夢ノ宮中学校女子バスケ部の地区大会当日。
先週までの猛練習が実りついにスターティングメンバーに選ばれた要だったが、序盤こそ相手の舌を唸らせるような活躍を見せたが、少しずつ対応され始めたことで焦りを覚え始める。
「要!持ち続けないでボール回して!」
「わかってます!けど・・・。」
地区大会初戦の相手は、前年度の優勝チームであり、過去の全国大会において好成績を収めたこともある強豪校だ。
ディフェンスにおけるプレッシャーも凄まじく、要は得意の速さを武器としても攻めあぐねている。
「あっ!」
そして焦りから精彩を欠き、ついにボールを奪われてしまう。
「要!ボッとしてないで走れ!」
「はい!」
ターンを奪い返されてしまい、要は一瞬動揺してしまうが、部長の薫に一喝されすぐさま相手を追いかける。
ふと理沙の方を見てみると、複数の相手選手に抑え込まれ思うように動けない。
理沙個人の実力に敵う者は例え相手チームだろうといないが、バスケは5人で行うチームスポーツ。
1人の能力が優れているなら、複数人でかけて抑え込めばいい。
その分他の選手のマークが空くが、主戦力である理沙が実力を発揮できなければ、要たちの得点力は半減する。
そうやってジリジリと点差を付けられていき、更に中核を成す要が精彩を欠いた今、相手チームの雪崩れ込むような攻めを凌ぐことが出来ず、得点差は開く一方だった。
「・・・こりゃあしょうがないか。」
要たちの顧問兼監督を務める夕美が、審判と話をする。
やがて試合中断の笛が響き、夕美が要を手招きした。
「要、交代。」
「・・・はい。」
どこかやるせない様子の夕美の言葉を、要は静かに受け入れる。
ベンチに座ると、未来が優しく肩に手を置いてくれたが、要は震える拳を抑えることが出来なかった。
結局、取られたリードを取り返すことも出来ないまま試合終了の笛が響き、要の初めての公式試合は、初戦敗退と言う苦い結果に終わるのだった。
・・・
試合が終わった後、薫と夕美も試合中の厳しさから一転、優しい口調で要に労いの言葉をかけてくれた。
試合の最中に柔らかな言葉をかけるのは、時としてチームの戦意を損なうこともあり、勝つために勝負をしているわけだから、調子の悪い選手を下げるのも当然の判断である。
そんな勝つためには冷静かつ客観的な判断を下さなければならないところは、ポイントガードとして試合中にチームを牽引しなければならない要にとっても、見習わなければならないことだが、それでも試合を降板させられたというのは、遠回しに役立たずと言われたようなものである。
「そう気を落とすなって。要は頑張ったよ。」
「そうそう、最初の方なんて絶好調だったじゃない。」
会場となっていた市民体育館の広間で寛いでいた要は、未来と優花からそれぞれ励ましの言葉を貰うが、未だにショックから立ち直り切れていない。
「別に落ち込んでなんか・・・。」
「先輩たちも先生も言ってたでしょ?
初めての公式試合なんだから緊張して当然!
しかも相手が相手だしね~。」
「要だってロボットじゃないんだから、気持ちがいっぱいいっぱいになって空回りしちゃうことだってあるって。」
「そうは言ってもさ・・・はあ~。」
「やっぱり気にしてるじゃない。もう。」
そんな煮え切らない態度に優花が容赦ない言葉を投げるが、要としてはこの場で変に気を遣われるくらいなら、いっそこれぐらい本音をぶつけてくれた方がまだマシである。
「あれ?あの人、さっきこっちの方を見たような。」
すると未来が誰かの視線に気付き、要も同じ方を見る。
そこには、長身金髪の青年の後ろ姿が映っていた。
「・・・もお~。」
あの後ろ姿は間違いなくベルである。
そして要はなぜ彼が背を向けているのかも理解した。
ベルはガールズトークの真っ只中に首を突っ込むような無粋な神経を持ち合わせてはいない。
大方自分のことを探してここまで来て、見つけたから声をかけようとしたものの、未来と優花と一緒に会話しているところを見たので、気を遣って身を引こうとしたのだろう。
そうわかっていても、今回ほど要はベルの紳士と言う名のヘタレな態度が癪に触ったことはなかった。
「ベル!!」
要が大声で声をかけると、ベルは足を止めて恐る恐るこちらを向く。
その表情にはありありと『バツが悪い』と『面倒くさい』が書かれていた。
あの様子ではあちらから来てくれないだろう。
要はベルのところまで駆け寄る。
「要の知り合い?」
後からついてきた未来が当然の疑問をぶつける。
「ひょっとして彼氏?」
優花が予想通りの疑問を、これまた予想通りニヤニヤした表情で聞いてくる。
「ただの友達だよ。千歳の親戚の人でベルって言うの。」
「ああ、この人が千歳の話してた外国人の親戚さんか。」
要の説明に未来が納得したように頷く。
いつか2人が対面することを見越して、千歳が自前に説明してくれていたのだろう。
千歳の気遣いに内心、感謝しながら要はベルに自己紹介をするように促す。
「初めまして。ベル・ヒメノ・ティターニアと言います。」
非常に気まずそうな表情で挨拶するベルを、未来と優花は興味深そうに見る。
「すげえ、本物の外国人さんだ。」
「背も高くてカッコイイ~。」
「ほらほら、ベルは見世物じゃないから。
ベルも、わざわざ応援に来てくれたのは嬉しいけど、あんなとこで突っ立ってたらイヤでも目立つやろ。」
物珍しさでベルに近寄ろうとする未来と優花を牽制しながらも、要はあからさまに責めるような口調でベルに詰め寄ってしまう。
「いや・・・仲良さそうに話してたから邪魔しちゃ悪いと思って。」
そして案の定な答えに要はわざとらしく盛大なため息を吐く。
「は~。そんな遠慮はいらんて、いつも言ってるやん。」
要が不機嫌な様子を隠さずベルを注意していると、優花が何かを察したような顔を浮かべてニヤリと笑う。
「それじゃあ未来、私たちはこの辺で帰りましょっか。」
「ん?それなら要も・・・。」
「いいから、私たちは帰りましょ。要、また今度ね~。」
「え?ああうん、また今度な。」
優花が要にだけわかるようにウィンクをした後、未来を連れてこの場を立ち去っていく。
何かと聡い彼女のことだ。こちらの様子を見て気を遣ってくれたのだろう。
そんな心遣いがくすぐったくもあるが、要は素直に内心、お礼を言う。
「・・・要。」
「ベル、帰ろ。」
要は今度は逃がさまいと、ベルの腕を掴みながら体育館を後にするのだった。
人目を忍んでベルはベリィへと姿を戻し、要は肩に乗せながら帰路を歩く。
道中、ベリィは気まずそうな様子で要の表情をチラチラと伺いながら、ようやく口を開く。
「なあ、要。」
「なに?」
「あのさ・・・今日の試合だが・・・。」
だが歯切れが悪く、何か言おうと思っても後ろが続かない。
きっと慎重に言葉を選んでくれているのだろう。
要はそんな彼の意を汲み、自分から答える。
「悔しかったよ。とても。」
「えっ?」
不思議そうに顔を見上げるベリィに、要は言葉とは裏腹に悔しさを感じさせない朗らかな笑顔を浮かべながら続ける。
「とても悔しくて悔しくて、泣きたくなったよ。
でもね、これで良かったとも思ってるんよ。」
「負けから、得るものがあったからか?」
ベリィの言葉を聞いた要は、自分のことを理解してくれているのだなと嬉しそうに頷く。
今回の試合、相手が地区大会の優勝候補と言うだけあり、個々の選手の実力もチームワークも、これまで戦ったことのあるどのチームとも別格だった。
その強さに焦って、周りが見えなくなってしまった。
バスケはみんなで勝利を掴むスポーツだと日頃、自分に言い聞かせていたのに、今回はそれが出来なかった。
まだまだ心身ともに鍛錬が足りていない証拠だが、それは同時にまだまだ伸び代がある証拠でもある。
「相手がどんなに強くったって、その空気に飲まれちゃいけない。
今日はそれを心掛けるいい教訓になったから、次はもっと良い試合にしてみるよ。」
そうやって負けから学んだことを、要は成長の糧としていく。
勝負は勝っても楽しい。負けても楽しい。
例えこの先どんな強豪チームを相手にしようとも、要はそれだけは忘れないように今一度心に誓う。
「そっか、いらないお節介だったな。」
そんな要の様子を見たベリィが、少し寂しそうな口調で言ってきた。
そんなことはない、と意を込めて要は静かに首を横に振る。
「ベリィが応援に来てくれて、こうして励ましてくれてるから、ウチだってすぐに割り切れるんよ。」
ベリィは何かと自分のことを強い人だと思ってくれるようだが、こうやってあっさりと立ち直れたのも、先生と薫、友達である未来と優花、そして何よりもベリィがこうして励ましてくれるからだ。
それなのにこのヘタレ紳士と来たら、自分がどれだけベリィのことを必要としているか相変わらず自覚がないようだ。
「そう、なのか?」
現に今だって、こうして不思議そうに首を傾げながらこちらの顔を伺っている。
そんなベリィに対して要は、そうだよ、と言う言葉を込めて優しく笑いかけるのだった。
・・・
今日は朝から妙な胸騒ぎがする。
雛子はいつものように部屋で読書をしながらも、珍しく周囲に気を配っていた。
そしてこれまでの『経験』から、この胸騒ぎは『ある人物』が現れることの予兆だと思い至る。
ドタバタ
やがて廊下を忙しなく走る足音が聞こえてきた。
その瞬間、雛子の直感は確信へと変わり、近くにある枕を手に取る。
「はあ~。」
この家の廊下をこんなやかましい足音を立てながら走るなんて、あの悪友ですらやらないことだ。
そんなことをやらかす人はたった1人しか思い当たらない。
そしてその人はこれまでにも・・・。
「雛子~!元気だっ・・・ふがっ!」
自分の部屋のドアをノックするなんて、マナーの良い行いをした試しがない。
雛子は部屋のドアが開けられた瞬間、勢いよく入ろうとするその人に目掛けて枕を投げ、正確無比に顔面へとぶつける。
「いつもノックしてって言ってるでしょ?『姉さん』。」
「いったいな~。それが久しぶりに会う姉への態度かい?」
「久しぶりって、ついこの前も帰ってきたばかりじゃない。」
「そうだっけ?そんな昔のことは覚えてないな~。」
雛子は心の底から盛大なため息を吐く。
このいい加減極まりない女性の名は『藤田 風子(ふじた ふうこ)』。
天井天下唯我独尊、ゴーイングマイウェイをひたすら全力疾走する、究極のマイペース大学生。
そして悲しいかな、自分の実姉である。
「いやはや~相変わらず本の虫だね~雛子。
おっ、この推理小説初めて見るやつだ!」
「ドアはちゃんとノックして、廊下は静かに・・・。」
「あ~!私のお気に入りの小説がなくなってる~!
雛子どこに隠した!物置か!」
「本を読んでるんだから集中したいっていつも・・・。」
「あら可愛い~、何これテディベアのぬいぐるみ?あんた相変わらずいい趣味してるわね~。」
「ちょっと姉さん!聞いてるの!!?」
全く聞く耳を持ってくれない姉に雛子がとうとう声を荒げる。
「聞いてる聞いてる。
読書に集中したいからドアはちゃんとノックして欲しいし、廊下は走るなでしょ?」
「だったらちゃんと・・・。」
「そんな硬い事言うなよ~。私と雛子の仲じゃないか~。」
当の本人はちゃんと聞いていたようだが、こちらの言い分を受け入れてくれなければ話す意味もない。
「はあ・・・もう、姉妹の仲にも礼儀ありよ。」
「それよりもこの子なんて言うの?テディちゃん?ベアちゃん?
あっそれとも黄色いテディベアだからキディちゃん?
うわっ、なんか一気にパチモン臭くなったわ~。」
「・・・。」
それでもマイペースな態度を一向に崩さない姉に、雛子は怒りを通り越して完全に呆れ果ててしまい、ジットリとした目で睨み付ける。
この人はいつもこうだ。
空気が読めないのではなく、意図して空気を読もうとしない。
確信的にこの振る舞いをしているのだから、タチの悪さも10割増しである。
「ちょっと、見るのはいいけど触らないで頂戴。」
机の上に置かれたレモンに近づこうとする風子に対して、雛子は机の前に立ちながら注意する。
「なんでさ~、抱き心地良さそうだし少しくらい触らしてよ~。」
「ダメ、こればかりは姉さんでも絶対にダメ。」
これだけは流石に譲るわけにもいかず、雛子は表情を険しくして抗議する。
レモンがこの家に来てからも風子が部屋を訪れたことはあるが、レミンとして商店街や千歳の家に遊びに行ったりで、実はこれまで対面したことがないのだ。
そして外見こそぬいぐるみなレモンだが、実際は妖精と言う生き物なので、手触りや体温は生々しく、心臓の鼓動だって感じられる。
触った瞬間、少なくとも生き物であることがバレてしまう。
それを知られるわけにはいかず、ふと見るとレモンの表情もどことなく強張っており、正体がバレないか不安でいる様子でいるようだ。
「ちぇっ、わかったよ~。可愛い妹の頼みだから仕方ないか。」
こちらが本気であることを悟ってくれた風子は引き下がり、何とか事なきを得るが、諦めた風子は今一度、雛子の部屋にある本棚を物色し始めた。
本音を言えばこの姉に自分の本棚を荒らされるのも嫌なのだが、レモンから気を反らすために今は黙認する。
「あれ?」
やがて風子は一冊の本を手に取り、雛子に見せる。
「これ、まだ読んでなかったんだ。」
その本は、小説家を目指す人に向けた入門教材。
かつて雛子が買い、それ以来本棚から一度も出したことのないものだ。
「・・・なんでわかったの。」
「この本だけ全然折れ目がないから。雛子の本にしちゃ綺麗すぎる。」
少しずつ、姉の雰囲気が変わって来たのを悟った雛子は、露骨に仏頂面を浮かべてそっぽを向く。
「・・・姉さんには関係ない。」
「関係ないわけないでしょ。
可愛い妹が将来のことで悩んでるんだから。
ほら、お姉ちゃんに話してみ。」
そう言いながら風子は、雛子の隣に腰掛ける。
口調こそ先ほどまでと変わらないが、その目はえらく真剣だ。
(全くもう・・・姉さんは・・・。)
普段はどうしようもなくいい加減なくせに、こんな時だけ姉風を吹かせてくる。
自分が本気で困っているのが分かれば、真剣な顔をして相談に乗ってくれる。
そして年の離れた姉は大学に通いながらアルバイトにも精を出しており、知識、見解、経験の全てに置いて自分の上を行く。
非常に癪なことだが、それに裏打ちされた風子のアドバイスは、これまでにも何度も雛子の助けになって来たのだ。
「・・・別に、大したことないよ。まだ書く自信がつかないだけ。」
要するに、何かと人から頼られることが多い雛子にとって、姉の風子は頼りにできる数少ない人物なのである。
だから結局、雛子は胸中に抱えている悩みを風子に打ち明ける。
「だからもっと本を読んで、表現力を養ってから書きたい?」
「・・・。」
言葉にしようとしたことを先に言われてしまい、雛子は口を閉じる。
「それ、どのくらいかかるの?
自分が納得できるまでってなると、多分一生やってこないよ?」
続く風子の言葉に、雛子は視線を落とす。
だが厳しい言葉とは裏腹に、風子の声色は穏やかだ。
自分のことを親身になって心配してくれている。そんな思いが伝わってくるほどに。
「案ずるより産むが易しって言う言葉があるでしょ?
雛子、失敗してもいいから、物は試しで書いてみなよ。」
「そんな、物語なんて、そう簡単に思いつかないわよ・・・。」
雛子が筆を執る勇気が出せないのは、何も文章力に限った話ではない。
雛子が読んできた物語の本はいずれも、魅力的なストーリーと世界観、そして登場人物に満ちており、自分を本の世界へと引き込んでくれた。
つまり書き手の立場となれば、今度は自分がそれを創らなければならないのだ。
その自信が、今の自分にはない。
数多くの本を読んできて様々な空想を広げたことはあっても、自分から生み出すとなれば話が変わってくる。
結局のところ、勇気が出せない言い訳でしかないと分かっていても、雛子は踏み切ることが出来ないでいる。
「ねえ、姉さんは自分の趣味が嫌いになること、怖いと思ったことはないの?」
なぜなら、上手くいかなければ本のことが嫌いになってしまうかもしれないと、そんな不安を抱いているからだ。
もしも上手に書けなかったら、もしも何も思いつかなかったら、もしも自分の書いた物語が酷評されたら・・・。
そんな不安は、読み手としてずっと本を受け取る側でいるのなら抱くこともなかったものだ。
「そうだね~、ないって言ったらウソになるよ。」
そんな雛子の不安を聞いた風子は、シャッターを切る真似をする。
風子は昔から写真が好きで、アルバムに乗っている自分の写真なんかはほとんど彼女が撮影したものだ。
将来的にはカメラマンになることを目指し、大学で芸術、デザインの勉強に励んでいる。
つまり自分と同じで風子も、趣味を将来の夢に繋げようとしているのだ。
だからこそ、彼女の意見が聞きたかった。
好きなだけではダメだから。
人に見てもらい、評価してもらうためには相応の技術が必要となるから。
それを学ぶ過程で、無理だと挫折したことはなかったか。
理想と現実のギャップのあまり、好きなことが好きでなくなってしまったことがなかったか。
雛子は不安げな様子で風子を見つめ、風子は苦笑交じりで答える。
「勉強がしんどいって思うことはあるし、投げ出そうと思ったことだって何度かあるよ?
それでも自分の写真が綺麗に取れたって、友達や先生が褒めてくれたときにね、凄い達成感を感じるんだよ。
その度に思い知るの。やっぱり私は、これが好きなんだなって。」
「そっか・・・。」
「だからね雛子。やってみないと、わからないものだよ。
自分がどれだけ好きなのかは勿論、嫌いになるのかさえだって、やらなきゃわからない。
なに、嫌いになりそうになったら、その時は書くのを止めればいいさ。
自分の好きなことを嫌いになってまで、続ける必要なんてないんだから。」
趣味を嫌うことになるくらいなら、趣味の範疇に留めておけばいい。
風子の言葉をそう受け止めた雛子は、ほんの少しだけ、気持ちが軽くなる。
「そうだ。試しに自叙伝とか書いてみたらどう?自分のことなら書けるでしょ?」
「自分の事・・・か。」
風子のアドバイスに雛子はクスリと笑う。
確かにこの半年の間に、妖精と出会い、魔法少女に変身し、怪物と戦い、異世界へと旅立ち、そしてお姫様と妖精と小悪魔と友達になった。
下手な創作物顔負けの摩訶不思議な出来事が続き、それだけでファンタジー小説一冊分書けるレベルである。
だけど姉の言う通り物は試しで、自分がこれまで見たこと、感じたことを本に書いて見るのもいいかもしれない。
「・・・そうだね・・・試しに書いてみようかな。
私の物語・・・。」
そんな気持ちさえ生まれた雛子は、何だかんだで姉が帰ってきてくれてよかった。
「姉さん・・・あり」
「それじゃあ、しんみりとした空気を忘れるために。」
「え?」
と思いかけた瞬間、風子が突然、雛子の肩に手を置いてくる。
「久々の姉妹再会を祝して、商店街でパアーッとやりましょうや!」
「わっ、ちょっと姉さん!」
「雛子何食べたい?お姉ちゃんが全部奢っちゃうぜ!」
「もう、もうすぐおばあちゃんがお昼出来るって・・・。」
「成長期なんだからガンガン食べなきゃダメだよ~。
朝食抜きダイエットとかしてないでしょうね?」
「そんなのするわけ・・・。」
「女の子は少しふくよかな方が健康的で可愛らしいものだぜ!
てなわけで商店街へレッツゴー!」
前言撤回。やっぱり鬱陶しい上にやかましい姉である。
少しでも頼りになるかもしれないと思った自分がバカだった。
雛子はそんな後悔の念を抱きながら、風子に力づくで街まで引っ張り出されてしまった。
「あれが雛子のお姉ちゃん・・・。
レモン、雛子に拾われて良かった・・・。」
最後に部屋に1人取り残されたレモンが、風子の超マイペースっぷりを見てそんな本心をポツりと呟くのだった。
・・・
1か月もある長い休みをどう活用するか。
要たちからアドバイスを貰いながら、千歳は宿題をしたり、愛子から借りた漫画を読んだり、要から借りたアニメを見たり、雛子から借りた特撮の録画を見たり、リン子の家事を手伝ったりしながら過ごしていた。
そんな中で特に時間を使いたいと思ったのが、この世界について多くを学ぶことだった。
千歳は今も机の上に本を広げながら、その内容をノートに清書する。
以前、雛子と一緒に図書館を訪れたときに借りたものであり、この世界の歴史について記されたものだ。
フェアリーキングダムに帰り、将来王女となった時、故郷をより良き国にするためにも、自分の世界よりも遥かに優れた文明を持つこの世界で出来る限りの知識を吸収したい。
その熱意が千歳を動かし、朝食を食べてから今までずっと机にしがみついていたのだ。
「千歳、入るわよ。」
ドアをノックする音が聞こえたので返事をすると、エプロン姿のリン子が姿を見せる。
「勉強に集中するのはいいけど、息抜きも大事よ?
そろそろお昼ができるから、キリの良いところでやめなさい。」
「わかったわ。」
内心、どちらに息抜きが大事なのかと思いながら、千歳は椅子に座りながらうんっと背伸びをする。
時間を忘れるほど熱中していたため、午前中はずっと座りっぱなしだ。
今になって身体の凝りに気づき、椅子から立ち上がって少しストレッチをしてからリビングを訪れる。
すると出来立て料理の香しい匂いが鼻をくすぐり、空腹を思い出させてくれた。
勉強に熱を入れるあまり身体の凝りと空腹を忘れてしまうなんて、リン子のことは言えないなと自嘲気味に微笑しながら、千歳は食器の準備を手伝う。
「「いただきます。」」
2人で頂きますを合唱し、昼食を食べる。
白いご飯に味噌汁、大根おろしを添えた焼き魚、山菜の胡麻和えと野菜の煮物。
この世界に来てから慣れ親しんだ和食だが、いつ見ても色合いが良く、質素ながら味わい深い。
「美味しい・・・。」
自然と零れた千歳の感想に、リン子は微笑みながら味噌汁を吸う。
「勉強の方はどう?」
「とても楽しいわ。
私たちの世界よりも文明が進んでる分、この世界の歴史から学べるものはとても多いの。」
リン子の問いかけに、千歳は心から楽し気に答える。
特に興味を引いたのは、初めて機械文明が取り入れられた時代、19世紀のヨーロッパで起きた『産業革命』だ。
現代において機械の利便性を・・・使いこなせているかは置いといて身をもって体験した千歳は、将来的にはフェアリーキングダムにも機械文明を取り入れたいと思っている。
だからこそ、この時代について重点的に学んでいきたい・・・とここで千歳の脳裏に1つの疑問が過る。
「千歳?」
突然箸を止めて物思いに耽り始めた千歳に、リン子が心配そうに声をかけると、千歳は少しだけ声を震わせて答える。
「ねえ、リン子。私たち、いつまでこの世界にいられるんだろう?」
元々自分たちがこの世界に来たのは、故郷を失いダークネスの手から逃れるためだった。
だが故郷が救われた今となっては、その気になればいつでも帰ることが出来るが、それでもこの世界に今留まっているのは、未だにこの世界に巣食うダークネスの脅威が続いているからに過ぎない。
「ダークネスを倒したら、私たち、フェアリーキングダムに帰らなきゃならないんだよね?」
故郷に帰りたくないわけでは勿論ない。
そもそも自分の将来の夢はフェアリーキングダムの王女として、故郷をより良い国へと発展させることだ。
それにプリキュアの力があればこの世界と故郷を自由に行き来することだって出来る。
仮に戦いが終わって帰ることになったとしても、それは決して今生の別れではないのだ。
それでも千歳がこの世界に留まりたいと思うのは2つの理由がある。
1つは大切な友達と過ごす時間を手放したくないから。
蛍、要、雛子、そしてリリン。未来と優花を始め学校の友達。
みんなと一緒に過ごせる時間は、千歳にとって一生の宝物だ。
だけどフェアリーキングダムに帰れば自分は王族。
今のように気軽に会いに行くことは出来なくなるだろう。
かけがえのない友達たちと過ごせる時間を手放すことを、千歳は惜しんでいる。
そしてもう1つの理由が・・・。
「私はまだ、この世界で学べるものはとても多いと思うの。
だから・・・。」
自分の夢のためにも、この世界で学べる限りのことを学びたい。
だからこの世界に残りたい。千歳はそう言いかけて口を閉ざす。
それを言ってしまうと、姫としての矜持を失ってしまうような気がしたから。
「・・・ふふっ、千歳もみんなと一緒ね。」
するとリン子は、そんな千歳を責めることなく、微笑ましそうに笑った。
「え?」
「今、みんな将来について悩んで、努力している時期じゃない。
あなたも自分の将来について何をすべきか悩んでいる。
何も気にすることじゃないわ。」
異世界の行き来と言うことでスケールを大きく捉えがちだったが、言われてみれば自分の悩みも結局のところ将来についての展望だ。
その意味では、要や雛子とも大きくは変わらない悩みである。
「ねえ、千歳。
それなら他の子たちがやっているのと同じような事をしてみたらどう?」
「同じような事?」
意味ありげな言葉に千歳が首を傾げると、リン子は少しだけ悪戯っぽく笑いながら答えた。
「将来のことについて、ご両親に話してみなさいよ。」
・・・
車で夢ノ宮市を離れてからしばらく経った後、蛍にとって見慣れた、でも懐かしい景色が見えてきた。
窓の外には水田が広がり、その後方には山々がそびえ立ち、そんな景色の中に住宅が点々としている。
有体に言えばよくある田舎の風景だが、ここが蛍の生まれ故郷。
窓一面に広がる長閑な景色を見ていると、自然と帰ってきたと言う気持ちになる。
やがて一軒の大きな家が見えて来て、健治はそこの車庫に車を止め、蛍は逸る気持ちを抑えながら、玄関へとぱたぱた駆ける。
夢ノ宮市の家と比べても大きく、庭や畑も含めれば更に土地面積が広いが、この辺りの家々は大体こんな感じである。
「ただいま~。」
玄関の施錠を確認するまでもなく、鍵のかかっていないドアを開ける。
今年の春まで住んでいた、蛍の実家。
ここでたった1人住んでいる、蛍の大好きな人。
間もなくして、その女性が姿を見せた。
年齢は60代、和服姿に割烹着と古風ながら上品な佇まいを感じさせるこの人こそ
「蛍ちゃん、おかえり。」
「おばーちゃん!ひさしぶり!」
蛍の祖母である、一之瀬 舞子(いちのせ まいこ)である。
久しぶりの祖母との再会に、蛍は勢いよく舞子に抱きつく。
引っ越しからまだ半年も経っていないが、それでもずっと一緒に暮らしていた祖母と離れて暮らす時間は、蛍にとっては長く感じられたのだ。
「その子が、話に聞いてたリリンちゃんね。」
「うん!
リリンちゃん、この人がわたしのおばーちゃんだよ。」
「えと・・・リリンです。初めまして、おばーちゃん。」
「初めましてリリンちゃん。蛍ちゃんの祖母の舞子よ。」
ぎこちない様子で挨拶をするリリンに、舞子は優しく微笑む。
「ふふっ、蛍ちゃんから話には聞いてたけど、可愛い子ね。」
「えと・・・。」
「お母さん、ただいま。」
「お義母さん、ご無沙汰です。」
リリンが少し困惑した表情で首を傾げていると、車庫入れを終えた健治と陽子が姿を見せた。
「お帰り、陽子。健治さんもお帰りなさい。
ささっ、立ち話もなんですし、上がっちゃいなさいな。
もう直にお昼もできるところだし。」
「わあっ!おばーちゃんのごはん!」
舞子の言葉に蛍は歓喜の声をあげる。
「おばーちゃんのご飯って、そんなに美味しいの?」
「うん!わたしのつくるごはんよりもずっとずっとおいしいよ!!」
「ほたるのよりも、美味しい・・・?」
「おばーちゃん!おてつだいするね!」
小首を傾げるリリンを余所に、蛍はドタバタとせわしなく台所に向かおうとする。
「まってほたる、あたしもおてつだいするから。」
「こら、蛍。家の中を走らないの。」
「蛍ちゃん、そんなに慌てなくてもご飯は逃げないわよ。」
ご飯が待ち切れないと言わんばかりの蛍の様子に、舞子と陽子は苦笑する。
向かう途中、蛍の鞄でぬいぐるみのフリをしているチェリーも、蛍の様子に思わず喉を唸らせるのだった。
・・・
蛍とリリンが手伝い、すぐに昼食の準備を終えると、早くも香しいご飯の香りが食卓に漂い始めた。
「・・・いいにおい。」
炊き立てのご飯特有の澄んだ香りにリリンは自然と笑みを零し、全員でいただきますを合唱する。
そしてご飯を一口食べると、リリンがさっそく目の色を変えたのだ。
「ごはんが美味しい!」
「あらあら、白米の違いがわかるなんて、リリンちゃんも味覚がいいのね。」
舞子が嬉しそうにそう言うと、リリンは殊更高いテンションで跳ね上がるように話し出す。
「だってこんなにふんわりしてて!甘くて!」
「やっぱり、ここでたべるごはんがいちばんだね!」
蛍も満面の笑みで箸を進める。
舞子の得意とする和を中心とした献立は、質素ながらも非常に味わい深く美味しいもの。
家の畑で採れた新鮮な野菜と、一之瀬家が保有する田んぼで収穫した米。
そして夢ノ宮市よりも澄んだ水道水。
料理が美味しくなる要素をこれだけ備え、そこに料理上手の舞子の腕が備われば、もうこれ以上はないと思えるほどの美味しい食卓の出来上がりである。
「どうして家で食べてるのよりもごはんが美味しいの?」
リリンがほっぺたに米粒を付けたまま、蛍に質問する。
「つかってるお米はおなじなんだけど、こっちの方が水が澄んでてキレイなの。
水がちがうだけで、ごはんの美味しさって変わってくるんだ。」
蛍がリリンのほっぺたについたご飯を取りながら、それに答える。
「どうして?」
「えっとね、こっちの水道水の方が、お水の硬度って言って・・・。」
水とご飯の相性による味の違いについての講義が突然始まる中、舞子がふと嬉しそうに微笑みながら、蛍に話しかける。
「蛍ちゃん、前よりも明るくなったわね。」
「えっ?」
「向こうの生活は楽しい?」
「うん!ともだちがいっぱいできて!がっこうもたのしいよ!」
「ふふっ、そっか。」
満面の笑顔で答える蛍に、舞子は安堵の様子を見せる。
そんな祖母の様子に蛍が首を傾げていると、陽子が続いて話す。
「おばあちゃん、ずっと心配していたのよ?
蛍が引っ越しするのをずっと嫌がっていたから。」
その言葉を聞いた蛍は一転、表情に影を落としながら引っ越し当日の出来事を思い出す。
祖母はこの土地に畑も田も持っている以上、誰かが手入れをしなければならないからと、この家に残ると言ったのだ。
だけどその言葉は、ただでさえ新しい自分に変わろうとした決心を折られ、住み慣れた土地を離れてしまうことへの不安が重なる蛍にとってまさに絶望的なものであり、、あの時の自分は自暴自棄に近い状態になりかけていたのだ。
祖母と離れて暮らすのが嫌で、ついてきてほしいと袖を引っ張って泣き、最後には引っ越し寸前までずっと部屋に引き籠ってしまった。
思えば祖母とこうして普通に会話するのも、引っ越しのことを告げられる前以来である。
「あのときはごめんなさい。いっぱいメーワクかけちゃって・・・。」
蛍は目に涙を浮かべながら、あの時のことを謝罪する。
「いいのよ。今の蛍ちゃんがとっても幸せそうで良かった。」
それでも舞子は優しく、温かい声でそう言ってくれた。
子どもの頃からずっと好きだったその声に励まされた蛍は、ほんのりを頬を赤くして照れくさそうにはにかむ。
「・・・えへへ。」
そんな蛍を見て、健治と陽子も自然と笑みを零す。
半年ぶりに集まる一之瀬家の団欒は、穏やかで安らぎの一時を過ぎていく。
そんな蛍たちを横で見ながら、リリンはご飯の味を精一杯堪能しながら、ぬいぐるみのフリをするチェリーにご飯をあげるのだった。
・・・
昼食を終えたリリンは、蛍と一緒に家の庭が見渡せる縁側に腰をかけていた。
全開にされた障子の襖から、心地よい風が家の中を吹き抜けていく。
「涼しい・・・エアコンも扇風機もつけてないのに。」
蛍の実家は庭も含めた敷地面積が広く、隣の家まで距離がある。
そのおかげで風通しが良く、風鈴の心地よい音色も相まって夏場でもエアコンいらずである。
「この鐘の音・・・聞いてると涼しく感じるね。」
「ふしぎだよね。どうしてすずしく感じるのかな?」
聴覚から触覚に伝わる共感覚のことを知らない2人は、風鈴の音を聞きながら並んで首を傾げる。
「帰ったら、ひなこに聞いてみよっか?」
「そうだね。」
そんな会話をひとしきり終え、リリンはぼんやりと外の景色を見渡す。
緑が生い茂る庭の隣には、旬な夏の野菜が実った畑が並び、その上を蜻蛉が飛び回っている。
夢ノ宮市の商店街とも、海水浴場とも違う。
人の活気だった空気にはない、静かで長閑な空間。
何もない、その意味ではダークネスの世界とそう変わらないかもしれない。でも・・・。
「なんだか・・・おちつくね。」
こんな感情は、ダークネスにいた頃にはなかった。
何もないのに、あるいはそれ故に不思議と安らぎの気持ちがリリンの心を包み込んでいく。
こんな世界もあるんだなと、リリンはまた新しい世界の一端に触れる。
「2人とも、西瓜どう?」
そんな時間を過ごしている中、舞子が西瓜を持ってきた。
「わっ・・・おっきい・・・。」
スーパーで一口サイズの大きさに切られた西瓜しか見たことのないリリンは、大きく半円に切られた西瓜を見て驚く。
「今朝、うちの畑で取れたばかりの新鮮よ。」
採れたての新鮮ってことは、これもいつも食べている西瓜とは比べものにならないほど美味しいのだろうか?
リリンは早速喉を唸らせるが、ふと気が付く。
「あれ?つまようじとフォークは?」
普段、つまようじかフォークに刺して食べていたものだから、リリンは食べ方が分からずに困惑する。
「リリンちゃん、こうやって食べるんだよ。」
すると蛍が小さな口を目いっぱい開けて、まるで要のように豪快に西瓜に齧り付いた。
蛍に倣い、リリンも輪切りの西瓜を両手で持ち、赤い果肉に齧り付く。
「とっても甘くておいしい!」
想像以上の甘さとみずみずしさに、リリンは今日何度目かもわからない感嘆とした声を上げる。
「はいリリンちゃん、お塩をかけるともっとおいしいよ。」
「え?甘いものにしょっぱいものをかけるの?」
「うん、試してごらん。」
再び蛍に倣い、リリンは西瓜に塩を少しだけふりかけ、食べてみる。
「ホントだ!最初しょっぱいかと思ったけど甘い!」
「塩気は甘みをひきたてる効果もあるの。
リリンちゃんも、おせんべいとか食べた後、あまいものを飲みたくなる時ってない?」
「言われてみれば・・・そうだね。」
自分で意識していなかったことも、蛍から教えられることで身に付けていく。
本当に、この世界に住むようになってから、リリンは毎日が新鮮で刺激的なことばかりだった。
「あら?蛍ちゃん。今日は種飛ばししないのね?」
そして今、舞子の何気ない一言から、リリンは新しい遊びを覚えていく。
「えっ・・・?えと・・・。
ちゅーがくせいにもなってそれはちょっとはしたないかなって・・・。」
「ほたる、種飛ばしってなに?」
興味津々な目で見てくるリリンに、蛍は諦めたように苦笑する。
「えっとね・・・こうやるの。」
少し恥ずかし気に頬を赤くしながら、蛍は西瓜に齧り付き、やや置いてから種を吹いて吐く。
「え~と・・・はむ・・・ぺっぺっ。こう?」
「そうそう!
むかしはよくそれで、おかーさんとどっちが遠くまで飛ばせるか競争したんだ。
そうだリリンちゃん。どっちが遠くまで種とばせるかしょうぶしよ!」
「いいよ、おもしろそう!」
蛍とリリンは西瓜を堪能しながら、互いに種飛ばしで競い合う。
そんな光景を舞子は、昔を懐かしむかのように見守る。
「リリンちゃん・・・つよい・・・。」
「えへへ、コツさえつかめば、意外と簡単だね。」
そんな2人の勝負は後半、リリンの圧勝で終わる。
「あっ、そうだリリンちゃん。
今日の夜、つれてきたいところがあるんだけど。」
すると蛍が何か思い出したかのように、話題を変えてきたのだ。
その言葉にリリンはふと疑問に思う。
このように本題を隠すような言い方は蛍らしくないし、何よりも夜に出歩くなんて怖がりの蛍が言うセリフではない。
「つれてきたいところって、どこ?」
そんな至極当然の疑問を口にしてみるが、蛍は秘密、と言わんばかりに口元に指を当て
「わたしのとっても大切な場所。」
と、だけ一言言うのだった。
・・・
その日の夜。
リリンは蛍につられるまま、近くにある川のほとりを訪れていた。
家までの距離はそう遠くなく、よく見ると陽子と健治がこちらを見守っている。
蛍が夜に外に出られたのもこれが理由だろう。
1つ目の理由に納得出来たリリンは、2つ目の疑問を口にする。
「ほたる、ここに何があるの?」
「見たところ、普通の川っぽいけど。」
家で見守る両親に声が届くほどの距離ではないため、チェリーも普通に会話に加わる。
すると蛍は静かに微笑みながら、川辺を指さした。
リリンとチェリーはそれにつられて視線を追ってみると、そこには点々とした小さく光りが幾つも飛び交っていた。
「キレイ・・・でもなんの光?」
月明かりを頼りにリリンが周囲を見渡しても、電線1つ見つからない。
光源の正体を知らないリリンが疑問に思っていると、蛍が水滴を垂らした草を光に向かって差し出した。
すると光が草の上に止まり、蛍はそっとその光の正体をリリンに見せる。
「・・・虫?光る虫なの?」
「このむしはね、蛍って言うの。」
「蛍・・・?ほたると同じ名前?」
「うん、わたしのなまえ。」
蛍と同じ名前の虫が住む場所。そしてここは蛍の大切な場所だと言う。
その意味を考える前に、蛍が話を続けてくれた。
「おかーさんがね、つらいことや、かなしいことがあったとき、よくここに来てたって言ってたんだ。
こんなにちっちゃいのに、がんばって小さなひかりを出してるのをみてると、自分もがんばらなきゃって、思うようになるって。
だからおかーさん、ずっと蛍のひかりをみて、元気をもらってたの。」
すると蛍は一息つき、草の先に留まる蛍を見ながら静かに微笑む。
「それでね、わたしが産まれるとき、おかーさん、すごく苦しくて、辛かったって言ってた。」
でもそのときにね、ここにいる蛍の光を思い出して、がんばったんだって。」
リリンも少しだけ聞いたことがある。
人間の母が子を産むときは、半身を引き裂かれるほどの激痛が走るそうだ。
当然ながら、そう聞かされてもリリンにはおよそ想像できない。
それでも陽子が蛍を出産するとき、耐えがたい痛みに苛まれたことくらいは分かる。
「わたしは、その勇気のおかげで生まれた。
だからわたしは、この子たちから名前をもらったの。
おかーさんを勇気づけてくれた蛍の光のように、ほんの少しの輝きだけで、勇気を与えるような人になりますようにって。」
初めて聞く、蛍の名前の由来。
蛍の親である陽子から、こうあって欲しいと願い付けられた名前。
「そんな意味があったのね・・・。素敵な名前だね、蛍。」
「えへへ、ありがとチェリーちゃん。」
チェリーの言葉に蛍は頬を赤くする。
そしてリリンは、これまでの蛍との出会いを思い出す。
自分の知る限りで、蛍は母から託された思いを体現している。
彼女の儚くも大きな光に、こうして救われたのだから。
「・・・今日、ここにきてよかった。」
リリンは自然と、そんな言葉を口にする。
「ほんとうに?」
「うん。ほたるのこと、もっといっぱい知ることが出来たから」
「素敵なおばあさんを知ることも出来たし、ご飯もとても美味しかったしね。」
「うん!また、ここに来たいな・・・。」
リリンとチェリーは互いに頷きあいながら、川に舞う蛍の光を見つめる。
蛍の生まれ故郷、蛍の大切な人、そして蛍の名前。
きっとその全てが蛍の軌跡として、今の蛍を作り上げてきたのだろう。
蛍の原点となる場所を、2人は知ることが出来たのだ。
「・・・ふふっ、そっか。」
蛍は少し照れくさそうに笑いながら、再び川の方へと視線を戻す。
点々と灯される小さな光を見ながら、蛍とリリン、そしてチェリーは、これまでの戦いを忘れる程の穏やかな気持ちに浸るのだった。
・・・
「もうすぐなつまつりだよリリンちゃん!
みんなで浴衣きて、屋台をまわって!あとそれから、それから、花火をみて!」
「屋台には美味しいものもたくさん売ってるって聞いたよ。
綿あめにチョコバナナに、リンゴ飴!早くたべたいな~。」
「と言うことだから要。」
「2人の期待を裏切ったら許さないからね。」
「え~・・・。」
「「?」」
次回!ホープライトプリキュア第28話!
「宿題が終わらない!?要、地獄のお泊まり会!」
希望を胸に、がんばれ!わたし!