息が上がる前に、目的の場所へと到着した。
学校を出てすぐに電話をかけ、葵にその場に留まるよう釘を刺しておいた。
案の定スーパーで買い物していたようだ。
きっと葵のことだ、暇な自分が買い物をして俺の負担を減らそうと立ち回ってくれていたのだろう。
その行動自体は大変ありがたいもので、葵を叱責するつもりなど最初からない。
「……見つけた」
「ごめんなさい」
「別に謝らんでも」
迎えにきた俺に対して、葵の第一声は謝罪表明だった。
ともあれ、こうして飛んできたのは言ってしまえば俺の過保護だ。
お節介。ありがた迷惑。世話焼き。俺が好きでやっていることなので、葵に謝る義務は当然ない。
「でも、学校が……」
「もう放課後だったからいいんだ」
「そうなの?」
「ああ」
「じゃあなんで学校から来たの?」
「図書委員の仕事。って言っても、本当は活動内容外だし必要ないらしいからな」
「それ、本当に大丈夫?」
たまたま今日綾瀬から聞いたことなので間違いない。
笑いかけながら頷いた後、買い物に付き添った。
会計が終わった後、荷物も極力俺が持つ。
なぜここまで過干渉なのか。
それは葵の持病に理由がある。
ちょうど二年前、最初の転機は彼女が中学一年の春のときのことだった。
陸上部に入部を検討していた葵が、体験入部で記録測定を行ったらしい。
短距離、長距離の順に計測し、二つの測定が終わった後。
葵は脈に違和感を持っていたらしい。
彼女は短距離では頭一つ抜けた速さで走れたものの、持久力に難があり長距離はからっきしだった。
それは当時から既にわかっていたことで、いつものことだ、苦手な長距離を走った反動だろう、と本人はあまり気に留めなかったらしい。
俺もそれは理解していたため、葵からその話をされたときは無理しないよう軽く警告するまでに留まった。
大きく問題となったのは、そう時間が経たないうち。まだ体験入部期間中のときだ。
日を重ねて運動を長く続けた結果、葵は倒れた。
意識は朦朧とし、動悸が乱れ、最終的に意識は完全になくなって走っている途中で倒れたのだ。
すぐに救急車で病院へ搬送された。車内では心臓が数秒止まったときさえあったとのこと。
その日の内に三学年のもとまで話は広がり、心配で気が気じゃなかったことを二年経った今でも鮮明に覚えている。
病院のベッドに座る葵の顔もよく覚えている。
あれほど悲痛を示した葵の表情を見たことがなかった。
原因は持病──先天性の不静脈。過去彼女が感じた長距離への苦手意識の理由がわかった瞬間でもあった。
医師からは今後一切の激しい運動を禁じられた。
もちろん陸上部に入部することは断念。そのまま彼女が他の部に所属することもなかった。
葵の失意の表情を思い出すと、文芸部への入部を勧める気すら起きなかった。
葵は当初サッカー部への入部を第一希望としていたが、女子はフットボール部しかなかったため次候補の陸上部への入部を検討していた。
たとえ彼女がサッカー部の体験入部をしていたとしても、恐らく倒れる場所がサッカーコート上かレーン上かの違いだったのだろう。
どちらに転んでも避けられない運命だった。そう片付けるには彼女にとって想像以上に重い現実だった。
追い打ちをかけるかのように、軽い運動でも脈拍の乱れや
体育の授業も全て見学となった。
運動の負荷の度合いという話ではなくなったのが同年冬の終わりのこと。
中二に進級してから、葵が自らの意思で生徒会に入りたいと相談された。
まだ精神が不安定にもかかわらず、彼女が進んで取り組むと言い出したことだ。兄として背中を押した。
我が妹ながら、葵の演説は生徒会に入会することを皆に確信させるような出来だった。
そのまま予定調和の流れで生徒会の一人として名を連ね、副会長の椅子についた。
自身の境遇を恨むこともせず、真っ直ぐ道を進むことができている。
兄ですら引け目を感じてしまいそうな程、彼女は影で戦い続けているのだ。
だからこそ、俺は過保護にならざるを得ない。
もし再び葵が倒れたら、恐らく立ち直るのは困難を極めるだろう。
思い詰め、思い詰めても決して変わることのない現実。誰かが助けてくれたり、どうにかしてくれる問題でもない。
歯痒い気持ちでいっぱいだが、俺にできることはこうして妹を目の届く範囲に入るよう自分が動くことだけだ。
だからスーパーでもランジェリーショップでも、どこにでも妹の代わりに行けるのなら俺が行く。
葵の負担を少しでも軽くするために、後ろ盾という役割を担う必要があり、自分でもその席を希望している。
家族の誰にも言っていない、俺の中だけに秘めた小さな決意だった。
「ねえ」
「どうした」
「高校の文化祭っていつなの?」
「夏休み明けてちょっとしてからだから……九月くらいか?」
転入してこの学校の行事予定は頭に入れていないし、詳しい日付は文化祭実行委員の会議が始まってから伝えられるだろう。
夏休み中に準備期間を設けるようなので、九月辺りだと推測した。
「私、遊びに行ってもいいかな?」
「ああもちろん。来たら教えてくれよ」
「大丈夫だよ。歩くくらいなら何も問題ないから。それに、せっかくできた友達との時間を邪魔するわけにもいかないからね」
……考えた。
妹は生徒会に入り、自分なりに環境を変えている。
それも単に楽な道へと逃げているわけではない。
だが、対する俺はどうだろうか。
転入したとはいえ、俺は環境に
こなせる図書委員の仕事は小さなことばかりで、正直に言ってしまえば誰にだって簡単にできるものだ。
誰しもに立派に映る妹を見ていると、兄としてどうなのだろうかと疑問を抱いてしまう。
対抗心の芽生えというわけではないが、自覚した途端に自分が情けなく思えてきた。
何か自分からできることはないかと思案してすぐ、まさにうってつけの空席があることを思い出した。
葵に見送られ、今週最後の登校。
人間の感覚とは不思議なもので、相対性理論よろしく、金曜の学校はなかなかどうして時の進みが速く感じる。
この日が加速してしまう前に、学校に着いてすぐに職員室を訪れた。
里美先生に用がある旨を申し出てまもなく、担任が呼び出しに応えてくれた。
「朝からどうした、珍しい」
「すみません。急ぎたかったもので。文化祭実行委員のくじ引きは終わりましたか?」
「……ほう、希望かい?」
「ええ」
心境の変化というほど大それた風には言えない。
俺は、東雲 蒼夜は東雲 葵の兄でありたいという言ってしまえば単なるエゴだ。
俺が葵に胸を張って見せられる姿として、文化祭実行委員の席は少しばかり魅力的なものに見えた。
「まあ、結局男子の立候補者は出なかったし、まだくじは引いていないが」
「僕が立候補したいです。まだ間に合いますかね?」
「もちろんとも。とはいえ、今日の朝礼で立候補者が誰になるかの書類を提出する予定だったから、寸前といったところだけども」
もう少し遅れていたら立候補できなかったらしく、ほっと息を吐いてすぐ。
「ああ、そうだ。実行委員は夏休みも学校に来てもらう日があるが、それでも大丈夫かね? 引き下がるなら今のうちだが」
「問題ありません。お願いします」
もとより暇だ。少し面倒だが、学校に出ること自体に問題はない。
先生の確認に是の答えを返して、職員室を出た。
―*―*―*―*―*―*―
「遠山先生、昨日で立候補者は決まったのではなかったですか?」
「ええ。最後まで立候補者は現れず、やむを得ずくじを引く羽目にはなりましたが」
彼が職員室を出てすぐ、他の先生に話しかけられた。
申し訳ないが、早くこの書類を提出してしまわなければならない。
朝礼が終わった後は、すぐに授業へ向かう必要がある。
「これで私も、気兼ねなくこれが出せるというわけです」
「書き換えなくてよいのですか?」
「ええ。全くの偶然ですがね」
くじで引いた名前は、東雲 蒼夜。
結果を見たときに転入生の彼には荷が重いかと危惧していたが、どうやら杞憂だったようだ。
彼にとっても、くじ引きの結果をただ伝えるより、立候補を受け付けた方が燃料になるだろう。
とはいえ、これは運命の
確かに確率はゼロではないし、昨日の私の演説が生徒の心を揺らすほど見事なものだったというわけでもなかった。
まだ彼という生徒をよく理解しきれていない節もあるが、一般生徒という評価から少しばかり改める必要があるかもしれない。
図書委員としての仕事もこなせて、友人関係も良好、積極性あり。
なんにせよ、彼の生徒像が見えてきたことを嬉しく思うとしようか。
なぜ早めに上げたのかというと、きりが良かったからですね。
次からは文化祭イベント編に入りつつ、水着とか考えてます。
水着を体育授業でもってこようと画策したものの、あまり自由度少なそうだったのでレジャー施設系にしようかと思ってます。
文化祭編に入ったら新章に入る予定なので、恐らくこれが2章ラストの話です。
ありがとうございました。