さて、そんな涼は悩んでいた。いや、悩むというより藁をも掴む思いでいたというのが近いかも知れない。
「どうしよっかなあ……。」
小蓮と明命がどこかに出掛け、風は軍師たちと遠征の話を詰めてくると言って出ていった。昼寝はまだ良いのだろうか。とにかく、今の涼は一人だった。
いつもはこんな時に誰かが来て賑やかになるものだが、今は遠征前という事もあって各自
そんな訳で涼は柄にもなく考え、悩み、どうしようか迷っていた。
まあ、元来考え込んだり悩むのが苦手な涼である。今回もそんなに長くはならないだろう。
「……決めたっ!」
ほらね。
「何の意味も無いかも知れないけど、願掛けって言葉もあるし、やってみよう。」
そう言って涼は机の引き出しから一冊の本を取り出し、執務室を出ていった。
果たして、涼の言う「願掛け」とは一体何なのだろうか。それは、彼が向かった場所に関係しているのかも知れない。
「
涼は城のとある場所に来ると、二人の少女を真名で呼んだ。
「なんだい、大将?」
「お仕事でしょうか、清宮様?」
葉こと
ここは徐州軍の武具の管理を一手に引き受ける部署。新しい武具が有れば買い取りに行き、古い武具はどこかに高く売り付け……もとい、取引をしているのがここである。葉と景はその武具管理の責任者を務めている。
「ちょっと二人に作ってもらいたい物があってね。」
「あたい達に頼みかい? 何だか久し振りな気もするな。」
「そうですね、私達の登場も大体十年振りくらいな気もしますし。」
「そういう事言わない。」
メタいメタい。
いやまあ、作者も当初はこの二人をそれなりに登場させようと思っていたのだけど、いろいろ書いていたらほったらかしになっていたという事情があったりする。
そもそも、三国志演義でも序盤も序盤に一回出るだけの人物をレギュラーにしようってのがかなり無茶な訳で。いやまあ……済みません。
「それはともかく、あたい達は何を作れば良いんだい?」
「旗を作ってほしいんだ。」
「旗……ですか?」
涼の依頼に怪訝な顔をする二人。
それも無理からぬ事であった。旗というのは「旗印」という言葉もある様に軍や部隊を示すものである。当然ながらそういった物は既に作ってあるし、涼の部隊用の旗も勿論ある。
なので、涼が今こうした依頼をするという事は既存の旗ではなく新しい旗が欲しいという事だと二人は理解した。だが、一体どんな旗をどんな理由で欲しいのかは分からなかった。
涼は二人のそんな困惑を知ってか知らずか、持ってきた一冊の本のページを開いた。
「……風林火山? それと誠?」
「こっちは何と読むのでしょうか? おんりえど……?」
涼が持っていた本には様々な旗が描かれており、二人は意図せず夢中になって読んでいった。彼女達は知る由もないが、当然ながらそれは絵ではなく写真、または画像を印刷したものであり、フルカラーであった。
涼はその中から三つの旗を指定し、それらを作ってほしいと頼んだ。
「あ、風林火山の旗は“其疾如風 其徐如林 侵掠如火 不動如山”って黒地に金で書いて、風林火山の部分は赤で書いてね。」
「拘ってるねえ。別に構わねえけど。」
「ありがとう。じゃあこの本は二人に貸しとくから、あとは頼むね。」
涼はそう言うと所定のページの端を軽く折り曲げて目印にして葉に渡すと、慌ただしく部屋を出ていった。
葉は「忙しそうだねえ」と呟きながら涼が居た方向を見ていたが、景は葉の手にある本を見ながら神妙な顔をしている。
「其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山……これって確か……。」
「ん? 何か知ってるのか、景?」
景の呟きに反応した葉は聞き返した。
「はい。確か孫子の兵法にこの記述があった筈です。」
「孫子の兵法ー? お前よく知ってんな。」
「以前、興味本意で
珍しい事もあるなと思いつつ、今の時代に軍に関係する仕事をしているのなら、興味を持つのも当然かとも葉は思った。
「ですが……何故この文字なんでしょう?」
「? 何か問題があるのか?」
「問題は無いんですが、これは本来“故其疾如風 其徐如林 侵掠如火 難知如陰 不動如山 動如雷霆”と書かれているんです。」
「ん? 何か足りねえな。」
「はい。“難知如陰”と“動如雷霆”がこれには無いんです。この二つが無いのは何故でしょうか。」
「何でだろうな。けどまあ、それは後で大将に聞けば良いさ。あたい達は言われた通りに旗を作るだけだ。」
「そうですね。」
葉と景はそう言うと早速依頼された旗の製作に取り掛かった。
なお、涼はおろか現代でも何故この文字構成になったのか分かっていないという事実を知るのは別の話である。