前回のアンケートで、バーボン視点を望む声が意外とあったので書いてしまいました。宮野姉妹とのデート話の方が需要が多かったのですが、うん。……プロットは出来ているので、すぐに上げるように頑張りますので許してください。詳しくは活動報告で懺悔します。
今回の注意事項。
・バーボン+松田さん(前半だけ)の三人称視点。
・前回の話の補完が大部分
・読まなくても次回への差支えはない。
・勘違い……かなぁ?ぐらいのふわっと感
・かっこいいバーボンさんはいない。いないったらいない。
・安定のキャラ崩壊
・くすぶる不穏の影
・書き直すかもしれない。
・なんでも許せる方向け。
おっけー?ではどうぞ。
がやがやと賑やかな居酒屋。勤め先から割と近いその場所はここのところの松田のお気に入りだ。何より飯が美味い。忙しい独身男の実情なんぞ所詮はこんなもんだ。顔の良さは仕事の忙しさと性格の尖りで相殺される。悲しいかな世の中。
居酒屋の座敷席で同期の男と二人、遅めの夕食をとっていた。ビール一杯だけの酒精は明日への活力だ。その同期の男の名を萩原 研二といい、松田とは警察学校からの腐れ縁で友人の一人だ。
「そんで?なーんで、今更異動届なんて出したのよ。陣平ちゃんは」
見た目のチャラさと同等の軽口で、何度目かの疑問を萩原は突いた。この萩原という男は見た目は女好きの優男だが、意外と気遣い屋だった。松田はそれにまたか、と顔を顰めた。ちなみに今日の夕食のから揚げ定食への箸は止めない。
「別にいいだろ、そんなの」
「よくないっつーの。俺とお前で他部署からなんて言われているか、知ってるか?」
「知らね」
「“爆処のダブルエース”、期待のルーキーってな」
素っ気ない松田の返しに、萩原は前のめりで説明する。大ぶりの萩原のリアクションに元々機嫌の悪い松田は鋭い眼光で萩原の行儀の悪い箸を睨んだ。箸で人を指すな、行儀の悪い、と。視線に気づいた萩原はばつの悪そうな顔で引っこんだ。
「……もうお前一人で大抵どうにかなんだろ。つーか、どうにかしろ」
「おーぼー!陣平ちゃんったら、冷たいのね。しくしく」
「酒に酔ったか、水でも被ってきたらどうだ」
「ひでぇ!!」
松田の言い分の雑さに萩原は芝居がかった仕草で嘆いた。おい手でしなをつくるな気色悪い、という気持ちを込めた松田の冷たい視線に萩原はひでぇ、とげらげら笑う。本当にコイツ素面か?きつめの洋酒とかキメて来てないよな?
「そもそも、“ルーキー”って感じでもないしな」
「そう?まだまだ、俺はぴちぴちの若さだって自負してんだけど」
「若い奴はぴちぴちを自称しねぇんだよ、諦めな。――それに刑事部に異動を決めたのは個人的な気持ちだからな」
「ん?それはどういう……」
友人同士のじゃれあいからトーンを落とした松田に萩原は首を傾げた。萩原にとって松田程この爆発物処理班の仕事に誇りを持った奴は見たことがない。そんな松田が“個人的な気持ち”という曖昧な表現を使う事に疑問を覚えたのだ。
「お前、四年前から変わったよな」
「そうか?」
突然の松田からの指摘に萩原は疑問符で返す。そんなに変わった覚えはなかったからだ。
そんな友人の様子に松田は一度頷いた。変わったさ。
「勿論、いい意味で、だけどな。前みたいに実力に驕る事はなくなったし、現場での慢心もなくなった。いい意味で慎重になった」
「……松田ぁ、俺もしかして貶められてんの?それとも褒められてんの?」
俺どう反応していいかわかんない、と困った顔で頬を掻く萩原に松田は少し笑った。
「一応褒めてる。……四年前、防護服すら着なかったお前が爆弾を
「……そんなに劇的だった?つーか、変わらない方が可笑しい出来事だし……」
四年前。その一言で通じる二人はそれぞれ複雑そうな顔になった。松田は感慨深さで、萩原は当時の黒歴史を思い返しての苦さだった。
「その時の犯人も捕まっちゃいないし。……最近の凶悪犯罪はテロまがいの爆弾騒ぎも起きたりしやがる」
「そうか……」
「ま、一番の決め手は萩みたいに前に進んでみたかったんだよ。俺は俺なりに、な」
松田のやっと吐き出した移動理由に萩原は暫し茫然とした。松田も少し気恥ずかしさからか、色男の間抜け面だなという揶揄いも飛ばせなかった。なんだこれ。
「そうか!いやあ、陣平ちゃんならどこでもやっていけるって思っていたんだよネッ!」
「手のひら返しが鮮やか過ぎるだろ……。もはやドリル」
すぐににっこにこの笑顔でサムズアップする萩原に松田は冷静なツッコミを入れてビールを
「……でも気をつけろよ、松田」
「あ?」
「悪意はお前の想像を超えて、変化していくのだから」
急に真剣味を帯びた友人の声に松田は目を眇めた。萩原はそのまま続ける。
「恩人からの受け売りなんだけどな」
「……恩人、っていうと人形みたいな綺麗な顔立ちの
「まあな。ってか、よく覚えてたな。お前の前でそれ言ったの一回だけだった気がするけど」
萩原の“恩人”という言葉に松田はすぐに思い当たった事を言った。それに萩原はまいったな、と肩を竦めた。
忘れるはずがないだろ。松田は内心舌打ちした。アレは四年前。二つのマンションに爆弾を仕掛けられ、萩原と松田でそれぞれの爆弾を担当した事件だった。片方は無事、松田が解除したものの、防護服を着ていなかった萩原の解除した爆弾が再び起動するというアクシデントがあった。それは犯人の悪意だった。手元のスイッチで時限装置自体を再稼働させ、残り少なくなった制限時間に絶望させるという悪質さがあった。それをどういう魔法を使ったか、萩原は無傷で生還した。爆弾のタイマーは残り一秒で本当に首の皮一枚の紙一重だった。その事件から一か月したある日、酒を浴びる程飲んだ萩原は泣いた。己の無力さを嘆く慟哭だった。あの日、四年前の事件で何があったか詳しくは知らない。嘆く酔っ払いの口から出た断片だけを知っている。けれど、それが萩原を変えたのは確かだった。言わせてはいけない事を、残酷なことを言わせてしまった、と萩原は涙をこぼしたのだった。
その時の萩原の恩人の特徴が人形みたいな顔立ちの自称・幽霊くんという訳だ。銀色の髪に少女めいた顔立ち、その小さな体には不釣り合いに暴力の影が覗いていた。例えば顔の青あざ、袖からちらりと見える腕に巻かれた包帯。年の割に大人びた、達観した物言い。そして、爆弾を瞬時に解体する技術。一瞬目を離した隙に姿を消す隠密技術。松田は話を聞いた時、アニメか漫画の話かこれ?と判断に迷ったぐらい現実味は薄かった。萩原のあの後悔の慟哭がなければ今も信じなかっただろう。しかも十にも満たない子どもだったって言うじゃないか。
「……その恩人くん、生きてりゃ今頃中学生ぐらいか?」
「そうだな。今度会ったら、礼の一つは言いたいところだけど」
「お。それはいいな。俺も言うかな」
「なんで会った事のない陣平ちゃんが言うんだよ」
つか、なんていうの?萩原の半目の当然の疑問に松田はニッと不敵に笑った。
「そりゃあ、悪友殿を助けて頂きありがとうございました。って真面目に言ってやるよ」
「ぜってぇヤメロ」
※※
ところ変わってバーボンは悩んでいた。少し前に同じ潜入捜査官のスコッチこと諸伏 景光がバレて、死線をくぐり抜けた一件があった。あの一夜の事はなるべく思い出したくない。まあそれはいい。親友の首が物理的に飛ばなくてバーボンとしても悪くはない結末だった。これだけは感謝をしてもいいと思える。が、同時に問題を抱え込むことになった。
ジェネヴァ。あの一夜の勝利者、組織の最年少幹部にして知れば知るほど底の見えない子どもだ。降谷 零としての本音としては子どもなのだから今すぐにでも保護したい気持ちもあったのだがそれもあの一夜を知るまでだ。
今となっては、いつ起爆するか分からない不発弾に接する気分である。弁解するならジェネヴァの行動を全て受け入れてどっかり腰を据える度胸のあるやつなんぞ滅多にいないだろう。ジンとかどうなってんだアイツ。バーボンは思い出した不愉快さに舌打ちをグッと我慢した。
ジェネヴァのアフターフォローは親切だった。むしろ親切過ぎて怖いぐらいだ。バーボンとライの不仲という設定もそうだし、スコッチの変装も後日紙袋とUSBメモリを渡された。紙袋には変装マスクの材料(しかも材料の販売先もいくつかメモされていた)、USBメモリにはジェネヴァお手製の変装技術講座が丁寧に解説されていた。その講座の出来は全くの素人だったスコッチが一か月ちょい経った最近で習得できたぐらい凄かった。なんだあれ。僕も習いたいぐらいだ。
そんなお節介を焼いてもなおバーボンに何も聞きやしない。普通、ここで王手と言わんばかりに問い詰め、いいように利用するのが定石だろうにとバーボンは呆れた。最近では僕はもしや生餌にされているのか? と疑心暗鬼になりそうだった。が、それもNOCを炙り出すには下策だ。世界のスパイや捜査官は味方同士って訳にもいかず、どちらかというと敵の敵ぐらいの認識だ。間違っても味方にはならない。そんな面倒な世界が現状だった。
それよりも今か、バーボンは思考を切り替える。今は仕事の合間、表側と裏側の情報を纏めていた。目につきにくい駐車場の端に止め、ワンボックス車のハッチバックドアを開け細々とした機材から漏れ出る音から必要な情報を抜き出している最中だ。その中に警視庁の無線がある。お昼のニュースを聞く感覚での盗聴はとても褒められたものじゃないが、潜入捜査の立場上、デカい事件が起きた時に知りませんでしたとは言えない。悲しい。
ノイズ混じりの音声は、爆弾事件を知らせる。情報は
と、その時バーボンのジャケットの胸ポケットから振動が伝わった。携帯電話の着信だ。発信者は、と目で追って確かめてバーボンは慌てた。は?なんでここで。急いで情報を垂れ流す機材共を止め、録音だけはしておく。ジェネヴァにはとても聞かせられない内容だった。
「――君か。ご用件は?」
『前に保留していた“貸し借り勘定”、まだ有効?』
電話に出てすぐに切り出されたジェネヴァの切り札にバーボンは苦い気持ちになる。あれを引っ張りだすという事はこちらも相当リスクを覚悟せねばいけない。というか、それ以前にジェネヴァはバーボンを口実なしで好きに出来る切り札をもう一つ有している。
――バーボンもスコッチと同じ“NOC”じゃないか。
この一言で王手として最低限の体裁は保たれる。だが、それは打たないし出さない。ジェネヴァ当人は知らん顔だ。
「…………ええ。大丈夫ですが、何をやらせるつもりですか?」
『――バーボン?』
思ったよりも声に心情が現れたらしい、バーボンは耳元で聞こえる不思議そうな呼び声に舌打ちしたい気持ちで一杯だった。……白々しい。
「なんですか」
『いや、なんでもないよ。――やってほしい事は大した事ない確認作業だよ』
王手を隠して、昔のことを引っ張り出してまで言う事がソレか。
バーボンは嗤いだしそうになった。愉快、というより不愉快さで、だ。
「確認作業、ですか」
『そう。……警視庁あたりに爆弾の爆破予告、届いていない?あれば、その詳細を知りたいのだけど』
はぁ?
ジェネヴァの予想だにしていない一撃にバーボンの頭は揺らされた。ジェネヴァが出てくるって事はやべー事件に他ならない。それこそ、国を揺るがすテロの類であっても驚かないぐらいだ。このままバーボンが何もしなかったら、国民が、同胞が、友人が死ぬかもしれない。空回りした頭がそこまで吐き出すのに要した時間は僅か二秒だ。
「ッ!? 何故、君がそれを……?! いや、それよりも何故僕にそれを聞くのですか」
『……何故知っているか、と言われても……。俺の目の前に爆弾があるからだし。アンタに聞いたのは』
そこで一旦ジェネヴァの静かな声が切られる。バーボンは何を言われるか、心臓から血の気が引く奇妙な感覚を味わっていた。人はソレを恐怖心という。
『アンタが腕利きの情報屋だって思っているからだよ』
は。
耳元で紡がれる、案外子どもっぽい満足気な様子にバーボンの肩の力が抜けた。この子のこういうところ、ほんと勘弁してほしい。
しかし、まあ情報屋、か。ここまでくると清々しいものがある。自嘲の笑みも自然と
「探り屋も情報屋も然程変わりない、という事ですか。――いいでしょう。そういう事ならば協力を惜しみません。それでタイマーの猶予はありそうですか?」
『なかったら、悠長に電話なんてしないさ』
「それもそうですね」
では少しお待ちください、と電話が切る。そしてもう一台のプライベート用の携帯を取り出す。こちらの番号を知っている者は限られていて、その一人が今回の事件に関わっているだろう人物だった。
こちらの番号だったらアイツは絶対出る。松田、と登録した番号を押して、コール音に耳を澄ませる。一、二、三。
『あの世からの電話にしちゃ随分出来過ぎているな』
「馬鹿を言うな、松田。――手短に言う。今、爆弾事件を扱っているな?」
電話の相手、松田の茶化す声にバーボンは、否瞬時に降谷 零の顔になって確認する。降谷にとってもはや確信すらあった。
一拍後、電話口からのため息。
『……ああ、その通りだ。流石、公安。鼻の良さは突き抜けてるな?』
「お前ほどじゃないさ。――で、状況は?」
『状況は、まあ悪いな。俺は爆弾を解体している最中なんだが、犯人の野郎が
茶化しに乗らない降谷の真剣さに松田は折れた。聞かれたことを素直に答えてやる。どうせ時間までやることもない。
「
『ああ。犯人曰く、俺の所とは別にもう一つ爆弾を仕掛けたらしい。爆弾を解除するともう一個の方をドカンと吹き飛ばすんだと。……慈悲でもう一つの爆弾の在処はこちらが爆発する寸前に知らせてくれるらしいぜ』
「それで、今その時間を待っているわけですか」
『情けねぇけどな』
松田の説明に降谷は納得するように頷いた。なるほど、幸か不幸かジェネヴァの気まぐれが役に立ったわけか。……本当に気まぐれだったらいいんだが。
「松田、もう一つの爆弾の在処は分かっている。――少し待ってくれないか?」
『……あ?ああ、いいが』
通話をそのままに、携帯を脇の機材の上において、仕事用の携帯でジェネヴァにかける。……これは一つの賭けだ。
電話はワンコールで出る。早いな、と降谷からバーボンに気持ちを切り替えた。
「貴方の読み通り、もう一件の爆破予告が警視庁にあったようですね。幸い、そちらの方は対応可能な人物が対処しているそうですが……」
『そう。――で、なんか懸念事項でもあるの?』
バーボンは今の緊張が声に表れていない事を祈りながら報告する。対するジェネヴァは至って自然体だ。この子の感情が乱れる場面なんてこれまでにあっただろうか。
「――爆弾の中のセンサーの一つが。タイマーの他に犯人の手元のスイッチ一つで爆発するだろう、と。恐らく、君の方の爆弾もそうなっている。そうですね?」
『なるほど。つまり、こっちとあっち、両方同時に解除する必要がある。そういう訳か』
話が早すぎて、バーボンもビックリするレベルだ。なるほどこれが以心伝心か、ゾッとする。
それにしてもジェネヴァの声があまりにも軽くて、気負いがなさすぎる。死んじゃう……と絶望した様子になるよりかはマシだけど。本当に分かってます?
「――ッ!! 軽く言いますが」
ちょっと緊張感を、ですねとバーボンが説教染みたことを吐き出す直前。
『軽くないよ。――なあバーボン』
耳元で紡がれる静かな声が、今はどうしてこうも冷たく感じるのか。バーボンは無意識に息を潜めた。ジェネヴァとの付き合いが短いバーボンでも悟った。
『どうせアンタの事だから、そっちの爆弾処理している奴と電話、繋いでいるんだろ?俺に代わってくれない?』
あ、これは相手死んだ。犯人はきっとジェネヴァに殺されるんだろうな、と冷静に推測できるぐらい声に殺意が紛れていた。こわ。
意図せずに思惑が達成された時はどういう顔をしたらいいのか。バーボンはしょっぱい顔をしてそっと二つの携帯のスピーカーをオンにした。勿論、周囲への警戒は怠らずに。
※
かくして爆弾は無事解除され、死傷者ゼロ、負傷者ゼロで事件は一応幕を閉じた。一応、という言葉を足したのはまだ犯人が捕まっていないからだ。それでも二人組のうち、一人は拘束してあるのだから、もう一人も時間の問題だろう。ニュースで犯人逮捕を騒がないのは、犯人を迂闊に刺激しないための情報規制をしたからだ。なにせ、今回の犯人は四年前に一度爆弾騒ぎを起こしており、反発の予想がつかなかった。下手に刺激をしたら、警察に捕まった相棒を助ける為にもう一度爆弾騒ぎを起こすかもしれない。それも、大規模のテロを、だ。四年前だって犯人を逃がしたせいで暫く模倣犯もどきの悪戯、脅迫状の対処にてんてこまいだったときく。――警視庁では今度こそ速やかな犯人逮捕に燃えている事だろう。
流石のジェネヴァももう関わらないだろう。今回は彼の気まぐれが上手い事いい方向へ事件を導いたから良かったけれど、組織の教育方針を見ているとその逆も想像が容易い。爆弾?それなら他の場所に放置して高みの見物でもしようか、とか。はー、ほんと組織ってそういうところがある。主にジンの考えがそうだ。
そんなことを考え、久しぶりの非番にバーボンは気楽に街を歩いていた。偶に、こうして活気ある街を散策したくなる。――垣間見える人々の平穏な生活が、降谷 零の職務の根本を思い出させるからだろうか。日本を守りたい、という至極シンプルかつ、難儀な志を。
そんなことを考えていたら、視界に信じられない光景が飛び込んできた。まだ距離があるから見間違いかもしれないけれど、友人とジェネヴァが何やら話しているような……。友人の姿は遠目に見ても腐れ縁故か、判別が可能だ。友人の松田はなかなか特徴ある人間だから。ジェネヴァの方もコートのフードを被っているけれど、ちらりと見えた銀色の髪とあの淀んだ瞳にその可能性が跳ね上がる。っていうか、二人とも距離が近くないか?おい松田、ソイツやべー奴なので離れません?頭を撫でている場合じゃないんですけど?可愛らしい顔している子どもだと油断していると刺されますよ?本気で。
内心の混乱をグッと胸の内に抑えて、二人の元にバーボンは駆け寄る。こんな急いだのは、犯人確保の時以来だ。ちなみに学生時代の百メートル走の自己記録は十秒。それ並みには俊足が出せたと思う。
バーボンがジェネヴァの元へたどり着いた時には松田はデパートへと背を向けて歩いて行ってしまった。しかし、ここまで来てジェネヴァに声をかけないという選択肢はない。
乱れがちな息をこっそり整えて、ジェネヴァの肩を掴む。
「おや?黒野くんじゃないですか。こんなところで何を?」
「バ……ッ!いや安室さん」
がば、とこちらを振り返りジェネヴァはバーボンの偽名を呼ぶ。というか、バってなんですか?バーボン、なら許しますがバカだったらぶん殴りますよ?
「……俺に話しかけるってことは、アンタ暇だね?」
「は?」
何言ってんだ?コイツ。
こちらの了承をとらずに腕をむんず、と掴んでジェネヴァは引っ張る。その有無を言わせない態度にバーボンは流された。しかし内心に溢れる嫌な予感が止まらない。え、何やらせる気なんです?
「お兄さん」
「だからなんだよ、俺はこの売られた喧嘩を――」
ジェネヴァに呼び止められた松田はこちらの姿を認めるとぽかんと動きを止めた。数年ぶりの再会がまさかこんな締まらない場面とは誰も思うまい。
「こちら、探偵の安室さん。超強力な助っ人だから、よろしく」
巻き込む気満々のマイペースなジェネヴァは勝手にバーボンこと安室を紹介している。しかもぽかんと未だ固まっている松田を見て、勝算を読んだのかこちらの脇腹を肘で小突いてくる。畳みかけろ、ということか。はいはい。
仕方なしにバーボンは
「こんにちは。はじめまして。探偵の安室 透です」
「あ、ああ……」
にっこり。営業用の安室の笑顔を松田に安売りしてお辞儀する。折り目正しい、理想的な好青年を演じた安室に松田は衝撃を受けたようだった。歯切れ悪い頷きが返ってくる。まあ警察学校の降谷 零しか知らなかったら衝撃かもしれない。
「そう言えば、まだお兄さんの名前、聞いてないね?」
この子は空気を読まないのか、わざとなのかどっちなんだ。ジェネヴァはのんびりと松田に名前を尋ねる。それに松田は少し考え、口を開く。
「……俺は松田。松田 陣平だ」
「そう。よろしく、お兄さん」
松田の声は嫌そうな、苦い声だった。そんなのに頓着しないジェネヴァの様子に思いっきりため息を吐いていた。お疲れだな、松田と安室は他人事に構える。
「おい、それじゃ名前聞いた意味ないだろ」
「意外と細かいところを気にするんだね、お兄さん」
「ほっとけ」
「はいはい、二人とも。――本題に入りましょう」
他愛ない掛け合いをする二人に安室は割って入る。安室の本音を言わせてもらえれば、ジェネヴァと松田は出来るだけ近づいてほしくない。なんていったってジェネヴァはいつ爆発するか分からない不発弾なのだ。……その能力を正しく使えればどれだけ頼もしいか。無理だろうけれど。
だが、安室の柔らかな仲裁に顔を顰めたのは意外にも松田だった。
「げ。お前それ」
「何か?」
にっこり。しかめっ面に笑顔十割増しで応えてやる。なんか余計な事言ったら、な?分かるだろ。そんな笑顔の圧に降谷を知る松田に伝わったらしい。
「イエナンデモ……」
うん、よろしい。物分かりの良い松田の答えに安室はにこにこしておく。ちなみに外野になったジェネヴァは無言で引き気味であった。言っておきますが性格の個性だと貴方もどっこいですよ。
本題、という言葉に松田は手に持っていた紙片をベンチの上に並べていく。ビックリ箱が小爆発して出てきた紙片、か。幸いにもデパートの入り口の端にベンチが設置してあった。近くにある自販機からお茶をジェネヴァは買っていた。その様子を視界の端に留めつつ、松田の手元を安室は見守っていた。……ふむ、暗号か。
「……自由かよ」
「気にしないでください。彼、ああ見えてもまあまあな人材なので」
「はぁ?お前、何言って」
ジェネヴァのマイペースさに苦言を零す松田に一応フォローをいれておく。組織の人間である前提を知っている安室の言葉は存外冷たく聞こえたらしい。松田は手元から視線を上げ、安室を睨んだ。そこには子どもを巻き込む勝手を憤る真っ当さがあった。安室はそれに敢えて応えない。否、応えようがないが正しいか。
「脱線しちゃダメでしょ。――で、暗号並べ終わったんだ?」
「お前が言うな。――ああ。やはり数か所欠損があるのは痛いな」
ペットボトルを片手に戻るジェネヴァに緊張が緩む。松田は呆れながらジェネヴァに構ってから、暗号の考察に戻る。安室も考察に思考を戻した。巻き込まれたからには早く解決するしかない。
松田が指摘した“数か所ある欠損”とはちぎった紙片を合わせても埋まる事のない穴だ。普通に考えれば、悪戯程度とはいえ火薬を使ってあった仕掛けだ。むしろこれぐらいで済んでよかったとも言える。文章は読めるし、欠けているのは大量の数字の内の数個に過ぎない。……否、これは違うか。この“欠け”こそ犯人の意図だとしたら?
疑問符はすぐに確信に変わる。
「……違和感がありますね」
「やっぱりあんたもそう思うか」
松田もそう思ったらしい。返ってきた同意に安室は口を緩ませた。やはり数年ぶりでも鈍らない友人の推理力は嬉しい。
「ええ、火薬で散り散りになった割に、紙に焦げた跡がないのが一つ。そして、紙片の大きさが統一感があり過ぎる。――ここまで揃えば、この暗号の書かれた紙片が人為的に千切られた、と考えるのが妥当でしょう」
「つまり、数字の欠けも犯人の意図するところって訳か」
しかし、そうだとしたら厄介である。
安室の解説に松田も当然確認するまでもなく考えつく。このA4用紙を埋める大量の数字が犯人の暗号なのだとしたら、数字の欠け程度のヒントで答えを探すのは骨が折れる。何せ、犯人の気まぐれの法則性が隠れている可能性もあるからだ。そうなると地道な法則探しになってくる。肩が凝る作業だ。
「これ緯度と経度、みたいだね」
「「!」」
降ってきたジェネヴァの思い付きと脳裏に走る電撃のような閃きに松田と顔を見合わせる。お互いに同じ閃きを得た事を悟る。
「――なら、後は」
安室の確信めいた呟きに松田は悪童めいた笑みになった。
「「シーザー式暗号の応用!」」
一瞬だけ学生時代に戻ったかと錯覚する感覚だった。が、それはあっという間に脇に置かれる。安室はそのまま暗号の解説を続けていく。が、時間がないので概要のみだ。数字の欠けは緯度経度の並びとシーザー式暗号の区切りだった。どうやら犯人からのヒントだった。
説明を終えれば、ジェネヴァの顔が珍しく顰められていた。
「なぁ、これが本当だとさ」
「ええ」
深刻そうなジェネヴァの声に安室は穏やかに相槌を打つ。
「爆弾、三か所ない?」
ジェネヴァは気まずそうに呟いた。
暫しの沈黙。
思わずスン、と表情が落っこちる。近くの松田も奇しくも同じような表情になっていた。アイコンタクトでせやな、と賛同する。なお、ジェネヴァの前じゃ言えないが、めんどくせーという大人の脱力が含まれている。特に安室は実に数か月ぶりの非番が終了したので尚更だった。非番なんてなかった、いいね?
「そうだな」
「ですね」
大人二人虚無顔で頷けば、ジェネヴァがそっと距離をとった。なんですか、無言でドン引きとか失礼すぎる。
「そうは言っても、爆弾解除のプロがここにいるから平気だろ。――お前らはもう帰っていいぞ。解散な解散」
ここにいる、と自分の胸を叩いた松田はさっと立ち上がる。暗号の紙片は彼のジャケットのポケットにねじ込まれた。おい、証拠品。警察官としていかがなものか。安室は後で説教することに決めた。
てか、解散?爆弾が三か所あるこの状況で?正気か?
「は?ちょっと待ってください」
「安室サンもお疲れ様。――ここからは俺一人で充分だ」
振り返ることなく去ろうとした松田に安室は思わずストップをかける。友人だからこそ分かる。コイツ、本気で一人で解決する気だ。この一匹狼気質が稀に発動するから松田は厄介だ。しかも頑固である。
それを知っているだけに安室は言葉に詰まってしまった。この頑固者の考えを変えるとなるとそれ相応の準備が必要である。
「いや駄目でしょ」
先ほどからずっと黙っていたジェネヴァが動いた。ジッと真っすぐ松田の目を見つめている。
「あ?」
ジェネヴァの静かな、けれど咎める声に松田の背が揺らいだ。そしてそのまま振り返る。振り返ったその顔は控えめに言ってもブチギレていらっしゃる。中学生の不良程度なら裸足で逃げ出すレベルだ。ちなみに松田は警察学校ではヤクザをギャン泣きさせた伝説を持つ男である。
「アンタがどんな神業を持っていたとしても。――“絶対”なんてことはないし、防護服もないんじゃプロだなんて息巻くのもある意味無意味だと思わない?しくじったらおじゃんだもの。それなら手が多い方がいいだろ」
けれど、対峙する相手がこのジェネヴァじゃその程度なんの障害にもなりはしない。平常運転の無表情で松田を煽る。煽っている、んだよな?多分。
まあ、あのジンと話す頻度が高ければ並みの悪党面には耐性がつくのが道理だ。なるほど納得。
「はぁ?お前何言ってんだよ。手が多いもなにも。――そこの優男は百歩譲って手を貸せって言える。が、お前は駄目だ」
松田は額に青筋を浮かべつつ、ジェネヴァに言い聞かせるように諭していた。きちんと真っ当に大人として子どもを危険にこれ以上巻き込まないように線引きしている。
ジェネヴァの実力を知っている身としてはそんな真っ当な心配は出来ないけれど。安室は友人の姿に目を細めた。
「俺が子どもだから?」
「よく分かってんじゃねーか」
ジェネヴァの簡潔な確認に松田は大げさな頷きで返した。清々しいぐらいはっきりしている。安室も成程、と頷いた。正直、このままジェネヴァだけが抜けて貰った方が胃の負担が少ないのは確かだ。
ジェネヴァはふむ、と手を口元に当てて考えるそぶりをみせる。
「なぁ、アンタの最初の問いに答えようか?」
「は?」
「アンタの声に聞き覚えがあるか、って奴」
「は?」
どうやら安室知らない二人だけが分かる事情があるらしい。その簡潔な問答は松田の茫然とした顔に、ジェネヴァの余裕が不穏だった。……どうも嫌な予感が安室の背を撫でる。
ジェネヴァの整った人形みたいな無表情が、崩れた。それは悪辣、その一言が似合う嘲笑だった。造り物めいた美貌が崩れているというのに、それでもなお
「あるよ。アンタの声に聞き覚え。――爆弾の解除方法、結構話せたでしょ?」
他者を圧倒する悪党の姿でジェネヴァは決定打を放った。十三歳にはとても見えない堂に入った悪役顔だ。……やっぱり組織の人間なんだな。
この時の安室の衝撃と言ったら、一言ではとても語り尽くせないものだった。ちなみにコイツ、バラしやがった、という戦慄と怒りが八割を占める。
ジェネヴァは松田に前回の爆弾の解除を協力した(つまりは裏社会の)人間だと盛大に言い放ったのだ。ははは、笑えない。
「……マジかよ」
「マジだとも。――安室さん、アンタもやるだろ?」
あまりの事に頭を抱えた松田にジェネヴァは満足気に頷いた。安室に投げる確認は茶目っ気じみていた。そこにもう悪党の影はない。やれやれ、ここで降りるわけがないでしょう。
「ええ。ここまで乗り掛かった船です。今更下船しようだなんて言いませんよ」
「マジか……」
安室がにっこりとジェネヴァの確認に乗っかれば、松田は更に頭の位置を下げてしまった。頭の上の問題もとい、頭痛の種が大きくなってしまったらしい。気持ちは分かる。
さて、松田も納得したことだし問題解決といきますか。
「じゃあここは三手に分かれますか」
「は?」
「うん。集合場所は犯人がいる場所でいいでしょ」
「ええ」
「え」
さっさと安室が提案するとジェネヴァは素直に頷く。置いてきぼりの松田は放っておいても理解して行動するので放置しておく。
「じゃ解散」
「ご武運を」
「フリーダム過ぎんだろおい」
事が決まれば、ジェネヴァはさっさと担当の場所に走っていった。まあ、彼の場所はここから一番遠い場所だ。
ジェネヴァの走り去った背中が見えなくなってから、げんなりと疲れていた松田に安室は歩み寄った。
「おい、降谷。テメェ、ありゃあどういう事だ?」
「……すみません。
ギロリ、と睨んできた松田に安室は苦笑して
「ふぅん?成程な。……とびきり厄介って訳かい。まあ、いい。俺はあっち行くからな」
「ええ。では、また」
安室の思った通り、きちんと察した松田は嫌そうな顔のまま自分の仕事へと駆け出して行った。
さて、安室も任された仕事はこなさないといけない。走って爆弾の在処へと急いだ。
※
爆弾も解除し、犯人は警備員室で警備員に化けていると推理した安室はさっさと警備員室に向かった。その途中で松田と合流して、更衣室にて本当の警備員も解放した。
「――で、まだついてくるのか?」
「勿論。ここまできて帰るような薄情な男に見えるんですか?」
胡乱げな松田の視線に心外な、と安室は大げさに嘆いてやる。今は従業員専用通路を二人で走っている最中だ。後一分で目的の警備員室に着くだろう。……犯人の命の為にもジェネヴァよりも先に辿り着かないといけない。
「…………ったく、好きにしろよ」
「ははは」
根負けした松田に思わず安室は軽く笑う。なんだかんだこの友人は優しい。
警備員室の扉を松田が開け放った。――豪快だな。
「ッ、なんなんだ!? お前らは!」
「何を今更。――指名したのはそっちだろ。“勇敢なる警察官”、だよクソ野郎」
堂に入った押し入りに目を白黒させる犯人の男――警備員の制服を着た中肉中背の平凡そうな男だった――に松田は吐き捨てた。サングラス越しでも分かる眼光の鋭さなのだろう、と松田の背後にいた安室は推察した。その証拠に犯人の膝が恐怖で笑っている。
「なんのことか分からないな。――それより君たち、ここは従業員以外立ち入り禁止だよ?」
「……更衣室。奥から三番目のロッカー」
往生際の悪い犯人に松田は一歩近づく。ゆっくりとした足取りはさながらチェックメイトを宣言する騎兵のようだ。
松田の端的な言葉に犯人の唇が震える。更衣室の奥から三番目のロッカー、そこには本物の警備員が押し込められていた。もう全て看破している、と犯人も悟ったのだろう。
「――ッ、それ以上近づくなッ!! 近づいてみろ、ここで死んでやるからなッ!! そうしたら世間様が許さねぇに決まっているッ」
追い詰められた犯人は懐から素早くナイフを取り出し、自分の首に突きつける姿は小物の王道過ぎて松田と安室は呆れてしまう。マジか、今時そんなしょぼい奴なかなかいないぞ、と。
「――もう止せ」
「うるさいうるさい!! てめーが悪いんだ!四年前の爆破事件も、この前の奴だってッ」
松田は仕方なしに説得を始める。犯人の男は幼児退行のように駄々をこねていた。が、極度の緊張と興奮で息の荒い様子を見ていると本当に死にかねない。こうなれば膠着状態だ。安室はいつでも動けるように心構えをしておく。
今の時代は人命を尊ぶ価値観だ。それが爆弾を仕掛ける人間だとしても、爆発はしていない現時点では然程罪に問えない。故にこの犯人の人命はまだ尊ばれるものだった。警察官が守るべき国民だ。今はまだ。
「そんな事をして何もならねーだろうが。お前の相棒だってもう自供して罪を償うって言っているんだぞ」
「ッそんな事よりも、あいつをすぐに解放しろッ!!」
意味が分からない事を喚く犯人はパニック状態だ。
「チッ」
松田も埒が明かないと悟ったのか、舌打ち一つして足を一歩踏み出す。
「動くなッ!一歩でも動いてみろ!ここで首を斬って死んだっていいんだぞ」
自分の首にナイフを突きつけて喚く犯人。
駄目か。こうなれば、多少手荒な事をしても仕方ない。安室は松田に合図を送ろうとした。
その時。
がこん、とまるでひと昔のコントみたいに犯人の頭にペットボトルが直撃した。日本茶の500mlペットボトル。持ち主の顔が一瞬、安室の脳裏を掠める。
すかさず松田が犯人を取り押さえる。ナイフを持った腕を肘固めで固定し、犯人を地面にすぐに沈める。肘固めからの足払いの流れが自然で、警察学校の時より腕を上げたなと安室は感心した。
安室は床に転がったナイフをハンカチで拾って回収する。
「離せ!」
未だ芋虫みたいに足掻いて、抵抗する犯人は馬鹿なのか。すぐに拘束している人間の顔を見上げて欲しい。今ならヤクザをギャン泣きさせたやべー顔が見られると思う。
まあ、松田としてもこんな小物に殺されそうになった上に四年前の友人の危機の原因だと知っているのだからその怒りも
かつり。わざと靴音をたてて安室は犯人の前に立つ。
「おや?お気楽な方だ。――自分が被害者になる可能性を除外するとは、随分自信があるとみえる」
かわいそうに。ひっそり犯人を憐れんで安室は
にっこり、とバーボンの顔で微笑む。目が笑っていない、暴力の匂いの拭えぬ裏社会にとっぷり染まった人間の笑みである。
「は?どういう……」
まだ理解出来ていない犯人はポカンと間抜け面を晒している。
「
「お、おい……」
本当に可哀想に。貴方は所詮、小物に過ぎない。知ったところで、選択肢なんてないぐらいの残酷なまでの差がある。バーボンらの頭上に潜んでいる人間はその類だ。その癖に人間らしいところがあるのが救いか否か。
一つだけ言える事は、これから被害者になる可能性に怯えないといけないという事だ。ジェネヴァの目にこの犯人の顔は映っただろう。ジェネヴァは決して仕留め損なわない。やると決めたら絶対だ。
それを少しは感じたのだろう。犯人の顔がこちらに縋るような、渇いた引き笑いになっている。
「貴方はどんな死に方をするのでしょうね」
楽しみですね、なんて平然と嘯くと縋るように見上げていた犯人の頭ががくり、と力が抜ける。絶望、という類の表情を浮かべていた犯人の男に多少同情するが、これも因果応報だろう。他人の命を軽く見るならば、自分にもそのリスクを考えて行動するべきである。そうでなくては、否そうしていても容易くこうして踏みにじられるのだから。
一部始終を見守っていた松田がなんとも言えない苦い顔で犯人の男を立ち上がらせる。
「お前な……。まあいい。今回は正直、助かった」
「いえいえ、この程度なんてことありませんよ」
「じゃ、またな。俺はコイツを連行しねーといけないからな。――アイツにもよろしく伝えてくれよ」
「分かりました」
松田と短いやりとりをして、そのまま犯人を連行する背中を見送る。安室は扉が閉まるのを見守ってから上を見上げた。
「そろそろ、降りてきては?」
「ん。……本物の警備員さんは無事かな」
促せば、すぐにジェネヴァが天井から降りてきた。身体についた埃を払いながら、意外にも本物の警備員の安否を確認してくる。君、そんなこと気にするのか。
「本物の警備員は無事ですよ。ここに来る前に解放しました」
「ふぅん?」
「さ。長居は無用ですし、移動しましょう」
「了解」
ペットボトルを回収するジェネヴァを背にバーボンは部屋を出た。
一応、説明というか情報共有は大切なので。
そこでプライベート用の携帯に松田からのメールが届いた。ざっと目を通す。へぇ?成程、ね。
※
デパートから出て、人がいない寂れた公園まで足を運ぶ。道すがら、ぽつりぽつりと事件の概要をジェネヴァに説明していく。まあ、バーボンが知るのは概要ぐらいで松田の方がもう少し詳しく説明出来るのだろうが。幸いにもジェネヴァはそう興味がないみたいで、概要だけでも納得したように頷かれた。
辺りはすっかり夕暮れでオレンジに染まっていた。子どものいない公園の夕日が染まる様はノスタルジックな哀愁を感じる。これも遠い子どもの頃の記憶故か。
気になった事があったのでジェネヴァに聞いてみる事にする。答えないならそれでいい、ぐらいの他愛なさだ。
「それにしても意外でした。最後を僕に譲って頂けるなんて」
「それはそうでしょ。俺、仕事以外は穏健派だし」
公園に設置されたベンチに腰掛けるジェネヴァにならい、バーボンも座る。そして疑問を投げかければ、返ってきたのは何を当然という呆れだった。バーボンは穏健派か、と苦い笑みを浮かべる。ジェネヴァはバーボンの反応に頓着せずに残ったお茶を呷った。
よく言う。バーボンがあの場で犯人に釘を刺さなければ自分でやっていた癖に。それはきっと言葉だけでなく、拷問まがいの暴力に発展する可能性があった。いくらバーボンとて目の前でいきなり拷問もしくは鮮やかな暴力を前にしたら精神がすり減る。命までは奪わない、とは思うがあのジンの行動が教育方針だと微妙だ。
「……穏健派、ですか」
「俺はね、バーボン。これでも命の重みを考えてたりもするんだよ」
「…………」
へぇ。
沈黙でバーボンはジェネヴァに先を促す。ジェネヴァは軽い頷きで返す。誤魔化しはしない、と言われたようだった。
「俺は、出来れば表側の奴らの平穏がそのままであればいいって。不相応にも願ってるんだ。――俺が、その一因にならなければいい」
ジェネヴァはいつもよりも、そっと呟いた。独白、誰に聞かせるでもない胸の内にも似た小さな声だった。どこか頼りない声はまるで年端のいかない子どものようだった。否、子どもであるべき年齢なのだ。それが大人の汚い都合で強がらないと、強くあらねばならない。ひどく、それが残酷に思えた。
この子どもは今、狭間にいるのか。大人と子ども。正常と異常。善悪。このまま、大人になれば組織の望む姿になるのだろう。あのジンのような、お手本みたいな悪党の姿に。
ぎゅ、と手に力を込めた。バーボンは無力感に握りこぶしに更に力を込めた。
「……一考しておきましょう」
「なんだかんだ、アンタ律儀な奴だよね」
「その台詞、そっくりそのまま君に返すよ」
ようやく絞り出した言葉にジェネヴァが軽口をたたく。それだけで今だけは救われるような気がして、バーボンは内心呆れた。そして、君は凄いなと肩の力が抜けたまま、ジェネヴァに返す。律義なのはそちらだ。
ふと、もう一つ気になる事項が思い浮かんだのでついでに聞いてみる。
「そう言えば、ずっと疑問だったのですが……。ジェネヴァ、彼といつの間に知り合ったのですか?」
「は?松田さん?今日初対面の筈だけど?」
きょとん、と無表情で瞬きを繰り返すジェネヴァは本当に思い当たらないようだ。
「そうですか……」
それにしては、とバーボンは先程届いたメールを脳裏に思い浮かべた。腑に落ちない。あの松田がメールなんて回りくどい事をするくらいだ。絶対面識はある筈なんだが。否、面識があるのは松田というよりは、その相方の萩原の方、か?
「何かあったの?」
「……彼は学生時代の知人なのですが、先程メールで不思議な事をきかれまして」
話を聞いてくれる姿勢のジェネヴァに甘えて、バーボンは話を続けた。
「ふーん?」
ジェネヴァは相槌を打ちながら、飲み終えたペットボトルを投げようと振りかぶった。ごみを入れる鉄製の籠への距離は十メートル。まあ入るだろう。
それにしても、話半分で聞いているのを隠しもしないなんて。ジェネヴァの妙な正直さにバーボンは苦笑を浮かべた。
「曰く、四年前の爆破事件に関わっていないか」
かこん、とペットボトルが縁に当たって跳ね返る。おや外すのか。
目を見開いたジェネヴァが、バーボンの顔を見つめてくる。バーボンにはそれが無表情の仮面に少し
嘘を言っていないので、ジェネヴァに真剣な顔で見つめ返す。が、すぐにジェネヴァは俯いてしまった。……もしかしなくてもこれは藪蛇だったか。
「…………」
「まあ、彼には人違いと言っておきましたが。――もし本人なら“変化した悪意の忠告、ありがとう”と伝えてくれと言っていましたよ」
黙ってしまったジェネヴァに松田からメールで頼まれた伝言を伝えておく。これくらいならばダメージは受けないだろう。アイツから珍しい感謝の言葉なのだから。
「……知らないね」
「そうですか」
ジェネヴァの素っ気ない返事も想定内だった。ここで関わりを認められたら、またこの子どもへの警戒心を強めなくてはならない。
そろそろ、次の仕事への仕込みもしなくてはいけない。では、またとジェネヴァに告げて去ることにする。
俯いたままのジェネヴァの様子が引っ掛からなかった訳ではなかったけれど。
今度会う時は一人の人間として、ジェネヴァと話そうと決めた。
今までは何処か“哀れな子ども”と勝手に憐れむか、脅威を感じていた。言い方は悪いが見下していた。無意識な人間のエゴと
けれど、それはもうやめよう。
敵か味方か。どちらであったとしてもバーボンに、降谷 零に後悔はない。
きっとどちらでも躊躇わないのだろうなという確信だけがあった。
補足事項
冒頭の回想で萩原さんが一度泣いた訳:読者様の解釈にお任せ。多分、同じように教育を受けた子どもの末路をサクサク語った。
↓以下胸糞注意(読まない方がいい。昔のジェネヴァくんはこんなやべー奴。
――足が飛んだ。それくらいで済むなら幸運な方で、運の悪い奴なんか半身を吹き飛ばして虫の息でさ。手を握って欲しい、なんて言うんだよ。馬鹿な奴。仕方ないから手を握ってやると、嬉しそうに笑っちゃってさ。分かんないよな。……きちんとした設備と装備があればそんな事はなかった、なんて。……持てる者に持たざる者の気持ちが分かる筈がないか。
みたいなことをオブラートなしで語った。
次回は宮野姉妹とジェネヴァ君の話です。どうぞお楽しみに。