははっはははは」

 

 壊れた様に嗤うヴェネディクトスの姿にジョゼットは眉を顰め、その首に手刀を叩き込んだ。

 崩れ落ちるヴェネディクトスを横たえ、グレースの容体を確認したジョゼットは意識を失っているだけで命に別状がない事を確認してからヴェネディクトスの周囲を未だに漂っている紫色の光の玉を見て眉を顰めた。

 

「……意識が戻った際に何をしでかすかわからないか」

 

 カエデ・ハバリを追うべきなのに、未だに呪詛(カース)にやられた仲間を置いて行くのは危険だと判断して【ハデス・ファミリア】が使っていたらしい縄を手に取り──この程度の縄では冒険者を拘束できないと諦める。

 このまま呪詛(カース)が解けるまで待機するしかないかと諦めかけた瞬間、隧道の一つから罠の作動音が響いた。

 

「っ! 敵っ!」

 

 グレースとヴェネディクトスを崩れた瓦礫の残骸の影に引きずり込んで隠し、イサルコの死体から短剣を引き抜こうとして、やめる。

 

「『誇り高き妖精の射手へと贈ろう。非力な我が身が打つ妖精弓を、十二矢の矢束を六つ、七十二矢の矢を添えて』【妖精弓の打ち手】」

 

 ジョゼットの手の内に生み出されるのは小弓。狭い空間で取りまわしを重視した小さな玩具の様な弓を構えて音の聞こえた隧道の方を睨む。隧道が高所で自身が貯水槽の底に居る所為で高低差的な不利はあるが、かといって隧道内へ突撃すれば危ない。そう判断したジョゼットが弓を引いて待ち構える。

 其処に隧道内の罠を蹴り飛ばした犯人が現れる。

 水に濡れた茶髪の狼人が裂けたジーンズから滴る血を飛び散らせながらも貯水槽内に転がり落ちてきた。

 

「ケルトさんっ!? 生きていましたかっ!!」

「っ、カエデはっ、あの糞牛は何処行きやがったっ!」

「アレクトルなら其処の下に、イサルコは仕留めましたが」

「あぁっ? おい、其処の地下通路は何だ、ギルドの地図にゃのってなかったぞ」

 

 ケルトが地下水路の貯水槽区画、その底に空いた崩落の跡とその先に広がる人工的な通路を見下ろして呟く。

 

「おいおい、もしかして噂のアレか『ダイダロスの遺産』って奴かよ、糞っ」

「それは?」

「奇人ダイダロスがギルドに秘密で作ってたっていうなんかだよ、【恵比寿・ファミリア】が大量の『超硬金属(アダマンタイト)』とか最硬精錬金属(マスター・インゴット)の『オリハルコン』やらがどっかに消えてってたって言ってたんだよ」

 

 神々が降臨を果たした時代の転換期、迷宮都市の礎となる建造物の数々を築き上げた名工。ダンジョンに潜り始めて以降は奇行が目立ち始め、終いには【奇人】と称されるまでに至った人物。

 かの人物が大量の『超硬金属(アダマンタイト)』や最硬精錬金属(マスター・インゴット)である『オリハルコン』を購入した記録が残されているが、その金属達や建材はまるで霧の如く消えてしまったらしい。

 神々の中では『なんか秘密の地下室でも作ってんじゃね?』等と噂されていたが、彼の死後も不思議な事に『超硬金属(アダマンタイト)』や『最硬金属(オリハルコン)』の一部が消え続けている。今なお死せずに何か作っているのではないかと恵比寿が睨んでいたが結局その流れの全容を掴み切れてはいなかった。

 

「……それはないと思いますが、現にこの先の通路には『超硬金属(アダマンタイト)』も『最硬金属(オリハルコン)』も使われている様には見えない」

「ま、んなことぁ良いんだよ、とりあえずカエデはこの先だな? あと糞牛。とりあえず────糞牛は殺す」

 

 じゃあな、と軽く手を振ったケルトが崩落した穴に飛び降りて行ったのを見送ったジョゼットは眉を顰め、穴の中に向かって叫んだ

 

「私の分もお願いします」

「任せろっ」

 

 気のいい返事が返ってきたのを聞いてから、ジョゼットは気絶しているグレースとヴェネディクトスを担いで脱出すべく動き出した。

 

 

 

 

 アレクトルの攻撃が床を砕き、地下へと落とされた。

 ()()()()()()()()()と言う情報にない場所。()()()()()()()等があるといわれてはいたものの、この地下空間は地下水路と言うにはおかしい。

 石造りの通路は非常に入り組んでいた。アレクトルの攻撃を避けつつも時折攻撃を繰り出しながら二人で全力で駆け抜けた通路。

 所々崩落の跡が見受けられるこの地下空間にはダンジョンと類似した点が幾つも見受けられた。ともすれば────人工物で構成されていなければ迷宮の一部だといわれても納得してしまえそうなほどに、この領域は異空間であった。違いがあるとすればダンジョンと違い自動修復される事は無く、モンスターが居ない事ぐらいか。

 振るった氷刃が砕け散るのを感じながらもすぐ攻撃範囲外へと離脱する。そうしなければ即死してしまうから。

 

「しっ」

「おおぉぉぉおおおっ!!」

 

 雄叫びを上げながら振るわれる断頭斧(ギロチン・アックス)。通路の壁面を粉砕しながら迫りくる様に怯めば瞬時に挽肉だろう。あの攻撃を受けて自分のステイタスで耐える事が出来るとは思えない。

 ────けれども、その攻撃が自分に当たるとも思えなかった。

 

「『凶刃は我が身に触れず』【失攻刃】」

 

 あの魔法だ。さっきからずっと殺し損ねてる。

 縦切り(唐竹)も袈裟斬りも、逆袈裟も、横一文字も、突きも、払いも、撫で斬りも、どの攻撃であっても防がれる。ただ一度きりの絶対防御。

 失敗する度に剣を失う。そのたびに生み出す。

 カエデ・ハバリの『装備開放(アリスィア)』は効力の続く限り『耐久無視の氷刃を生み出す』と言う付与魔法(エンチャント)と似たような、けれども決定的に違うモノだ。

 

「『凶刃は我が身に触れず』【失攻刃】」

 

 また失敗した。縦一文字に切り裂こうとしたのに触れる直前で刃が粉微塵に砕け散る。

 既に光源は無く、あるのは魔法で生み出された刃が砕け消えるさ中に飛び散る燐光のみ。

 一瞬だけ見えた錆び付いた全身金属鎧を見て眉を顰める。

 

 あの鎧の内側に損傷(ダメージ)を与えることが出来る攻撃のみが無力化される。

 投石程度の小さな攻撃は鎧に弾かれて効果が無い。故に魔法を発動させてと言った真似が出来ない。

 

「『凶刃は我が身に触れず』【失攻刃】」

 

 砕け散った剣の破片。燐光放ち消えゆく儚い刀身を見ながらも錆び付いた兜から覗く眼光を見た。

 必ず殺す。そんな意思が感じ取れるアレクトルの瞳。

 ワタシもお前を殺してやる。違う、殺す。()()()()()じゃない。()()()()のだ。

 呼吸を落ち着かせる。

 

「何処に行った」

 

 いつの間にか大きな広間に出ていた事に気付いた。此処は何処────別に何処でも構わない。

 あのアレクトルを殺すのだ。それ以外に考える事は何もない。

 ワタシを殺しに来た。だから殺し返す。違う、()()()()

 暗闇に沈んだ大部屋。広さは凡そ40Mかそこらだろうか。真っ暗で何も見えない空間の中、金属鎧の放つ駆動音は非常に目立つ。まるで見つけてくれと、俺はここにいると叫ぶ様な鎧の音。

 間抜けめ────罵倒は不要だ。ただ殺す。

 

 自分も金属靴(メタルブーツ)重装手甲(メタルグローブ)なんかの重装を装備しているが、消音用に布を挟み込んでいた事が幸いしているのか音を出さずに動ける。

 とはいえ石材の床を踏みしめる音ぐらいはしているはずなのに、アレクトルはなぜか此方を見ない。

 ────そっか。

 

 わかった。アレクトル(アレ)は強い。けど()()()()()()んだ。

 

 ヒヅチ・ハバリの言葉が脳裏を過る。

 

怪物(モンスター)は強い。ワシら人と比べ、怪物共は強い。腕力比べ等すれば一瞬で負けるだろう。駆けっこなんぞ勝てる気もせん。そもワシら人は空を飛べもしなけりゃ、水中を素早く移動も出来ん。考えりゃわかるだろう。ワシら人よりも怪物は強い。けれども────ワシら人は怪物を倒せる。何故かわかるか?』

『理由は一つ。奴らは地が強いが故に、技を持たん。駆け引きなんぞせん。常に全力を持って潰しに来る。獅子は兎を狩るのも全力を尽くすというが、アレは逆に()()()()()()()()()()()()()のだ』

 

 怪物(モンスター)は人より強い。

 鋭い爪を持つ。力強い顎を持つ。巨大な体躯を持つ。空を翔る翼を持つ。強靭な体皮を、甲殻を、鱗を持つ。

 空を、大地を、水中を、ありとあらゆる場所に()()()()()()()()()。どの場所においても奴らは人より強大な力を振るう。

 けれども、そんな怪物は()()()()()()()()()

 

 鋭い爪に対抗するために人は剣を手にした。

 力強い顎に対抗するために人は大槌を、大斧を手にした。

 巨大な体躯に対抗するために人は強大な魔法を手にした。

 空を翔る翼に対抗するために人は弓を、弩を手にした。

 

 怪物がもつ強靭な体皮に、甲殻に、鱗に代わって人は鎧を着こんだ。

 

 けれどもそこまでしても人は()()()()

 

 だからこそ、人は学び、成長し、貪欲に吸収して進んだ。

 

 怪物は常に全力で、駆け引きなんて事はしない。

 牽制動作(フェイント)なんて事はしない。反撃狙い(カウンター)なんて真似はしない。

 人が学んで、怪物がしなかった事。

 

 師は言った。

 

『怪物は何処までも強い。だが()()()()()

 

 人は何処までも経験を活かし成長する。故に、怪物はいずれ人に超えられる。

 

 暗闇の向こう側で金属鎧の音を響かせる牛人(カウズ)の老兵を見据える。

 其処に居るのはもうわかってる。攻略法も見つけた。負ける未来(ヴィジョン)はもう浮かばない。

 

「アレクトルさん」

「其処かっ!」

 

 振るわれる断頭斧。もう当たらない、当たる気はしない。何故か────駆け引きも何もない全力の一撃なんて怖く無い。

 

「貴方はとても強いです」

 

 耐久無視の刃を持たなければ、きっと負けていた。牙も無く勝てる相手ではない。けれどワタシには牙があった。

 

「でも────貴方はとっても()()

 

 人は駆け引きをして、勝利を掴む。

 ただでさえ少ない勝率を、ほんの少しでも上げる為に人は様々な技法を生み出した。

 怪物に対抗するには、怪物にならなければいけないのか? 否だ。

 怪物に対抗するには、人を貫くべきなのだ。

 

「貴方は人じゃない」

「其処おおおっ!!」

 

 飛び散る石材。見えないはずなのに、金属鎧の音が居場所を、動作を教えてくれる。

 

「貴方は怪物だ

 

 駆け引きはない。ただ力任せで全力。経験を活かす事も出来ない。

 

 獅子(怪物)()を狩る際に全力を尽くす様に。

 

 アレクトルと言う冒険者はただ力任せだった。牽制動作(フェイント)はない。反撃狙い(カウンター)に見える今の動作も、違う。

 ただ反射的に行われる()()()()。それは迷宮の怪物(モンスター)と変わりない動作だ。

 其処に居ると分かった瞬間に、全力を持って攻撃を振り抜くだけの、脊髄反射。

 わかってしまえば、怖くともなんともない。

 

 例え、その一振りがワタシを一撃で殺しうる凶刃だとしても。

 

「貴方の殺し方を見つけました」

「おぉぉぉぉおおおおおッッ!!!!」

 

 また。石材の床を粉砕する一撃を放った。ワタシはそれを回避した。わかる、もうわかった。その攻撃は当たらない。

 目に見えないぐらい速い。在り得ないぐらい力強い。

 腕力比べしたら一瞬で負ける。速さ勝負したら普通に勝てない。

 けれど、もう目も見えてない。耳もあんまり聞こえてない。経験も活かせていない。

 

 努力は認めよう。其処まで上り詰めた力は認める。むしろ尊敬に値する。

 非才の身でそんな頂に近い力を手にした事は、本当にすごい。

 けれども、駆け引きの無い力任せの戦いしか出来ないその非才さは、勿体無い。

 きっと、駆け引きの才能が無かったのだろう。力任せだけで其処まで辿り着く精神は凄い、凄すぎて思わず話を聞きたくなった。どうして其処まで頑張れたのかを。

 

 ────けれども、殺そう。

 

 

 

 

 

 飛び散る細氷。暗闇に一瞬映し出される白と緋色。小さな体躯を破壊せんと振るわれる断頭斧(ギロチン・アックス)の攻撃が空振りして近場の壁面を粉砕する。

 飛び散った石材の破片の中を転がりながら新たに生み出した剣を手にカエデが暗闇に紛れる様に息を潜める。

 広大な広間の中。暗闇に身を潜める事で幾度とない強襲を繰り返すカエデに対してアレクトルは既に息切れを起こしていた。

 当てれば殺せる。一撃で殺せる。しかし────当たらなければ意味がない。

 

「『凶刃は我が身に──触れず』っ【失攻刃】!」

 

 陶器の砕ける音が響く。暗闇の中に煌めく細氷が飛び散って燐光を放ち、カエデの姿が映し出されたのに気付きながらもアレクトルは反撃ではなく魔法の詠唱を行った。

 他の抵抗手段はない。才能の無いアレクトルは、既に打てる手を失っていた。

 

「『凶刃は我が身に触れず』【失攻刃】ッッ!!」

 

 カエデの生み出した耐久無視の刃(アレクトルを殺す刃)が閃く。

 陶器の砕ける音と、氷の砕ける音が同時に響き渡り。カエデの手の内にあった刃が粉々に砕け散る。

 飛び散る魔力を宿した細氷(ダイヤモンドダスト)が燐光を放ち、一瞬だけカエデの姿を映し出すも、カエデは既に跳び退って暗闇に紛れようとしている。

 削り殺す積りだと見抜きながらもアレクトルに出来るのは魔法の詠唱のみ。

 力押しが通じない時点で、勝負は既についていた。誰の援護も無く彼女を倒す事は不可能だ。

 

「『凶刃は────ぐぅっ────我が身に触れず』【失攻刃】ッ!」

 

 詠唱しながらも大きく後ろに下がった瞬間。アレクトルの胸に一条の切れ込みが入った。

 並行詠唱等と言う高等技術ではない。ただ詠唱途中で身を投げ出しただけ。不格好に倒れながらも回避に成功したアレクトルは再度陶器の砕ける音を聞いた。

 終わりを悟りながらもアレクトルは断頭斧(ギロチン・アックス)を振るいながらの詠唱を試みる。

 この危機的状況。カエデ・ハバリを討つ為には今までできなかった()()()が必要だと考えたアレクトル。土壇場での限界突破を望み────並行詠唱と言う高度な技術を使おうとして────刃に貫かれた。

 

「『凶刃は我が身に──ゴプッ……」

 

 スッと、何の抵抗も無くアレクトルの胸に氷の刃が滑り込んだ。美しい白刃が胸に吸い込まれたのを見ながらも、アレクトルは抗わんと断頭斧を握る手に力を籠め────小さな金属靴(メタルブーツ)に押さえつけられた。

 

「終わりです」

 

 心臓の真横に感じる冷たさに痛みはなく。ただ体の芯を突き刺す冷気に一瞬で体が冷えていく。

 錆び付いた全身鎧に霜が降り始め、一瞬で茶色い鎧を真っ白に染め上げていく。

 アレクトルが振るおうとした断頭斧を持つ手を踏みつけた影がアレクトルを見下ろしていた。

 

「仕留めました」

 

 静かな宣言。胸に突き立った『薄氷刀・白牙』の柄を持ちながらカエデ・ハバリは静かにアレクトルを見る。

 殺したという達成感は微塵もない。ただ()()()()()()()()()()

 其処に()()はない。やり遂げた()()()はない。

 感情が抜け落ちた冷たい瞳がアレクトルを見下ろす。

 

「貴方の負けで、ワタシの勝ち」

 

 獣の様に、生存への凄まじい欲求を宿しながらも、其処に人としての感情はない。

 死の恐怖も、生き残った喜びも、何も感じ取れない。

 

「負け、か」

 

 これが、カエデ・ハバリか。これが彼の『黒毛の狼人』がひた隠しにしてきた『秘密兵器』か。

 感情の一つも無く。ただ淡々と必要だから戦い、必要だから殺す。目的の為に直走る狂気を宿した存在。精霊の血を引く一族がもった最終兵器。

 貫く冷たさの所為で痛みを感じられないアレクトルは、けれども既に自分の死を悟った。

 心臓の真横を貫く氷の剣は、体内に送り出す血液を冷やしていく。体温が急激に失われ、手足の感覚が薄れていく。視界が暗闇に沈んでいく。既に抗う気力も体力も何もかもが失われていく。

 

「死ぬ前に、遺言はありますか?」

 

 冷たい瞳、冷気を纏うその姿。感情の感じられないカエデ・ハバリの瞳に光が宿る。

 その言葉はかつてアレクトルがカエデ・ハバリに向けて言い放った言葉だ。『遺言を聞こう』と言う台詞。

 アレクトルは鉄兜の覗き穴からカエデを見上げた。

 

「あ、ハデス、様に……申し訳、無かった、と」

「伝えておきます」

 

 聞く事は聞いたといわんばかりに、カエデ・ハバリが刃を引き抜いた。

 血を吸って肥大化した刃。胸にぽっかりとあいた切れ込みは完全に凍り付いて血が零れ落ちる事は無い。

 その血の色に染まった大太刀を振り上げ────カエデ・ハバリはアレクトルの頸を落とした。

 

 

 

 

 真っ暗な空間。ペコラ・カルネイロは震えながら魔石灯でその闇を取り払っていく。戦闘が終わったのは感じ取っていたが、どちらの勝利で終わったのかは想像がつかなかった。

 結局、最後までペコラは手を出す事が出来なかったからだ。

 

 暗闇を払いながら足音を立てずに進んでいくペコラ。戦闘音が終わったらしき場所まで照らし出された所で、静かに佇むカエデの姿を見て、ペコラは悲鳴を飲み込んだ。

 

「ひっ……カ、カエデちゃん?」

 

 錆び付いた金属鎧。霜が降り、茶色っぽい白に染まった鎧の傍に立ち、血の色に染まった氷の大太刀を手にした姿。青褪めた表情のままカエデはその金属鎧を身に纏っていたアレクトルの傍でたたずんでいた。

 

「カエデちゃん、その」

「殺しました」

 

 静かな宣言。カエデは大太刀を手放す。地面に吸い込まれるように落ちた大太刀は、粉々に砕けて魔力の残滓になって燐光を放つ。魔法が解かれてカエデの纏う冷気が失せていき、けれども寒さが完全に消える事はない肌寒い地下空間特有の空気に満たされる中、カエデが何かを持ち上げた。

 両手で持ち上げたのは────錆付いた兜。

 

「それ、は……」

「アレクトルさんの、頸です」

 

 ペコラの頬が引くつく。

 カエデの持つその兜、()()()()()()()()

 

「殺しました。ワタシが、殺しました」

 

 第一級(レベル7)に至った化け物。何の感慨も無く、感情の色の消えた冷たい声でカエデは再度宣言した。

 

「ワタシが、彼を、殺しました」

 


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