真・恋姫†無双 ~天命之外史~   作:夢月葵

65 / 148
第十三章 青州からの使者・6

 翌日。

 徐州軍の約半数にあたる十万四千もの兵士達が、下邳城外に整然と並んでいた。

 その内の十万は、青州黄巾党を討つべく集められた精鋭達。

 桃香達が義勇軍だった頃からの面々も多数組み込まれており、その実力は疑いようがない。

 しかも、彼等を率いる武将の筆頭は愛紗こと関雲長(かん・うんちょう)。徐州牧である桃香やその義兄の涼の義妹にして、黄巾党討伐や十常侍(じゅうじょうじ)誅殺(ちゅうさつ)に於いて活躍した、徐州軍随一の武将である。

 更に、遠征には州牧自らも赴くとあって、兵士達の士気は大いに高くなっていた。

 一方、残りの四千は南方外交に於ける護衛部隊。

 護衛と称するには(いささ)か多い気もするが、賊との遭遇や交渉先での不測の事態に備える為には、多過ぎるという事は無い。

 そんな護衛部隊を率いる武将の筆頭は鈴々こと張飛。関羽と共に徐州軍を代表する武将の一人であり、見た目に反する実力を敵味方問わず見せつけてきた。

 そんな人物が護衛に附くのだから、例え寡兵であってもその強さは推して知るべしというもの。

 まあ、彼等の任務は万が一の為の護衛であり、戦いに行く訳では無いのだが。

 そんな兵士達が整列したままでいるのは、この場に彼等の指揮官が未だ来ていないからだった。

 では、どこに居るのかと言うと、二人共下邳城内の執務室に居た。

 

「どうしても、ダメ?」

「「ダメ。」」

 

 因みに執務室には地香も居り、先程の疑問系の「ダメ」は彼女の言葉である。

 そして、否定系の「ダメ」を同時に言ったのは涼と桃香。今回の二つの遠征、それぞれの総大将によるものだった。

 

「だって、今度の相手は青州黄巾党なんでしょ。だったら、ちぃが行って黄巾党のケリをつけないと……。」

「気持ちは解るけど……。」

「地香はこのまま下邳に残って、俺達の代わりに内政をやってほしいんだ。」

「ちぃ、内政得意じゃないわよ。」

「私が荊州に行ってた時は、ちゃんとやってくれたじゃない。」

「あの時はちぃだけじゃなく、涼も居たし……。」

 

 何やら地香がぐずっている。涼と桃香はそれを宥めている様だ。

 

「今回は雪里だけじゃなく雛里も居るから、心配は要らないよ。」

「だったら、ちぃが居なくても……。」

「私も義兄さんも徐州を離れるんだから、地香ちゃんには残ってほしいの。」

「……今の私は“劉徳然(りゅう・とくぜん)”だから?」

「う、うん……。」

 

 尚も引き下がらない地香だったが、桃香が発した言葉に反応し、顔を曇らせていく。

 仕方がないとはいえ、本当の自分を表せない事は少なからず苦痛なのだろう。

 例えそれが、彼女自身を守る為だとしても。

 

「それに、青州黄巾党の首領、管亥は張三姉妹の親衛隊だったんだろ? だったら、そいつに地香の正体を見破られてしまうかも知れない。」

「それは……。」

 

 涼にもっともな指摘をされた地香は言葉に詰まり、僅かに俯いた。

 今の地香は、黄巾党時代とは違う髪型や服装をしており、髪に至っては染めてもいる。

 とは言え、瞳の色や輪郭、声や体型を変える事は当然ながら出来ない。一応、声は多少低くしているが。

 その為、見る者が見たら地香の正体を悟られる危険性がある。かつて、張宝率いる黄巾党第二部隊に所属していた飛陽が未だに気付いていないのは、単に運が良いだけに過ぎないのだ。

 

「雪里も、それを危惧して遠征から地香を外したみたいだな。」

「私達も、もしもの事態は避けたいし……。」

「解ったわよ……。」

 

 尚も言葉を続ける二人に対し、地香は仕方無いという表情をしてそう口にした。

 依然として納得はしていないが、かといって更に駄々をこねる程子供でもない。

 正体がバレた時の事を考えれば、その判断は当然だった。

 黄巾党の、しかも「地公将軍」という黄巾党ナンバー2の肩書きを持っていた張宝――地和を匿い、更に「劉燕徳然」という名前と、「地香」という新しい真名を与えてくれた涼と桃香。

 そして、そんな自分を受け入れてくれた愛紗や鈴々達。

 地香は彼等に、どれだけ感謝してもし足りない程の恩義がある。だからこそ、余計な心配や迷惑をかける訳にはいかなかった。

 

「けどその代わり、桃香は青州黄巾党を討って、涼は外交を成功させて、無事に戻ってくる事。良い?」

「ああ。」

「解ってるよ、地香ちゃん♪」

 

 先程迄と違い、地香は努めて明るい表情を浮かべながらそう尋ねる。

 その問いに涼は頷きながら、そして桃香は抱きつきながら応えた。

 お陰で、地香の顔は桃香の豊かな胸に包まれる事になる。

 その様子を見ていた涼が若干羨ましくしていたのは、未だ十代の少年の反応としては至極当然の事だった。

 それに対する義妹と義従妹の反応は別として。

 暫くの間、涼は二人から非難されたり、からかわれたりしたが、それは何かを思い出した桃香の一言で終息した。

 

「そう言えば涼義兄さん、地香ちゃんに“それ”を渡すんじゃなかったっけ?」

 

 涼の背中に有る一振りの「剣」を指差しながら、桃香は尋ねた。

 すると、涼はそうだったと言いながら、背中に有る剣を鞘に付けたたすき掛けのベルトごと外し、それを両手で胸元の高さに持ち上げ、地香を見詰めながら厳かに言葉を紡いだ。

 

「劉徳然将軍。」

「は、はいっ。」

 

 真名ではなく、姓と字で呼ばれた地香は反射的に敬語になって返事をした。

 

「自分達が暫くの間徐州を離れる事、及び、将軍の今迄の功績を称え、この“靖王伝家(せいおうでんか)”を与える。」

「……え、ええっ!?」

 

 厳かに告げられた言葉に、地香は驚くばかりだった。

 

「まあ、これは靖王伝家の予備だけどな。」

「それは解ってるけど……それでも、それが劉家に伝わる宝剣には変わりないでしょ? 一体何を考えて私に……。」

「なんだ、地香ちゃんも解ってるんじゃない。」

「え?」

 

 突然の事に困惑している地香に、桃香が更なる困惑の言葉を投げ掛ける。

 

「地香ちゃん、今言ったよね。“靖王伝家は劉家に伝わる宝剣”って。」

「言ったけど……?」

「だったら、劉家の一員である地香ちゃんが持っていてもおかしくはないよ。そうでしょ、劉徳然?」

「それはそうだけど……。」

 

 地香は応えながら、それってどうなんだろう? と思った。

 確かに、今の彼女は桃香が言った様に劉徳然という名前であり、劉徳然は桃香――劉備の従姉妹だ。

 つまり地香は劉家の人間であり、そうした事を考えるならば、彼女が靖王伝家を持っていてもおかしくはない。

 だが、本当の地香は地和――張宝であり、劉家の人間ではない。

 その事を地香が指摘すると、

 

「それを言ったら、俺だって劉家の人間じゃないぞ。桃香の義兄だから、その点では劉家の人間だけど。」

 

と返された。しかも笑顔で。

 どうやら、地香が「靖王伝家(予備)」を受け取るのは決定事項の様だ。

 

「……仕方無いわね。」

 

 地香はそう苦笑しながら、涼達の申し出を受ける事にした。そうしないと話が先に進まない気もしたからだ。

 地香は涼の前で片膝を着いて平伏の姿勢をとると、僅かに頭を下げ、劉徳然としての口調を更に恭しくして言葉を紡いでいく。

 

「徐州軍第四部隊隊長、劉徳然。お二人の申し出を、謹んでお受けします。」

「うむ。徐州牧補佐、清宮涼。只今より、靖王伝家を劉徳然に託す。」

 

 涼もまた、先程以上に厳かに言葉を紡ぎ、「靖王伝家(予備)」を地香に手渡す。

 地香はその宝剣を両手で恭しく受け取ると、そのまま胸元に抱き寄せ、まるで愛しい我が子を見つめる母親の様に宝剣を見つめた。

 それが何を意味するかは、地香にしか解らない。

 その後、地香がその宝剣「靖王伝家(予備)」を腰に付けると、それ迄静かに見守っていた桃香が笑みを浮かべながら、だがどこか厳かに告げた。

 

「徐州牧、劉玄徳。宝剣授与の儀を確かに見届けました。」

 

 涼と地香を平等に見守る様に立っていた桃香は、この一連の儀式とも言うべきやり取りを、言葉通り見届けたのだった。

 こうして地香とのやり取りを終えた涼と桃香は、両手を天へと伸ばし、ふうと息を吐いた。

 

「さて……あんまり待たせると愛紗が怒りそうだし、そろそろ行くか。」

「だね。地香ちゃん、徐州の事ヨロシクね。」

「まっかせといて♪ まあ、困った時は雪里達に丸投げするから安心して。」

「「こら。」」

 

 その直後、執務室に三人の笑い声が響いた。

 これから先、桃香は青州黄巾党の討伐に、涼は華琳や雪蓮との外交に臨む。

 戦に赴く桃香は勿論、場合によっては涼も命の危険に晒されるだろう。

 だからこそ、三人は笑っていた。

 今生の別れになっても悔やまない為に。

 そうして一頻り笑うと、三人共表情を引き締め、下邳城外で待つ将兵達の許へ向かった。

 が、城外へと通じる正門の前で、涼達は足を止める事になる。

 

「随分とお早いお越しですね、御主人様? 桃香様?」

「「うっ……。」」

 

 そこに居たのは、まるでここから先には通さないという様に腕を組んで門前に立ち、その利き手には自身の得物である青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)を持つ黒髪の少女。

 即ち、愛紗こと関雲長が満面の笑顔を浮かべながら、目の前の二人に向かってそう言った。

 目の前の二人、即ち涼と桃香は、笑顔の愛紗を見て何故か背筋を冷やしていた。

 それは、二人を見送りに来ていた地香も同じ、いや、ひょっとしたらそれ以上だったかも知れない。

 

「え、えっとね。愛紗ちゃん、これには訳が……。」

「あるのでしょうねえ……まあ、それは後で訊く事にしましょう。幸いにも、桃香様の行く先は私と同じ青州ですからね……。」

 

 弁解しようとする桃香の言葉を遮った愛紗は、常の凛とした声を意図的に低くし、喜悦と怒気を孕んだ口調でそう言った。

 堪らず、桃香は後ろに居る涼と地香に顔を向けて助けを求める。

 だが、徐州軍の筆頭武将に二人が敵う筈はない。

 なので二人の答えは、必然的に桃香の期待を裏切る事になる。

 

「ゴメン、無理。」

「桃香姉様、頑張って♪」

「涼義兄さんと地香ちゃんの薄情者ーっ。」

 

 あっさりと自分を見捨てた義兄と義従妹に対し、涙目になりながら恨み節をぶつける桃香だったが、不意にその首根っこを掴まれた。

 再び背筋に冷たい物が伝う様に感じながら、桃香はゆっくりと振り向く。

 そこには、先程と変わらぬ笑顔の愛紗が居た。

 

「さあ、桃香様。皆が待っていますから早く行きましょう。」

「あ、愛紗ちゃん、解ったから離してくれないかなー?」

「駄目です。」

 

 ちょっと愛紗ちゃーんっ、と叫ぶ桃香の首根っこを掴んだまま、愛紗は正門へと向かう。

 その結果、桃香はわたわたと後ろ向きに歩く事になったのだが、愛紗はそんな事はお構い無しに歩を進める。

 仮にも州牧である桃香を、筆頭武将とは言え桃香の部下である愛紗が文字通り引っ張っていく。それだけで愛紗が怒っているのは充分に解る。

 まあ、予定時刻から半刻近くも遅れればそりゃ怒るだろう。

 因みに、桃香は正門が開かれる前に解放された。

 愛紗も流石に、桃香の惨めな姿を将兵達に晒す訳にはいかないと思った様だ。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。