チョイワルビッキーと一途な393   作:数多 命

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その平穏を噛みしめる

「は・・・・はあ・・・・はっ・・・・・!」

 

逃げる、逃げる。

夕暮れに染まる街を、小さな手を握り締めて少女は走る。

鳴り響くノイズ警報。

小学生の自分より年下な男の子を連れての逃亡。

 

「・・・・ッ」

「うぅ・・・・おかーさぁん・・・・」

 

怖い。

油断すれば、この子を置いて逃げてしまいそうで。

 

(――――ダメッ!)

 

絶対にダメだと、首を振り回す。

だって、決めたんだ。

春先、お友達のお姉ちゃんと一緒に助けてくれた。

あの人みたいに、かっこよくなりたいって。

 

「だいじょーぶ、こわくない」

「おねーちゃん?」

 

手を握る。

思い出せ。

あのお姉ちゃんは、こんな怖くてたまらない時にだって笑っていられる。

すごい人なんだから・・・・!

 

「――――ぁ」

 

涙をボロボロ零す男の子。

見れば、こっちをじぃっと見つめるノイズの群れ。

引き返そうにも、道をふさぐように別の群れが降ってきた。

前もノイズ、後ろもノイズ。

わき道は見えず、逃げ場はない。

どう見ても十以上はいるノイズ達。

飛び掛られれば、一溜まりもないだろう。

 

(――――やっぱり、無理だったのかな)

 

しがみついてくる男の子を抱き返して、少女は思う。

あの姿に憧れたのは、願いすぎだったかと。

子供の身に余る大願だったのかと。

 

「・・・・ぁ・・・・・ゃ、だ・・・・!」

 

とうとう我慢の限界を迎えた恐怖が、溢れそうになって、

 

 

 

 

「そーぅは問屋が下し金ーッ」

 

 

 

 

降り立った何かに、強引に地面に伏せられる。

頭上を通り過ぎるノイズ達を、呆然と見送るしか出来ない。

立ち上がったその人は、見覚えのある刃物を右腕の鎧から出す。

腕を振るえばノイズが裂けた。

足を突き刺せばノイズが吹き飛んだ。

恐怖でしかない連中をやっつける姿は、あの時見たのと全く同じ。

 

「ん、いっちょあがり」

 

あっと言う間にノイズを倒してしまったその人は、こちらに歩み寄って。

 

「よく頑張った」

 

温かい手のひらを、頭に乗せて来る。

 

「生きるのを諦めなかったね、えらいよ」

 

そして。

いつかと同じように、笑いかけてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

◆   ◆   ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

気付けば、日本に戻ってから二ヶ月もの時が流れている。

朝身支度をしていた際、ふとカレンダーを見て驚いたものだ。

たかが二ヶ月、されど二ヶ月。

少なくとも一般的な女子高生が体験するには、濃密過ぎる出来事ばかりだった。

 

「未来!ちょっとこっち!」

「へっ?」

 

放課後。

ホームルームが終わるなり、弓美に手を引っ張られた。

 

「どうしたの?」

「いや、見てほしいものがあってさ」

 

人のいないところに連れ込むなりスマホを操作した弓美は、画面を見せ付けた。

 

「ほらこれ、響じゃない?」

 

未来も聞いたことのある大型掲示板。

『【変身ヒロイン】例の少女に出会った件について【実在した?】』というタイトルで、こちらに背を向ける響の写真が上げられていた。

 

「昨日話題になってたの。こういうのってすぐに削除されちゃうから、スクショ間に合ってよかったよ」

「そう、なんだ」

 

画像の中の書き込みには。

先日ノイズに襲われたとき、響が来てくれて助かったこと。

不安な中に駆けつけてくれて、本当にありがたかったことが書かれていた。

 

「・・・・ふふ」

 

もう一度日の目を見ることが難しかっただろうあの子が、賞賛を受けている。

そのことが何だか誇らしくて、笑みがこぼれた。

 

「今日も二課行くんでしょ?褒めてあげなよ」

「うん」

 

画像を見せてくれた弓美にありがとうを告げてから、学校内にある二課の入り口に向かう。

――――今、響は二課でお世話になっている。

少し前の騒ぎが原因で、半ば軟禁状態になってしまっているが。

出動などで外出自体はちょくちょくしているらしい。

・・・・当然その度に、ガングニールは響の体を蝕んでいく。

だが、響はそれで構わないと笑っていた。

本来なら、あのまま襤褸の様に擦り切れ、朽ち果てていたのだからと。

死に体の分際からすれば、十分すぎるハッピーエンドだと。

それに冤罪から始まったとは言え、この身は罪人だ。

幾十、幾百もの人間を屠り、屍を踏みつけてきた咎人だ。

だからこれでいい。

そう言ってどこか照れくさそうに、それでいて嬉しそうに笑った。

未来だって、その辺は一応理解している。

翼は今まで二課の方に出ずっぱりだったお陰で、表の仕事が滞り始めてしまっていて。

そこへ、響が叩き込んだダメージである。

もちろん人類守護も大切だが、だからといって歌姫の役目を疎かにするわけにもいかない。

そんなある種の『責任』を負う為にも、戦わないという選択肢は取れなかった。

しかし、いい加減に荒事から離れて欲しいというのもまた、未来の本音に違いない。

 

「こんにちは」

「ああ、こんにちは」

 

すれ違う職員と何度か挨拶を交わしながら、廊下を進む。

足は自然と、休憩スペースに向いていた。

自販機横のソファ。

背もたれに背中を預けて、気を抜いている姿が見えた。

 

「響」

「未来」

 

こちらを見つけると嬉しそうにはにかんで。

未来もまた、笑顔が浮かぶ。

二課のものとはまた違うカッターシャツとズボン。

どこか野生的だった以前と比べて、パリっとした雰囲気になっている。

未来が通うたびにこの格好なのだが、響曰く『自分なりの正装』らしい。

オフのときはもっと別の格好なんだろうなと思いつつ、その姿を未だ見られていないのがちょっと悔しい。

 

「小日向、来ていたのか」

「翼さん」

 

飲み物片手におしゃべりでもなんて考えているところへ、翼がやってきた。

 

「お仕事まだ残ってるんじゃあ?」

「顔を出しに来ただけだ、お前が気にかかってな」

 

首をかしげる響へ、にやりと笑いかけて、

 

「つい最近まで野犬だったのだしな、誰かに噛み付きでもしたら大変だ」

「ぬ、ぐ・・・・!」

 

さすがに冗談だろうが、図星だったために言葉が詰まってしまう響。

その顔は、まさに悔しそうに歯を見せていた。

 

「はは、冗談さ。抜けた穴を埋めてもらえて助かっているよ」

「わわわっ」

 

大らかに笑いながら翼は響の頭を撫で回した。

髪をくしゃくしゃにされた響は、手ぐしで手早く整えつつはにかむ。

嬉しいのだろう。

気を張らなくていいことが、いざと言うときに刈り取らなくていいことが。

浮かべた笑顔は信頼の証。

自分の命も、未来の命も脅かされないという環境は、確かに響の助けになっていた。

翼も加えた三人で、近況報告なんかの世間話をする傍ら。

未来は生き生きと話す響を、感慨深く見守っている。

――――謂れのない罪を着せられて、ほの暗い道を歩かざるを得なかった響が。

こうやって何気ない笑顔を浮かべて、他愛ない話で盛り上がる。

もはや叶わないと思っていた願いが、こうやって実現する日が来るなんて。

未来はおろか、響だって想像もつかなかっただろう。

誰かを傷つけた分、自分を呪い続けていた響。

身も心も限界以上にぼろぼろになって、それでもなお立ち止まることを許されなかったこの子が。

やっと至れた安息の地がここだ。

全てを疑う必要も、どこかへ逃げる身構えも必要ない場所。

十分、十分だ。

響はもう、十分すぎるくらいに苦しんだ。

悪質な善意に、醜悪な欲望に。

苛まれ、脅かされ、蝕まれて。

もういいだろう。

そろそろ休ませてくれたっていいだろう。

もちろん、いつかは立ち上がって進まないといけないのは分かっている。

立ち止まる怠け者に容赦しないのがこの世界だ。

だけど、だからこそ。

一秒だけでも、なんなら一瞬だけでもいい。

このあたたかい時間を、穏やかな日常を。

 

(ねえ神様、どうかお願い)

 

嗚呼、願わくば。

この誰もが持ちえる当たり前の時間で、響がずっと笑っていられますように。




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