ホープライトプリキュア   作:SnowWind

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第26話・Aパート

夏だ海だ!カメラマン雛子の大暴走!

 

 

 

 少し遡り、この世界で暮らすことになったリリンの生活品を買うために、蛍たちがドリームプラザへ訪れた日のこと。

 ダークネスの尖兵ソルダークが、ダークシャインの残滓を宿したディスペアー・カードの力によって、ネオ・ソルダークへと進化を果たした。

 新たな兵力を得たダークネスを前に、リリンを加え5人となったホープライトプリキュアは激闘の末これを退ける。

 その後、昼食を終えた一同は、蛍が語ったマシンガン夢想の1つ、夏休みはみんなと海に出かけるを叶えるために、各々水着を新調することにした。

 

「わあ~、かわいい水着がいっぱい!!」

 

 衣料店のコーナーを訪れた蛍は、店に飾られた色鮮やかな水着の数々に目を光らせる。

 幼子用から大人用まで幅広く品が揃えられており、大勢の客で賑わっている。

 

「こんなに沢山あるなんて・・・。どこから見て行けばいいのかしら?」

 

 選り取り見取りな水着を前に、千歳が困惑した様子で尋ねる。

 

「千歳ちゃんは故郷で海に行ったことはあるの?」

 

 そんな千歳に雛子が質問を投げる。

 

「小さい頃、お父様につられて漁村の下見に行った時以来ね。

 私の住んでいた城下街は海から離れていたし、それにあの時だって海で泳いだわけじゃないのよ。」

 

 千歳が言うには父と漁村の人から、海は危ないから近寄らないようにと言われていたようだ。

 その事を思い出した千歳は口を尖らせていたが、後から聞いた話によれば、彼女の故郷であるフェアリーキングダムでは、まだ海を遊泳場として活用しておらず、夏の季節に避暑目的で開放される際も海産業を生業としている地元の漁師たち、要するに海に泳ぎ慣れている人たちしか利用していないらしい。

 それを聞けば、納得のいく話である。

 この世界でだって全ての海で泳げるわけではない。

 レジャー産業に携わる人たちが海域に応じた遊泳可能区域を厳格に設定しており、ライフセイバーを始めとする人々が常に監視を怠らないからこそ安全が保障されているのだ。

 海は危険なところ、と言う認識はこの世界でも同じであり、それでも海水浴場が老若男女問わず利用出来るのは、そう言った人々の努力の賜物なのである。

 話を戻すと、千歳にとっても海で泳ぐと言うのは初めての経験のようだ。

 となれば当然、水着を着用したこともないので、彼女は今どんな水着を購入すればいいのか悩んでいる。

 

「千歳ちゃん、こっちなら千歳ちゃんのサイズに合うものがあるわ。」

 

「ありがとう、雛子。」

 

 そんな千歳に雛子がアドバイスを交えて案内をする。

 

「せっかくの水着なんだし、うんと大胆なものを着て見れば?」

 

「え?でも・・・。」

 

 リン子も交えた2人からのアドバイスをもらいながら、千歳は水着を吟味する。

 そんな彼女の様子を見て、蛍も改めて水着選びを続ける。

 自分が買う分についても当然悩むが、今回はもう1つ悩みがあるのだ。

 

(リリンちゃん、どんなのが似合うかな・・・?)

 

 リリンと一緒に暮らすようになったのがつい昨日のことだから、当然夏休みの計画を立てたときには彼女は頭数に入っていない。

 そしてリリンもまたこの世界の出身でない以上、海水浴は初めてだろう。

 となれば彼女もまた、水着を着用したことがないのだから、今雛子が千歳にそうしてあげているように、彼女の分の水着も選んであげるのが良いだろう。

 だが人の着るものを選ぶと言うのは、どうしてか緊張するものだ。

 もし似合わなかったらどうしよう?気に入られなかったらどうしようと、つい不安になってしまい、水着を取る手も慎重になってしまう。

 

「良かったら、蛍ちゃんとリリンちゃんの分の水着も、私が選んであげよっか?」

 

 こちらの不安を察したのか、雛子が振り返り優しく声をかけてくれた。

 

「えっ?いいの?」

 

 雛子からの提案に蛍は顔を明るくする。

 本音を言えば、リリンの分は自分で選んであげたかったが、そんな我儘でリリンの初めての海を台無しにしたくはない。

 オシャレ好きな雛子に選んでもらう方が賢明である。

 それに以前、雛子と一緒に洋服を買いにいった時、最後まで彼女に付き合ってあげられなかったことを、実は少しだけ気にしていた。

 だから今回は、彼女に全て委ねよう・・・そう思った時、雛子のメガネの内側に隠れた彼女の瞳がギラリと輝いたような気がした。

 その瞬間、蛍はあのときの出来事を隅々まで思い出して戦慄する。

 

「あっあの、ひなこちゃん。」

 

「なに?」

 

「こんかいは、候補は3着くらいまででいいからね?」

 

「え~・・・。」

 

 雛子が不服そうに頬を膨らますが、案の定、今回も店の隅々まで水着を探すつもりだったようだ。自分だけならまだしも、リリンを雛子の趣味に巻き込むのは何と言うか、色んな意味で刺激が強い。

 

「仕方ないわね、わかったわ。」

 

 だがすぐさま、雛子がいつもの優しい笑顔で了承してくれたので、蛍はホッと胸を撫で下ろすのだった。

 

 

 

 

 …

 

 

 

 

 リリンは雛子に案内されながら、店に並べられた水着に目を通していく。

 

「これなんかいいんじゃないかしら?」

 

「そうなの?」

 

「それとも・・・こっちの方が似合うかな?」

 

「どうだろ?」

 

 雛子が次々と水着を手に渡してくれるが、まだリリンには『似合う』や『可愛い』と言った、五感で感じることのできない概念が理解できていない。

 雛子の薦める水着に目を通しても、その良し悪しなんてわからず、聞き返すしかなかったのだ。

 

「そもそも、どうして水着を着なくちゃいけないいの?」

 

「え?」

 

 ここでリリンは水着の必要性についてみんなに問いかけてみる。

 海に入るために着るもの、と漠然と理解しているが、これだけ形も色も異なる中から真剣に選んでいるみんなを見ていると、なぜそうまでして買わなければならないのかがわからないのだ。

 ダークネスにいた頃も多少の一般常識は学んでおいたので『TPO』、つまり時と場合と場所に応じた格好と言う考えがあることはわかるが、普段着と比べて水着は肌の露出が多く、ものによっては下着姿と大して変わらないものまで存在する。

 リリン自身はまだ羞恥と言う感情に疎いが、そのような格好が破廉恥なものとして一般的には恥ずべきものだと言う知識はある。

 それならいっそ、今着ている服のままの方がよっぽど健全なのでは?と言う疑問が絶えない。

 別に今の格好でも海に入ることくらいはわけないだろう。

 

「えっと・・・。」

 

「それはだな・・・。」

 

 この質問に対して蛍と要は言い淀む。

 ここに来たとき、ショッピングモールと商店街の違いを問いかけたときと全く同じ反応だ。

 つまり2人からすれば、今の問いはこの世界で普通に生活していれば、特別意識することもない常識なのだろう。

 それがわからないのは少し歯がゆいものだが、かと言ってわからないのも仕方のないこと。

 そしてわからないのであれば積極的に学んでいかなければ、この先も常識の範疇に収まることを知らないままにしてしまう。

 だからリリンはこうして、些細なことでも積極的に聞くことにしている。

 自分の中で常識が身に付き、この世界で『当たり前』を知ることができるように。

 

「水着を着る理由は2つあるわ。

 1つは水の中で泳ぐのに適した格好だからよ。

 普通の服のままだと、服が水分を吸収して重くなってしまったり、ヒラヒラして水の抵抗を受けてしまうから思うように動けないのよ。

 だから水着は水を吸収せずに弾く素材で作られていて、表面積も極力減らしてあるの。」

 

 あの時と同じように、雛子が質問に答えてくれた。

 

「もうひとつは?」

 

「単純に、オシャレのためよ。

 オシャレにはね、その場所に適したオシャレって言うのがあって、海の場合、水着がそれに該当するの。」

 

「ふうん・・・機能面で推奨されているのかと思ったけど、個人の嗜好を表現することもできるんだ・・・。

 なんだかおもしろいね。」

 

 かつての自分なら機能要件さえ満たしていれば、その他は意味がないと切り捨てていただろう。

 だけど今は、機能と趣味を両立させると言うのも、人の面白い価値観だと思うことができる。

 きっとこれも心を得たから。そしてみんなと一緒にいられるようになったから訪れた変化だ。

 心に訪れる劇的な変化に戸惑いながらも、リリンは今の自分を好意的に受け入れていく。

 

「そっ、ハマり出すと面白いわよ。

 まあ今回は初めての水着なわけだし、無難に似合うものを・・・」

 

「リリンやったらこっちの方が似合うんじゃないの?」

 

 すると雛子の話に割り込み、要が声をかけてきた。

 要の手にした水着は明るい色合いを強調しており、先ほどまで雛子が薦めてきた水着にはない色である。

 

「ダメよ。

 リリンちゃんの容姿と雰囲気には、こっちの色の方が合ってるんだから。」

 

 すると雛子が要とは対照的に、寒色系の水着を薦めてくる。

 

「そんなん着て見なきゃわからんやろ?

 明るい色のもの着させたら新しい可愛さが見つかるかもしれんよ。」

 

「リリンちゃんにとっては初めての水着だから、最初からそんな冒険しなくていいの。」

 

「冒険とはなんや。リリンには絶対こっちの方が似合うって。」

 

 言い争う2人を見て分かったが、『可愛い』や『似合う』と言った感性は、人によって大きく変わるようだ。

 それも雛子と要の薦めてくる水着が真逆なものであることから、極端に覆ることも珍しくないのだろう。

 

「こら、2人とも。リリンが困っているわよ。」

 

 水着両手に言い争う2人を見かねた千歳が割って入る。

 

「っと、ごめんごめんリリン。ついヒートアップしちゃって。」

 

「ごめんなさいね。すぐにリリンちゃんの選んであげるから。」

 

「うっ、うん、ありがとう。」

 

 落ち着きを取り戻した2人は水着選びを再開してくれたが、リリンとしては複雑な心境だ。

『可愛い』と言うのは人によって受け取り方が変わるようだから模範的な回答がない、

 人によって白くも黒くもなるという極めて厄介な感覚だった。

 それ自体は面白くもあり興味深い感性なので、時間さえあればじっくりと話を聞いてみたいところだが、この場で水着を即決することはできない・・・と思いかけたその時。

 

「あれ?」

 

 ふと、1つの水着が目に留まった。

 その水着を見ている内に、リリンの内に何かが高鳴るような感覚が走る。

 初めての感覚の正体もわからぬまま、リリンはその水着に手を伸ばしていた。

 

「リリンちゃん?」

 

 蛍が不思議そうに尋ねる傍ら、リリンはその水着を手に取って凝視する。

 

「・・・これがいい。」

 

 そして自然とそんな言葉を口にしていた。

 

「リリンちゃん・・・。」

 

 そんなリリンを蛍がどこか嬉しそうに見つめる。

 

「うん、可愛いじゃない。リリンちゃんにピッタリだと思うわ。」

 

 雛子が水着を絶賛してくれたが、リリンはその言葉を聞いてハッとする。

 

「・・・可愛い?」

 

「ええ、リリンちゃんも、可愛いと思ったからそれを選んだのよ。きっと。」

 

 そう優しく語る雛子の言葉を反芻しながら、リリンは先ほど内に宿った感情と向き合う。

 確かにこの水着を手に取った時、どこか不思議と愛しく思う気持ちが駆け巡った。

 これが、可愛いと思う気持ちなのだろうか?

 

「・・・そっか。」

 

 まだ、その答えは分からない。

 でもいつか、可愛いを自然と表現できるようになりたい。

 今日抱いた感情を忘れないようにと、リリンは心に刻みながら手にした水着を眺めるのだった。

 

 

 

 

 …

 

 

 

 

 この中で唯一の男性であるベルは、正直に言って退屈していた。

 女性の水着姿に鼻の下を伸ばすような軟派な輩であれば今の状況も楽しめるだろうが、生憎と自分は要曰く『堅物』、サクラ曰く『朴念仁』等々・・・悪口しか言われてないような気がするがともかくそんな趣向は持ち合わせておらず、そもそも歳の離れた女子中学生が相手では、子供の水着選びに付き合わされているようなものである。

 だからと言って、ここで1人別行動を取っても空気が読めないと思われるだろうし、何より要が許さないだろう。

 水着を買いに来た女性の集団の中1人だけ男性、と言う立場から周囲の目が若干気になったが、幸いにも保護者と思われているからか、道行く人から白い目で見られることはない。

 とは言え、買い物を楽しむ要たちと退屈している自分との間に感じる微妙な温度差のせいか、少し居心地が悪いものである。

 

「ベル、ちょっといい?」

 

 すると要がこちらを手招きしてきた。

 何の用だろうと思いながら来てみると、要は両手を後ろに隠し顔を俯かせてこちらの表情を上目遣いに伺っている。

 そんな普段の要が全く見せないような、照れ隠しをしている様子を見てベルは要が呼んだ理由を察し・・・

 

「えっと、これとこれ、どっちがウチに似合うと思う?」

 

 両手にそれぞれ異なる水着を持ち、少しはにかみながら聞いてくる要を見て

 

(はあ~・・・やっぱり・・・。)

 

 内心、深~いため息を吐いた。

 要と一緒にこの場を訪れた時点でベルは心のどこかで今の状況を予期しており、そして予想通りの質問が飛んできたのだ。

 女性が着るものを男性に問いかけると言うのは、異性に対してより良く見せたいがために参考にするためだ。

 そしてそんなことを聞ける異性と言うのは、親族かよほど親しい間柄の人である。

 つまりこの質問を受けた時点で自分は要にとってそれだけ近しい相手であることが証明されており、それはパートナーとても喜ばしいことだ。

 だが同時に、男性側としては非常に厄介な質問である。

 女性と男性では感性がまるで違う。

 男性が可愛いと思ったものを女性も好ましく思うとは限らず、かと言って女性の感性を男性が理解すると言うのも難しい話である。

 そもそもベル自身はファッションに対してそれほどの拘りはなく、服は何でも良いと思うタイプだ。

 だが要は違う。普段の服装からオシャレとは無縁と思われるが、その内には自分を良く見せたいと思う拘りがあるのを知っている。

 彼女が明るい色を好んでいるのも、自分自身に似合うものと思っているからであり、オシャレに無頓着と言うわけではないのだ。

 だからこそベルが選んで良いとは思えないし、そもそも選べるとも思っていない。

 

「えっと・・・要ならどっちも似合うと思うよ。」

 

 結局ベルは悩んだ挙句、こんな薬にも毒にもならない答えでお茶を濁す以外できず

 

「・・・。」

 

 要からじっとりした目で睨まれ

 

「ベル・・・あなたねえ・・・。」

 

 サクラが呆れた視線を向けてこちらを非難し

 

「は~ベル~・・・いくらなんでもそれはないよ~。」

 

 レミンにすら大きなため息を吐かれた。

 とは言え、この場を無難に凌ぐにはこの答えしか思いつかなかったのだ。

 だがそんな答えで要が納得するはずもなく、膨れっ面を浮かべながら視線のみで抗議する。

 そんな要の目を見ていられず、ベルはバツの悪そうに視線を反らした。

 

「要なら、こっちの方が似合うんじゃない?」

 

 そんな中、千歳が要が右手に持つ水着を指してそう答えた。

 彼女からの助け舟に感謝・・・と思いきや、千歳はサクラと全く同じ視線をこちらに向けてきた。

 

「せやね、これにする。ありがと千歳。」

 

「どういたしまして。」

 

 軽く言葉を交わした後、要は水着を手にレジへと向かう。

 

「・・・ベルが選んだの着て海に行きたかったな・・・。」

 

 去り際に要がぼそりと何かを呟いたが、こちらには聞こえない。

 代わりに彼女の手前にいるサクラと千歳には聞こえたようで、2人は一斉にこちらを睨み付ける。

 

「・・・わっ、悪かったよ。」

 

「これだからヘタレって言われるのよ。」

 

 サクラの非難に大きなお世話だ、と思うが、間髪入れずに千歳が続く。

 

「ベル、あなたもう少し女性の扱い方について学びなさい。」

 

「うぐ・・・申し訳ありません・・・。」

 

 流石に千歳からも注意を受けてしまっては猛省するしかない。

 その後ベルは、要との間に生じた微妙な空気を一日中受ける羽目になり、心の中でため息と謝罪を繰り返すことになるのだった。

 

 

 

 

 …

 

 

 

 

 そして迎えた当日。

 要とベリィ、雛子とレモンは、リン子と千歳が乗るレンタカーに乗せてもらい、一之瀬家を目指していた。

 夢ノ宮港町にある海水浴場へはバスや電車でも向かうことが出来るが、今日は妖精たちを含めた全員分の水着と各々の着替え、浮き輪やビーチボールと言った海で遊ぶ定番アイテムを持参してきているため、リン子がわざわざレンタカーを借りて来てくれたのだ。

 

「でもマイカー持ってないのに運転免許証は持ってるんですね。」

 

 この世界で社会人として、千歳の母親として真っ当に生活しているリン子が無免許運転なんて法律違反するとは思えない。

 機械のない世界から来たリン子が、こうして車の運転をしているのだから教習所へ通ってちゃんと教わってきたのだろう。

 だがマイカーを持っていないのに運転免許証をなぜ必要としたのかが要にはわからなかった。

 

「保険証と運転免許証は、身分証明書としてよく使われるの。

 だから持っておくと何かと便利なのよ。」

 

「なっ、なるほど・・・。」

 

『運転免許証=車の運転に必要なもの』と言う認識しかなかった要は、身分証明書として扱うと言う大人の世界の常識に目を丸くする。

 異世界出身のリン子の方が自分よりも良くものを知っている。

 やはり社会を生きる大人の女性は違うなと要が感嘆としている内に、一之瀬家の前まで辿りついていた。

 要たちが車を降りて呼び鈴を鳴らしに向かおうとすると、車のエンジン音を聞きつけたのか、こちらが呼び鈴を鳴らすよりも前に蛍が玄関から姿を見せる。

 

「みんな~おはよ~!!」

 

 それはそれは元気よく無邪気な笑顔で手を振る蛍に続いて、リリンと、蛍の両親である陽子と健治が姿を見せた。

 この日をどれだけ待ち望んでいたかが一目でわかる蛍のことを微笑ましく思いながらも、要は思った疑問を口にする。

 

「おはよ。蛍、お母さんたちも一緒に来るん?」

 

 蛍の姉ですと紹介されてもまるで違和感がないほどに若々しい陽子のことを『おばさん』と呼ぶのも気が引けたので、お母さんと呼び確認してみると、蛍は静かに首を横に振った。

 

「ひとこと、あいさつしたいって。」

 

「みんな、おはよう。」

 

「おはよう。」

 

「おっ、おはようございます。」

 

 美女美男な陽子と健治が爽やかな笑顔で挨拶をするものだから、要はつい畏まってしまう。

 

「今日はありがとね。この子の我儘を聞いてくれたみたいで。」

 

「いえいえ、私たちもこの日をずっと楽しみにしてましたから。」

 

 そう言いながら姿勢よく会釈する雛子の姿はとても中学生には見えないほど大人びているが、要は彼女が肩にかけている黒い鞄に目を向ける。

 縦長の長方形の形をしたそれは、頑丈な機械でも入っていそうな雰囲気だ。

 ・・・何となくその中身が何であるかを察した要は、先ほど雛子が陽子に見せた大人の態度の影にどれだけの欲望を秘めているのかを悟り、1人心の中でため息を吐く。

 そしてひとしきり挨拶を終えた陽子は、リン子の方へと距離を詰め、深々と頭を下げた。

 

「リン子さん。

 こちら、つまらないものですが、良かったらみんなで頂いてください。」

 

 そう言いながら陽子は手に持つクーラーボックスをリン子に差し出す。

 軽く中身を確認してみると、水分補給用のスポーツドリンクと、西瓜が1つ丸々と入っていた。

 

「あらあら、わざわざありがとうございます。」

 

 言葉こそ敬語だが、陽子とリン子はとても親し気に会話をしている。

 その雰囲気は千歳にも伝わったらしく、千歳は首を少し傾げながらリン子に話しかける。

 

「リン・・・おっ、お母さん!って、蛍のお母様と親しかったの?」

 

 ついいつもの癖で『リン子』と呼ぼうとしたところを大慌てで『お母さん!』と訂正するものだから、要は必死に笑いを堪える。

 そんな要を千歳は顔を赤くしながら睨み付けるが、呼ばれたリン子本人は特に気にした様子もなく答える。

 

「運動会の時にご挨拶して以来、連絡先を交換してもらってね。」

 

 そう言いながらリン子はスマートフォンをヒラヒラと振る。

 恐らく電話番号か、あるいは無料通話アプリのアカウントを交換していたのだろう。

 

「そうだったんだ。」

 

 蛍が少し驚いた様子でそう呟く。

 所謂ママ友、と言うやつなのだろうが娘たちにはその情報は伝わっていなかったようで、千歳も蛍と同じで驚きを隠せない様子でいた。

 

「ええ、リン子さんなら安心して預けられるわ。

 蛍は普段は引っ込み思案なのに、時々危なっかしいことするし、リリンちゃんは真面目だけど時々ボ~ッとするときがあるから、ご迷惑をおかけするかもしれませんけど、今日一日蛍とリリンちゃんのこと、よろしくお願いしますね。」

 

「おっ、おかーさん・・・。」

 

 蛍の臆病なくせして突拍子もなく危ない行動に出るところや、この世界で暮らして間もないリリンが物珍しい目で上の空になることには慣れているので、みんな揃って苦笑する。

 言われた蛍本人は恥ずかしさで真っ赤になった顔を俯かせ、リリンは何を言われているのか分からないと言いたげな様子で首を傾げているが、そんな蛍を一瞥した後、千歳が力強く陽子の前に躍り出る。

 

「お母様!お父様!ご安心ください!!

 蛍のことはこの私が!姫野 千歳が責任を持って預かりますから!!」

 

「え?」

 

 千歳が恥ずかしげもなく大きな声で、聞いてる方が恥ずかしくなるような宣言を堂々としたものだから、蛍の目が点になる。

 あんたの名前を呼んだ覚えはないとか何がお母様お父様だとかリリンのことは無視かよとかツッコミたいことは山ほどあったが、言われた当人である陽子と健治は少し面食らった様子を見せるも、やがて口元に手を押さえて小さく微笑む。

 

「頼もしい言葉じゃないか。」

 

「そうね、蛍、千歳ちゃんのことをお姉さんのように慕ってるし。」

 

「もっ、もお、おかーさん、おとーさん・・・。」

 

 周りからすれば既知、だが蛍からすれば親からの突然のカミングアウトに、蛍は顔を赤くしながら狼狽える。

 一方で千歳はそんな陽子たちの言葉を聞いてどこか誇らしげな笑みを浮かべていた。

 本日2度目の、心の中で大きなため息を吐く要だったが・・・

 

「はい!この私、リトルプリンセスのガーディアン・・・。」

 

「はいはーい!

 そろそろ海へ向かわないと時間が勿体ないからこの辺で!!」

 

 千歳の口から続く言葉を無理やり遮った要は、彼女の背を押し無理やり車に押し込める。

 蛍の両親ならば彼女の風変わりな趣味も受け入れてくれるだろうが、10年後に振り返ったら絶対に恥ずかしさで穴に入りたくなるようなセリフをわざわざこの場で言わせる必要もない。

 

「じゃあ蛍、存分に楽しんでらっしゃい。」

 

「うん!」

 

「リリンちゃん、みんなの言うことを良く聞くんだぞ。」

 

「はい。」

 

 陽子と健治に別れの挨拶をし、一同は海水浴場へ向かうために車に乗り込む。

 

「ぷはあっ。」

 

 車が出てから早速、蛍は鞄の中に入れたチェリーを開放する。

 

「チェリーちゃん、おつかれさま。」

 

「流石に夏場は鞄の中ってのは辛いわね・・・。」

 

「そうだね・・・。すこしどうしようかかんがえないと。」

 

 一方、リン子は助手席に座る千歳に意地悪気な笑みを浮かべる。

 

「ほら?普段から『お母さん』って呼んでいれば、さっきみたいなことにはならなかったのに。」

 

「うっ、うるさいわね。ギリギリセーフだったからいいでしょ?」

 

 千歳は顔を赤くして反論する様子にみんな吹き出し、車の中で笑い声が響き合うのだった。

 

 

 

 

 …

 

 

 

 

 夢ノ宮海水浴場の駐車場まで着き、車を降りた蛍は早速海に向かって大きく深呼吸をする。

 

「ふわ~、潮のにおい!!」

 

 夏の暑さには心地よい風が、潮水の匂いを運んでくる。

 駐車場に降りただけで、海に来た!と思えるのだからここがどれだけ海に面した場所であるかが伺える。

 

「蛍ちゃん、海はあまり来たことないの?」

 

「うん、まえにすんでたのは山の方だから、海ってあんまりきたことがないんだ。」

 

 夏の間に海の幸を食べに行こうと、こことは違う港町を訪れたことはあるが、海に泳ぎに来たことはほとんどない。

 そもそも両親とも運動が苦手な自分を気遣ってか、泳ぎに行こうとはあまり言わなかったのだ。

 蛍自身、今も友達と一緒というシチュエーションでなければ、海に憧れを抱くことはなかっただろう。

 先週、みんなと一緒に水着を探して見て回った時間も、かけがえのない思い出の1つとなっている。

 

「この辺りは海水浴場以外にも、たくさんの観光名所があるからね。」

 

 続いて雛子が、夢ノ宮港町について説明をしてくれた。

 夢ノ宮市の夏を代表する観光名所、夢ノ宮港町は海に面した街一帯が観光名所となっており、広々とした海水浴場の他、取れたて新鮮な海の幸の直売所や、海鮮料理店も沢山並んでいる。

 海の幸、と言うキーワードに蛍は思わず喉と腕を唸らせるが、海水浴に興じる今日は流石に街を見て回るだけの余力は残らないだろうからと、他はまた次の機会でと言うことになった。

 まだ海にすらついていないと言うのに、蛍には早くも次にここに来る楽しみが生まれるのだった。

 

 

 

 

 …

 

 

 

 

 そんなこんなでたどり着いた夢ノ宮海水浴場。

 浜で寛ぐもの、海ではしゃぐもの、海の家で食事を取るものと、既に大勢の客で賑わっている。

 各々水着へと着替え終わり更衣室を出ると、さっそく要の耳に雛子のはしゃぎ声が聞こえてきた。

 

「はう!私の目に狂いはなかった!

 蛍ちゃん、とっても良く似合ってるよ。」

 

「あっ、ありがと・・・。」

 

 雛子が蛍のために購入した水着はピンクを基調としたワンピースタイプで、白の小さなハートマークが水玉模様のようにあしらわれている、なるほど蛍にピッタリなデザインと言える。

 少し子どもっぽくも見えるが、蛍の外見を考えれば違和感がない・・・と言う以前に人見知りの激しい蛍のことだから、お腹を露出させるタイプの水着は躊躇いを覚えるだろうし、蛍自身、趣向が幼い傾向があるから問題ないと、雛子は判断したのだろう。

 デレデレとだらしない表情を見せる雛子には内心、自重しろと思うが、当の蛍が赤くした顔を伏せてモジモジしながらも嬉しそうな様子を見せているので良しとする。

 

「リリンちゃんも、それとっても素敵よ!」

 

「そう?ありがと。」

 

 リリンが自分で選んだ水着は、フリルをあしらった黒のビスチェだ。

 黒の水着と言えば大人びたものを彷彿させるが、フリルの装飾がとても愛らしく小柄なリリンに似合っている。

 そして黒い長髪のリリンとは色合いが統一されており、それが彼女の純白の素肌を強調させている。

 だが褒められたリリンはあっさりとしたお礼を言いながら、自分の着る水着を興味深そうに観察していた。

 蛍とリリン、応答も似合う水着も正反対の2人がどこか面白くて要はつい笑ってしまう。

 

「ひなこちゃんの水着も、とってもステキだよ。」

 

「ふふっ、ありがとう蛍ちゃん。」

 

 蛍は先ほどのお礼と言わんばかりに雛子の水着姿を褒め称える。

 海辺と言うこともあり、今日は珍しくメガネを外してコンタクトレンズを使用している雛子の水着はキャミソールタイプのタンキニであり、腰には膝まで届くパレオを巻いている。

 この中では一番露出度が控えめだが、それには大きな理由があることを要は知っている。

 良い意味で年齢不相応な大人びた面立ちと雰囲気、そして出るところが豊満過ぎる雛子の水着姿と来たら、傍から見れば女子高生を通り越して女子大生、下手をすれば成人女性と見紛うレベルであり、否が応でも異性の目を引いてしまう。

 去年、ビキニで海水浴を訪れてみると、雛子は思春期真っ盛りの学生は愚か成年男子の視線もありありと受けてしまったことがある。

 だがどれだけ外見が大人びていようと雛子もまだ中学生。元を辿ればインドア派の文学少女。

 大勢の人が集まる場所は今でも決して得意ではないし、同年代ならまだしも年上の異性からも注目を浴びることには、流石に怖い思いをしたようだ。

 そんなこんなで今回の雛子はなるべく体の凹凸を見せないように工夫した水着をこさえているが、それでも水着は水着である。

 見慣れた制服姿よりも体のラインははっきりと見えてしまうし、水に濡れれば猶更際立つだろう。

 今年もまた、雛子によってくる不届き者を成敗しなければならない。

 そうは思いながらも、要は内心ブルーな気分に沈んでいく。

 

(はあ・・・なんて贅沢な悩みなんやろ・・・。)

 

 雛子に悪気はないしむしろ被害者だし彼女を悪い虫から守ろうとするのは頼まれたからではなく自分の意思だし・・・それでも自分のものと見比べるとやっぱり贅沢な悩みだなと軽く妬んでしまう。

 要が今年選んだ水着は、オレンジ色のフレアトップの水着だ。

 今年も未だに進歩の予兆すら見せない断崖絶壁を少しでも誤魔化そうと胸元には2重にも3重にもフレアを重ねているが、そもそもこの手の水着を着ている時点で私には凸がありませんと言っているようなものだ。

 やはり女性の水着姿と言うのはかくも残酷なものだ。

 なにせ体のラインがはっきりと目に見えてしまうのだから。

 

「どうしたの要?なんだか元気がなさそうだけど。」

 

 こちらの様子を気にしてか、千歳が心配そうに声をかけてきた。

 だが千歳はどちらかと言えば雛子側の人間だ。

 普段からしてTシャツにカーゴパンツと言う身体のラインが目立ちやすい格好を好むものだから、彼女のスタイルの良さについては周知のものだ。

 流石に雛子には及ばないものの、千歳もまた同年代であれば羨むほど十分に立派なものをお持ちであり、それだけでなく腰から足にかけてのラインも綺麗な曲線を描いている。

 そして自分よりも背が高い。総合的なスタイルの良さでは雛子よりも上だろう。

 そんな千歳の水着は涼し気な印象を与えるライトブルーと言う色ながら、女性の魅力を最大限に強調する三角ビキニであり、かつ雛子と違ってそれを恥じることなく着こなしている。

 そんな堂々とした佇まいが一層、彼女のスタイルの良さを強調しており、それがまた一層、自分を惨めにしていく。

 

「別にぃ・・・。」

 

 そんな千歳に励まされても逆効果なのは言わずもがな。

 ついでに言えば彼女には何の落ち度もなく、今の態度もあからさまな八つ当たりなものだから細やかな自己嫌悪に包まれてしまう。

 少しでも気を紛らわそうと、要は蛍の方へと視線を向けるが・・・。

 

(忘れてた・・・蛍ってああ見えて年相応やった・・・。)

 

 小学生並みの背丈と普段の幼い印象から忘れがちだが、蛍はちゃんと年相応の成長が見て取れる程度ものを持っている。

 まして今は水着姿。彼女の慎ましくもちゃんと自己主張しているものがはっきり見て取れる。

 はあ、と1つため息を吐いてならばリリンならと、要は彼女に目を向ける。

 

(え・・・?)

 

 ここで要は更なる衝撃を受ける。

 目測140cm。蛍よりは10cmほど高いながらも小学校中学年の平均値程度の身長と、時折見せる蛍よりも幼い一面からのせいで想像もしていなかったが、リリンのそれは蛍のような慎ましいものではない。

 見た目の大きさだけで言えば千歳と比べても大差のないほど立派なものだが、リリンは千歳よりも30cmばかり背丈が低い。

 山の大きさは同じなのに背丈が低ければ、低い人の方が相対的に大きさが目立つのだ。

 世間一般で言うところのトランジスタなんとやら、とどのつまりとんでもない逸材だったのである。

 

「はあ~・・・。」

 

 やはり世の中不公平だ。人類平等など夢のまた夢だ。

 海に入る前から何やら憂鬱な気分になった要は、本日何度目かわからない深いため息を吐くのだった。

 

 

 

 

 …

 

 

 

 

 友達と一緒に訪れる初めての海に心を躍らせていたのは、何も蛍だけではなかった。

 千歳にとっても遊泳目的で海を訪れたのは初めてであり、当然、水着とやらを購入したこともない。

 当初は布面積の少ないこの姿で人前に出ることに疑問を抱いたが、いざ現地を訪れてみればなるほど、見渡す限りの人々はみんな同じような格好をしていた。

 

「なんだか開放的なところね。」

 

「ふふっ、普段こんな格好することもないもんね。」

 

 雛子が微笑みながら答える。

 リン子がせっかくだから大胆なものを着てみれば良いと言うものだから、今の自分が着用している水着も相当布面積が少ないものと思っていたが、それよりもさらに露出度の高い水着を着ている女性客も見かける。

 あのような格好をしていては当然、男性客からの注目も高いが、彼女らはそんな視線さえも楽しんでいるようだ。

 雛子の言うところの海に適したオシャレ・・・と言うのはいささか度が過ぎているかもしれないが、少なくとも誰も水着姿を咎めるものはいない。

 そんな周囲の空気と今の身軽な格好が合わさり、重荷が外れたかのような解放感が感じられる。

 

「まあ、せっかく来たのだし、見てばかりいないで泳ぎに行きましょ?

 千歳ちゃん、泳ぐのは苦手じゃないよね?」

 

 そんな聞かれ方をされている辺り、どうも自分は運動に関しては大抵のものをこなせると思われているようだ。

 

「ええ、問題ないわ。」

 

 最もその通りなわけだが。

 海で泳いだ経験こそないが、幼少期は川でよく遊んだことがある。

 その時、近衛兵から水難対策の一環として水泳を教えてもらったのだ。

 

「はやくはやく!みんなでいこう!」

 

 蛍が待ちきれんと言わんばかりに、満面の笑みで手招きをする。

 だが直後、そんな蛍を制するように要が手のひらを突きだした。

 

「その前に、蛍、リリン。準備運動はちゃんとやった?」

 

「あっ。」

 

「じゅんびうんどう?」

 

 しまった、と言わんばかりにピタリと止まる蛍に、首を傾げるリリン。

 

「軽い運動をして身体をほぐしておくことを準備運動って言うの。

 身体が強張ったままいきなり運動をすると、怪我や故障の元になりやすいから、運動の前に準備運動をすることは覚えておかなきゃあかんよ。」

 

 スポーツ少女だけあってそこに気が利くとは流石は要であると感心しながら、千歳はリリンを促す様に先に準備運動を始める。

 

「そうなんだ。」

 

 要の言葉を聞きながら、リリンはこちらを見ながら真似て準備運動を始める。

 

「そっ。特に海の中は冷たいから、普段よりも身体が緊張しやすくて余計にその危険が高まるの。

 それに水中での事故は地上よりも危険だから、特に念入りにしておくように。」

 

「はーい。」

 

 そんなリリンに要が注意を重ね、リリンは蛍と2人で準備運動を続ける。

 人間は水中の中では呼吸ができない。

 ごく当たり前のことだが、リリンはそんな知識さえも持っていない可能性がある。

 もしも足を攣らせて溺れてしまっては大変だ。

 この世界にはライフセイバーと言う、人命救助を生業とする人たちが監視してくれているらしいが、だからと言って事故を起こしていい理由にはならない。

 それにしても、相手がリリンだからより丁寧に教えているのだろうが、準備運動が必要な理由を分かりやすく説明する要の姿は、普段勉強が苦手だ頭を使うのが苦手だと言う彼女からは想像もできない饒舌っぷりである。

 

「ホント、普段の勉強もこれくらい頭を使えばいいのに。」

 

 そんな雛子の零した言葉に千歳も同意する。

 スポーツに入れ込む熱意を少しでも勉強に回せれば一気に成績を伸ばせるだろうに、モチベーションの差と言うのはかくも大事なものである。

 

「流石かなめ。スポーツバカだね。」

 

「え?」

 

「え?」

 

「え?」

 

 だがここで、リリンの褒め言葉からの流れるような暴言を前に、蛍と要そして雛子は間の抜けた声で返事をする。

 

「あれ?なにかまちがってた?」

 

 一方でリリンは自分の発した言葉の暴力に気が付かない様子でこちらを見る。

 

「いや、スポーツバカって、それ褒めてるの?」

 

「褒め言葉じゃないの?」

 

 困惑するリリンを前に、要は少し頭を抱えて答える。

 

「バカって普通に悪口やろ・・・?」

 

 要はどこかショックを受けたような様子でそう返す。

 

「そうなの?バカって、頭が悪いって意味のほかにも、特定の分野におけるエキスパートって意味があるのかとおもってた。

 ほら、同音異語って言うんだっけ?こうゆうの?」

 

 一方でリリンは悪口の意味があることを知っていたと事実上宣言をしながら、そんな言葉を口にする。

 確かにこの国では1つのことに熱中する人や技能に優れている人に対して『バカ』と呼称することがあるので、同音異語とは言い得て妙である。

 だが大抵の場合、『馬鹿』は本来の意味通り相手に対する侮蔑でしかない。

 しかも要のことを『スポーツバカ』と呼ぶのは雛子くらいであり、これまで彼女はその言葉を多少の賛辞は込められているだろうが9割方は悪意を持たせており、要自身も悪口として受け止めている。

 要と雛子ほどの、所謂腐れ縁の間柄であればその程度の悪口の押収はコミュニケーションの域に達しているが、出会ってまだ間もない内のリリンがそう言ってしまうのだから、流石の要も傷ついたようだ。

 

「雛子、これからは言葉の使い方に気を付けような。」

 

 要は恨めしい視線をリリンから雛子へと向ける。

 

「なっ、なによ。私が悪いと言うの?」

 

 普段要の言葉を袖に流すことが多い雛子が、珍しくバツが悪そうに視線を反らす。

 その様子から、雛子自身、日頃の物言いに問題があることを多少なりとも自覚をしているようだ。

 

「そうね。あまり乱暴な物言いはリリンに悪影響よ。」

 

「むう・・・千歳ちゃんまで。」

 

 こちらも要に肩入れするものだから、雛子は複雑気な表情で頬を膨らませる。

 何も知らないリリンはこちらから得た知識を吸収して自分の中の常識を築き上げてきている。

 まだ善と悪の区別もつきそうにないのだから、リリンと一緒にいる以上、これからは言動に注意をするべきだろう。

 

(これじゃあ、まるで子育てね。)

 

 子どもが最も影響を受けるのは親だから、口調や価値観は親に由来するものが大きいと言う話を聞いたことがある。

 人としての生き方、身の振る舞い方がまだ見についていないリリンに対して、人としての在り方を教えていくのは、意味合いとしてはそう大きくは変わらないだろう。

 ダークネスの行動隊長として姦計を巡らし、蛍の心を利用しようと目論んでいたあのリリスが、何も知らない無知で無垢な少女リリンになるなんて誰が思っただろうかと、千歳は今更ながら今の状況が奇跡の産物ではないのかと思うのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 準備体操が終わり、いざ海へ!・・・と思った時、蛍はふと雛子が大事そうに肩から下げている大きな鞄の存在が気にかかった。

 

「ところでひなこちゃん、そのおっきな荷物はなに?」

 

 雛子の鞄は、これまで彼女が持ち出したことのないものだ。

 その如何にも、重たい機材を入れているように見える異様な存在感を前に蛍は興味と疑問と細やかな不安を持って聞いてみる。

 

「ふふっ、聞きたい?」

 

 すると雛子は何やら怪しげな笑みを浮かべて聞き返してきた。

 細やかな不安が大きな不安へと変わる中、蛍は静かに頷くと、雛子はおもむろに鞄を開け、その中に入っていたものを勢いよく取りだした。

 

「えっ・・・?」

 

 それを見て蛍は絶句する。

 

「今日この日のために私が新調した最新式の1眼レフデジタルカメラよ!!

 従来のものよりも遥かに高品質な画質に加えて動画も撮影可能!

 そしてSDXCカードを搭載することにより、最大1000枚もの写真を収めることが可能なの!」

 

「え・・・えと・・・。」

 

 蛍が困惑する様子をまるで楽しむかのように、雛子がカメラのレンズをこちらに向けながらニヤける。

 

「というわけで蛍ちゃん!!さっそく写真取ってもいい!?」

 

「えっええっ!!?」

 

 海に入って遊んでいるところならまだしも、こんな何もないようなところを取るつもりとは思っても見なかった蛍は大声を上げて困惑する。

 まさかとは思うが、雛子はこちらの一挙手一投足全てをカメラに収めるつもりなのだろうか?

 ・・・これまでの経験から雛子ならやりかねないと、蛍は自意識過剰な気持ちを遥か先まで通り越して確信する。

 

「あっ、あの!こんななんでもないところ撮ったってもったいないよ!」

 

 先ほど最大で1000枚取ることができると言っていたから、どれだけ取り過ぎてもその枚数に到達することはないだろうと思いながらも、蛍は雛子の熱を冷やすために必死の説得を試みる。

 

「大丈夫!そのためにほら!!」

 

 だが事態は蛍の想像の遥か先を飛ばしていく。

 雛子はそんな反論など想定済みと言わんばかり、カメラを収めていたバッグに付属したポーチの蓋を開ける。

 そこにはいくつもの小型電子記録媒体・・・要するにSDカートが収められていた。

 

「1枚当たりの容量は128G!合計で2560GB!!これを全て投入すれば最大で4万枚もの写真を収めることができるわ!!」

 

「え・・・。」

 

 どれだけ写真を取ろうと1000枚は到達しないだろう・・・そんな考え方が甘かった。

 雛子からすればむしろその逆で、1000枚程度では足りないのだ。

 それも予備の予備のそのまた更なる予備を重ねていき、4万枚などと言う天文学的数値を指示された蛍は、畏れ慄き凍り付く。

 

「あっあの・・・わたしだけじゃなくて、みんなも・・・。」

 

 その中でも決して意識だけは失わないようにと、蛍は最後の反論を試みたが・・・。

 

「大丈夫!このカメラは蛍ちゃんとリリンちゃん専用だから!

 2人の写真を平等で割っても2万枚の写真を取ることができるから何も心配することはないわ!!」

 

「わたしたちせんよう!!?」

 

 最後の反論さえも敢え無くかき消された。

 しかもちゃっかりとリリンの名前まであげている。

 自分にとってもリリンにとっても初めての海が、楽しい思い出がこんなにも不安に満ちたスタートを切るとは。

 いや、今の状況も決して心底嫌と言うわけではなく、こんなやり取りでもどこか面白く思ってはしまうのだが、ここまでありとあらゆる常識を跳ね除ける雛子の情熱を前に、蛍の血の気は一気に引いて行った。

 

「あっ、ちなみにみんなの分はこっちね。」

 

 そう言いながら雛子はスマートフォンを持つ手をひらひら揺らす。

 最近のスマートフォンはカメラ機能も優れており下手なデジタルカメラ顔負けの高画質な写真を取れると聞くが、それでも自分たちには専用のカメラまで購入し、他は携帯電話の付属機能で済ませてしまうあたり相も変わらない露骨な差別である。

 ・・・そしてその程度では驚かなくなってしまった蛍はそんな自分に驚いてしまう。

 そんなこちらの様子などお構いなしに、雛子はカメラ片手にジリジリと距離を詰めてくる。

 

「こら雛子、蛍が困ってるでしょ。」

 

 見かねた千歳が止めに入るも、雛子がカメラを降ろそうとはせず隙あらばこちらの様子を伺う。

 普段なら周囲から一言静止されれば落ち着きを取り戻しているところだが、今日の雛子はこれまで以上にテンションが高いせいか、簡単には落ち着いてくれなさそうだ。

 

「もう、要からも一言言って・・・あれ?要?」

 

 ここで千歳は要に救援を求めるも、呼ばれた本人は先ほどまでいた場所からいつの間にか姿を消しており、

 

「ん?何か呼んだ?」

 

 それとは正反対の方向から姿を見せた。

 

「って、何食べてるのよ!?」

 

 それも焼きそばを食しながら。

 

「なにって?焼きそばだけど?」

 

 声を荒げる千歳はとは対照的に、要はあっけからんと言ってのける。

 

「そんなもの見ればわかるわよ!

 運動前になんでそんな油っこいものを食べてるのって聞いてるの!」

 

「この程度、運動前の腹ごなしだって。」

 

 確かに運動すればエネルギーを消費するから多少なりお腹に入れておかなければ身体が持ちそうにないだろう。

 現に蛍とリリンも家を出る前に軽めの朝食を済ませている。

 だがスポーツにおける体調管理が誰よりも出来ているであろう要が、朝食を抜いてくるとは思えない。

 朝食を食べた上で油を贅沢に使って焼き上げた焼きそばなんか上乗せしたら、流石に胃袋が悲鳴を上げそうである。

 

「美味しそう・・・。」

 

 一方、出来立ての焼きそば特有の香しいソースにひかれてリリンがもの欲しそうな目で見てきた。

 

「おっ?一口食べる?」

 

「いいの?」

 

 焼きそばに釣られそうになったリリンを千歳が手を差し出して静止する。

 

「ダメよリリン。

 運動をする前にあんなもの食べたら、気持ち悪くなっちゃうわ。」

 

「でも要は大丈夫だって。」

 

「要を基準にしちゃダメよ。

 ほら、要のせいでまたリリンがおかしなことを覚えそうになったじゃない。」

 

「なんだよ、ウチが悪いんか?」

 

「あわわわわ、ふっふたりとも・・・。」

 

 気が付けば千歳と要が一触即発の空気を放っており、蛍は慌てながら2人の顔色を伺う。

 

「さっ、蛍ちゃん、リリンちゃん。記念に1枚撮ってもいいかな?」

 

「ええっ!?」

 

 こんな空気の中でも雛子は平常運転だった。

 それでもこちらからの了承を得るまではシャッターを切らないでいるあたりギリギリのところで良心が塞き止めているのだろうか?なんてどうでもいいことを思っていると・・・。

 

「あ、な、た、た、ち!!」

 

 とうとう堪忍袋の緒が切れた千歳が、要と雛子を叱るように睨み付ける。

 

「これじゃあ、いつまで経っても蛍の面倒が見れないでしょうが!!」

 

「・・・え?」

 

 が、怒りだした理由が明後日の方角を向いていたせいで、蛍はすっかり呆けてしまう。

 もしかして先ほどまで口論していたのも、ただ単に2人の面倒を見るのが嫌だっただけなのだろうか?なんて疑問さえ沸いてきた。

 

「なんやそれ!保護者気取るんならウチの面倒もちゃんと見いや!」

 

「イヤよ!私は蛍のご両親から蛍のことをよろしくと頼まれたのよ!

 あなたたちにまで構ってる暇はないわ!」

 

「何が頼まれたや!自分から勝手に引き受けたくせに!」

 

 片や呆れながら責め立てる要。片やどこまでも真面目で一辺倒な千歳。

 そんな2人が互いに別ベクトルでヒートアップしていく中、ふと要が何か思いついたような悪戯めいた笑みを浮かべる。

 

「はっ、それに蛍のことならウチが一緒に遊びがてら面倒みといたるから、千歳の出る幕はないよ。」

 

 恐らくそれが千歳にとって最も効果的な挑発だと思ったのだろう。

 

「あ?」

 

 案の定、それは効果テキメンだった。

 千歳の顔が怒りで見る見る内に赤くなり、力強く要に向けて一歩踏み出して顔を近づける。

 

「冗談じゃないわ!蛍の面倒を見るのは私の役目よ!」

 

「いいや、ウチだね。

 ウチの方が海水浴に慣れているし、この場ではウチの方が適任や。」

 

「いいえ私よ!私の方が小さい子どもの扱いに慣れてるんだから!」

 

「え?」

 

「ウチだって、小さい子どもの友達多いからそんなの慣れっこだよ。」

 

「あの、わたしおないどし・・・。」

 

 蛍のか細い声は2人の怒声にかき消される。

 

「とにかく!蛍の面倒を見るのは私よ!」

 

「いいやウチが見る!」

 

「私が見る!!」

 

「ウチが見る!!」

 

「私が!!!」

 

「ウチが!!!」

 

「私が!!!」

 

「ウチが!!!」

 

 なぜかどんどんヒートアップしていく2人を前に、蛍は大慌てで静止に入った。

 

「はわわわわ!ふっ、ふたりとも!ふたりとも~!!」

 

 まさか「わたしのために争わないで」なんてベタベタなセリフを言わなければならない状況が訪れるとは夢にも思わなかった蛍だったが、いざそのセリフを口にしようにも流石に恥ずかし過ぎて言葉にできず、動揺と困惑と口論の内容に対する羞恥の末に2人の顔を交互に見ながらあわあわとすることしか出来なくなってしまう。

 

「は~、困ってる蛍ちゃんも可愛い!写真撮ってもいい?」

 

「ええ~っ!!?」

 

 そしてこの期に及んでも一切自重するつもりのない雛子など当然アテにできず、蛍がパニックに陥ってしまったその時。

 

「あんたたち・・・。」

 

 地獄の底から這い出てきたかのような、暗く落ち着きそれでいて威圧感たっぷりの声が3人の背後からかかる。

 要と雛子と千歳は一瞬で冷静になり、恐る恐る後ろを振り返ると、そこには眼力だけで小動物を卒倒させ、この場から逃げる気力すら奪うほどの恐ろしいオーラを背景に纏ったリン子の姿があった。

 

「蛍が困ってるでしょうがあああ!!!」

 

「「「はい!すいませんでした!!!」」」

 

 地鳴りが起きたのではないかと錯覚させるほどのリン子の叱責を前に、3人は一瞬で押し黙った。

 事態が収束したことで蛍はホッと胸を撫で下ろすが、同時にリン子のことだけは絶対に怒らせないようにしようと、心の隅に誓うのだった。

 


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