その鄴で今、袁紹は
具体的には袁紹が不在時に留守居の部下達にやってもらう仕事を考えているのだが、基本的に斗詩が考え、それを袁紹が承認していく、という流れになっている。猪々子は何しに来ているんだ。一応荷物運びとかはやっている様である。
そんな中、袁紹は心から意外という口調で言葉を紡いだ。
「それにしても、あの董卓さんが陛下を意のままに操っているだなんて……今でも信じられませんわ。」
斗詩と猪々子は暫し仕事の手を休め、斗詩は袁紹に確認するかの様に話し掛ける。
「あれ、麗羽様って董卓さんの事そんなに知ってましたっけ?」
「董卓さんが黄巾党征伐の報奨で陛下から前将軍に任命されました際に、私も報奨も戴く為にその場に居ましたし、十常侍誅殺の後始末でも一緒でしたから、短い間でしたけど共に仕事をしましたわ。」
だからそれなりに董卓さんの事は知っていますわ、と袁紹は続けた。斗詩は更に質問をした。
「そういえば麗羽様、董卓さんを
「相国」という、漢王朝にとって不可侵ともいうべき重要な役職に就いた董卓に対し、斗詩は多少なりとも興味を持っていた。本当に悪い事をしているかはともかく、相国に就いた経緯は知りたいと思った。例えこれから戦う相手だとしても。
なので、特に深い考えがあった訳では無い。だが、返ってきた答えは彼女が思っていた事には無かったものだった。
「いえ、確か……
それを聞いた斗詩は絶句し、暫し動けなかった。一方、斗詩と共に居た猪々子はといえば、斗詩が何故そうなっているかを理解出来ていないのか、ボケーッとして彼女を見ている。
暫く後、頭の中が再起動した斗詩は何度か唾を飲み込みながら呼吸を整え、主君に聞き返した。
「ちょ、張譲!? あの十常侍のですか!?」
「ええ。その張譲ですわ。」
「……誰だっけ?」
猪々子の呟きにも困惑する斗詩であったが、今はそれよりも先に確認しなければならない事が出来たので後回しにする事にした。
「姫、張譲は生死不明だったのでは!? いえ、そもそも張譲は討伐対象だった筈です!」
斗詩が叫ぶ様にそう言うと、漸く猪々子は張譲が誰かを思い出したらしく、「ああ、十常侍の逃げた奴かあ」と呟いていた。
「斗詩さんが困惑するのも無理ありませんわね。私も陛下から話を聞いた時は耳を疑いましたもの。」
そう言ってふう、と溜息を吐いた袁紹は彼女が聞いたという話をし始めた。
それによると、張譲は密かに皇帝である
幼いとはいえ、劉弁は兄弟もろとも命の危険にさらされた経緯もあり、当初は問答無用で斬首に処すつもりであったらしい。当然と言えば当然である。
「何でそれで張譲は助かったんです?」
「なんでも、その場に居た董卓さんが許しても良いのではと言ったそうですわ。」
何故だ? と訊く劉弁に対し董卓は次の様に答えたという。
『十常侍は既に無く、今回差し出した財産も既に差し押さえていたものと併せて莫大なものになる。取り巻きも居ない。そんな人間がこれから何が出来るか。何も出来ません。』
それを聞いた劉弁はそれもそうかと思い、張譲を許したという。
ちなみにこれらは袁紹たちが十常侍の残党を倒しにいっていた間、時期としては桃香たちが荊州で三顧の礼をしていた頃の話である。
「それからの張譲は人が変わったかの様によく働いたそうですわ。私も一度会いましたが、確かにかつての陰鬱として、いかにも悪巧みしてますって表情ではなかったですわね。」
「……で、そうして真面目に働いていた張譲が董卓さんを相国に推挙した、と。」
「そうなりますわね。」
「張譲は董卓に命を救われたから、その礼ってやつなのかな?」
「かも知れませんわね。」
袁紹と猪々子はそう結論付けると仕事を再開した。
だが、斗詩は一人困惑しており、とても仕事を再開するどころではなかった。
(話が出来すぎてる……? いくら董卓さんがお人好しでも、陛下に刃を向けた人間を助け、しかも宮中で自由にさせるかな……。)
その考えは尤もである。斗詩は董卓の事をよく知らないが、彼女とて黄巾党征伐などを経験してきた武将である。何をすべきで何をしてはいけないか、という常識を持ち合わせていない訳が無い。だからこそ董卓の行動に納得出来ない。
(そもそも、相国はお礼に推挙する様な軽いものじゃないし……。)
既に触れた通り、相国は漢王朝にとって特別な意味を持つ官職である。それをかつての権力者が推挙したからといって陛下が承認するものだろうか。陛下がまだ幼いという事を加味しても不可解であった。
(董卓さんと張譲が裏で繋がっているって事は考えられるけど、あの人の良さそうな董卓さんがそんな事をするとは……いや、でも現に……。)
斗詩は一人考え悩むが、証拠がない事もあって結局明確な答えは出なかった。
なお、袁紹が張譲の事を二人に言ってなかったのは、単に言っていると勘違いしていたからであった。