死にたくて消えたくてたまらなくなってしまったあの日から、大分経っている。
数日もお布団に包まれてれば、メンタルも何とか快方に向かってくれて。
つい昨日の検査で退院許可をもらえた。
いや、何かあったらまたすぐに入院コースらしいけどね。
はっきり治ったかどうか分かりにくいのが、メンタル系の体調不良だよ・・・・。
正直、入院したての頃の記憶はおぼろげだ。
でも、未来が泣きそうな声で何度も呼んでくれたのだけは、どうにか覚えられてる。
・・・・心配かけちゃったな。
気になるのは未来だけじゃない。
すっかりダウンしていた間、進んでしまったであろう『三期』。
今どのあたりだろうか・・・・と思っていたら。
連絡用SNSに一昨日届いた、未来からのメッセージで。
翼さんマリアさんと都内の任務に就いているので、何かあったら頼ってほしいという旨が来ていた。
調ちゃん切歌ちゃんの後と言えば、多分八紘パパさんとのアレコレだろうし。
ということは、もう佳境に入ってきてるということだろう。
・・・・原作云々を、抜きにしても。
誰もかれもが決戦へ備えている中、わたしだけがとんでもない不安要素を抱えたままではいられない。
自画自賛や自意識過剰なようでなんだけれども、それでも。
この後を『知っている』身としては、
だから、わたしは。
「――――お姉ちゃん」
――――顔を上げる。
少し低い位置から、わたしとおそろいの目が見上げている。
数歩後ろからは、付き添いのお父さんがゆっくり歩いてきていた。
「・・・・久しぶりだね、香子」
「・・・・うん」
何とか、笑えていただろうか。
そう信じながら、待ち合わせたファミレスの中へ。
一階で待つと言ってくれたお父さんに手を振ってから、二階に上がった。
・・・・お昼時だったので、『何か食べる?』と聞いてみる。
香子が何かを言う前に、お腹から元気な音。
あんまりいいタイミングで鳴るもんだから、思わず笑ってしまった。
何とか耐えていたけど、結局漏れてしまった笑い声を上げながら、ふと。
こんなに笑ったのが、酷く久しぶりの様に思えた。
「・・・・まだ好きなんだ、それ」
「うん、好き。来たときは絶対頼む」
「ここの、おいしいもんねぇ」
この時期にはちょっと熱いえびドリアを何度も吹きながら、やっぱりあちあち言いながらほおばる香子。
と、ほっぺたにご飯粒がついてるのが見えたので、手を伸ばす。
捨てるのが何となくもったいなかったから、そのまま食べてしまった。
どこか照れくさそうに笑う香子だったけど、すぐに眉をひそめる。
読み取れる感情は、『寂しい』だった。
「・・・・うちにいた頃は、よくやってくれてたよね」
「・・・・香子、まだ小っちゃかったからね」
・・・・わたしの、まだ幸せだったころの記憶にある香子は。
やっと理科や社会に慣れ始めた、小学校三年生。
まだまだ甘えただけども、ちょっとお姉さんぶりたいところも出てきた年頃だった。
集団登下校なんかで、下の学年の子達と手を繋いで引率してるのをよく見かけたもんだ。
そんな香子も、もう六年生、かぁ。
・・・・・そっか、三年。
三年、なんだなぁ。
「・・・・お姉ちゃん」
しみじみしていたら、どこか緊張した香子の声。
顔を上げると、すっかり空っぽになったドリアの皿が目に入って。
そこからさらに目線を上げると、まっすぐ見つめてくる瞳とかちあった。
「わたしはさ、まだまだ子供だし、小学生だし、頼りないかもしれないけど・・・・」
一生懸命言葉を紡ぐ香子。
騒いでないはずなのに、声がやけに大きく聞こえる。
「また、お姉ちゃんと一緒に帰りたい」
・・・・あまり、聞きたくなかった言葉だ。
「あれから時間も経ってるし、わたし達のことなんて、覚えてる人はもういないよ」
わたしの逃げ癖を知っているからか、たたみかけてくる。
「『勇気』だなんて、言い過ぎかもしれない。それでもわたしは、『あの頃』を取り戻したいから、ここにいる」
一度閉じられて、見開かれた目は。
寂しさもなく、迷いもなく。
・・・・その眩しさに後ろめたさを覚えて、視線をそらしてしまう。
通りを行き交う人たちは、わたし達のやり取りなんてお構いなしに動き回っている。
誰かに連絡を取っていたり、友達と話していたり。
・・・・もう、かつてのような。
一挙手一投足を見張られるような幻覚は、すっかり消え去っていた。
ふと、親子連れが目に入る。
子どもが転んでいるところだった。
お母さんに助け起こされる横で、手から離れた赤い風船が。
中身のヘリウムに従って、空高く昇って行って。
――――憎いくらい真っ青な空に、亀裂が走った。
「――――ッ!?」
声を吞んで見上げる合間に、あるはずのない欠片を散らしながらさらに広がっていく亀裂。
香子を連れて飛び出した目睫の間に、出てこようとしたものが。
巨大な建造物が現れて、ゆっくり下降を始めた。
「お姉ちゃん・・・・!」
不安げな香子の手を握り返して、空の動向をにらんでいると。
通信機が鳴った。
『――――響君ッ!!』
「はいはいッ、こちら響!現場からお送りしていますッ!!」
『俺達は未だ現在、東京湾沖合を航行中!翼、マリア君、未来君が急行しているが、すまない、ともに到着まで時間がかかる!』
案の定聞こえた弦十郎さんの声へ、いつも通りに答えれば。
予想通りの状況が報告された。
『響君にはそれまで、避難誘導を頼みたいッ!』
「りょーかいです!!」
言われるまでもないけど、伝達のためにはっきり返事。
すると、弦十郎さんはどこか真剣な声で。
『・・・・決して無理だけはするな』
「善処しマス」
せざるを得ない状況を否定できなかったので、あいまいな言葉で予防線を張った。
気付けば、周囲はわたし達以外誰もいない。
お父さんは・・・・『
避難する人達に流されたか、あるいは警察なんかに『危ないから』って引きずられていったか。
どちらにせよ。
避難先でこっちに駆けつけようとして、複数人に押さえつけられているイメージが、簡単に浮かんできた。
「とにかく離れるよ、はぐれないように」
「う、うん」
救助モードで笑いかけると、何とか怯えを抑え込めたらしい香子。
『いい子だ』と頭をなでて、走り出そうとした時だった。
「――――逃がすものか」
後ろから、風が荒れ狂う音。
咄嗟に香子を抱えて横っ飛びすると、さっきまで立ってた場所が抉れていた。
「ぉ、女の子・・・・!?」
驚く香子の声に振り向く。
空の上、ちょうどさっきまでいたファミレスの二階くらいのところに。
ダウルダブラを構えた、キャロルちゃんがいた。
「お姉ちゃん・・・・!」
「・・・・ッ」
纏えるかどうかは分からなかったけど、何もしないよりはマシだと思って。
香子を後ろにやりながら、首元のギアを取り出す。
だけど、
「させん」
短い一言と共に、再び突風が襲い掛かってきて。
マイクユニットを弾き飛ばしてしまった。
呆気なく遠くすっ飛んでった赤い宝石は、あっという間に瓦礫に紛れて行方不明に。
まずい、とは思ったけど、後ろに香子がいることを思い出して。
「・・・・香子」
生身のままで構えた。
「ここはわたしが食い止めるから、その間に逃げな」
「で、でも・・・・!」
「いいから!!」
返事を待たずに、飛び出していく。
キャロルちゃんは律儀に降りてきて、わたしに応戦し始めた。
「・・・・やっとだ、やっとだ」
風や炎、氷を避けながら、突き出す拳や蹴りを避けられながら。
香子が走り出すのを確認していると、キャロルちゃんが口を開く。
「やっと、お前を、この手で手折れる・・・・!」
針となって迫る土を、時々蹴り砕きながら回避する。
「ずっとずっと殺したかった!!地獄に堕ち、這い上がり、今や人々の希望というべきお前をッ!!」
なんだか、すっごく熱烈なことを叫んでるキャロルちゃん。
君そんなキャラだったっけ。
「奇跡とも呼ぶべきお前を、この手で、ずっと」
キャロルちゃんは、こっちの困惑なんてお構いなしに、猛攻を畳みかけてくる。
「殺したかったよ、立花響・・・・!」
その顔は、いっそうっとりするほど恍惚で。
だからこそ、うすら寒さを感じた。
ええ、怖・・・・。
「ぃよっ、とぉッ!熱烈なアプローチご苦労だけど、こちとらもう相手がいるんだよなぁー!」
かまいたちを、畳返しした足元で防御。
そのままくるっと回転して前へ。
がら空きになっているはずの、キャロルちゃんへ、拳を叩きこもうとして。
弦が、鳴った。
◆ ◆ ◆
「どこだ・・・・どこだ・・・・!?」
――――実のところ、香子は逃げていなかった。
物陰に隠れながら地べたに這いつくばって。
響のなくしものを探していた。
汚れるのもいとわず頬を擦り付け、砂粒が見えそうなほどに目を凝らして。
瓦礫に紛れてしまった、ガングニールのギアペンダントを探し回っていた。
やがて、視界の隅に赤いものを見つける。
弾かれたように振り向けば、目当てのものが。
いつか未来が持っていたものとおそろいの、赤い宝石が見えた。
「あった・・・・!」
喜色満面も束の間、その顔にはためらいが生まれる。
無理もない。
ギアペンダントが落ちていたのは、身を隠せそうにない、だだっ広い場所にあったのだから。
『こっそり見つけて、さっと渡して、さっと逃げる』を目標にしていた香子は、どうしようかと頭を悩ませる。
そこへ、
「ぐああッ!?」
姉の、響の、苦悶の声。
思わず身を乗り出せば、先ほどまでいなかったはずの女性に踏みつけられている姿が。
一瞬混乱した香子だったが、面影からあの少女が変身したのだと察した。
見た目通り色々上昇しているようで。
果敢に飛び掛かっていた響は、今や嘘のようにボロボロだ。
(――――あ)
ふと、似ている、と思った。
未来の戦いを見ていた、あの時と。
あの人形に負けた時も、勝った時も。
香子がやっていたのは、怯えて、隠れて、見ているだけで。
それが、三年前とも同じだと気づいて。
「・・・・ダメ、だ」
このままじゃ、ダメだ。
怖がって、隠れて、怯えて、泣いていたのでは。
結局、同じ結果を生むことになってしまう。
大好きな響が、お姉ちゃんが。
また、離れて行ってしまう。
(そうだ)
そうだ。
取り戻すって決めたんだ。
もう待っているのはこりごりなんだ。
(動け、動け、わたしは、もう・・・・!)
何よりも、誰よりも。
分かっている。
(怯えていた、小学三年生じゃないッ!!!!!!)
踏み出す、飛び出す、駆け出す。
拾おうと屈んだせいでもんどりうったが、関係ない。
握ったものを確認して、声を張り上げる。
「おねえちゃ――――!!」
その勢いのまま、投げようと振りかぶって。
――――すぐ横を、何かが飛んで行った。
「えっ」
いや、何かなんて言えない。
だって、分かっている。
振り向く。
軋む首を動かして、後ろを見る。
信じたくないと思うところに、飛び込んで来たのは。
「ぁ・・・・が・・・・!」
街路樹に激突し、口から血を吐き出している。
変わり果てた、姉の姿。
「ぉ、お姉ちゃん!!!!」
なりふり構わず駆け出す。
「お姉ちゃん、大丈夫!?お姉ちゃん!!」
「・・・・ばかっ」
止まらない喀血に狼狽えながらも、必死に声を掛ければ。
未だ苦しむ響は、強い目線で、ねめつけて。
「なん、っで・・・・逃げてないんだッ・・・・!」
絞り出すように、叱責した。
「だ、だって・・・・!」
「ギアくらい・・・・自分で探せた・・・・!・・・・・だから行けって・・・・言ったのに・・・・!」
再び咳き込み、血交じりの痰を吐き出す響。
「・・・・た、のむ・・・・から」
怒りに燃えるのも束の間、次の瞬間にはその歪ませ方を変えて。
悲し気に、口元を食いしばって。
「たのむ、から・・・・離れてくれ・・・・にげて、くれ・・・・」
ひゅうひゅう、不健康な呼吸を繰り返して。
「ゎ、たしは・・・・わたしは・・・・!」
懇願を口にする、頬に。
「家族が、泣くのを・・・・・みたくないッ・・・・!」
涙が、一筋。
再三咽て、血を零した響。
香子は、呆然と見ていることしか出来なかった。
「・・・・ふん」
当然見逃してくれるキャロルではない。
さっと風の陣を展開し、放つ。
無数の鞭のような烈風が、滅多切りにせんと迫ってくる。
せめて、致命傷だけでも避けられたならと。
庇おうとした香子を、響が逆に抱きしめて。
生き物が、切り裂かれる音。
びたっ、と。
一瞬で、響の顔が血で濡れる。
当の響は、眼球が乾くほどに目をかっぴらくのに忙しくて、それどころではない。
姉妹の前、キャロルの前に立ちふさがったのは。
「お父さんッ!!!!!!!!!」