1日中ずっと雨だった昨日と違い、透き通った青空が広がる晴れた朝。
俺はいつものように学校へ行く準備を終えると、幼馴染で姉でもあるビスマルクを起こしに家へと行く。
チャイムを鳴らすと、父親のオットーさんが出迎えてくれて挨拶をした。そのまま2階へ行こうとしたが、キッチンを見てくれと嬉しそうに言われて何があるのか想像もできないままキッチンへと行く。
そこで見た光景は自分が16年生きてきた中の常識を疑うべきことが起きていた。
信じられない。その一言が頭をいっぱいにして埋め尽くす。その光景に俺は口をぽかんと開けることしかできない。
なぜなら、ビスマルクが料理をしていたからだ。それもきちんと制服を着て、その上に白いエプロンという男が憧れる制服エプロンな装備で!
……ありえない。
いつもならまだ寝ている時間だというのに起きている。それだけでも気を疑うのにきちんと料理をしているのがありえない。
ビスマルクの双子や姉妹、または親戚かと思ってしまう。
隣にいたオットーさんに視線を向けると、肩をすくめるだけで何も言ってこない。
どうやら父親でさえあの姿は珍しい光景らしい。弟として俺はどうするべきかと悩む。
ビスマルクが苦手とする料理を手伝うか、止めるか。または褒める。それが問題だ。
苦悩していると俺に気づいたビスマルクが料理をする手を止め、俺へと振り向いて笑顔を向ける。
「
振り向いたときに、朝の光を浴びて輝く金髪がふわりと宙へ浮かび、素敵な笑みなビスマルクは物凄く可憐な美少女だった。
いつも見ている顔だというのにときめいてしまい、心臓が大きな音を立てたかのような錯覚をするほどに。
深呼吸して精神を落ち着けたあとに変な姿を見せないように俺は頑張った。
「
返事がちょっと遅れてしまったが、俺の返事に喜んだビスマルクはまた料理へと戻っていった。
今の展開に頭が追い付いてなく、ただ見ているだけだった俺は、オットーさんにテーブルへ着くように言われるまでは動くことができなかった。
正面に座るオットーさんと一緒にじっとビスマルク後ろ姿を見ていて、一言でいうならば見惚れていたのだと思う。料理をする姿を見るのなんて中学生以来ということもあって。
でも今まで作ったビスマルクの料理はどう言いつくろっても味がいまいちで、本人もそれを自覚していた。
だというのに、今日はいったいどういうことなんだろうか?
考えているあいだに料理は次々と完成していき、少しこげた鮭、ふぞろいな豆腐の味噌汁に水分が多いご飯という和食がテーブルの上へと並べられていく。
「ユウ、父さん。私の手料理を思い切り味わいなさい!」
俺の隣へと気分よさげに座るビスマルクは、両手を合わせて「いただきます」と言って食べ始めていく。
同じように言って俺も食べ始める。味噌汁は味が薄すぎて微妙だが、滅多に食べることがないビスマルクの料理を味わい、作ってくれたことに感謝する。
そうして食べ進めていくと隣にいるビスマルクから熱烈な視線を感じる。
ビスマルクに顔を向けると、褒めてとばかりな自信たっぷりの表情だった。
味がいまいちと素直に言うべきか、それとも味が良いとウソを言って褒めるべきか。
どちらとも言えないまま見つめあっていたが、段々とビスマルクの自信がなくなっていく表情を見て物凄い罪悪感を感じた。
「味は悪くない。……これから経験を重ねていけば、うまい飯になるんじゃないか」
俺は後半部分の言葉に恥ずかしくなって言い終わるとすぐに食事へと戻るが、ビスマルクは嬉しかったのか「ユウのためなら毎日作っちゃうんだから!」なんて言われる。
これはいわゆるプロポーズというものだろうか。姉と弟という関係なのに。
言葉の意味を考えていると、オットーさんが俺へ向けて晴れやかな笑顔を浮かべ、ひどく楽しそうなのが気になった。
この恥ずかしく、生暖かい居心地の悪さを抜け出すために急いで食べ終わると食器を片付けていく。
「玄関に行っているからな」
早口でそう言い残し、この場から離れた。
少ししてから食事を終えたビスマルクが2階へとバッグを取りに行き、2度寝するなどの問題もなく家を出た。
それは昨日より20分も早く。
家を出ると道路には水溜まりがあり、ビスマルクは道路側で俺はその内側を肩がふれあうほど近くに並んで歩いていく。
こういうさりげない気配りを今は気づけたけど、知らないところで守られていると思うと姉なんだなと思う。
心が暖かくなり、俺とビスマルクは学校までの道のりを気持ちよく雑談をしながら学校へと向かった。
学校に近づいていくと、制服やジャージを着た学生たちの登校する姿が見えてくる。
その光景はいつもと同じように見えるが、人の層が変わって見えた。
それはビスマルクを起こす時間がなくなったために学校へと来る時間が早くなった結果だ。
校門前まで行くと登校の時には初めて見る摩耶の姿があることから、それは明らかな答えだ。
摩耶は校門前で立ち止まると、俺とビスマルクに向けて手をあげて挨拶をしてくる。
俺は同じように手を上げて返事をすると、摩耶の両隣に短い黒髪と長い金髪のふたりの綺麗な女性がいることに気づく。
そのふたりは摩耶の頬や髪を撫でては俺へと視線をちらちらと向けつつ、少しばかり興奮した様子で話し合っている。
聞こえてくる内容は「あの男性が摩耶の恋人なのですか?」「あらぁ、摩耶ったら私たちより先に行ってしまったのねぇ」というものだった。
摩耶は赤くなった顔でそのふたりの腕をバシバシと強めに叩いていて、俺はこのまま摩耶に声をかけるのをためらってしまう。
今なら摩耶に理不尽な怒りをもらってしまいそうだ。それとあのふたりにからかわれてしまうだろう。
無視しようと決めて行こうとするが、立ち止まったビスマルクが俺の手を掴んできた。
何をするかと思っていると、摩耶へと向けて手招きをする。
昨日の休み時間の件もあって、摩耶は顔を強張らせて来るのを戸惑っていたが、摩耶の両隣にいる人たちが俺たちの前へと体を押し出して一緒にやってくる。
「姉のあなたたちは向こうへ行ってなさい。ほら、早く!」
ビスマルクは少し離れたところに指を向け、両隣にいたふたりはビスマルクと摩耶の顔を交互に見てから、つまんなさそうに指示された位置へと移動した。
摩耶が俺に紹介してやると言っていた姉があの人たちか。俺には厄介払いしたくなるような雰囲気には見えないのだが。
そんな美人ふたりを眺めていると、そのふたりが笑顔で手を振ってくるのがなんだか恥ずかしく思っていると近づいてきた摩耶が落ち着きなくビスマルクの前へとやってきた。
一瞬にして、どうなるんだと不安になったが突然ビスマルクが摩耶へと頭を下げる。
「昨日は悪かったわ。きついことを言ってごめんなさい。……それと、これからもユウと仲良くして欲しいのだけど」
前置きもなく謝ったことに驚く俺と摩耶。
「あたしはそんなの気にしてませんって。弟を心配するのは当然のことですから。ユウとの仲も大丈夫です!」
「摩耶もこう言っている。そもそもこいつにはそこまで言う必要はない。ごめんって言えば解決する」
慌てた摩耶がそう言い、俺も問題はないと言うと恐る恐る顔を上げたビスマルクは俺の手を離しては深い息をついて安心したようだ。
問題が解決した途端に摩耶の姉たちは「恋人繋ぎで手をつなぐのよ!」「これでお姉ちゃん公認のカップルになったのね~」となんか色々と言ってくる。
それを聞くと、昨日の休み時間の時に摩耶が面倒そうな姉たちをあげたいと言った気持ちがわからないでもない。家で姉たちのことで苦労している摩耶がはっきりと見えるようだったからだ。
「あなたたち、私の弟に恋人を作らないでくれるかしら!?」
ビスマルクは摩耶の姉たちにちょっとだけ怒ったような、けれどもその声は友達に向ける親しい感じだ。
摩耶はビスマルクに一礼すると姉たちの方へ走っていき、足を蹴ったり肩を叩いたりして静かにさせていた。摩耶の姉たちはそんな摩耶がかわいらしく、頭を撫でながら学校の中へと歩いていく。
ああいう姉妹でじゃれあう光景をうらやましく思う。気楽と信頼が混じったからかいに物理的なふれあい。
なにもかもが楽しそうにしか見えなかった。
「ああいうのはいいな」
「それ、お姉ちゃんがもう1人欲しいってこと?」
「そうなれば、ビス姉ちゃんの世話を任せて俺は楽ができるな」
不満そうなビスマルクに思ってもいないことを言うと軽く足を蹴られた。こういう嫉妬深い姉は1人でいい。
もしビスマルクみたいなのがもう1人いたら、相手をするだけで朝から疲れすぎて学校へ行く気をなくしてしまう。
摩耶たちのあとを追いかけるように歩き出すと、まだ不満そうなビスマルクがついてくる。
「今日も一緒に帰りましょうか」
「下駄箱で待ってる」
「絶対よ? 私を置いていかないでね?」
「ゲーテを読み終わるまではいると思う」
意地悪なことを言うとビスマルクがポカポカと両手で軽く叩いてくる。
軽口を言ったり、じゃれあうことが良い姉弟関係のひとつだと思う。それができたことに俺はにやりと笑みを浮かべる。
こういう信頼がある関係をずっと続けていきたいと思いながら、校舎に入るまではビスマルクとふざけあった。
学校に登校してからは昨日の休み時間のようにビスマルクがやってくることはなく、摩耶とお互いの姉に対する苦労話を楽しくした。
昼休みは購買で弁当を買って1人で過ごしたが、なんだか寂しい気がする。こっちからビスマルクのところに行こうかとも考えたが、3年生の教室に行って目立つことへの心構えができてないためにやめた。
それにもし行ったら興奮しすぎて色々と迷惑をかけたりかけるだろうから。
感情に安心と寂しさが入り混じるなか、放課後になると俺は図書室で適当に時間を潰してから待ち合わせ場所である下駄箱へと行く。
昨日と同じく靴を履いてバックを肩にかけ、校舎の出入り口にある壁に背中を預けてゲーテの本を昨日の続きから読み始める。
今日は天気がいいため、校庭からは野球部の掛け声に打撃音、弓道部が的に矢を当てる音が聞こえてくる。
それらの音をBGMにしてビスマルクを待っていると時間の経過が早く感じる。時々校舎の中から人が出て来る間隔も段々と長くなってきた。
気がついたときには結構なページを読み進めており、もうすぐ読み終わってしまいそうだ。
俺は読み終えるのがもったいない気がして本を閉じ、ぼーっと野球部の練習風景を見ることにした。
そうしていると校舎の中から人が歩いてくる音が聞こえてくる。
そろそろビスマルクがやってくる頃合いだろうか。
下駄箱のあたりを覗くがそこにビスマルクはいなく、代わりにロングヘア―の金髪な女性がいた。ビスマルクとは違って体全体から優雅さ、髪は力強さを感じる。
その人のことがなんだか気になって目が離せなかった。
そのまま見ていると、靴を履き替えた彼女は俺に気がついて目が合った。向こうは俺をじっと見て観察し、何かに気づいたのか穏やかな微笑みを向けてくれた。
「
流暢な英語が聞き取れず、どういう意味か頭が理解できない。
どう返事をしようか焦っていると、楽しそうに小さく笑い声を出した彼女は俺の横を通り過ぎる時に俺の頭を優しく撫でて通り過ぎていく。
笑顔と撫でられたときの感触が謎の美人さんに一目惚れしたかのような感覚になってしまっていると、バタバタと昨日にも聞いたことがある足音が聞こえてきた。
そのおかげで意識が正常に戻ってくると、走ってきたビスマルクの姿が見えた。下駄箱で急いで靴を履き替えると、俺の前まで来て荒くなった息を整える。
「待ったかしら?」
「かなり待った」
「そこは『俺も来たばかりだよ』って言うんじゃないかしら」
「デートの待ち合わせじゃないだろ。今日もきちんと生徒会は終わったのか?」
「もちろん。最後に私が鍵を閉めたんだから。証拠に他の生徒会の子もここを通ったでしょ?」
言われて思い出すのはさっきの金髪の人だ。あの人も生徒会の一員だったのか。
「なぜか金髪の美人に頭を撫でられたよ」
「……あの子は人の弟に手を出したいのかしら。まぁ、つい撫でたくなるぐらいにユウが魅力的ってことよね!」
ため息をついて不満そうな表情ながらも、俺の頭を撫でてはそんなことを言う。
撫でる手を払い、家へと帰るために歩き出すとビスマルクはすぐに横へと並んでくる。
家へ帰る道を歩きながら雑談をしていると、今日はどうだった、女の子に手を出されてないのかと過保護な姉として俺を心配してくる。本当に困ったら相談すると言っても、どうにも不安らしい。
「そうだ。言い忘れていたことがあったのだけど、今度の休みに遊びに行きましょう」
「遊び?」
「摩耶ちゃんの姉と妹たちの4姉妹と私たちで買い物よ!」
予想外過ぎる言葉を聞き、歩く足が立ち止まってしまう。
いったい何がどうなって面倒そうな買い物になってしまうんだろうか?
嫌そうな俺の顔に気づいたのか、慌ててビスマルクは説明をしてくる。
「えっとね、今日の朝に会った摩耶ちゃんの姉2人から言われたのよ。お互いに良い姉であるために弟や妹の経験を持つほうがいいって。弟はわかるけれど、妹ってどういうものなのかと気になったのよ。それにユウにもお姉ちゃん経験値を積んで欲しくて」
お姉ちゃん経験値ってなんだ。そんなのは初めて聞いたんだが。
視野を広く持とうとする勉強熱心なことには感心するけど、向こうの姉が俺で遊んでみたいだけな気がする。
摩耶が姉は面倒だというふうなことを言っていたことを思い出す。
女性5人と買い物なんて行ったら、荷物持ちにされつつ様々なことでからかわれることが余裕で想像できる。特に男の純情とかビスマルクの嫉妬心を。
気分が憂鬱になるが、ビスマルク以外の女性と仲良くすることはあまりなかったし、今回は俺にとってもいい経験になるのかもしれない。
「わかった。予定が決まったら教えてくれ」
「ええ。ユウも楽しめるようにきちんと調整するから任せなさい!」
自信たっぷりに俺のことも考えてくれたことを知ると、物凄く感心する。これこそ姉だと思ってしまうのは、今までダメ姉な方向からしか見てなかったからだろう。
「いい姉になったな」
なんだか急に姉としての自覚や成長したのを感じる。
たまにはきちんと褒めようとして手を伸ばすと、ビスマルクの頭をがしがしと雑に撫でる。それでもビスマルクはすごい幸せで満たされている顔になった。
「いいのよ、もっと褒めても。姉として当然なんだから!」
「当然なら褒めなくていいな」
本人がわざわざそんなことを言うので撫でる手を引くと、ビスマルクは絶望と後悔と悔しさと悲しさがたっぷり混じった顔で俺を見つめてくる。
それを無視し、話しかけてきても適当な相槌をするだけでビスマルクの家までやってきた。
でも別れたくない気配を感じ、俺もいじめすぎたなと反省をして素直に好意の言葉を言うことにする。
「また明日。ビス姉ちゃん」
「……!! ええ、明日! また明日ね!」
昨日ぶりに姉と言ったことで一瞬にしてビスマルクは満面の笑みとなり、こんな姉がいとおしく見える。
すぐ顔に出るほどの感情的なところや、どこか考え方がずれていたり。それに弟の俺を大事にしすぎてしまい過保護な部分。
そんな姉が俺は大好きだ。
自然と距離が離れてしまうまで、こんな楽しい日々を送りたいと強くそう思う。
終わり。