生命の唄~Beast Roar~ 作:一本歯下駄
『んだよ』
『ダンジョン内駆けずり回っても何処にも居やしない。街中にだって痕跡はねぇ……って事ぁだ。どっかのファミリアが匿ってるって事になりゃしませんかね?』
『何処のファミリアだ』
『……【ナイアル・ファミリア】が怪しいんじゃないかと。あのファミリア、どう考えても後ろ暗い事やってただろうし
『あの糞虎の件か?』
『不愉快そうな顔しないでくださいよ。俺だって嫌だけど……なんでウェンガルは何処にも居な──待てよ?』
『んだよフルエン』
『依頼、依頼っ!! そうだよアイツが受けた依頼は地下水路の掃除っ!』
食堂で夕食として出された骨付き肉に齧りつきながらカエデは大きく首を傾げた。
「クラウトスの奴、帰ってきてないっぽいぜ?」
「あー、何処かで泊まってくるんじゃね?」
「朝、あんだけ暴れたんだし、帰って来なくても不思議じゃないしなぁ」
他の狼人と同じように肉を齧りながら周囲を見回すカエデは再度首を傾げた。
カエデがどれだけ探してもグレース・クラウトスの姿は無い。其れ処かアリソン・グラスベルも、ヴェネディクトス・ヴィンディアの姿も見えない。
彼らが何処に行ったのか気になり、仕切りに入り口から入って来ないかと気にしていると、リヴェリア・リヨス・アールヴがエルフ数名と共に食堂の中に入ってきて誰かを探す仕草をし始めた。
「リヴェリア様じゃん」「誰か探してるみたいだな」「また誰かやらかしたのか?」
今度は誰が説教されるんだと冗談を零した団員の言葉にくすりと周囲が笑う。それに気づいたのかリヴェリアの視線がカエデの方を向いた。
ビクリと肩を震わせたカエデと視線が交わったリヴェリアは真っすぐにカエデの元にやってきて口を開いた。
「すまない、ジョゼットを見ていないか?」
「え? ジョゼットさん?」
怒られるか注意されるか、若干警戒していたカエデに対して放たれた言葉にカエデは首を大きく傾げた。
ジョゼット・ミザンナと言えば、今朝にグレースの事について伝えて以降は姿を見ていない。今日一緒にダンジョンに潜った面々の中にジョゼットは居なかった為である。
其の事を伝えるとリヴェリアが呟きを零し、直ぐに首を横に振ってエルフ達と共に去っていった。
カエデが良く武装を破壊してリヴェリアにそれとなく注意されているのを知っていた
「何かあったのか?」
「ケルトも帰ってねぇし。そういやぁウェンガルも帰ってないんだっけか?」
口々に噂話に花を咲かせる彼らを見やりつつも、カエデは最後の骨付き肉を大急ぎで齧って骨だけになったそれを投げ捨てる様に皿に戻して隣に座った青毛の
「すいません、ちょっと急用を思い出しました」
「ん? あぁ、食器は片付けとくからいってらっしゃい」
「ありがとうございます」
ひらひらと手を振って見送る
男性と女性で別けられた生活領域、食堂や鍛錬場等を除いて寝る場所等は性別で別けられた【ロキ・ファミリア】の生活空間。女性のみが暮らす空間では異性の目が無い事もあり、若干はしたない格好をしている者も見受けられる。もっとも、アマゾネスであるなら異性の目があろうが関係ないし。たとえ同性でもエルフと言う種ははしたない格好を見せる事は無いのだが。
男性が想像する甘酸っぱい様な空間とはかけ離れた領域。カエデは速足で自分の部屋に戻る、のではなくグレースの部屋の扉をガンガンと叩いていた。
「グレースさん、グレースさんっ」
しつこく部屋の扉を叩いていれば、億劫そうな表情のヒューマンの女性が扉を開けて出てきてカエデを見下ろして吐息を零した。
「あぁ、カエデかぁ……。どうしたの? グレースに用事? 悪いけどまだ帰ってないのよ」
カエデと違い二人部屋であるグレースの同室に暮らす女性の言葉にカエデは困った様に眉根を寄せ、直ぐにすいませんと頭を下げてその場を後にして三つ隣の部屋の扉をガンガンと叩く。
その様子を見ていた女性が首を傾げているのも気にせずに扉を叩くカエデ。
「アリソンさんっ、居ないんですかっ」
「あー、アリソンは居ないわ。同室の奴は入浴中だろうし誰も居ないわよ」
グレースのルームメイトに声をかけられ、カエデは気を落として俯き、頭を振ってから頭を下げて走って行ってしまった。その様子を見ていたグレースのルームメイトは首を傾げた。
男性寮の中を疾駆するカエデの姿を見た男性団員が首を傾げた。
男性寮にわざわざ足を踏み入れる女性はそう多くはない。アマゾネス等は気にせずに踏み込んでくるが、それは例外であろう。
日当たりの良い、うるさいドワーフ達から離れた階層の中ほど。部屋の扉に吊るされた各団員の名前をちらりと見てはちがう、これでもない、ここじゃないと通り過ぎていくさ中、
「此処で何してんだ」
若干の苛立ちと軽蔑の混じり合った視線に一瞬怯み、直ぐにカエデは気付いた。カエデに、正確には
探るというよりは詰問するような口調の彼に対しなんと答えるか一瞬迷うも、迷う必要も無く解答は一つのみだと頷いてからカエデは口を開いた。
「ヴェトスさんの部屋は何処ですか」
「あ?」
「ヴェトスさん、ヴェネディクトスさんの部屋を探してます」
カエデの言葉に不愉快そうに鼻に皺を寄せた彼の様子に一瞬怯むも、怖気づく必要は何処にもないと自身に言い聞かせる。白毛であるという事はカエデ自身が望んだ事ではない。彼らに不幸あれ等と呪った事は一度とてない。カエデにとって目の前の
そんな彼にどうして怯える必要があろうか。そう言い聞かせて強く見つめ返せば、その男は一瞬怯んでからカエデを強く睨み付けた。
男性寮の廊下で睨み合いを始めたカエデと男。視線を逸らせば負けとでもいう様に睨み合うさ中、カエデはもう一度口を開いた。
「ヴェネディクトスさんの部屋を探しています。何処にあるか知っていたら教えてください」
怯みも、怯えもせずに真っすぐ言い放たれた言葉に、男は遂に視線を逸らした。
負けた、言葉にせずとも彼がそう思ったのは違いない。悔し紛れに舌打ちを零してカエデに背を向けて去っていく。カエデの質問に答える事もない彼の様子にカエデは怒るでもなく答えが得られないのなら自分の足で探すと上の階層への階段に足をかけた所で、カエデの背中に聞き覚えのある、今聞きたかった人物の声がかけられた。
「そっちに僕の部屋は無いよ」
「ヴェトスさんっ!」
ばっと振り返り、後ろに立っていたヴェネディクトスの服を掴む。
掴まれたヴェネディクトスは若干疲れた様な笑みを浮かべてカエデを見て口元を歪めた。
「っ、ヴェトスさん?」
「何の用だい? 僕に……」
カエデはヴェネディクトスを見上げ、尻尾を震わせる。血の匂いを感じ取り、身を震わせるカエデに対し微笑むヴェネディクトス。彼は口元に笑みを浮かべたまま再度呟く様に問いかけた。
「僕に何か用かい?」
「あの、アリソンさんは……」
カエデの質問がヴェネディクトスに伝わるのと同時に、ヴェネディクトスが表情を歪める。それに気付きながらもカエデはヴェネディクトスの目を見据えた。
嫌な予感を感じている。尻尾を掴まれた感触を感じ取っている。今すぐにでも『フィンかロキにこの事を伝えろ』と言う勘と、『彼の言う事に従え』と言う勘。どちらを行うべきか悩むカエデの前で、ヴェネディクトスは静かに口を開いた。
「アリソンは、ちょっと用事があってね。それより────今から出かけないかい?」
彼の言う事はおかしい事だ。【ロキ・ファミリア】はある程度自己責任で外泊や夜間の外出を認めている。とはいえ夜に外に出る理由は『酒屋』に行くか『歓楽街』へと足を運ぶかのどちらかである。
火事場は夜間は炉の火は落とされており、武具の整備依頼も基本は昼間に行くものであり、道具類の買い出しも同様。夜間に販売を行っているのはアマゾネス向けの精力剤等を執り行う特殊な店等。
カエデは酒を飲まない。子供故に酒を飲む事を禁じられている。カエデは歓楽街へ行かない。あの場は男性が足を運ぶ場である以上、女であるカエデには無縁の場所だろう。故にカエデは夜間の外出は行わないし、行う理由が無い。
だというのに、ヴェネディクトスは帰還してすぐだというのにカエデを誘おうとしている。
否、誘い出そうとしている。
そう思った理由は、何時もの通りカエデの勘である。けれどもその勘を疑うまでもなく、ヴェネディクトスの様子はおかしくて、何かを隠しているというのがカエデにも丸わかりであった。
理由は何だろう。疑問が浮かぶが答えが浮かばずにカエデは答えに窮した。
泣きそうな顔で、笑いながら。ヴェネディクトスが口を開いた。
「用事があるんだ。頼むから一緒に来てくれないか」
「何処に、行くんですか?」
「………………っ」
口を引き結び、答えを返さずに身を震わせる。
彼に従うと、碌な事にはならない。勘がそう囁いてくる。同時に彼に従わなければ後悔する事になる。勘はそう囁く。従うか、背くか、困った様にヴェネディクトスを見上げるカエデは問いかけに答えられないヴェネディクトスの手をとり、握る。
「何処に行くんですか? 武器は必要ですか?」
「っ! あ、ああ武器はあった方が良いだろう」
「……武器を取ってきます。後で門の陰の所で会いましょう」
背を向けて歩き出す。カエデ自身にもわからない、何故フィンにこの事を伝えないのか。リヴェリアに一言も伝えないのか、ロキに話さないのか。カエデ自身にすら理解できないが、そうするのが最も良い選択肢だと
「──────」
背中に向かって呟かれた謝罪の言葉を聞かなかった事にしたカエデは武器を取りに部屋まで足早に駆け抜ける。途中、不思議そうに首を傾げる団員達の間を走り抜け、部屋に飛び込んでついさっき手入れをして収めた武装を引っ張り出して確認していく。
今日のダンジョンで共に駆け抜けたバスタードソード。手入れは十分に行き届いており、刃先は鋭さを示す様に光を反射している。
予備武装として購入した片刃の片手剣。握り具合を確認して腰の鞘に納める。強度もそうだが長さ、重さ共に取り扱いやすい物を選んだ一本。バスタードソードをやむを得ず手放した場合の予備武装。
投擲用の投げナイフ十二本。一本一本、歪みや欠けが無いかをしっかりと確認して歪んだもの、欠けてしまったものは除外しておく。
回復用の
後は
何時も通り、インナーの上に
今からダンジョンに潜っても問題ない。そう言い切れる状態に至った所で、扉がノックされた。
「カエデ、居る?」
聞こえたのは先程夕食を共にしたケルト派閥に所属している青い毛並みを持つ
「あ、いたいた。なんか急いでたみたいだけど何かあったの?」
ただ単に気になっただけだという彼女に対し、カエデは少し悩んでから口を開いた。
「はい、部屋に手入れ途中で武器を置きっぱなしにしてしまっていたので……」
嘘を、口にした。口にしてから後悔に身を震わせるカエデ。その様子を見た
「ま、気を付けなさいよ」
「あ、はい。ありがとうございました」
礼を言いつつも、部屋の扉を閉めて持ち物をもう一度確認してから、部屋の扉ではなく窓を開けて下を覗く。
少し早い時間故にか、警邏をしている者はいない。だがもう少し時間が経てば警邏をし始めるだろう事を知っているカエデは、静かに窓の縁に足をかけ、飛び降りた。
音も無く着地し、武装を確認してから門の方に向かう。誰にも見られぬ様に進むさ中、門の陰に隠れる様にして震えているヴェネディクトスの背中を見つけたカエデは素早く駆け寄ろうとして、呟かれる言葉を聞いた。
「僕は、グレースが好きだ。何よりも、誰よりも……だから」
ブツブツと、小声で呟かれる何かに対する
「っ!!」
「ヴェトスさん、準備が出来ました。行きましょう」
「あ、ああ……」
引き攣った様な、罪悪感が表情ににじみ出ているヴェネディクトスが素早く門に近づく。
日が暮れ始めた時間帯、ヴェネディクトスが門番の男性に近づいて行くのを見つつもカエデは門の横の壁にピタリと張り付いて待つ。
「やぁ」
「あ? ヴィンディアか。こんな時間に……歓楽街か? グレースに殺されるぞ? 今日の朝あった事、お前知らないだろ?」
「歓楽街か、違うよ。グレースが怒る様な事は……したくないんだ」
悲痛な面持ちで吐き出す様に呟かれたヴェネディクトスの言葉に門番の男が首を傾げるさ中、カエデは素早く跳躍し
「グレースを探しに行くんだよ。帰ってないって聞いてね」
「あぁー、なるほど。気を付けろよ?」
「わかってる……じゃあ……」
手を振って歩いてきたヴェネディクトスが脇道に入って門番から視線が外れた所でカエデがヴェネディクトスの前に駆け寄り、正面から見据え口を開いた。
「何処に行くんですか?」
「……北東の小道だよ」
「何をしに行くんですか?」
「………………」
カエデから顔を背けて横を通り抜けていくヴェネディクトスの姿を悲し気に目で追い。その背中にもう一度、最後の確認として声をかけた。
「ワタシを、
「っ!! 違うっ!」
ばっと振り返り震える瞳でカエデを見据えるヴェネディクトス。
拳を握り締め何かを堪え、ヴェネディクトスは絞り出すように呟く。
「すまない」
呟かれたのは謝罪の言葉。カエデはドスリと胸に槍を突きこまれた様な痛みが走った。
理解していた。出来ないはずがない。いくら察しの悪いカエデであったとしても、目の前のヴェネディクトスが自身を裏切っている事等、廊下で顔を合わせた時点で気が付いていた。
其の上でカエデは剣の柄を握り締め、ヴェネディクトスを見据えて口を開いた。
「行きましょう」
危ないから引き返せ。尻尾を強く引かれる。
そのまま進め、後悔する前に。背中を優しく押される。
二度目の不可思議な
「行きましょう」
この場で問われているのは、進むか戻るかである。ならば進もう。死ぬ時は前のめりで倒れて死のう。心に決めたカエデの言葉に、ヴェネディクトスは小さく謝罪を零した。
【ロキ・ファミリア】本拠、執務室の机に腰かけてフィンはギルドから届いた書状を片手に首を傾げていた。
「昨日、【ロキ・ファミリア】団員数名が受けた地下水路のモンスター駆除依頼の報告がなされていない。鍵の返却も行われていない、だって?」
ギルドから届いた
内容は昨日【ロキ・ファミリア】の団員、ケルトおよびにウェンガルの二名を中心に受託した
内容は『地下水路のモンスター駆除』。オラリオの地下に張り巡らされた水路にはダンジョンから漏れ出したモンスターが一部生息しており、時折駆逐せんと冒険者を送り込んでいるが駆逐しきれないのか、何処かが迷宮と繋がっているのか、モンスターは何処からともなく現れて繁殖していっている。
ダンジョンに比べてモンスターの質は低いが、迷宮と遜色ない程の規模を持ち、覚えきれない程複雑な迷路状態となっており時々ギルド職員が迷子になると言った事件が多発している場所である。
数が増えすぎて地上に出てこない様に、一か月ほどの間隔でギルドが駆除依頼と言った形で駆け出し冒険者向けに依頼を発注している。
その依頼を受けたらしいケルトとウェンガル両名からの完了報告と鍵の返却がなされていない。と言う内容にフィンは顎に手を当てて考え込む。
そんなさ中、扉が開かれてくたびれた様子のリヴェリアが肩をもみながら執務室に入ってきた。
リヴェリアをちらちと流し見てからギルドからの書状を机に置き、フィンは口を開いた。
「やぁ、ジョゼットは見つかったかい?」
「いや、帰っていないみたいだ」
今日一日ジョゼットが用事で出かけていた為、一人で執務をこなしていたリヴェリアだったが途中からジョゼットが居ない事に違和感を覚え、何度も振り返っては居ないジョゼットの姿を探すという醜態を晒していた。
夕食の時間には帰る、そうリヴェリアに伝えたはずのジョゼットが帰宅していない。其の事に違和感を覚えたフィンは微かに震える親指に意識を集中させながらリヴェリアに言葉を投げかけた。
「ジョゼットはなんて言っていたんだい?」
「夕食までには帰ります。とだけだな。用件は聞かなかった」
溜息と共に語られる内容を吟味しつつ、手元の書状をもう一度拾い上げて内容を確認してからリヴェリアに差し出した。
「なんだ?」
「ギルドからの書状。ついさっき届いたみたいでね」
「ふむ」
リヴェリアが静かに書状を読むのを確認しつつも、窓の外に広がる街並みに視線を向けたフィンは軽い吐息を零して質問を呟いた。
「どう思う?」
「おかしいな」
「だろう?」
ケルトとウェンガル、そして二人に連れられた数人の駆け出し団員。彼らについてはフィンもリヴェリアも把握している。下層、深層でも通用するダンジョン探索技能を持つウェンガルが下級団員に探索技能の指導を行う目的で連れ歩くと言った形で次代育成に取り組んでいたのだ。
その護衛としてケルトが抜擢され、ケルトとウェンガルが組んで下級団員を連れて
その内容は中層の素材回収から、罠の調査依頼まで幅広く。今回の『地下水路のモンスター駆除依頼』も受けたらしい事は把握していた。
本来の彼らの実力なら、下級団員の教育を行いながらでも地下水路のモンスターの駆除程度なら半日程度で終わらせる事が出来る上、今回の駆除依頼は複数のファミリアのパーティが受託できるモノである。地下水路広しと言えども、上級冒険者が二名いればモンスターの駆除程度ならなんとかなる。
だというのに、彼らはファミリアの本拠に帰還していない。其れ処かギルドにすら顔を出していないらしい。
明らかに異常事態であった。
「ロキはなんと?」
「ファルナは途絶えてない、何処に居るかはわからんだって」
「……調べるか」
「早い方が良い」
親指を気にした様子を見せるフィンの姿にリヴェリアが目を細め、明日調べるのではなく今すぐに調べるべきかと腰を上げかけた所で扉が乱暴にけ破られた。
何事かと扉の方を向けば肩で息をしたティオネが拳を握り締めて立っていた。
「どうした?」
「だっ団長っ!」
「何があったんだい?」
声を上げたティオネのただならぬ様子に目を細めながらも痙攣する親指を気にするフィン。嫌な予感を感じ取りフィンは素早く立ち上がり、リヴェリアに視線を向ける。
「ティオネ、何があったのか教えてくれ」
「っ! 【
「なっ!?」
想定していた事とは全く違う、【ハデス・ファミリア】の【
「【イシュタル・ファミリア】の戦闘娼婦達も加わってきて、乱戦にっ! 『歓楽街』方面で激しくやりあってて、今すぐ応援をっ!」
「わかった。リヴェリア、ガレスに声をかけてくれ。僕はロキに声をかけてくる。ティオネはベートとペコラを探してくれ」
「わかった」
「はいっ」
素早く指示を出して二人が去ったのを確認し、テーブルの上に置かれた書状をもう一度だけ見てから、フィンは舌打ちを零した。
【イシュタル・ファミリア】の【
現在、嫉妬の対象であった【ミューズ・ファミリア】の団員にちょっかいをかけては【
いつの間にか、その標的が『美しい』と評判になっていた【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインへと移っていたのだろう。だからといってこのタイミングでの襲撃にフィンは頭を抱える。
親指が伝えてきた異常は、アイズの事だけではない。他にも間違いなく何かが起きている。
だがアイズを放置する訳にもいかない上、【イシュタル・ファミリア】には
廊下を速足で駆け、ロキの自室に向かいながらもフィンは親指が伝えてくる
北東のメインストリート、工業地帯という事で昼間の活気は消えうせた大通りを静かに歩むヴェネディクトスの数歩分後ろを警戒姿勢のまま歩くカエデ。ふとカエデが南の方で騒ぎが起きているのに気付いて耳を澄ませた。
「何処かのファミリアが戦闘しているんでしょうか」
南東のメインストリート周辺で発生しているらしい大規模な戦闘。距離は離れているがそれでも闘争の気配はカエデ達にも伝わる程である。
ファミリア同士の抗争は珍しい。もしかしたらあれが目的の為にヴェネディクトスが自分を連れ出したのかと思い視線を向けると、ヴェネディクトスも呆けた表情で南の方角から感じられる闘争の気配に驚いていた。
「ヴェトスさん?」
「違う、あれは関係ない」
「……? じゃあ何が」
カエデが再度質問を飛ばそうとした瞬間に、じゃらじゃらと鎖の音が響き渡る。その音に聞き覚えのあったカエデがバスタードソードを素早く抜き放ち構えた。
「っ! 【
「ご名答。案内ご苦労、エルフ君」
不穏な鎖の音を響かせながら、地面からぬるりと、まるで水面から顔を出す様に現れたのは顔に包帯を巻いた猫人の青年。片耳が不自然な形で切り取られ、両腕には数えきれない傷と火傷の跡が見受けられる。
カエデがその姿を見間違える事は無い。過去に一度、ジョゼットが捕縛した【ハデス・ファミリア】の構成員、【
「愛ってのはスゲェよなぁ。平気で仲間を売れるんだぜ? あ、カエデ・ハバリよぉ、動いたら殺すぞ?」
素早く腰を落とし、余計な事を語ろうとするイサルコに切っ先を向けて──カエデは嫌な予感を感じ取り動きを止めた。
「おいおい、
「何を」
「言う事はちゃんと聞けよ、
イサルコはニタニタと怖気が走る笑みを零し、一本だけ不自然に地面に潜ったままの鎖を引っ張り上げた。
まるで一本釣りと呼ばれる漁法の様に、鎖が引っ張り上げられ、不気味な鎖の擦れる音を響かせて何かがメインストリートに投げ出された。
その投げ出された物を見たカエデは息を呑んだ。
長かった髪は半ばで断ち切られ、片耳、片目、片足、片腕の失われた不格好な人型
特徴的な長い兎耳が無残にも千切られているのをみて悲鳴を上げかけ、カエデはその名を叫ぶ。
「アリソンさんっ?!」
「言ったろ。武器を捨てろ。さもなくばこの兎が死ぬぞ?」
口が裂けた様な笑みを浮かべたイサルコが鎖の端を握り引っ張れば、鎖がギリギリと締め上げられる音が響き渡る。苦悶の声が響きアリソンが目を覚ましたのか暴れようとしてカエデと目が合った。
「かえ……ちゃ……逃げ……」
「っ! アリソンさんを放してくださいっ!」
「やなこった。それより武器捨てろっつってんのが聞こえないのかよ。こいつ殺すぞ」
無造作に言い放たれた言葉にカエデの背筋が泡立ち、即座にバスタードソードを投げ捨てる。石畳の道に叩きつけられて刃先の欠ける音を響かせて転がるバスタードソードを見てから、イサルコは肩を竦めた。
「腰の物騒なモンも当然捨ててくれるよなぁ? 兎の命とどっちが大事か、聞く必要あるか?」
「待て、僕との約束はどうなった」
「あ? あぁ、あの糞ヒューマンの女な、そいつは後で解放してやっから
イサルコの放つ脅しの言葉。ヴェネディクトスの狼狽えた態度。帰らないグレース。カエデの知る情報から答えを知り、カエデは腰の片刃の片手剣を腰のベルトから鞘毎引き抜いて口を開いた。
「グレースさんと、ジョゼットさんを攫ったのは……」
「お、察しが良いガキだな。そうだよ糞エルフも一緒に捕まえてやった。早くお前を連れていけばあの糞エルフを
「っ! グレースは助けるとっ!」
「あぁ? うるせぇエルフだな。そいつが大人しく言う事聞けば解放するっての、聞かなきゃ……殺すしかねぇけどな」
ケタケタと嗤うイサルコの姿にヴェネディクトスが歯噛みし、カエデは大人しく手にしていた片手剣を放り捨てた。
「アリソンさんは解放してあげてください」
「はははっ、いいぜ。テメェが大人しく捕まったら、考えてやる」
「……わかりました」
歯を食いしばり、響く鎖の音に身を任せる。蛇の様に蜷局を巻いてカエデを絡めとる鎖を見ながら、ヴェネディクトスが泣きそうな表情で謝罪の言葉を口にし、アリソンがかすれた声で逃げてと繰り返し呟いている。
真っ直ぐにイサルコを見つめ、カエデは牙を剥き威嚇した。
「はっ、それじゃあ処刑場へご案内ってなぁ? 最後の晩餐は何食ったんだ? 別れの挨拶はちゃんとしてきたよなぁ? それじゃあ今世を終えて来世でまた会おうぜ」
足が沈み始める。イサルコの持つ装備魔法『縛鎖』の効力。物質をすり抜ける事が出来るという
それを見送ったヴェネディクトスは震えながら立ち上がる。
恨み言を言って欲しかった。呪いの言葉でも構わない。何か、何でもいい、言って欲しかった。そんな心の中に荒れ狂う嵐を無視し、ヴェネディクトスはイサルコを見据えた。
「グレースを、解放してくれ」
「…………」
「約束しただろうっ! カエデを連れてくればグレースは傷つけずに解放するってっ!」
「あぁ? あぁ、したなぁ。確かにしたした。そんな約束」
「だったらっ!」
「罪人の戯言にゃぁ付き合っちゃいられねぇっての」
肩を竦め、何でもない様に言い放たれた言葉にヴェネディクトスの表情が凍り付く。カエデを騙し、此処までおびき出す役目を負ったのは、グレースの身の安全の為だ。だというのに、約束を反故にされてしまえば、何のためにカエデを騙したのかわからなくなってしまう。
「お前はっ」
「あぁ? あぁはいはい。お前も一緒に連れてってやっから大人しくしてろ」
「なにっ!?」
鎖の音が響き渡る。昼間と違い、工場の音が一切消えた北東のメインストリートに響き渡る鎖の音色は、夜の闇に不気味に響き渡った。
北東のメインストリート。静まり返った大通りの中央。魔石灯の灯りに照らされたバスタードソードが持ち主に不満を訴える様に欠けた刃の破片の煌めきの中で倒れ伏していた。