エルネスト・エリオンなんてジョーカーを切ってきた後だ。マクギリスの仕掛けた罠であるかもしれない。
そう警戒してスレイプニルに対しては入念な検査が行われたが、実は乗組員が革命思想に侵された青年将校だっただとか、艦内に核爆弾が積み込んであるだとかいうトラップはなかった。
内外ともにガエリオがアイン・ダルトンと共に乗り込んだあの頃のスレイプニルだった。
「お久しぶりです、ボードウィン特務三佐。いえ今は司令官殿とお呼びしたほうが宜しいですかな」
数年前はなにかと世話になったスレイプニルの艦長が挨拶をする。
長旅の疲れからか少しだけ痩せたようだった。
「あくまで俺はラスタル・エリオン死後の代役だ。好きに呼んで構わない」
「ではボードウィン卿とお呼びしましょう」
「助かる」
特務三佐呼びを継続しなかったのは艦長なりの気遣いだろう。特務三佐は通常の階級では二佐に相当する。だがこれだとガエリオは二佐でありながら、乃木一佐を差し置いて司令官をやっていることになり問題になってしまう。
そのためガエリオはギャラルホルンの特務三佐ではなく、セブンスターズのボードウィン卿でなければならないのだ。
「スレイプニルに乗ってきたということは、艦長達はボードウィン家としてアリアンロッドに参加するということで良いのか?」
「半分はそうです。我々は貴方の父君。ガルス・ボードウィン公の密命を受け、貴方の助けに参りました。革命派の目を掻い潜っていたせいで肝心の決戦に間に合わなかったのは、わが身の不覚と言う他ありません」
「お前のせいではない。セブンスターズである父は屋敷で完全な監視の下で軟禁状態にあるという。ボードウィン家に属するお前たちにも相当厳しい目が向けられていただろう。寧ろそんな中でよく駆けつけてくれた。父に代わって礼を言う」
「…………失礼を承知で言わせていただけるのなら、昔の貴方は血気盛んな困った人という印象でしたが、数年のうちに見違えられました。男子三日会わずんばなんとやらですか」
「色々とあったからな。いつまでも呉下の阿蒙ではいられないよ。俺には血と友の責任がある」
マクギリスとの戦いに負った顔の古傷を撫でる。
彼が寸前で情の尻尾をみせたのか、それとも単に運が良かったのか。命は取り留めたものの失ったものは少なくはなかった。ラスタルとの話し合いで死を偽装したことで、父と妹にいらぬ悲しみまで与えてしまった。
だが例え一時的にせよボードウィンの名を消しても、ガエリオにはやらねばならぬことがあった。それはまだ果たされていない。
「それでもう半分の事情というのはなんだ?」
「それに関しては私ではなく、彼に説明してもらったほうが早いでしょう」
艦長が促すと前に進み出たのは黒い髪の理知的な風貌の男だった。
艦長以下の乗組員が全員ギャラルホルンの制服を纏っていた中で、この男だけが紺色のスーツをびっちりと着込んでいたので最初から気にはなっていた。
「初めましてボードウィン卿。私はデトロイトにて事務所を構えているべトゥーラス弁護士事務所所長の息子で同事務所に勤務しているジャン・べトゥーラスです」
100万$の営業スマイルを浮かべながらジャン・べトゥーラス弁護士が名刺を差し出してくる。
デトロイトは旧世紀のアメリカ合衆国を中心として成立した経済圏SAUの都市の一つだ。自動車産業などが栄えた世界都市として名をはせる一方で、旧世紀時代から犯罪率の高い犯罪都市としても有名である。
そのため現在は治安回復の名目でSAU内のギャラルホルンの直轄地のような扱いになっている。都市内には多くのMS関連工場があるので、ギャラルホルンにとってもなにかと重要な都市だ。
「丁寧な挨拶痛み入る。デトロイトからの長旅に疲れているであろう客人に紅茶の一杯でも差し出したいが、俺はその前に君に聞かなければならない。一体どんな要件でここに?」
「私としてもなるべく要件を伝えたいのですが、失礼ですがここにいる人間は貴方にとって信用できますか? 盗聴器などの仕掛けられている可能性は?」
スレイプニルの乗組員を除外すればこの部屋にいるのはガエリオ、ジュリエッタ、乃木一佐とアリアンロッドの将兵が三十人ほどだ。
シノ改めシノンは部屋の外の監視という名目で外にいる。細心の注意を払うなら乃木一佐達にも席を外してもらうべきなのかもしれないが、
「大丈夫だよ、俺はここにいる人間を全員信用している」
ガエリオは強い口調で断言する。
疑心暗鬼が芽生えつつある今のアリアンロッドでそんな真似をすれば、火に油を注ぐだけ。疑いを晴らす最良の手段は自分から信じる姿勢をみせることだ。
「分かりました。ではお話しします。私共の事務所はラスタル・エリオン様より〝自身〟に〝万が一〟があった時のための『遺書』を預かっておりまして」
「っ!」
「ラスタル司令の遺書だと!?」
滅多に動じない乃木一佐もこれには驚愕を隠すことができなかった。
エリオン家当主にしてアリアンロッド艦隊の絶対的なトップであったラスタル・エリオン。彼の残した遺書の内容如何によっては、エルネストという毒によって内部分裂に追い込まれつつあるアリアンロッドを救う特効薬になりえる可能性があった。
「ええ。本来であればエリオン公の死が確認された時点で公の場で発表するべきなのですが、今の情勢ではファリド元帥によって握りつぶされるのは確実でしたので、こうして直接足を運ぶことになったのです」
「……遺書の内容を見せてもらえるか?」
「はい、ここに。写しを用意してあります」
ジャン・ベトゥーラス弁護士の手渡しした封筒には、直筆の遺書のコピーが入っていた。
あらゆる情報をデータで管理するのが当たり前の現代ではあるが、やはり一番信頼できるのは紙媒体ということで、重要書類は今でも紙を使うことが多々ある。遺書などというのはその最たるものだ。
ラスタル直筆のサインとエリオン家の刻印がされた印は、この遺書が偽物でないことを示している。
一行目から目を通すが、特におかしなことは書かれていない。
自分の死後の処理について事務的なものがつらつらと書き連ねられていた。
遺書の三枚目から十四枚目には部下達への最後の薫陶のようなものがびっしりと書き込まれている。当然その中にはジュリエッタや亡きイオクへ向けたものもあった。このあたりは面倒見の良いラスタルの性格がよく表れているといっていいだろう。
だが一番新しく、そして最後に書かれたであろう十五枚目にはとんでもないことが書かれていた。
『マクギリス・ファリドとの戦いで私が戦死した場合、エリオン家当主の地位と私が有していた全ての権限は、私の養子であるガエリオ・ボードウィン・エリオンに継承されるものとする』
「なっ!? ガエリオ、貴方いつラスタル様と養子縁組をしていたのですか!?」
「落ち着けジュリエッタ! 寝耳に水だ! まったくの初耳だぞこれは! なにがどうなっている!」
ジュリエッタの憤慨は尤もだが、ガエリオには本当に覚えのないことだった。
となると黒幕として考えられるのは一人しか思いつかない。
「まさかラスタルが……?」
「はい。もしもの時のための保険として用意したとエリオン公が仰っていました。流石にその方法までは知りませんが。ちなみにこちらが養子縁組届のコピーとなっております」
「お、俺の名前が……? しかもこの筆跡は俺のもの……。狐に化かされている気分だ。いや狐というよりは狸だな」
ラスタルが豪快さと腹黒さを併せ持つ人物なのは重々承知していたが、今度ばかりは狸爺と顔面にグーを叩き込んでやりたい気分になった。
思わずガエリオの口からは笑い声が漏れてしまう。
「ふくくっ、あはははははははははははははははははははははははははははははははは! 大した男だよラスタルは! 死んでいなくなったと思わせておいて、まだ俺もマクギリスも彼の掌の上からは逃れていなかった!」
遺言にはエルネスト・エリオンについては一切書かれていなかった。よってガエリオ・ボードウィンがこの遺言通りにエリオン家を継承すれば、全ての問題は一気に解決することになる。
エルネスト・エリオンという
「それで俺はどうすればいい?」
「正式な養子縁組手続きの完了には、貴方に直接来て頂けなければなりません。コピーではなく本物の遺書のあるデトロイトへ。その手続きさえ終われば、過去へ遡って貴方はラスタル・エリオン公の養子だったということになり、継承は滞りなく行われるでしょう」
「デトロイトか。盛大な寄り道になるが止むを得ないな」
「はい。ですがついでにデトロイトの工業地帯を接収できれば他の問題についても解決します。行くしかないでしょう」
乃木一佐も賛意を示した。
マクギリスが地盤固めにヴィーンゴールヴから動けない今のうちに、デトロイトでこちらの権威を確立させる。
それが現状唯一の打開策だった。