真・恋姫†無双 ~天命之外史~   作:夢月葵

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第十四章 江東の虎達・4

 前段落で「涼達は驚き固まっていた」と書いたが、それは正確ではない。孫軍諸将も驚いていたし、恐らく一番驚いていたのは、突然名前を挙げられた蓮華こと孫権だろう。

 それを裏付けるかの様に、孫権は顔を真っ赤にしながら立ち上がり、雪蓮に向かって抗議の声をあげ始めた。

 

「ね、姉様っ! 同盟締結という大事な席で、何をふざけているのですかっ!!」

「ふざけてなんかいないわよ。寧ろ本気。」

「尚更悪いです!」

 

 感情的になって話す孫権と、明るく軽めに返す雪蓮。

 姉のそうした態度に孫権は過剰に反応し、更に感情的になっていく。

 只の姉妹喧嘩ならこれもまた一つの姉妹の光景だが、今この場はそんな事をして良い場所と雰囲気ではない事を、孫権は口論していく内に失念してしまった様だ。

 そんな口論が暫く続いた後、

 

伯符(はくふ)仲謀(ちゅうぼう)。じゃれ合いはそこ迄にしなさい。」

 

孫堅が静かに、だが威圧する様に力強く言葉を発した。

 瞬間、雪蓮と孫権は表情を強ばらせ、声の主である孫堅に目を向ける。

 孫堅は、自分の左右に居る二人の娘を一瞥しただけで特に何もしない。

 だがそれでも威圧だけはしているらしく、二人は勿論、孫軍諸将も皆気圧されていた。

 味方である孫軍諸将でさえ威圧されてるのだから、当然ながら涼達も威圧されている。

 涼は愛紗達との鍛錬で気圧されない様にしている為、未だ耐えられるが、少しでも気を抜けば(たちま)ち耐えられなくなってしまうだろう。

 一方、文官である雫と霧雨は既に耐えられそうではなくなっている。霧雨は多少なりとも武の心得が有るとは言え、愛紗達みたいな耐性は無い。

 鈴々は武官である為、三人と比べれば平然と耐えている様に見える。

 だが、よく見ればそんな鈴々の額や頬にうっすらと汗が浮かび、流れている。

 表情も笑みを浮かべながらどこか強ばっており、それに気付いた涼は「燕人(えんひと)張飛」と呼ばれる鈴々ですらそうなのかと思い、安心と恐怖が同時にやって来るのを感じていた。

 そんな驚異の威圧は唐突に終わった。

 瞬間、両軍諸将がまるで計ったかの様に同時に息を吐く。呼吸が荒くなっている者だけでなく、冷や汗を流している者も何人か居る。孫権に至っては若干顔色が悪くなっている様に見えた。

 

「雪蓮、貴女の考えをきちんと説明しなさい。そうしなければ蓮華は勿論、清宮殿達や皆が納得しないわ。」

 

 孫堅は声音と表情を戻し、温和な笑み迄浮かべながらそう言った。

 雪蓮は孫堅に何か言いたそうにしたが結局何も言わず、周りを見てから涼に向き直り、自分の考えを口にした。

 

「私は、孫家の後継者としてこの母、孫文台に厳しく育てられたわ。そりゃあもう、子供の頃から戦場に連れて行かれるくらい、厳しくね。」

 

 そう言ってジト目を孫堅に向ける雪蓮。だが孫堅は全く意に介さず、静かに話を聞いている。

 雪蓮は続ける。

 

「そのお陰か知らないけど、私は生まれ育ったこの孫家を愛している。母様や妹達は勿論、亡くなった父様も、祭や冥琳を始めとした将兵を含めた“孫家”を大切に思っているわ。」

 

 雪蓮のその言葉に、孫軍諸将は皆少なからず感動した。

 直接名前を挙げられた祭――黄蓋と冥琳――周瑜は特に感動してても良いが、見た目からはそう感じない。

 だが勿論、二人は心の中で深く感動しており、感謝していた。

 

「その孫家の為に、私は今の提案、つまりは涼と私の婚約を、涼と孫家三姉妹との婚約に変更したいの。」

「ですから、何故そうなるのですか。」

 

 実の姉にジトっとした目を向ける孫権。だが雪蓮は微笑みながら対応する。

 

「だからそれを今から説明するってば。せっかちな女は嫌われるわよ、蓮華。」

 

 それがまるでからかう様な言い方だったので、孫権は思わず立ち上がって雪蓮と向き合う。

 が、孫堅が無言で窘めると、忽ち孫権はシュンとなって座り直した。

 一方の雪蓮は、何事も無かったかの様に話を進めた。

 

「私が涼の妻になって同盟を結べば、徐州と揚州、そして清宮家と孫家が共に繁栄する可能性は高いわ。けど、同盟の条件が私が涼の妻になる、というだけでは孫家の為にはならない。……蓮華、何故だか解る?」

「それが解らないから訊いたのです。」

「ふふっ、そうだったわね。その理由はね……。」

 

 雪蓮はそこで一旦言葉を切ると、それ迄の軽めの表情から瞬時に引き締め、声も若干低くして答えを告げる。

 

「私が、いつ死ぬか分からないからよ。」

 

 その瞬間、室内の空気は重く張り詰めていった。

 孫権に至っては狼狽し、常の真面目で堅いその表情が一際固くなっている。

 

「ね、姉様、何を縁起でもない事を言っているのですか!?」

「だって、人間なんていつ死ぬか分からないじゃない。父様の事忘れたの?」

「そ、それは……。」

 

 雪蓮の言葉に孫権は何も言い返せず、諸将もまた同じだった。

 雪蓮達の父であり孫堅の夫は既に他界している。

 当然ながら、涼は雪蓮達の父親について、詳しくは知らない。黄巾党征伐時に連合で一緒だった時に少し聞いた話だと、「戦死した」という事だった。

 名前も聞いたが、涼は知らない名前だった。この世界では殆どの武将の性別が逆転している為、この世界の孫堅の夫は、涼の世界の孫堅の妻が該当すると考えられる。

 だが、古代中国の女性の名前は余り現代に伝わっていない。「○夫人」や「○皇后」として伝わっているものが殆どであり、孫堅の妻も「呉夫人」としてしか伝わっていない。

 因みに涼が聞いた雪蓮達の父親の名は呉○ではなく、孫○という名前だったが、詳しく覚えていない。

 現代に伝わる名前なら諸葛亮の妻の「黄月英(こう・げつえい)」や、劉備の妻の「孫尚香(そん・しょうこう)」等が居るじゃないかという意見もあるが、これ等の名前は史書には無く、京劇等で付けられた名前という場合が多い。

 三国志の時代で言えば、馬超(ばちょう)を撃退した女傑「王異(おうい)」や、数奇な運命の才女「蔡文姫(さい・ぶんき)」等が、きちんと名前が伝わっている少ない例と言えるだろう。

 

「そう言えば、雪蓮は以前似た事を言ってたね。“私達が生き残っていれば、孫家の血は絶えない”って。これもそれと同じ考えって事だよね?」

「十常侍を討つ前の話ね。よく覚えてるわね。」

 

 雪蓮が感心した様に涼を見ると、椅子に座り直して再び話しだした。

 

「涼の推測通りよ。私は自分なりに考えて、孫家にとってこれが一番良いと判断したの。」

「だ、だからと言って、私やシャオに何の相談も無く決められては困りますっ!」

「あら、二人に相談したらシャオは兎も角、貴女は反対したでしょ?」

「それは……っ!」

 

 反論しようとして、言い淀む孫権。雪蓮の考えには「私」の孫権としては反対だが、「公」の孫権としては賛成するしかない。

 そうした事から、「公私」で相反する答えに悩む。彼女も姉と同じく孫家の将来を第一に考えているのだから、それもまた当然の事だろう。

 

「まあ、そんなに深く考え込まなくて良いわよ。あくまで私に何かあった場合、なんだから。」

「それはそうですが……。」

「勿論、貴女が涼に惚れたり、涼が私達三姉妹を全員嫁にしたいって言ったらその限りじゃ無いけどね♪」

「なっ!?」

 

 またもや雪蓮がからかう様に言うと、孫権は呆気にとられ、次いで涼を睨んだ。この原因が涼にあるからだろう。

 その涼は孫権の迫力に思わず怯み、苦笑するのであった。

 取り敢えず涼は、三姉妹を一度に妻にするつもりは今のところ無いと説明する事で、孫権の怒りをなんとか鎮める事に成功した。

 因みに、涼に万が一の事があった場合は同盟がどうなるか聞いてみると、同盟の条件が無くなるので同盟関係は無くなるとの事だった。

 

(元々死ぬつもりは無いけど、尚更死ねなくなったなあ。)

 

 と、涼は緊張した表情をしながらも、その頭の中は緊張感がないのか、のんびりとしていた。

 それから両者は、改めて誓紙に同盟についての文言を書き記した。

 涼と孫堅、双方の総大将が内容を確認し、更に文官にも確認させてからそれぞれが印璽(いんじ)をしっかりと押す。

 こうして徐州と揚州の同盟、ひいては清宮家と孫家の縁談は纏まった。

 と、そこに一人の少女が、

 

「ごっめーん、遅くなっちゃったー。」

 

という、場にそぐわない一際明るい声を出しながらやってきた。

 皆の視線がその少女に集まる。が、少女はその視線の矢を受けても平然としている。

 只一人、

 

「尚香、客人の前でその態度は何? 私の顔に泥を塗りたいのかしら?」

「う、ううんっ! ご、ごめんなさいっ!」

 

孫堅の鋭い視線と言葉には、この明るい少女も勝てなかった様だ。

 来た時とは打って変わってしおらしくなった少女だったが、この場に居る唯一の男性である涼を見つけると、瞬時に先程迄の明るさを取り戻した。

 そうなると行動は早い。

 涼の側に近付き、声をかける。その行動を後ろに居る孫権が注意するが、残念ながらその声は彼女の耳に届いていない様だ。

 

「あなたが徐州牧の清宮涼さん?」

「確かに俺は清宮涼だけど、徐州牧じゃなくてその補佐だよ。徐州牧は劉玄徳だ。」

「そうなの? けど前に雪蓮お姉ちゃんに訊いた時は、あなたが州牧だって言ってたよ。」

「……雪蓮?」

 

 少女の話を聞いた涼がその視線を雪蓮に向けると、雪蓮は苦笑で応えた。

 それを見た涼はやれやれと小さく嘆息する。

 そんな二人を見ながら、少女が誰にともなく声をかける。

 

「それで、会談は終わったの?」

 

 それに応えたのは周瑜だった。

 

「ええ。徐州との同盟は無事結ばれ、雪蓮と清宮殿との婚約も正式に決まりました。」

「そっかあ♪ ……あ、じゃあ、お姉ちゃんはお嫁に行っちゃうの?」

 

 すると今度は雪蓮本人がそれに応える。

 

「直ぐって訳じゃないけどね。貴女や蓮華に色々教えないといけないし。それに……。」

「それに?」

「この婚約には、私だけじゃなく蓮華や貴女も含まれているのよ。」

「えっ?」

 

 雪蓮の発した言葉に少女は驚き、次いで周りを見た。

 頷く者、目を逸らす者、苦笑する者と反応は様々だが、それ等は全て、雪蓮の言葉に嘘が無いという証だった。

 

「つまり、シャ……私も清宮様と結婚するって事?」

「そうよ。まあ、今直ぐって訳じゃないから安心しなさい。」

「う、うん。」

 

 雪蓮に確認し、間違いがないと確信した少女は僅かに頬を朱に染め、涼の姿をチラリと見る。

 口調が変わったのは、結婚するかも知れない相手に対して、失礼にならない様にと思ったからだろうか。

 その後、少女は雪蓮に促されて涼に自己紹介をした。

 

「改めましてこんにちは、清宮様。私は孫文台が三女にして末子、姓名は孫貞(そんてい)(あざな)は尚香、真名は小蓮(しゃおれん)。シャオとお呼び下さい。」

「御丁寧に有難う、シャオ。俺は徐州牧補佐の清宮涼。字や真名は無いから、好きに呼んで良いよ。けど、“様”ってのは何か固っ苦しいから、出来れば普通に呼んで欲しいな。」

 

 涼も改めて自己紹介をし、その際にもっと軽めに、要はフレンドリーに接して欲しいという事を目の前の少女――シャオにお願いした。

 シャオは直ぐにその申し出を受けようとしたが、何かを思い出したのか一度伺う様に孫堅を見た。

 その孫堅が頷いたのを見てから、シャオは涼の申し出を受け、常の表情と口調へと戻る。

 

「じゃあ、改めてヨロシクね、涼♪」

「ああ、宜しく、シャオ。」

 

 シャオと涼は改めて挨拶をし、笑顔を見せる。

 その様子を見た孫権が、何故か驚いたり不機嫌だったりしていたが何故だろうか。

 それからは雑談となり、最近あった事や、互いの州の事を話し合ったりしていった。


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