生命の唄~Beast Roar~ 作:一本歯下駄
『どう、とは?』
『……敵を、殺しちゃダメだったさネ?』
『さあな』
『ヒヅチなら、どうしてたさネ?』
『……殺した、だろうなぁ』
『一緒さネ』
『一緒にするな。ワシは、お主とは違うよ』
『悲しい事言うさネ』
『違うのさ。ワシとお前は……お前は、ワシを斬れんだろう? カエデを殺せないだろう? ワシは、きっとお主も、カエデも斬れる。殺せる。だからお主とは違うさ』
ダンジョン第十九階層から二十四階層の層域は冒険者達からは『大樹の迷宮』と呼ばれている。木肌でできた壁や天井、床は巨大な樹の内部を彷彿とさせる。燐光の代わりに発光する苔は無秩序に迷宮中で繁茂し、青い光を放ち視界は十七階層よりよほど明るく困りはしない。
しかし、出現するモンスターは
ガン・リベルラの様に遠距離攻撃を主体としたモンスターが出現したりと、
火属性の飛び道具に近い魔法を扱うヘルハウンドは
中層下部領域、第二十階層。小規模な
共に行動しているメンバーはガレス・ランドロック、ベート・ローガ、ティオネ・ヒリュテ、フルエンの四人。
干し肉を齧りながらカエデが地図を広げてマーキングをしては首を傾げ、横から覗き込んでいたティオネが同じく首を傾げる。
「おっかしいわね。此処の採取地点も取られた後、こっちもそうだったし……」
現在【ロキ・ファミリア】が行っているのは通常のダンジョン探索ではなく
依頼内容はシンプルに中層下部領域の『大樹の迷宮』内部に自生している植物類の採取。主に
依頼は【ディアンケヒト・ファミリア】から【ロキ・ファミリア】に対して直接依頼された物で、前回の深層遠征の際に多数の
主な採取地点はダンジョン内に複数個所存在するのだが、階段近くの採取地点は既に回収された後。それも根こそぎと言わんばかりに土を掘り返して根っこすらも回収されており、依頼された植物は全く集まっていなかった。
「ちっ、なんでこう行く先々で取られてんだよ」
「仕方なかろう。ダンジョン内の物は誰の物でもない。他の者に取られても文句は言えん」
ガレスの言う通りであり、ダンジョン内にある物は誰の物でもない。其の為、採取地点や採掘地点等が他の冒険者によって採取され尽くしている事なんて珍しくともなんともない。
とはいえ、植物の根まで全て掘り起こして持って行くのはやりすぎではないかとカエデが首を傾げる。
「根っこまで持って行ったら、枯れちゃうと思うんですけど」
森の中にある薬草の群生地から採取する際には守らなくてはならない注意がある。
それは
ダンジョンの中の物は、破壊しようが何をしようが、一定期間を空けると元通りになる。
それは鉱脈もそうだし植物も当てはまる。ただし、鉱脈にしろ植物にしろ、常に同じ物が同じだけ採取できる訳ではなく、
ただ、取り尽くそうが何をしようが、ある程度元に戻る。故に冒険者達は採取する際は持てる数だけ採取していくのが一般的であるのだが。
「にしてもおかしいだろ。
苛立たし気なベートの言葉にティオネとガレスが唸る。
もともと普通にモンスターを討伐する気でいたベートは目的ではない
ベートの言った通り、今回の採取依頼が出された植物は相当量が採取可能な代物である。
今回足を運んだ群生地は数多のファミリアが存在を認知する地図上にも記された一般的な採取地であった。当然、複数のファミリアが同時に足を運び、結果的に目的の植物が採り尽くされる事もあり得るだろう。
五か所全てが、という接頭語が付く事はありえないのだが。
「細かな所回ります? 三か所行けば集まるはずですけど」
モンスターの対処自体は、
嫌そうに鼻を鳴らすベート、団長の前ではないからと猫を被らずに唸りながら舌打ちをするティオネ。二人の様子を見たガレスが吐息を零しつつも立ち上がり声をかけた。
「此処で唸っておっても仕方あるまい。とりあえず此処から近い採取地へと向かう」
「わかりました」
威勢よく返事をしたのはカエデのみ。ベートとティオネはそれぞれ面倒くさそうに溜息を零したり舌打ちをしたりと各々がけだるげに立ち上がった。
大剣の柄をしっかりと握り、目の前に迫ったリザードマンを一刀両断の下に斬り伏せる。動きも遅く、大したことのない相手である。今は、という接頭語が付くが。
過去、と言っても第十八階層
続く二匹目に剣を突き立て、即座に引き抜いて後ろから急襲を仕掛けてくるリザードマンを振り向き様に横薙ぎの一閃で叩き切る。
遠くから飛来したガン・リベルラの攻撃を剣先で弾き、懐から投てき用ナイフを取り出して投げる。そう力を込めた覚え等無いのに、まるで閃光の様な速度で放たれたナイフが深々と、根本までぎっちりとガン・リベルラの頭部に突き刺さり、ガン・リベルラを絶命させる。
ダンジョン二十階層の広間にて出合い頭の戦闘となったが、何の問題も無くモンスターを殲滅し終え、カエデは周辺警戒を行うベートにちらりと視線を向け、直ぐに外して足元のモンスターから魔石を剥ぎ取る作業に戻る。
散らばったモンスターの数は二十を軽く超えているが、これでも
速攻で殲滅した事で、他のモンスターに気取られずにいたおかげか、増援の影も無く平和そのものである。
ナイフでリザードマンの皮に切れ込みを入れて魔石を抉りだせるだけの隙間を作り、手を突っ込んで肉の中をまさぐる。滑る血の匂いは、今更に気にするほどのものではなく。生暖かい肉を引き裂いて腕で内臓、心臓の辺りを探る様な感触も、余り気にならない。
モンスターから魔石を抉りだす。
モンスターの死骸処理を目的としたサポーターの装備品。使い捨て。強力な胃酸等から皮膚を防ぐ。異常効果にも耐性あり。彩色バリエーション豊富のサポーター・グローブを装備して、剥ぎ取りナイフを使う。
表皮をナイフで切り裂き、肉に切れ込みを入れて手でこじ開け、その内側の内臓、心臓の辺りに存在する魔石を掴んで抉り出す。またはナイフで周辺の肉を切り取り、ナイフで魔石を抉り出す。
その行動に、違和感や嫌悪感を抱いた事は無い。強いて言うなれば肉が消えてしまう事に勿体なさを感じる事はあっても、殺したという事実に思いふける事は無かった。今までは。
今はよくわからない。人を斬った。アレックス・ガートルという生きていた
皮膚を裂く感触は、肉の感触は、骨を砕く感触は、同じだと思う。だというのに、自分はモンスター相手に加減等せずに斬りかかれる。斬った感触に違いを見出せない癖に、モンスターは斬れるし、殺せる。
だって、モンスターは殺しにかかってくるから。
殺意を、悪意を、害意を剥き出しにし『お前を殺す』とその瞳に殺意を灯し、襲い掛かってくる。
躊躇する理由なんて、何処にもありはしない。でなければ、死ぬのは自分になってしまうから。
でも、もしそれが正解なのだというのなら。アレックスを殺したのは間違っていないのではないか。
考えれば考える程、そう言った考えが脳裏を過る。ベートの言った通り、何も悪くないんじゃないかと思えてくる。けれど、その考えを肯定してしまったら、何かがダメになってしまう気がする。
尻尾を優しく掴まれて『ソレはダメだよ』と囁かれている気分になる。
何が良くて、何がいけないのか。わからない。
二十階層の片隅、主に冒険者が利用する一般的なルートから外れた場所に存在した植物の群生地にて、ようやく見つけだした
一般的に販売されている地図に記されていた規模の大きな群生地は全て採取し尽くされており、それ処か【ロキ・ファミリア】独自に作り上げた地図に記された小規模な群生地も殆どが採取し尽くされており困っていた所だったのだが、未だ未確認の群生地を見つける事に成功したおかげで、依頼された量に届く程の量が見つかったのだ。
目的の植物が群生している地点を
『こっちに何かありそうな気がします』
その一言に対しフルエンとベートが訝し気な表情を浮かべ、ティオネとガレスがまぁとりあえず行ってみるかと歩き出し、無駄に時間はかかったものの、目的の植物を見つけ出す事に成功したのだ。
「よくやったぞカエデ、これでようやく帰れる」
褒めながらも手早く採取用ナイフで葉を斬り落としては袋に納めていくフルエン。葉は肉厚で先が尖り、葉縁にはトゲがあり、低木状の植物であるソレ。葉のトゲに触れぬ様に手早くも丁重に採取し始め、瞬く間に必要量を集めきり、序に持てる分量だけ追加で採取して依頼に色を付けて貰おうとほくそ笑む。
そんなフルエンをベートが半眼で睨みつつも口を開いた。
「今から帰ったら真夜中だぞ。どうすんだ?」
時刻は既に四時過ぎ。この時間から地上を目指した所で、地上に辿り着く頃には深夜になる事は間違いない。
ベートの言葉にガレスが腕組みをして唸る。フィンからはカエデの事を考えて夜は本拠に居させたい様子ではあったのだが、今から無理に地上に戻ってもベートの言う通り真夜中になるだろう事は避けられない。
無論、ガレスが居る以上【ハデス・ファミリア】に襲撃されようと必ずカエデを守り切ると誓うが、万が一があり得る。
そう考えると人気のない、モンスターしかいないダンジョン内を夜中に歩き回るよりはダンジョン内とはいえ冒険者が多数集まる
リヴィラの街の取り締まりを行っているボールス・エルダーが血眼になって【ハデス・ファミリア】を警戒しているのだ。安全さは地上と変わりない、はずである。
「仕方がない。十八階層で宿をとるか」
冒険者なのだから地上に強引にでも戻るのかと考えていたカエデが首を傾げる横で、フルエンが大きく頷いて口を開いた。
「ついでに取り過ぎたコレも処分しときたいし賛成だ」
袋一杯に詰め込まれた植物の葉。それも袋三つ分、カエデでも一抱えはあるそれを三つもかき集めたフルエンに対しティオネとベートの呆れの視線が突き刺さった。
「採り過ぎでしょ」
「馬鹿か」
二人とも酷いじゃないですかとフルエンが眉を顰めつつも指を立てて呟く。
「良いですか?
深層遠征の際に入った収入の分け前では物足りず、【イシュタル・ファミリア】の娼婦に入れ込んでいるらしいフルエンの言葉に半眼になりつつもガレスが溜息を零した。
今回の
だからと言って集めすぎだとガレスが苦言を呈せば、フルエンが舌を出しておどけた表情を浮かべた。
十八階層、
「なんで此処まで来て野営なんだよ」
「仕方ないじゃないですか。宿が一杯だっていうんですし……」
十八階層にたどり着いて蓋を開けてみれば、宿にはちょうど十八階層にて起こされた【ハデス・ファミリア】の一件についての調査を行っていた【ガネーシャ・ファミリア】や【トート・ファミリア】の団体が宿を占拠しており、
其の為、買取所でボールスに採取過多の薬草類を売り払った序に野営道具類を借り受ける事に成功したフルエンが野営道具のテント等を担ぎながらリヴィラの街の中央部を歩いていた。
「もしくはカエデちゃん連れて連れ込み宿にでも入ります? 翌朝には【
残っているのは出張娼婦、【イシュタル・ファミリア】の娼婦がこそっと経営している連れ込み宿の類のみ。宿としても利用できるが『男一人、女一人』でないと宿泊許可が下りないという制限がある。
人数は五人、男三人、女二人なので男が一人余るのは仕方ない。だが、ティオネならまだしもカエデとそんな場所に入った日には、次の日に噂が地上どころか天界にまで届く勢いで広まる事は間違いない。
「俺は御免ですけどね」
ティオネさんと入るのも勘弁ですけど。そう続けたフルエンの言葉にベートが溜息を零しながらも街の出入り口の部分にたたずむ警備の冒険者を見る。
「……警戒してんな」
「……そうですね。火事場泥棒で相当被害出たらしいですしね」
【ハデス・ファミリア】が引き起こした事件によって
神々が『マッチポンプ過ぎぃ』と呆れ返る程の事件。肝心の主神も行方知れず。神ロキだけでなく幾つものファミリアが血眼になって探しているというのに見つからない【ハデス・ファミリア】について考えていたベートの横で、フルエンが気楽げにけらけらと軽い笑いを零し、遠くなった街を振り返って呟く。
「ま、今回のコレは絶対嘘だろうけどな」
地上で引き起こされた【ナイアル・ファミリア】に所属していた
元【ロキ・ファミリア】の団員だった事も相まって、【ロキ・ファミリア】に対する風当たりは強くなる一方。一度ファミリアを追放したが故に無関係であると主張する【ロキ・ファミリア】。それを肯定する『冒険者ギルド』。だが街の住民は【ロキ・ファミリア】を信用しきれず、他のファミリアも同じように【ロキ・ファミリア】を疑っている。
それ故に、ボールスは『リヴィラの街』に【ロキ・ファミリア】を宿泊させるのに難色を示したのだ。何せいくら【ガネーシャ・ファミリア】と【トート・ファミリア】の二つのファミリアが同時に来た程度で、宿が埋まりきるなどあり得ないのだから。
野営の準備を終え、夜番の組み合わせも決まった。
たてられたテントの前でカエデがおっかなびっくりと言った様子でテントの中を伺う。
用意されたテントは一つのみ。二つ借りる余裕はなかったとの事で、中では既にベートが寝転がっており、カエデが恐る恐ると言った様子で中に入れば、ベートが一瞬カエデの方に視線をやり、直ぐに逸らした。
何を言うでもなく逸らされた視線に対し、悲し気に尻尾を揺らしてからテントの隅っこによって寝袋の中に身を滑り込ませてすぐに眠りにつこうとしたところで、ベートが唐突に口を開いた。
「なあ」
「なんですか」
驚き過ぎて声が出ない。等という事はなく、ごく普通に返答出来た事に自分でも驚きつつもベートの方に視線を向ければ、ベートはカエデの方に視線を向けるでもなく独り言を呟くように喋りだす。
「お前は、まだ
あれから、二週間が経過した。未だにカエデに対する風当たりは強く。【ロキ・ファミリア】だけでなくカエデの評判も悪くなる一方。凶兆の白毛の狼人、
殺した、あの日あった出来事が語られる度に、申し訳ない気持ちで一杯になる。だからこそ、カエデの答えはただ一つだけだ。
「はい」
戸惑う必要は無く、即応で答えるべき事柄。『人を斬るな』という師の語った言葉が絶対に正しい。そして、自分もそう思っているのだと言い聞かせるさ中、ベートがぽつりとつぶやく。
「それでお前が後悔しなきゃ良いがな」
「はい?」
「なんでもねえ。さっさと寝ろ」
聞き取れなかった言葉が気になり声をかけるも、ベートは無視して口を閉ざしてしまい、結局カエデはその言葉を聞けなかった。
時刻は凡そ午前三時半頃、焚火に薪を追加して火が途絶えない様にしつつも、カエデはぼんやりと先程聞き取れなかったベートの言葉に引っかかりを覚えていた。
一晩丸々起きていると宣言したガレスが暇そうに顎鬚を撫で、ベートとカエデの様子を伺う。
火をぼんやりと眺めるカエデと、暇そうに欠伸を噛み殺すベート。どちらも視線を合わせようともしない様子にガレスが吐息を零す。ガレスの吐息に反応したカエデがガレスを伺う様に口を開いた。
「ガレスさん?」
「んむ? どうした?」
「眠いのかなって」
カエデの言葉に苦笑を浮かべつつも平気だと答え、ベートの方を見れば暗闇の中にぼんやりとかすかに見える天井を睨みつけていた。
「ベート、どうした?」
「……なんでもねぇ」
誤魔化す様な言葉に対し、カエデが身を震わせ、誤魔化す様に尻尾を抱き抱えて焚火の中に薪を追加し始める。
パチパチと薪の燃える音を聞いていると、カエデがすっと立ち上がった。
「どうした?」
「ちょっとおしっこです」
「おう……」
飾らぬ言葉にガレスが一瞬虚を突かれている間に、カエデが近くの木陰に入っていったのを見てベートが眉を顰める。
「……あいつ、恥ずかしくねえのか?」
「…………あの辺りはリヴェリアがなんとかするだろう」
困ったようなガレスの言葉に対し、ベートが眉を顰めてテントの入り口を開けて中に石ころを投げつけた。
「痛ぃ……何? 何なの?」
「起きろティオネ」
「ベート?」
投げられた石ころは狙い違わずにティオネに命中し、寝ていたティオネの眠りを覚ます。唐突に起こされた事に苛立っているのかティオネが眉を顰めつつもテントから這い出してきたのを見て、ベートがカエデの消えていった草むらを指さす。
「カエデが小便に行った。ちょっと見て来い」
「…………えぇ?」
「俺は男で、ガレスは爺だ」
ベートの言いたい事も理解できなくはない。できなくはないが、もっと優しく起こせとティオネがベートを睨めば、ベートが呆れた様に呟いた。
「お前普通に起こそうとすると殴りかかってくるだろ」
団長以外に襲われる気はない。そう言い切って殴りかかってくる。そう言われてティオネが視線を逸らした。
周辺を伺いつつも、カエデは確信と共に足を進めていた。先程『おしっこ』とガレスに伝えて木陰に入ったカエデは、言葉とは裏腹に用を足す訳でもなく森の奥地に足を運んでいた。
嘘を吐いてまで皆から離れた理由を、カエデは説明できない。ただ、直感の様なモノがカエデに囁きかけてくる気がする。尻尾を優しく引かれ、『行けばわかる』と示される。
急かされる様に足を運んだ先、カエデの視界に映し出されたのは小さな小川と、その小川の傍に立つ大柄な影。その大柄な影、人物が誰なのかカエデは知らない。わからないはずなのに、勘を信じてカエデはその人物に対して声をかけた。
「アレクトルさん……」
カエデが声をかけても、その影は動かない。人違いではないかという考えが脳裏を過るが、それは違うと勘が告げる。距離は凡そ一歩踏み込めば
「【
再度、二つ名と共にその背に声をかければ、その人物はゆっくりとした動きで振り向き、カエデを強く睨み付けてきた。
殆どが抜け落ちてわずかに残る白い髪。深い皺の刻まれた顔。傷だらけの体に、肘の辺りから失われた左腕。顔の半分に深々と刻まれた傷跡に、白濁した右目。顔を見たのはこれが初めてであるにも関わらず、声を聞いてもいないのに、この人物がカエデを殺さんと刃向けてくる【ハデス・ファミリア】の団長にして現在オラリオには数名しか居ない
「カエデ・ハバリか」
深い、静かな声色だ。怒りを抱くでもなく、焦りも何もない、まるで凪いだ泉を思わせるその声に対し、カエデは迷わず口を開いた。自分が何故ここに来たのか、何故無防備に目の前に来てしまったのか、わからない。わからないけれど、言わなければいけないのだという焦りがカエデの口を動かした。
「ワタシを、殺そうとするのをやめてください」
真っ暗なはずの泉から、ほんのかすかな光が漏れ出ているのに気が付いて警戒するさ中、アレクトルはゆっくりとその場に腰を下ろして俯いた。
「その願いは、叶わない」
静かな、けれども確かな拒絶の言葉にカエデが震え、疑問を投げかける。
「なんで、ですか」
静寂に満ちた泉の傍に腰を下ろしたアレクトルは、静かにカエデを見据える。その瞳に映るのは哀憫の色。
疑問が溢れかえってくる。何故、命を狙う貴方が私に哀憫の目を向けるのか。そうでありながら何故命を狙うのか。湧き上がった疑問を口に乗せるより前に、アレクトルは静かに口を開いた。
「選べ。此処で俺を殺し、終わらせるか。それとも、生かして後悔するか」
その言葉に、カエデは身を震わせた。何故そんなことを言うのか。
「今、この場でなら。俺は無抵抗でお前に
言葉を止め、アレクトルは白濁していない左目でカエデを見据える。哀憫の色は消えうせ、静かに凪いだ湖を思わせるその瞳に吸い込まれそうになる。
魔法を発動し、耐久を無視して切断という結果をもたらす装備魔法『薄氷刀・白牙』を作り出し、一歩踏み込んで振るえば確実に殺せる。アレクトルの瞳には抵抗の意思はない。
魔法の発動を邪魔することも、襲い来る凶刃を避ける事も、反撃にて道連れにしようなどということは有り得ない。断言できる。
「今度はお前の周りの全てを巻き込む事になる」
ぞくりと、背筋を這い上がる感触に身を震わせ、カエデはカラカラに乾いた喉を鳴らして口を開いた。
「なんで……」
「俺は、罪深き者だ。だからこそ、もう止まれない」
彼の神は言った『主神の言葉こそ全てと在る事こそが、最高の眷属の条件だ』と。だが、それは間違いだった。俺は間違っていた。だが、もう止まれない。一度の間違いでは済まない。何度間違えたのか数える事も出来ないぐらい間違えてきた。だからこそ此処でお前が選べ。
────この場で俺を殺すか生かすか────
アレクトルの言葉に身を震わせ、一歩後ずさる。殺す? 生かす? カエデが
「殺しません」
「違うだろう」
カエデの言葉に対し、アレクトルが真っすぐカエデを見据えて即応した。即応し、言葉を続ける。
「お前のそれは
的確に、カエデの心の内に杭を撃ち込まれた。カエデには、アレクトルの言葉を否定できる言葉が何一つ存在しなかった。
「選べ、お前が後悔を抱く前に、殺せ。俺を」
さらに一歩後ずさる。戦う気こそなかったが、戦いになるのなら、生き残る為に全力を尽くそうと心に誓い、この場にやってきたカエデに対し、アレクトルの要求は一つ。『無抵抗な
「出来ないのなら、お前は後悔する。必ず、
理解できないアレクトルの言葉に対し、カエデは震え、怯えた。
何故、殺されてもいい等と口にするのか。貴方は全力で、殺しにかかってくるのではなかったのか。
もし、もしもこの場で、全力で殺しにかかってくるのなら────
「…………ホオヅキ、という冒険者を知っているか」
唐突なアレクトルの語りに、カエデはさらに一歩下がる。足元にあった木の枝を踏みしめ、ぱきりと音が響いて身を震わせた。
「今は、【トート・ファミリア】にて保護されている者だ」
アレクトルの言葉はカエデに届かない。耳から入った言葉の意味を理解できずに、震える瞳で静かに腰かけるアレクトルを見続けていた。
「俺は、彼女を殺すはずだった」
懺悔する様に呟かれる言葉には、後悔の色が混じっている。けれども理解できない、したくない。
「罪深い行為を行う彼女を、殺す、はずだったのだ」
お前は、ワタシを殺しに来る
「出来なかった」
やめて欲しい。今すぐに耳を塞いで目を瞑って何も、聞きたくない。怯え、震え、カエデが後ずさる。
「彼女は強かった」
既に、カエデとアレクトルの距離は、遠く離れていた。一歩踏み込んだ所で、到底刃の届きようのない距離。
「強く、そして、何処までも
聞きたくない。震える足で、カエデは背を向けて逃げ出した。
────お前も、あの女と同じ匂いがする。だからお前も
その日、アレクトルはカエデを追わなかった。
ここでカエデが耐久無視の刀で一閃してれば、アレクトルは無抵抗で殺されてましたね。
殺しておくか、殺さないでおくかアンケートでもとってみようかな……。
貴方なら【処刑人】アレクトルをこの場で殺す? 生かす?
-
殺す
-
生かす