なにもみえない   作:百花 蓮

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ぶんしんのじゅつ

 私が教師に贔屓されている、という話だが、おそらくその一因はイタチにあった。

 

 この忍者学校(アカデミー)で優秀な成績を修めておけば、喜んでくれる。だから、私は頑張っていた。

 そして、それなりの努力で結果を出していた私だが、教師たちは決まってこういう目で見てくる。

 

 ――うちはイタチに負けるな。

 

 同じ()()()なのに、教師たちはなぜだかイタチを毛嫌いしていた。その結果として皺寄せが私にくる。

 優秀すぎる力は歪みを生む。もしかしたら大人たちは揃って嫉妬をしているのかもしれない。イタチはすごいもんね。

 

 それでそう。私は今、もう毎日のように行われている補習を受けていた。別にテストで悪い点を取った覚えはない。なのに呼び出されて、私は最初、心底、不思議に思っていた。

 

 話を聞けば、成績優秀者にさらに難しい課題を与え、正確な実力を図るためらしい。いつも隣にはイタチがいた。

 けれど、私とイタチの実力が同等なわけはなく、私より早く帰っていく。酷いやつだと、このときばかりはイタチの背中を恨むように見つめている。

 

「印は未、巳、寅の順――これ、なんだかわかるかい?」

 

「分身の術ですか?」

 

「さすが、知ってるんだね。あと一ヶ月でこの術を習得してもらいたいんだ」

 

 そう言った教師に私は首を傾げる。そこそこ難易度の高い術で、ここ忍者学校(アカデミー)に通う生徒が覚えるには最高難易度。

 少なくとも、一年目の私が教わる理由はよくわからない。

 

 そして、このタイミングだ。イタチはさっさと課題を終わらせて帰り、ぽつんと私一人が残っている今、この話は切り出されたのだ。

 

「じゃあ、さっそくやってみようか」

 

「え、別にいいですけど……」

 

 教師はなぜか目を輝かせて、私に術を使ってみるように促す。けれど、いまいち乗り気にはなれない。

 ペンを動かし続けなければ、私は帰れないからだ。

 

「ああ、課題がまだ終わってないのか……。まあ、いいや。今日は免除ってことにしておこう」

 

「……わかりました」

 

 教師がそんなことでいいのか、と、私は思う。

 仕方がないから、明日の朝に提出しようと私は心に決めた。ペンとノートをしまって、立ち上がる。

 

「印の形は、改めて見せる必要もないか……」

 

「あれだけ練習させられましたからね……」

 

 子から亥までの十二の印を一秒以内に結ぶという課題があった。補習の教師はそのときのことを思い出してか、苦笑いを浮かべる。なにせ、三十七回目の挑戦にてようやくクリアできたからね。

 寅の印のところで、何回も間違って未の印を結んじゃったんだ。頭ではわかってるけど、身体は反射的に動いてるもんだから、直すのも一苦労だった。

 

 イタチは間違えることなく、一回で終わらせて帰っちゃったけどね。

 

 未、巳、寅、っと。

 ――『分身の術』!

 

 ポムっと音を立てて、もう一人の私が現れ出た。実体はないから、触ることもできない。おそるおそる、手を近づけてみても、すり抜けるだけだった。

 

「……印は?」

 

「未、巳、寅ですよね?」

 

 実際にできたわけで、今さら聞かれるまでもないことのはず。なぜこの教師は呆然として尋ねてくるのだろうか。

 

「いや、そうだった。それにしても、一回で成功するなんて……」

 

「一回じゃありませんよ? 実は何回か練習してたんです」

 

 分身を身代わりに、どうにか私は忍者学校(アカデミー)をさぼりたかった。だが、こんな残像ではすぐにバレてしまう。

 

 腕を掴もうとしてみたり、ほおを引っ張ろうとしてみたり、けれど、どうやっても実体はそこになかった。

 現れたときと同じように、またポムっと音を立てて消えてしまう。

 

「た、大したやつだ……」

 

 そんな誰にだって言われてるような褒め言葉を使われたって、私は嬉しくともなんともない。

 

 まあ、それはいいだろう。驚いている今がチャンスだ。兼ねてからの私の野望を叶えるべく、今度は私から切り出す。

 

「あの、一つお願いしていいですか……?」

 

「なんだい?」

 

「影分身の術を教えてください……!」

 

 深々と頭を下げる。私みたいな歳の女の子から、こんな風にお願いされたら、きっと断る人はいないだろう。たぶん。

 少し顔を上げて、ちらちらと教師の顔色を窺う。

 

「どうして覚えたいんだい?」

 

「…………」

 

 理由を尋ねられて、言葉に詰まる。曲がりなりにもこの人は教師だ。私の不純な動機に、取り合ってくれるだろうか。

 

「実は、遊ぶ時間がないんです」

 

 いや、構わない。これでいこう。今こそ、私に貼られている『可哀想な子』というレッテルを最大限に利用するべきときだ。

 

「…………」

 

 教師が、訝しんで私を見つめる。

 今がきっと責めどきだ。ここで畳かける。

 

「こうやっている間にも、みんなは楽しそうに遊んでいる……」

 

 そうやって、窓の方を見やった。校庭では、かけっこや、正義の味方ごっこやらをして年相応に遊んでいる子どもたちがいる。

 

「だけど、私は学業を疎かにはできません」

 

 私には期待がかけられていた。自慢の娘でなければならなかった。今さら優等生をやめるわけにはいかない。

 

 教師からの評判も良く。だれしもが認める人格者になることが今は最低限の目標になっていた。

 

 だから、影の努力なんてかっこいいこともやってない。ダイレクトに、よく頑張ってるねって、言われるように、忍者学校(アカデミー)に残って勉強や手裏剣術の修行をしていた。

 

 無論、分身系は後ろめたいから、こっそりやってたけど。

 

「影分身なら、勉強しながら遊ぶことができるじゃないですか……?」

 

 影分身がやった経験は、漏れなく本体の私に還元される。さぼってるようで、さぼってない。それが影分身の術だ。

 

 それがわかってかか、教師は顎に手を当て、考えていた。

 

「君の実力なら、十分に使えるかもしれない」

 

 相応の努力が必要なのは承知の上だ。けれど、補って余りあるリターンがこの術にはある。

 

「あの……」

 

「わかった。明日、使える先生にお願いしてみるよ」

 

 あ、この人、使えなかったんだ。

 

「期待に添えなくて、すまない」

 

 落胆が目に見えてしまったのか、謝られてしまった。

 でも、影分身の術はチャクラ消費が激しい。だから覚えたって、その人のチャクラの総量によっては、実戦ではとても使いにくい技となる。

 

 使えない術を覚えたって、意味がないし効率が悪いから、別にこの人が謝る必要など決してないのだ。

 

「こちらこそ、すみませんでした!!」

 

 無理なお願いをしたのは私だ。全力で謝る理由は言うまでもない。

 

 新しく、紹介された先生に教わって、私は影分身の術を一週間で習得してみせた。

 

 

 ***

 

 

「あっ、イズミちゃん。おっはよー!」

 

「え、ミズナちゃん? どうしてそんなところから……」

 

 うちはの区画を囲う塀。その上から思いっきりジャンプして着地する。

 そんな私に、イズミちゃんは困惑必至だ。

 

「正門から出て行くのは、やっぱり気に入らないじゃない?」

 

「え? どうして? なにか嫌な人でもいるの?」

 

 私の奇っ怪な言動にも、突っ込まずに心配をしてくれる。やっぱりいい子だ。この子は天使だ。

 

「いない、いない。ただ、少しばかりあの門、造形が気に入らないのよ。設計した人は、たぶんいい趣味してないわ……」

 

「別にそんなこと、ないと思うけど……」

 

「特にあの家紋のついた、右上の幕あたりね……っと、イタチ!!」

 

 たわいのない雑談をしていた私たちの横を、天才イタチがなんの反応もなく通り過ぎようとしていた。

 けれど、それを許さない。イタチだけは、どうしてもこの話に引きずり込んでおきたかった。

 

「なんだ?」

 

「ねぇ、イタチ、あなたも気に入らないと思わない?」

 

「なんの話だ?」

 

 不機嫌にイタチはそうとぼける。なぜだかイタチは、私への対応が悪い。昔はこう、もっと……。もっと……?

 とにかく、なぜだか対応が悪い気がした。

 

 そんなイタチの腕を強引に掴む。そうしてようやく、この場に止めることに成功する。

 

「く……っ」

 

「ねぇ、イタチもそう思わない?」

 

 あのイタチが、情報収集を怠っていたとは思えない。聞いておいて、会話に参加しないなど、とんだ不届きものだ。

 

「確かに一族を強調しすぎ……」

 

「――こっちから見て、右上。ちゃんとよく見てね」

 

 そう小声で、耳もとで囁く。そうしてイタチの右腕から手を離して、解放した。

 

「……ミズナちゃん?」

 

 首をかしげたイズミちゃんが、そう私の名前を呼んだ。かわいい。手もとにカメラがないことが悔やまれるくらいにはかわいい。

 

「なんでもない。なんでもない。もう、この問題については、私は何にもできないから」

 

「ミズナちゃんがなにか言っても、門、変わらないもんね……」

 

 我がごとのように悲しみを浮かべて、そう呟くイズミちゃん。いい子だ。この子、本当にいい子だ。

 

 イズミちゃんとの出会いはそう、私が補習を受けて帰ろうとしたとき。そのときに一緒に帰ろうと声をかけてくれたのだ。

 

 うちはの集落は一つしかない。ゆえに、私は快諾して一緒に帰ることになった。まあ、私は門で別れるけど。

 

 それからというもの、まいにち補習で遅くなる私を、イズミちゃんは待っていてくれる。

 それも、私と帰るためだけに。

 

 別に私が面白い話ができるわけでもない。こんなにもつまらない私と、黙って一緒にいてくれるのだった。

 言うなれば、私の()()()()()友達。とっても大切な存在だ。

 

 この子を泣かせたら、たとえイタチでも許さないんだから。

 

「せっかく、三人揃ったことだし、一緒に行こう……って、イタチ!!」

 

 早歩きで、とっとと私たちから離れていった。やはりこの冷たいあしらいは心に響く。私、なにか悪いことしたっけ?

 ダメだ。記憶にない。

 

「イ、イズミちゃん」

 

 そうやって私は心から信頼の置く親友に助けを求める。

 イズミちゃんも、とっても困った様子で、イタチと私を見比べていた。

 

「きっと、イタチくん。焦ってるんだよ」

 

「……イタチ、いっつも焦ってるじゃん……」

 

 出会ったときからそうだ。残りの人生を有効に使うべく、妥協なんて一切せずに生き急いでいた。

 だから私には、ずっと焦りっぱなしのように見えるのだ。

 

「なら、今回は特別に焦ってるのよ」

 

 イズミちゃんはなにか悟りきったように、私にそう教えてくれた。ちょっと、よくわからない。きっと私なんかには、とうてい及びもつかない深い意味が隠されているのだろう。

 

「あ、忍者学校(アカデミー)、遅れちゃう!」

 

 そう走り出すイズミちゃん。

 私は疑問を抱えながらも、ついていくだけ、いっさい解消されなかった。

 

「あっ、ちょっと、待ってよ!!」

 

 そういえば、明日は私の誕生日。ふふ、いいこと思いついた。これを口実に、イタチでも呼び出して、真意を問い詰めてやろう。

 

 

 ***

 

 

 うちはイタチは生粋の負けず嫌いだった。

 

 うちはイタチという、その在り方が負けを決して認めない。夢のためには、決して負けてなどはいられなかった。

 

 ゆえに、衝撃を受けた一つの出会いがある。

 

 戦争を体験し、自身の在り方を理解して間もなく。もうすでに日課となった修行。彼女を見つけたのはその帰り際だった。

 

 草むらで眠る少女と小鳥。こんなところで、そして自分と同じ年齢ほどの子どもが親も連れずにいるなどと、考えがたいことだった。

 

 気配を消して近づいたつもりだ。けれど、野生の感か、小鳥は警戒をするように、声を鳴らした。

 それに、反応してか、少女はこちらを向く。なんの迷いもなく、ただ一点、こちらを見つめたのだった。

 

 隠れていたつもりだった。気配を消せていると思った。しかしそれを嘲笑うかのように、彼女は話しかけてくる。

 

 

 ――それが、うちはミズナとの出会いだった。

 

 

 まぐれではないか、そういう思いから、次の日もまた足を運ぶ。けれど、今度は小鳥が反応をするより前に、見つけられてしまった。彼女の力を本物と認めざるを得なかった。

 

 それから、夢を語り、彼女は手助けをすると言う。

 その日から、彼女の元へ、気配を消して挑んでみるが、ことごとく見つかってしまった。

 決まった時間に挑むから駄目なのかとも考えてみた、訪れる時間を早めてみたが、意味のないことだった。

 

 見つけられないようにと言い含めた、シスイでさえも看破されたときは、イタチは言いようのない敗北感に囚われてしまった。

 

 そして、あの、彼女が写輪眼をみせたあの時も―( )―不謹慎だとわかっていたが―( )―それでも悔しさが勝っていた。

 

 今回もそうだ。

 

 この四ヶ月でイタチは様々な課題をこなしていた。並みの忍者学校(アカデミー)ならば無理難題と諦めるような課題でさえ、さして苦労もなく、イタチは平然とやってのけたのだ。

 

 だが、それは彼女も同じだった。

 細かく見れば自分よりは時間がかかってはいた。それでも、教師が設定をした時間内にはしっかりと全てこなしていたのだ。

 

 だから今回の試験内容。つまるところ、忍者学校(アカデミー)の卒業試験。才能ある生徒は、今のところ、年齢に関係なく、特別に上層部の判断により試験を受けることができた。

 

 その内容をイタチに教えた教師は、自慢げに笑みを浮かべ一言。

 

〝うちはミズナはもう教える前に、使えていたみたいだけどな〟

 

 顔には出さない。だが、その台詞に、内心イタチは複雑な感情を抱えることになった。

 

 分身の術を教わる。イタチにはその適任だと思える忍がいた。うちはシスイだ。

 他の()()()の者と比べて、ずば抜けた才を誇る彼。そんな彼は進んでイタチに術を教えてくれた。

 

 その折に、彼女のことを語ったのなら。

 

〝イタチには、いいライバルがいるみたいだな。大切にするんだぞ? それにしても、あの子か……。うちはの未来も安泰だな〟

 

 そう言って、グリグリと頭を揺さぶってくるだけだった。

 

 そんな煩わしい気持ちを抱え、帰路についている。そして、悩みを増やす種である、下駄箱に入れられた手紙を眺める。

 

〝明日、誕生日だから、(うち)、来て〟

 

 と、書いてあった。

 

 それを読んで、さすがのイタチは頭を抱える。

 意図がわからない。というか、いつ訪れればいいのか、この手紙では判断がつかなかった。

 

 大方、この文脈を見れば、あした訪れるだろう。

 けれど、贈り主はあの彼女だ。筆跡から、この手を抜いたような汚い字は彼女のものだとわかった。

 きっと、彼女のことだ。きょう下駄箱に入っていたのだから、きょう訪れろ、ということかもしれない。

 

 この手紙では、肝心の訪れるべき日時が記されていない。

 らしいと言えばらしいが。

 

 彼女は、大切なことは言わない。察しろとばかりに話しかけてくる。

 彼女と接していると、どうしても試されているような気分になるのだ。

 

 それでも今、彼女は忍者学校(アカデミー)で補習を受けているはずだった。

 いや、知っている。彼女が影分身の術を覚えたことくらい。補習を受けているのが分身で、本体は家で待ち構えているのかもしれない。

 

 もう既に、うちはの集落、その門の前に来てしまった。

 

〝――こっちから見て、右上。ちゃんとよく見てね〟

 

 彼女の言葉を思い出した。いつもよりも真剣な声色。なにかが、あるのかもしれない。

 

 上を気にしながら、歩く。指し示された部分を、目を凝らして見つめながら―( )

 

 ――なっ!?

 

 驚くべきことだった。彼女がどうして、いつものように、おかしな道、いや、道でもないようなところを通って集落を出るのか納得がいった。

 

 いますぐにでもシスイと相談したいという衝動に駆られる。

 

 いや、それよりも、最初からわかっていたなら、なぜ大人たちになにも言わなかったのか。

 うちはの実情を鑑みれば、それは賢明な判断だとわかる。だが、知っていてこれを黙っていたなら、彼女がなぜ今日になって打ち明けたのか。

 

 問い詰めたい気分になった。

 

 ちょうど口実もある。彼女の家に向けて、足早に歩を進める。

 一度、気付いてしまえば、周囲を余計に気にしてしまう。そんな自分を抑えつける。

 

 今のうちは一族は、人数から言えば少ない。イタチの記憶力をもってすれば、誰がどの家に住んでいるかなど、把握することは容易かった。

 

 玄関の前に立ち、一つ呼吸をする。

 

 イタチほどの年齢になれば、誰かの家を訪ねる機会もそう少なくはないだろう。共に語らうため、友の家に押しかけるなど。

 もっとも、イタチには遊ぶ暇などなく、日々修行に明け暮れているが。

 

 異臭が鼻をついた。

 

 この臭いには、二度、覚えがある。

 あの悲惨な戦争。そして九尾事件。

 思わず鼻を覆いたくなるような、血の臭い。玄関を通り越して、その死臭は漂ってくる。

 

「誰か!! いるのか!?」

 

 ただならぬ様子だった。必死で戸を叩くが応答はない。

 

 後ろを通り過ぎる大人たちは、何事かとこちらに注意を払うが、誰も近づいては来なかった。誰も異変には気づいていなかった。

 

 取っ手に手をかける。予想をした抵抗はなく、すんなりと音を立てて戸は動く。

 

「開いてる……」

 

 そうわかって、躊躇なく上がり込んだ。靴を脱いでいる暇などない。一心不乱に臭いの元へと駆け出した。

 

 障子を開け、凄惨な光景が目に入ってきた。

 人が死んでいる。大人の女性だった。

 うつむきに倒れ、その背中には忍刀が突き刺さっている。背中を幾度となく刺されていた跡があった。

 

 怨恨か。一つ一つの傷は浅い。

 しかし、そこで疑問が浮かんだ。自分以外が、どうして駆け付けていないのか。悲鳴を聞いても、だれ一人として気にとめる者などいなかったのか。

 

 ――いや、そもそも悲鳴を上げていない……?

 

 思考を遮るように、今度こそ甲高い叫び声が聞こえた。

 死体から、血の足跡が続いている。まだ、乾いてはいない。まだ、新しい。

 

 急いで声を追う。

 

 鍛え上げられた脚力は並みではない。これくらいの大きさの家ならば、数秒も立たぬうちに、目的地にたどり着くことができた。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 切れた息を整える。

 中からは物音がする。そこに誰かいることは明白だった。

 

 けれど、決心がつかない。あんな残虐な行為を成した者がこの中にいると思うと、身体は思うように動いてはくれなかった。

 

「い、嫌ぁ……いやぁ……」

 

 少女のか細い声が聞こえる。

 いくら優秀とはいえ、しょせんは忍者学校(アカデミー)生。せいぜい、実力も下忍レベル。なによりも、実戦経験(ばかず)が足りない。

 

 それはイタチも同じだ。

 

「だれか……」

 

 だからと言って、ここで怖気付くわけにはいかない。

 少女が助けを求めている。踏み出すには、十分すぎる理由だった。

 

 クナイはいつも通り、背に隠してある。手の届く場所にある。いつでも投げられる。

 今、使える術をいつでも使えるように、脳内でシミュレーションをしておく。

 

 意を決して、戸を開いた。

 

「ミズナァアア!!」

 

 壁に追い詰められた彼女がいた。そして、謎の人物が―( )―仮面をしている―( )―彼女のまぶたに手をかけている。

 

「うぅ……あ……うぅ……」

 

 もう遅かった。

 彼女の眼球は引き摺り出され、おもむろな動作で液体の入った小ビンに入れられる。

 コントロールのされないそれは、闇雲に三つ巴を写していた。

 

「あ……あ……イタ、チ……来ないで……」

 

 片目から、血の涙を流しながらも、彼女はこちらの心配をする。

 だからと言って、引き下がれる理由にはならない。

 

 とっさにクナイを三つ投げる。しかし、それに意味はなく、仮面の人物は忍刀で全て弾き返した。

 

 なにかの生物を模したであろう仮面。暗部のそれに近いような気がするが、なにか違う気もした。

 そして、こちらを見つめるその眼……

 

「……写輪眼……?」

 

 のようだった。

 しかし、普通の写輪眼とは明らかに違う。赤と黒から写輪眼は成るが、黒の割合が圧倒的に多かった。

 

 黒で縁取られた赤い半月。それが、風車のように三つ繋がった模様。そして、中心は黒く円が描かれ、赤い点となっている。

 

「しま……っ」

 

 写輪眼を、まともに見てはいけない。

 視線を合わせてしまえば、チャクラを流され、幻術にかけられてしまうから。

 磔にされたような感覚。身体が言うことをきかない。

 

 こちらに興味を失ったように、仮面の人物は、また少女の、もう一つの眼を奪おうとする。

 まぶたに手がかけられる。目の前で、なす術もなく彼女は傷つけられていく。

 

「う……く……あぁ……」

 

 痛みに喘ぐか細い悲鳴。

 

 何も出来なかった。無力だった。日々、鍛錬を怠っていない。それがなんの意味もなかったかのように―( )―数歩進めば手の届く場所にいる、そんな少女さえ守れなかった。

 

 両目を奪われた少女は、血の涙を流し、気絶するように倒れる。

 

 足りない。力が足りない。

 今まで培ってきたものだけでは、この圧倒的な存在に、及ぶはずがなかった。

 このままでは、二人とも殺されてしまう。

 

 眼の奥で、なにかが脈打った。

 熱が、身体中で駆け巡り、首の付け根あたりに収束する。

 

 何もすることのできない無力感。今までしてきたことに意味がなかったと思えるような絶望感。大切なものが失われてしまうような恐怖感。このままなにも成せないのではないかという悲愴感。

 

 その全てが収束し、眼の中へとなだれ込む。

 熱い。眼を閉じる。開けてはいることはできなかった。

 これほどの熱さは今まで感じたことがない。

 

 だが、いつまでも眼を閉じているわけにはいかなかった。ゆっくりと眼を開ける。

 

 景色が紅い。しかし変化はそれだけではない。

 自由になった。身体を縛り付けていた幻術がなくなったのだ。

 

 完全に仮面の人物は油断している。こちらに一瞥もくれず、少女に向けて、忍刀を振りかざしている。

 

 ――それだけはさせない。

 

 床を蹴り、落ちたクナイを拾い、その首もとへと切っ先を運ぶ。その動脈を断つ直前で、仰け反り、その一撃は躱された。だが、少女の命を繋ぐことには成功する。

 

 さらにもう一つ、足もとにある落ちたクナイを蹴り上げる。運良くではない。そうなるように、移動していたから。

 

 普通ならば予想のできない一撃に、対応が見るからに遅れている。その隙に付け込まない道理はない。

 まっすぐ、イタチは向かっていく。自身の持てる最速で、命を刈り取る一撃を繰り出す。

 

 ……が。遅い。

 

 蹴り飛ばしたクナイが弾かれた後。次のイタチの攻撃、その軌道に、既に忍刀は構えられていた。

 この奇襲も届かなかった。

 

 しかし、仮面の人物は驚いたことだろう。その攻撃の、あまりの質量のなさに。

 

 音を立ててイタチは消えた。なぜならば、実態のない分身だからだ。

 

 ――『分身の術』。

 

 蹴り上げられたクナイに気を取られている間に、イタチは印を結び、術を発動した。

 

 いくら写輪眼といえども、いくら分身に見分けがつこうとも、数分の一秒ならば問題ない。反射的に身体が動き、攻撃を防ごうとしてしまう。

 

「終わりだ……!」

 

 気配に気がつき振り向こうとするが、遅い。

 今度こそ、子どもならざる腕力で、首筋にクナイを突き立てようとする。

 

 ――しかし、手応えがなかった。

 

 仕留めよう、そう思って振ったクナイは空を切った。そこにはなにもいなかった。

 

 仮面の人物の姿は、忽然と消えてしまっている。警戒をして周囲を見回すが、誰もいない。ただ、クナイが二本散り、少女が倒れているだけであった。

 幻術か、もしくは時空間忍術の類か。

 

 気味の悪い静けさに包まれる。

 

 目眩(めまい)

 チャクラを使いすぎてしまった。

 まだどこかに隠れて、こちらを狙っているかもしれない。気を抜くことは出来なかった。

 

「大丈夫か!? 木ノ葉警務部隊だ!!」

 

 その声に、安堵を覚える。脱力し、床に倒れる。

 

 なんとか危機から逃れることに成功した。命を守ることができた。

 駆け寄ってくる大人たち。イタチはチャクラの浪費と、極度の疲労から、その場で倒れこむ。


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