随分、昔の事だ。まだ朽木白哉が少年と呼ばれる時代で、同様に同年代の九花厳も年若かった頃。それは起こった。
当時鬼道衆の一隊員だった花厳が誰よりも慕っていた先代の鬼道長『握菱テッサイ』と十二番隊隊長だった『浦原喜助』、そして『四楓院夜一』。この三人が重罪を犯したとして尸魂界を永久追放されることになったのだ。
それと同じ頃に、懐いていた他の隊長格も一斉に命を落としたとされ花厳の心は砕け散った。それはもう、盛大に。
頼れる者は皆ことごとく花厳の前から姿を消して、大鬼道長と副鬼道長を失った鬼道衆の次に鬼道長として選ばれたのは九花厳。あれよあれよという間にトップに立たされ、最年少鬼道長として舐められたり、いびられたり。だが、その全てを花厳はなんてことの無いようにいつも通り笑って受け流し、ふらふらと生きていた。空っぽで、枯れた花のようで気持ち悪い。上司が追放されたというのに、何故あんなふうに笑っていられるのか。そんなふうに陰口を叩かれることもしばしば。
それでも、花厳は一滴たりとも涙は流さなかった。流すことを彼自身が自分に許さなかった。だから彼は笑う。どうすればいいか分からないから、笑う。悲しいから、笑う。一人だから、独りぼっちだから、寂しいから、笑った。
──それを良しとしなかったのが、当時花厳のたった一人の友人であった、朽木白哉だった。
彼はこの世で一人だけになったような花厳の目が気に入らなくて、笑ってるのに泣いているような笑顔が気に入らなくて。彼の笑顔の裏に隠された涙に気づかない周囲の死神に、何より怒りを覚えた。
白哉は花厳を文字通り殴って叩き直した。青春の1ページと言うにはあまりにも一方的ではあったが。
ボコボコに殴って、それでも怒りもしない、泣きもしない花厳に最後に一発強烈な頭突きをかまして白哉は吠えた。
『私は
『一人になったなんて死んでも思うな』と。
『花厳には私がいる』と。
──だから、そう言ってくれた友人がいるから、あれから百数年たった今でも花厳は独りぼっちなんかじゃない。
■ ■ ■
「・・・古い夢だ」
薬品臭いベッドに横たわった朽木白哉は、ゆっくりと浮上していく意識と共に身体を起こした。渇いた口から零れた呟きはほとんど無意識で、意味はない。ちょっとした確認だ。
「や、おはよう。良く寝れやしたか」
ベッドの隣に置いてある椅子に腰をかけた藍髪の青年は、身じろぎする白哉に気がついてコップに入れた水を差し出した。紛うことなき、九花厳だ。膝に乗せた厚い本をパラパラと捲っている花厳に、白哉は軽く首を回して筋肉をほぐしながら聞いた。
「・・・私はどれくらい寝ていたか」
「二日ってとこでしょうかね。ちなみに今は朝の七時。怪我しても体内時計はキッチリしてるようで」
「・・・
「やーまあ、ずっとてぇ訳じゃねぇですけど」
他の子の治療もありますし、と付け足した彼だが、ややバツが悪そうな顔をしている辺り時間がある時はこの部屋に来ていたのではないか、と勝手に白哉は予想した。もっともそう言ってみたところで花厳ははぐらかすだろうから、白哉もこの話はここまでにする。
「あ、それから君の妹さんも阿散井くんも勿論無事でさぁ。気になるんなら探してきやしょうか」
「いや、いい」
「さいですか。そんじゃぼくはこれで」
白哉は膝の上の本をパタンと閉じて、よっこいせと立ち上がろうとした花厳の手を掴んで止めた。一般的に見れば細身に含まれる白哉よりもほっそりとした白い腕だ。
花厳は突然の白哉の奇行に驚いたように、握られた自分の手に目を落とした。
「何を・・・」
「──私は生きている」
傍から見れば頭上に疑問符を浮かべるようなセリフだが、花厳はそれに目を見張った。それから真っ直ぐ見据えてくる白哉の視線に、諦めたようにふっと柔らかく笑う。
白哉は気づいていた。自分が目覚めた時に、安堵したような、花厳のため息に。彼の目元に出来ていた隈に。今握っている手も触れた瞬間震えていることに気がついた。
花厳は身近な者の死を何よりも恐れる。だから、目覚めると分かっていても白哉のベッドから離れることが出来なかったのだろう。
「
「・・・・・・そう思うんなら、あんまり心配させるようなことしないで貰えませんかね。ぼかぁ、あんたさんの姿見た時寿命が縮むかと思いましたわ」
「深手ではなかった」
「二日も意識失っててよく言いますなぁ」
花厳はいつものようにケタケタ笑うと、今度こそヒラリと手を振って部屋から出ていった。
■ ■ ■
「あっ、花厳さん!朽木隊長どうでしたか?目、覚めてましたか?」
「ああ、ついさっき起きたばっかでさぁ。今日の昼から彼の分も食事お願い出来ますかい」
「了解です!」
大広間に戻ると、パタパタと忙しなくあっちこっちを駆け回っていた少女が声をかけてくる。頷いて返すと、ビシッと、謎の敬礼を決めて食堂へとまた駆けていった。落ち着きがないが、花厳にとっては可愛い部下だ。見ていると何となくほっこりする。
藍染惣右介の反乱から、数週間と少し。
怪我をした隊士の半分程が、この鬼道院で治療を受けていた。ちなみに残りの半分のほとんどが十一番隊の者で、当然のごとく卯の花が仕切る四番隊で世話されている。これは卯の花と花厳が話し合った結果の適材適所というやつだ。十一番隊の者は卯の花に頭が上がらないところがあるから、見下している花厳の元によりは四番隊のほうが素直に治療を受けることだろう。よって花厳が引き受けたのは軽傷の隊士達と、数名の隊長格。そして旅禍達だ。
一番の重傷は白哉だったが、彼も花厳が付きっきりで回道をかけ続けた事により一命を取り留めた。日番谷も傷は深かったのだが、彼に関しては卯の花が運ぶ際に斬魄刀で治療したため大事には至らず、先日自分の隊舎に戻ったばかりだ。旅禍に関しては言わずもがな、黒崎一護などかなり無理をしたようだったが、あっという間に回復してピンピンしている。明日には現世に帰るらしい。
尸魂界に日常が戻ろうとしていた。
「うんうん。平和が一番ですなぁ」
「──同感じゃが、すぐにそうも言ってられなくなると思うぞ」
頭の後ろに手を回して、天気も良いし外にでも出るかと花厳が歩き出した時に声はかけられた。今時珍しい古風で特徴的な話し方だ。話し方に関しては花厳も人のことを言えないが。・・・兎も角、聞き覚えのある声だった。懐かしいようなその声に振り返ってみたものの、後ろにいたのは明るいオレンジ色の髪をした少年と、小柄な黒髪の少女。黒崎一護と朽木ルキアだったが、どちらも声の主とは違う。視線を下に向けると花厳の足元に、やたら偉そうに佇む黒猫がいた。
「久しいな、花厳。随分立派になりおって」
「・・・はぁぁー。お久しぶりで、夜一さん」
花厳は脱力したように、肩を落としてため息をついた。数百年と行方を眩ませていて生きてるかどうかも分からなかったというのに、いきなり現れて当たり前のように声をかけられたのだ。驚きやら安心やらが一周まわって呆れになる。
半眼でため息をつく花厳の羽織を前足でちょいちょいと引っ掻くと、夜一は言った。
「こやつらがお主に礼を言いたいと言っていてな。入りづらそうにしていたから儂が連れてきてやったのじゃ」
こやつら、というのは一護とルキアの事でいいのだろうか。確認するように二人を見ると、ルキアが頭を下げた。
「─助けて頂いて本当にありがとうございました、大鬼道長殿。このご恩はいつか・・・」
「硬い硬い。『大鬼道長殿』なんて呼ばんでくださいや、堅苦しい。ぼくの名前は九花厳。大鬼道長が名前じゃないんで。気軽に花厳って呼んでくださいや」
「・・・でっ、では花厳殿と。お礼に来るのが遅れて、すみませんでした。その、もっと早く挨拶に来たかったのですが・・・鬼道衆の者が『花厳さんは忙しい』の一点張りで・・・」
「あー・・・、それは申し訳ない。最近バタバタしてて、あんまり構えてられなかったからですかね・・・。困ったもんでさぁ」
治療に忙しかったのは事実だが、少し顔を合わせるくらいの時間も無かったかと言われればそれは違う。要するに忙しくなった花厳と鬼道員が接する時間が減ったことで、不貞腐れた彼らが花厳を独占しようとした結果である。おおらかな花厳は、可愛らしいなぁで済む話だが、それで迷惑をかけられた者がいるならば良い事ではない。花厳は後で厳しく言っておこうと心に決めた。
・・・ちなみに彼にとっての『厳しい』は全く厳しくないことで有名である。
「で、えーと黒崎くんでしたっけ。元気になったみたいで何よりでさ。・・・あれだけの傷でもう動けるようになってるのが、甚だ不思議でしかないんですが・・・」
「おう。アンタが治してくれたんだろ?サンキューな」
一護はルキアとは違って砕けた態度で接する。死神という枠に囚われていないからだろうが、何にせよ花厳としては彼のような態度のほうが好感が持てた。
「白哉くんのお見舞い、して行きますかい。ちょうどさっき起きましたんで」
「兄様は・・・嫌がらないでしょうか・・・っぶべ!?」
俯いてもごもごし始めたルキアの頭部を、花厳のチョップが炸裂する。頭を押さえて涙目で花厳を見上げるルキアに呆れた口調で花厳は言った。
「君たち兄妹は色々勘違いが多すぎでしょうや・・・。白哉くんは人より少し愛情の形が分かりにくくて面倒臭いだけで、君のことを大事に思ってまさ。絶対にね」
情けない顔をするルキアの背中を押して、部屋の場所を教える。後は兄妹で勝手に解決するだろう。部外者が立ち入るのは野暮というものだ。何度か振り向いていたものの病室に向かったルキアを三人で見守ってから夜一は口を開いた。
「ふむ・・・。まあ、積もる話もあるじゃろ。ほら早う茶を出せ。儂等は客じゃ」
「はいはい。つうか、その身体で飲めるんですかね」
「馬鹿を言え。人の身体に戻るに決まっておるじゃろう」
夜一は器用に猫の身体で鼻をひくつかせて笑うと、どろんと人型に戻る。煙が消えて出てきたのは、先程までの黒猫ではなく褐色肌の若い女だ。これが夜一の本当の姿。勿論猫が本体ではない。
ただ一つ問題があるとすれば──、
「服着ろよ!?」
「む、持っているように見えるか?」
裸だった。引き締まった身体は、しかし出るところは出ていて、瑞々しい色気に満ちている。胸から腰にかけて緩やかな曲線美は、思春期の一護の顔を真っ赤にさせるくらいには威力があった。耳までしっかり赤くする一護を見て夜一は満足そうに笑う。しかし服を持っていないのは本当だ。
「夜一さん、黒崎くん。焙じ茶と緑茶どっちが・・・」
「アンタは何平然と茶ぁ入れようとしてんだ!?」
「え?・・・いや、夜一さんが服着てる時のほうが珍しいんじゃねぇですかね」
「どういう認識だよッ!」
茶葉を持ってひょっこりと顔を出した花厳は、鼻血を出して赤面する一護と愉快そうに笑う夜一を見比べて首を傾げた。実際、花厳は女の裸を見て興奮する程若くもないし、その上相手が幼少期に世話をしてもらった姉のような存在となれば、花厳でなくとも欲情はしないだろう。まあ彼自身が元からマイペースということも関係している。
とりあえず一護にはティッシュを渡して、夜一には花厳の着ていた羽織を渡す。このままだと一護が出血多量で倒れそうだ。そう思って気遣いで夜一に羽織を着せたのだが、裸に着物だけというのも一護的にはアウトだったらしく、そのまま逃げるようにして鬼道院から出ていってしまった。律儀に「井上達を探してくる」と行先を伝えて。
「・・・若いですなぁ」
「・・・お主はなんだ、こう・・・老けたな。いや見た目の話ではなく」
「そりゃあ、あれから百年ちょっとたちますし。・・・・・・夜一さんたちが何も言わずにぼくを置いてって、音沙汰がなくなってから随分たちますし。見た目は変わらなくても中身は老けますわ。いや、別に、全然、全く、連絡が無かったことを怒ってるとか、そんなんじゃあねぇですけど。ぼかぁ、物分りがいい手のかからないガキなんで、怒ったりしないですけど」
「おおう・・・ナチュラルに不機嫌になるのは相変わらずじゃの・・・」
夜一にとっては耳の痛い話である。つい先日砕蜂ともその事で一悶着あったばかりだ。夜一も花厳や砕蜂のような妹分弟分を事情も告げずに置いていったことに関しては、後悔している。だが、真実を話せば二人は十中八九着いて来ただろうから、言えなかったのだ。
「まあ、置いていったことは悪かった。何も教えてやれなかったのもな。だから儂等がいなかった時のことも教えてくれ。時間はある、沢山話そう」
ふん、と鼻を鳴らして珍しく不機嫌をありありと顔に貼り付けた花厳の髪をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でて、夜一は豪快に笑った。
白哉さんと花厳は健全な仲のいいお友達同士ですので、決してBでLな展開にはなりません。ご安心を。