「イタチ、イタチ! ねぇ、今日、ちょっと付き合ってよ」
あの夜から数日が経った。彼女はあれから、あのおかしな様子を見せてはいない。
それどころか、あのときの会話について尋ねても、斜めに首を傾けるばかりだった。
いったい何だったのか。夢だったのかと思いもした。けれども、現実感を伴いながら、あの記憶は頭の隅に媚びりついて離れない。
とぼけているだけかもしれない。彼女なら、あり得る話だ。
早くどうにかしなければならない。そうでなくては、取り返しのつかない事態になってしまう。そんな嫌な予感がした。
「どうした、ミズナ?」
「ふふふ、ふふ、ちょっとね!」
いつも通りの彼女の無邪気さに、心が落ち着く。修行をしに玄関で靴を履いていると、彼女から話しかけてきた。
彼女が誘うなんて珍しい。うちは一族は狭い。彼女が外に出るたびに、彼女の噂を聞いた住民は同情をむける。
感覚の鋭い彼女は、不快感を、というよりも悲しみで傷ついていることが、一緒にいて、手に取るようにわかってしまう。
そのせいかはわからないが、母さんは〝やることがなくなって、困っちゃうわ〟と、嬉しそうにぼやいていた。
「シスイと約束しているんだが……」
やんわりと断りを入れる。彼女がどのくらいの意思を持ってそう誘っているのか見定める意図もあった。不用意に傷つけることは避けたかった。
「じゃ、キャンセルして。いっつも会ってるんでしょう? だったら私を優先してもいいじゃん」
ワガママを言うように、腕を掴んで擦り寄ってくる。ね、と念を押しながら、上目遣いで見つめてくる。
「わかった」
「やったー!! ありがとう、イタチ!」
彼女は喜びではち切れんばかりの笑顔を見せた。
出会ったときから、こういう無邪気で率直なところは何一つ変わっていない。
イタチはため息をついた。
「それで、どこに行くつもりだ?」
「まぁ、それは後で。とりあえず、シスイのやつに挨拶しに行かなきゃでしょ?」
「それもそうだな」
彼女はすでに準備ができていたようで、隣に座って靴を履く。こんなにも用意がいいのなら、先に言ってくれたのなら良かった。
「じゃ、行こー! あ、いってきます!!」
そう言って彼女は家を飛び出して行ってしまった。そんな姿には少しあきれてしまう。
「早く、はやく!」
家の外から彼女は呼ぶ。期待からか、とても声が弾んでいた。
呆気に取られていたため、手が止まってしまっていたが、すぐに立ち上がり、彼女を追う。
彼女は立ち止まって、待っていてくれていた。
「二人で出かけるのって、いつぶりかな?」
「初めてじゃないか?」
偶然はちあわせたり、修行をしていて後から彼女が押し入ってくることは、いくどとなくあった。
けれどこうして、道中を共にすることは初めてのはずだ。
彼女は寄り添って、はにかみながらも、いつものように腕を組んでくる。
この動作には意味があった。目が見えない。周りのことがわからないと、そう思われている彼女が、不自然に思われないためのアピールだった。
特異に思われないために。不和を生まないために。彼女がそう望んでいるからこその行動。
だからイタチは、甘んじてエスコートに徹している。
「そっか、初めてか……。けっこう付き合い長いけど、意外だね」
「あぁ」
最初に会ったのは四歳のとき。それから七歳である今まで彼女とは付き合ってきた。
三年。短くも思えるが、今のイタチにとっては、人生の半分にも近い。共に過ごした時間で言えば、サスケともいい勝負だ。
それでも今の今まで、二人で出かけたことがなかったのは、考えてみれば少しおかしな話とも思えた。
「道、わかるんだな?」
歩いていると、逆に彼女に引っ張られて、進路が何度か変えさせられた。
相変わらず、目的地に真っ直ぐは進まない。何かを避けるようにして、彼女は道を選んでいる。
「うん、イタチのこと、追いかけてたことがあったから……」
シスイとの修行の場所は、他人には秘密にしてあるはずだった。向かう際も、細心の注意を払っていたことには違いない。
けれどそれも、彼女には通用していなかった。己の未熟さを痛感する。それと共に、彼女の感知能力の高さに感服した。
「どうして追いかけたんだ?」
「いや、お弁当、届けようと思って……。でも、コソコソしてるし、迷惑かなって。……だからいつもサスケと分け合ってるんだ」
「……そうか」
意地悪に訊けば、彼女は困ったように答えてくれる。
善意によった、悲しいエピソードだった。少しでも疑った自分を責めたくなる。
「だったら、もう遠慮しなくていい」
「えっ?」
「隠す必要もなくなったわけだ」
もうどうせバレている。
「やった! じゃあ、今度、ちゃんと届けにいくね!!」
彼女が作る弁当には、一切の妥協がなかった。しかし、彼女が起きてから、イタチが出て行くまでの間に作り終えた試しがない。
待とうと思ったこともあったが、ただの練習だから気にしないでと、気を遣われて外に送り出されてしまっていた。
そして、いつも、おにぎりを持って出かけている。別に不満はなかった。
「あぁ、期待してもいいんだな?」
「もちろん!!」
それでも、どんな凝った弁当が作られているのか、楽しみではないわけではなかった。
***
崖の上。下には川が流れている。
ここがシスイとの約束の場所だ。
「なあ、イタチ。なんで、その子を連れてきたんだ?」
「私はミズナだよ! 自己紹介したでしょう!」
「ああ、それはすまなかった」
シスイとイタチ、それ以外はこの場所を知らない。
それ故に、シスイにイタチは怪訝な目で見つめられる。
「それで、イタチ、どういうことだ?」
「
「それにしては、ずいぶん仲が良さそうだが」
疑いは晴れない。当たり前だ。
イタチは、彼女に腕を掴ませている。見た目ではイタチが連れてきたように思えるのだ。
しかし、彼女の実力についてはシスイも知るところ。ため息をつき、簡潔に述べる。
「ずっと前からだ」
「ずっと……前? どのくらいだ……」
「えっと……、四ヶ月くらい?」
彼女はそう口を挟んだ。シスイは眉間にシワを寄せる。
彼女が料理に興味を持ち始め、弁当を作り始めたのはそれよりも前。おそらく適当に答えているのだろう。
「本当か? 気配を感じたことはないぞ」
「ふふ、私は気配を隠すのが得意なんだぁっ」
嘘だ。見つからないくらい遠くから、こちらを感知していただけだろう。
しかし、彼女のことをよく知らないシスイは、その偽りを見抜けない。
「はあ、参ったなぁ。これが噂の、うちはミズナか」
「噂の?」
「ああ、あの無口なイタチがよく喋ってた」
彼女のことは、確かになにかと話題にのぼっていた。主にあの事件のことではあるのだが。
それを嘘がないように、面白おかしくシスイは切り貼りをする。
「イタチ、いつも、かなりお前のことを気にしてるんだ。修行の合間の雑談にもお前のことばかり言う」
サスケのことも、同じくらい話していた自信はあった。
「私の……?」
疑問を口にしながらも、彼女はどことなく嬉しそうにしていた。これでは否定することもできない。
「ああ、うちはミズナにどのくらいの忍としての才能があるかとか、写輪眼があったらどうだったとか、そんな話を……」
「シスイッ!!」
思わず大声を出して咎めてしまった。
彼女が『眼』のことでどれだけ傷ついているかはわかっているつもりだ。それだけに、彼女の前でのこの話題は、不謹慎きわまりかった。
「イタチ……。別にいいよ?」
弱々しい声でその本人がなだめてくれる。震えは腕を通して伝わってくる。
落ち着くために、息を整えようとするが、シスイは構わず続ける。
「そうそう、この間はまだ取り返せるかって、話題だったな……」
その瞬間、時間が止まったような気がした。
――それだけは知られたくなかった。
それを聞いた彼女に、なんと言われるかはわかっている。
彼女は両手で肩を掴んで、顔を正面に向かい合わせて、きっと言
「大丈夫、私は大丈夫だから」
――と。
あのときから、ずっとイタチの負い目だった。彼女が『眼』のことで、悲しそうな顔をするたびに、あのときの光景が思い浮かぶ。
彼女だって、そのせいで外へと思うように出歩けていないはずなのに。
彼女のその言葉には、どこか妙な腹立たしさを覚えてならない。
なんと言われようと、イタチの考えは揺るがなかった。
そっと、手を伸ばして、肩を抱く。そうすれば、彼女は胸に飛び込んで来てくれる。
「それで、わざわざどうしてここに来たんだ?」
気まずそうに尋ねるシスイに、イタチが答えるよりも早く、彼女はイタズラっ子のような笑みを浮かべる。
「イタチを持って行くから。ちょっと挨拶に……ね?」
そう言って、シスイに意地の悪い笑みを浮かべる。
シスイはやれやれと肩を竦めた。
「デートってやつか……。羨ましい奴だな」
白々しい。向こう数週間はこの話でからかわれてしまうような、そんな嫌な予感がした。
そんなイタチの思いとは裏腹に、彼女はやけに上機嫌だ。待ちきれないと言ったように、イタチの腕を引っ張ってくる。
「用も済んだし、行こ?」
楽しそうな彼女を見れば、これから降り注ぐ災いなど、どうでもいいことのように思えてくる。
ただその元凶である兄貴分は、無駄に力強く、イタチの肩を叩いた。
「せいぜい上手くやるんだぞ?」
その言葉の意味を全て推しはかり、イタチはしっかりと頷いた。
***
森の中。イタチと初めて会った森だ。
ここにはずいぶんと長い間、来ていない気がする。最後に来たときのことは、もうよく覚えはしていない。
昔は家が近かったけど、今はそんなことないし。イタチの修行の場所も、もう違う。
それでもやっぱり、来るのならばここだった。
「それじゃあ、イタチ! 行っくよー!」
いつかのときと同じように、私は的を持っていた。
これからイタチは下忍になる。だから、それまでにイタチの実力を確かめておきたかった。私はどのくらい離されているのだろうか。
「あぁ、来い!!」
片手に二個ずついっきに四つの的を投げる。空を舞い、普通ならばありえない軌道を描く。
イタチ曰く、これはチャクラの力らしい。私がこんなにも自由に的を動かせること。無意識にチャクラを練り上げ、的に馴染ませることで実現した。
回転をする的は私の思うがままに動き、イタチを翻弄する。
「まだまだ行くよ……!」
さらに四個、的から手を離した。
合計八つ。要するに、いつもの数だ。
それぞれがそれぞれ、不規則なまま空をかけ、予測することは不可能に近い。
それがわかるのは、投げた本人である私くらいだ。
打ち上げられた的は八つ、同時に高度を落としていく。一つでも、当てられずに地面に落ちたら私の勝ち。
ここでイタチは、指に挟んで、両手で計八本のクナイを構える。
わかってるよ。これではダメだ。
私が的にどんな動きをさせようと、イタチはその全てを見切り、見事に当ててくれる。
ならば私は、次の手を打つ。
新技を披露してあげるよ。そのために誘ったんだ。
「手裏剣影分身の術!!」
「なに!?」
手裏剣じゃないけど、的は分身し、数を増やす。
この術、原理としては、なにもおかしなことはない。発想としては、実にありふれたものに当たる部類であろう。
『影分身の術』。これは私が、あの短い
少し忙しいときに重宝する。今だって、サスケの面倒は分身が見ているはずだ。
それで、まあ、『影分身の術』を使っていたら、普通は気がつくことだと思うが、服とか、身に付けているものも増える。分身が消えたらなくなるけど、とにかく増える。
まあ、大きなものだったりしたら、さすがにチャクラが消費され過ぎて辛いけど。
それで、実体はあるから、使うのには大した不便はしない。包丁を身に付けたまま影分身とかして、本体の切れ味が落ちないようにできるし。欠点といえば、耐久力が低いくらいかな。
『影分身の術』を考案した二代目様は、きっと素晴らしい忍だったんだろう。とっても日々の生活を豊かにしてくれている。
ともかく、普通ならば思うはずだ。別に自分自身を増やさないでもいいから、物だけ増やせないかなって。
自分自身を増やしたら、チャクラの減りとかシャレにならないし、効率が悪いもんね。
というわけで、練習してみたらできた。まあ、『影分身の術』ができるんだし、別になにもおかしな事ではないはずだ。
あとから、『手裏剣影分身の術』っていうのがあるのを知って、ビックリしたけど。
「ふふっ」
私はなにもせずにただ家にいたわけではないのだ。日々、どうすれば家事が効率良く上手くいくのか考えている。どうすればみんなに褒められるかを考えているのだ。
今日だって、イタチにこれを見せびらかしたいがために、ここまで来た。そのために、誘ったんだ。
この的当てには暗黙の了解がある。一つの的に対して、一本のクナイ。何本も投げて当たったって、何の意味もないから。
だからイタチは、的一つにつき一本。それで本体を撃ち抜かなければならない。
「くっ、止むを得ない……」
イタチはいったん目を閉じる。諦めたのか、そう思ったがそれは違う。イタチに限って、そんなことはない。
風のざわめきを感じる。チャクラの流れが何か変わった。次に開いたその目
「……写輪眼……」
いつ、開眼したのだろう。私にはわからないことだった。
写輪眼の開眼条件。それも私にはわからない。
写輪眼。それは私にとって、ふわふわとした記憶の中にしかなく、気がついたらなくなっていた、よくわからないものだった。
私には、私の一族が、何を誇りにしているのか、よくわからなかった。
それでもいいやと私は思った。家族がいれば、それでいい。
そうしてイタチはクナイを投げる。
チャクラの流れが見切れる。すなわち、影分身かどうかがわかるということ。
写輪眼に対しては、こんな小細工、無意味だということだった。
投げられた八本のクナイ。揺れる分身の的の合間を縫って、本体へと簡単に突き刺さる。
どれが本物かわかっていても、これは簡単なことじゃない。やっぱり、私ならできないと思う。
そんなイタチの実力に、私はもう悔しさを覚えない。
なんだか、我がごとのように嬉しくなってきてしまう。
「いつの間にこんな術を?」
「昨日、完璧にできるようになったんだ!」
「そうか……」
なにかイタチは深く考えているようだった。
私には、改善点とかそういうものなく、文句なしのパフォーマンスだと思えたんだけど。
「ねぇ、イタチ。これから、どうする? せっかくだから、甘い物でも食べに行こう!」
「ああ、それがいい」
イタチは甘い物が好きだ。私も甘い物は好きな方だ。そういうわけで、こうなるのは当然の流れだった。
「それにしても、ここは変わらないな……」
そう言って、イタチは膝をついて、なにかを見つめる。そこには棒のようなものが地面に突き刺してあった。
心がざわめき立つ。
「ねぇ、早く行こ。イタチ」
「あ、あぁ」
そうやって、無理やりに、逃げるように、この場所から立ち去った。
***
ゆらゆら、ゆらゆら。
私はさまよう。
ゆらゆら、ゆらゆら。
「ふぁ〜、眠い」
「お前から呼んでおいて、それはないのではないか?」
「だって眠いし」
真夜中。
みんなみんな眠っている時間だもん。
「して、何の用だ……?」
「ん……。ちょっと、お仕事ほしいかなぁ、って思って」
ゴシゴシと、私は目をこすって言う。
「何が目的だ?」
「自己犠牲……かな」
そう言って私はウインクをした。
考える。男はよく考える。
そんなにすぐに、私を信用できないかぁ。
「ふん、ではお前に任務を与える」
「え……っ?」
「……なにか不満か?」
「あっさり過ぎるから……」
つい戸惑った。
不思議だ。不思議だ。どういう風の吹き回しだろう。
「ふん、では任務を与える。二度と言わんぞ?」
「はぁい」
どんなお仕事かな。私にちゃんとできるかな。
「うちはイタチの監視だ」
「いつまで?」
「お前かイタチ、そのどちらかの命が尽きるまでだ」
食えない。とっても食えないやつだった。
「わかったわ」
まあいいや。今は従っておいてやろう。別段、不利益はないし。
ああ、眠い。目が閉じそうだ。