ドンドンドン、と太鼓の音が戦場に響く。
それに合わせて徐州軍は後退する。
当然ながら、黄巾党は追撃してくる。
盾が有るので矢や槍の被害は抑えられるが、それでもこういった場合は攻勢に出ている方が強い。徐州軍は少しずつ、ジリジリと押されている。
……ように、見える。少なくとも黄巾党は押していると考えた様だ。城門から新手の部隊が現れた。先程と同じくらいの数。先行した青州軍がどうなったのか心配になるが、徐州軍は目の前の事にだけ対応した。
敵の新手が近づいてくる。その新手は左右に分かれ、徐州軍の両翼を切り裂こうとしている。いくら徐州軍の方が兵数が多いとはいえ、このままでは大きな出血を伴うだろう。
勿論、諸葛亮こと朱里がそれを想定していない筈はなかった。
「今です!」
黄巾党が左右に動いて、その隊列を大きく広げた時、朱里は羽毛扇を振った。同時に、先程とは違ったリズムの太鼓、そして新たに銅鑼の音が響き渡った。
ジャーンジャーンジャーン。
その音と共に左右の小さな森から複数の部隊が現れた。
右の森からは「関」「糜」の旗が、左の森からはもう一つの「糜」と「田」の旗が黄巾党に向かって猛然と近づいてくる。
徐州軍を代表する将、関羽と、実戦経験は少なくともそつなく熟す麋竺。その妹の糜芳と、劉備の幼馴染みである田豫。この四人の将がそれぞれの部隊を率いて黄巾党に斬りかかった。
突然の事に驚き戸惑う黄巾党に、出来る事は少なかった。混乱する部隊は戦うか逃げるかの意思統一が出来ておらず、ただ徐州軍の刃の露と消えていった。
何とか態勢を整えた部隊も居たが、そういった部隊には関羽隊や田豫隊といった練度が高い部隊が瞬く間に蹴散らしていった。
そうして左右から黄巾党を削っていく間に、劉備隊と諸葛亮隊は陣形を鋒矢陣へと変え、浮足立っている黄巾党を分断していく。先程までは徐州軍を包囲しかけていた黄巾党は、その陣形を維持できなくなっていた。
やがて、関羽隊が劉備隊、諸葛亮隊と合流し、その勢いのまま城内へと突入する。残る麋竺隊、糜芳隊、田豫隊はこの場に残った(というより残された)黄巾党を殲滅するべく部隊を動かしている。関羽隊らの横撃により壊乱している黄巾党には、この三部隊で充分と判断したのだろう。
桃香の隣に馬をつけて併走する関羽こと愛紗に、桃香が声をかける。
「愛紗ちゃん、怪我は無い?」
「私は大丈夫です。桃香様も御無事で何よりです。」
「朱里ちゃんの策が上手くいったからね。ありがとう、朱里ちゃん。」
「勿体無いお言葉です。私は、軍師としてやるべき事をしただけです。」
愛紗とは反対側で併走する朱里は、真っ直ぐに前を見据えながら答える。
「ですが、この策が上手くいったのも、相手が黄巾党という賊だからです。名のある武将相手でしたら、こうはいかなかったでしょう。」
朱里のその言葉に、桃香は曹操や孫策を思い浮かべた。確かに、通用しないだろうと思った。
桃香がそう思っている間に、朱里は馬を進めながら言葉を紡いでいく。
「敵が臨淄城内に多数居る事は、細作などによる事前情報から分かっていました。ですが、こちらの総兵数は三十万以上。正面から戦っても負けはしないでしょう。ですが、そうなると一つ問題が出てきます。」
「賊が臨淄から打って出て来ない、という事だな。」
愛紗の言葉に朱里が頷いて答える。
「賊というのは、勝てる相手とだけ戦います。勿論、将もそうですが、賊の場合はそれが顕著です。私達が大軍だと知れば、相手は野戦には出ず、籠城戦を選んだでしょう。幸い、兵站も武器も余裕がありますので、相手が籠城しても負ける事はありません。」
「けどそれは、臨淄に居る人達の事を考えれば出来ない。」
桃香が常とは違う、大将としての表情で言葉を紡ぐ。
「はい。私達は黄巾党を倒すだけでなく、臨淄の人達を助け出すという使命があります。その為には時間をかけての決戦は出来ません。」
「夜戦ではなく夜明け前に仕掛けたのも、戦いを有利に進める為と、城内に入ってから速やかに住人を助ける為だからな。」
愛紗はそう言いながら部隊に住人の保護を命じていく。
夜戦の場合、もし城内に入っても暗くて住人を探すのが困難になる。現代とは違って街灯などは無いので、夜は月明かりくらいしか頼れない。松明を持っての捜索は万が一建物などに火が着いたりしたら大惨事になりかねないので、出来なかった。
また、布陣や近くの森の中に部隊を隠すには夜が最適だった。敵に気取られない様に接近し部隊を展開させるには時間がかかるので、その分も計算して動かなければならなかった。
黄巾党が野戦に出易い様に、本隊である劉備隊と諸葛亮隊だけで布陣したり、その数も不自然にならない程度に少なくしたり、城内から増援を出させる為にわざと後退したり、今回の戦いの為の策はいくつもうっている。その結果が今である。
勿論、城内に進入したからといって勝った訳では無い。
街の住人を助け出し、青州黄巾党の首領、管亥を倒さなければ、この戦いは終わらない。黄巾党の乱を終わらせる為にここまで来たのだから、絶対に勝たなくてはならないと、桃香たちは思った。
進軍する途中、住人と思われる人達から手を振られた事も桃香たちの戦意を上げる一因となった。何人が無事かは分からないが、少なくとも生きている人が居るという事実は桃香を大いに安堵させた。
やがて、前方で戦闘が行われているのが見えた。街の中心部らしく、結構な広さの場所で、青州軍と黄巾党が戦っていた。
その中で太史慈はというと、黄巾党の武将と一騎討ちをしていた。太史慈ほどの武将が何合も打ち合っているという事は、あの敵はかなりの実力者という事である。
「青州軍の皆さんを援護してください! 愛紗ちゃん、お願い!」
「承知!」
桃香の指示と同時に徐州軍が、特に関羽隊が戦場に雪崩れ込んだ。
青州軍よりやや多かった黄巾党だが、関羽隊が現れた事でその数的優位は崩れ、瞬く間に潰乱していった。それでも、太史慈の一騎討ちは続いていた。
「子義殿、大丈夫か!」
「雲長さん、大丈夫です! ここは私に任せて、皆さんは黄巾の首領を!」
「分かった‼」
愛紗はそう言うと部隊を率いて街の更に奥へと進んだ。
もし、太史慈が苦戦する様なら一騎討ちを代わろうかと思った愛紗だったが、今見た限りではその必要は無いと判断した。それだけ、太史慈の実力は高い。
関羽隊の大多数が奥へと進んでいく中、後方からやってきた麋竺隊、糜芳隊、田豫隊が残党を倒していく。劉備隊と諸葛亮隊は、桃香が各隊に指示を出すと関羽隊の後を追って行った。
一連の事を、太史慈は一騎討ちしながら見届けた。それが、黄巾党の将には気に食わなかった様だ。
「てめえ、俺様相手に余所見とは良い度胸じゃねえか!」
「貴様如きには、それで充分ですから。」
太史慈は、わざとか分からないがそう答えた。勿論、黄巾党の将がこれで怒らない訳がなかった。
「てめえ! この波才様を本気で怒らせたなああああ‼」
波才と名乗った黄巾党の将は、激昂しながら得物である大剣を振り回した。太史慈はそれを避けると、波才に向けて長剣を振り下ろす。
大振りだった波才はその攻撃を避けきれず、右肩を切り裂かれた。
激痛に耐えきれない叫びをあげた波才は、よろけながら得物を落とした。それを見逃す太史慈ではない。
そのまま一気に波才を両断し、剣についた血を振り払うとその剣を掲げ、辺り一帯に聞こえる様な大声をあげる。
「黄巾の将、波才は青州軍の太史慈が討ち取った‼」
その瞬間、青州軍や徐州軍の兵士達は皆雄叫びをあげ、一方の黄巾党は皆落胆し、降伏する者が多く出た。降伏をした者は皆等しく捕縛され、あくまで抵抗する者は皆等しく討ち取られた。
これで青州黄巾党の勢いはより落ちると思われる。太史慈が大声で叫んだのも、そうした効果を狙ったからだ。
そしてその効果は、太史慈たちの先を行く劉備隊や、黄巾党に早くも出ていた。
「心なしか、敵の数が少なくなった様です。」
「先程聞こえた、敵将撃破が黄巾党にも聞こえたのでしょう。恐れをなして、逃亡し始めているのかも知れません。」
「だったら、このまま管亥さんも降伏してくれたら楽なんだけどね。」
併走する愛紗、朱里、桃香は周りを見ながらそんな会話をしている。
確かに、視界の端には、徐州軍に背を向けてどこかへ走っている黄巾党の姿が見えている。桃香は敢えて追撃の指示出していない。理由は、時間をかけない為と、敵味方共に無駄に血を流したくないからだ。邪魔をするなら蹴散らすが、そうでないなら戦う必要は無いというのが桃香の考えだ。
一見甘い考えだが、実は兵法に照らし合わせれば実に理に適っていた。沢山戦うよりも、少ない戦闘で勝つ方が被害が少なく済み、時間もかからない。
実例を挙げれば、反秦戦争で項羽は敵の降伏を認めず、全ての城を落としていったが、劉邦は敵が降伏するならそれを認め、戦闘は最小限に抑えていった。その結果、秦の首都である咸陽に先に入ったのは劉邦であり、ここで善政を敷いた事が後の楚漢戦争の勝利に繋がったりしている。
劉勝の子孫である桃香は劉邦の子孫でもあるので、彼女のこうした行動は、もしかしたら劉邦の血が濃く残っているからかも知れない。
尤も、現実はそんなに楽ではないのも確かである。
「……! 前方より、“管”の旗を掲げた一団が接近しています!」
「頭領自ら出陣ですか……まあ、うちも余り余所の事は言えませんが。」
「……やっぱり、やるしかないよね…………弓兵隊、構え! 目標、敵首領管亥‼ ……撃てーーー‼」
桃香は暫し考えた後、攻撃を命じた。空を覆うかの様に、大雨の様に矢が黄巾党に降り注ぐ。盾などで攻撃を防いだ者も多いが、矢の数が違う分、与えた被害は大きかった。
それなのに、数は余り減っていない様に見える。実は、桃香たちの位置からはよく見えないが、管亥の後方には沢山の黄巾党の兵が接近しており、色々な道を通って徐州軍に迫ってきていた。
朱里はそうした事態を想定して部隊を動かしているが、大部隊を展開出来ない街の中でどれだけ有利に戦えるかは、実際の所未知数であった。
街の中心を通る大通りを進んでいるとはいえ、この大通りに繋がる道は無数にある。そこから伏兵が来たら、という想定は勿論しているが、それもどれだけ防げるかは分からない。この臨淄の街は今、青州黄巾党の本拠地なのだから。
青州黄巾党の反撃の矢を防ぎ、また犠牲を出しながら前に進む徐州軍。桃香は、愛紗は、朱里は矢の第二撃を命じる。
互いに命の灯を消し合いながら、出血を伴いながら、戦いは続いた。
その様に両軍、死力を尽くして戦う中、青州黄巾党の首領、管亥は戦闘を遠目に見ながら笑っていた。
「ククク……あれほどの威勢を誇った黄巾党も、どうやらここで終わりか。……だが、俺達はただでは死なん。」
管亥は大柄な男である。それでいてしっかりとした筋肉がついており、一見しただけで強靭な体の持ち主だと分かる。
獲物を狙う様な獰猛な目つきは、以前の管亥を知る人が見たら信じられないだろう。地和や飛陽が見たら驚く筈だ。
「一人でも多くの官軍を道づれにして、黄巾党の最期を華々しく飾ってやる。」
かつて、飛陽の故郷を救った時の、正義感に満ち満ちていた管亥は、もう居ない。
ここに居るのは、ただただ人を殺す事を生き甲斐としている、餓えた獣でしかない。
そんな獣に先導されている青州黄巾党も、また獣と同じであり、しつけが出来ない獣は処理するしかない。そうしなければ、人間に危害が及ぶからである。
「張三姉妹の為にも、な。」
かつての上官である張三姉妹の名前を出す管亥。それだけ聞けば、彼女達へ敬意を表している様に聞こえるが、管亥の表情はそんな風に見えない。
ただ、戦闘を見て嗤っているだけだった。
という訳で、第十六章「青州解放戦・前編」をお届けしました。
当初はこれで青州編を終わらせる予定でしたが、麗羽のくだりが予想以上に長くややこしくなった事と、その為にこの後の展開も必然的に長くなってしまうので、前後編形式にしました。
色んな三国志ものでも、青州はそんなに注目されない事が多いので、参考にする資料が少なく、また、却って自由に出来る分長くなってしまったと言えるかも知れません。
あと、何より更新が延びに延びてしまった事をお詫びします。次は多分早く更新出来るでしょう。……多分。
後編では、前編と同じく青州と麗羽の動向を書いていきます。どんな風に展開するかはもう出来ているのですが、これを文章にしようとすると……時間がかかります。
司馬遼太郎作品の影響で地の分が長くなったんだろうなあ。もう少し台詞を多くしてみます。
それでは、後編も引き続きお楽しみください。
2016年3月9日更新。
2017年6月26日掲載(ハーメルン)