生命の唄~Beast Roar~ 作:一本歯下駄
『はい、本拠には見当たりませんでした』
『ベートは朝方にフルエンを引き摺って何処かに行っていたな』
『……【ハデス・ファミリア】探しだろうな』
『ペコラはわからん』
『すいません団長、私もわかりません』
『僕も、ちょっと心当たりがない。とりあえずは現状の戦力で応戦しよう』
直径6M程の石造りの
ダンジョン上層の一部と隣接していた所為か、いつの間にか紛れ込んだ水生モンスターが発生する領域。
普段ならギルドの許可なく侵入出来ない様に入り口部分には強固な施錠のなされた場所の中、貯水用の地下空間の一つに【ハデス・ファミリア】の残りの団員が集まっていた。
本来なら水底となっているはずの水槽の底。地下水路を隠し拠点として利用する為に一部の水門を閉ざしてこの貯水槽に水が溜まらない様に細工がなされている為か、水は一切無い。
壁際には携帯式の魔石灯が幾つも杭で打ち付けられており地下だというのにこの貯水槽の底は明るい。
集まったのは【ハデス・ファミリア】団長、茶色く錆び付いた全身鎧を身に纏った2Mの巨躯を誇る
じゃらじゃらと鎖の音を響かせて楽し気に尻尾を揺らす
頭巾をかぶり、顔を隠したヒューマンの青年、【監視者】。
そして最後の一人は
【
つい先ほど地上で【イシュタル・ファミリア】と【ロキ・ファミリア】の抗争が始まった。
原因は【イシュタル・ファミリア】の団長にして
其処に居合わせた【
結果として歓楽街全体を巻き込む騒動に発展し、其処に【ロキ・ファミリア】の団長【
【監視者】が裏からこそこそとフリュネに囁きかけて【剣姫】に嫉妬する様に仕向けた事で発生した大乱戦。【ハデス・ファミリア】はこの機に【
そして、アレクトルは今まさにカエデ・ハバリの処刑の為に斧を研いでいるさ中であった。
砥石が斧の刃を研ぎ澄ます音が響く中。鎖で縛られたまま俯いて動かないカエデ・ハバリを見据えたアレクトルが口を開いた。
「カエデ・ハバリ」
呼びかけに対する答えは無く。静かに俯いて目を瞑る姿に憐憫の情を抱くも、アレクトルはその感情を研ぎ澄ます刃に込める。せめて、痛み無くあの世へ送り出す為に。
静かに刃研ぎ澄ます音が響く貯水槽の底。興奮した様子のイサルコが鎖の音を響かせながら立ち上がり、壁際に囚われたエルフの女性を蹴る。
「良いざまじゃねぇか? えぇ? エルフ様よぉ」
「やめろ、イサルコ」
「団長、こいつぁ俺の腕をこんな風にしやがったんですぜ?」
イサルコが示す腕。炙った鏃で執拗に焼き付けられた傷の残る両腕を見せつけてイサルコは吠える。
「カエデ・ハバリを処刑するまで神ロキに感付かれない様に殺さずに待ってやったんだ。あと少し、カエデ・ハバリが死んだらテメェも同じように殺してやる。うんと痛めつけてじっくりと殺してやるから覚悟しとけよ糞エルフ」
再度振り抜かれた足が腹にめり込み、鎖で縛られて動けないジョゼットが咽込む。
グレースと共に行動しているさ中、唐突に現れたイサルコに『人質を殺されたくなけりゃ言う事聞け』と言う脅しに屈する羽目になり、結果としてグレース共々掴まったジョゼット。
イサルコの恨みを買っている為か、イサルコがジョゼットに向ける視線は憎悪に歪んでいる。煮詰まった悪意を瞳に宿してジョゼットを見下す
それが気に食わないのかイサルコが再度足を振り上げた所で再度アレクトルがやめる様に声をかけた。
「やめろ。その者は死すべき時ではない。無益な殺生は控えるべきだ」
「でも、団長」
「やめろと言った。此処で死すべきは、
響いた言葉にカエデが震える。目を瞑り、鎖に縛られたまま静かに丹田の呼氣にて精神の乱れを治めようとする。
【旋風矢】ヴェネディクトス・ヴィンディアの裏切り。理由は至ってシンプルだった。
恋人であるグレース・クラウトスを人質に取られた。だからこそ友人のカエデ・ハバリを売る真似をした。
その本人はつい先ほどキレたグレースに殴られていたが。
カエデが薄目を開けて周囲を確認すれば、壁際にジョゼット。その近くでジョゼットを睨むイサルコ。
反対側には行方不明になっていた
深層遠征の際に世話になったウェンガル。そして【ロキ・ファミリア】の
カエデの後方には片腕、片足、片耳の欠損したアリソン・グラスベルが投げ出されており。グレースが静かにアリソンの髪を撫でている。ヴェネディクトスは鼻から血を流したまま俯いて座り込んでいた。
グレースは、キレた。自分の為に
それでも気が治まることは無く、グレースは強くヴェネディクトスを睨む。
その様子を見ながらも、カエデは静かにアレクトルを見据えた。
視線が交差し、アレクトルは憐憫の情を宿した瞳でカエデ・ハバリに問いかけた。
「最期に、何かして欲しい事はあるか?」
「皆を、解放してください」
壁際に鎖で縛られて無造作に放置されているケルト、ウェンガル。駆け出し罠師の仲間。
縛り上げられて暴行を加えられているジョゼット。
既に冒険者として再起不能にされたアリソンに、恋人との仲をズタズタに引き裂かれたグレースとヴェネディクトス。
取り返しがつかないモノもあれば、まだ間に合うモノもある。
カエデの瞳に宿るのは後悔と、怒り。
「約束しよう。カエデ・ハバリお前を殺した後、解放すると」
嘘だ。口元を歪めてそう呟こうとして、やめた。
どうすれば生き残れる? どうすれば皆を助けられる? どうすればこの場を切り抜けられる?
ぐるぐると回る思考をそのままにカエデは何度か鎖を緩められないかと身じろぎをし、イサルコに感付かれて鎖を締め上げられる。
「動くなっつってんだろ」
「ぐぅっ……」
「テメェらいい加減にしろよっ! ロキが知ったらどうなると思ってるっ。俺の仲間もテメェら全員許さねぇからなっ!!」
ケルトの叫びに【監視者】がクツクツと嗤う。
「既に滅びは運命付けられた。我らに残るは滅びのみ。であるならば我らは最期に悲願を成そう。神ハデスの悲願を成そう」
罪を背負ったカエデ・ハバリの処刑。処刑によりカエデ・ハバリの罪は消えてなくなる。来世その先いずれ、百年か、二百年後に輪廻転生の果てに再度地上に生れ落ちるまで、神ハデスの管理する冥府にて安らかな眠りにつかせよう。罪背負ったまま赴く事叶わぬ安らぎの
罪人たる彼女を送り出そう。神ハデスの望むままに。
【ハデス・ファミリア】に残っている片手の数程の団員。それは全て神ハデスに忠誠を誓う狂信を胸に抱いている者達だけである。故にどの言葉も意味を成さずに受け流される。
ケルトの叫びを軽く聞き流し、【監視者】は頭巾に隠された顔を上げて呟いた。
「団長、我は少し出よう」
「どうした?」
「侵入者だ。南の方だな、距離はあるが此処まで辿り着かれても面倒だ」
顔を上げた【監視者】が音もなく壁に近づき、そのまま跳躍で水槽の上部、5M程上にある人の歩く足場へと飛び乗って下を見下ろして呟いた。
「処刑は粛々と進められるべきである。故に我は足止めに向かおう。騒がしくなるだろうが許せ」
一人、戦力が減った。けれどもこの場に残る者の中で最も厄介なアレクトルが未だに場に残る以上、下手には動けない。そう考えたカエデが俯く。
このまま大人しく処刑される気等、毛頭ない。機会を伺って抜け出す。そう決めたカエデは静かに寝転がって溜息ばかり零すウェンガルに視線を向けた。
軽装姿のウェンガル、武装は奪われているのか武器らしい武器は持っていないが、その手が何かを掴んでいるのに気が付いたカエデはそれを見据え、頷いた。
────閃光弾を使っての不意打ち。
カエデも腰にいくつかの冒険者用のアイテム類が残っている。投擲用短剣に音響弾、閃光弾もいくつか。
武装破棄はさせられたが
中途半端な仕事をしたイサルコは、ジョゼットを殺せる喜びでそれ以外の事が目に入らないのか周辺警戒は薄い。
静かに響いていた刃研ぐ音が止む。砥石を放り投げたアレクトルが静かに立ち上がった。
「時間だ。処刑を開始する」
やけに平坦なアレクトルの声に、カエデの背筋が泡立ち鳥肌が立つ。処刑台に固定されたカエデが鎖を揺らす音を聞きながらもアレクトルは錆び付いた
処刑人の立ち位置へと立ったアレクトルはカエデを見下ろして口を開いた。
「カエデ・ハバリ。遺言を聞こう」
そう言い放ち、カエデの首元に
時間を稼ぐ為にも何か口にしなくては、身を震わせてカエデが口を開いた。
「なんで、殺されなきゃいけないんですか」
「…………」
「貴方はなんで、ワタシを殺すんですか」
なんで、十八階層で会った時は『無抵抗で殺されてやる』なんて言ったのか。カエデの口から飛び出したその問いかけに、アレクトルは目を瞑った。
ゆっくりとした動作でその大斧を振り上げていく。
「何故、か」
きっと私は、間違えてきた。そう呟いてアレクトルは肩越しにイサルコと
私の始まりの光景は、何の事はないダイダロス通りの一角で野垂れ死にしそうになっている自分の姿だ。
ありふれた光景であろう。冒険者であった両親がダンジョンで死に、ファミリアに加入する年齢にも達していなかったアレクトルは、ファミリアの庇護下にも居られずに
同じような子供が沢山いた。その中のたった一人。冒険者も、商人も、誰しもが振り向きもしない孤児の一人。
溢れかえる孤児の一人であったアレクトルと言う幼い少年は、絶望と共に死のうとした。
其処に、あの御方が現れた。
『其処のお前、死ぬのは早過ぎる』
身綺麗な姿をした、裏路地で野垂れ死ぬ寸前の子供に声をかけるのは在り得ない
『お前には長い時が残っているだろう。此処で死ぬのは勿体無い。地上を明一杯楽しみ、苦しんでから死ぬべきだ』
生きる活力も何もかもを失ったアレクトルに、食事を与え、寝床を与え、生きる活力を与えた神。孤児院にも思える施設を運営し、ファミリアの団員に囲まれた男神。死の神と言う恐ろしい異名を持つとは思えぬ、生真面目で優しい男神であった。
その名は神ハデス、【ハデス・ファミリア】の主神の神ハデスである。
一瞬で虜になった。美の神の魅了すら鼻で笑える程に、神ハデスに傾倒した。
死に際の幼い子らに『まだ寿命が残っているだろう。地上を楽しめ、地上で苦しめ』そう言って食事を与え、希望を与え、生きる活力を与える神。
『お前たちが存分に地上を楽しみ、苦しみ抜いた先。死後は
この御方に全てを捧げたい。そう願った幼いアレクトルは、けれども才なき非才の身であった。どれ程努力を重ねようと、他の者に敵わぬ。他の者に勝てぬ。
それでも努力だけを続けてきた。そして、遂にアレクトルはハデスの一番に輝いた。
ハデスに救われた子らの中で、最も頂点に立ち、神ハデスの傍に仕える事を許された。
大いに喜んだ。
その喜びも、とある邪神によって主神が狂わされた事で終わりを告げた。
薄気味悪い笑みを浮かべた邪神、神ナイアル。彼が主神を狂わせた。
そして、私も狂わされた。
主神の言葉こそ絶対。主神の命全てが正しく、間違いは一つも無い。故に、自分の武器は神ハデスの為だけに振るわれ、どのような言葉にも揺るがぬ無慈悲な
それが正しいと思い込んだ。思っていた。
神ハデスは元々、寿命よりはるかに早く死にそうな子供らを保護しては一人で生きられる様に育てて街中に放り出すというやり方で地上での無駄死にを抑えようとしていた。
その合間にも神々に『ファルナによって狂わされた死をもとに戻せ』と説教紛いな事をして生活していたのだ。
神ハデスの眷属は皆、神ハデスによって拾い上げられた死にかけの幼い子ら。故に彼らは神ハデスを慕っている。慕い、敬愛し、尊敬する。その在り方を、その生き方を。
それが、変わった。邪神に狂わされて、変わった。
神々が説教を無視するのなら力尽くで従わせれば良い。
最初に殺したのは、とある女神が惚れ込んだ老いた冒険者。当時第一級冒険者だった男だ。
女神が懇願する前で、その男の首を刎ねた。神ハデスの命は全て正しく、間違いはないと、老いて寝たきりになっていたその男を殺した。女神と二人きりで生活していた彼。最後の言葉は『愛してます女神様』。
それは始まりであり。終わりであった。
神ハデスに忠誠を誓う眷属達の終わりの、始まり。
寿命を超えて生きる者を処刑する。其の為に眷属達は皆努力した。力を付けた、そして処刑を実行した。
一人、二人、三人。十を超えてから数える事すらしなくなった。
何人目の処刑かは覚えていない。けれどもその日に出会った人物の顔は今でも忘れない。
とあるファミリア。所属する眷属達に慕われていた元団長の準一級冒険者。寿命を超過し生きるという罪を犯したが故に神ハデスは言った『処刑せよ』と。
その命に従い、アレクトルは断頭斧を手に仲間と共に処刑する為に彼を襲撃した。
その際、偶然にも居合わせたその男を慕う冒険者達が居た。彼に世話になり、次代としてファミリアを担う者達。彼らは罪人を庇った。『殺さないでくれ』と『まだ学ぶ事がある』と、懇願する彼ら。
神ハデスの命は、絶対だ。故に無視した。
彼らは武器を構えた。殺す気等、微塵も無かった。彼らにはまだ未来があり、
抵抗され、罪人を殺しきれずに本拠へと帰還する羽目になった自分を待ち受けていたのは、神ハデスからの厳しい言葉であった。
『失敗した?』
『申し訳ありません』
『……せ』
『は?』
『邪魔する者も同じ罪人だ、殺せ』
あの生真面目で、不器用で、優しかった神ハデスのその言葉にアレクトルはどうすればいいのかわからなくなった。
彼らは
従うべきか、従わざるべきか。迷った自分に声をかけてきた神が居た。ナイアルだ、邪神だ、彼は言った。
『迷いなく従うべきでは? 貴方は
その、言葉に従ってしまった。私は殺した。邪魔する者も含め、全ての者を殺した。
ファミリア同士の抗争にまで発展した。そのファミリアの団員も、主神も彼を慕っていた。老いて立ち上がれなくなる瞬間まで、立ち上がれなくなって以降もただひたすらにファミリアを想う彼を皆が慕い、守らんと武器を手にしたのだ。
神ハデスは言い切った。『全員殺せ』と
あの日の光景は今も忘れない。私が間違いを犯した日。
無関係な者を殺したあの瞬間から、罪人を殺せと命じられた始まりの日から。終わる事はわかっていた。
【ハデス・ファミリア】は滅びるだろう。
罪人を殺すという咎を背負った我が身では、滅びは止められない。そして止まらない。
既に賽は振られ、出目は出切った後だ。どうすることも出来まい。
故に、お前に問うた。あの場で殺して終わらせるか。それとも生かして後悔するか。
私は大いなる後悔を抱いている。どうする事もできない後悔を、お前はどうだ?
後悔しているか?
問いかけに、目を瞑り考え込む。ワタシは後悔しているか?
後悔している。アリソンが冒険者として再起不能にされた。ジョゼットが暴行を加えられている。恋人同士となったグレースとヴェネディクトスが仲違いする原因となった。後悔していない等とは口が裂けても言えない。
殺したくない。その思いを貫いた結果がこれだ。ワタシの選択が招いた結果このまま頸を落とされて死ぬ? 冗談ではない。
「後悔しています」
「……どういう風にだ」
「こうなる事がわかっていたら、ワタシは……」
殺せたか? こうなる事が分かってなお、殺すという選択ができたか?
断頭斧を振り上げたアレクトルの足元を睨んで────恨み節は出てこなかった。
怒りに身を焦がす様な事は無い。腹の内にたぎる怒りは、けれども口から出てくることはない。
「殺したか?」
「…………はい」
怒りに身を任せ、その体を焦がしつくす程の憤怒をまき散らして、アレクトルの頸を刎ねる。その光景は安易に浮かぶのに。実行しようという気力は湧き上がって来ない。
何故だろうか? 脳裏に浮かぶ疑問。その合間にもウェンガルが口を開いた。
「ねぇー、喉乾いたー。死んじゃうー」
場違いな、間延びした声。明らかに気を引こうとする中途半端な行いに反応したのは
それを知りながらもウェンガルが騒ぐ。
「死ぬー、死んじゃうー。鎖解いてくれなきゃ死んじゃうよー」
騒いで、騒いで──黙らせるために近づいた狼人の膝に鋭い蹴りを叩き込んだ。
「ぐぎゃっ!?」
瞬間、鎖の弾ける音が響き、カエデの体が浮き上がって誰かに抱えられて転がった。瞬きの間にカエデが居た場所に断頭斧が振り下ろされる。飛び散る処刑台となっていた木屑の破片に交じり、カエデを抱えたケルトが鼻で笑った。
「可愛い子ちゃんゲットッ」
ケルトがカエデを小脇に抱えて走り抜けてグレースとアリソンに近づいて鎖を破壊する。
隠し持っていたらしきナイフで軽く切りつけただけで粉々になる鎖。イサルコの魔法によって生み出された装備魔法のはずのそれが粉々になったのを見たイサルコが驚きの声を上げた。
「なっ!? テメェ何しやが──げぶぅっ!?」
イサルコの近くで俯いて黙っていたジョゼットの鋭い蹴りがイサルコの腹部に直撃してイサルコが悶えた瞬間にウェンガルがジョゼットを縛り上げていた鎖を破壊する。
「何故だ、何故イサルコの鎖を……」
「やってくれやがったなっ!」
驚愕の表情のアレクトル。よほどイサルコの生み出す鎖に頼り切っていたのであろう事が伺えるその驚き様にウェンガルとケルトが肩を竦めた。
「馬鹿じゃねぇの?」
「ロキが対策してない訳ないでしょ?」
二人が手にしているのは
その短剣で触れただけで装備魔法によって生み出された武装を破壊するという効力を持つ短剣。神ロキが皆に携帯する様に大金を積み上げて揃えた対【ハデス・ファミリア】用武装。
【
カエデは装備魔法を使用している関係で携帯できない事から渡されなかった物だ。
不意打ちで仲間を人質に取られて使えなかったそれを、カエデの処刑寸前と言う緊急時に使ったのだ。
当然、拘束されていた
ケルトはカエデを開放して立たせ、アリソンを肩に担いだ。グレースが嫌々と言った様子でヴェネディクトスを担いでイサルコを指さした。
「あんたは殺す」
「んじゃ、あばよ」
「全員散開っ!」
ウェンガルの声と共にカエデが身を翻して5M上にある通路に壁を蹴って跳躍して手をかけて水槽の底から抜け出す。ケルトとウェンガルが閃光弾を幾つも投げて視界を奪うさ中、グレースがケルトに助けられながらもヴェネディクトスを抱えて上に上がろうとしているのを見て手を貸した。
「悪いわね」
「ワタシこそすいません。巻き込んでしまって……」
「むしろ足を引っ張ったのはあたしでしょ。この馬鹿の所為で……とりあえず逃げるわよ」
拘束を逃れた者がその場を離れるべく隧道の中に逃げ込もうとするのをアレクトルが静かに見送る。それを見ていたイサルコがケタケタと嗤い、
「馬鹿じゃねぇの? 地下水路は
大量の罠を仕掛け、危険極まりない場へと変化を遂げた隧道内へ逃げ込んだ者達を嘲笑うイサルコが肩越しに振り返ってアレクトルを見据えた。
幅6Mに達する隧道の縁に設けられた人が歩く為の歩行路を歩きながら、湿った空気に眉を顰める
「お姉ちゃんがこんな所に居るなんて……一体だれが……」
行方不明になっていた自身の姉を見つけた。それは偶然でもなんでもなく一通の手紙からである。
『お前の姉は地下水路で寝ている』
なぜかそんな手紙が手元にあった。受け取った記憶もなければ鍵のかかった自分の部屋に誰かが立ち入った様子すらない不可思議で不気味な手紙。けれども気になった。
姉が心配であったペコラはその手紙に記されていた南の大通りに程近い地下水路への入り口へと向かったのだ。
誰にも言わずに。
本来ならギルドが管理する鍵が必要な鋼鉄製の扉。それが破壊されていた、正確にいうなれば鍵の部分だけが綺麗に切り取られていた。
不自然に破壊されたその光景に冷や汗を流しつつも地下水路に足を踏み入れてすぐ、水路脇の人が歩く為の通路の壁面に凭れ掛かる様に姉が倒れているのが見つかった。
声をかけても、何をしても反応しない姉。その胸に刺さった片刃の小刀。極東の方で使われる事の多い形状の刀が刺さっているのを見て死んでいるのかと心配して、すぐにそれは違うと理解した。
「極東の、
ペコラの知る知識の中に眠る
どれもこれも頭がおかしいんじゃないかと言う様なモノばかりだ。
生まれたばかりの
長期保存目的で作られた永久保存を可能にする箱。
その他様々な道具が存在するが、どれもこれも狂気的であったり、ぶっ飛んだ代物であったりと、はっきり言って『やりたい事は理解可能。手段は理解不可能』な代物ばかりなのだ。
誰か想像できるだろうか。自らを強化する為に幼子の躯を素材に道具を作り上げるという狂気を。
食料や医薬品の保管の為に永久保存の箱を量産可能にする技術を。
ペコラとしては嫌いではないが、理解できないとしか言えないのだ。
「……出口、どっちなんですかね」
背負った姉をもう一度背負いなおし、ペコラは嘆息した。
道に迷った。
本来なら入ってきた所から戻るべきなのだが、出ようとしたら
「困りましたよ……」
長らくさまよいながらもペコラは遠くの方で聞こえる戦闘音に耳を傾けて首を傾げた。
「地下水路で
何処のファミリアの抗争であろうか? もし巻き込まれれば溜まったものではない。今のペコラは【ロキ・ファミリア】に在籍しているのだ。ペコラが巻き込まれるというのは即ち【ロキ・ファミリア】を巻き込むという事に繋がる。
ましてや他ファミリアに所属している姉を連れての状態だと話が死ぬ程ややこしくなる。
「避けますかねぇ」
遥か彼方先で巻き起こる戦闘音から遠ざかる為、ペコラは背を向けて歩き出した。