今は昼だ。真昼間だ。だというのに、私は布団をかぶって寝ているのだ。
「……お水いる?」
「うん、ありがと」
可愛いサスケはオロオロしながら、そんな私の顔を覗き込んでいる。そんなサスケからコップを受け取った。
いい子に育ってくれていて、少し泣けてくる。
水を一気に喉の奥まで流し込んだ。なかなかに生き返る思いだ。こういう時って、やっぱり水分は大事だよね。
「だいじょーぶ?」
「大丈夫だよ、サスケ。ちょっと、身体がだるくて、おもくて、つかれて、動かないだけだから。休めばすぐに治るだろうし、心配いらないよ」
そう言って、頭を撫でてあげる。
それだけで私の心は癒されていく。まだ起き上がれそうにはないが、だいぶん回復したようには思えてしまえた。
「じゃあ、明日はまた遊べる?」
「うん、あそべる遊べる。もう、お姉ちゃん、元気になれるから」
「じゃあ、約束」
「わかった。約束する」
「やった。へへ」
空のコップを手にとって、リズム良く、嬉しそうにサスケは部屋から出て行った。
こんな約束をしてしまったからには、本当に明日には良くなっていないといけない。
今の私なら不治の大病だろうが跳ね除けられる、そんな気分だった。
病は気からって言うし、こういうのも、きっと大事な心持ちだろう。
どうしてこんなことになったかはわからない。
数時間前――あれは、ミコトさんの手伝いで、洗濯物を干しに行ったそのときだった。
いつものように鼻唄を歌いながら作業をしていた私だ。別に何も異常はなかった、そのはずだった。それまでは体調も良好だった。
だというのに、急にフニャフニャって、力が抜けたんだ。ワケのわからないまま、私は地面に倒れこんで動けなくなった。
第一発見者はサスケだ。
私を見つけて、〝どうしたの?〟って、まず尋ねてきた。
頑張って、声にならない声で返事をした私。タダならぬ様子を察したサスケは、迷わずにミコトさんに応援を要請してくれた。的確な対処だった。
そうして、家の中にまで運ばれたのだけれど、肝心の原因が分からなかった。
いや、下された一応の診断はある。軽いチャクラ切れらしい。
確かに考えてみれば、手裏剣影分身の術とか、そういう生活に便利な術は使っている。だからって、そんな辛くなるほどにまでチャクラを酷使した覚えはなかった。
別に、火遁を使って洗濯物を早く乾かそうとしたワケじゃないし。してたワケじゃない。
とにかく、原因不明の体調不良で、私はこうして寝たきりになっていた。
こんなに辛いのはいつ振りだろう。
そういえば、イタチが私をお持ち帰りしたとき。あのときは、気絶しちゃったっけ。チャクラ切れって、大変なんだよね。
いま思えば、あのときイタチが病院に私を連れて行ったりしたのなら、いま私はいないかもしれない。
そう考えたら、イタチのその行動には感謝をしなければならなかった。お持ち帰りされてよかった。
そうやって、人生を少し振り返っていると、戸がまた開く。またサスケかな、と思ったが、今度は違うようだった。
「具合どう?」
「だいぶ良好です」
やっぱり、どうしてか敬語になってしまう。
ミコトさんは私のお母さんだ。それは間違いない。でも反射的にこうなる。意識しないと、イタチと話すようにできないのは、私の中の不思議の一つだ。
「ねぇ、無理してない?」
「ううん。イタチと比べたら、私なんか全然がんばってないよ」
実際にそうだ。イタチは日々、Dランク任務に勤しみ、終わったらシスイと修行をする。
それに比べて、私は働きもせず家事をこなすだけの毎日だった。せめて、その家事だけでも一人前に行えたらいいのに。
「いいえ、そんなことない――!」
ピシャリと、ミコトさんは私の思考を遮った。
よく透る真剣な声で、自身を卑下していた私はさらに萎縮してしまう。
「――あなたは……ミズナ、あなたはよく頑張ってる」
名前が呼ばれた。それだけで私の心は惹きつけられる。染み渡ってくる。
こんなことを言われてしまえば、素直に受け取ることはできず、反論したくなるのが私だ。
「……でも」
「いいえ。わかる? あなたが来て、部屋の隅々までとっても綺麗になったのよ」
目立たないところまで、とことん掃除をしないと私の気は済まなかった。
別に潔癖症というわけではない。
もとから綺麗だったから。そこまでしないと意味がないと思ったから。
もちろん、影分身のおかげで作業効率だっていいし、他に支障が出るほど時間をかけてはいない。妥協だってしている。
「そんなこと、ないから……」
「ふふ。それだけじゃないわ。ご飯を作る時間だって半分以下になったし、サスケの面倒だってちゃんとみてくれてる。たまに、私がいなくてもいいんじゃないかって、思う時もあるもの」
冗談めかしてそう言われる。気を遣ってしまわれていると、少し気持ちが暗くなる。
料理をしたってミコトさんと同じ味にはならないし、サスケはそもそも良い子だ。
大して私は頑張っていない。自分自身をそう思っていた。
ミコトさんだったら、きっともっと上手くやるんだと、そう思う時が何度もあった。
「それは……」
「それが悪い事とは言わない。私も見習わなきゃって、感じるし……でも、そんなに焦る必要はないでしょう?」
――見透かされていた。
この家に来て、眼のない私が、こんな家に来て。私の想像した以上に幸せだった。
代償のない幸せは脆い。私には働いていないという負い目があった。
眼のない限り忍は無理だし、他の仕事についても大きく制限される。そんな私のやってもいいこと、それが家事だった。
なにもしていなければ、幸福に押し潰される。こんな私が幸せであっていいのだろうかと、見放されてしまわないだろうかと、そんな不安に駆られていく。
だから、私にできる限りの全てを、こうやってやり遂げようとしてきた。心の奥底にある最大の懸念を振り払おうと、焦っていた。
私の髪の毛を梳かす手があった。慈しむように優しく、壊れ物を扱うように丁寧に、私の頭は撫でられていた。
「全く、あなたもイタチも……こういうところがそっくりなんだから……。本当に兄妹ね」
首を傾げる。
こういうところ、それが何を指しているのか分からなかった。私とイタチに似ているところなんてあるのだろうか。
ただ、困ったように漏らされた、最後の台詞。それを聞いただけで、私は満たされていった。もう叶わない〝夢〟。それに手が届いているようで嬉しかった。このために私は生きているんだと思えた。
「もう、休みなさい。たまにはお母さんに甘えてもいいのよ?」
その言葉には抗えない力があった。
温もりを感じる。寄り添ってくれている。私は心の底から穏やかに眠ることができる。
***
帰路。
うちはイタチにとっては少し気まずいものだった。
つい先ほどまで行われていた一族の集会。そこでのイタチの発言は、一族の人間の神経を逆なでするものが大半を占める。
見過ごされるわけはなく、何度かイタチは促されて謝罪を行っていた。
その後ではどうしてもこうなる。
隣を歩く父はどう思っているだろう?
きっと、良くは思っていないはず。それでもイタチには、一族の代表として、父がどう自分を見ているのかが完全には理解できない。
「最近、任務はどうだ?」
「問題はない」
「そうか」
言葉なく歩く中、唐突に振られた会話。元来、無口である二人の間では、大抵こうなる。
必要以上に語らない。最低限のやりとりのみで会話が成る。
「簡単な任務ばかりと聞くが?」
「ええ、下忍ですから、当然でしょう」
「そうだな」
どうしようもなく、距離が開いてしまう。父親ではあるものの、イタチにとっては気を抜ける相手ではなかった。
「中忍試験は残念だったな」
「……また次があります」
「ああ、次こそはか」
落ちたというわけではない。そもそもの、それ以前の問題だった。
うちはイタチは中忍試験に参加することができないでいる。
中忍試験に臨むには、担当上忍の許可が必要不可欠だった。
通常は
つまるところ、イタチの担当上忍である水無月ユウキという男は、この第二班のイタチ以外――出雲テンマと稲荷シンコが未熟であると、頑なに参加を拒んだ。そのため、今回の中忍試験は見送ることとなってしまった。
「大名の警護任務はいつだったか……?」
「三日後です」
「……上手くやるんだぞ」
「いえ、まだ決まったわけではありません」
年に一度、成績の最も良い下忍の班が受けられる名誉な任務だ。正式に受ける班が決まるのは二日後の前日。
もちろん、守護忍十二士や、暗部のものたちも同時に護衛につく。形式上、といったところだった。
イタチの成績は目覚しい。いくどとなく班を救い、下忍とは思えないほどの力を発揮してきていた。
日々鍛錬を
「謙遜することはない。さすがオレの子だ」
いつものように、そうやって褒められる。
そんな素っ気ない会話をしている内に、家へと辿り着いた。
もともと、この里の端に追いやられた口実の一つだ。家と南賀ノ神社とは、それほど遠くない距離になる。
「ただいま」
そうやって、帰りを知らせて家に入る。後ろから、遅れて父も。
そうすれば、いつものように、家の奥から母が顔を出した。
「お帰りなさい」
母の服の裾を摘んで、一緒にサスケが出迎える。
その光景に違和感を覚えた。
「サスケ、姉さんは……どうした?」
いつもなら、〝おかえりー〟と軽い口調で、サスケと一緒に現れるはずだった。彼女がここに来て、一度たりとも欠かしたことのない習慣である。
あの不幸な少女に、なにかが起こったのかもしれない。そう思えば、気が気でなかった。
「兄ぃ、来て」
そう、サスケがイタチの袖を引っ張った。おそらくは、彼女のもとへと連れて行ってくれるのだろう。
なされるがままに着いて行く。
そうして入った彼女の部屋。布団に入ってグッタリしている彼女がいた。
「お帰り、イタチ……」
いつもと違い元気がない。起き上がることもせずにそのまま、迎えの挨拶をする。
こんな様子の彼女を見ることは初めてで、少し新鮮だった。
「ただいま、ミズナ……。どうした……風邪か?」
「よくわからないけど、チャクラ使い過ぎたときと同じ感じなんだよね。前よりもなんか少し酷いけど」
「チャクラ……? なんの術を使ったんだ」
例の手裏剣影分身のように、彼女が知らぬ間に術を覚えている。忍としてのセンスは抜群だった。
けれど、彼女は忍になる気はない。あんな事件さえなければ、と普通ならば悔やまれる。しかしイタチにとって、それが好都合なことだった。
忍の数だけ戦は生まれる。優秀な忍が減れば、それだけ争いが世界からなくなる。
そしてなにより、彼女にはもう辛い思いをしてほしくはなかった。
「火遁を少々……」
「火遁……?」
「……でも、そんなに使ったつもりはなかったんだけどなぁ」
なにがあって、火遁を使おうとしたのかはわからない。ただ火遁は、うちは一族が長けた忍術の一つで、彼女が使えることについては何もおかしくない。
しかし気味の悪さを感じる。忍になることを拒んでいる彼女が、こうして忍術の腕を磨いているのだ。
どうしても、あの、卒業の日の夜のことが頭を過ぎった。
深く追及したかった。けれど、今はサスケがいる。
忍術に興味があるのか、火遁という言葉に反応して、姉に教えてとせがんでいた。
こんなまま訊けば、きっと前のようにとぼけられてしまうのがオチだろう。
少なくとも、サスケがいる今、出す話題ではないことは確かだ。
「えー、火遁なら、兄さんの方が得意でしょ?」
そう、彼女に話を振られた。サスケは期待で目を輝かせて、こちらを向く。
「じゃあ、兄ぃ、教えてよ!」
そんなサスケに手招きをする。
パッと表情を明るくした。トテトテと、こちらへ駆け寄って来てくれる。
「いて……っ」
指を二本、額の位置に用意していた。
一心不乱にこちらへ走ったサスケの目には入らない。自身の進んだ力によって、勢いよく跳ね返った。
「うぅ……」
「許せ、サスケ……また今度だ。もうすぐご飯だろう?」
「イタチ……酷い」
無邪気なサスケを見ていたら、ついやってみたくなった。そんな泣きそうな弟をかばってだろう、彼女には非難されてしまう。けれども後悔はない。
「ミズナ、お前はどうする?」
「どうするって……ああ、ご飯ね。もうちょっと寝てたいかな」
言葉が少なくとも意を汲み、求めた返答をくれる。彼女との会話はイタチにとって楽なものだった。
それだけに、彼女がどんなことについて言いたくないのか、わからないフリをするのか、手に取るようにわかってしまう。
「わかった。母さんには?」
「それなら、もう伝えてあるから」
「そうか」
訊くまでもなかったようだ。
恨めしそうにこちらを見つめるサスケを連れて、食卓まで向かう。用意をする母の手伝いをし、夕食になった。
彼女の様子も心配をするほどのものではない。ひとまずは安心して、イタチは次の任務に備えるのだった。