朝食後、鈴々と一旦別れた涼達は桃香の家へ帰って行った。
すると、桃香の母から「
「おや、皆様方。お帰りなさいませ。」
涼達が入って来たのを確認すると、徐福は飲んでいたお茶から口を離してそう言った。
「ただいま。……って、今日はどうしたの? また
涼がそう尋ねると、隣に居る桃香と愛紗の表情が険しくなる。
だが徐福は普通の表情のまま答える。
「いえ、街は今至極平和です。それに、もし黄巾党が現れたのなら、ここでのんびりとお茶を飲んでおらずに皆様方を探していますよ。」
「そ、それもそうだね。」
ホッとしながら三人は徐福の側に座る。
「なら、何の用で家に来たの? 徐福ちゃんが只遊びに来たって訳じゃ無いんでしょ?」
徐福を見ながら、桃香が尋ねる。
「ええ。先ずは皆様方にはこれに目を通して戴こうかと。」
「これは?」
服の内側にポケットでも有るのか、徐福は数枚の紙をそこから取り出し、涼達に渡す。
受け取った涼はそれが何かよく解らなかったが、次の言葉で理解した。
「先日の戦いの報告書です。」
そう言われて紙に目を通すと、「死傷者数」「捕縛数」等の文字と、それ等の横に漢数字が記載されていた。
因みに、この世界の文字の読み方が解らない涼は、取り敢えず読める文字だけを読んでいる。
(皆と話す事は普通に出来るのに、何で読む事は出来ないんだろ。……何だか理不尽だ。)
そんな事を涼が頭の中で愚痴っていると、徐福が報告書の説明を始めた。
「そこに書いてある通り、昨日の掃討戦でこの辺りに居た黄巾党は壊滅しました。また、捕縛した黄巾党の人間から、色々と有益な情報を手に入れる事も出来ました。残念ながら、首領である
始めはテンポよく話していた徐福だが、最後の部分は良い情報では無かったからか、声のトーンが若干下がっていた。
(張角か……。確か、三国志演義では黄巾党の乱の最中に病死したんだよな。情報が無いって事は、こっちの張角も既に死んでいるのか?)
報告書を取り敢えず読みながら、涼は情報を整理していた。
これからも戦うであろう当面の敵、黄巾党について。
一通りの説明が終わり、涼や愛紗、桃香との意見交換を終えると、徐福は再びお茶を飲み始めた。
「ところで、皆様方はこれからどうするおつもりなのですか?」
お茶を飲み終えると、徐福は涼達を見ながらそう尋ねた。
それに対し、三人を代表して涼が答える。
「成程、黄巾党を殲滅させる為に旅立ちますか。」
「ああ。」
強い意志がこもった声でハッキリと答える涼を、徐福は感心した様に見ながら暫く考える。
「で、具体的にはどうするのですか?」
「それは未だ決めてない。」
「…………は?」
予想外の応えに、徐福は思わず目を点にしながら、間の抜けた声を出してしまった。
「取り敢えず、義勇兵を集めていこうとは思ってるんだけど。」
「……では、その義勇兵を集める為の資金は有るのですか?」
「無い。けど、何とかなるでしょ。」
「…………。」
遂に反応出来なくなったのか、徐福は口を開けたまま黙ってしまった。
涼はその様子に怪訝な表情をしているが、隣に居る桃香と愛紗は徐福の異変に気付いたらしく、無意識の内に座ったまま後退りしていた。
それに気付かない涼は、徐福に声をかけようとする。
すると、
「……貴方は何を考えているのですかっ‼」
「わっ!?」
メチャクチャ大きな声で怒鳴られたのだった。
「目標を持ったのは良しとしましょう。ですが、その為の指針が何も無いというのはどういう訳ですかっ‼」
「ちょっ、徐福!?」
怒りで興奮している徐福が涼に詰め寄る。
余りの迫力に思わず後退る涼だが、徐福はその分も詰め寄っていく。
「これでは、感心した私がバカみたいではないですかっ!」
遂には、涼の襟元を両手で掴んでしまう徐福。
流石に桃香と愛紗も止めようとしたが、徐福に睨まれるとそれ以上動けなかった。
あの関羽を威圧するとは……徐福、恐るべし。
「まあまあ、落ち着いて。」
「これが落ち着いていられますかっ!」
涼の制止の言葉にも、耳を貸そうとしない徐福。
だが、それでも涼は言葉を繋いでいく。
「確かに今はお金が無いよ。けど、当てが無い訳じゃ無いんだ。」
「……と、言いますと?」
またも予想外の言葉を聞いた徐福は、ピタッと怒りを鎮めて涼の話を聞きだした。
まあ、依然として襟元を掴んだままだが。
「お金が無いなら何とかして増やせば良い。例えば、何かを売るとかね。」
「それはそうですが、それなりの物で無ければ、売っても二束三文にしかなりませんよ。」
「うん、確かにそれなりの物じゃないとね。……徐福、俺の肩書きは何か言ってみて。」
「
何かに気付いた徐福が涼を見つめる。
「もしや、天の国の物を売るのですか!?」
「御名答♪ 俺の世界じゃありふれた物でも、この世界じゃ物珍しい筈。なら、結構良い値で売れると思うんだけど、どうかな?」
「それは……確かに……。」
涼の説明を聞いた徐福が右手を口元に当てながら考え込む。
やはり依然として襟元は掴んだままだが。
「天の国の道具を
「だろ?」
徐福が賛同したので、涼は笑顔で徐福、桃香、愛紗に顔を向ける。
それを見て、桃香や愛紗もホッとしたのか笑顔になった。
だが、徐福はそんな雰囲気を壊す一言を放つ。
「ですが、清宮殿の計画に相当する好事家を探すのは簡単じゃないですよ。」
「え?」
途端に涼達の表情が曇る。
「確かに好事家は欲しい物珍しい物を手に入れる為なら、お金に糸目は付けません。……が、義勇兵を雇い装備も調えられる額を出せる好事家は、そうそう居ないでしょう。」
「幾ら好事家と言っても、当然ながら資金には限りがあるからな。」
「ええ。清宮殿が義勇兵をどれだけ集める気か解りませんが、かなりの額が必要になるのは明らかですからね。」
徐福が冷静にそう言うと、涼は困った顔をしながら頬をかく。
「うーん……良いアイデアだと思ったんだけどなあ。」
「あいであ?」
聞き慣れない単語を耳にして、思わず聞き返す徐福。
「天の国の言葉で、考えや思いつきって意味だよ。」
「成程。確かに清宮殿の“あいであ”は良いと思います。後は、その大金を出せる好事家が居るかどうかだけです。」
涼の説明を聞いた後、徐福はそう言って涼の「あいであ」を認めた。
だが、かといって問題が解決した訳では無いので、涼達四人は揃って頭を抱えてしまった。
この時になって漸く、徐福は自分が涼の襟元を掴んだままなのに気付き、慌てて手を離し涼に謝罪する。
だが、涼はさほど気にしてなかったのか別段咎めはしなかった。
そんな事もありながら考えていると、不意に桃香が手を挙げながら提案した。
「えっと……取り敢えず、ここで考えていても好事家が見つかる訳じゃ無いから、外に行ってみない?」
それは凄く単純だが、だからこそ皆が失念していた事だった。
「そうだな。確かに桃香の言う通り、ここでウンウン唸ってたって好事家は見つからないしな。」
「でしょ? 愛紗ちゃんはどう?」
「私も、桃香様や御主人様が仰る通りだと思います。」
桃香の提案に、涼と愛紗は直ぐ様同意した。
なので、そのまま出掛けようとした涼達だったが、何故か徐福がキョトンとしていたので、涼達は立ち上がったまま徐福に話し掛けた。
「徐福、どうしたの?」
「……ああ、いえ、何でもありません。」
「何でもないって表情じゃ無かったよー。」
徐福は平静を装うものの、桃香に突っ込まれて思わず俯いてしまう。
それから暫く考えてから徐福は尋ねた。
「
「うん、昨夜の宴の中でね。」
徐福の質問に桃香が答える。
「そうでしたか。皆さんは昨日、お互いを姓名で呼んでいたので、今の会話は少々驚きました。」
「そうか?」
「ええ。……もしや、皆さんは既に閨を共にする仲になっているのですか?」
「「ぶっ‼」」
徐福がそう発言した途端、桃香と愛紗は殆ど同時に顔を真っ赤にし、慌てふためいた。
だが只一人、涼だけはキョトンとしていた。
「なあ愛紗、“ねや”って何の事だ?」
「なっ!?」
涼に尋ねられて、紅かった顔が更に紅くなる愛紗。
尋ねられてない桃香も、心なしか紅くなっている様だ。
「えっと……それはですね…………。」
愛紗は律儀に答えようとするが、慌てふためいていて中々答えられないでいた。
そんな愛紗を見かねてか、代わりに桃香が答えようとする。
もっとも、その桃香も未だ顔を紅くしているのだけど。
「りょ、涼兄さん、本当に閨を知らないの?」
「知らないけど……ひょっとしてその言葉って、知ってて常識だったりする?」
「えっと……この場合の意味は子供は知らないかも知れないけど、私達くらいの歳の人なら、大体の人は知ってると思いますよ。」
「??」
桃香の説明を聞いても、涼はイマイチピンとこなかったらしい。
と、そんな時、徐福がクスクス笑いながら涼に対して詳しく説明を始めた。
「清宮殿、閨とは寝床の事。特に、夫婦や恋人同士が共に寝る寝床の事をそう言うのです。」
「……な、成程、そうだったんだ……。」
理由は解った涼だが、その所為で急に変な汗をかき始めていた。
(夫婦や恋人が寝る寝床ってわざわざ言うって事は……つまりは、“ああいう事”をする寝床って意味だよな……。)
流石に、高校生である涼は彼女達の言わんとする事を理解している。
なので、桃香と愛紗が顔を紅くした理由も
「ところで清宮殿。」
「何?」
「先程、劉備殿が清宮殿の事を“涼兄さん”と呼んでいましたが、それはどういう意味なのでしょうか?」
「ああ、それは……。」
徐福に尋ねられた涼は、隣に居る二人に話して良いか確認してから、昨夜の事を話し始めた。
「……成程、皆さんは義兄妹・義姉妹の契りを結んだのですか。」
「ああ。差し詰め、“桃園の誓い”ってとこだな。」
三国志演義における、人気エピソードのタイトルをそのまま告げる涼。
「“桃園の誓い”、ですか。中々雅な例えですね。」
「本当だねー。」
「確かに。」
どうやら、涼が考えたオリジナルの名前だと思ったらしい。
まあ、三国志演義を知らないのだから当たり前ではあるが。
説明するのも面倒なので、それについて涼は何も言わなかった。
「それじゃ、改めて行こうか。」
涼がそう言うと、四人は今度こそ部屋を出た。
街に出た涼達は、手分けして好事家を探し始めた。
とは言うものの、やはりそう簡単に見つかる筈もなく、涼達は休憩をとりながら探し続けている。
「中々見つからないねー。」
「そうだな。」
「やっぱり、徐福ちゃんが言ってた通り、簡単にはいかないのかなあ。」
「かもな。」
街を歩き回りながらそんな会話を続けているのは、桃香と涼の二人。
愛紗と徐福は、鈴々を迎えに行ってから、そのまま探しに行くと言っていた。
その言葉通りに探しに行ったのか、愛紗達は未だ涼達と合流していない。
「うーん……。」
「どうした?」
そんな中、気が付くと桃香がこちらを見ながら唸っていた。
「涼兄さん、好事家さんが見つからないのに全然焦っていませんよね。」
「そう見えるか?」
「うん。」
そう言って桃香はさっきより強く見つめてくる。
だが涼は素知らぬ顔で歩き続ける。
その内心では、桃香の事を意外と鋭いなと思っていた。
(昨夜、俺達が桃園の誓いをした事で、この世界が三国志の世界、それも三国志演義を元にした世界だと確信出来た。)
「桃園の誓い」は、正史の「三国志」には無い「三国志演義」の創作である。
正史の「三国志」が歴史に忠実に描かれているのに対し、「三国志演義」は劉備や
「桃園の誓い」以外にも、「赤壁の戦い」における諸葛亮の活躍等も幾つかは創作だと言われている。
勿論、創作がダメだというのではないので、誤解しないでほしい。
兎に角、この世界が「三国志演義」がベースになった世界なら、涼達が旅立つ為の準備が出来る様になる筈だ。
だが、
(だとすれば、この場面では当然あの二人が出て来る筈だけど……。)
果たして本当に出て来るのか、不安が無い訳でも無かった。
「大丈夫大丈夫。心配しないで良いって」
「涼兄さんがそう言うなら、私も気にしないけど……。」
だが、その不安を桃香に悟られない様に、涼は努めて明るく振る舞っていた。
と、そんな時だった。
「あんたが清宮様と劉備様かい?」
二人は後ろから声をかけられた。
急に声をかけられた事に少し驚きながら、涼と桃香は同時に振り返る。
そこには小柄なツインテールの少女と、涼と同じくらいの身長の少女が立っていた。
「そうですけど……貴女達は?」
桃香がそう答えながら逆に問い掛ける。
「あたいは馬商人の
「
桃香の問いに対して、比較的長身の少女が張世平と名乗ると、続けて小柄なツインテールの少女が蘇双と名乗った。
(来たか……。しかし、やっぱりこの二人も女の子なんだな。)
涼は張世平と蘇双を見ながら、この世界に来て何度目か解らない感想を呟く。
しかし、いつ迄もそう思う訳にもいかないので、取り敢えず二人の話を聞く事にした。
すると、二人は涼達が好事家を探している事を人伝に聞いたらしく、涼達の力になれると言ってきた。
それを聞いた桃香は素直に喜んだものの、自分達が必要としている額を考えると、途端に不安になってしまった。
「涼兄さん、どうしましょうか?」
「取り敢えず、もう少し話を聞いてみようよ。」
涼がそう言うと、桃香は静かに頷いて話を続けた。
すると、彼女達が出せる金額は涼達が必要としている金額以上だった。
思わず桃香が尋ねる。
「馬商人って、そんなに儲かるものなんですか?」
「あたい達は元々、
「元々?」
桃香が何気なく呟くと、二人は表情を暗くして話し始めた。
「……あたい達の家族は、黄巾党の奴等に殺されたんだ。」
「……!」
静かに告げられた事実に、思わず絶句する涼と桃香。
「あたい達は何とか生き延びられたから、家族の仇を討ちたい。」
「けど、私達には力がありません。ですから、私達の願いを聞き届けてくれる人を探していたのです。」
そう話す二人の瞳には、悔しさと悲しさ、そして希望が同居していた。
そんな二人を、涼と桃香が放っておける筈がない。
涼と桃香は二人の申し出を受ける事にした。
それでも、一応確認したい事が有ったので、涼は二人に問い掛ける。
「何故、俺達なんだ? ここに来る迄にも、有力な将や太守は沢山居たんじゃないのか?」
「三国志演義」を知っている涼には聞く必要が無い質問なのだが、それでもここは異世界なので、聞いておきたかった様だ。
「確かに、ここに来る迄に沢山の人に会ったよ。けど、その殆どが私利私欲にまみれた奴ばっかで、あたい達が望む人物は一人も居なかった。」
「そんな中でこの街に着くと、お二人の噂を耳にしたので、私達の願いを託そうと思ったのです。」
「噂を聞いただけで決めて良いのか? 実際には、俺達も私利私欲にまみれた奴かも知れないのにさ。」
涼は敢えて自分達を卑下した物言いをしてみる。
「勿論、人の噂は当てにならない事も多くあります。」
「だけど、あんた達を見て確信したよ。あんた達は、あたい達が望んだ人物だ。」
「何でそう言い切れるんですか?」
自信満々に話す張世平に対し、桃香が問い掛ける。
すると、張世平は涼と桃香を見ながら答える。
「瞳さ。」
「「瞳?」」
張世平の言葉を、涼と桃香の二人は同時に繰り返した。
「あんた達の瞳は、他の奴等とは違う。確固とした意志や信念を持っている。それは、今の時代に必要なものだよ。」
「それが無い者に、私達の願いを預けたりはしませんから。」
張世平、そして蘇双はそう言って、涼と桃香を見つめる。
二人の眼には、先程と比べて涼達に対する信頼が多く溢れていた。
それを感じた涼と桃香は思った。
二人の、いや、沢山の人々の期待に応えられる様に、精一杯頑張らないといけないな、と。
そう決意した涼達は、話の続きは場所を移してからする事にした。
その場所は、愛紗達との合流場所でもある鈴々の家である。
鈴々の家に着くと、そこには鈴々と愛紗、そして徐福が居た。
どうやら、三人はこれから涼達と合流しようとしていた様だ。
何でも、鈴々を起こしてから好事家を探しに行ったものの見つからず、前もって決めていた合流場所であるここに一旦戻ってみたが、涼と桃香も未だ戻っていないので、暫く休憩していたら涼と桃香が戻ってきた、という感じらしい。
その涼と桃香が、見知らぬ二人の少女と一緒だったので、愛紗達は一瞬だけ怪訝な表情をしたが、直ぐ様表情を明るくして涼に尋ねた。
「御主人様、もしや?」
「ああ。探していた好事家本人じゃないけど、その好事家と繋がりがある馬商人の、張世平さんと従姉妹の蘇双さんだ。」
涼がそう紹介すると、徐福は二人をジッと見始めた。
二人は大きさや色が違うものの、基本的なデザインが同じ服を着ている。見た感じ、余り高い服には見えない。
簡単に言うと、張世平は黒を基調としたノースリーブにホットパンツ。蘇双は白を基調とした長袖にロングスカートという格好だ。
そんな二人に徐福は、
「馬商人ですか。失礼ですが、余り儲かっている様には見えないのですが。」
と、先程の桃香と同じ様な事を言った。
思わず噴き出しそうになった涼達だが、それを何とか堪え、経緯を簡単に説明する。
そうして徐福が納得したところで、涼達は商談を始めた。
と言っても、売り物は涼が持っている「天の国の道具」くらいしか無いのだが。
「それで、一体何を売ってくれるんだい?」
張世平が涼に尋ねた。
尋ねられた涼はバッグを開け、そこから細い棒を取り出し張世平に見せる。
「それは何ですか?」
恐らく、涼以外の全員が思っていた事を、まるで代表するかの様に愛紗が尋ねた。
涼はその棒を指先で回転させながら答える。
「これは“ボールペン”っていう、俺の国の筆記用具の一つだよ。」
そう言って涼は「ボールペン」の説明をしていった。
墨を使わず、キャップという蓋を外せば直ぐに文字が書けると知ると、桃香達は皆一様に驚いていた。
勿論、説明しただけで売れるとは思っていないので、ちゃんと実演もしてみせる。
この世界では紙は貴重品なので、実演には持っていたメモ帳を使った。
「わあっ。」
「凄いのだー。」
自分の名前「清宮涼」をメモ帳にスラスラッと書くと、桃香達は皆、さっきの説明を聞いていた時よりも大きく驚いていた。
やがて、自分達も書いてみたくなったのか、皆一様にボールペンを凝視している。
その雰囲気に押されたのか、涼は少しだけ、という条件をつけてボールペンを手渡した。
「これが“ぼぅるぺん”……何とも珍妙な名前の筆記用具ですね。」
ボールペンを手に取った愛紗がそう呟く。
そして、同じく手渡したメモ帳に「関羽雲長 愛紗」と書くと、
「ほお……こんな小さな物がこれ程書き易いとは……やはり天の国とは凄い国なのですね。」
と感嘆の声を上げた。
桃香達も早くボールペンを手に取りたい様だが、愛紗は熱中しているのかそれに気付かない。
鈴々に取られそうになって、漸く気付いたくらいだ。
そんな光景を見ながら、涼は張世平に尋ねる。
「どう? これは好事家が欲しがると思う?」
多分大丈夫だろうと思いつつも、少し不安にも思いながら答えを待つ。
すると、
「欲しがるも何も、
というお墨付きを貰った。
それから涼は、桃香達全員が試し書きを終えたのを確認してからボールペンを回収し、張世平に渡して代金を貰った。
その金額は、百人以上の兵を集められる程の大金だった。
それから数日は、旅の準備でてんてこ舞いだった。
同行してくれる義勇兵を集め、武具を揃え、馬を揃える。
まあ、馬に関しては張世平、蘇双がサービスとしてくれたので楽だったが。
もっとも、大変だったのは桃香達で、涼は何もしなかった。
いや、出来なかったというのが正しいか。
「お兄ちゃん、大丈夫ー?」
「な、何とかね……。」
今、涼は布団に寝ており、鈴々に看病されていた。
この状態が、かれこれ三日も続いている。
この間の涼は、腹痛で寝込んでいた。
かといって何かの病気という訳ではない。単に腹を壊しているだけなのだ。
前日、前々日は何とも無かったが、張世平達との商談を終えた日の夜から体調を崩し、桃香達の勧めもあって休んでいる。
異世界に来て、食べ物や飲み物が体に合わなかったのが原因と思われるが、初日や二日目は何ともなかったので、腹痛の時間差攻撃に涼は想像以上にまいっていた。
何せ、現代と違って腹痛を治す薬が簡単に手に入る訳では無いし、トイレも洋式で無ければウォシュレットも当然無い。
今更ながら、涼は異世界に来ている事を実感していた。
結局、涼が全快したのは旅立つ準備が終わる前日の事だった。