「え……?」
ローズの口から出た言葉にリアリナは思わず体を硬直させた。
ヒューマンデブリ。
今さっきローズは自分の事をそう呼んだ。
ヒューマンデブリとは二束三文の値段で人身売買される孤児達のことで、その呼び名は宇宙で集めた屑鉄のような値段で取引されていることに由来する。
戸籍が抹消されていて社会的に死んだも同然の存在であるヒューマンデブリは、人ではなく登録書を持つ企業や個人の「所有物」として扱われている。この状況から逃れるには、金で自身を買い戻すか登録書を自分で手に入れるしかないが、現実的には相当困難であった。
ヒューマンデブリとなる孤児の事情は様々だが、貧乏なコロニーや火星のような地域で貧困と治安の悪化により浮浪児となった者も多い。 その様な環境のせいかヒューマンデブリとなった孤児達は教育もまともに受けられず読み書きもできない者が多く、買い取られた後は過酷で危険な重労働を行う労働者か海賊や民兵組織の元で戦う少年兵になる場合がほとんどである。
リアリナは自分が知っているヒューマンデブリの情報を思い出してからローズを見る。
まだ知り合って数日しか経っていない関係だが、それでもリアリナはローズがヒューマンデブリで、シシオがその所有者だとはとても思えなかった。彼女の目に映るシシオとローズの二人は、軽口を叩きながらも互いを信頼している対等なパートナーであった。
でもそれは単なる錯覚だったのか?
実際は対等なパートナーではなく、主人と奴隷の関係でしかなかったのか?
そんなことをリアリナが考えていると、彼女の考えていることが分かったのかローズが明らかに不機嫌そうに眉をひそめる。
「一応言っておきますが、シシオ様は私をヒューマンデブリだからと差別したことなんて一度もありませんからね? そもそも私の登録書は五年前にシシオ様から渡してもらっているのですから」
ローズはそう言うと、自分の懐から首にかかった鎖と繋がっている小さなスティック型の記録媒体を取り出して見せた。恐らくはそのスティック型の記録媒体が彼女の登録書なのだろう。
「え? 自分の登録書を持っているの? じゃあ何で……?」
すでに自分の登録書を持っているのに自分の事を「シシオの所有物のヒューマンデブリ」と言うローズの言葉にリアリナが戸惑っていると、ローズはガンダム・バルバトスの修理用のパーツをイサリビに送る作業に戻りながら口を開いた。
「誰が何と言おうと私はシシオ様の所有物、ヒューマンデブリなのです」
リアリナに……というよりも、むしろ自分自身に言い聞かせるようなローズの言葉に、リアリナは好奇心を刺激されてためらいがちに訊ねた。
「あの、さ……。何でそこまでシシオの所有物であることにこだわるの? いや、その……、訳を言いたくなかったら別にいいんだけど……」
「…………………………あまり面白い話ではありませんよ?」
十秒程沈黙した後でローズはそう言い、訊ねてみたけど答えてくれるとは思っていなかったリアリナは驚きながらも首を縦に振った。
「う、うん! それでもいいから聞かせて」
「そうですか……。私とシシオ様が初めて出会ったのは今から六年前、私が十二歳の頃です」
ローズは作業を続けながらシシオと出会った時の事を話始めた。
☆
ローズがリアリナにシシオと出会った時の事を話していた頃、名瀬もハンマーヘッドの応接間でオルガ達にシシオとの出会いを話していた。
「俺達がシシオと初めて会ったのは今から五年前。きっかけはテイワズの傘下にあったとある組織とシシオが揉めたことで……その時シシオはまだ十二だったかな?」
「じゅ、十二歳の子供がテイワズの組織とトラブルを?」
名瀬の言葉にその状況を想像したビスケットが青い顔になって思わず呟く。
ギャラルホルンと事を構えた鉄華団も似たような状況なのだが、それでもビスケットは自分がその時のシシオの立場であればとても持たないだろうと思った。
「まあ、あれはシシオと組織が揉めたって言うより、その組織が一方的にシシオにいちゃもんをつけていたんだけどな」
名瀬は身内の恥をさらすような苦い顔となりながら続きを口にする。
「それでその揉め事のきっかけになったのが、シシオの助手をやっているローズっていう嬢ちゃんなんだよ」
☆
「私は今はもう廃棄されたコロニーの出身で、十歳の頃に親だった人に一晩の酒代……と言うより缶ビール一本ぶんの値段で売られ、ヒューマンデブリとなりました」
作業を続けながらローズは自分の過去を淡々と話す。その声音からは何の感情も感じられず、恐らくはその「親だった人」にはもう親子の情など全く持っていないだろう。
そしてそれは父親に愛され、愛してきたリアリナにとってはとても衝撃的であった。
「ヒューマンデブリとなった私はとある民兵組織に買われるとモビルスーツのパイロットにされました。それから二年後、私は海賊との戦闘中に機体が破壊されて宇宙を漂流していました」
「え? 宇宙を漂流って……誰か助けに来てくれなかったの?」
リアリナの言葉にローズは首を横に振る。
「あの時の私の機体はほとんど大破していました。機体の損傷が少なければ機体を回収するついでに助けてもらえたかもしれませんが、使い物にならなくなった機体とヒューマンデブリなんて捨てられて当然です」
「そんな……」
あまりにも酷い話の内容にリアリナは表情を歪ませるが、ローズの方は過ぎた事と割り切っているようで作業と話を続ける。
「機体が壊れて身動きが取れなくなった私はどこかのデブリ帯に漂着しました。そしてパイロットスーツに内蔵された酸素が残り少なくなった時に私を助けてくれたのが、ガンダム・オリアスに乗ってデブリ帯のジャンク品を回収していたシシオ様でした。シシオ様に助けられた私は、彼と彼のお父様と一緒にジャンク屋として活動しました。……ですがそんな生活の一年後に彼らがやって来たのです」
そこでローズは作業の手を止まて唇を噛みしめた。
☆
「ローズの嬢ちゃんの所有者ってのは当時テイワズ傘下の民兵組織だったのさ。それでその組織の奴ら、自分達で見捨てておきながらローズの嬢ちゃんが生きているって分かったら、シシオの所に乗り込んでローズの嬢ちゃんの身柄と『自分達のモビルスーツを壊した上にパイロットのヒューマンデブリを盗んだ賠償金』とか言ってべらぼうな大金を要求しやがった」
「はぁ!? 何だよそりゃ?」
名瀬がそこまで言った時、ユージンが立場や場所も忘れて納得いかないといった表情で声を荒らげる。しかしこの場にいる全員もユージンと同じ気持ちだったようで、オルガ達は顔をしかめて黙り、名瀬とアミダは苦笑と微笑みを浮かべて彼を咎めたりはしなかった。
「納得いかないって? まあ、その時のシシオも納得いかなかったようでな。シシオは組織の奴らに一つの賭けをもちかけたのさ」
「賭け、ですか?」
「そう、賭けさ」
オルガが訊ねると名瀬は先程の苦い顔とは逆の面白そうに笑みを浮かべた。
☆
「シシオ様が組織にもちかけた賭けとは、その時の私の値段と組織が言う賠償金を合わせたお金の二倍以上の金額を十日間で用意するといったものでした。そしてお金を用意できればそのお金で私を登録書ごと買い取り、用意できなければ私を初めとする全ての財産を渡すという条件で賭けは成立しました。……それでその全ての財産にはガンダム・オリアスも含まれていました」
「ガンダム・オリアスも?」
辛そうな顔でローズが語る賭けの内容にリアリナが驚く。
ガンダム・オリアスがシシオにとって最も大切な宝物であるのはリアリナも知っていた。それを賭けに負けた時の担保にするのは一体どれだけの覚悟だったのだろうか?
「それからシシオ様は小さな宇宙船に採掘用の資材と一台のモビルワーカーを載せるとデブリ帯へと向かいました。ジャンク屋のシシオ様はデブリ帯から値打ち物のジャンク品を探しに行ったのです。そして賭けを開始して九日目にシシオ様は帰ってきたのですが……」
そこでローズは一旦言葉を切ると、ここではないどこかを遠い目で見ながら呟いた。
「デブリ帯から帰ってきたシシオ様を見た時は、私達だけでなく歳星の人達が皆、驚いていましたね……」
☆
「ある日突然、歳星に正体不明の戦艦がやって来てな。しかもその戦艦、船体はボロッボロッなのにエンジンの辺りは元気に動いている奇妙な艦で、一部には『幽霊船が出た!』って言って騒ぐ奴もいたぐらいだ。でもよく調べてみるとその戦艦には微弱な生体反応があって、艦の天辺には漢字で『大漁』と書かれた旗があったんだ」
「そ、それってもしかして……」
楽しげに話す名瀬にクーデリアが強張った笑みで訊ねるとアミダが頷く。
「そう、シシオさ。あの子はデブリ帯から厄祭戦時代の壊れた戦艦を見つけて、それを動けるように修理してから持って……いや、乗って帰ってきたのさ。しかもその戦艦の中には同じくデブリ帯で見つけて修理したモビルスーツが十機載せてあったんだよ」
「……失礼ですけど、それってマジですか?」
「当然だろ?」
「嘘なんか言ってどうするのさ?」
『…………!?』
色々な意味を常識外れな話にオルガが呆然とした表情で聞くが、名瀬とアミダに平然と返されてオルガ達は絶句する。
「とにかく戦艦のエイハブ・リアクターと十機のモビルスーツを売った金は、賭けに出た二倍の金額どころか二十倍の金額になってシシオは賭けに勝ったって訳だ。それでその話を聞いたマクマードの親父はシシオを気に入って屋敷に呼び出してな、その時シシオを迎えに行ったのが俺なんだ。そしてマクマードの親父シシオに『親子の盃を交わさないか?』と言ったんだが……くくっ」
そこまで言って名瀬はその時の事を思い出して笑いをかみ殺す。
「アイツ、あの時何て言ったと思う? 『ごめんなさい。俺、まだ子供だからお酒は飲めません』だぜ? いやー、あの時は俺もマクマードの親父も一瞬呆けた後、笑った笑った。ハハハッ!」
大声で笑う名瀬だったが、話を聞いているオルガ達は驚きのあまり目を見開いていた。
「まあ、シシオの奴は色々と面白い奴ってことだ。お前達も会ってみたら気に入ると思うぜ?」
☆
「そう……。それでシシオは手に入れた登録書を貴女に渡して自由にしたってわけね」
「ええ。ですけど私はシシオ様の所有物のヒューマンデブリです」
リアリナの言葉にローズは頷いてから自分をヒューマンデブリと言う。しかしローズの表情は自分を卑下するものではなく、むしろ誇るような表情であった。
ローズは胸元にあるスティック型の記録媒体、五年前にシシオより渡された自分の登録書を両手で握りしめる。
「シシオ様がいなければ私は六年前に死んでいました。それだけでなくシシオ様は私に、命の他にも沢山のモノをくれました。……だからこれは全てシシオ様の為に使うモノなんです」
「………ローズはシシオの事が本当に大切なのね」
「当然です」
リアリナの呟きにローズが即答する。
「シシオ様を守る為ならば私はどのような事だってします」
「……その為なら私の命、あの『悪魔』に捧げる事もためらいません」