転生したら兄が死亡フラグ過ぎてつらい   作:由月

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お待たせいたしました。
さて、前回のコメント、誤字脱字報告ありがとうございました。毎度私の活力とさせていただいてます。
現在、コメント返信は停止中です。詳しくは活動報告にて。暫しお時間をくださいませ。
今回はジェネヴァ君視点。それからライさんが中心。

そして今回の注意事項。

・暴力表現
・モブへの厳しい暴力。
・組織へのねつ造、想像あり。
・ライさんのうっかり、というかやらかし。
・オリキャラ(ジェネヴァ君)vsオリキャラ(モブ)要素あり
・誰得。殺伐シリアスコメディなんて謎分野をやるからこうなるんだ(白目)
・文章が長い(二万文字近い)
・今回で終わらないんだぜ。
・修正どころか、話を全部書き換える可能性があり。

以上。
おっけー?ではどうぞ。


泣き言は全て終えてから言うものだ

 季節は夏から秋に移り変わり、けれど夏の名残の残暑が変わらぬ厳しさをみせている。窓の外の景色はそれに相応しい、日差しの強さだ。心なしか、道行く通行人達も暑そうだ。

 

 ここは東都のとある場所にある喫茶店。シェリーの務める、組織の会社の近くにある年季の入った穴場的な場所なのだ。店内は年季相応の使い込まれた飴色のテーブルとイスに、骨董品にも等しいレコード再生のジャズなんて流れていて、時間の流れすらゆったりと感じる。

 

 窓際の奥のテーブル席で紅茶を啜りながら、外へ向けていた視線を向かい側へと向ける。この俺の死んだ目で見られても、ビクともせず逆ににっこりと微笑まれる。

 

 穏やかそうな、温和な笑みがよく似合う清楚系美人。あのライと恋人、とかある意味凄い事をしている人である宮野明美さんだ。

 

「――で、どうなの?ジェネヴァ君」

 

 ワクワクと好奇心を抑えきれない、邪気のない声で身を乗り出す。おいやめろ、こんな場面、ライに見られたら俺は殺される。多分良くて逮捕エンドだろう。怖い。

 

 そもそもどうしてこうなったのか。思い出すのは十分前の自分の浅はかさだ。シェリーに会って癒された帰り道、とぼとぼと歩く明美さんの背中を見かけた。それでほおっておけなく、仕方なく声をかけたらこうなった。ジェネヴァ君じゃない、ちょっとそこでお話しない?と、まあいつかでみたような展開である。明美さんはあのライと付き合えるだけのコミュ力があるのだ。俺みたいな雑魚のコミュ力とは訳が違う。俺のコミュ力?百ある内の五ぐらいじゃね?

 

 閑話休題。そろそろ現実に戻ろう。

 

「どうって……。何が?お姉さん」

「隠さなくてもいいわよ。し、ごほん。シェリーの事についてよ」

 

 すっとぼける俺に食い下がる明美さん。どうでもいいけれど、志保って言いそうになったな?明美さん。うーん、うっかりさん。とはいえ……だ。

 

「――シェリー?」

 

 何かあったっけ?

 明美さんは楽しそうな笑みを更に深めた。

 

「ふふふ。――聞いたわよ?」

「何を?」

 

 意味深に、端的に言葉を連ねる明美さんに俺は短く返す。知りませんね、と。

 

「あの子とデート、行ったのでしょう?」

 

 筒抜けすぎィ!!

 

 俺の動揺が出たのか、それともカップを弄ぶ手がピタリと止まったが故なのか。明美さんはにこにこと嬉しそうだ。それは自身の言葉の確信を得たからに違いない。――しまった、と舌打ちしたい気持ちで一杯になる。

 

「…………それはシェリーに直接聞いたの?」

 

 苦々しい気持ちを吐き出すように、渋々口を開いた。流石にここで誤魔化すのは馬鹿らしい。隠すような疚しい事情なんてないし。

 

「いいえ?ただね、あの子の部屋に遊びに行った時見ちゃったのよね」

「……」

 

 段々、このにこにことした笑みが揶揄うようなにやにやしたものに見えてきた。俺は無言で明美さんに続きを促す。

 

 明美さんは笑みを苦笑に変えて、

 

「ふふ、別に揶揄っているわけじゃないのよ?ただ、よかったなぁって」

「ふーん?」

「それでね。あの子の部屋にある筈もない、遊園地のサングラスとカチューシャがそっと机の上に置かれていたの。そのキャラクターものを見た時、ピン!と来たわ。――これはジェネヴァ君とのデートに違いない、って」

 

 後は貴方にカマをかけたの、と得意げに推理を披露する。……まあ、凄い観察眼だとは思う。思うけれど――。

 

「なんでそこで俺?」

 

 というか、まだあのグッズを捨ててないのか。ちょっと、いや大分可愛いな。でもそれよりも。

 正直、俺の他にも候補はいるだろうと思う。年下かつ、見た目が異性扱いされにくい俺よりも色男はいるだろう。まあ、今のシェリーに手を出すロリコン野郎なんぞ俺は認めないけど。

 

 明美さんは俺のそんな疑問を受けて目を瞬かせる。意外そうな顔で首を傾げた。

 

「あら?ふふ、意外と抜けているのね。だって、遊園地デートなんて可愛らしいことしてくれる人、この組織にいると思う?」

 

 貴方以外に?明美さんは珍しい皮肉気な響きで挑発的に問う。そう言われてみると……。不意に原作第一話の兄貴とウォッカの姿が脳裏にチラついて吹き出しそうになる。あれは卑怯だろ……。まあアレ抜きで考えれば。

 

「――バーボン、とか?意外とスコッチとライ辺りなら付き合ってくれそう……」

 

 シェリー限定で。俺としてはちょっと複雑な気持ちだ。

 

「そのバーボンさんとスコッチさんは知らないけれど。――大くんに関しては、ふふ。私とあの子と三人で、というのが楽しそうね」

 

 嬉しそうに頬を緩める明美さんにマジかよ、とツッコミを入れそうになる。何その気まずいメンツ。シェリーが一方的にライに噛みついて明美さんを独占する光景しか浮かばないわ。

 

「あ!いっそ、ジェネヴァ君も一緒に来てダブルデートとかどう?」

「勘弁して……」

 

 完全なる地獄絵図である。いや、明美さんとシェリーは眼福なんだけど、あの服装が黒で不審者スタイルが多めのライと一緒とか、ちょっと。具体的には兄貴達とお出かけするぐらいの難易度だ。つまり難易度ルナティック。爆発四散とかしそう。

 

 俺はその光景を想像してしまい、ぐったりと頭を抱える。俯いたこの耳に明美さんのくすくすと笑い声が届く。いいね、お姉さんは楽しそうで。

 

 

「――随分、楽しそうだな?」

 

 

 見事なフラグ回収。――俺死んだわ。

 

 突如降って湧いた第三者の声は艶のあるバリトンボイス。つまり、だ。

 

「げ」

 

「あら、大くん」

 

 黒のニット帽に黒い服装。この暑さで多少軽装となろうとも、その貫くスタイル素直に凄いと思う。ジンの兄貴とほんといい勝負。

 切れ長の緑の瞳が鋭く俺のみを貫く。し、視線が痛い。一気に空気が重くなったのに、明美さんはけろっとライと会えたことを喜んでいた。流石だ。

 

「げ、とはご挨拶だな。ジェネヴァ。――それで?人の女と逢瀬を楽しんでいる理由をお聞かせ願いたいもんだが?」

「大くんったら、もう……。とりあえずこっちに座ったら?」

 

 威圧感たっぷりにこちらを見下ろし、問う姿は組織の幹部の風格だ。こんなしょうもないところで実感したくはない。

 

 明美さんはそんなライにしかたないわね、と若干嬉しそうに自分の隣に手招く。ライは大人しくそれに従った。これで俺の対面にライと明美さんが座る圧迫面接の如き、図が出来上がった。一人でこの威圧感。勘弁してもらいたい。

 

「…………大人(おとな)げないでやんの」

 

「聞こえているが?」

「聞こえるように言ったんだよ、お兄さん。――少しはお姉さんを見習えば?余裕のない男は嫌われるぜ?」

「――ホォー?」

 

 イラっとしたので、ささやかな反撃をした。聞こえるように言った呟きは当然ライに拾われ、煽られる。ジェネヴァ君(おれ)は売られた喧嘩は買う主義である。煽られれば煽り返すのが礼儀、と言い返せば、緑の鋭い瞳は面白そうに瞬いた。ちなみにその瞳孔は開いている。普通に怖い。何その愉悦スマイル。

 

「――大くん、ジェネヴァ君。喧嘩しないの。ね?」

「喧嘩はしていないさ。そうだろ、ジェネヴァ」

「そうだね。アンタがそう言うんならそうなんじゃない?」

 

 明美さんの宥める声にライの視線の鋭さは和らいだ。はいはい、ご馳走様です惚気はもう結構です、とライの確認に頷く。仲良いのはいい事だと思う。

 

「というか、俺がお姉さんに何かする訳ないでしょ。――アンタが懸念するような事なんてそれこそ、この瞬間に地球が滅びるぐらいあり得ないよ」

「……接点がまるでない組み合わせだからな。邪推するのは仕方ないじゃないか。――これでも心配しているんだ」

「大くん……」

 

 俺の念押しにライは肩を竦めた。前半は俺に、そして後半は明美さんへと向けられる。そこに含まれる温度差が激し過ぎてこちらは風邪ひきそうだ。明美さんは感激したように瞳を潤ませる。普段、クールな恋人からの熱烈な嫉妬()と心配に心打たれたのだろうか。……二人の空気が甘くて、耐性のない俺は砂糖吐きそうだ。

 

「はいはい、ご馳走様。――俺はもう行くよ。じゃあね」

「ふふ、また話を聞かせてね?」

 

 そろそろ頃合いか。席を立った俺に明美さんは声をかける。その声に含まれる笑みに一切の打算はなく、仕方ないと肩を竦める。

 

 でもまあ、これくらいのお返しは許されるだろう。

 

「さてね。それは幸運の女神様にでも聞かないと、だね。……それとお姉さんの嫉妬深い恋人の許可が下りてから、かな」

 

「なっ」

「まぁ!」

 

 揶揄(からか)い半分、本音半分で当て擦りを言えば、ライは面白いぐらい声を失った。ふふん、図星か、少しは心当たりがあるのだろう。そんなライの様子を明美さんは嬉しそうな声を上げてキラキラとした視線を向ける。

 

 

 ――これ以上は野暮というモノ。邪魔者は退散するが吉だ。馬に蹴られたくはない。

 

 

 

 

 

 

 

※※

 

 

 

 

 先日回避したはずのフラグが追いかけてくる件について。なんて某掲示板のスレッドが脳裏を掠める。

 

 

「先日は世話になったな」

 

「……嫌味かな?」

 

 いつもの訓練を終えて、汗をタオルで拭い顔を上げたら部屋の入り口にライが立っていた。よくこの部屋が分かったな?ここ、組織でも人の出入りが滅多にない穴場なのに。

 

 開口一番、ライが冗談、否皮肉染みた挨拶をよこす。つい、反射的に本音が零れてしまう。

 

「……フッ。これでも不安の芽は早めに摘んでおく性質でね」

「ああ、アンタの可愛い恋人か」

 

 ライの言葉に俺は明美さんの姿を思い浮かべる。確かに彼女はこの組織の中ではオオカミの中に放り込まれた哀れな羊。救いの手がない分、とある宗教の迷える子羊よりも悲惨である。

 

 “可愛い恋人”の可愛い、という部分にライの視線が厳しくなる。そ、そんなに睨むなよ……。

 

「後はそうだな、あのジンが珍しく面倒を見ている懐刀候補の実力を見ておきたい」

 

 ライは挑発的な笑みを浮かべて、構えをとる。あの截拳道(ジークンドー)の構えだ。というか、待って。

 

「は?懐刀候補?何それ」

 

 寝耳に水過ぎて耳が冷たいわ。なにそれ?

 

「違うのか?」

「違うけど」

 

 多分、という言葉を喉に飲み込み、ライに死んだ目を向ける。はー、勘弁してくださいよ。兄貴の懐刀はウォッカで決まりでしょ。あの働きを俺に求められても過労死しか未来が見えないわ。絶対こき使われる。

 

 そんな意外そうな顔されても困る。俺の憮然とした面持ちに、ライはふむ、と納得の声を上げた。

 

「些細な行き違い、はどうでもいいな。最年少幹部の実力としても興味がある。それに、言っただろう?」

「何?」

 

 全然些細じゃない上にどうでもよくない。俺のツッコミはライのギラギラとした戦意に呑まれ消える。え、まさか本気で?

 

「不安の芽は摘んでおく、と」

「羊を守る牧羊犬(シェパード)は大変、だねッ」

 

 俺の暗喩染みた台詞の途中で殴りかかってきた。上段、顔を狙うものだ。それを背を逸らしてよける。おかげで、声が上ずってしまった。おい、台詞は遮るなよ。

 

 言葉は無用。拳で語ろうぜ、と言わんばかりにライの攻撃は続く。ボディを狙う拳、掌で受け流せば衝撃で手が痺れる。くっそ馬鹿力め。

 

 というか。

 

「アンタ、脳筋も大概なんじゃない?」

「ふ、余裕だな。ならば、これはどうだッ」

 

「ッ!? 」

 

 ひょいひょい避けながら、悔し紛れの言葉を吐き出せば返ってくるのは鋭い蹴りの一撃。思わぬ速さとそのリーチの長さに、腹にその重い一撃を貰う。咄嗟に後ろに跳んで衝撃を殺したものの、息が零れ、上手く空気を吸い損ねる。これは俺が不利だ。リーチの差、純粋な力の差、条件の差、それにライは俺が手加減をして相手出来る奴じゃない。けれど、俺は手加減をしなければならない。それは絶対だ。

 

「……らしくないな。どうした、お前の実力はそんなものじゃないだろう?」

「…………」

 

 声は冷たくはあるものの、その奥底に見え隠れするのはこちらを心配するものだ。恐らく防戦一方の俺に違和感を抱いているのだろう。確かに本来のジェネヴァ君の戦闘スタイルはこうじゃない。

 

 だけど。ああ、まったく、軽く言ってくれる。今結構腹痛いんだぞ。

 

「……アンタ程の実力者相手だと、生憎と手加減が出来なくてね」

「する必要が?」

 

 ないだろ、と挑発してくるライに俺は内心苦笑する。まったく、慣れない事はお互いするもんじゃないな。

 

「あるとも。じゃないと、死んじゃうだろ?」

「ほぉ?それはどちらが、だ?」

 

 見下ろしてくる鋭い緑の瞳は冷たい。

 

「そんなの当然――」

 

 あんまり、この顔は見れたもんじゃないんだけどな。以前、鏡で練習した暗示なしの()()()()()()の笑顔を披露する。唇が吊り上がるのを感じる。瞳に笑みは映らず、それは嘲笑、見下した笑みに違いなかった。

 

 

「アンタに決まっているでしょ?」

 

 

 止めに鼻で軽く嗤ってやる。

 

 

 空気がピシリ、と凍ったような錯覚。ライは無言だが、肌に感じるピリピリとした殺気から察するに苛立ったようだ。それもそうだろう。誰がこんな一見すると美少女にも見える少年に負かされる、というのか。他人事に言ってしまえば、俺のこの身体は白い上に細い。つまりはモヤシだ。見た目はな、見た目は。

 

 

「…………ホォー?」

 

 

 たっぷり三十秒の沈黙の後の疑問符。ライの口から出たそれは、言語化するとふざけてんのか?てめー、である。……控えめに言っても怒ってらっしゃる。普通に怖い。

 

 なーんで俺ってこう死亡フラグみたいな地雷を進んで踏んじゃうかね?まあこの組織って殺伐とした雰囲気が標準装備だから仕方ないね。え?俺が喧嘩っ早いのが悪い?いやいやそんな。

 

 と、その時携帯が着信を知らせて震える。お、珍しくグッドタイミングなのでは?

 

 トレーニングウェアのズボンから携帯を取り出し、ライに一時休戦の意で震える携帯を見せて片手を挙げる。ライは呆れたようにため息を吐いて頷いた。

 

 俺もため息吐きたいわ、と携帯の通話ボタンを押す。勿論、音量は少なくして、音漏れを防いだ。

 

「もしもし?」

『……任務だ。お前にコレを任せるのは少しばかり癪だが』

 

 耳元から聞こえるジンの声は珍しい事に非常に苦々しいものだ。苦虫を噛み潰したのかな、なんてふざけた日には俺の命日だからしないけど。

 

「――内容は?」

『何、心配するな。お前にはいつもよりも少しばかり暴れてもらうだけだ』

「…………」

 

 兄貴のその心配するな、的な発言俺にはフラグにしか聞こえないんだよなァ。今絶賛その死亡フラグの上で地雷上のタップダンスをしているだけに余計にそう思える。

 

 そんな俺の葛藤の沈黙をジンの兄貴がどう捉えたのか。

 

 電話口から微かなため息。

 

『お前はいつも通りの冴えわたる刃だ。血に濡れた、なんて今更嘆くなよ?――少しは自分の磨き上げたソイツを信じてやってもいいんじゃねえか』

 

 は?

 

 電話口から聞こえる声は穏やかだった。物騒な言葉さえ気にしなければ、少しは自分の実力を信じろという励ましだったのでは?え?

 

『……チッ、忘れろ。血に溺れて錆びつかれても面倒だ。――後は、そうだな。同行者に気をつけろ。以前の忠告を忘れるなよ』

 

 俺が衝撃で固まったのをいい事に勝手に話を変え、まるで家を空ける母親みたいな心配っぷりだった。これがジンの兄貴なのか、と俺が混乱の極致に至ろうとした時。

 

『それからもしも、しくじったその時は――』

「? その時は?」

 

 ジンの声が急に低地を這うような低さになった。それに疑問を持ち、俺は首を傾げる。混乱の処理がまだ落ち着いていないのだ。

 

『この俺が始末してやるよ。――光栄に思えよ?』

 

 あっ、ジンの兄貴で合ってましたわ。

 

 ゾッとするような殺気を隠さないこの脅し。間違いない。ちなみに俺はこんな脅しで喜べるマゾではないので、苦々しい気持ちで唇が歪む。

 

「…………了解」

 

 なんとか絞り出した了承を聞くか聞かないかで通話は無情に切られる。はー、この無表情な鉄仮面じゃなくてもこんなの死んだ目になるしかないですわ。でもそうは言っていられないよな、と携帯を閉じる。

 

「ライ」

 

 ライの方を見るとその手元に携帯が握られていた。画面を眺め、珍しくその表情が苦々しく歪んでいた。いつも余裕の無表情なのにな。

 

「――とりあえず一時休戦、でいい?」

「ああ。その方がありがたい」

 

 そう言いながらライは携帯画面をこちらに見せてくる。

 

 そこには――。

 

「成程。……次はよろしく?」

「ああ。はぁー……俺が一人で馬鹿みたいじゃないか……」

 

 どうやら次の任務はライと二人でこなさないといけないらしい。俺がよろしく、と握手の手を差し出す。それを見てライは頷いた後に盛大にため息を吐いた。その後の小さなボヤキは親切心で聞かなかったことにしてあげた。うん、まあ。明美さんの為に、というか彼女の周りの不穏分子を見逃せなかっただけの話なんだよね。仕方ない、腹の一撃は許すか。うん。

 

 

 

 

 

※※

 

 

 

 

 

 

 任務の為に空港へと向かう。アレからざっくりと準備をして、すぐにライの運転する車に乗った。運転するのは黒のシボレーC/Kだ。ただでさえライの隣に座るとか苦行以外の何物でもないのに、先程のアレだ。当然、車中の空気は最悪である。

 

 手持無沙汰にも過ぎるのもあって、以前の懸念事項がふと頭の中をよぎった。ライのスパイ疑惑。ジンの兄貴の言っていた、“以前の忠告”とはそのことなのだろう。

 

 ライにとってみれば余計なお世話なんだろうけれど、それでもお節介は焼ける内にしといた方がいい。それにあのお人好しのお姉さんの涙は出来れば見たくないし。

 

「……アンタさ」

「なんだ?」

 

 口から零れた呼びかけは思い付きの突発さで、頭の中で次の言葉に困る。簡潔な返しは鋭い睨みがついていたからなおさらだ。考えていた内容は消し飛んだも当然だ。さて、どうしようか。

 

「ジンに嫌われているって本当?」

 

 数秒の空白で考えを絞り出す事を諦め、直球ストレートまではいかずとも近い言葉で聞き出すことにした。ライは果たして勘づいているのだろうか?組織の幹部筆頭であるジンに嗅ぎつかれている、という事実に。

 

 ライはこちらの言葉に目を瞬かせ、逡巡する。ハンドルを握っているからか、視線は目の前、真っすぐを見据えたままだ。

 

「藪から棒だな。――ふむ。言われてみればそうかもしれん」

 

 凄ぇ、この人。俺は横にいる人を改めて尊敬した。俺だったらあんな殺意割増しの兄貴、早々に心が折れるね。

 

 俺の微妙な尊敬の眼差しに、ライは頭をゆるく横に振る。

 

「だが、それはあくまで私情に過ぎない。アイツだって馬鹿じゃないさ。流石に私情を仕事に持ち込む程、愚かではないだろう」

 

 まあ、それはそうかもしれないけれど。俺はライの言い分を聞きながら、内心ため息を吐いた。

 

 兄貴はああ見えて仕事に一切の妥協を許さない人だ。それは他人だけではなく、自身も含まれる。それ故に、そんな子ども染みた真似はしないだろう、というのがライの言い分だ。けれど、それはとある前提込みの話である。

 

「でもさぁ、ライ」

 

 俺は世間話の延長線上、そう聞こえるような軽さで呼びかける。ライは視線だけで先を促した。

 

「――それ、NOC(コレ)だって思われていない前提でしょ?」

 

 右手でノックの仕草をして比喩して伝えれば、ライの瞳孔が開く。ピリッと空気に電流が走ったかのような緊張感が満ちる。

 

 ――そう、とある前提。それは組織の敵であるか、否か。とてもシンプルで分かりやすいラインだ。ジンは組織の敵に情け容赦しない。憐憫の一片すら与えない徹底を見せるのだ。

 

「…………ほぉ?」

 

 たっぷり間を空けての疑問符に俺は冷や汗を掻いた。コレはライにとって特大の地雷だ。けれど、それでも俺は敢えてその地雷を踏み抜くことに決めたのだ。じゃないと、忠告にならない。

 

「ああ、答えは聞かないよ。俺にとってはそんな事どうでもいいからね。――ただ、アンタは気をつけた方がいいよってだけの話」

「そうか。――大方、証拠も根拠もないただの勘だろう?でなければ、俺はここにいる訳がないからな」

 

 あの男の行動力には恐れ入るよ、なんて的確な分析に俺は余計なお節介だったかなと若干の後悔を抱いた。自然と視線が下がり、足元を見る。

 

「しかし、尚更不思議な話だな」

「…………何が?」

 

 隣から零れた呟きに短く返す。なんとなく、足元に視線を向けたまま耳を傾ける。

 

「君だよ。――君はこう言ったな、“そんな事どうでもいい”と。それが真実であれば、捨て置くのが正解だ。面倒事にしかならない上に旨味もないそんな与太話を態々本人に忠告する等と――」

 

 そこで言葉を切ったライの視線がこちらに向けられる。強い視線に俺は俯いた顔を持ち上げた。

 

「随分とお人好しだな?」

 

 ニヤッと口元だけが笑う。しかしその視線は依然として鋭いまま、俺を捕捉している。下手な真似をしたら、噛み殺されそうな程の殺意に近い威圧を感じる。……これはこちらを試している、と踏んだ方がいいのか。クッソ怖いな。

 

 俺は首を傾げる。

 

「……深読みしても何もないよ?」

「…………」

 

 無言。それは肯定ではなく、否定。ライの瞳はこちらを向いてこそいないが、それでもこちらの言動を疑っているのは纏う威圧感で容易に知れる。だから怖いって。

 

 ライはアクセルを踏みだし、加速していく。高速道路だからか、スイスイと他の車を追い抜いていく。……ここで答えを誤ると逮捕エンドか、それともデッドエンドなのか。どちらにせよ、ロクなことになりはしなさそうだ。

 

「ただ、アンタの恋人さん。あの人を悲しませるのは避けたいな、と。ありふれた親切心だと思ってくれていいよ」

「親切心、ね」

 

 ここで偽りを告げるのは悪手、そう踏んだからこそ俺は本音を話す。だというのに、ライは意味深な笑みを浮かべた。不敵な笑み、といえば聞こえはいいが、要は威嚇用の笑みだろう。悪党に相応しい、堂々たる悪辣さだ。すごいこわい。一応この人正義の味方の所属なのに。

 

「悪党の親切とか、レアでしょ。だから頭の片隅にでも置いておいてよ」

「――なるほど。そう言う事にしてあげようか」

 

 この声が震えていませんように、と願いつつ茶化した言葉はライの及第点に採点されたらしい。ライにため息交じりに頷かれた。

 

「はいはい」

 

 ライのため息を雑な頷きで流すと信じられない言葉が耳に入った。

 

「…………というか、君が明美とどういう関係なのか、が知りたいんだがな」

 

 ぼそり、と俺の耳に届くかどうかぐらいの小さな独り言。

 

 えっ。そっちなんです?

 

 俺は驚きで言葉を失くす。え?いやでもまあ気持ちはわかる。俺も一応ライ、というか“赤井秀一”から見れば立派な犯罪者の一員なわけだし。()()()()()をしているけど、男だし。

 

 しかしなぁ。明美さんとの関係、ね。うーん。俺としては友達のお姉さん、というのが一番シンプルな例えなんだけどそれはそれでライの地雷を踏みそうだ。かと言って、お姉さん自身を俺の友達、と例えるのもどうかと思うし。

 

 結局ライの疑問に答えることもなく、何事もなく目的の空港まで到着することになった。マジでどうするんだこれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 場所は飛んでアメリカ。USAならびにアメリカ合衆国。隣に突っ立っている黒い不審者スタイルじゃなかった、ライの本拠地たる場所だ。やっべ、今回死亡フラグと逮捕フラグの乱立過ぎなのでは?

 

 飛行機やら電車やら乗り継いでようやっと今回の任務の場所に着いた。ネバダ州の南部にある有名な都市。世界きっての不夜城と名高いカジノ都市、ラスベガスだ。百万ドルの夜景だとかは有名な話だ。並び立つ建物の絢爛なことか。まだ昼間だからまだ大人しいものだが、それでも観光客の騒ぎは多い。酔っ払いで補導されるのはまだ可愛いもので、よく分からない事を喚き散らす者も居た。

 

 とはいえ、それはこの都市のごく一面だ。騒がしくも、賑やかな活気あふれる都市なのだ。

 

「――はぐれるなよ」

「言われなくても」

 

 ライと並んで歩く。今回は変な変装はなしだから俺も普段通りだ。ただ、顔を隠すために、黒のマリンキャップを深く被る。服装はいつもよりもラフなものだ。シンプルなTシャツに黒のスキニーにスニーカーだ。

 

「今夜の任務の打ち合わせはホテルに着いてからだな」

「了解。……というか、今回の任務の費用考えると結構怖いね」

 

 奴の長いコンパスに合わせ、早歩きで着いていく。ホテル、ね。この辺馬鹿みたいに高いじゃないか。

 

「君は面白い事を言うな。別に組織の経費で落ちるんだから気にしなくてもいいだろ」

「けいひ」

 

 ライの口から結構衝撃的な言葉が飛び出たので俺の脳が処理落ちする。

 

「?」

「いやなんでもない。うん、そうだね。組織もそういう運営があってこそだものね」

 

 ただ、少々字面が衝撃的だっただけだ。まあ、考えてみれば当たり前なんだけど。こう、腑に落ちないというか。

 

 ホテルはまさかのツインだった。あのベッドが二つの一部屋の奴だ。ライ曰く、空いていなかった、と。まあ世界有数の観光地かつ、任務が入ったのは昨日今日の勢いだ。そりゃあ部屋なんかとれないだろう。むしろツインでもとれただけ僥倖だ。

 

 早めにホテルに入り、明日の任務へと色々と準備をすることにした。時刻は午後一時。ここに来る前に昼は摘まんでいるので、夜はルームサービスでいいだろうという事になった。

 

「先ずは任務の概要を確認するか」

「ライ、もしかしなくても俺の事子ども扱いしてる?」

 

 そんな一から十まで確認する必要はないんだが。

 

「君の年齢だと充分子どもだと思うんだがね。まあ、それは関係ない。俺と君とで齟齬があったら大変だろう?何せ、急に決まった事だ。予想できる不備は出来るだけなくしておいた方がいい」

 

 並んだベッドに荷物を広げながらの会話。俺は自分のベッドに腰かけ、ライは近くの椅子を引っ張り出して座った。

 

 ライの淡々とした正論に俺は頷いた。

 

「確かに。――まずは概要、だっけ。違法カジノ、その地下にて開催されているという裏ファイト。その優勝賞品が少しばかりまずいものだったんだよね」

 

 裏ファイト、とは文字通り人間を闘わせ、その勝敗にて賭け事をする。そして表側との違いは緩い規制にほぼ反則が存在しないという倫理観の欠如。時として人の死さえ出るという血生臭さ。間違っても軽い気持ちで参加してはいけない。

 

「優勝賞品は純金で出来た像だ。その価値は時価十億はくだらないという。だが、問題はそこではない。なんでも、その像にはとある仕掛けがあるらしい。情報の入っているマイクロチップ。一センチにも満たないソイツの中には、組織の創立メンバーリストが入っているという話だ」

「……それ、本当なの?」

 

 それは組織としては絶対に外に出したくない代物だろう。

 

 ライは話している間も荷物から出したノートパソコンを起動させ、カタカタとキーボードに指を走らせる。その瞳は画面の文字を追っていた。

 

 俺も話を聞きながら準備を進める。コレとアレが必要で、後万が一の為の用意をしておこう。それから銃は念の為に二丁ぐらいがいいか。

 

「さぁ?ただ、その像の前の所有者は組織の古いパトロンだ」

「――うわぁ」

 

 ライの世間話の延長みたいな調子で告げられた情報に俺は頭を抱えたくなった。一気にそのヤバい情報の信憑性が増したんだが。

 

 俺は呻き似た声を上げ嘆く。それをライは一瞥し、ため息を吐いた。

 

「しかし……まあ。そのマイクロチップの中は九割八分、偽物だろうな」

「へぇ。なんでまた」

 

 ライの心底面倒臭そうな呟きに意外な気持ちで聞き返す。ライは肩を竦めた。

 

「何故、か。組織のボスは既に様々な憶測が囁かれている。――君も組織に居るんだ。一つくらいは噂で聞いたことがあるんじゃないか?既にこの世に居ないような死人の名まで挙がるような話だ。そこに一つ候補が増える、と言われてもな」

 

 それは嘲るような、少し掠れた声だった。画面を見つめるライの瞳は忌々しい、と言わんばかりに睨んでいた。まあ、ライはFBIの潜入捜査官だ。組織の中に潜入してもなお、雲を掴むような得体のしれなさに苦い思いもしているのだろう。

 

 それにしても、だ。

 

「こうして聞いていると組織って……なんか」

「?」

 

 思いついた表現がそのまま口を出ていいのか、俺は暫し逡巡する。それをライは怪訝そうに首を傾げ、視線で続きを促す。うーん、まあいいか。

 

「噂好きの集まりみたい、だなって」

「ブハッ、クックック。成程、確かにその通りだな」

 

 俺のボヤキに吹き出したライはそのまま喉を鳴らすように笑う。そんなに涙が出るくらいに面白いか?これ。……いや確かに兄貴達が“噂好き”ぐらいの可愛らしさに例えられたら爆笑もんだわ確かに。

 

「笑うなよ……」

「ククッ、悪い悪い」

 

 流石に据わりが悪くなった俺がライの肩を小突けば、大して悪びれてない声で愉快そうに返された。おう反省しろ。

 

 ライはわざとらしくごほん、と空咳を一つ。

 

「話を戻そう。任務の決行は明日。何せ今回は準備期間がほぼないに等しいときたもんだ。組織は余程我々に死んでほしいと見える」

 

 皮肉気な笑みがライの仏頂面に浮かぶ。その笑みのまま、ライは続けた。

 

「こんな作戦と言えないモノをよく実行しようと思えるな、君も。まあ、俺も人の事なぞ言えないが」

「仕事だから仕方ないさ」

 

 ライの辛辣な皮肉に俺は肩を竦めるしかない。それに俺はこんなところで死ぬつもりなんて欠片もない。

 

「仕事だから、ね。まあいい。それよりも、この作戦の要は――」

「当然、俺が適任でしょ」

「分かっているのか?」

 

 ライの言葉を遮り、主張すれば返ってくるのは鋭い睨みだ。それに当然、と頷いてやる。分かっていないだろう、とライの盛大なため息がこの静かな一室に存外大きく響く。失礼な。

 

「大丈夫。アンタはしくじるような奴じゃない。こう見えても、俺は時間稼ぎは得意な方なんだ」

「しかし……」

 

 俺が軽い調子で言ってもなお、ライは渋る。ライの中でのジェネヴァ君は先の一件で、実力がイマイチ信用出来ないらしい。まあ気持ちは分かる。

 

「言ったでしょ。――俺は意外と腕っぷしが強い方なんだ。“手加減”しなくていいって言うなら尚更ね」

「……存外、君は生意気なんだな」

「!?」

 

 俺の自信たっぷりに見せかけた発言にライは複雑そうな顔になった。ライの手が俺の頭をぐしゃぐしゃと乱雑に撫でまわす。否、力が強くて一種の攻撃かと疑うところだった。

 

 というか、ジェネヴァ君の生意気さがなければ組織で生き残れませんって。ある程度の根性がないと組織の過酷な教育()は耐えられない。あと可愛げがないって大切だ。

 

 ライの手が頭から離れる。あまりの事に目を回す俺が見たのはライの複雑そうに歪んだ顔だ。先程よりも感情が顕著だった。瞳に一瞬揺れた感情はなんだったのか。不快、憐憫、憎悪。そのどれもであり、その実どれでもないような曖昧さ。

 

 だがそれも泡沫のような一瞬だった。すぐにいつものライに、冷めた顔に戻る。

 

「分かった、そこまで言うなら任せよう。君の言う、“手加減”とやらがない本来の実力にも興味がある事だしな」

「…………そう期待される程ではないと思うんだけど」

 

 ライの試すような言葉に俺は小さくぼやく。

 

「なんだ?」

「いや、なんでもないよ」

 

 幸いにも俺のぼやきはライの耳に届くことはなかったらしい。しれっとすっとぼけておく。

 

 それにしても、だ。

 

「ジェネヴァ。これが問題の会場の見取り図だ。警備の交代体制も見せておく」

 

 ライが俺にノートパソコンの画面を見せるように向ける。そこには、立体的に再現されたカジノ施設、その内部の詳細と警備員の配置情報に交代時間と予想される警備ルートと分かりやすく図解されていた。おお、随分ハイテクだ。よし、ある程度覚えた。

 

「成程。ま、アンタがしくじらなければ俺には必要のない情報なんだけど」

「言ってろ」

 

 今回の作戦は至ってシンプル。俺が大会で会場の注目を集める。その隙にライがメインコンピューターにハッキングして組織の欲しい情報を抜き取る。出来れば俺が優勝して優勝賞品である純金の像も頂いてしまおう。出来ればとか言っているが、これは確定だろう。それぐらいの欲張りな話だ。どこの我儘幼女なのか、とあれもこれも欲しがるとか組織って馬鹿なんじゃないか。つまり、俺はこの大会で優勝しないと人生のお払い箱でお陀仏って訳だ。具体的は兄貴にズドン、とされてお終いである。つらい。

 

 

 

 

 

 

 

 

※※

 

 

 

 

 ざわざわと観客のさわめきが薄暗い観客席から聞こえる。観客席は一階と二階に分けられ、二階部分はVIP対応となっているようだ。中央に配置されたプロレスやボクシングで使うようなロープが張ってあるリングはこれからの血を待ちわびるような真白だ。スポットライトで照らされ、その白が余計際立って見える。

 

 そのリングの様相は異様、の一言に尽きる。まるで猛獣を閉じ込める檻のように頑丈な金網が四方を囲み、その上限は天井と繋がり、参加者をリングから意地でも出さないぐらいの気迫を感じる。審判は場外である、その金網の外に居ることから試合の壮絶さが予想できそうだ。一階の観客席だって普通のプロレスらのソレよりも隔離するような空いた距離だ。

 

 参加者への身体検査は驚くほどおざなりだった。滅茶苦茶怪しいこの格好だっていうのにざっくりと拳銃などの銃火器を調べるぐらいだ。勿論、隠し持った拳銃二丁は無事である。え?いいのか?

 

 俺の番が来たようだ。“ジェネヴァ”の名のままに登録したので分かりやすくていいと思う。偽名を使うならどれでもいいでしょ、と作戦前にライに言えば分かりやすく頭を抱えたのを思い出す。そんなにダメかねこれ。

 

 アナウンスに従い、会場へと足を踏み出す。

 

 花道、と言われるリングまでの道を歩き、観客からの歓声を身に受ける。けれど、その声に明るさはない。これからの惨劇を待ちわびる、どこか仄暗さを感じさせる興奮の声だ。胸糞悪い話だという感想しかない。

 

 耳に付けた小型の無線機は、ライと繋がっている。先の任務でもつけた一見イヤーカフに見えるオシャレさんな無線だ。そんな無線機から時折ライの仕事の進捗を知らせてくれるわけだ。それが終わるまでは俺は派手に暴れなければならない。この会場、全ての視線を集める勢いで。

 

 リングにたどり着いて、ロープを跳躍して飛び越える。スタッと姿勢よく着地すれば、既に挑戦者を待っていた対戦者が待ち構えていた。がちゃり、と背後から鍵の閉まる音も聞こえる。周りを囲う金網の扉を南京錠か何かで施錠したのだろう。命乞いをする敗北者が逃げないように。正に文字通りのデスマッチ、用意周到な事だと呆れてしまう。

 

「おいおい。こんなひょろっこいのが対戦相手?! 冗談だろう!こんなの踏みつぶしてすぐ終わっちまう。なァ?お前も今だったら命乞いを聞いてやってもいいんだぜ?」

 

 身の丈は二メートルは超える長身。そのうえその体は筋肉が張り詰め、今にもはち切れそうな具合だ。まるで生きる仁王像。その様相を呈した対戦相手がなにやら喚いている。

 

 今の俺の格好は膝下まで長い黒のローブを纏い、素顔もフードで隠した不審者感満載なものだ。イメージとしては黒魔法使い、もしくは闇魔術師ぐらいの怪しさだ。ローブの下は隠し武器が少々あるぐらいだ。よくこんな怪しい奴を前にそんな挑発が出来るな?

 

 うーん、隙だらけだ。これで生死をかけた戦いとか言われても鼻で嗤ってしまいそうだ。まあ、以前の俺なら膝が笑ってしまうだろうが。

 

「…………お喋りはもういい?」

 

「あ?」

 

 問いかけて、一瞬。俺は足を踏み出し、距離を詰め、その無防備な鳩尾に一撃。掌底を叩きこみ、筋肉のリミットを外した一撃は見えない弾丸に等しい威力。この一撃の衝撃は少々特殊で体内で小爆破が起きたように弾ける暗殺拳。

 

「ガハッ!!」

 

 二メートルを超える巨体が少し浮き上がる。体重百キロは優に超える巨漢は血反吐を派手に吐いてドサッとリングに倒れ伏せる。返り血もこの身には掛からせない。

 巨体が浮き上がった時に会場がざわめく。え?この力が人外染みている?そんな馬鹿な。空手都大会優勝者がもっとやべー事しているだろ、多分。

 

 うん。我ながらいい仕事っぷりだ。ちゃんと“手加減”も出来たし。大体全治は――。

 

「――三か月」

 

 ぼそっと呟いた独り言は、はくはくと魚みたいに悶える対戦相手の耳に届いたらしい。

 

 その厳つい顔に浮かぶ表情は絶望、悲哀、嘆願といった悲痛なものであり、こちらを恐怖で見つめるその眼差しに先程の威勢は感じられない。うん?

 

「ゆ、ゆるしてくれ」

 

 俺の足元に縋り、死に物狂いで懇願する巨漢。凄いシュールな光景だ。何せ奴と並ぶと俺は凄いチビに見える。さぞちぐはぐな光景に見える事だろう。というか、だ。

 

「……なにを今更。アンタだって、散々甚振(いたぶ)ってきたんだろ?弱い奴の命乞いに価値なんてあったか?――価値なんて見出さなかっただろ?」

 

 つまりはそういうことだ。

 

 見下ろしながらの俺の言葉に足を掴んでいた力が抜ける。それを幸いに俺は囲んでいる金網越しに審判に話しかける。

 

「おい、終わっただろ」

「え。し、しかし原則――」

 

 早よ終わらせや、と審判の男に凄めば、返ってくるのはごにょごにょとした頼りない声だ。つまり、死人が出ないと終わらない?言わせるか。

 

「は?」

 

 俺にこれ以上仕事させんの?と短い声にドスを利かせる。それに青ざめ、審判はたまらず声を上げる。

 

「しょ、勝者、ジェネヴァ!!」

 

 呆気ない終わりにシン、と水を打ったように会場が静まり返る。だが、五秒後、割れんばかりの拍手喝采。ブラボー、とお祭り騒ぎに近い叫びさえ聞こえる。

 

 それに辟易しつつ、俺は選手控室に戻る。無線から聞こえるため息。

 

 控室は意外にも一般的なものだった。六畳程度のこじんまりとしたもので、選手一人一室の個室だった。トーナメント戦なので次まで三十分の空きがある。

 

『君な』

「何?」

 

 ライの呆れた小声に合わせて俺も短く返す声は小さなものだ。

 

『…………少しばかり。――いやなんでもない。それよりも君の方は大丈夫か?』

「うん?――アンタも通信越しとはいえ分かっただろ?余裕さ。まあ、それで慢心なんてしないけれど」

 

 ライの沈黙に色々と言葉が飲み込まれた気がしたけれど、それを流し心配の言葉に頷く。俺の勝気な言葉に無線越しのライが小さく笑う。

 

『それは頼もしい話だな』

「まあね。――それよりもアンタの方はどう?」

『こちらも順調だ。とはいえ、この施設の膨大な情報から目的のものを一から探るのは少々骨が折れるがね』

 

 ライの仕事はハッキング。ライには珍しい仕事だが、本人曰く出来なくはないとのこと。まあライのバックにはFBIがついている。本人に出来なくとも得意な奴の手は借りれるんだろう。何せここは日本でなく奴のホームのアメリカだ。……まあ俺がそんな詳しい内情なんてライに聞ける筈がないんだけど。

 

「怪しいところは全部覗いていくんだっけ?」

『そうだな』

 

 ハッキングしてからざっくりとメインコンピューターの中を検分、その上で守りが厳重なところを片っ端から確かめていく。

 

 現実的に見ればこの作戦の成功率は高くないのだろう。何せこの脳筋ぶりだ。凝った作戦が時間足らずで出来ないなら力でゴリ押しするという振り切れぶり。

 

 こうして見てみると俺らって――。

 

「ものの見事に脳筋だね、俺らって」

『確かに』

 

 この呆れた呟きにライは喉の奥で笑った。

 

 まだこの作戦は中盤戦だ。

 

 

 

 

 

※※

 

 

 

 トーナメント戦も終盤。大体五戦目ぐらいだ。時間はトーナメント戦が始まって四時間は経つ頃で俺としてはもう帰っていいかなと遠い目をしてしまった。初戦の次はボクサーの男でバーボンと同じ戦闘スタイルか、と納得した頃には相手をリングに沈めてしまったし、その次も大して変わらず。やだ俺強すぎ、なんて茶化す事も出来ないくらいに相手との差が実感できてしまった。例え相手が隠しナイフやら催涙スプレー、果ては高威力スタンガンを使おうとも、俺には一切届かなかった。おかげで相手の全治を予想する虚しいゲームがはかどることはかどること。

 

 対戦相手はこんな裏ファイトなんて出るくらいに落ちぶれてしまっているがその根本はスポーツ格闘技なのだ。俺みたいに最初から人殺しの道具としての拳を磨いたわけではない。立っている土俵が違う。勿論、スポーツ格闘技が弱いなんて事はない。ただ、目的が違うのだ。

 

 相手に勝つ、その定義が違う。命を奪う事が大前提なジェネヴァ君の戦闘スタイルは一撃必殺、人体をどれほど簡単に、簡潔に、的確に、正確に破壊できるかという一点に絞ってしまったものだ。それがどれほどの外道なのか、一般人だった俺の価値観では目を覆いたくなるぐらいだ。けれども目を逸らしても現実は変わらない。なら、正面からぶつかるしかないじゃないか。馬鹿な俺はそれしか方法が分からないのだから。

 

 そんなシリアスに思考が浸っていられるのも、最終戦のチャンピオン戦までだった。

 

 審判の男の紹介はこうだ。

 

「これまで数々の猛者を葬ってきた王者。この命がけのデスマッチにて百戦百勝の男が挑戦者を迎え撃つ!かつて空手世界チャンプとして輝いた伝説の男、上空 強次郎!!」

 

 黒帯を締めた白の道着の男が既に構え、ギラギラと戦意を迸せていた。年の頃は二十代後半から三十代前半だろう。つまり現役格闘家、なわけだ。つまり、え。

 

 空手。それは某名探偵少年の原作では、無双を意味する格闘技だ。都大会優勝者である女子高校生だって凶悪犯に圧勝してみせる、というチートっぷり。高校生でありながら世界を股にかける空手家青年の実力はもうヤバいの一言だ。瓦だけでなく大理石の柱だって彼の拳は粉砕するレベル。怖い。

 

 つまりあの京極さんの大人版、と考えればいいのか?この目の前の人は。世界チャンプ、って言ってたし。え、マジで?

 

 リングで呆ける俺に容赦なく上空の拳が迫る。

 

『ジェネヴァ!!』

「ッ!?」

 

 耳元から聞こえたライの焦りの一喝に正気に戻り、間一髪拳を回避する。一発目から顔面を狙うとかほんと怖い。

 

「流石だ」

 

 にやっと好戦的に嗤う上空はそのまま俺の顎を狙う上段蹴り、躱されると踵落としを決めてきた。早い、と焦りつつバックステップでその強撃を躱す。上空の踵はリングにめり込んだ。ひぇ。

 

「どうしたどうしたァ!! 先ほどまでの鮮やかさはッ!激しさはッ!! このような……ものではッないだろう!!」

 

 内心慄く俺にお構いなしに上空は拳のラッシュを仕掛けてくる。こちらを挑発する言葉は拳と共に荒げ、激しくなっていく。

 

 全ての回避よりは、ここは一、二発分を受け流した方が体力の消費はない。そう判断した俺は掌で受け流し、中国拳法の構えで受け流した腕をそのまま引いて投げ飛ばす。

 

 ただし、それは一秒の中の世界の話。観客には目にもとまらぬ攻防に見えたのだろう。歓声と口笛によるコールが大きくなる。くっそ、お気楽な。

 

 投げ飛ばされた上空はなんとロープの上に余裕の着地。ロープの弾性を利用し脅威の跳躍、二メートルも超えたそれはスポットライトで俺の視界から一瞬眩む。

 

 その一瞬の隙を相手は見逃しはしなかった。

 

「ハァアアアアアアッ!!」

 

「ぐぅッ!?」

 

 跳躍からの滑空。俗にいう“ライダーキック”を綺麗に上空は決めて見せた。空中を切り裂くが如く鋭い一撃は俺の腹に吸い込まれる。咄嗟にバックステップを踏むものの、威力が、勢いが桁違いだ。この細い身体は九の字に折れ曲がり、リングの真ん中からロープまで吹き飛ぶ。

 

 あまりの衝撃に一瞬意識が眩む。

 

 ロープがたわみ、跳ね返す。それは再び上空のいるリングの真ん中まで弾き返す程だった。再び奴の拳が握られているのを、眩む意識の中に辛うじて認識する。

 

 このままでは死――。

 

 それは半ば反射だった。

 

「な、何!?」

 

 上空の狼狽える声がぼんやりと聞こえる。ずり落ちそうなフードを空いている方の手で直し、上空の拳を抑えている方の手の力を強める。ぎり、と抜け出そうとする上空の力と抑え込む俺の力で拮抗し、音が鳴る。

 

 頭の中のリミッターがどこか外れた気がした。このまま力を込めてしまえば、上空の選手生命がなくなるんだろう。粉砕し、肉の塊になるまで握りつぶす。それも一つの選択だ。

 けれど、欠片程の理性が、良心がそれに否を唱える。ああ、そうだな。

 

 腹を狙って放たれた上空の拳を解放してやる。拳を手で押さえ握りこむとか、もう御免だ。何せ手がジンジンと熱をもち痺れるように感覚がない。

 

 俺にはこういう甘さがお似合いだ。

 

「――まあアンタの一発分は返すよ」

 

 拳を握り、頭のリミッターを解除、そして限界まで力を発揮させた拳は上空の顔面に食い込む。

 

 そのままあり得ないほど吹き飛んだ上空はリングの隅、ロープの下で気絶していた。

 

 そうだな、奴の全治は――。多分顎の骨が逝っただろうし。

 

「……二か月」

 

 誰も聞いていないだろうけどここまでやったんだし、と呟く。ちなみに俺は上空のあの一撃であばらが一、二本は逝ったので暫く安静しなければいけない。……安静、出来るといいな。ほんと。

 

「勝者、ジェネヴァ!! この年若い新しい王者に皆さま拍手を!!」

 

 審判の男でさえ興奮を露わにマイクを握る手を強め、新しい勝者を声高に叫んだ。その興奮は伝染し、会場内が拍手喝采に包まれる。

 

 ああ、漸くこの仕事も八割方終わるのか。そう嘆息しようと肩の力を抜いた。

 

「では、優勝賞品の授与を――」

 

 審判の男の言葉の途中、言いようのない悪寒が項を撫でる。否、これは悪寒というよりは、直感に似た閃きであり予感だ。

 

 

 瞬間、パシュッと空気を切り裂く凶弾。スポットライトの光を僅かに反射する弾丸を辛うじて視認した。この人並み外れた動体視力で辛うじて分かるくらいだ。果たしてこの会場内に気づいた者がどれ程いたのか。

 

 

 それはライフルによる射撃だった。

 

「ッ」

 

 皮膚を切り裂かれ、鮮血が舞う。

 

『チッ!! オイ、大丈夫かッ』

 

 イヤーカフから聞こえる、焦りの声に俺は唇だけで笑う。それは微か過ぎて微笑みにすらならない掠れ切ったものに違いない。通信の向こう、電子音のノイズが混じるその焦りの声に演技の色はない。おいおい、アンタ恋人のお人好しが移ったんじゃないか?なんて軽口すらきけやしない。

 

 

 でもまあ、焦るなよ。これだって――。

 

「――計画の内だろ?」

 

 ぽつり、独り言に近い小声をライへと向ける。そして懐から準備していたモノを取り出した。手の中に納まる球形、それを瞬時に地面に叩きつけて発動させた。

 

 ボン、と閃光と共に勢いよく煙が視界を埋め尽くした。

 

 さて、これからが俺の仕事の独壇場。腕の見せ所なわけだ。

 




もう少し続くんじゃよ

という訳で補足事項。今回はツッコミどころが多いので補足していたらキリがないような気がするけれど……次回で丸わかりにするつもりです。
※組織のボス、あの方について。
死人の名が云々は実は烏丸氏について。確か半世紀前にご老人だった、云々言っていたような(うろおぼえ
他にも色々と候補は死ぬほど言われているんだろうなぁーと。

※「ああ。はぁー……俺が一人で馬鹿みたいじゃないか……」
黒の組織幹部(ジェネヴァ)の実力及び危険度を図っておきたかったのと、出来れば明美さんとの関係も聞き出したかったのが一番の要因。
この恋に関しては、スパダリだろうけれど、結構ポンコツいや、不器用さんだったのでは?という作者の想像。

※最初の対戦相手が絶望した訳
「――(余命が)三か月」
 という解釈。その声があまりに温度がなく、真実味が溢れていたので勘違いが発生した。ちなみにライの解釈もこっち。結構な勘違い事故が起きている。
ジェネヴァ君的には「(全治)三か月」というつもり。


今回はざっくりとした感じになったので後で書き直すか修正入れたいですね。次回は赤井さん視点。彼にはジェネヴァ君がどう見えているのか、的な。結構な勘違いがおきてそう(小並感)
来週の木曜日か日曜日には更新したい、というかする。うん。頑張ります。
赤井さん視点がないと、次のスコッチさん救済編が綺麗に書けないので。うん。

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