「――――響ちゃん」
ある日のこと。
いつもより早めに帰ってこれた響を待っていたのは、忘れもしない女性だった。
「・・・・おば、さん」
未来の母親は、懐かしそうな、それでいてどこか泣き出しそうな顔で頷いた。
ひとまず立たせたままというわけにも行かず、部屋に招き入れる。
テーブルにつかせ、茶を出したまではいいものの。
いざ対面すると、何を話せばいいか分からなくなってしまった。
「・・・・未来は?」
「あ、えっと、まだ学校かと・・・・」
それでも何か話題をと考えていたところ、小日向夫人に先手を打たれた。
緊張を残しながら、響はたどたどしく答える。
「響ちゃんも一緒の高校?」
「ぃ、いえ、わたしはそもそも行ってなくて・・・・ぁ」
正直に答えてしまってから、やっちまったと我に返る。
前を見れば、眉をひそめた、どこか心配げな小日向夫人。
「あ、でも何にもやってないとかそうじゃなくて!仕事!仕事やってます!ああ、でもでも、後ろ暗いことじゃなくて、真っ当なやつっていうか!人助け・・・・そう!ざっくり言うと人助けやってて、それで・・・・ぁ、あはははは・・・・はは・・・・」
まくし立てるように言い分を連ねてみたものの、自分でも何を言っているのか分からなくなり。
最終的に愛想笑いで誤魔化すしか出来なかった。
このときばかりは、不器用な自分を恨めしく思う響。
話題が無くなり、妙な沈黙が降りる。
――――本当は分かっている。
怖がるよりも前に、つくろうよりも前に。
言うべき事があるのを分かっている。
「――――ぁ、あの!」
だから響は背筋を正して、目の前の彼女に向き合って。
「未来、さんのこと、すみませんでした!わたしの我が侭につき合わせて、あっちこっち連れ回して!本当にごめんなさいッ!!」
罵声も拳も浴びる覚悟で立ち上がり、頭を下げる。
響にとって、自身の行いは誘拐同然だった。
もちろんそんな気はなかったけれど、目の前の母親から子供を奪ったのは揺ぎ無い事実。
だからせめてもの誠意として、出来る限りのしっかりした謝罪を行った。
胸中に渦巻くのは不安。
ちゃんと伝えられているか、何か無作法をしていないか。
知らないうちに目を瞑り、じっと待とうとして。
「・・・・いいのよ」
あまり間を置かず、夫人は首を横に振った。
「いいのよ・・・・私達にも悪いところはあったんだから」
『だから、いいの』。
変わらない真っ直ぐさを持っている、娘の友人へ。
そういいながら、肩に手を置いて。
「――――ぇ」
「・・・・ッ!」
今度は、そのぞっとするほどの冷たさに目を見開く。
触れられたことに気付いた響は咄嗟に身を引いたが、時既に遅し。
明らかに人間の温度ではないものに触れた手を呆然と見つめ、夫人はどういうことか問いかけようとして。
「――――何しているの?」
かかる第三者の声。
振り向けば、今帰ってきたらしい未来が突っ立っている。
自身を庇う響と、その前に立つ実の母親。
どういう状況なのか、容易に想像してしまった未来は。
次の瞬間、室内にもかかわらず駆け出し、響と母親の間に割って入った。
「響に、何をしたの?」
「み、みく・・・・」
必死に響を庇うその顔は、実母に向けていいものではない敵意に満ちていて。
それを目の当たりにした小日向夫人は、少し前を想起する。
あれは春先。
『未来が見つかった』と、とある政府組織から連絡があった時。
夫婦そろって駆けつけてみれば、二年ぶりに会った娘はこうやって敵意をぶつけてきた。
『響が戻ってくるまで、待ち続ける』
『あの時味方してくれなかったあなた達を、許したくない』
そんな三行半紛いの文言を叩きつけられ、それっきりだったのだ。
「未来、大丈夫だよ。おばさんは何もしてないから」
「でも・・・・!」
「未来を連れてっちゃったのは事実だし、わたしにも非がある」
どこか興奮気味の未来を、何度も首を横に振りながら宥める響。
「家族だから心配して当たり前。急にいなくなったりしたら、なおさらだよ」
少し強く、それでいて穏やかに言い切れば。
未来はようやく押し黙った。
「・・・・だったら」
だが、それも長くは続かない。
「だったら、わたしのじゃなくて、響のお母さんが来るべきじゃない・・・・!」
「・・・・連絡してないから、しょうがない。それに、今会ったって、どうしようもない」
肩を震わせた未来は、どこか泣き出しそうに呟いて。
響はまた、静かに首を横に振っていた。
「・・・・それって、冷たいのと関係があるの?」
夫人が問いかけたとき、また敵意。
唇を噛み締めた未来が、鋭い目を向けている。
「――――未来、ダメだよ」
そしてまた、響に宥められた。
「わたしはもう、この結果を飲んでいる。痛みも不便も、納得している・・・・だから、いいんだ」
何故か。
最後の言葉が、文面とは別の意味を帯びているように思えた。
まるで、未来へ赦しを告げている様に聞こえた。
「・・・・ッ」
そう感じたからこそ、夫人は息を呑む。
・・・・こうやって、二人支えあっていたのだろうか。
右も左も分からない土地を歩いて、体に異常が起きるほど苦労して。
それでも相手を思いやりながら、味方が一切いない中を。
たった二人で、死に物狂いで。
今日と言う日まで、生き延びて。
「ぉ、お母さん?」
はっとなったときには、涙が一粒零れていた。
さすがの未来も戸惑っているようだったが、今は構う余裕がない。
悲しくて、悔しくて、情けなくて。
罪悪感はあれど、娘のためだと思っていた。
これが最善なんだと思っていた。
あの時の自分たちの決断が、こんな結果を生み出すなんて。
こんなにやりきれない光景を生み出すなんて。
「あの、おばさん?大丈夫?」
響が手を伸ばしてくる。
冷たい自身を気にしてか、遠慮がちだったものの。
わき目も振らずに泣いている、情けない大の大人を気遣ってくれて。
もう、限界だった。
「わわ!?」
「ちょっ・・・・!?」
二人いっぺんに抱き寄せる。
響の冷たさと、未来の温もりを直に感じて、また涙が溢れる。
どれほど怖い目にあったのか、どれほど辛い目にあったのか。
想像すればするほど、心が罪悪感で満たされる。
「・・・・じょうぶ・・・・・だいじょうぶ・・・・」
『ごめんね』じゃ、安っぽくなってしまう気がして。
だから『大丈夫』を繰り返す。
「大丈夫、もう大丈夫だから・・・・!」
例え突き放されたって手放さないよう、強く強く抱きしめる。
「今度はちゃんと味方になるから、怖かったり辛かったりしたら頼っていいからぁ・・・・!」
「・・・・おばさん」
控えめに抱き返してくる腕。
冷たい、響だ。
温もりを分けるように抱きしめ続ける。
これで響の温もりが戻るか分からないけど、奪ってしまったのは他でもない自分達だから。
「だから、もういいの。もう二人だけで頑張らなくていいの・・・・助けを求めて、いいのよ」
最後に笑いかける。
暗がりにいたであろうこの子達の、命綱になれるように。
今度こそ、日向へと戻る道しるべになるために。
罪人を自称する少女と、家族を敵視してしまった愛娘へ。
涙で情けなくなったなりの、精一杯の笑顔を浮かべて。
「・・・・」
未来は、少し驚いているようだった。
大方、連れ戻されるとでも思っていたのだろう。
困惑した様子で、響を見やる。
一方の響は、始めこそ同じように戸惑っていたが。
第三者だからか、何かを察したようで。
ただ笑みを浮かべるだけだった。
未来は困惑したまま、肩口でしゃくりあげる母親を見下ろす。
渋い顔をしたり、悲痛な面持ちになったり、口元を結んだり。
そうやってしばらくの間、百面相をしていた。
「――――ふうぅ」
やがて観念したように、ゆっくりゆっくり息を吐く。
いくら敵視しているとは言え、親の涙には勝てなかったらしい。
「・・・・じゃあ、一個だけ」
「うん、なぁに?」
おざなりに涙を拭いながら、微笑みかける母へ。
未来はどこか照れくさそうに目を逸らしながら、続けた。
「今度でいいから・・・・料理教えて、ください」
「・・・・ええ、いつでも」
早速頼ってくれた娘を、母は優しく抱きしめて。
響は一歩離れた位置から、どこか眩しそうに見守っていた。