真・恋姫†無双 ~天命之外史~   作:夢月葵

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第十九章 帰還、それから・9

 それから暫くの間は、戦勝の宴で友好を深めあったり、同盟の継続や内容の変更・追加は無いかといった政治的な話を続けた。その際に雪蓮が数度、涼に夜這いをかけようとして失敗したり、姉の真似をしようとした小蓮が蓮華に怒られたりしているが些細な事である。

 そうした日々が過ぎた後、曹操軍と孫策軍の内、先に帰る事になったのは曹操軍であった。

 元々徐州に来る予定が無かったので、余り長居は出来ないという理由があったので当然ではあった。それでも五日ほど滞在していたのは、先述の事以外に武将たちのスカウトなどをしていたからである。

 特に愛紗に対しては過去何度も断られているにも係わらず、熱心な勧誘だった。並みの武将であればその熱意に打たれ、間違いなく華琳の許に鞍替えしたであろう。

 

「涼や桃香より先に、貴女に逢いたかったわ。」

 

 これは徐州を発つ時に華琳が言った言葉である。実は愛紗も、内心ある程度は同意していた。

 華琳は今現在、桃香や孫堅こと海蓮などと同じく州牧という立場に居るが、その才能や人脈を考えればその立場で納まる様な人物ではない。

 何れは後漢王朝の中枢で皇帝陛下を支える、という立場になるだろうと思っている。それは歴史を知っている涼は勿論、桃香や雪蓮たちも同じ考えであった。

 そんな華琳自らに誘われて、断るというのは本来有り得ない事だ。一部の者は華琳が宦官の家の出という事を揶揄したりするが、それでもこの国屈指の名門の一つなのは変わり無く、先祖を辿れば漢王朝建国の忠臣の一人、夏侯嬰(かこうえい)に繋がるという家柄は本来文句は出ない筈である。

 それでも愛紗が首を縦に降らないのは彼女の主君への忠誠心だけでなく、涼達とは義兄弟・義姉妹という関係だからでもある。

 

『姓は違えども、兄妹姉妹の契りを結びしからは、

心を同じくして助け合い、困窮する者達を救わん。

上は国家に報い、下は民を安んずる事を誓う。

同年、同月、同日に生まれる事を得ずとも。

願わくば、同年、同月、同日に死せん事を』

 

 これはかつて、涼、桃香、鈴々、そして愛紗の四人が誓った所謂「桃園の誓い」である。

 「兄弟姉妹で力を合わせて国の為、人々の為に生きる」という、涼たちの行動原理がここに有り、「生まれた日は違っても、死ぬ時は同じでありたい」という、普段の彼女達からは考えられない苛烈な覚悟も同時に含まれている。

 その様な誓いをした愛紗は、二君に仕える気が無い。仮に誓いを抜きにしても涼と桃香は素晴らしい主君だと思っているし、頻繁に主君を変えるべきではないという彼女なりの美学もある。よって、いくら華琳が誘ってきてもその首を縦に降る事は一生無い。

 だが、愛紗は同時にこうも考えた事がある。「先に出会ったのが華琳であったら、自分はどうしていたのか」、と。

 恐らくは、万人がそうである様に華琳に仕えていたであろう。それだけ華琳、つまり曹操という武将は凄い。

 涼の世界では中国史に名前を残し、日本においても多大な影響を与えたと言われる曹操。その曹操と同じ名を持つ華琳は、まず間違いなく大成し、この世界に名を残すだろう。

 勿論、愛紗はそんな異世界の曹操の事は知らない。それでも、華琳が優れた武将だという事は分かる。

 だが愛紗は、その優れた人間である華琳に仕えるという、「あったかも知れないもう一つの道」を、全く惜しんでいない。今の道で充分だと思っている。

 華琳の許での自分自身を夢想した事はあるが、結論としては今と余り変わらないだろうという事になった。武人でしかない自分は涼と桃香の許でも、華琳の許でも、はたまた雪蓮の許でもやる事は変わらないと。

 (すなわ)ちそれは、「主君の敵を討ち倒す」という至極シンプルな、それでいて明確な答え。

 それならば、余所に居る自分を考えていても仕方がない、今やれる事をやるだけだと、愛紗はそう結論付けて今に至っている。

 なので愛紗は華琳にこう答えた。

 

「これも天命ですよ、華琳殿。」

 

 その答えを聞いた華琳は、満足した笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 さて、そんな風にして兗州への帰路についた華琳たちであるが、その道中、ちょっとした出会いがあった。

 徐州を出てしばらくすると、一人の小柄な、一見すると幼女の様な外見の少女が華琳の前に現れたのである。

 

「兗州牧の曹孟徳殿とお見受けするのです。」

 

 突然の来訪者にすわ敵かと色めき立つ曹操軍だが、華琳はそれを静かに、の一言で収めると目の前に現れた少女に向き直り、言葉を紡いだ。

 

「貴女は?」

「先日まで中牟県(ちゅうぼうけん)の県令を務めていた、陳宮(ちんきゅう)と申しますです。」

 

 陳宮と名乗った少女は、そこから自身を売り込んだ。それを要約すると、自分は優れた文官なので曹操殿のお役に立てる筈だという事だった。事実、様々な兵法書の文章を(そらん)じ、華琳の問いにも多少どもりつつも答え、その実力を証明した。

 

(まだまだ荒い所はあるけど、確かに言うだけの事はあるわね……。)

 

 華琳は内心で陳宮をそう評した。

 桂花や稟ほどでは無いが、間違いなく優秀な文官だという事は、この短い時間でのやり取りで判っている。優秀な人物なら武官も文官も欲しい華琳にとって、探す手間が省けたと言って良い。

 とは言え、いきなり現れたこの人物が何者かという疑問は残る。余りにも都合の良過ぎる展開は、それだけで疑念を生じさせる。幼い頃から自分を疎んじる人間を何人も見てきたし、その中には自分の親類も含まれてきた。そうした経験から、この陳宮という少女も自分を害しようとする刺客なのではないかと、華琳は思い、登用するか迷っていた。

 そんな華琳に決意を促す、低い声が聞こえてくる。

 

「良い人材ではありませんか、華琳様。登用して宜しいかと自分は思いますが。」

允誠(いんせい)。……そうね、貴方がそう言うのなら間違いは無いのでしょうね。」

「勿体無きお言葉です。」

 

 華琳は後ろに居る軽装の武将に目をやるとそう答え、そのまま陳宮を登用する事に決めた。陳宮は喜びを全身で表し、華琳とその武将に感謝の言葉を述べた。

 実はこの武将、曹操軍に於いては珍しく、男性である。物語中にはまだ出ていないが、曹操軍にも孫堅軍にも、もちろん徐州軍にも男性の武官、文官は存在する。その中で曹操軍の男性比率は一番低い。そんな数少ない男性の一人がこの「允誠」なのである。

 彼は華琳よりもだいぶ年上で、三十代から四十代といった風貌である。短めの黒髪に黒く切れ長の目、穏やかそうな顔は、一見すると文官にも見える。

 軽装と前述したが、実際に右肩に肩当て、それと繋がる様に左胸を守る胸当てをしているくらいで、あとは黒い服や茶色いズボン等を身に付けているだけである。得物はありふれた普通の剣であり、外見からはとても華琳の側に居る様な武将には見えない。

 だが、先ほど允誠が華琳の真名を呼んだのは事実であり、少なくとも華琳が信頼している人物というのは確かな様である。

 その華琳が陳宮に自身の真名を呼ぶ事を許すと、陳宮もまた同じ様に真名を明かした。

 

「ね……私の名前は陳宮、(あざな)公台(こうだい)、真名は音々音(ねねね)。ねねとお呼びくださいですぞ。」

 

 黄緑色の長い髪を首の後ろで赤い髪留めで左右に纏めた、所謂ツインテールにしている陳宮こと音々音は、パンダの顔が描かれた黒い唾つき帽子をとって平伏の証を立てる。ちなみに外見はざっと言うと白と黒で構成された導師服の様な上着に白い服、紺色のホットパンツに白と黄のオーバーニーソックス、そして短めのブーツの様な靴を身に付けている。

 瞳は大きな金色をしており、顔は低い身長と相まって幼く、現代で言うなら小学生と言っても通用するだろう。

 そんな音々音が曹操軍の一員になり、そのまま華琳たちと共に兗州へ向かう事になったのは、音々音にも華琳にも良い事だったのかも知れない。

 

 

 

 

 

 数日後。兗州は陳留まであと少しという所で、華琳は允誠と音々音を伴ってとある屋敷に来ていた。

 その屋敷に居たのは華琳よりだいぶ年長と思われるが美しい黒髪の女性で、華琳はその女性を「呂伯奢(りょ・はくしゃ)」と呼んだ。

 華琳は音々音を紹介した。どうやらそれがここに来た目的の一つであった様だ。

 呂伯奢は華琳たちを歓迎したが、生憎お酒が切れていると言って買い物に出掛け、その間は彼女の娘たちや食客(しょっかく)たちが応対した。

 その夜、猪や豚を使った料理に舌鼓を打った華琳たちは、そのまま呂伯奢の屋敷に泊まった。護衛と言える護衛が允誠しか居ない事に違和感と不安を覚えた音々音は、その允誠に訊ねるが、允誠は何の心配も要らぬと言うだけであった。

 そして夜更け。既に夢の中にあった音々音であったが、尿意を我慢する訳にはいかず目を覚ました。

 何気なく隣を見ると、そこに居る筈の華琳の姿が無かった。寝台に布団はあるが誰も居ないのである。

 音々音は焦った。自分の様に厠に行っているのならば良いが、もしそれ以外の、つまりは暗殺などの凶行に遭っているのではないかと思うと気が気でなかった。

 

(せっかく、覇王になるかもしれない人と会えたのにです……!)

 

 音々音が華琳の事を知ったのは、黄巾党の乱の首魁である張角(ちょうかく)とその妹である張梁(ちょうりょう)を討ったと風の噂で聞いたのが最初である。

 それ以来、ひょっとしたらこの曹操という人物は自分が仕えるべき主人なのではないかと思いながら、県令の仕事をやっていた。

 その後も十常侍誅殺、そして今回の袁紹の兗州侵攻などでの活躍を聞いて、遂に音々音は動いた。県令の仕事を辞め、凱旋してくる曹操軍を待ち、直接売り込んだ。結果、思い通り曹操軍の一員となれた。

 曹操軍には他にも優秀な文官が多数居るであろうから、出世は楽にはいかないだろうが、それでも第一歩を踏み出せたのは間違いない。

 

(だから、こんなところで死なれては困るのですよ、華琳殿……!)

 

 音々音は尿意も忘れて華琳を探し始めた。この呂伯奢邸は多数の食客を抱えているだけあって広い。それに初めて来たので勝手が分からない。更に、もし華琳が呂伯奢や屋敷の者に命を狙われているのならば、護衛である音々音や允誠も当然ながら狙われるであろう。用心しつつ闇夜を進まなければならなかった。

 

(……! そう言えば、允誠殿はどこに!?)

 

 音々音はもう一人の同行者である允誠の事を思い出した。

 華琳と同じ女性である音々音は今回、華琳と同じ部屋に泊まっていた。主君と同じ部屋は畏れ多いと一度は辞退したが、華琳がせっかくだから音々音と寝ながら話したいと言った為にそうなった。

 だが、男性である允誠は流石に同じ部屋という訳にはいかない。この時、華琳は妖しげな笑みを浮かべながら允誠も誘ったが、丁寧に辞退されている。どうやら、允誠のそうした反応を見る為に誘った様である。

 允誠は護衛を兼ねている為、二人の部屋の隣で寝ていた筈である。もし華琳に何かあれば、すぐに動いていると思われる。

 華琳の護衛を単身で任された允誠は、華琳の信任篤く、また実力もある筈だと、音々音は判断した。ならば允誠を見つければ華琳もそこに居るのでは? と考えたのはある意味当然だった。

 と、そこまで思った時に音々音はその允誠を見つけた。

 音々音はつい大声を出しそうになったが、もし本当に刺客が潜んでいたらと思い、何とか小声で允誠に話しかけた。

 

「允誠殿、ご無事でしたか!」

「おや、音々音か。無事とはどういう意味だ?」

 

 慌てている音々音とは対照的に、允誠は廊下に静かに座ったまま応えた。

 音々音は華琳が居ない事、ひょっとしたら刺客でも居るのではないか等といった事を早口で説明し、華琳の居所を知らないかと訊ねた。

 

「成程。華琳さまならばその部屋にいらっしゃる。」

 

 允誠が指差したのは目と鼻の先に在る部屋。こんな時間だというのに灯りが点いているらしく、窓から光が漏れている。この部屋に華琳が居るという。

 拍子抜けする程あっさりと華琳の居場所は判明した。途端に音々音は脱力し、廊下にへたりこんだ。

 

「ご……ご無事でしたか……良かったのです。」

「もちろん刺客も居らぬ。ご安心めされよ。」

 

 允誠にそう言われて音々音はようやく安心し、数度呼吸を整え落ち着いた。いまだ心臓の鼓動は常より早く走っている。

 そうして安心すると、脳に新しい酸素が供給され、考えが纏まる。音々音の脳裏には当然の疑問が浮かび、それをそのまま允誠にぶつけた。

 

「何故、華琳殿はこの様な夜更けにこの部屋に来ているのです?」

 

 だが允誠は先程と違い言葉を濁した。音々音は追及するがやはり答えない。

 音々音はそんな允誠の態度を訝しんだ。知り合って数日とは言え、同じ釜の飯を食べ、共に華琳をもり立てようという同志なのは間違いない。允誠には娘が居るらしく、音々音と余り変わらない歳という事もあって良くしてもらっていた。

 その允誠がこの様な反応をするからには何か深い理由(わけ)があるのではないかと、音々音が思ったその時、件の部屋から華琳の声が聞こえてきた。

 

「ねね? 起きたの?」

 

 部屋の扉越しなので少しくぐもった声だが、間違いなく華琳の声であった。音々音はこの時、心から安堵したと言って良いであろう。

 音々音は起きたら華琳が居なかったので心配し、探していたと説明した。華琳は心配かけた事を謝罪すると、明るい声で部屋に入る様に言った。

 すると、允誠が異を唱えた。

 

「華琳さま、それはお止めになられた方が宜しいかと……。」

「何故かしら?」

「その……音々音にはまだ早いかと。」

「そうかも知れないわね。けど、遅かれ早かれこうなるのだし、それに最終的に判断するのはねねよ。」

「それはそうですが……。」

 

 その後も暫くの間、二人のやり取りは続いたが、このままだと喧嘩になる、それどころか華琳が怒って允誠を討つのではないかと危惧した音々音は允誠に謝意を述べた後、華琳に部屋に入る事を伝えた。允誠は尚も心配していたが、華琳は喜び、改めて部屋に入る様に促した。

 音々音は一声掛けてから部屋への扉を開いた。数刻後、音々音はこの判断と行動が間違っていた事を嘆くが、その時は既に後の祭りであった。

 

「し、失礼するので……す!?」

 

 恭しく入室した音々音は言葉を失った。大きめの寝台の上に寝そべっている華琳が、一糸纏わぬ姿で居たからだ。

 いや、それだけではない。この部屋には呂伯奢とその娘たちも居たがその者達も華琳と同様、つまりは素っ裸であった。

 音々音は驚きつつも現状がどうなっているのか訊ねた。すると華琳は妖艶な笑みを浮かべながら、「夜伽をしていたのよ」と答えた。

 夜伽。夜に物語を話したり、警護や看病などで夜通し起きている事も夜伽と言うが、一般的には「男女の交わり」を意味する。この部屋には女性しか居ないが、要はそういう事を意味する。

 つまり、華琳は夜中、音々音が寝た後にこの部屋に来て、彼女達と楽しんでいた訳である。ここに来た目的のもう一つはこれだったらしい。

 

「さあ、貴女もいらっしゃい。」

 

 華琳はやはり妖艶な笑みでそう言った。呼ばれた音々音は戸惑いながら返事を返せずにいる。

 幼い体躯が示す様に、音々音はそういった経験が無い。男性とも女性とも、無い。

 異性とは勿論、同性との恋愛などした事がない音々音は混乱した。ここで華琳の誘いを受けるのは是か非か。主君の命令なら聞くのが当然ではないか、いやいや、異性となら兎も角、同性となんておかしい、いや、同性とも有りなのではないか、等の考えが数秒の間に何度も繰り返され、結果として音々音の思考はオーバーヒートした。

 

「す、す、すみませんです! ねねはその……ゴメンナサイっ!!」

 

 茹で蛸の様に真っ赤になった顔、ひょっとしたら全身がそうであったかも知れないが、兎に角真っ赤になった音々音はそう叫ぶと、一目散に自分が寝ていた寝所へと戻っていった。

 その様子を華琳は苦笑しつつ見送ると、寝台からは死角になって見えないが、廊下に居る筈の允誠に話し掛けた。

 

「貴方の言う通りだったわね。」

「連れ戻しますか?」

「良いわ。嫌がる相手を無理矢理に、ってのは趣味じゃないから。」

「文若殿には時々そうしている様ですが?」

「あの子はその時の反応が面白いから良いのよ。それに、本気で嫌がっていたら、いくら桂花が相手でもしないわよ。」

 

 そう言うと、華琳は呂伯奢の娘の一人を抱き寄せた。

 

「ねねは兎も角、貴方はどう? この子なんか貴方の好みじゃないかと思うのだけど。」

「お戯れを。女を抱いたとバレたら妻と娘に殺されます。」

「それは残念ね……ふふっ。まあ良いわ、引き続き護衛を頼むわね、鮑允誠。」

「はっ。」

 

 允誠が恭しく頭を下げると、華琳は夜伽を再開した。允誠はこの反応も折り込み済みで訊ねたのだな、と思いながらもそれ以上は何もしなかった。

 

 

 

 それから一刻後、いろんな意味でスッキリして寝室へと戻ってきた華琳は、自身の寝台に置き手紙が有る事に気づき、それを手に取って読んだ。

 

『華琳殿、短い間ではありましたがお世話になりました。

華琳殿を覇王にするべく仕官しましたが、あの様な事をしなければならないのは本意ではありませんです。

ねねから仕官しておいて誠に勝手ながら、今限りで曹操軍を辞めさせていただくのです。

 

追伸。

捜さないでください。』

 

 何と、音々音は曹操軍を辞めていた。華琳が部屋を見渡すと、有った筈の音々音の服や荷物が無い。既にこの屋敷を離れていると考えて良いだろうと華琳は結論付けた。

 

「……残念ね。育てばひとかどの軍師になって私を支えてくれたでしょうに。」

 

 その声音は音々音が居なくなった事を真から惜しんでいる様であり、それだけ音々音を評価していたという事であった。

 とは言え、来る者は拒まず、去る者は追わない華琳はそれ以上何もせず、夜明けまで過ごした。

 

 

 

 

 

 一方、まるで命からがら逃げるかの様に屋敷を後にした音々音は、一度も後ろを振り返る事無く走り続けた。

 どこでも良い、兎に角ここから逃げようと思った音々音は、意図せず西へ西へと進んでいた。

 そして、兗州を出てしばらくした所で賊の集団に出遭ってしまった。文官である音々音は抵抗する事が出来ない。賊たちは音々音を囲み、下卑た笑みのままジリジリと近付いてくる。

 ねねの人生はここで終わるのか、と絶望した音々音は、せめてもの足掻きとして大声で助けを呼んだ。

 するとその瞬間、音々音の正面に居た賊の一人の体が真っ二つになった。突然の事に他の賊達も、音々音も事態を把握出来ないでいた。

 だが、誰もが現状把握する間も無く、賊は次々と絶命していった。よく見ると、紅い髪に褐色の肌の女性が黒い戟を振り回して、賊を斬り伏せていた。

 そうしてその女性は賊にまったくと言って良いほど反撃させず、あっという間に全ての賊を斬り殺した。

 戟に付いた血を振って落としたその女性は、そのまま音々音に近付いていった。賊が居なくなって安心していた音々音は、今度は自分が殺されるのでは!? と内心慌てたが、結果としてそれは杞憂に終わった。

 

「……大丈夫?」

 

 女性は、先程賊を斬り伏せていた時の迫力とはうって変わって、のんびりで穏やかな表情と口調で話し掛けてきた。

 よく見ると、女性と言うより少女と言った方が合う外見だった。背も体型も小さな音々音と違い、その少女はそれなりの身長であり、出る所は出て引っ込む所は引っ込んでいる、要は抜群のスタイルの持ち主であった。

 一体この少女は誰なのか、と音々音が考え始めた時、その少女の後方から別の少女の声が聞こえてきた。

 

「おーい呂布(りょふ)っち、何かあったんかー?」

 

 特徴的な訛りを持つ言葉を発したその少女は、ツンツンとした紫色の髪、羽織袴にサラシ姿で、銀色に輝く槍を手にしていた。後ろには部下らしき兵士が数人、ついてきている。

 

「……子供が賊に襲われていたから……助けた。」

「そうみたいやな。……見たところ、こいつらは黄巾の残党かいな。」

「……多分、そう。」

 

 そういった会話をしながら二人の少女は賊の死体を検分し、次いで部下達に何かを命じていた。

 それが終わると、羽織袴の少女が音々音に話し掛けてきた。

 

「大丈夫やったか? 怪我とかしてへんか?」

 

 随分と気さくな人なのです、と思いつつ、音々音は大丈夫と答える。

 それから、名前は? とか、何故ここに? とか、行く当てはあるのか? 等いくつか質問をされた。本来答える義務は無いが、助けてもらった手前、答えないという訳にはいかない。音々音は正直に答えた。

 質問が終わるのを確認すると、今度は音々音が質問をした。

 

「貴女たちは、どこの軍なのです?」

 

 その問いに答えたのは、やはり羽織袴の少女だった。

 

「うちらは呂布軍。この子が大将の呂奉先(りょ・ほうせん)で、うちは副将の張文遠(ちょう・ぶんえん)や。」

 

 呂布軍。その名は音々音も噂で聞いた事があった。

 呂布は元々、丁原(ていげん)軍の一員だったが、丁原が急死した為に養子だった呂布がその跡を継いだという事だった。丁原が何故死んだかまでは分からないが、丁原はそれなりの年齢だったので、死んでもおかしくはなかったとも聞いている。

 その呂布軍が何故ここに居るのか。聞いた話では、呂布軍は洛陽(らくよう)に居た筈である。兗州から西へ向かっていた音々音ではあるが、まだ洛陽付近ではなかった筈だ、と疑問に思った。

 この疑問にも、やはり羽織袴の少女こと張文遠が答えた。

 

「中牟県の県令に頼まれてな、最近現れた黄巾の残党討伐に来たんや。」

 

 音々音は少なからず驚いた。自分がかつて勤めていた場所にいつの間にか来ていた事、自分の後任が大変そうな事、そして、黄巾党がまだ生き残っていた事などについてである。

 徐州の州牧である劉備が先日行ったという、青州黄巾党征伐により、黄巾党は壊滅した筈であった。音々音だけでなく、状況を知る者は皆そう思っていた。

 だが、一匹見たら三十匹は居るというあの虫の様に、黄巾党はしつこく厄介な連中の様だ。張文遠によると、少なくとも万単位の数が確認されているという。その為、編成された討伐隊も万を超す兵数になっている。

 

「そんな訳でな、今から嬢ちゃんを安全な場所に連れていくわ。ここは見ての通り賊がおるから危険やけど、街なら大丈夫やろし。」

 

 張文遠はそう言って部下を呼ぼうとした。賊に襲われたばかりなので、送ってもらえるのなら有り難いと音々音は思った。

 だが、そう思いながらも音々音の視線は呂奉先を向いていた。

 絶体絶命の危機を救ってくれた命の恩人に恩を返さないまま、ここを離れても良いのだろうかと思い、何か出来る事は無いかと考えた。が、自分に出来る事は一つしかない。音々音は駄目元で訊いてみた。

 

「その……ね……私を呂布軍に入れてくれませんかです?」

 

 何とも無謀な事である。今会ったばかりの人間を麾下に加える人間がどこに居ると、音々音は自嘲した。……が、そういえばこの間迄居た軍はまさにそうやって加わったのだった。

 とは言え、あれは華琳の器が大きいからであり、他の軍ではそうはいかない筈だ。だから今回は断られるだろうと思っていた。だが、

 

「……うん。よろしく。」

 

呂奉先から返ってきた答えは呂布軍参加の許可だった。

 音々音は驚いたが、当の呂奉先は何故驚いているのか解らず、小首を傾げている。その仕草が可愛いと音々音は思った。

 そんな音々音に対し、張文遠は笑いながら言った。

 

「呂布っちが良いって言ったんやから、深く考えんでええで。これから宜しくな、陳公台。」

 

 音々音は本当に良いのだろうか、と思ったが、大将が良いと言ったのだから良いのだろうと結論付けた。

 それから音々音は改めて自己紹介をし、真名も預けあった。また、自分が兵法に通じているとアピールした。すると張文遠が喜んだ。

 

「ホンマかー! うちには今軍師がおらんかったから丁度良かったわ。」

 

 音々音は呆れた。軍師を連れずに作戦行動をとろうとしていたのか。いくら賊相手とはいえ無謀ではないのかと。

 とはいえ、他に軍師が居ないのなら功を立て易いのも確かであり、内心では大喜びした。優秀な文官が多く居ると言われる曹操軍で功を立てるよりは楽そうであると。

 

(れん)殿も(しあ)殿もご安心ください。誰が相手でも、このねねにお任せですぞー!」

 

 こうして音々音は、呂布軍の一員となった。

 音々音を加えた呂布軍が三万の黄巾党と会敵し、とある伝説をうちたてるのであるが、それは別の話である。


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