『立花さん家の事情』
国連への移籍手続きも一段落した、二課改め『S.O.N.G.』本部。
一角にある応接室は、重苦しい空気に支配されていた。
その原因である響は、鈍く息を吐き出す。
「――――これが、今までのこと。話せる限りの、本当にあったことだよ」
懺悔するように、告発するように告げるのは。
向かいに座った、自分の両親。
彼らはずっと驚愕に目を見開きっぱなしで、眼球が乾きやしないかと見当違いな心配をしてしまう。
「・・・・勘当したってもいい。軽蔑されても、唾を吐かれてもしょうがない」
胸中に渦巻いている感情を、大方予想できた響は。
その背中を押すように続ける。
「それだけのことをやった自覚はあるし、もう覚悟も決めている・・・・だから・・・・」
それっきり、黙りこくってしまった。
俯いて黙する様は、まるで判決を待つ罪人のようで。
目の当たりにした立花夫妻は、困惑で互いを見やる。
無理も無い。
語られた内容も、娘が背負った傷も想像以上で。
何を言えばいいのか、安易に慰めを伝えていいのか。
大の大人ながら、判断に困ったからだ。
だが、意外にも沈黙は長く続かなかった。
「――――響」
やや躊躇いながら口を開いたのは、父の洸。
「まずは、何だ・・・・生きていてくれて、よかった」
どこかバツの悪そうに頭をかきながら、しかしはっきりと言い切る。
「今まで、教えてくれたこと以上の辛いことだってあったと思うし、きっと、今語れなかったような悪いこともやったんだと思う・・・・俺には、想像することしかできないけれど・・・・だけど」
たどたどしくも、自分の考えを述べていた洸。
やがて意を決したように、顔を跳ね上げる。
「だけど、何もかもダメってわけでもないはずだろ。まだやり直せるはずだろ」
思ったよりも強い眼差し。
「前に会えたとき、お前は仲間たちと一緒に救助活動していたよな?そうやって、お前が繋いできた命だってあるはずだ」
ここで洸は、一旦首を横に振る。
言い方に自分でも納得行かなかったらしい。
「ああ、いや・・・・これは、違うな」
実際に口に出して、少し考え込んで。
「絶対に、ある」
そして次には、言い切る表現を使った。
否定されるとばかり思っていた響は、驚いたように目を見開く。
徐に立ち上がり、響の傍らに寄る洸。
膝の上で握り締められた手を、そっと触れてやる。
「昔から、お前はどこか優しすぎるって言うか、人の為に動くことがあったからなぁ」
痛みを癒すように、怯えを宥めるように。
丁寧に包んで、笑いかけた。
「命を奪った手も、この前の事件で差し出した手も。誰かの為に握り締めたんだって、俺は信じているよ」
少し遅れて、母も一緒になって手を取ってくれる。
夫の言葉に何度も頷きながら、どこか泣きそうな、優しい眼差しを送ってくれた。
「――――」
久方ぶりに感じる、両親の温もり。
観念したように俯いた響は、少しの間沈黙を保って、
「・・・・・ごめん」
家族を嫌ったわけではない。
帰れるのなら、帰りたい。
だが、未だ激しく渦巻く罪の意識に打ち勝つには、あと一歩足りなくて。
『帰っておいで』と笑いかけてくれる両親への様々な思いを、一言に託して零した。
「――――いいんだよ」
僅かながら、残念そうに肩を落とす洸。
しかし、悲観しているわけではなさそうだった。
「帰りたいと思ったら、いつでも戻ってくるといい。みんなで待っているから、いつまでも、いつまでも、待っているから」
「焦らなくていいのよ、怖がらなくてもいいの。あなたは娘なんだから、帰ってきちゃダメなんて、バカなことないんだからね」
娘がこれ以上傷つかないように、自責に押しつぶされないように。
優しく、優しく、頭を撫でる。
母にいたっては、思いっきり抱きしめてくれた。
・・・・語られた話の意味が、分からないはずないのに。
咎人と成り果てた娘へ、『帰っておいで』を躊躇いなく伝えられる。
少し心配になるくらい、だけど溢れんばかりの温もりと思いやりに満ちた。
本当に、優しい人達。
「・・・・・・ありがとう」
在り方が普通ではないことを、未だ他人のような感覚が抜け切っていないことを自覚している響が。
心から、この人達が両親でよかったと思える。
そんな二人だった。
胸が、痛む。
罪悪感と、喜びと、寂しさで。
塞がったばかりの古傷が、じくりと疼いた。
『立花さん家の事情・アナザー』
響が両親と再会する数日前。
立花夫妻は、弦十郎に呼び出されていた。
邸宅の一角で、響の足跡を聞かされた二人は。
その過酷さにうろたえていた。
「・・・・後日、響くんが話すときは、これ以上の内容を告げることでしょう」
自虐と、自責と、自嘲を。
煮詰めて、煮詰めて、煮詰めたような、自らへのみ向けた呪いを。
恐れと諦めを以って、両親にさらけ出すことだろうと。
弦十郎は重々しく話した。
沈黙が始まる。
空気が重みを持つ。
静寂に支配されかけた中、とつとつ語り出したのは。
「・・・・あの子は、昔から優しい子でした」
立花夫人だった。
「面倒見がよくて、人助けをよくして・・・・誰かのことを、人一倍考えられる子だったんです」
夫の案じる視線を受けながら、言葉をぽろぽろ零していく。
「本当に、誰かを思いやれる子だった、から・・・・」
言葉と一緒に、涙も落ちて行く。
「だから、あの日、逃げたんだと思います・・・・逃がしてしまったんだと思います・・・・!」
家族を守るために、虐げられる『原因』から引き離すために。
あの日の少女は、背を向けて走り去っていった。
この世で一番安全であろう場所から、飛び出すことを選択してしまった。
守るべき我が子を、誰よりも傷つきやすいあの子を。
親として、守ることが出来なかった。
夫人の胸中にも、洸の胸中にも、その罪悪感は渦巻いていることだろう。
こうして弦十郎と向き合っている、今でも。
「風鳴さん」
目元を拭いながら顔を上げる夫人。
声をかけられた弦十郎は、おのずと姿勢を正す。
「二年前のことも含め、さわりだけでも教えてくださって、きちんと誠意を示してくださって、大変ありがとうございます」
夫人はまず頭を下げて、礼を述べた。
「確かに、原因の一旦は皆様にもあるようです・・・・けれども」
腫れた目元をもう一度拭って、言葉は続く。
「夫や、その知人達に、聞きました。災害現場で、あの子が救助をしていたときの話を」
傷ついてもなお、過酷な経験をしてもなお。
手を差し出す
「あの子が出会ったのが、貴方達で、よかったと思います」
世の厳しさを思い知ってもなお、響が響のままでいられる。
共に寄り添い、心を支えてくれた。
頼っていいと示してくれた、頼もしい大人達。
「あの子が逃げた先に、貴方達がいて・・・・本当に、よかった・・・・!」
確かに、娘や自分達が追い込まれる原因を作った人々だ。
しかしそれ以上に、取りこぼしてしまったものを、もう取り戻せないと思ったものを。
拾い上げて、引き合わせてくれた。
そのことへの感謝が、圧倒的に大きかったのだ。
「・・・・響は、俺達が思っている以上にしっかりしていて。だから多分、これからも皆さんといることを選ぶと思います、なので・・・・」
「ええ、元よりそのつもりです。大人として、上司として、俺も含めた職員一同、響君達に寄り添う所存です」
弦十郎が、力強く宣言すれば。
立花夫妻は、眩しいものを見るような表情で笑った。