生命の唄~Beast Roar~   作:一本歯下駄

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『もウ終わル。コりャア……ツまんネぇなぁ』

『おいお前』

『アー、はイハい。何でスかい? 可愛イ後輩ちャンはドうしテそんナに怒ッテるんダ?』

『僕は前に死んだと思っていたんだ。先輩みたいな頭のおかしい奴は、あの狐人に殺されて、ね』

『生キてテ嬉しイか? そリゃヨかった』

『良くないよ。死んでてくれた方が気楽だった。あぁもう……その神ハデス殺したらさっさとナイアルと合流だよ。外は色々と面倒毎が多いんだ。僕一人じゃ手が回らない』

『エー、ヤだナァ。まア、ナイアルとまタ会イタいシ、いッか……』

『僕は良くないけどなっ!』

『照れルな照レるナ』



『地下水路』《下》

 幅1.5M程の足場を踏み外しかけて大きくよろめいて壁の方へ身を投げ出して止まる。

 ふらつく足は覚束なく、凍える吐息がその衰弱具合を知らせてくる。

 隧道の中、目的地がわからなくなったまま歩き続けていたカエデ・ハバリは身を震わせて顔を上げる。

 

「寒い……」

 

 寒さで震え、カチカチと奥歯が打ち合わされる音を響かせながらも歯を食いしばって膝丈まで上がってきた水面に映る顔を見る。

 

「嘘、早過ぎる……」

 

 顔を上げたカエデの視線の先。閉じた水門とその隙間から流れ込む水流に顔を引き攣らせ、何処かに出口はないかと後ろを見るも、カエデの望むものは見当たらない。

 後方は崩落によって埋め立てられ、前方は並大抵のモンスターの攻撃では傷一つ付けられない頑丈な水門。それも人が通る為の戸口の様なものも付けられておらず、完全に通行不能なうえで水を流し込んできている。

 上部の小さな窪み部分が空気抜きの役割をしているらしく、このままではこの隧道内は水で埋め尽くされてしまう。

 戻って土砂をどかすか、この水門をどうにかして開けるか。

 

 近場の壁に設置された水門操作用の装置らしきものに近づくも、穴が開いているのみでどうすれば良いのか見当もつかないカエデは手持ちの道具類でどうにか出来ないかと穴に閃光弾を捻じ込んだりしていた。

 カエデは知らぬ事であるが、特殊な器具を使って作動させる装置であり、無手ではどうしようもない。

 

「無理、道具がいるけど……」

 

 既に太腿の辺りまで水位が上昇してきている。このままでは溺死してしまうと危惧しながらも打つ手がない事に焦りを感じ、相手の意図に気付く。

 自身の手を汚さずに、此処でカエデ・ハバリを溺死させる積りなのだと。

 既に手足の感覚は麻痺し始めており、指は震えてまともに動かせない。波打つ水面に映る自分の顔、ただでさえ白い肌は既に体温の低下で青白くなっている。唇なんて紫色にまで変化しているのに気付いて唇をかんだ。

 ジワリと広がる冷たい血の味。生唾と共にそれを飲み込んで吐き気を覚えるが堪える。

 

「何処かに、何か……」

 

 ずぶ濡れの尻尾の先端を摘まんで────何も答えは帰って来なかった。

 いつもなら、何かしらの()が働くはずが、今はうんともすんともいわない。

 

「寒い……」

 

 身を震わせて顔を上げる。考え事をしている間に完全に足を取られる程の深さになった水面を睨んで元来た道を戻ろうとして────天井から釣り下がる人物と目が合った。

 

「よぉ、寒そうだな」

「っ!? 【縛鎖(ばくさ)】!」

 

 【縛鎖(ばくさ)】イサルコ・ロッキがケタケタと気味の悪い笑い方をしながら天井から釣り下がる鎖に掴まっていた。

 見上げるカエデに対し、イサルコはヒヒッと笑いを零すとじゃらじゃらと鎖を差し出して目を細めた。

 

「団長がよぉ、テメェはどうしても処刑台で殺したいそうなんだわ。あの糞エルフ殺したいのにお前殺すまで余計な事すんなって言うんだぜ? だからよ、お前俺と来い。んであの処刑台で死んでくれ。そしたら糞エルフを思う存分ぶちのめしてから殺してやるからよ」

 

 カエデの目の前に垂らされた鎖。掴まればこの場を抜け出せるが、代償としてあの場に引き戻される事になるだろう事は想像するまでも無い。

 

「あ、そうそう。兎は殺した。だってお前逃げたし」

「…………え?」

 

 イサルコの何気ない言葉にカエデが身を震わせる。寒さではない、悪寒による震え。

 鳥肌が立ち喉がカラカラに乾いていくさ中、イサルコが鎖を手繰り寄せて()()()()()()()()()()()()()

 

「ほら、この兎もう死んでるぜ」

 

 腰の辺りまで上昇した水位、その水面に音を立てて堕ちたのは──事切れたアリソン・グラスベルの死体。

 肩から腹にかけてばっさりと斬られ、零れ出た内臓が水面にぷかぷかと浮かび、事切れた瞳は既に生気は無く、濁った黒い瞳で暗い天井を見上げている。

 

「なんで……」

 

 なんでアリソンさんを殺したのか。そう問いかけようとしたカエデに対し、イサルコは肩を竦めた。

 

「あぁ? んなもん、あの糞エルフが庇ってたからだよ」

 

 糞エルフなどとふざけた呼び方をされている【魔弓の射手】ジョゼット・ミザンナ。彼女は足手纏いになる者を庇いながら撤退したはずだ。

 その彼女が庇う足手纏い達を、イサルコは容赦なく狙ったのだろう。

 

「ワタシを、狙っていたんじゃ……」

 

 それに矛盾している。何故ジョゼットを一番に狙わないのか。ジョゼット憎しで行動しており、殺してやると何度も口にしながらも、ジョゼットを殺すのではなく周囲の者を殺す。

 理解しがたい狂人の思考に何を言った所で意味等ありはしない。それを理解しながらもカエデは言い切った。

 アリソンは関係ない。そう口にするカエデを見下ろしたイサルコは小首をかしげて呟いた。

 

「あん? だってテメェの事庇おうとするんだぜ? ()()()()()()()()()()()()()()()()()

「っ!!」

 

 自分を庇ったからこそ、彼らは命を奪われたのだと言い切られた。其の事に驚愕と恐怖を覚えながらも、唇を噛み締めて水面に浮かぶアリソンに手を伸ばした。

 カエデの手も冷え切って冷たいはずなのに、カエデが触れたアリソンの肌はカエデの手より尚冷たかった。

 

「なんで……なんでアリソンさんがっ!」

 

 カエデが強く睨み付ける。赤い瞳が爛々と輝くのを見たイサルコは、その姿を鼻で笑った。

 

「ハデス様が言ったからに決まってんだろ。それよりもどうすんだよ、此処で溺死したいならそうしろ、俺は先に行ってるから、処刑台で死にたきゃさっさとこっちに来るんだな。そうそう、遅い様ならあのエルフの男とヒューマンのうるさい女も殺すから、じゃあな」

 

 カエデが手を伸ばすより前にイサルコの姿が壁の中に消えて行く。残ったのはカエデの臍の辺りまで上がった水位と、その水面に浮かぶアリソンの死体のみ。

 カエデが水流に弄ばれるアリソンの体を掴んで引き寄せる。

 温かな笑みを浮かべていたはずのアリソンは、既に冷たい屍になっており、生命の息吹は感じられず、体温もとうの昔に消え去ったただの肉と骨があるのみ。

 

「ごめんなさい……」

 

 自分の所為で──そう口にしそうになり、その言葉を飲み込んだ。

 これはカエデ・ハバリの所為であるか? その問いにカエデは力強い否定の言葉を放った。

 

「ワタシの所為じゃない」

 

 カエデ・ハバリと関わりを持った所為で、アリソン・グラスベルは死んだ。ウェンガルは死んだ。その通りかもしれない、けれども死んだ原因はカエデにはない。

 殺した犯人は身勝手な主張を振るい続ける【ハデス・ファミリア】であってカエデ・ハバリではない。

 そう言いながらも水面に浮かぶアリソンの瞳を覗き込んで、カエデは涙を零した。

 ぼたぼたと溢れ出す涙は、水面に零れ落ちて判別がつかなくなる。

 

「ワタシの所為……」

 

 かつて過ごした故郷の村。黒毛の狼人の隠れ里にて起きた悪い出来事は全て白き禍憑き(カエデ・ハバリ)の所為で起きた事だと責め立てられた。

 やれモンスターが出た。やれ死人が出た。やれ流行り病にかかった。やれ畑の作物が上手く育たなかった。どれもこれも身に覚えのない、完全に無関係と言い切れる言いがかりばかりだったソレら。

 今回のアリソンの死も、ウェンガルの死も、どちらも【ハデス・ファミリア】の手によるモノであって、カエデの所為ではない。しかし────カエデは幾度かの警告を受けていた。

 

 警告を無視した結果、ウェンガルが死に、アリソンが死んだ。

 そして、これからヴェネディクトスやグレース、ケルトや他の者にも危害が及ぶのだろう。

 

 それを理解しながらも、カエデ・ハバリは剣を抜けなかった。

 

「なんでっ! こんなに憎いのにっ!」

 

 胸の辺りまで上がった水面。もう猶予はなく、すぐにでも垂れ下がる鎖に手を伸ばすべきなのに、手を伸ばせない。逃げ場を探すべきなのに、アリソンの死体から手を放せない。

 イサルコが憎く、アレクトルが憎い。殺したくて堪らないはずなのに、抜けば殺せる剣があるのに、剣を抜けない。抜こうと決意しても、空気が抜ける様にその決意が溶けて消えてしまうのだ。

 腹の内から溢れ出すドロドロとした黒いナニかを意識したカエデは血反吐を吐く様に詠唱した。

 

「『凍えて(孤独に)眠れ、其は凍て付く(孤独な)氷原────

 

 声が震える。下がった体温の所為で呂律が上手く回らない。此処で魔力暴発(イグニスファトゥス)すれば死にかねない。アリソンの死体の感触を感じながら、身を震わせたカエデが詠唱し切る。

 

 ────月亡き夜に誓いを紡ごう。名を刻め、白牙は朽ちぬ』【氷牙(アイシクル)】ッッ!」

 

 冷気に包まれて水面が凍り付く。アリソンの死体を巻き込まぬ様に冷気を動かし、自分の体を凍った水面の上に引きずり上げて勝手に震える体に鞭を打つ。

 濡れた体に冷気が突き刺さる。けれども、痛みや寒さは無い。鈍痛効果によって鈍った感覚の所為で冷たさを感じない。ある意味では不利に働くその効力を今は感謝しながらもカエデは両手を前に突き出した。

 

 口を震わせる──寒さの所為で声が出ない訳ではない。

 歯を食いしばる──なぜか詠唱文が唱えられない。

 

 耐久無視の効力を持つ諸刃の剣を生み出す追加詠唱。装備魔法を生み出すはずの追加詠唱が唱えられず、カエデは涙を零した。

 頬を伝い、顎に滴った雫が零れ落ち────空中で凍り付いて氷の足場に落ちて砕け散る。

 

「なんで……」

 

 天井までの高さが半分を切っている。近づいた天井に手を伸ばして見えない空を求めたカエデは、天井から垂れる鎖を睨んだ。

 

「剣さえ、あれば────」

 

 あればどうするのか。例え剣を手にしていようと、きっと自分が剣を振るう事なく死ぬだろう。そんな予感を感じ取り歯を食いしばる。

 何がいけないのか、そう考えた所でアリソンの亡骸に手を伸ばす。

 水面から引き上げたアリソンの冷たい亡骸。既に生命の途絶えた肉と骨。既に流れ落ちる血も失われたその躯。

 硬直しはじめている手を握り、涙を零して謝罪した。

 

「ごめん、なさい……」

 

 ごめんなさいごめんなさいと涙を零し、謝罪する。

 カエデ・ハバリは剣を抜けない。カエデ・ハバリはあの者達を殺せない。

 何故、どうしてかはわからないのに、なぜか剣を抜けない。

 何がいけないのか、わからなくて胸が苦しくて──こんなんじゃいけないと身を震わせた。

 

「生きなきゃ……」

 

 身を震わせて、鎖に手を伸ばそうとする。凍えた腕が上手く動かずに鎖を掴み損ねる。

 強大な敵、腹の内から溢れ出しかける憎悪。それでいて前を見据えたのはなぜか。

 

「生きなきゃ……」

 

 どうしてかと問われたら。答え等たった一つしか存在しない。

 

「生きなきゃ……」

 

 カエデの根本を成す言葉『死ぬな(諦めるな)生きろ(足掻け)、心の臓が音を止めるその瞬間まで』

 その言葉を強く脳裏に描き────鎖の砕ける音を聞いた。

 

 目の前に垂らされた()()()()()()()には異変はない。あったのは、カエデの心の中だ。

 目の前にある鎖を呆然を眺めながら、カエデは静かにアリソンの亡骸を見下ろした。

 涙が零れ落ち、氷の粒となって地面に落ちて砕け散る。

 カエデが手を伸ばせば天井に手が付くほどに水で埋め尽くされた隧道内。

 

 カエデは静かに両手を前に突き出した。

 

「『乞い願え。望みに答え、鋭き白牙、諸刃の剣と成らん』」

 

 淀みなく流れる様に詠唱しきった。爛々と輝く双眸でその刀身を眺める。

 鋭い切っ先を持つ、師が手にしていた打刀を模した──薄氷刀・白牙。

 

「そっか、そうだったんだ」

 

 ボタボタと溢れ出る涙を拭う事もせずに、カエデは静かに剣を振るった。

 空気を引き裂く冷気纏った耐久無視の効力を持つ刃。キンッと澄んだ音色を響かせた一閃。

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ごめんなさい、ワタシは────誰かの為に剣は振るえない

 

 とても、簡単な答えだった。

 

 カエデ・ハバリは何の為に此処(オラリオ)に来た?

 

 ────生きる為である。

 

 師はカエデ・ハバリに剣の何を問うた?

 

 ──── 人を殺す刃であり、扱いを間違えれば堕ちる。

 

 師は、何を思ってカエデ・ハバリに『烈火の呼氣』を教え、『大鉈』と言う剣を渡した?

 『烈火の呼氣』は人の身では傷付ける事も出来ない化け物を斬り伏せる為のもの?

 『大鉈』と言う大刀は化け物を斬り伏せる為のもの?

 それは、間違いである。

 

 ────師は、その技法と剣をワタシに与えた。理由は違う、化け物を斬り伏せる為? 否。

 

 その剣を与えられた理由はたった一つではないか。

 

 ────生きる(足掻く)為のモノだ。

 

 それは、恨みで振るう力ではない。憎しみをもって振るう力ではない。

 傷つけられた報復で振るう刃であってはならない。

 憎悪に狂う刃はいずれ己の身を亡ぼす刃にしかならない。

 

 怪物は、憎悪と殺意に塗れた存在。だからこそ、だろう。

 

「ごめんなさい、ワタシはワタシの為にしか剣を握れない」

 

 これから【ハデス・ファミリア】の団員を────殺す

 

 憎悪ではない。憎しみでもない。報復ではない。これは、カエデ・ハバリが()()()()()()()()()()

 

「殺します」

 

 宣言したカエデは、諸刃の剣を肩に担いで鎖に手を伸ばした。

 

 ────ワタシは殺します。貴方達【ハデス・ファミリア】を、全員。

 

 其れが生きる(足掻く)為に必要ならば、躊躇する必要なんて無い。

 

 

 

 

 処刑台の置かれた貯水槽の底。逃げ出した者を追って数度の襲撃を仕掛けるも、既にアレクトルは虫の息であった。猫人の女性を仕留めはしたが、本命のカエデ・ハバリは逃がした。

 【処刑人(ディミオス)】アレクトルは、もう満足に足を動かす事も出来ない程に消耗している。それは神の恩恵を以てしても防げない、老化と言うモノだ。

 きっと、戦いから身を引けば後四、五十年は生きられる。けれどもそんなことをする気はない。

 この処刑が終わった後、アレクトルは死ぬことになっている。狼人の青年が、アレクトルの処刑を実行してくれる。

 

「団長、大丈夫かよ」

 

 心配する様に寄り添う狼人の肩を振り払ったアレクトルは首を横に振る。

 

「良い、やめろ。カエデ・ハバリを処刑するまでは死なんさ」

「団長……」

 

 槍を握り締めて狼人の青年は俯く。涙を零して呟く。

 

「なんでこんな事になっちまったんだよ……」

 

 あの邪神さえ居なければ、あの白毛の狼人(白き禍憑き)さえ現れなければ。

 【ハデス・ファミリア】はこんなに壊れる事はなかったのに。

 慟哭する狼人の青年を睨むアレクトル。間違いを犯したのは【ハデス・ファミリア】に所属する全員だ。

 

「やめろ、カエデ・ハバリには罪はない」

「ですけど……」

 

 残った団員は【処刑人(ディミオス)】アレクトル。【縛鎖(ばくさ)】イサルコ・ロッキ、【監視者】の二つ名を持つヒューマンの男、そして無名の狼人の青年。

 このうち、正気を保っている────比較的、と言う接頭語は付くが────のはアレクトルと狼人の青年の二人のみ。イサルコと【監視者】は何処か壊れている。

 アレクトルは断頭斧を肩で担いで処刑台の横に立った。打ち壊された処刑台の残骸を見ながらも、此処に運ばれて殺された数多くの罪人(罪無き者)達を思い浮かべて顔を俯かせる。

 

「俺も、お前も、皆そうだ」

 

 ハデス様は不器用で優しいお方だと知っていた。それが狂っていくのに気付けなかった愚かさの代償だ。

 きっと、正常な頃の神ハデスならカエデ・ハバリを見たら、その背を押すだろう。

 

『お前の行いは死の神()にとって良くない事だ。けれど────懸命に生きる事は良い事だ。成功を祈りはしない。俺はお前が死ぬ事を望むだろう。それでも、声援ぐらいは贈らせてくれ』

 

 頑張って生きると良い。そう言って微笑んでくださるのだろう。彼の神は決して不条理な事はしない。

 生真面目で、心優しいお方なのだから。殺す等という事はしない。

 死に際の恐怖に涙する者が居たのなら、彼の神は手を握ってその恐怖を和らげようとしてくれるだろう。

 優しいお方()()()。それを知っているアレクトルは静かに俯く。

 

「もうすぐ、終わる」

 

 歯を食いしばるギリギリと言う音が響く。狼人は力強く槍を振って叫んだ。

 

「ナイアルを殺してやるっ!」

「…………」

「神殺しは許されざる罪だって? もう知った事かっ! 絶対に見つけ出して八つ裂きにしてやるっ! 皆、みんなおかしくされちまったっ! 俺も、団長も、ハデス様もだぞっ!!」

 

 槍を握り締めた狼人の言葉にアレクトルは静かに頷く。

 

「ああ、機会があるのなら……俺も共に、邪神を討つ」

 

 神に刃向ける事を大罪だというのならそれでも構わない。彼の邪神を殺す事を夢見た【処刑人(ディミオス)】アレクトルは静かに佇む。

 静寂に包まれた処刑場に、鎖の音が響き渡った。じゃらじゃらと不快な金属音を響かせてイサルコ・ロッキが帰還し、肩を竦めた。

 

「帰ったぜ団長。運良く兎仕留めたからカエデ・ハバリの所に送っといた。後、糞エルフの所から何人か仕留めてやったぜ。駆け出し(レベル1)相当ってのは弱ぇな」

 

 ケケッと笑いながら鎖にからめとられていた戦利品である【ロキファミリア】の団員の屍を地面から引っ張り出して地面に放り捨てるイサルコ。

 その姿にアレクトルは眉を顰めた。

 

「イサルコ、殺すのはカエデ・ハバリ一人だと……」

「あん? 団長もあの猫人一人殺してたじゃないか。一人二人構やしないだろうに」

 

 イサルコの言葉にアレクトルは深い溜息を零した。

 あの一撃は、カエデ・ハバリを狙ってのモノであって猫人の女性を殺したのは偶然だ。ただ()()()()()()()()

 カエデ・ハバリの姿のみを視認して即座に、反射的に振るった一撃。その攻撃範囲内、致命的な場所に猫人がいたのに気付いたのはその猫人が断頭斧(ギロチン・アックス)によって潰されて死んでからだ。

 カエデ・ハバリ以外を殺す気はない。今でもアレクトルはそう口にするし、心の中ではそう決めている。

 しかし、片目を失い、老化で上手く働かない思考の所為か無関係と決め込んだ者まで巻き込んでしまう。

 本来ならもうとっくの昔に第一線から引くべき老体なのだ。それに鞭打って第一線にいるのは、この【ハデス・ファミリア】の滅びの引き金を引いた事に対する罪滅ぼし。

 

「…………」

 

 並べられた【ロキファミリア】の団員の躯という戦利品(トロフィー)を眺めていたイサルコがふと顔を上げた。

 

「そうだ、別の奴も捕まえて来ようっと」

 

 糞エルフ、ジョゼット・ミザンナや五月蠅いヒューマン、グレース・クラウトス。仲間を裏切った馬鹿なエルフ、ヴェネディクトス・ヴィンディア。彼らを捕まえてきて並べて観客にしようとケラケラ笑うイサルコの姿に狼人の青年が苦言を呈すが、イサルコは笑いながら答えた。

 

「イサルコさん、悪趣味ですよ……」

「クヒッ、何言ってんだよ、こういうのは観客が多い方が盛り上がるっての」

 

 【縛鎖(ばくさ)】イサルコ・ロッキは元々は面倒見のいい陽気な猫人の青年であった。

 副団長と言う肩書を持ち、大柄で寡黙な所為で誤解されがちな団長のアレクトルと、団員たちの間に入ってその誤解を解いたり、ムードメーカーの役割を果たしていた人物。

 元は、悪人ではない。面倒見のいい陽気な猫人。それが今では見る影もない。

 狂って、おかしくなって、壊れた今のイサルコを見ていられず、アレクトルと狼人は視線を逸らした。

 

「うっし、つっかまえたーと」

 

 握っていた鎖を勢いよく引っ張るイサルコ。じゃらじゃらと金属の擦れ合う不愉快な音をたてながら一本釣りの要領で数人の人物が処刑場に引きずり込まれた。

 

「ぐぅっ!」「糞っ!」「……やられましたか」

 

 三人の人物。イサルコの狙い通りのグレース、ヴェネディクトス、ジョゼットの三名。

 その姿にヘラヘラ笑うイサルコはすっと近づこうとして────グレースの拳がイサルコの腹にめり込んだ。

 

「糞野郎ッ!!」

「グギャッ!?」

 

 肋骨のへしゃげる音を響かせたイサルコが吹き飛び──アレクトルが鎮圧すべく断頭斧(ギロチン・アックス)を振るった。

 ゴギャッという異音と共にグレース・クラウトスの体が吹き飛んで壁面に叩きつけられて放射状の罅を入れて止まる。そのまま力尽きて倒れ伏したのを見たヴェネディクトスが叫びながらグレースに駆け寄った。

 

「グレースっ! しっかりしてくれっ!」

 

 必死に呼び掛けるエルフの青年の姿を見たアレクトルはあくる日の処刑の光景を思い出して眉を顰めた。

 ────エルフの男がヒューマンの女に恋をして、寿命の差で別れるのを惜しみ神を頼った。番の彼らを処刑した際に、同じ光景を目にした。

 

「何しやがんだっ、げほっ、糞がっ」

 

 鎖を片手にキレたイサルコがヴェネディクトスに鎖の矛先を向け──横合いから飛び出したジョゼットによって阻まれて破壊される鎖。彼女の手にあるのは装備魔法を破壊する効力を持った短剣。

 装備魔法を破壊する効力であるが故に、彼女自身も装備魔法を使えなくなる欠点(デメリット)が存賽するが、それでも閉所で弓を扱うよりは短剣の方が良いと判断したのだろう。

 

「やらせません」

「糞エルフがぁぁああああっ!」

 

 吠えて一直線に突っ込もうとするイサルコの前に回り込んだアレクトルが、ジョゼットに向けて処刑斧(ギロチン・アックス)を振るう。

 回避なんてさせない。その積りで振るった一撃。

 例え老いて能力が下がっていようが、ジョゼットは第二級(レベル3)でアレクトルは第一級(レベル6)────ではない。

 アレクトルはここ二、三日の活動の中で偶然──本当に偶然にも『偉業の証』を手に入れていた。

 今のアレクトルのレベルは7。

 オラリオ最強の冒険者【猛者(おうじゃ)】オッタルに並び立つレベルに至っていたのだ。それを誇るでもなく、アレクトルは静かに斧を振り抜こうとして────阻まれた。

 

 ドゴシャッと凄まじい轟音を響かせて、()()()()()()()()

 

「っ!?」

 

 いくらなんでも、後衛向きの能力しか持ちえないエルフの、それも第二級(レベル3)程度では、衰えていたとしても第一級(レベル7)に至ったアレクトルの一撃を受け止めるのは不可能のはずだ。

 腕に感じた確かな()()()にアレクトルが驚きに目を見開くさ中、舞い上がった土埃が晴れていく。

 其処に居たのは、羊人(ムートン)の女。【ロキ・ファミリア】に所属する後方支援ばかり行っている人物。

 

「痛たた、ですが。なんとか間に合いましたよ。大丈夫ですか……けほっ、ジョゼットちゃん」

「ペコラ、此処で何を」

 

 アレクトルの一撃を受け止めた人物。【ロキファミリア】の準一級(レベル4)冒険者【甘い子守唄(スィート・ララバイ)】ペコラ・カルネイロは口元から血を零しながらニヤリと笑った。

 無防備に、その胸に断頭斧(ギロチン・アックス)を受けた姿で────胸の大きさで助けられた訳ではなく、スキルによって損傷(ダメージ)が軽減されたからこそ、彼女は生きている。

 最も、既に致命傷を負ったも同然の状態だが。

 

「ピンチに登、けほっ……場っ! ペコラさんですよっ!」

 

 その身で、無防備にアレクトルの攻撃を受け止めたペコラ・カルネイロは喀血しながらアレクトルを見上げ、睨んだ。無謀に攻撃を受け止めた為か、肺を深く傷つけたのか、肋骨が肺腑に刺さったのか喀血を繰り返しながらペコラ・カルネイロが構える。

 

「こぷっ、ペコラさんを怒らせましたね」

 

 ボタボタボタと、口の奥から溢れる血を零しながら、ペコラ・カルネイロは背負っていた巻角の大槌を振るって反撃を試みる。

 大振りの一撃に対し、アレクトルはその柄を掴んで止める。

 

「ぐぐぐっ……くぷっ……けほっ……」

 

 顔を真っ赤にし────喀血しながら力を籠めようとして、そのままずるりと力尽きて膝を突くペコラ・カルネイロ。

 例え老化によって全ての能力が低下していようと、第一級(レベル7)に至ったアレクトルの攻撃を無防備に受け止めるのは自殺行為が過ぎた様子だ。既に立ち上がる気力も失った様子で倒れ伏して口から血泡を吹き始めている。

 

「っ! ペコラっ! しっかりしてくださいっ!」

 

 目の前の出来事に思考停止していたジョゼットが慌ててペコラの様子を伺い、ペコラのポーチから回復薬を取り出して治療しようとし────鎖によって回復薬が弾き飛ばされて離れた所で甲高い音を立てて砕け散った。

 

「舐めた真似、してんじゃねぇぞ……」

 

 額から血を流したイサルコが血走った眼をジョゼットに向ける。

 ジョゼットが舌打ちしながらも短剣を手にしようとして────その短剣が手元にないのに気付いて目を見開いた。

 

「なっ!?」

「……悪いな、コレは掏らせてもらった」

 

 狼人が手で弄ぶ短剣は、つい先ほどまでジョゼットが握っていたモノだ。手癖が悪い彼はペコラ・カルネイロに気を取られた一瞬の隙を突いて掏ったのだろう。

 苦虫を噛み潰した表情で強く【ハデス・ファミリア】の面々を睨むジョゼット。対するイサルコはヘラヘラとした笑みを浮かべて、口を開いた。

 

「うっし、ようやく引っかかったか。団長────カエデ・ハバリが来ますよ」

 

 腰から垂れる鎖の一本に手をかけてイサルコが嗤う。カエデ・ハバリを処刑場へと案内する一本の鎖に、カエデ・ハバリが釣れたのだと嗤う。

 

「さぁて、どんな顔して処刑所までくるんだかねぇっ!!」

 

 一本釣りの様にイサルコが鎖を引っ張る。遠く離れた地点から壁を透過して引き寄せられるカエデ・ハバリ。

 ジョゼットが目を見開く。カエデが逃げ損ねたという事はつまり────ウェンガルかケルト、もしくは両方が死んでいるかもしれないからだ。

 既にアリソンと他数名の死者を出している。其処にウェンガルとケルトの名が並ぶという事に強い怒りを抱きながらも、武装を失ったジョゼットは長々とした詠唱も行えずに倒せ伏したペコラが呼吸しやすい様に頭の高さを調整する事しかできない。

 金属音を響かせながら引かれる鎖の先端、イサルコが口が裂けた様な笑みを浮かべるさ中、狼人が眉を顰めた。

 

「なんか、遅くないか?」

「あん? そりゃ結構距離あったしな」

 

 そう言いながらもイサルコが再度鎖を思い切り引っ張り────飛び出してきた白い影。壁面から飛び出した瞬間に己を拘束する鎖を断ち切り、冷気と共に襲い来る。

 瞬く間も無く、真っ白な軌跡が描かれる。目を見開いた狼人の頸を巻き込む刃の軌跡。

 

 抵抗らしい抵抗も無く、狼人の頸がポトリと堕ちた。

 

「────は?」

「っ!」

 

 凄まじい速度で走り抜け、狼人の頸を断った白い影。カエデ・ハバリは静かに壁際の地面に降り立って、振り返った。

 深紅に輝く瞳で【ハデス・ファミリア】を見据える。壁際に倒れたグレースとそのグレースに縋りつくヴェネディクトス。血反吐を吐いて倒れ伏すペコラとペコラを介抱するジョゼット。そして事切れて死んでいる【ロキ・ファミリア】の駆け出し(レベル1)の団員達。

 それらすべてに視線を向けてから、カエデ・ハバリは静かに剣を構えた。美しい、白氷によって形作られた刀身。その姿をみたアレクトルが背筋を凍り付かせる。

 

 彼女の目には、怒りの色はない。あるのは────獣の如き生への欲求。

 

「てめぇええええええええええええええええええ」

 

 イサルコの怒声が貯水槽内に響き渡った。

 

「よくも、よくも仲間を殺しやがったなぁあああああああああああ」

 

 無数の鎖を波打たせ、イサルコ・ロッキが仲間を殺された怒りに吠える。

 ────なんと滑稽だろう。元はと言えば【ハデス・ファミリア】が先に手を出したのだ。先に【ロキ・ファミリア】の団員を殺したのだ。だが、イサルコは怒りをカエデに向ける。

 例えどんな言葉で説得しようと、すでに狂い切ったイサルコを説得等出来ようはずもない。故に────カエデは白刃を振るうのみ。

 

「こんばんは」

 

 静かな挨拶。初撃で一人を仕留め──けれど目的の人物ではなかった事に舌打ちし、カエデはアレクトルを見据えた。

 

「今からワタシは、貴方達を殺します」

 

 怒りではない。憎しみではない。恨みではない。憎悪の一切含まれていない、刃を彷彿とさせる瞳。

 まるで────生を渇望する獣の様な、純粋でいて恐ろしい瞳。

 

「【ハデス・ファミリア】を滅ぼします」

 

 アレクトルは静かに、イサルコは咆哮しながらカエデ・ハバリと対峙した。




 吹っ切れたカエデちゃんは怖い。

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