どれだけ隠そうと秘密というのは、何処かしらかばれるものである。
ガエリオ・ボードウィン率いる選りすぐりの精鋭がノーアトゥーン要塞を出港したという情報もご多分に漏れず外部へ漏れてしまった。
ここでガエリオにとって不幸中の幸いだったのは、いの一番に知られたのがギャラルホルンではなかったことだろう。
国家に左右されない公平中立の監視者として組織されたのがギャラルホルンは、正に世界の警察といっても過言ではない。
まだ袂を分かつ前のマクギリスとガエリオが散々語り合ったように、腐敗の進行しているギャラルホルンだが、局地的紛争はあれど三百年間もの長期間に渡って大きな戦争を起こさせなかったことは、十二分に誇るべき実績といっていいだろう。
一方で警察組織というのは昔から反感を買いやすいもの。特に四大経済圏からすれば、ギャラルホルンは目の上のたんこぶだ。
警察と軍事の両方をギャラルホルンに任せきりだったので直接牙を剥くことはできなかったが、牙を磨くことはどの経済圏も欠かしてはいなかった。
大洋州、中国大陸、日本列島などを中心に形成されたオセアニア連邦もその一つである。
オセアニア連邦の中心都市の一つ、北京の政府施設で鉄色の外套で身体を覆った男が自らの掴んだ情報について報告していた。
報告を聞いていた男はそれを機嫌よく頷いて行き、それが終わると上機嫌で舐めていた飴を呑みこんだ。
「ええ、分かりました。つまり予想通りスレイプニルはノーアトゥーンへ到着したのですね」
「左様にて」
煙草や酒よりも、飴などの甘味を嗜む男。彼は名をカエル・コウソンといい、オセアニア連邦において新設された防衛軍の長官を務める男だ。
革命以前のマクギリスの発案によってギャラルホルンが各経済圏に一定の防衛戦力を保有することを許したことで、其々が防衛軍を新設することになった。鉄華団が軍事顧問を務めたアーヴラウ防衛軍もその一つである。
だがそれより前に経済圏に自前の軍事力がなかったかと言われれば決してそうではない。
正直者は馬鹿をみるどころか生きていけないのが政治の世界。どこの経済圏も裏ではこっそり自前の兵力を隠していた。カエル・コウソンは元々そういう裏の兵力を仕切っていた人物で、その実績を買われて表裏を兼ねることになったのである。
「朗報ですよ。マクギリス・ファリドがエルネスト・エリオンなんていう隠し玉を用意していたせいで焦りましたが、これでアリアンロッド側も巻き返しができそうです。
あの忌々しいギャラルホルンが折角身内同士で殴り合っているんですからね。出来るだけ長く続けて、両方とも疲弊してくれないと」
「二虎強食の計……古めかしい策を使われる」
「常套手ですよ。呼び方は違えど多くの国で使われた、ね。表と裏を合わせたってオセアニア連邦だけの力じゃギャラルホルンには太刀打ちできません。四大経済圏で連合軍みたいなものを結成したところでそれは変わりませんよ。まぁ一応とっておきの切り札はありますが、アレはなるべく永遠に秘密のままにしておきたい類の秘密兵器ですからね。ギャラルホルンに対抗するにはギャラルホルンです」
ギャラルホルンの歴史において内乱染みたものが皆無だったわけではない。だがそれらは等しく早期に鎮圧され、歴史の表には出ずに終息していった。
だが今回の内乱は違う。マクギリス率いる革命軍が、ギャラルホルンの巨星ラスタル・エリオンに奇跡の大逆転勝利を収めたことで、歴史の歯車は大きく乱れた。
マクギリスとガエリオ。奇しくも同年代の若手を旗頭とする戦いは、ギャラルホルン史上最大の
そしてそれはカエル・コウソンのような反ギャラルホルンの急進派にとっては願ってもないことだった。
「この内乱がより激しいものになるためにも、ガエリオ・ボードウィンにはもっと頑張ってもらわなければなりません。内部分裂からの降伏なんてされたら、マクギリスの独裁制がより確固たるものになる。そうなれば経済圏への監視はより厳しくなるでしょう」
マクギリスが過去に経済圏の武装を認めた、なんていうのはまったく保証にならない。
一政治家時代は穏健的だった人間が、玉座に着いた途端に変貌するなんていうのはよくあることだ。
「それを避けるため貴方達にはガエリオ・ボードウィンが首尾よく目的を遂げられるよう影で動いて貰います。ことはSAU領内でのことなので裏の中でも『闇』に属している君達にしか任せられません。引き受けてくれますね」
「吾輩等はオセアニアの敵に死を馳走する死神。護国のために人魂を鬼へ売り渡した修羅。御身が長官職にあり、この国の利であり続ける限りにおいて――――如何なる命令も遂行しよう」
「………………余り気に入らない発言ですね」
「謙遜世辞は人の美徳。吾輩は既に人に非ず。鬼に人の美を求められるな」
「まぁやることをやってくれるなら構いませんよ。私は貴方のことは好きじゃありませんけど、貴方の能力は信用していますので。
マクギリス・ファリド。奴はまったく底が知れない……。ラスタル・エリオンやガエリオ・ボードウィンは目的も想像できるし、だから何をしようとしているのかも理解できる。
だけど私にはマクギリス・ファリドがなにを目的とし、どういう行動をとるのかまったく分からない。単にギャラルホルンの改革をしたいだけなのか、自らが権力を掌握したいだけだったのか、アグニカの神話をなぞっただけなのか。どれもが正しくてどれも致命的に間違っている気がする。
まったくあんな人間の行動を先読みして先手をうっていたラスタル・エリオンやガエリオ・ボードウィンの見識が欲しいですよ。なにか方程式でもあるんですかね。
念のために聞いておきますけど、自称人間を止めた鬼の貴方ならなにか分かったりしませんか?」
「吾輩はマクギリスを知らぬ。そして我が目は凡庸なり。腹を割るどころか、面すら突き合わせておらぬ男の性根など分かろうはずもない」
「予想通りのつまらない回答でしたよ、ありがとうございます。それじゃさっさと役目を果たしてきて下さい―――破軍」
「承知」
カエルが返事を聞いて一度瞬きをすると、そこにもう破軍の姿はなくなっていた。
足跡どころか外套が空気に靡く音すら聞こえない、完全なる無音の移動術。闇の仕事人だけはある。
「井戸の中の蛙に
天が与えたこのチャンスは絶対に逃さない。井戸の中の
オセアニア連邦のギャラルホルン支配からの脱却。
そのためならギャラルホルンの兵士の数千数万の犠牲など安いものだ。
オセアニア連邦に遅れて、スレイプニルがノーアトゥーン要塞を出港した報は地球外縁軌道統制統合艦隊にも伝わった。
ただしオセアニア連邦が不正規とはいえ政府直属の人間によって報告されたのに対して、地球外縁軌道統制統合艦隊にこれを伝えたのは民間人だった。
「情報提供者のトド・ミルコネンって男、信用できるんですか? あのちょび髭とか胡散臭さしかありませんよ。旧世紀のコミックに出てくるねずみ男みたいですよ」
「……この男が取り仕切っているモンターク商会は二百年前に設立された老舗で、ファリド元帥閣下とも個人的に付き合いのある企業だ。無視するわけにはいかない」
ユリシーズ・グラント三佐は部下からの苦言にそう返した。
トド・ミコルネンという男の話が本当なら良し。目的は知らないがガエリオ・ボードウィンを自由に行動させるわけにはいかない。
それにもしもこれが嘘だとしたら、モンターク商会や鉄華団などという得体の知れない連中を、元帥から引き離す口実にもなる。
どちらにせよ向かわない訳にはいかなかった。
「けどついてないですよねぇ。石動一佐がいない時に動いてくるなんて」
地球外縁軌道統制統合艦隊の新司令である石動・カミーチェは、全艦隊の五割とともに艦隊基地であるグラズヘイムを留守にしている。
アーヴラウの所有するコロニーで共産主義者の活動家が、近隣の宇宙海賊と一緒に蜂起したため鎮圧に出たのだ。
火星が四大経済圏から独立してからというものの、単純な犯罪以外にもこういった独立騒ぎも増えていて地球外縁軌道統制統合艦隊の頭痛の種になっていた。もっともその殆どが自分の力も弁えずに時流にのった馬鹿なので、艦隊司令が直々に赴くほどの案件になるのは稀だが。
こういう時はつくづくギャラルホルンが軍事力と警察権力を独占して良かったと思う。もしも各経済圏に軍備を自由にさせていれば、今頃は何度目かになるか分からない世界大戦だっただろう。
「連中も石動一佐がいないタイミングを見計らったのかもしれないな。もしかしたら活動家の独立騒ぎもアリアンロッドが仕組んだことかも。追いつめて意図的に暴発させるのはアリアンロッドのお家芸だ」
ユリシーズ・グラントは以前ドルトコロニーの統制局に所属していて、彼の地で起きた虐殺事件にも関わった経験がある。反乱分子の排除という名目で、労働者たちの虐殺にも手を汚した。
そのことがトラウマになって半ば鬱状態に陥っていたところを、革命思想をもつ青年将校に声をかけられて、地球外縁軌道統制統合艦隊に転属したのである。そのためマクギリスへの忠誠心と、アリアンロッドへの敵視は人一倍だった。
「折角元帥の手でギャラルホルンが改革されようとしているのに、奴が要らぬ抵抗をするせいで無用な血が流れ続けている。ガエリオ・ボードウィンは元帥のことを逆賊と呼んだが、私から言わせれば奴こそ平和に対する逆賊だ。もし情報が真実ならここで奴を討つことが平和への第一歩だ。必ず討つぞ」
「はっ!」
マクギリスとガエリオにどういう因縁があるかは分からない。テレビではあれこれと報道しているが、それを鵜呑みにするほどユリシーズ・グラントは馬鹿ではなかった。
しかしラスタルは死んで戦いにも負けたのだ。だったらさっさと降参するのが潔い選択だろう。
ユリシーズ・グラントの敵意をのせて、五隻のハーフビーク級はグラズヘイムを出港した。