なにもみえない   作:百花 蓮

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訂正、誤謬、掛け違い

 飛び散った鮮血に、時空間忍術が中止される。

 なにが起こったのか理解するまで数秒。

 

 眼を抑える男に、『写輪眼』をビンに収める〝仮面〟がいた。

 完全な不意打ちだった。

 

 苦しむ男に忍刀を振り、首を切断。あえなく男は地面に倒れる。

 確実に、死んでいた。

 落ちた頭から、〝仮面〟は残った『写輪眼』を引き抜いていた。

 

「お前は……なぜ……」

 

「なぜって、イタチ。だいたい察しはついてるんでしょ?」

 

 そうして、彼女は仮面を外した。

 

「ミズナ……なぜ……お前は死んだはずじゃ」

 

 あったはずの彼女の死体を確認する。

 だが、どこにも見当たらなかった。

 

「『影分身』よ? よくできてたでしょ? 『空蝉の術』ってところね」

 

 彼女はいつもと同じような調子だった。

 ただ、目を開いていることだけは除いて……。

 基本の巴とは違う。ああ、あの彼女を襲った〝仮面〟の『万華鏡写輪眼』と同じだった。

 

「その『万華鏡写輪眼』はどうした?」

 

「どうしたって、私のよ? ずっと、隠し持ってたの」

 

「…………」

 

 あの〝仮面〟はなんだったのか。いったいなにがどうなっていたのか、整理する必要があった。

 

「イタチ……ねぇ。ここで焼かれてる他の、うちは一族は、サスケ以外、みんな殺しておいたんだけど、問題なかった?」

 

 うちは一族の精鋭はここに集まっていた。

 それ以外となると、実力としては大したことはない。彼女ならば、それも可能なのかもしれない。

 

「なぜ、お前がやった……?」

 

「だって、どうせやるんでしょ? そういう命令だったし……」

 

「誰の命令だ……」

 

「ダンゾウよ?」

 

 あっけらかんと答える彼女だ。ダンゾウならば、その命令を出したとしてもおかしくない。そして、ダンゾウとどんな関係なのか、すぐにでも彼女に問い詰めたかった。

 だが、それよりも、彼女にするべきことがあった。

 

 彼女のもとへ歩み寄る。フラフラとした足取りになっていた。精神はボロボロだった。

 

「ミズナ……」

 

「……イタチ?」

 

 怪訝にこちらを見つめるミズナがいた。

 彼女に『写輪眼』を使う必要はないだろう、『眼』を普通の状態へと戻す。自分の口もとがほころんでいくことがわかる。〝夢の世界〟の必要などなかった。

 

 立ちすくんでいた彼女に抱きつく。

 

「ミズナ……生きてて、良かった」

 

「へ……? イタチ……。はぅ」

 

 そのまま床に彼女のことを押し倒す。抵抗はなかった。

 頬を赤らめる彼女が可愛らしい。彼女の死を偽りでも体験したからか、彼女に自分の子孫を残してほしいという気持ちが高まっているように思えた。

 

「ミズナ……お前はオレの……」

 

「イタチ……落ち着いて……。こんなところで……やっ。もうっ……仕方ないんだから……ぁ」

 

 彼女は迎合してくれる。間違いなく、お互いに愛し合っているのだとわかった。

 

 これから、どうするべきか。木ノ葉のお尋ね者になるのは間違いがない。うちは虐殺が里のため、というのは公表できない事実である。一族を粛清する里であってはならない。一族が寄り集まってできたこの木ノ葉の里だ。不満がくすぶり、内部から崩れていくことは目に見えている。

 

 うちは虐殺の汚名を着て木ノ葉から出て行くことは確定事項だ。里に残せば、彼女は確実に人質になる。

 彼女が人質になることを嫌うのならば、連れて行く他なかった。

 

 里を抜ける。それでも、彼女と一緒ならば、幸せになれる。誰に見つかるでもなく、多くを望まず、愛を育み、ひっそりと家庭を築き上げる。そんな未来が可能だった。

 これはそのための第一歩だった。

 

「ミズナ……。オレと一緒に来てほしい……」

 

「……強引」

 

 手を取る。

 

「お前と離れたくはないんだ。強引にもなるさ」

 

「イタチぃ。あ……う。ひど……い。ひゃっ……あ、あ、大好き」

 

 息も絶え絶えに漏らされる甘い声に心が揺さぶられ、漂う甘い匂いが脳に響く。理性の必要はなく、彼女の柔らかさと温もりにはもう触れている。なされるがままに身を震わせ、自身に犯されようとしている彼女こそ、一番に綺麗だった。他は何もいらないとさえ思えてしまう。

 

「ミズナ。オレは、もう、お前なしでは無理だ。一緒に居よう」

 

「私もイタチと……ぉ――( )

 

 言葉は続かない。

 

「なっ……」

 

 消えた。

 目の前にいたはずのミズナが、まるで陽炎(かげろう)のように姿を消した。

 

「ハァ……ハァ……。酷いじゃない。イタチ……。おかげで『影分身』が一つ無駄になったわ……」

 

 後ろからの声。

 振り向き、彼女を見つける。

 

 膝をつき、地面に手をつき、ガクガクと動くこともままならないようだった。

 顔を赤くしたまま、潤んだ瞳でこちらを見つめている。

 

 さっきまでの彼女が『影分身』なら、感覚がフィードバックしての結果だろう。

 

「ミズナ……」

 

「ダメ! 答えはノー! アナタと一緒には行かない!!」

 

 ようやく気の抜けるような感覚から立ち直ったのか、彼女はスッと、立ち上がる。

 

 その態度には不満が湧いた。

 

「お前の『影分身』は受け入れようとしていたが……」

 

「し、しらないったら、しらない! アナタと一緒には行きません! ベーッ……だ!」

 

 苛立つ。この苛立ちは、期待した展開から外れたことで生まれたものだった。

 彼女は自身と共にあらねばならないと思う自分がいた。彼女もそれを望んでいるはずだった。

 

「お前に断る理由があるのか?」

 

 それを聞き、彼女は頬を膨らませる。

 

「ふん。そんなことを言っていられるのも今のうちよ? これから全部話すわ。アナタに隠してきたこと全部……!」

 

「隠してきたこと……か」

 

 なんとなく、察しはついていた。彼女のことを理解するにおいて、足りないものばかりだった。それはわかる。

 それを今まで補おうとはしてこなかった。自身の弱さに目を向けるようだったから……なのかもしれない。

 

「ええ……そう。私がどれだけロクでもない人間か。生きる価値なんてないのか……。アナタはどう思うのかしら……」

 

 自嘲と憂いがこもっていた。そんな彼女を見ていたくなどない。だが、目を逸らさず、彼女を見つめる。それは、それが己に課された義務のような気がしたゆえ。

 

「ああ、覚悟はできている」

 

 果たして彼女は何を抱えているのか、隠しているのか。たとえ望まないものが突きつけられようとも、それは自らが向き合わなければならない。

 今まで、見ないようにしていた、考えないようにしていた、そんな現実であろうとも。

 

 そして、彼女は語り出した。

 

 

 ***

 

 

 まず、最初に言わなければならないことがあるわ。あれが全ての始まりだったと言ってもいい。

 

 私の母親のこと、覚えているかしら? ああ、ミコトさんのことではないわ。私の産みの親、と言った方がわかりやすいかしら。

 

 ええ、そうよ。あの、私の家で起こった事件で殺されていたあの母親。

 

 まあ、この際だから言っておくけれど、母親を殺したのは私。

 え? あのとき私は他人から幻術にかけられてたって?

 ふふ、違うのよ。他の誰かに操られていたわけでもない。なんの言い訳もない。あのとき私は()()()()()()幻術をかけたわ。

 

 

 ――私が怪しまれないために。

 

 

 なぜ? なぜ殺したかって、私は私の親が疎ましかった。

 アナタの場合もそうだったでしょ? 味方は私だけだった。

 疎ましかった。その原因は……血の繋がった親だから、かしら。だから殺した。それだけ。

 

 それと、それと、どうやって、自分に自分で幻術をかけたのか、アナタならわかるでしょ?

 そう。『影分身』。そのために覚えたと言っても過言ではないわ。私は母親から逃げるために、『影分身』を覚えたの。

 

 私の真意を知らない忍者学校(アカデミー)の教師のおかげで、準備は整った。私は子どもだし、幻術をかけられたのなら容疑がかかる心配もない。

 こうして、私は、なんの障害もなく母親を殺してみせた!! もう、ほんとに、あっけなく……。

 

 まあ、でも、その結果として、『特別な眼』が手に入って、ちょっと焦ったわ。

 事実がバレれば、だれかが狙って私を襲うかもしれない。そこで一計を案じた私は、一つ演技、というか、悪ふざけをすることにしたわ。

 

 右目は、対象の時間と質量と空間を、自在に操る幻術。

 左目は、有を無に、無を有に、世界を錯覚させる幻術。

 

 『月読』と『夜刀』。それが私の固有瞳術だった。

 

 新しい力よ? 使ってみたいとは思わない?

 だから、私は私自身にかけてみたわ。

 

 うん。その結果があの〝仮面〟ね。

 私自身は全てを忘れて純真無垢に。そして、汚れた部分は全て『分身』に押し付けたってわけ。

 目が見えなかったのは、幻術でそう思い込まされていただけね。

 

 ええ。それが、幻術『夜刀』の力よ?

 世界を騙す。そういう幻術なの。

 ああ、そう。偽物の死体もこの幻術のおかげ。

 

 そして、まあ、百パーセント真っ白な私は、アナタの家に引き取られて行ったってわけね。

 

 ああ、いちおう言っておくけど。私はアナタのことが憎くて、憎くて、憎くて、たまらなかった。

 理由は、私よりも優秀だったからよ? わかる? 私はプライドが高かったの。

 

 それはそうとして、物事はうまく進まない。

 私のこの計略は、バレていた。誰にって、そりゃ、ダンゾウに。

 

 そういうわけで、ときたまダンゾウの言う通りに動いたことがあったってわけ。私の起こした事件の真相をバラさないという約束でね。

 人使いが荒いんだから、ねぇ。

 

 どう? 幻滅した?

 これが真相よ。

 私は、ずっと、アナタのことを騙してたってわけ。

 

 さあ、戦いましょう?

 

 私は、サスケ以外の、うちは一族を殺せって、命令を受けているわけ。

 だから、私はアナタを殺すわ? 

 

 覚悟は――

 

 

 ***

 

 

「――いいかしら?」

 

 彼女は言った。その声は、いつも増して凄みがある。そんな彼女を見ようと、そんな彼女の独白を聞こうと、心には響かない。

 

 彼女の行動の理由は支離滅裂。目的さえ不明瞭。

 真実がそこにあるとは到底思えない。

 

「いいはずがないさ。なんと言われようが、オレはお前を愛してる」

 

 彼女のためなら、もうこの世界も捨てられると実感した。

 なによりも、里よりも、彼女のことが重かった。彼女の死を体感したせいで、なにかが狂っている。それがひどく心地よかった。

 

「なんのつもり? 私がアナタを愛しているっていうのも、好きっていうのも、ずっと味方でいるっていうのもぜんぶウソ。ウソ、ウソ、ウソ。ウソなんだから……」

 

 それを言う彼女は、とても苦しそうだった。

 真に受けることなど出来ない。

 

「ミズナ……」

 

「ああ、でも、セックスは気持ちよかったわ。……すごく。でも、それだけ」

 

 ただ快楽に溺れていただけだと彼女は言った。

 

 数え切れないほど繰り返したそれも、彼女の無頓着な接触から始まるものが多かった。それを合図に、抑えきれない情動に身を任せていた。

 

 何度となく行われ、それでも彼女はそんな無頓着な触れ合いをやめなかった。どうなるかわからない彼女ではないのだから、同意の上ということは、わかっていたが、それでも認められない。

 全てを自制心のない自身のせいにして、彼女の意思を無視していた。向き合うと決めたはずだが、逃げていた。そんな時期もあった。

 

「いや、オレはお前の愛に助けられた。それは事実だ」

 

 彼女は常に支えようとしてくれていた。

 それゆえ、彼女にこれほどまでに夢中になれている。

 かつては世界の平和を望んでいたが、彼女が居てこその平和なのだと気付かされた。

 

「だーかーらっ……偽物なの! 全部……。ぜんぶ……っ!」

 

 地団駄を踏み、彼女は言う。

 彼女がなにを言おうとも、彼女との日々は崩れ落ちてはいかなかった。

 

 里を抜けるなら、無用な争いは避けた方がいい。そして、これ以上、時間をかけるというのも悪手だろう。

 

「ミズナ……。とにかく、お前のことは連れて行く。話はそれからでも構わないか?」

 

「ちょっと! 言ったじゃない! アナタのことを殺すって……。それとも、私のことは後回しってわけ。ねぇ、イタチ?」

 

「…………」

 

「ねぇ?」

 

「わかった。今、話そう」

 

 彼女と暮らす以上、無用な不和は避けたい。

 やはり、彼女のことを後回しにすることが、後々に大きな禍根を残していく一番の悪手だった。

 

「はぁ……とにかく……。アナタとはカラダだけの関係なの。そして、私はアナタを殺せる……!」

 

「オレは、そうは思わない」

 

「私なんか、足下にも及ばないって言いたいわけね? なら、やってみせようじゃない!!」

 

 彼女は手裏剣を取り出す。

 身構える他ない。

 

「ミズナ……なぜ、オレを殺そうとする?」

 

 ここで、うちはイタチを殺し、彼女が得られるものは果たしてなんなのか。

 もし、彼女がより良く生きるためならば、うちはイタチを利用すればいい。彼女の行動にはチグハグさしか感じられない。

 

「そんなの、私がアナタのことを……アナタのことを……とにかく、殺すの!!」

 

 なんらかの術でダンゾウに操られている可能性がある。

 呪印か、あるいは幻術か。それならば、正気に戻す必要がある。

 

「ミズナ……!」

 

「うるさいっ! 邪魔、しないで……っ!!」

 

 気持ちのままにか、手裏剣を彼女は投げつける。

 だが、その全てはあさっての方向へと飛んでいく。

 

 なにかを狙っていることはわかる。

 ゆえに、なにかをされる前に仕留めることが定石だろう。

 

 駆け、ミズナのもとへ向かう。彼女には、負けるわけにはいかなかった。

 

 距離を詰める。

 彼女が得意なのは、中距離。そして、時間差攻撃を好む傾向にあり、仕込みの時間を与えるほどに――( )時間をかけるほどに厄介になっていく。

 

 使える忍術は、『影分身』に『火遁』、そして『風遁』もだろう。近距離に秀でてはいないが、一通りこなせるタイプだった。

 

「悪いが、容赦はできない」

 

「上等よっ!」

 

 とはいえ、彼女に深い傷を与えることはできない。手加減というわけでもない。彼女が傷つけば、そこに自身の動揺が生まれる。それを彼女に突かれる可能性があった。

 こればかりは、意志の力でどうにかなる問題ではない。

 

 彼女は忍刀を振るう。風遁のチャクラを纏い、切れ味が増幅させられていることがわかる。

 

 彼女のことだ。風遁チャクラで刃渡りを伸ばすことは可能。後ろに下がれば避けきれない。

 

 袈裟懸けの太刀筋。右に重心をかけ、上体をズラして躱す。

 足払い。跳び、逃れる。

 空中に浮いた身体を狙った突き。彼女の肩に手を置き、無理やりに身体を反転させることで避けきる。

 着地ざまに首狙いの横薙ぎ。伏せ、すり抜け、懐に潜り込む。

 

「やっ……」

 

 首もとを掴み、体重をかける。

 体勢を崩すまいと、そちらの方に意識を割いた隙を狙い、空いた手で彼女の右の手首を掴み、忍刀を取り落とさせる。

 

 一つ突き崩してしまえば脆い。

 なに一つとして彼女にリカバーさせないまま、胸部を地面に押さえつけ、腹部にまたがり、完全にマウントを取る。

 

「安心しろ……。すぐに戻してやる」

 

「……私、どこかおかしいの?」

 

 そのあり方は歪だった。まるで信頼しているかのように、彼女は抵抗をしなかった。

 問題は、どうやって彼女を直すか。

 

 強力な幻術をかければ、全てがうまくいく。だが、果たして瞳術勝負で彼女に勝てるか。

 

 幻術『夜刀』――( )彼女の使う正体不明なこの幻術は、自らの『万華鏡写輪眼』の瞳力をもってしても見破れない。今、押さえつけている彼女が本物かすらもわからない状態だった。

 

 だが、もう片方の眼は『月読』だと彼女は言った。自らの持つ最高の幻術も『月読』。同じ瞳術で勝負して勝てるか否か。

 

 熟考の末、彼女の右眼を手で覆う。

 彼女の『月読』を発動させないためだった。

 

 『眼』を合わせる。

 

 ――『月読』を発動させた。

 

 

「ハズレね……」

 

 

 そんな声がした。

 

 

 視界が黒に覆い尽くされる。

 なにも、見えない。

 次に消えたのは音だった。空気の流れる音も、呼吸音や、心臓の鼓動の音さえ聞こえない。

 

 感じていたはずの圧力が消える。温度さえ分からなくなる。痛みなど以ての外で、触覚が奪われていくのだとわかった。

 もはや、こうなると、脳の出した命令通りに身体が動いているのかという疑いが生まれてしまう。

 

 彼女から香る匂いもない。新しく味を感じることもない。

 身体がバランスを保てなくなることがわかった。

 

 肉体から、感覚が乖離していくような幻覚に襲われる。

 もう、何秒経ったさえ分からない。

 自らの持つ時間という概念が、指標をなくして崩れ去っていくことがわかる。

 なにもわからない。

 

 自分という存在が削ぎ落とされていくことがわかる。

 有を無に、その幻術の真価がおそらくこれなのだろう。自我の崩壊が始まっていた。

 

 まるで溺れているかのように。光の反射する水面から遠ざかっていくかのように。

 

 自分というものが信じられなくなる。

 自らを自らたらしめるものは何か。幼き頃から掲げる〝夢〟か。忍という在り方か。

 

 だが、自らの行く末はどうだろうか。里を抜け、果たせるものはあるのだろうか。

 取りこぼして、なにも掴めず、それは自らの在り方に反するのではないだろうか。

 

 自分のことが信じられない。自分とは何かがわからない。

 ここで全てを手放しても、なにも変わらないのではないかと思えてくる。

 未来に希望があるかすらもわからない。

 

 もう、意味がなかった。

 進んで来たのは、人を殺し、人を裏切る、そんな道だった。いつからか、そんなことばかりを任されていた。

 どうしようとも、自らは光の中を歩けない。

 これからの生で、一体なにが成せるというのか。

 

 

 ――おい……イタチ……!

 

 

 だれかに呼ばれた気がした。

 確か、もう、死んでいるはずの……。

 あの後に、言われた言葉を思い出した。うちはイタチは死んだ者以上の人を救える英雄になるべきだと。

 

 

 ――イタチ。

 

 

 包み込むような優しい声だった。記憶の底から蘇るのは自らの母の声だった。そんな母は父の味方で、その代わり自分には味方として――( )

 そんな優しかった母のことも含めて全てを忘れてしまえば、きっと楽なのだろうと思えた。それでは自分でいられないとも。

 

 

 ――イタチ……。

 

 

 もうその名前が誰のものが認識できないほどに自分が定まらない。それでも、その声が父のものであることがわかった。

 仲違いをしたままだった。考え方は違ったかもしれないが、いまさらながら、同じものを目指していたのだろうと思う。だが、結末はもう変わらない。

 

 

 ――イタチ!

 

 

 自身のことを案じてくれた友がいた。

 最後こそ違えたが、一番の友は、親友はシスイだった。

 だが、彼に託されたことは……もう、なにも……。闇の中、手探りに進んだが、結局は……。

 

 

 違う――まだ、残っているものがあった。

 

 

「イタチ……っ!!」

 

 

 手を伸ばしていいか戸惑う。

 何としても、失くしてはいけないものがあった。

 

 木ノ葉を抜けることになろうと、たとえこの世界から疎まれようと――( )彼女だけは。まだ完全に零れ落ちてはいないのだから。

 

 もう失わない。それは、願いだった。

 

 だれかに背を押されている気がした。

 

 一度、白紙に戻されて、苦しみの中から自らの在り方が再構築されていく。盲目に愛に狂ったわけでなく、冷静に、手に掴むべきものを考えた結果だった。

 

 

 深く息を吐き、吸う。

 結末を変える方法が残っていた。気づかないフリをしていただけで、方法はあった。

 

 感覚が戻ってくることがわかる。

 もう、後にも戻れない。

 

 まるで浮上するように、現実へと回帰する。

 

「イタチ……っ! ごめんなさい……っ。私なの……っ、私が悪かったわ……。だから、死なないで……」

 

 乱れた涙声で、彼女は懇願していた。

 彼女の膝の上に、頭を乗せられているのだと気がつく。

 視覚も触覚も聴覚も嗅覚も戻っていた。彼女の匂いは変わらなかった。

 

「ミズナ……」

 

「イタチ……ごめんなさい。私……どうかしていたわ……。アナタのいない世界なんて考えられないのに……アナタを殺そうとして……」

 

 涙を流しながら、彼女は言った。

 

 『月読』で見せた幻術で、彼女に自らを殺させた。それだけだった。

 うちはイタチを殺したと誤認させ、彼女を命令から解放するための策だった。

 

 うまくいって良かったとまず安堵する。

 そうして心を取り戻した彼女が、あの感覚を失う幻術を解いてくれたからこそ、こうして戻ってこれた。

 

 ここまでが考えた通りだった。

 

「泣くな……。オレはここに居る」

 

 手を伸ばして、彼女の涙を拭う。これから全てにカタをつけなければならなかった。

 

「イタチ……。私、アナタに一生ついていくから……っ。ずっと、一緒にいよう?」

 

 そんなことを彼女は言った。

 

「いや、そうもいかなくなった……」

 

「そう、残念ね。どこまでアナタは見えているのかしら……?」

 

 声は違う場所からだった。

 すっ、と朝霧のように労ってくれた彼女は姿を消してしまう。

 わかっていたことだった。

 

 起きると同時に飛び上がり、投げつけられた忍刀を躱す。

 滞空、手裏剣に囲まれていることがわかる。

 何手先まで読めているのか、彼女が最初に仕掛けた手裏剣だった。思わず笑みがこぼれてしまう。

 

 秘められたチャクラ量から考えて、風遁の仕込み刃が展開される。

 それを加味して、余裕を持って攻撃を避ける。一度見てしまえば、大したことのない術では――( )

 

 咄嗟に右眼にチャクラを込める。

 

 火を纏った手裏剣が一つ混じっていた。

 風の刃が噛み合って、手裏剣は円形に何重かの列を成し、そして、隙間なく。囲まれてしまっている。

 

 風遁チャクラは火を運ぶ。

 

 ――『火遁・(つむじ)()()』。

 

 炎は一瞬にして広がり、今にも我が身を覆い尽くさんとす。

 間に合うか間に合わないかは、紙一重。

 

 ――『天照』。

 

 黒が赤を塗り替える。

 風遁チャクラを導火線に使うのならば、それを先に焼き尽くせばいい。

 黒い炎は赤い炎さえ飲み込み、焼き尽くしていく。

 

「ウソ……。今の手順で完璧に仕留められたはずなのに……」

 

 驚愕に顔を染める彼女の姿が見える。

 動揺しているとわかる。

 狙うなら今だった。

 

 生半可な術では通じない。

 もう一度、右眼にチャクラを込める。

 

 視点発火で、その発動から攻撃までの速度は他の術に追随を許さない――( )それが『天照』という術だった。

 故に、発動前の予備動作から、彼女は回避行動に移る。

 

 跳んで、右に避けた。

 

 同時に『天照』を中断する。消耗するチャクラ量から、容易に使える技ではなかった。

 代わりに、印を結ぶ。

 

 こちらを確認し、彼女は慌て、空中で『風遁』を使い急ブレーキをかける。

 着地。

 

「きゃん……」

 

 そして、最初の『天照』で脆くなった床板を踏み抜く。ここまでが予定通り。

 ここで有効な一手があった。

 

 ――『水遁・水飴拿原』。

 

 あの悪辣な『風遁』からの『火遁』を防いだ『天照』にて焼き切った床の穴へと、水飴を注ぎ込む。

 床下が水飴で満たされていく。

 

「きゃっ、なにこれ……っ!? イヤっ……ドロドロ……ベトベト?」

 

 ここまでくれば、詰みも同然だった。

 そんな粘性の高い液体の充満した床下から彼女が這い上がってくる。水飴に濡れたその姿は、いつにも増してその色気を振り撒いていると思えた。

 

「ミズナ……降参しろ……」

 

「イヤよ……。私に、こんなことして……っ!」

 

 立ち上がり、彼女はこちらを睨みつける。

 返答は、予想していた通りだった。

 

「そうか……」

 

 クナイを一本、放った。

 当然のように、彼女は躱し――( )

 

「あっ……」

 

 ――尻もちを突いた。

 

「水飴だ。この『天照』の熱で、すぐに乾いて固まる。……ミズナ……もう、いい加減にしろ……っ」

 

 彼女がもがく度に、水飴は彼女と床とを接着する。

 そして、彼女は抵抗をやめ、大の字に床に寝転ぶ。

 

「イタチ、楽しい?」

 

 唐突な、そんな問いかけだった。

 

「何を言い出す?」

 

「ふふ、だって、ねぇ。不自然だとは思わなかった? 女に興味なんてなかったアナタが、急に私を抱きたくなるだなんて……」

 

「いったい、なんだ……?」

 

 近づいて、彼女を見下ろす。

 もう抵抗をせずに、自嘲げに笑う彼女は戦意を失っているかのようにも思えた。

 

「だから、『別天神』よ? シスイから、私が奪ったのよ。そしてイタチが、私のことを抱くように仕向けた」

 

 彼女は言った。自らが、うちはイタチの意思を歪めたのだと。

 たしかに、シスイの遺体を回収したのは彼女だった。ありえない話ではなかった。

 

「お前が……っ!?」

 

 それは、死者への冒涜で、許されるべきことではなかった。

 シスイの最期の願いは、彼女により、踏み躙られたのだ。

 

 そして、『別天神』の結果があの夜だと、信じていたものが崩れ去っていくようで、どうしようもない虚しさと憤りに駆られてしまう。

 

「ねぇ、イタチ? どうする?」

 

「…………」

 

 

 ――クナイを振り下ろす。

 

 

 わかっていた。彼女を今、ここで殺すしかないと。

 それが、自らが、里に残れる道だった。

 この、一族虐殺の犯人は、うちはミズナで、そうやって決着をつけることができる。

 

 長い戦いだった。一族の誇りという、見えない敵との長い長い戦いだった。

 天才、うちはミズナは、うちはマダラと同じ『万華鏡写輪眼』を隠し持ち、機を計らって一族を皆殺しにしようとした。達成をする寸前に、うちはイタチに阻まれ、討たれる。

 シナリオはこうだろう。それで、この戦いに終止符を打てる。

 

 本当に、終わりだった。

 

 

「やめて、イタチ……。お腹に子どもがいるの……」

 

 

 ――躊躇ってしまう。

 

 反撃は一瞬だった。

 すぐさまに体勢は入れ替えられる。

 彼女相手に僅かな油断さえ命取りだと、忘れたわけではなかった。

 

 絡みつかれるように、すっかりと拘束される。

 

「……体の自由は奪っていたはずだ」

 

 完全な優位が崩されている。

 彼女ならば、それも当然なのだと分かっているが、疑問は疑問だった。

 

「情欲に駆られると、人は単純になるものね……。首、腰、そして胸、かしら……」

 

「それが、どうした?」

 

「『夜刀』よ? 無を有に見せかける。この私にくっついてる水飴は幻術。本物は、なんとか、チャクラで弾くことに成功したわ」

 

 ――水面に立つ要領ね。

 

 チャクラコントロールに長ける彼女ならば、それくらい、できて当然なのかもしれない。

 

 こう、組み付かれては、打つ手がない。

 

「オレを、殺すのか?」

 

「いいえ、冗談。呪縛はイタチが解いたじゃない? 私の自殺の名演技への意趣返しだったかは知らないけど……」

 

「…………」

 

 彼女のいない世界は耐えられなかった。

 それは彼女も同じだと、わかっていての一手だった。

 

 彼女は純粋な少女のように笑ってみせる。

 

「まず、『月読』で私への愛に浸らせて、『夜刀』で直ぐに私への愛以外を削ぎ落とすの。こんな里、出て行って、そして、ずっとずっと一緒にいる。私たちの子どもと一緒にね……っ。これで私たちは、ようやく愛に溺れて愛に死ぬことができる……! 素晴らしいでしょう?」

 

「ああ……そうだな」

 

 それはとても魅惑的だった。

 彼女のことは幾たびも愛し、そしてそれがどれだけ素晴らしいかを知っている。

 なんの(しがらみ)にも囚われずに、彼女だけを愛し続けられたのならば。その人生は想像もつかないほどに()()()()なのだろう。

 

 できることなら、そんな人生を歩みたかった。

 

「終わりよ――?」

 

 彼女は右眼で、こちらは左眼。鏡合わせにタイミングを完璧に合わせる。

 

 ――『月読』。

 

 彼女の『影分身』の欠点――( )感覚を共有することにより、痛みが本体に届いてしまうことだった。そして、おそらく幻術さえも、本体に還元される。

 

 呪縛を『月読』で完全に解けたことからの仮説だが、試す価値は十分にある。

 

 チャクラの消耗は、こちらの方が多かった。

 幻術勝負に勝てると踏んで、彼女もこの勝負を挑んだのだろう。

 

 だが、彼女にだけは、負けるわけにはいかなかった……。


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