真・恋姫†無双 ~天命之外史~   作:夢月葵

57 / 148
第十二章 三顧の礼・5

「ふふふ……。」

 

 そして出入口の戸に手をかけようとした時、小さく笑う諸葛亮の声が聞こえてきた。

 

「ふふ……あははっ。」

「……何がそんなに可笑しいんですか?」

 

 尚も笑い続ける諸葛亮に向き直り、桃香は怒りを含んだ質問をする。

 諸葛亮は、そんな桃香を見ながら尚も笑い続けていたが、やがて笑みを含んだ真面目な表情になって言葉を紡いだ。

 

「どうやら劉玄徳様は、噂通りの仁君の様ですね。」

「えっ?」

「お怒りになるのはごもっとも。ですが今のは私の本心ではありません。失礼ながら、貴女の心を試させて貰いました。」

「試す……?」

 

 諸葛亮の思わぬ言葉に、桃香は今迄の怒りを忘れたのかキョトンとした表情になっていた。

 そんな桃香を見詰めながら、諸葛亮は言葉を紡ぎ続ける。

 

「はい。実は雪里ちゃんが誘いに来たあの日から、少しではありますが貴女や徐州、そして、“天の御遣い”と呼ばれている清宮涼様の事を調べさせてもらいました。」

「私達の事を?」

 

 桃香は少なからず驚いた。

 何故なら、雪里が諸葛亮の屋敷を訪れたのは約一ヶ月前の事。それからの僅かな期間で情報を集めたというのだから。

 涼が居た現代と比べれば、当然ながらこの世界は交通の便が余り良くない。

 また、本が手に入る機会も多くない、インターネットも無いというこの世界では、同じ州は勿論、遠くの州の事を個人で知るのは難しいのだ。

 

「はい。そして手に入れた情報は、そのどれもが貴女や天の御遣いを誉め讃えるものでした。ですから、その情報が正しいかを確かめる為に、貴女が怒る様な事をわざと言ってみたんです。」

「そ、そうだったんですか……。」

 

 そう説明すると、諸葛亮は桃香を見詰めながらニコリと微笑んだ。

 最早すっかり毒気を抜かれた様に呆けている桃香は、そう返しながら再び席に着くしか出来なかった。

 

「お気を悪くなされたでしょうが、どうかお許し下さい。」

「あ、いえっ、こちらこそ失礼な事を言ってしまって……。」

 

 二人は互いに頭を下げながら謝り、苦笑した。

 

「……ですが、貴女がこの国の為に動いていく内に、先程の様な決断をしなければならなくなるかも知れません。それは覚えていて下さい。」

「は、はい。」

 

 再び真面目な表情になった諸葛亮に、桃香は戸惑いながら頷き、暫くの間考えてから言葉を紡いだ。

 

「あの、先生。」

「ふふ、先生なんてよして下さいよ。私は見ての通りの若輩者ですし。」

「なら、諸葛亮さん……いえ、孔明さん。今の私達に出来る事は無いのでしょうか?」

「そんな事はありません。今の劉玄徳様……いえ、玄徳(げんとく)様にも出来る事は充分にあります。」

「本当ですか!? なら、それは一体何なんですか?」

 

 互いに(あざな)で呼ぶ様になった二人は、それぞれの瞳をジッと見詰めながら言葉を交わしていく。

 そして、桃香の問いに諸葛亮――孔明はさほど時を置かずに答えた。

 

「簡単な事です。青州を穫れば良いんですよ。」

「えっ? でもさっき、青州を穫っても余り意味が無いって……。」

「只穫るだけでしたら、ね。」

 

 驚き戸惑う桃香に対して、孔明は微笑みながら一言付け加えて立ち上がると、近くの本棚から一つの巻物を取り出して戻ってきた。

 その巻物を台の上に広げると、それには桃香もよく知る図が描かれていた。

 

「これって、この国の地図……。」

「はい。司隸(しれい)を始めとする漢国十三州に、五胡(ごこ)南蛮(なんばん)を加えた地図です。」

 

 桃香はその地図を見て思わず息を飲んだ。徐州の城に有る地図と、精度が余り変わらないからだ。

 桃香が何故そんなに驚いたかと言うと、勿論それにはちゃんとした理由がある。

 地図は単なる図ではなく、その国や地域に在る街の位置や地形が描かれている物である。

 それはつまり、重要な情報が書かれているのと同じであり、軍事衛星による偵察等が出来ないこの世界に於いては、精度が高い地図は軍事機密として扱われていてもおかしくないのである。

 

「この地図は、私の師である司馬徽(しばき)先生……一般的には“水鏡(すいきょう)先生”の呼び名で知られている方なんですが、その方が開かれている“水鏡女学院”という私塾を卒業した際に貰った物なんです。」

 

 まるで桃香の心を読んだかの様に説明する孔明に驚く桃香。

 そんな桃香にやはり微笑みながら、孔明は言葉を紡ぐ。

 

「顔に出てましたよ、何でこんなに精度が高い地図が有るんだろう? って。」

「あう……。」

 

 悪戯を見つかった子供の様に、バツが悪い表情になる桃香だった。

 

「そ、それで、青州を穫ると良い理由は何なんですか?」

「はい。この地図を見るとよく解りますが、徐州は四方を囲まれていますよね。」

 

 誤魔化す様に話を進める桃香に、孔明は一度微笑んでから地図上の徐州とその周辺を指差した。

 

「徐州は東に東海、南に揚州、西に豫州と兗州、そして北に青州と、海と陸によって囲まれています。」

「はい。」

「注目すべきは東に在る東海です。これにより東から襲われる危険性は先ずありませんが、それは同時に、東への退路が無いのと同じです。」

 

 孔明は地図上の徐州の東に広がる海の部分を指差しながら、説明を続ける。

 孔明は海から襲われる危険性は余り無いと言ったが、勿論この世界にも船は有る。

 だが、この世界の船は基本的には河を進む為の物であり、海を進む為の大型船は余り無い。

 必然的に、大軍を擁せる軍船を保持している諸侯は皆無と言える。

 そうした事を踏まえると、孔明の説明に間違いは無いのである。

 

「そうなると、少なくとも南北や西の何処かに退避出来る場所を得ておく必要があります。」

「あの……始めから負けるのを前提で考えないといけないんですか?」

「当然です。勝つ事しか想定していなければ、負けた時の被害は甚大なものになります。ですが、負けた場合を想定していれば、その被害を最小限に抑える事が可能になるのです。」

 

 孔明はそう言うと再び地図に目をやり、説明を続ける。

 桃香は、先程孔明が言った東海の事で頭が一杯になりそうだったが、何とか孔明の説明に集中する事が出来た。

 因みに、何故そうなりそうだったかと言えば、東海について或る人物が興味深い事を言っていたからだが、桃香がそれを今の孔明に話す事は出来なかった。

 

「……そして、青州はその退避場所に適任なのです。」

「青州は実質的に空白地帯だし、他の州には強そうな人が居るからですか?」

「はい。袁紹は勿論、曹操や孫堅と事を構える必要はありませんし。」

「けど、さっきの話じゃ青州を穫ったら袁紹さんと対立するんじゃ……。」

「恐らくは。なので、その為に此処に手伝って貰うのです。」

 

 そう言うと、孔明はその小さな指を地図の上部分、つまり大陸北部が描かれている場所へと滑らせる。

 

「……幽州(ゆうしゅう)?」

 

 桃香はそれを見て疑問符が付いた呟きを漏らす。

 

「はい。現在幽州を治めているのは鮮卑(せんぴ)烏桓(うがん)の侵攻を防ぎ、自身の愛馬と同じ白馬ばかりで構成された騎兵部隊“白馬義従”を率い、“白馬長史”と讃えられている公孫賛(こうそん・さん)。また、東海恭王(とうかいきょうおう)劉彊(りゅうしょう)の子孫である劉虞(りゅうぐ)がその補佐をしています。」

「あれ? 劉虞さんって確か、白蓮(ぱいれん)ちゃん……公孫賛と仲が悪いって聞いてたけど……。」

「確かにそうですね。ですが、つい最近話し合った結果二人は和解し、それ以来二人で協力して幽州を治めている様です。」

 

 孔明の説明を聞いた桃香は少なからず驚いた。

 以前白蓮から聞いた話だと、異民族への対応が正反対だとかなんとか色々あって折り合いがつかず、これからどうすれば良いか解らずに頭を痛めているという事だったからだ。

 

「その劉虞さんは東海恭王・劉彊の子孫ですから、中山靖王(ちゅうざんせいおう)劉勝(りゅうしょう)の子孫である玄徳様とは同族になりますね。」

 

 劉彊は後漢王朝の初代皇帝である光武帝(こうぶてい)(劉秀(りゅうしゅう))の長男であり、当初は皇太子とされた人物だ。

 その光武帝は高祖劉邦の子孫にあたり、やはり劉邦の子孫である劉勝と劉彊は同族になるのである。

 

「そうなりますね。なら、私も劉虞さんと仲良くなれるかなあ。」

「その可能性は有りますね。人間は、少なからず同族意識を持っていますから。それに……。」

「それに?」

「玄徳様が劉虞さんと仲良くなれば、幽州との協力体制を築き易くなります。」

 

 孔明は微笑みながらそう言うと、地図と桃香を交互に見ながら話を続けた。

 

「玄徳様と公孫賛は、盧植さんの許で共に勉学に励んだ仲だと聞いています。」

「はい、それ以来白蓮ちゃんとは親しくさせてもらってます。」

「それはとても良い事ですね。……そして、その人脈が幽州との“同盟”を結ぶ為に有効になります。」

「同盟……もしかして、白蓮ちゃんを使って袁紹さんを牽制するんですか?」

「はい。」

 

 桃香の問いにそう答えた孔明は一旦庭に出て石を持って来ると、それ等を地図の上に置きながら説明していく。

 

「青州を得た場合、隣接する冀州を治める袁紹から攻められる危険性が出てきます。ですが、もし私達が公孫賛達と同盟を組んでいれば、袁紹は北への防備を考えなければならなくなり、迂闊に動く事は出来ません。」

 

 孔明は説明しながら地図上の冀州に置いていた大きな石を徐州に向けて少し動かし、同時に幽州に置いていた楕円形の石を冀州に向けて動かす。

 

「もし、袁紹がそのまま軍を動かした場合、公孫賛に范陽(はんよう)易京(えききょう)から(とう)廬奴(ろど)を目指して貰います。一方の徐州は、楽安郡(らくあん・ぐん)済南国(せいなん・こく)といった冀州との隣接地点で防戦し、袁紹が撤退するのを待つのです。」

「けど、袁紹さんが他州に援軍を要請したらどうするんですか?」

 

 桃香の疑問は尤もだ。自分達が同盟を結ぶ以上、相手も誰かと同盟を結んだり援軍を要請する可能性は充分にある。

 だが、孔明はそんな桃香に微笑むと、地図上の四角い石を置いている場所と三角の石を置いている場所をそれぞれ指差した。

 

「そこで、この方達とも同盟、若しくは“不可侵条約”を結んでおくのです。」

「成程、華琳(かりん)さんと雪蓮(しぇれん)さんですか……。」

 

 桃香は孔明が指差す地図上の「兗州」と「豫州」及び「揚州」を見ながら呟いた。

 兗州は冀州の南に在り、徐州の西に在る。

 豫州はその兗州の南に在り、やはり徐州の西に在る。また、揚州は徐州の南だ。

 それぞれ曹操と孫堅が治めており、軍事力は勿論ながら、その統治も評価が高い。

 もし、袁紹を倒す事に正当な大義名分が有れば、彼女達から助力を得られるのは勿論だが、それはつまり他州の民からの支持を得られる事でもある。

 孔明はそこ迄考えてからこう告げた。

 

「玄徳様の義兄であり、徐州の州牧補佐をしている“天の御遣い”こと清宮涼様。その方は曹操及び孫堅、そしてその娘である孫策にも一目置かれていると聞きます。ですから、清宮様御自ら彼女達にこの話を持って行けば、まず間違い無く成功するでしょう。」

「えっ!? 涼義兄さんを同盟の使者に、ですか?」

「はい。この場合、徐州は兗州や豫・揚州の助力を得たいと思ってますが、彼女達もまた、“天の御遣い”の名声を得たいのです。ですから、清宮様自らが使者に赴く事で両者と手を結ぶ可能性を高められるのです。」

 

 そう言って、孔明は地図上の冀州に向けて四角い石と三角の石を動かした。

 いつの間にか、冀州は四つの石に囲まれている。

 北は幽州の楕円形の石。

 南には兗州の四角い石と豫州・揚州の三角の石。

 そして東には青州と徐州の丸い石が在る。

 西の并州(へいしゅう)や南西の司隸には石が置かれてないが、司隸には首都・洛陽(らくよう)が在り、首都を混乱させる訳にはいかないので逃げられず、必然的に并州しか逃げ道は無い。

 幾ら袁紹が大軍を擁していようとも、逃げ道も補給路も無ければまともに戦えない。

 北の鮮卑や烏桓を頼る可能性は有るが、そうなれば袁紹は完全に漢王朝の臣では無くなる。帝自ら袁紹征伐の勅命(ちょくめい)を下すかも知れない。

 そうして作られた反袁紹連合は更に大軍となり、袁紹は滅びるだろう。

 その後は冀州を得るだけだが、連合を組んでいた以上分割される可能性が高い。

 勿論、冀州を丸々得る策も孔明は考えているのだが。

 

「ですが、この同盟はあくまで徐州軍が袁紹軍とほぼ互角に戦えないと意味がありません。同盟や不可侵条約は、状況によっては何の意味も無くなってしまうものですから。」

「そう……ですね。」

 

 孔明はそう言って桃香を見据え、桃香もまた同じ様に孔明を見据えた。

 孔明が言う様に、同盟や不可侵条約は互いの利が一致して、初めて成立するものである。

 それは、涼の世界の歴史を見ればよく解る。

 例えば明治時代の日本は、清や朝鮮半島の利権を巡ってロシアと対立。

 対抗手段として、ロシアの南下を阻止したいという思惑があったイギリスと日英同盟を結び、日露戦争に踏み切って勝利した。

 また、第二次世界大戦ではヨーロッパ戦線を戦うドイツ、イタリアと日独伊三国同盟を結び、ソビエトとは日ソ不可侵条約を結んだ。これにより日本は中国戦線と太平洋戦線に集中する事が出来たのである。

 だが、敗戦濃厚となった終戦間際、ソビエトは不可侵条約を一方的に破棄し、日本に侵攻している。

 三国志の世界に合わせるなら、曹操軍の南下を阻止したい劉備と孫権が手を組んでいるし、高祖劉邦の時代には秦打倒を目的とした反秦連合や、楚漢戦争(そかん・せんそう)に於ける漢連合の例も有る。

 どれも互いに利が有る内は上手くいっていたが、その利が無くなればそうはいかなかった。

 同盟や不可侵条約は外交に於いて重要なものだが、使い所を間違えると痛い目に遭う危険性を伴うのである。

 つまり、今回の話の様に桃香達徐州軍が袁紹軍と戦う為に公孫賛、曹操、孫堅と同盟や不可侵条約を結んだとしても、戦況が悪化すればそうした盟約も破棄される恐れが出てくる。

 最悪の場合、彼女達全員が敵に回るかも知れない。

 だからこそ孔明は、徐州軍の力を今以上に強化するべきだと、暗に言っているのだ。

 弱いままで同盟を結んでも、後には手痛い「ツケ」が残るものなのだから。

 

「先ずはそうして領土を拡大し、勢力を伸ばすのが肝要かと思います。」

「……はい。」

 

 孔明の話を聞き終えた桃香は、彼女に対して心の底から感服していた。

 雪里達から話を聞いていたとは言え、実際に会って話をしてみれば噂以上の人物だと感じたのだから、それは当然だろう。

 だからこそ、桃香はそのままではいられなかった。

 

「えっ……!? げ、玄徳様、一体何をっ!?」

 

 桃香が突然とったその行動に孔明は驚き、思わず立ち上がって桃香を見下ろしながら慌てふためいた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。