優秀な姉を補佐し、まだ幼さの残る妹を支える。そうした想いが幼少から、恐らくは物心がついてすぐに芽生えていたかも知れない。
その結果、自由な性格の長姉と末妹に挟まれた次女は、真面目にならざるをえなかったのかも知れない。例え涼がそう指摘しても、蓮華は否定するだろうが。
蓮華は真面目な性格だからこそ、どうすれば姉妹を支えられるか、孫家を繁栄させる事が出来るかを常に考えてきた筈だ。だからこそ悩み、涼に相談するまでになったのかも知れない。…………恐らく、雪蓮や小蓮も時々は悩む事はあっただろう、うん、多分。
そうして悩み、考え、迷走した結果、目標は見つかった。だが、そこまでの道筋は見つからずにいた。
勿論、真面目な蓮華はその道筋も探し続けた。
それでも、探して探して、探しても探しても、見つからなかった。
それなのに、今まで見つからなかった道筋が、たった一言で見つかったかも知れないという事実は、蓮華にとって驚くべき事であった。無論、まだそれが正しいかは判らない。だが、五里霧中だった蓮華の心に一筋の光をもたらしたのは間違いなかった。
自分に出来る事を一つ一つやっていけば、いずれは理想に到達するかも知れない。仮に理想とは違っても、理想に近い事は出来るかも知れない。
ならば、彼女が進みべき道は決まった。いや、正しくは方向性が決まったと言うべきだろうか。「理想」を目指しつつ「現実」を直視するという、言葉にするは易く、実現するには難い事を、これから蓮華はやるつもりなのである。
「ありがとう、涼。」
「え? あ、うん、どういたしまして?」
蓮華は素直に礼を述べた。特に大した事を言ったつもりがない涼は、戸惑いつつもその言葉を受け取った。
それから暫くの間、今度はもっと軽めの、所謂雑談をした二人は、 互いに有意義な時間を過ごしたと感じつつそれぞれの寝所へと戻っていった。
その道すがら、蓮華は前を向いたままここに居ない筈の人物の名を口にした。
「思春、居るんでしょ?」
思春とは孫軍の武将の一人であり、「鈴の甘寧」とも呼ばれる甘興覇の真名である。
「はっ。」
どこからともなく、音もなく蓮華の正面に現れたのは正しく甘寧だった。トレードマークでもある黒系のマフラーを巻き、寝巻き姿の蓮華とは違い、常の赤いチャイナ服を身に纏っている。
地面に片膝を着き、頭を垂れている思春に対し、蓮華は穏やかな口調で話しかけた。
「護衛ご苦労様。尤も、ここではその必要は無いと思うのだけど。」
「蓮華様の仰る通りだとは思いますが、万が一、という事もありますので。」
「相変わらずね。」
思春の受け答えに苦笑する蓮華。彼女は自分でも自身を堅物だとか真面目だとか思っているが、今目の前に居る思春も自分に負けず劣らずの堅物、真面目では無いのかと、時々思っている。
だからこそ、蓮華の側近が務まるのかも知れないが。
「いつから居たの?」
「蓮華様が部屋を出られた辺りから、でしょうか。」
「ほとんど最初からじゃないの。」
今度は半ば呆れた蓮華。確かに、今回あてがわれた部屋は蓮華と思春を隣同士にしてある。これは孫軍側からの要望でもあり、それを徐州側が了承したという事であった。
なお、涼が揚州に行った時には徐州側が同様の要望を出しており、その際は涼の隣に鈴々の部屋があてがわれていた。
……そう言えば、一度雪蓮が涼に夜這いをかけていたが、その時鈴々は何をしていたかと言うと、実は夢の中に居たのだった。護衛の意味が全く無いのではなかろうか。
それと比べると、思春の護衛は完璧と言える。少しやり過ぎな気もするが。
「これぐらいやらなければ、護衛とは言えません。」
殊勝な心がけである。どこかのちびっ子にも聞かせたいものだ。
蓮華はまたも苦笑する。自分の様な未熟者をここまで想ってくれる部下がいる事に、彼女は心から感謝をした。
蓮華は再び歩き出した。半歩後ろを思春が続いていく。
「それで、思春から見た涼の評価はどんな感じかしら?」
「それは……。」
主の問いに対する答えに、思春は少し躊躇いを見せた。
涼は一応、蓮華の婚約者である。つまりは、将来思春にとってもう一人の主になるかも知れない相手という事になる。その様な人物に対する評価を、一家臣が易々と言って良いものかどうか迷ったのであろう。
「遠慮しなくて良いわ。私は貴女から忌憚の無い言葉を聞きたいの。」
蓮華がそう言ったので、思春は暫し瞑目してから、忌憚無い意見を述べた。
「基本的には、初めて会った時の印象と変わっておりません。先日の戦闘で清宮の戦いぶりを見たのですが、部隊指揮能力はともかく、戦闘能力や身体能力は兵卒より少しだけ良いという程度。もし、世に聞こえる武将と一騎討ちををすれば、百戦百敗は不可避かと。」
「予想以上に手厳しいわね。」
辛辣な思春の答えに、今宵何度目になるか分からない苦笑をする蓮華。そんな蓮華自身も、涼と初めて会った時は今の思春と同じ様な感想を抱いていた筈だが、小一時間二人だけで話していたからか、今の蓮華はそうは思わなくなっていた。
ちなみに、思春が言った「先日の戦闘」とは、言うまでもなく袁紹軍との戦闘の事である。
あの時は徐州軍、孫策軍、曹操軍の連合軍による攻撃で殆ど一方的な戦闘となり、完勝していた。その際、涼は味方の鼓舞と敵の更なる士気低下を狙い、一部隊を率いて戦った。
もちろん、軍師達の意見を訊いてからの出撃であり、それも可能な限り前線には出ないという約束があっての出撃であった。
またこの時、雪蓮も同じ様に一部隊を率いて出撃したので、味方の士気は否応にも上がり、敵の士気は当然ながら下がっていった。
華琳も二人と同様に出るべきかと思ったが、流石に各軍の総大将が全員最前線に出る訳にもいかず、自重した。また、これを機に二人の能力を改めて確認したいという思惑もあったのはいうまでもない。そしてそれは、徐州軍も孫策軍も同じだという事も。
涼の部隊指揮は無難であり、味方の鼓舞及び救援、敵への追撃はスムーズに行われた。だがその際に、追撃を阻止しようとした勇敢且つ忠誠心溢れる敵部隊と数度切り結んでおり、その戦いぶりはお世辞にも素晴らしいという出来では無かった。
既に何度も述べているが、涼は元々普通の高校生であり、当然ながら戦闘などした事は無い。
そんな彼がこの世界で戦えているのは、愛紗たちに鍛えられているからである。とは言え、その実力は思春が言う様に大したものではない。今まで戦ってきたのはその殆どが黄巾党の様な賊であり、だからこそ何とかなっていたという事情がある。
だが、今回戦ったのは袁紹率いる正規兵達、いわば戦闘のプロである。正規兵との戦闘は十条侍誅殺の時に経験しているが、あの時の正規兵は洛陽でぬくぬくと過ごしていた弱兵達だった。
袁紹軍も然程強くないとはいえ、洛陽の兵達と比べれば遥かに強兵であり、必然的に涼は苦戦する事となった。それでも無事に生きて帰って来られたのは、雪蓮の援護のお陰もあるが、愛紗たちによる調練の賜物であるのはいうまでもない。
揚州に居る蓮華たちは、当然ながらそうした事情を知らない。ある程度は話を聞いているかも知れないが、一軍の将としてあれで良いのかと疑問を持ったり不安をおぼえても仕方がないだろう。
「ですが、本来総大将は最前線に出ぬもの。そう考えるならば、今のままでも充分なのではないかとも思います。」
「そうね。姉様みたいに最前線で戦うのは本来有り得ない事だものね。」
そう言うと、二人は顔を見合わせながら再び苦笑した。
この時代、総大将は後方で指揮をする、もしくは戦況を見守っているのが普通である。約四百年前の楚漢戦争時の楚の総大将、項羽は最前線で戦い、いくつもの首級を挙げているが、それは例外中の例外と言えよう。なお、ライバルであった劉邦は殆ど最前線に出ていない。
「勿論、これから全く成長しないというのであれば問題外です。」
蓮華に対し、恭しく接する思春は先程のフォローを打ち消すかの様な言葉を紡いだ。臣下だからこそ言わなければならないと思ったのかも知れない。
蓮華はこの夜最後の苦笑をしてから、「ありがとう、思春。参考になったわ」と言い、寝所へと戻っていった。