「こりゃあ、本格的に嫌な感じがしてきましたなぁ」
薬品臭いベットに横たわった赤髪の青年──阿散井恋次の包帯を手慣れた様子で替えつつ、花厳は眉をひそめた。
一応まだ包帯をつけているがそれは保険のようなもので、その下の恋次の身体は、何事も無かったように綺麗になっている。中々に深かった傷だったが、鬼道長の彼にかかればこんなものだ。
現在、四番隊隊舎で怪我人の手当てを手伝っている彼だが、運ばれて来る者は増える一方に思える。
何より、副隊長の中でも実力者と言える恋次の負傷は、にわかには信じ難い話だった。実際、こうして対面してしまえば、信じる他ないのだが。
何はともあれ、一応気合いを入れて持ってきた鬼道長の証である杖は、どうやら使われることはなさそうだ。四番隊隊士に比べて怪我人が圧倒的に多いため、花厳はここを離れられそうにない。
四番隊隊長の卯ノ花烈程ではないが、鬼道長である以上『破道』『縛道』は勿論のこと『回道』も極めている。
よって、急遽助っ人として駆けつけた花厳と卯ノ花の二人で重傷の者を治療し、残りの一般隊士で軽傷の者を治す形となった。
卯ノ花の方はもう片付いただろうか、そんなふうに考えている時、パタンとゆっくり扉が開いた。卯ノ花烈だ。
ここに来たということは、彼女の仕事はもう終わったのだろう。
「──阿散井副隊長の様子はどうでしょう、花厳さん」
子守り唄のような、おっとりした声が聞こえ、忙しなく手を動かしながら花厳は声だけで答えた。
「完全回復、とは言えませんわ。傷は治しやしたけど、どうにも出血が多くて」
今も恋次の腹部に手をかざして治癒しているが、回道でも外部から癒せる場所は限られている。失った血液は花厳でもどうしようもない。「そうですか」とこぼした彼女に、今度は花厳が質問を投げかける。
「そんで、白哉くんはなんて?」
「牢に入れておけ、と」
「・・・そら手厳しい」
たはは、と相変わらずな友人に力なく笑った。この容態の者を治療もせず牢に放り込んでおくなんて、殺すも同然だ。自分隊の副隊長にそれはあんまりではないか。
まさかとは思うが、このままだと治療した花厳も怒られるのではなかろうか。彼は自分にも他人にも、勿論花厳にも容赦がないのだ。
「・・・それにしても、一体何が起こってんでしょうや。阿散井くんがやられるなんて」
「それだけ旅禍も本気ということでしょう。・・・幸い死人は出ていませんが、それもいつまで続くか」
「うひゃー、おっかない」
憂いをおびた顔をする卯ノ花に、花厳は敢えておどけたように、ケタケタ笑った。
出来ることなら、即刻隊長たちに捕獲してほしいものだが──、
「──そうなると朽木ちゃんを助ける奴がいなくなる、と。ままならないもんでさ」
そう、花厳は卯ノ花に聞こえない程度の大きさで小さく呟いた。
旅禍が捕獲されれば、ルキアを助けるのは花厳がやるしかなくなる。花厳自身は朽木ルキアと関わりはないので、彼女が処刑されることに関しては可哀想だなぁ、と思うぐらいなのだが、鬼道衆がルキアの処刑を嫌がるのなら話は別だ。
自分の手の中にあるものは、たとえ命が尽きようと守りきる、これは随分前に花厳が花厳自身に誓った約束である。それが彼と何の関係もない少女であろうと、少なくとも鬼道衆の連中が少女のことを良く思っているのなら、その少女も花厳の保護対象だ。
心の中で腕を組み足を組み、考えるポーズをしていた彼の思考を掻き消すように、突如大きな音が響き、一人の死神が転がり込んできた。花厳と卯ノ花は顔を見合わせてから、揃って目を丸くした。
入口付近にはぜぇぜぇ、と肩を揺らして息をする裏廷隊の男がいる。
「う、卯ノ花隊長、伝令が・・・!・・・・・・ああ、良かった、鬼道長殿もいらっしゃる!」
「・・・良い知らせでは、ないようですね」
荒い息で途切れ途切れ言葉を紡ぐ男に、花厳は出来れば聞きたくないなぁ、思った。しかし、どうやら彼は花厳のことも探していたようで、このままフェードアウトするわけにもいかないのだ。
裏廷隊にちょっとやそっと走っただけで息をきらすような者はいない。ならばその伝令とやらは、その彼を驚きで平静を失わせる程のものなのだろう。
男は律儀に二人の前で膝をつき、顔を青くして、
「──五番隊隊長、藍染惣右介隊長が何者かに殺害されました!」
■ ■ ■
二番隊隊長、砕蜂は辺りを見回して怪訝な顔をした。彼女の横には副隊長の大前田希千代が相も変わらず間抜けな面で突っ立っており、キョロキョロと周囲に目を向ける砕蜂に頭に疑問符を浮かべる。
「・・・随分と集まりが悪いな」
呟いた砕蜂の声が聞こえたようで、大前田が横で「ええっ?」と聞き返し、真似るように辺りを見回した。
言われてみると、確かに人数が少ない。これから朽木ルキアの処刑を行うというのに、隊長、副隊長が揃っているのは総隊長が率いる一番隊と砕蜂たち二番隊、京楽の八番隊。四番隊副隊長の虎徹勇音の姿は見えるが、隊長の卯ノ花はいない。
隊長が殺害された五番隊と、同じく隊長が負傷した十一番隊と十二番隊は分かるが、残りは何処で何をしているのか。
それに、
「あの、だらけモヤシは何処で油を売っているのだ・・・!」
どこかの鬼道長の顔を思い浮かべて、砕蜂は歯軋りをした。無駄にお人好しな彼のことだから、また誰かの世話でも焼いているのだろう。それで本人が遅れてどうする。チッ、と砕蜂は淑女らしからぬ舌打ちをした。
仲が悪い訳ではない──と、花厳は思っている──二人だが、根本的に性格が真逆なのだ。
隊長としての使命と矜持を何よりも優先する、真面目の塊のような砕蜂。へらへらと薄っぺらい笑みを浮かべ、常にだらけきった花厳。昔から、よくぶつかり合う事があった。・・・もっとも、キレた砕蜂が花厳を怒鳴りつけ、花厳が愉快そうに笑いながら受け流すだけだが。
鬼道という部門においては、隊長の自分すら足元にも及ばないということが余計に悔しく感じ、次に会ったらあのペラペラした身体に拳をめり込ませてやろう、と密かに心で決意した。
「それにしても、卯ノ花や朽木まで来ていないとはどういうことだ・・・?」
某モヤシのような、待ち合わせの五分後に着くことをモットーにしているようなダメ死神ならまだしも、卯ノ花烈や、朽木白哉のようにまともな者が時間に遅れるとは考えずらかった。
何かあったのか、と考えている時に視界の端に長い黒髪の男が映る。隊長羽織を翻して悠然と歩を進めてきたのは、朽木白哉だ。
彼は義理とはいえ妹の朽木ルキアが磔にされていることには目もくれず、京楽の隣に並び立った。
「──朽木ルキア。何か、言い残しておくことはあるかの」
杖に両手を乗せて目を細める元柳斎の、蓄えた髭がゆらゆらと揺れる。
ルキアは一度瞑目してから、ゆっくりと瞼を持ち上げて掠れた声で答えた。
「はい。・・・一つだけ」
──せめて、あの愚かで馬鹿らしいほど、何処までも真っ直ぐなあの少年だけは、生きて現実へ帰れるように。
■ ■ ■
不思議と、『怖い』という感情は無かった。
もう、あと数分とかからずに命を失うというのに、ルキアの心は極めて穏やかだった。
全てを諦めたような自暴自棄ではないと思う。
寧ろ逆だ。全てを信じているから、こうして安らかに死ねるのだ。
思い残したことも、やり残したことも。ましてや後悔したことなど一度たりともない。
──私は、良く生かされた。恋次たちと出会い。兄様に拾われ。海燕殿に導かれ。・・・そして、
一護に、救われた。
たった数十年。死神にしては短すぎるその生に、しかしルキアは心の底から満足していた。
燃え盛る炎──双極の力を前にして、彼女の脳裏に様々な記憶が蘇った。
「・・・ありがとう」
迫り来る双極の真の姿『燬鷇王』は、炎の鳥のよう。彼を前にして、ルキアは静かに瞳を閉じた。最後に一言、感謝を伝えて。
さようなら、と口の中だけで呟いた。
「──若い子が、そう簡単に諦めるもんじゃあないでしょうや」
──刹那。轟音が聞こえて、彼女に訪れるはずの痛みはやって来ず、閉じた瞳を再度パチリと開けた。チリチリと肌を焼くような、微かな炎の塵こそあるものの、死からは程遠い。
「え・・・?」
眼前には、風に煽られて大きく泳ぐ藍染の着物に、ルキアと同様の死覇装姿の男。細い背中は女のようで、杖を握る手も男とは思えないような白さだ。
吹けば飛ぶように貧弱で頼りない、儚げな彼をルキアは知っていた。
「き、鬼道長、殿」
「おや、ぼくのことをご存知で?」
目を細めて、猫のような笑みを浮かべる彼の名は九 花厳。鬼道衆に入った、ルキアの同期が敬愛している上司だ。そんな彼が、何故自分を助けに来たのか。
「だっ、ダメです!鬼道長殿、危険です、燬鷇王が!!」
「まあ、落ち着きなされや。そんなに気張ってちゃあ、疲れちまいまさぁ。何事も、のんびりゆったりが一番。こりゃあぼくの持論なんですが」
あっはっは、と軽く笑い飛ばす花厳だが、その間にも燬鷇王は彼に接近している。このままではルキア諸共お陀仏だ。まさかこいつ、ルキアの事を助けるつもりですらないのか。ただ単に自分も死にたいだけなのか。
そう疑ってしまうほど、今の彼はふわふわとしてやる気を感じられず、強さの欠片も感じなかった。ちなみにルキアが知らないだけで、花厳にとってはこの状態がデフォルトである。
燬鷇王はもう、すぐそこなのに彼には焦りが一切感じられない。
「鬼道長殿っ!!」
「はいはい、聞こえてまさぁ」
悲痛なルキアの叫びで、漸く花厳はのろのろと動き出す。
彼は軽く杖を振るって、燬鷇王を閉じ込める結界を一つ、その上から更に結界を張り、二重に覆った。半透明の薄青の結界は見た目に反して頑丈で、僅かにヒビが入ったものの、しっかりと双極の力を制御している。
歴代最強とまで言われる鬼道長が張った結界なのだから、当たり前といえば当たり前だが。
「長くは持ちやせんが・・・。ま、時間が稼げりゃあ充分でしょうや。そんじゃ、あと頼んます。──浮竹さん」
彼はそれだけ言うと、処刑台を鬼道で軽々と破壊してルキアを肩に担ぎ、地面へ一直線に飛び降りる。
え、とルキアが口に出す間もなく、花厳の張った結界ごと赤い縄が双極を縛り上げた。下を見ると、いつの間にか現れた白髪の優男、十三番隊隊長『浮竹十四郎』が安堵したようにルキアを見て薄く微笑んでいる。
「っ、まさか双極を破壊する気か・・・!」
いち早く事態に気がついた砕蜂が、それを止めようと走るが、間に合わない。
地面に打ち込んだ杭を浮竹が押し込むと同時に、縄に炎が走り、双極が花火のように弾けて塵となった。
「おお。これはまた派手というか、なんというか」
「・・・遂に、気でも狂ったか。花厳」
手で作った庇を額に当てて、感嘆の声を上げる花厳の首元に刀が押し当てられた。決して速くはないスピードだったが、彼は避けようともせずに、へにゃりと笑う。
「旅禍の肩を持つというのなら、私が貴様を斬る」
「ほぉ、そりゃあ面白い。白哉くんと戦うなんて何百年ぶりでしょうや」
相変わらず、飄々として掴みどころのない花厳に、白哉は眉間の皺を濃くして刀に力を込めた。花厳の白い首に刀がくい込み、ポタポタと血が零れるが、それでも彼は笑っている。
「でも」、と花厳は白哉の斬魄刀を手でなぞり、白哉の背後に目を向けた。
「きみの相手は、ぼくじゃあなくて、そちらさんみたいですわ」
バッ、と気配に気づいた白哉が振り向きざまに斬魄刀を振るう。しかし、受け止めた感触は肉を斬るそれではなく、無骨な大剣だった。鉄同士がぶつかり合い、甲高い音が鳴った。
「よお、白哉」
「・・・黒崎、一護」
明るいオレンジ色の髪をした少年が、白哉の斬魄刀を受け止めて不敵に笑った。花厳の肩の上にいるルキアがそれを見て息を飲む。
馬鹿者、と怒鳴りつけようとする彼女を、その前に花厳は遠くから駆けてきた赤髪の青年に投げ渡した。
「うおおわ!?」
「恋次!生きておったのだな!!」
「阿散井くんー、傷は塞がってても病み上がりなんで、調子に乗らないように。出来るだけ早く、遠くに逃げてくださいや」
「・・・無茶言ってくれるぜ・・・」
四番隊から花厳と共にここまで来た恋次は、ルキアを胸に抱いて駆け出した。刀を抜いて、それを片手で操りながら邪魔な死神を倒していく。
「う、嘘だろ・・・阿散井」
「何を惚けているのだ、うつけども!追えッ!副隊長全員でだ!」
味方のはずの恋次や花厳が、旅禍に手を貸していることに、思わず動きが止まり、砕蜂に怒鳴られた。砕蜂の剣幕にハッとして慌てて斬魄刀を解放し、副隊長三人で阿散井を追いかける。
「──縛道の九、
しかし、三歩ほど足を進めたところで身体を赤い光が縛り、身動きがとれなくなる。結界、頭からすっ転んだ無様な三人を、元凶である花厳は屈託なく笑って言った。
「ちょぉ、大人しくしてて下さいや」
詠唱破棄、そして三つ同時に発動しているというのに副隊長クラスでも解けない威力。その上、使用しているのは縛道の九とかなり初級のものだ。本来なら、これほどの威力が出るものではないし、副隊長の彼らが脱出するなんて訳無いはずなのに。
「くそっ、なんで解けねぇんだよ・・・!」
「やー。実は、ぼかぁ、破道よりも縛道の方が得意でして」
苛立った大前田の声に返ってきたのは、答えになっているようでなっていないものだった。動けない三人を放置し、花厳は一つ深呼吸してから、目を伏せる。ここからが、彼の正念場。
「さて、と」
シャラン、杖の飾り輪を揺らして振り返った。
身体中から闘気を滲ませて、花厳を睨みつける元柳斎に向かい合った。
「──これは一体どういうつもりじゃ、花厳よ」
「さあ?どういうつもりに見えますかい」
死神最強の護廷十三隊総隊長、山本元柳斎重國。
歴代鬼道長最強、当代鬼道衆大鬼道長、九 花厳。
──