真・恋姫†無双 ~天命之外史~   作:夢月葵

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第十三章 青州からの使者・7

 そんなハプニングもありながら、涼達は何とか将兵達の前に出た。

 涼達が遅れた為、その間もずっと立って待っていたのだろうが、将兵達の表情には疲労や不満の色は見えない。

 それは愛紗達による調練の賜物であり、徐州軍の将兵の統制の良さや練度の高さを表していた。

 徐州軍は元々大した実力は無かった。勿論、賊を討伐するくらいは出来たが、近年力を付けてきている諸侯の軍隊、例えば曹操や袁紹(えんしょう)等の軍隊が押し寄せていたら恐らく一溜まりもなかったであろう。

 前徐州牧である陶謙(とうけん)は、そうした危機が遠からず訪れる事を予期していた。

 だが、陶謙は既に高齢であり、自ら動くのは困難。また、部下達が調練を強化しようとしても、彼等の才では高が知れていた。

 洛陽(らくよう)の帝から、「次期徐州牧は劉玄徳とする。」という勅命(ちょくめい)が届いたのは、そんな折だった。

 突然の勅命に、徐州は少なからず混乱した。何せ、陶謙は年老いたといえ未だ政治は行えていたし、任を解かれる様な落ち度も無かったからだ。

 だが、陶謙は勅命に従う事にした。それが徐州の為だと思った故の判断だった。

 尤も、漢王朝の忠臣である陶謙に、勅命に逆らうという選択肢は最初から無いというのもあるが。

 若い頃は色々無茶をした陶謙も、徐州牧になってからは名君と呼ばれる治世を行ってきた。

 それでも限界はあり、自分ではこれ以上の発展は見込めないと判断した。

 そして今、勅命に従って跡を譲った事が正しかったという事が、強化された徐州軍により証明されている。

 軍が強化されるという事は人口が増え、物資が豊富になっているという事でもある。例外として、軍だけが豊かになる事もあるが、勿論桃香達はそんな事はしていない。

 そうして強化された徐州軍が今、涼達の目の前に存在している。

 陶謙の苦悩を知り、尚且つこの場に居る者達――孫乾、糜竺、糜芳、陳珪(ちんけい)、陳登といった忠臣達の想いは、恐らく陶謙と同じだろう。

 だからこそ、彼女達はこう思っている。

 

『この遠征は、絶対に成功させなければならない。』

 

 徐州軍の新たな一歩。その一歩を踏み外す訳にはいかない。

 踏み外したが最後、待っているのは底が見えない奈落のみ。

 そうなってしまっては、全てが無駄になってしまう。

 それを防ぐ為に、彼女達は全力で事にあたるだろう。青州組も南進組も、そして勿論居残り組も。

 そんな彼女達の決意を知る桃香が今、将兵達に向かって言葉を述べていた。

 

「恐らく、今回の出兵に関して疑問に思っている方も居るでしょう。何故、徐州軍が青州の為に動かなければならないのか、と。」

 

 用意されていた台の上に立つ桃香が、目の前に並び立つ十万四千もの徐州兵達に訊ねる様に、ゆっくりと言葉を紡いでいく。

 

「確かに、今現在苦しんでいるのは青州の人々です。彼等を助け、守るのは本来青州軍の役目でしょう。」

 

 ゆっくりと、だが力強く紡ぎ続ける。

 

「ですが、青州黄巾党の数は思ったより多く、青州軍だけでは倒すのに時間がかかっているのが実状です。」

 

 そう言うと少しだけ顔を俯かせる桃香だが、直ぐにその顔を上げる。

 

「それに、青州を助ける事は私達の為でもあるのです。皆さんも知っての通り、青州黄巾党はこの徐州にもその魔の手を伸ばしています。」

 

 桃香がそう言うと、徐州兵達が息を飲む音がそこかしこから聞こえてきた。

 

「幸いにも、州境の警備隊によってその被害は最小限に抑えられていますが、それでも犠牲者が出ているのもまた、残念ながら事実です。」

 

 桃香は真っ直ぐに徐州兵達を見据え、宣言する。

 

「ですから、この遠征はその悲劇を終わらせる為のもの。必要な事なんです‼」

 

 桃香は力強くそう言うと、更に語気を強めて言葉を続けた。

 

「私達の遠征の目的は、黄巾党に苦しめられている人達は勿論、黄巾党の呪縛に囚われたままの人達を助ける事です。……ですから決して……決して、相手を殺す事に囚われないで下さい。そうなってしまっては、兵士ではなく、只の血に飢えた獣と変わりませんから。」

 

 前半は熱く、勢いがあったが、後半は一転して冷静に、宥める様に言葉を紡ぐ桃香。

 それにより、只熱いだけだった兵士達の士気が、冷静さを含んだ熱気となって拡散していく。

 

「私は皆さんの強さを知っています。徐州の兵士として、一人の人間としての誇りを忘れずに戦ってくれると思っています。」

 

 桃香はそう言うと胸元で両手を握りしめ、瞑目してから右手を前に伸ばす。

 そのまま真っ直ぐに兵士達を見詰めながら、誓いを立てる様に言葉を紡ぐ。

 

「その誇りを保ったまま青州の人達を助け、皆でここに戻ってきましょう。大切な家族や仲間が居る、この徐州に!」

 

 桃香が言い終わると、数秒の静寂が辺りを包み、そして十万を超す兵士達の歓声が一気に轟いた。

 その咆哮にも似た歓声は、下邳城全体に響き渡ったのだった。

 桃香の檄が終わって暫く経った。今は各部隊が行軍の為に整列し直している所だ。

 そんな兵達の様子を見ながら、桃香が深く溜息を吐く。

 

「はあ……。」

「相変わらず慣れないか?」

「うん……だって、どんなに最善を尽くしても必ず誰かは犠牲になる。私は、皆にそれを強いているんだもん……。」

 

 涼の問いに桃香は、俯きがちになって小さな声でそう答えた。

 涼と桃香は、兵達から離れた場所で、最後の打ち合わせと称する雑談をしている。

 勿論、打ち合わせも嘘では無いが、大半は互いを気遣う言葉で占められている。

 今、気遣われているのは桃香だった。

 

「犠牲者の居ない戦いは無いからな。昔も、今も。」

「うん……。でも、覚悟はしないといけないって事も解ってるつもりだよ。……でないと、死んでいった兵士さん達や、殺した人達に悪いから。」

「……そうだな。」

 

 桃香は再び兵達を見ながらそう言った。桃香の表情には先程とは打って変わって、強い意思が感じられる。

 涼はそんな桃香の頭にポンと手を乗せると、そのまま優しく撫で始めた。

 突然の事に驚き、涼に視線を向けた桃香だったが、結局そのまま撫でられ続ける。その姿はまるで猫の様だ。

 涼は桃香の、可愛い義妹の精神的な強さを愛おしく思った。だからこうして頭を撫でている。

 勿論、それが強がりなのも解っていた。

 桃香の意志は強く、固い。かといって、その為に何でも出来るという程非情にはなれない。

 だからこそ今の様に弱気になったりするのだが、それをフォローするのは義兄である涼の役目だった。

 その結果が今の状態であり、桃香もまたそれを解った上で受け入れている。

 その姿は、仲の良い兄妹(きょうだい)というよりは恋人同士に見えた。

 勿論、二人はそんな関係では無いのだが。

 暫くすると、ゴホン、という愛紗の咳払いが聞こえた。

 どうやら、二人の行為がエスカレートしない様に釘を刺そうとした様だ。

 慌てて二人は離れる。兄妹とは言え、二人に、正確には愛紗や鈴々を含めた四人に血縁関係は無い。

 「桃園の誓い」によって義兄妹(きょうだい)義姉妹(しまい)という関係になっているだけなのだ。

 だから将来、涼が桃香達と恋人の関係になってもおかしくはない。勿論、儒教の考えや倫理観といった、様々な理由や問題が無い訳では無いが。

 

「お二人共、仲が宜しいのは結構ですが、そろそろ出立しませんと。」

「あ、ああ。」

「わ、解ってるよ、愛紗ちゃんっ。」

 

 愛紗に睨まれたからか、二人は多少言葉に詰まってしまった。

 それから暫くして、二人は自分の馬に跨っていた。

 二人はそのまま互いを見詰める。それぞれの後ろには青州へ向かう十万の兵士達と、南方に向かう四千の兵士達が整列している。愛紗や鈴々といった武将達も既に列んでいた。

 そんな中、桃香がゆっくりと口を開く。

 

「気をつけてね、涼義兄さん。……鈴々ちゃん、雫ちゃん、霧雨ちゃん。涼義兄さんと兵士さん達をヨロシクね。あと、鈴々ちゃん達も気をつけて。」

「わかったのだーっ。」

「が、頑張るねっ。」

「任されました。」

 

 桃香は涼だけでなく、鈴々達や兵士達も気遣った。

 それを見た涼は、いかにも桃香らしいなと思いながら、自身も口を開いた。

 

「桃香も気をつけてな。……愛紗、時雨、山茶花、椿、朱里。桃香と兵士達を頼む。勿論、愛紗達も気をつけてくれよ。」

「はっ。」

「まあ、俺に任せておけ。」

「清宮様もどうかお気をつけて。」

「りょーかーいっ♪」

「はわわっ、あ、有難うございますっ。」

 

 涼は桃香と愛紗達に、先程の桃香と同じ様な言葉をかけた。

 次いで城門前に居る一団に目を向ける。

 桃香も殆ど同時に目を向け、涼の言葉を待った。

 二人の視線の先には、居残り組である雪里、星、雛里、羽稀(うき)、羅深、飛陽、そして地香の姿があった。

 

「雪里、雛里(ひなり)を頼んだよ。」

「解りました。お二方が戻られる迄、精一杯雛里を鍛えておきましょう。」

「あわわ……。」

 

 涼の頼みを雪里は満面の笑みで承諾し、雛里は困った様な表情になっていた。

 雛里は極度の人見知りである。

 朱里の様に昔からの親友や、知り合ったばかりでも桃香の様に同性の者なら余り問題はない。

 だが、当然ながらこの世は雛里と同じ性、つまり女性ばかりではない。

 徐州軍での雛里の役職は「副軍師補佐」。同じ時に副軍師に任命された朱里のサポート役である。

 サポート役とは言え、軍師である事に変わりはなく、場合によっては副軍師や筆頭軍師の役目を担う事もあるかも知れない。

 そんな立場の人物が、人見知りなので指示を出せません、ではいざという時に困る。非常に困る。

 なので、朱里が居なくなる遠征の間、雪里が雛里の人見知りを直す特訓をする事になっている。雪里は乗り気だが、雛里は不安そうだ。

 雛里が今回の遠征のどちらにも参加しないのは、そうした事情からである。

 その後、星や羽稀達と言葉を交わし、徐州の事を託す涼と桃香。

 そして最後に、二人は地香に向き直る。

 

「俺達の代わりに徐州を頼んだよ、地香。」

「任せて下さい、お二人の留守は皆と共に守ります。」

 

 地香は劉燕としての口調、所作で応対する。

 素の地香を知っている涼達はつい吹き出しそうになるが、何とか堪える。

 

「それじゃあ、太子慈さん。道案内を頼みますね。」

「了解しました。」

 

 桃香が太子慈を見ながらそう言うと、太子慈は桃香に一礼し、隊の先頭集団を務める関羽隊へと馬を進めた。

 下邳に来た時は怪我や空腹でボロボロだった太子慈だが、今はそんな面影は無い。驚異的な回復力と言えるだろう。

 

「じゃあ……。」

「ああ、またな。」

 

 桃香と涼が笑みを浮かべながら言葉を交わす。

 ひょっとしたら、こうして言葉を交わすのは最後になるかも知れない。

 だからだろうか、旅立ちの時は笑顔でいた方が良いと、鈴々が言っていた。

 二人はその通りにした。次いで、愛紗や鈴々も、雪里や地香も皆。

 そして、「劉」「関」「糜」「田」「諸葛」の旗は北に。

 「清宮」「張」「孫」「簡」の旗は南に。

 それぞれの目的と共に、動き始めた。


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