大ピンチ!?キュアシャインの正体がバレちゃった!!
ここは、ダークネスが拠点としている古城の一室。
床には広々としたカーテンが敷かれ、宙にはシャンデリアが吊られている。
壁には人を凌ぐ大きさの絵画が飾られ、部屋の中央には宝石の飾られたベッドが置かれていた。
恐らくはこの城の主の部屋かと思われるそれは、ダークネスによって陥落され色を失っても尚、かつての権威が至るところに散りばめられているだだが、窓際は巨大なモニターによって封鎖され、その下には大型の液晶パネルが設置されていた。
古き時代の名残を見せるこの城の佇まいとはあまりにも不釣り合いな、科学の英知と言うべき大型の機械が部屋の空間を圧迫しているが、現部屋の主たるアモンは、かつての主の意向など全く鑑みない様子で、高速でパネルを叩き続ける。
そしてパネルの隣には不気味な気泡を生む液体によって満たされたカプセルがあり、その中には10cmほどの大きさしかない黒い塊が、まるで生命のように脈動していた。
「・・・そろそろ、完成が近いか。」
アモンの研究室へと改造された部屋には、アモンにしか聞こえない気泡とパネルを叩く音が絶え間なく鳴り響く。
アモンがパネルを叩くたびに、カプセルの中にある黒い塊が少しずつ歪な形を正していった。
これが完全なる形を成したとき、アモンの生涯最高傑作と言える作品が誕生する。
だからこそ焦りは禁物だ。
ここで失敗してはこれまでの苦労が全て水の泡となる。
アモンは一旦休息のために手を休め、椅子に深々と座り込む。
その時、
「侵攻が遅れていると言うのに、随分と悠長だな。」
突然、何も映し出されていないはずのモニターから、女性の声が聞こえてきた。
だがアモンは特に焦ることなく、何も映し出されていないモニターへと視線を向ける。
低く抑えながらも傲岸さを隠しきれていないその声は、アモンのよく知るものだからだ。
「まさか君の方から連絡があるとはね。今宵は流星群でも降ってくるかな?」
「ふざけているのか?
貴様が侵略しているかの世界、未だどこにも闇の牢獄を展開出来ていないではないか。」
声の主は僅かに怒りを滲ませているが、アモンは動じない。
「そう怒るな。君たちにも情報は伝えてあるだろう?
光の使者たる伝説の戦士プリキュア。やつらがまた姿を現したのだよ。
やつらの抵抗で侵略が遅れるなど、今までだってあったことではないか。」
「まさかその一言で済むと思っていないだろうな?
その光の使者にアンドラスが敗れ、闇に堕ちた世界が解放されたと報告したのは貴様だろう。
これまでにない由々しき事態であるはずだが、貴様は一向に行動を起こさずそこに引き籠っているではないか。
それとも何もせず『両足』共々、地に膝をつくつもりか?」
確かに彼女の言うように、自分たちが侵略した世界が解放されたことは前例のないものだ。
アモンも当然、楽観視できるものではないと考えている。
なぜならこれまでに侵略してきた多くの世界も、全て解放される可能性が生まれてしまったからだ。
だが同時にアモンは、その対抗策を見出している。
現代のプリキュア、その中心たる存在。
キュアシャインを打ち倒すための対抗策を。
「それを攻略する切り札(カード)を造るために、ここに籠っているのだよ。」
「その隣にある不気味な物体の事か?」
どうやら女性の方はこちらの様子をモニター出来ているようだが、アモンは気に留めない。
「その通りさ。これさえ完成すれば、我らの戦いも終わりを告げる。」
「随分な自信だな。
自慢の行動隊長とやらが2人も倒され、今も敗戦続きだと言うのに。」
中々に痛いところをついてくるのは昔から変わらないな、とアモンは思う。
だが過程における失敗の数など、最終的に結果を出すことができれば意味はなくなる。
「それに、『1人』妙な行動を起こしているそうじゃないか。」
すると女性は、どこか訝しむ口調で問いかけてきた。
「行動隊長たちのデータはこちらでもモニタリングしていることは知っているだろう?
アモン。貴様リリスをいつまで放置しておくつもりか?」
その言葉にアモンはこの場で初めて不敵に笑う。
「案ずるな。
事体がどう転ぼうとも、我らにとって不都合にはならんよ。」
そんなアモンの言葉に呼応するかのように、カプセルの中の物体が静かに脈動するのだった。
…
休日を間近に控えた金曜日の昼休み。
千歳たちは4人揃って学食堂で昼食を取っていた。
「それにしても、蛍の力にあんな特性があったなんてびっくりしたわ。」
食事を取りながら要は前回の戦いを振り返る。
「本当、あんな厄介なソルダークを1人で追い詰めちゃうなんて」
雛子も素直に感心した様子で言葉を綴る。
確かにあの時戦ったソルダークは、蛍を除く3人の力を封じ込められるほど強大だった。
蛍が力を使えていなかったら、窮地に陥っていただろう。
「でも、まだぜんぜん力をつかいこなせてないし・・・。」
だが蛍はそんな自分の力を誇らないどころか、使いこなせていないことを悔やんでいた。
相も変わらず、謙虚な態度を通り越して自分を卑下する蛍に、要と雛子は苦笑する。
「これから少しずつ制御の仕方を覚えていけばいいわよ。」
そう励ますと、蛍の表情に少しだけ明るさが戻って来た。
だがそう言いながらも、蛍の力は非常に不安定なものだから不安に思う気持ちもわかる。
前回のように不意に消えてしまうこともあれば、何かのきっかけで爆発するときもある。
そんな不安定なところはまるで、蛍の心をそのものを表しているかのようだ。
と思ったとき、千歳は改めて自分たちの力について疑問を抱く。
「希望の光か。
そう言えば私たち、希望の光についても、プリキュアについても多くのことを知らないわね。」
千歳の疑問に雛子が続く。
「希望の光は思いが形になる力。
だから私たちの力の特性は、私たちの思いがそのまま形になったもの。
という解釈はできるのだけど、具体的にはわからないことだらけね。」
例えば要の雷の力は、彼女の真っ直ぐな正義感の表れ。
雛子の守りの力は、大切な友達を守りたいと言う思いの表れ。
自分の炎の力は、確かにちょっと気性が荒い自覚があるのでその表れだろう。
雛子の言葉に要と千歳はそれぞれ頷くが、蛍だけは首を傾げていた。
彼女はまだ、希望の光の基となる自分の思いに無自覚なのかもしれない。
「どうして私たちがプリキュアになれたのでしょうね?」
すると雛子が希望の光に続いてそんな疑問を口にしてきた。
「正直自分でもよくわかんない内に変身して、よくわかんない内に力を使えているもんな。」
要の言葉に、千歳も過去の記憶を思い出してみる。
自分が初めて変身したときは、ダークネスが城下街を襲撃するところに遭遇した時だ。
あの時、既にダークネスが故郷を侵略しているとの情報を聞いており、自分の故郷が闇に閉ざされてしまうのではないかと言う不安を抱いていた。
その不安が自分を絶望の闇へと誘ったのだろう。
だけど故郷を守りたい一心で絶望の闇から聞こえる声を払い除けたとき、プリキュアの力に目覚めたのだ。
だが要が言うように、千歳はプリキュアの力を渇望したわけではない。
絶望の闇から立ち上がったとき、気が付いたら変身していたのだ。
故郷にプリキュア伝説が伝えられていた千歳ですら無意識の内に覚醒していたのだから、この世界の住民である要たちは猶更、訳の分からないうちに覚醒したのだろう。
「ねえ、千歳ちゃんがプリキュアに覚醒したのも、やっぱり自分の声を振り払ったからなの?」
すると雛子が少し遠慮がちに聞いてきた。
自分の声、と言うのは絶望の闇の中で聞こえてくる声のことだろう。
自分の中に潜む本音。否定することの出来ない黒い感情。
確かに自分はそれを乗り越えたとき、プリキュアへと変身した。
そして恐らく要と雛子も、同じ体験をしたのだろう。
内側に閉じ込めてきた自分の闇を無理やりに曝け出されることの辛さを知っているから、声がどこか遠慮がちなのだ。
千歳は雛子の気遣いに内心、感謝しながら質問に答える。
「ええ、そうよ。
と言うことはやっぱり、みんな自分の声を聞いたことがあるのね。」
「うん・・・。」
「まあでも、それを乗り越えてきたから、ウチらはきっとプリキュアになれたんやろうな。」
要がその一言でまとめる。
確かに絶望の声に抗い乗り越えてきたのは、プリキュアの共通点なのかもしれない。
「ふわあ・・・やっぱりみんなすごいね。
わたしなんて1回、リリスにぜつぼうのやみに閉じこめられちゃったことがあるのに。」
「「え・・・?」」
だが突然の蛍のカミングアウトに要と雛子が声を揃えて硬直する。
「あっ、あれ?ふたりともどうしたの?」
「蛍、絶望の闇に囚われたことがあるの!?しかもリリスに!?」
蛍の言葉は間接的にソルダークを造り出してしまったことがあると語っている。
それが要と雛子に2重の意味で衝撃を与えたようだ。
「うっ、うん。
でもそのあとプリキュアになれたから、すぐに脱出できたんだけどね。」
「えっ!?
それって闇の牢獄が解除される前に意識を取り戻したってこと!?」
「えと・・・うん、そうだよ。
あっ、あのとき、ちとせちゃんとはじめてあったんだ。
リリスがわたしからつくったソルダークを、ちとせちゃんがたおしてたすけてくれたの。」
要と雛子は衝撃を隠せない様子だが無理もない。
プリキュアとして戦う目的は、ソルダークを倒して闇の牢獄を解放し、絶望の闇に囚われた人を救うためだ。
それなのに蛍は、闇の牢獄の解放を待たずに自力で脱出できたのだ。
千歳だってあの時、絶望の闇に囚われた蛍の姿を偶然見つけることができたから、早い段階でその疑問に行きつくことができたが、そうでなければ、今の言葉に耳を疑っていただろう。
「ふふっ、そんなこともあったわね。」
当時のことを思い出し、千歳は少し懐かし気に微笑む。
最も当時の自分は蛍に八つ当たりで酷く無責任なことを言ってしまったので、今となっては複雑な思い出となっているが、蛍は初めて自分と出会ったきっかけとなる当時のことを嬉しそうに語っていた。
(・・・あれ?)
その時、千歳の脳裏に妙な違和感が引っかかる。
(そう言えばあのときのソルダーク・・・。
最初は凄まじい力を持っていたけれど、途中で急激に弱くなったわよね・・・?)
蛍の絶望から生み出されたソルダークは、千歳が戦った限りでは最も強い個体だった。
フェアリーキングダムでも、そしてこの世界での戦いの中でも、あれほどの力を持ったソルダークとはまだ相対していない。
そのソルダークが急速に力を失ったとき、確かちょうどキュアシャインが駆け付けなかっただろうか?
(・・・なんだろう、この妙な胸騒ぎは・・・?)
「ちとせちゃん。」
「え?」
怪訝そうにこちらを伺う蛍に声を掛けられ、千歳は我に返る。
「どうかしたの?なんだかむずかしそうなかおをしてるけど。」
「ううん、なんでもないわ。」
「そう?
・・・あっ、そういえば、あの日はじめてリリンちゃんともあったんだ~。」
「ま~たリリンか。」
前触れなく始まるリリンとの惚気話に要は苦笑し、雛子は微笑む。
だが千歳は、胸中に渦巻く漠然とした不安を払うことができずにいるのだった。
…
昼食を終え、各々のお弁当を片付け終わるタイミングを見計い。雛子は要たちの顔を一瞥してから声をかけた。
「ねえ、今回も試験前に勉強会をしない?」
「げっ、マジで?」
さっそく勉強嫌いの要が苦虫を噛み潰したかのような声をあげるが気にしない。
素直に首を縦に振ることのないこの悪友はどうせ強制参加なのだから意見を聞くつもりなんてない。
重要なのは千歳と蛍の意見である。
「うっ、うん!また、みんなでべんきょうかいしよ!」
すると蛍が早速天使の笑顔で応じてくれた。可愛い。
「いいわね、賛成するわ。」
そして千歳も快く承諾してくれた。
「よし、決まりね。」
「ウチの意見は!?」
「要は強制参加。」
「え~。」
「え~じゃないわよ。
どうせ部活もないんだから試験前日くらい体じゃなくて頭使いなさいよ。」
「バスケだって頭使うも~ん。」
要が屁理屈をこねだすとキリがないのでここらで無視を決め込む。
「ちぇっ、ところで場所はどうするのさ?また雛子の家?」
すると観念したと言わんばかりの表情を浮かべて要が場所を提案する。
「私のマンションでもいいわよ。
あそこならチェリーたちも気兼ねなく過ごせるでしょうし。」
「あら、いいわねそれ。」
確かに妖精たちが気兼ねなく過ごせる場所と言うのは貴重だ。
このままだと千歳の家が自分たちのたまり場になりそうな気がしてならないが・・・、今回はお言葉に甘えよう。
と思ったその時、
「あっ、あの、ばしょなんだけさ・・・。」
蛍が恐る恐ると言った様子で挙手してきた。可愛い。
「えと、わたしのおうちじゃ・・・ダメ、かな?」
「蛍ちゃんの?」
「うっうん、みんなのおうちには、なんどもおせわになってるから、たまには、わたしからおもてなししたいなって・・・。
えっえとあの、むっむりにとはいわないよ?
わたしのおへや、あんまりひろくないし、ひろい方がべんきょうに集中できるだろうし、ちとせちゃんのいえならチェリーちゃんたちも気をつかわなくてすむだろうし、みんなのおうちからだとちょっと距離があるし・・・あっあの、でもね、もしほんとうにメーワクでなければ・・・。」
まだイエスもノーも言ってないのに、期待と不安の入り混じった蛍は1人で願望と言葉がまるで一致していないループを繰り返していく。可愛い。
そんな蛍を見た要は、やれやれと言いたげな様子で苦笑いを浮かべていた。
「それじゃ、お言葉に甘えてお邪魔しよっか?」
「ほっほんと!?」
すると要の言葉に蛍は一転、満面の笑みを浮かべる。可愛い。
「ええ、私も蛍ちゃんのお家にいつかお邪魔してみたいと思っていたし。」
「私も大丈夫よ。だからみんなで蛍の家に行きましょ?」
自分と千歳も勿論、その提案を受け入れる。
「それじゃあ蛍ちゃん、またこの前と同じように朝からでもいい?」
今回の目的はあくまでも勉強会だ。
勉強をする時間は少しでも長く確保しておきたい。
そう、『私利的』な目的でお邪魔をするのはまたの機会にしよう。
「うっ、うん!わたし、お菓子いっぱいつくってまってるからね!!」
「あはは、勉強会だってこと、忘れちゃダメだからね?」
そんな際限なく浮かれる蛍に、雛子も苦笑いを浮かべるのだった。でも可愛い。
そして迎えた土曜日。雛子は大きめの鞄にレモンを入れ、蛍の家へと向かった。
道中、要と千歳とも合流し3人で蛍の家へと向かう。
「そのバッグ。ベリィとレモンが入っているの?」
千歳が自分と要の、少し大きめのサイズのバッグを見て質問する。
「そっ、今回は外に出るわけやないから、人の姿じゃいられないしね。」
「アップルさんは、今日はお仕事?」
「ええ、お昼には終わるそうだけど、一緒には来られなかったわ。」
そう話す千歳の表情はどこか憂いを帯びていた。
つい数日前まで出張で3日間家を不在にしていたのに、その週末に休日出勤。
傍から見ても多忙であることが見て取れるので、アップルの体調が心配なのだろう。
それだけでなく、チェリーは蛍の家にいるだろうから千歳だけがパートナー不在ということになる。
そのことをどこか寂しく思っているのかもしれない。
「そいや、蛍の家に遊びに行くのは初めてだね。」
そんな空気を感じ取ったのか、要が明るい調子で話題を切り替えてきた。
こんな時、意外と空気が読めて持ち前の明るさで強引に話題を変えられる要は本当に頼りになる。
「遊びじゃなくて勉強でしょ?」
目的をはき違えているかのような悪友の物言いにツッコミを入れながらも、雛子自身、初めて蛍の家を訪ねることを楽しみとしていた。
お気に入りの蛍の家だからというのも勿論あるが、親しい友人が普段どんな家でどのように生活しているのか、初めて訪れる友達の家と言うのは不思議と好奇心が疼くもの。
とは言え蛍のご家族と顔を合わせることになるだろうから、失礼なことはあってはならない。
何せ蛍の両親とお会いしたのは、運動会のときに挨拶した時だけだ。
良き友人としての信用を落とさないよう、今日はいつもより言動を『自重』しなければならない。
隣の悪友が少し調子に乗り過ぎないか少し心配だが、あれでもTPOは弁えられるはずだ。その程度には信頼している。
そうでなくても今日は勉強のために集まるのだから、普段よりもハメを外すことはないだろう。
「それを言えば、私はまだ2人の家にも訪れたことがないわね。」
すると千歳がそんなことを言ってきた。
「今度時間があれば遊びにおいでよ。いつでも歓迎するわ。」
「こいつの家に遊びに行っても本しかないで。」
「こらっ!」
「ちなみにウチの家には煩い兄貴がおるから来るのはオススメしないよ。」
「あなた千歳ちゃんを家に呼びたくないの!?」
そんな自分たちの漫才を聞いている内に、千歳の顔に明るさが戻ってくるのだった。
…
一之瀬家。
蛍は朝早くから起きて要たちの到着を今か今かと待ちわびていた。
「蛍、そんなにそわそわしなくても、家に来る時間は聞いているのでしょ?」
「うっ、うん、でもなんだかおちついてられなくて・・・。」
母に声を掛けられながらも蛍はそわそわしてならない。
みんなが来るのを待つだけの時間が不思議と遅く感じられる。
(はやくこないかな・・・。)
友達が家に遊びに来てくれること自体が、蛍にとっては初めての経験だ。
と思ったその時、
(あ、あれ?おともだちを家によぶときって、どうすればいいんだろ・・・?)
これまで考えたことのない不安が急に押し寄せてきた。
何せ初めてなものだから勝手がわからない。
そしてこういう時に限って記憶も曖昧になるものだから、普段自分が要たちの家にお邪魔したときどのように迎えられたのかが思い出せなかった。
もしかして失礼な上がり方をしていたのではないだろうか?と別の不安まで押し寄せて来たものだから、蛍はたちまちパニックになってしまう。
「あっあの、おかーさん。」
「え?どうしたの蛍?」
先ほどから一転、急に不安に満ちた様子で狼狽え出す蛍を見て陽子が不思議そうに首を傾げる。
「えと、えと、お菓子かってきてあるよね?」
「え?蛍が昨日作ってたじゃない?」
緊張のあまり自分でも訳の分からないことを口走ってしまい、母は大いに困惑する。
昨日帰ってからチョコやクッキー等お菓子も沢山作ったから、お客様に出すお茶菓子の万端だったはずなのになぜ忘れてしまったのだろう・・・。
それが蛍のパニックをさらに加速させてしまう。
「じゃなかったじゃなかったええと、いっ、今のうちにおへやのそうじをしておかないと。」
「それも、昨日の内に終わらせておいたって言ってたじゃない。」
「あっ、あれ?そっそうだっけ?」
母の言う通り、昨日の内に私室は勿論、家の中も隅々まで綺麗にしておいた。
庭だって今朝母に付き添って手入れをしておいたはずだ。
となると最後に問題になってくるのは・・・
「じゃあっじゃあ、みんながきたときって、なんてあいさつしたらいいのかな?」
初めて友達が家に来てくれる喜びと緊張と、わざわざ来てくれたみんなをガッカリさせるようなことがあったらどうしようかという不安が入り混じってしまった蛍のパニックはついに頂点に達してしまう。
「ふふっ、落ち着きなさい蛍。
いつも学校で会ってるように、おはようだけでいいのよ?」
「そっ、そうなの?」
「うん、あとは、いらっしゃいって一言加えればいいわ。」
「うっうん、わかった。おはようと、いらっしゃいだね。」
「おはよう」と「いらっしゃい」を交互に連呼して練習する蛍。
初めて友達が家に来ることで期待と不安が入り混じっている蛍の様子を、陽子と健治は優しく見守るのだった。
…
3人でお喋りをしながら歩いている内に、要たちは蛍の家の前まで辿りついた。
一軒家としては大きすぎず小さすぎない面積に、白を基調としたシンプルな色合いだが、家の庭に添えられた花壇が家を鮮やかに彩っている。
蛍が花壇まで好きであるとは聞いたことがないので、恐らくは母親の趣味か何かだろう。
ピンポーン
呼び鈴を鳴らすと、ドタバタした足音がドア越しから聞こえてくる。
そしてドアが開き、蛍が姿を見せ・・・
「みっ、みんな!おひゃよ・・・。」
初っ端から盛大に挨拶を噛んでしまった。
「あはは、蛍、緊張し過ぎ。」
「うぅ~・・・いっいらっしゃい・・・。」
顔を真っ赤にして俯きながら出迎えてくれた蛍に、要たちは揃って静かに会釈する。
「それじゃ、お邪魔しまーす。」
「お邪魔します。」
「蛍、お邪魔するわね。」
「はっはい!どーぞ!」
尚も緊張する蛍に玄関を開けてもらい、要たちはそれぞれ家に入る。
すると蛍はようやく安堵したのか、恥ずかし気な笑みを浮かべてくれた。
本音を言えば、今日の集まりは勉強会なのだから当然、勉強嫌いの自分は乗り気ではなかった。
だが恥ずかしそうに顔を俯かせた仕草で家に来てほしいと懇願されては断れるわけもなく、こんな天使の笑顔(エンジェルスマイル)を見せられては、むしろ来て良かったとすら思ってしまう。
相も変わらずの天然のあざとさ。
そしてチェリーの言うところの得な性格、ここに極まれりである。
「いらっしゃいみんな。」
するとリビングの方から蛍の母、陽子が姿を見せた。
「ふふっ、今日はありがとね、この子のわがままを聞いてくれて。」
「もっもう、おかーさん・・・。」
陽子の言葉に、蛍は再び頬を赤くして黙り込む。
それにしても口元に手を当てて微笑む姿がとても画になる母である。
「蛍、お友達が来たのかい?」
するとリビングから蛍の父、健治も姿を見せた。
「あっ、おとーさん。」
「みんな、いらっしゃい。
特におもてなしはできないけど、今日はゆっくりしていってくれ。」
「いえ、こちらこそお邪魔します。」
謙虚な健治の言葉に雛子が深々と頭を下げる。
しかし改めてみると非常にレベルの高い一家である。
蛍と並ぶ姿が親子というよりは姉妹に見えるほど若々しい陽子は言わずもがなだが、蛍自身も雛子が一番のお気に入りにと太鼓判を押すほど、人形のように可愛い容姿の持ち主だ。
そんな妻と娘を持つ健治はさぞ男子にとって憧れと僻みの的になるだろうと思っていたが、本人もそれと並んでもまるで違和感のないほどに整ったハンサムメンなものだから、やっかみなぞ通り越して心をへし折ってくるレベルである。
(一之瀬家、恐るべし・・・。)
ごくごく普通の一般家庭でありながら美男美女揃いの一之瀬親子に、要は軽く戦慄を覚える。
「それじゃ、わたしのおへやまであんないするね!」
そんなこんなで初めて一之瀬家を訪れた要たちは、はしゃぐ蛍に連れられて私室へと案内されるのだった。
蛍の部屋に入った要たちは、まずバッグからベリィとレモンを解放し、部屋を見渡してみる。
第一印象は『質素』。この一言に尽きた。
机の上は筆記用具立てとノート。本棚には漫画と料理本が少し。
壁にかけられている制服にはしっかりとアイロンが当てられており、綺麗に整理整頓されているのはさすが蛍の部屋だと思うが、私物らしい私物が最低限のものしか見当たらないのだ。
要の部屋みたいにゲームソフトや漫画が積まれていたりポスターが貼ってあるわけでもなく、雛子の部屋のように本が溢れ人形が飾られているわけでもない。
唯一、ピンク色のカーテンとシーツだけがこの部屋を彩っており、全体的に控えめな印象ながらも健気な鮮やかさをアピールする佇まいは、蛍の私室であることが妙に納得できてしまう雰囲気が感じられる。
その部屋の中央には脚を折りたためる机があり、座布団が4枚置いてある。
今回の勉強会用に準備したのだろう。
「ちょっとせまいかもしれないけど、ゆっくりしてってね。」
蛍はそう言うが、部屋の広さは要の私室と同じくらい。
決してスペースに余裕があるわけではないが、4人で過ごす分には困らない程度だ。
「それじゃあ、時間も大事にしたいしパパッと始めましょうか。」
雛子の合図とともに、4人はそれぞれの勉強用具を取り出す。
「わからないところがあれば、遠慮なく聞いてちょうだいね。」
そして千歳からありがたいお言葉を頂く。
学年一位の彼女が味方に付いてくれるのであればまさに鬼に金棒、ヒーローに巨大ロボ・・・なんてことを考えながら要は今更過ぎる疑問を抱く。
「今更だけど、千歳ってフェアリーキングダム出身だよね?」
「本当に今更ね。それがどうかしたの?」
「なんでこっちの勉強で学年1位取ってるの?」
彼女が転校してきたのは去年の12月。
この世界に来た具体的な日にちはわからないが、ベリィたちの話を総括すれば少なくとも転校してきた日からそう遠くはないはずなのに、転校早々の期末試験で学年1位を取っている。
なぜ今まで気が付かなかったのが不思議なほど、要からすれば異常事態である。
「なんでって、勉強したからに決まってるじゃない。」
「いやそうじゃなくて・・・。」
あまりにも根本的過ぎる答えに要はため息を吐く。
「ちとせちゃん、べんきょうとくいなんだね~。」
「そんな次元の問題やないやろ!!」
そして久々に繰り出された蛍の純度100%の天然ボケに勢いよくツッコミを入れる。
「千歳ちゃんはこっちに来たばかりのころは当然、この世界の知識なんてないはずよね?
それなのにほんの1か月にも満たない期間で、学年1位を取れるほどの学力を身に付けるなんて凄いことだと思うのよ。」
すると見かねた雛子がようやく助け舟を出してくれた。
これまた久々の悪友からの助け舟に要は内心感謝する。
「ああ、そうゆうこと。
別に全てを1から学んだわけではないわよ。
フェアリーキングダムだって妖精と人間が共存しているって違いこそあれど、王国という立派な社会を作った歴史があるのよ。
だから人間社会が成り立つための学問の基礎的な知識は、実はこの世界とほとんど共通しているのよ。」
「えっ?
でもこっちの世界と違って、機械とかないし街並みもなんか昔っぽくなかった?」
意外な事実に要は驚きの声をあげるが、雛子はどこか納得した様子で言葉を綴る。
「例えば私たちの世界でも、数学の誕生は紀元前にも遡るわ。
でもフェアリーキングダムは私たちの世界で言う中世のヨーロッパに近い雰囲気だったでしょ?
その当時の文明と同じだったとしても、私たち中学生が学ぶレベルの基礎的な学問なら共通していても何も不思議ではないわ。」
「なっ、なるほど・・・。」
雛子の言葉に要は驚きながらも頷く。
なまじ機械がない世界なだけに、こちらの世界と比べると学問の面で一歩引いていると言う先入観を抱いてしまっていたが、言われてみれば当たり前のことだ。
ものは単純な考え方であり、中学生レベルの知識もない人たちに社会を造れるはずがないのである。
・・・もしかしたら、勉強が苦手な自分は仮にフェアリーキングダムの学校を通ったとしても成績下位なのではないかと言う疑問がよぎり、要は慌ててそんなネガティブな思考を振り払う。
「と言っても、機械がないから理科の電気エネルギーを始めとする機械が関わってくるところは当然1から勉強したし、当然、地理や歴史だって学び直しだったわ。」
「1から覚えるのって大変じゃなかった?」
1か月満たない期間内で1から理科社会を学び直すなんて要からすれば頭痛で学校を休むレベルの話であるが、千歳は涼しい顔・・・どころかどこか好奇心に満ちた表情を見せる。
「全然、むしろどんどん勉強したいくらいよ。
それにもしもこの先、フェアリーキングダムで機械工学を開拓する時代が来たとき、この世界で学んだ知識を活かすことができるかもしれない。
私がこの世界で学べることはとても多いのよ!」
そう興奮気味に語る千歳を見て、こいつは根っからの勉強好きなのだなと要は悟った。
同時に何かと思考が似通ることの多い彼女だったが、こればかりは同調できないと白い目で見る。
「ふふっ、そっか。」
一方で雛子は千歳の様子をみて楽しそうに微笑む。
同じく勉強好きな悪友のことだ。
共通の趣味を持てる相手を見つけられたのが嬉しいのだろう。
「ねえ千歳ちゃん。
私もわからないところがあったら聞いてもいいかしら?」
「勿論よ。」
そして学年10位の学力を誇る雛子が勉強を教わる立場となったことが決定打となり、要は急に千歳の存在が遠のいていくのを感じるのだった。
…
モノクロの世界。
サブナックがリリスの様子を見に来ると、彼女は物思いにふけっている様子だった。
「リリス。」
声をかけると、リリスは鬱陶しそうな表情でこちらを睨み付けてくる。
「何のようかしら?」
彼女の不機嫌な言葉で反応されることにいい加減『慣れてしまった』サブナックは、殊更顔を顰めてリリスを見据える。
「今日はかの地へ赴かんのか?」
「必要ないわ。」
「なぜだ?」
「あなたに言う必要があるの?」
突っぱねる態度を変えないリリスだったが、サブナックは彼女を試すような言葉を口にする。
「かの地の少女と会う日ではないと言うことか?」
「っ!?」
その言葉にリリスは驚き、こちらを睨み付けてきた。
リリスがよくかの地で会う、蛍と言う少女がいることを、サブナックは前もってダンタリアから聞いている。
リリスを試そうとかまをかけてみたが、どうやら上手くってしまったようだ。
「・・・だったらどうしたと言うのよ?」
「なぜその少女に拘る必要がある?
情報を集める手段など他にいくらでもあるだろう。」
「・・・あの子はプリキュアに関する情報を持っているのよ。
今から他の情報源を当たるよりも、あの子から吐かせた方が確実だと思わない?」
淡々とした口調でさも正論のような言葉を口にするリリスだが、僅かに間があったことをサブナックは見逃さなかった。
そしてその時に、リリスが僅かに表情を曇らせたことも。
「その成果はいつになったら得られるのだ?」
「うるさいわね。
これ以上あなたに話すことなんてないわ。」
先ほどのように理屈で反論しようともせず、リリスは強引に話を打ち切る。
だがその態度は、蛍と言う少女から情報を得られる可能性は低いことを肯定しているようなものだ。
それなのにリリスは蛍と接触することを止めようとはしない。
情報を得られないと分かっていながら、本来の任務を放棄して会いに行っているのだ。
「・・・最後に1つだけ聞かせろ。」
この場を去ろうとするリリスをサブナックは呼び止める。
「何かしら?」
「かの地の少女と次に会うのはいつだ?」
「5日後の水曜日よ。それがどうかしたの?」
リリスはその答えを即座に口にしてしまった。
「・・・もういい。貴様と話すことはない。」
「・・・?」
リリスは少しだけ困惑するも、この場を立ち去っていった。
彼女が去った後、サブナックは腕を組み近くの壁にもたれ掛かる。
時の概念を持たないダークネスであればまず問わないであろう質問のはずなのに、リリスはまるで疑問を抱いていない様子だった。
「あの子はどこまで変わるつもりなのだろうね?」
すると闇の中からダンタリアが姿を見せた。
「どこから聞いていた?」
「かの地へは赴かんのか、からかな。」
要するに徹頭徹尾盗み聞きされていたと言うことだ。
だがサブナックはダンタリアを咎めようとはしない。
むしろ彼に情報を伝える手間が省けたと言うものだ。
「ダンタリア、リリスをこのままにしておいて良いと思うか?」
サブナックは声を低くして問いかける。
リリスは行動隊長でありながら感情的な言動に身を委ね、任務を放棄し1人の少女と戯れ、あまつさえ『時』を詠む習慣さえも身に付けている。
そう、あの子はかの地の『人』を演じていたつもりが、少しずつその『人』へと変わっているのだ。
「そんな簡単な疑問に答えられないほど、君はバカだったかい?」
ダンタリアはその問いにいつもの皮肉を飛ばすも、その表情も声色もいつもの嘲笑う雰囲気を見せなかった。
ダンタリアも現状を重く見ているのだ。
リリスが人に近づきつつあることに。
だが当の本人にはその自覚がない。
そして自覚がないからこそ、その変化は自然と起きているものなのだ。
そしてあの子自身が知り得ていないからこそ、その先に待ち受ける『結末』など気にも留めていないのだろう。
「貴様の言う通り愚問だったな。」
「君にしては珍しく殊勝だね。」
「貴様は変わらず無駄口が多いがな。」
「なら、こちらからも逆に問おうか?」
「なんだ?」
「サブナック、君はキュアシャインの正体について心当たりはあるか?」
売り言葉に買い言葉を返しながらも、サブナックとダンタリアは互いに質問を返す。
そしてサブナックはダンタリアの質問に眉を潜めた。
それをやつは肯定として受け止めたようで、珍しくこちらに同情するかのような苦笑した様子を見せる。
「・・・やはり、バカの君でも気づいていたか。」
「気づかぬはずがないだろう。
あれほどの憎しみを抱いていた相手を、そう簡単に許すことができると思うか?」
全てのきっかけは、リリスがフェアリーキングダムに赴いたときだ。
リリスは心を乱すほどにキュアシャインへ強い憎しみを抱いていたはずなのに、キュアシャインを倒す絶好の機会と言うべき指令をアモンから下されたとき、あの子は不可解な反応を見せた。
そしてキュアシャインへの憎しみが急速に薄れていき、一方でかの地の少女、蛍への執着を垣間見るようになっていった。
主からの使命を全うすることが行動隊長の意義であることを知りながら、それを放棄してまで蛍との接触を望んでいる。
だがキュアシャインへの憎しみだって完全に消え去ったわけではない。
今のリリスは、2つの感情の狭間に揺れ、これまで以上に不安定な状態となっているのだ。
これだけの判断材料があれば、答えを出すのはあまりにも容易かった。
「気づいていないのは、リリスだけか。いや・・・。」
ダンタリアが言葉を区切るも、サブナックはその続きを悟る。
気付いていないわけがない、むしろ気づいているからこそ、リリスは今、不安定なのだ。
だからこそ、これ以上見過ごすわけにはいかない。
「次にリリスが行動を起こす時、」
「ん?」
サブナックは手のひらを強く握りしめる。
「俺が現実を突きつけてやる。」
その手のひらは、僅かに震えていたのだった。
…
午前中に課していた勉強のノルマを達成した蛍は、少し背伸びをして一息をついていた。
期末考査は基本教科の5科目だけでなく、実技教科である音楽、美術、保健体育、家庭科も試験として出題される。
そのため、今回は蛍も要も教えてもらうだけの立場ではなく、各々の得意科目である家庭科と保健体育について、雛子と千歳に教えることもあったのだ。
初めて人に勉強を教える側に立ったが、そこで得られたものは大きかった。
相手に理解できるよう慎重に言葉を選ぶ過程で、自分自身の理解力をいっそう深めることが出来たし、雛子と千歳からは、教えるのがとてもうまくてすんなりと理解できたと褒めてもらえた。
中間考査のときに雛子の家に集まって勉強をしたときもそうだが、1人よりも複数人で集まって互いに教え合う方が、より効率良く勉強ができるものだと言うことを改めて実感する。
初めて自分の家に友達を招いたこともあり、最初は舞い上がりたくなる気持ちを抑えて勉強をしていた蛍も、みんなから教わり、時々こちらから教えている内に勉強に熱中して時間を忘れ、気が付けばあっという間に正午に差し掛かっていた。
「そろそろ一息入れましょうか?」
「さんせ~。」
千歳の言葉とともに、要はまるで軟体動物のように手を揺らしながら机に突っ伏せる。
「要、気を抜き過ぎ。」
「も~数字も漢字も見たくない~。」
要の言葉に千歳はやれやれと言った様子で苦笑する。
するとドアをノックする音が聞こえた後、母の陽子が部屋に入ってきた。
「みんな、そろそろご飯できるけど良かったら食べていく?」
「え?いいんですか?」
陽子の言葉に要が顔を上げて反応する。
「ええ、勿論。」
「やった!じゃっゴチになります!!」
「もう、要ったら。すみません、わざわざ気を遣っていただいて。」
ガッツポーズではしゃぐ要とは対照的に、雛子は会釈する。
「では、私もお手伝いさせていただきます。」
千歳がそう言いながら挙手をすると、陽子は静かに首を振った。
「そんな気を遣わなくていいわよ。
せっかく家に来てくださったのだし、ゆっくりと寛いでいってよ。
その方が蛍も喜ぶから。」
「おっ、おかーさん・・・。」
母の心を見透かされたような言葉に、蛍は顔を赤くしながらもはにかむ。
「蛍って、確かお母さんから料理を教えてもらったんだよね?」
そんな蛍に、要は何かを期待するような眼差しで質問をしてきた。
その意味を汲み取った蛍は笑顔で答える。
「うん!
おかーさんのりょうり、すっごくおいしいから、きたいしててね!」
「こらっ蛍。ハードル上げるんじゃありません。」
少し困った様子を見せながらも、陽子は蛍の言葉に微笑む。
「それじゃあ、準備ができたらまた呼びに来るから、もう少し待っててね。」
「はーい。」
陽子がそう言って部屋を出ていくと、要は羨ましそうな目で蛍を見ていた。
「かなめちゃん?どうかしたの?」
「は~、ウチもこの家の子どもとして産まれたかったな~。」
「へ?」
だが要からの予想だにしないカミングアウトに蛍の目が点になる。
「ま~たそんなこと言って。
前にも言ったけど、例え要がこの家の子だとしても今と変わらないわよ。」
「いやいや絶対そんなことないって。
あんな優しそうなお母さんなら怒られても怖くなさそうやん。
ウチんとこの鬼おかんと一緒にしたら失礼やわ。」
その言葉の方がよっぽど失礼だと思ったが、蛍は心にとどめておく。
「なあ、蛍はお母さんに怒られたことあるん?」
「も~あたりまえだよ。怒られるなんてしょっちゅうあるもん。」
「え?ホントに?意外やなあ。」
要の言葉に蛍は少しだけ眉を潜める。
どうやら自分の母は子供を叱らない優しいだけの母だと思われているようだが、そんなことはない。
自分のことをしっかりと怒ってくれる母だからこそ、蛍は心から尊敬しているのだ。
勿論、優しさだって世界一だ。
優しくて厳しくて、でもやっぱりとても優しい自慢の母なのである。
「あ~、この子の言う『怒る』には『注意』や『警告』も含まれているからアテにしない方がいいわよ。
少なくとも私の見た限りじゃ蛍が陽子さんに怒られたことはないわ。」
「え?チェリーちゃん?」
が、間に入って来たチェリーの言葉に蛍は衝撃を受ける。
自分が今まで母に怒られていたと思っていたことは、他の人から見れば怒るの内に入らないというのだろうか?
そう思ってみんなの方を見てみると雛子と千歳は苦笑し、要はどこか納得した様子で肩を落としていた。
自分だけが『怒られる』の認識が少しズレていたことに蛍はショックを受ける。
「そんな顔しないでよ蛍ちゃん。
単に蛍ちゃんが要と違って問題児じゃないってだけだから。」
雛子がフォローしてくれるも、蛍は釈然としないままだった。
「は~それでも羨ましいなあ。蛍のお母さん。」
一方で『怒らない母』と認識した要はとめどなく溢れる憧れを口にする。
そんな要の様子に千歳は苦笑し、雛子は諦めるようなため息を吐いていた。
「あっ、でもそうなった場合、ウチが蛍のお姉ちゃんになるってことか。」
「わたしおないどしだよ!?」
ここで要から全く予期していない方向から子ども扱いされ、蛍はついいつものツッコミを入れてしまう。
「いやほら?同い年なら双子ってことになるやない?」
「それでもなんでかなめちゃんがおねーちゃんなの!?」
要は4月生まれだと聞いたことがあるから、確かに自分の方が誕生日は遅い。
だが双子と言う仮定で行くなら同じ日の生まれと言うことになるのに、強制的にこちらを妹のポジションに置こうとしていると言うことは、いつも通り子ども扱いしていると言うことに他ならない。
蛍が目いっぱい頬を膨らませて抗議する。
「じゃあ蛍は誰がお姉ちゃんなら納得するの?」
「へ?」
だがここで要から思わぬ話題を振られてしまった。
「例えば、雛子とか?」
「私?」
「え?ひなこちゃんが・・・?」
そもそも同い年なのに妹扱いされてしまったのが問題なのだから、誰が姉であろうと納得はできないはずなのだが、相手がかつて母性を求めてしまったことがある雛子と仮定されたので、蛍はつい要の話に乗ってしまう。
もしも雛子が自分の姉だったらと・・・。
雛子は自分のことをごく自然に年下扱いする傾向があるが、実は彼女から可愛がられることを内心嬉しく思っている自覚はある。
それを思えば、彼女がもしも姉であったとしても、そこまで不快には思わない。むしろ嬉しく思うだろう。
だが1つだけ懸念がある。
雛子と姉妹になると言うことは当然、雛子と一緒に住むことになるのだ。
となれば、『あの寵愛』を日々受けることになるわけだろう・・・。
月に何回か遊びに行ったときだけならまだしも、あれを『毎日』受けなければならないと思うと・・・。
「・・・身がもたないかも。」
「え?」
「え?」
「ブフっ!!」
蛍がうっかり声に出してしまった言葉を聞いて、雛子と千歳は声を失い、要は盛大に吹きだした。
「わっはっはっははは!!」
そして要は腹を抱えて爆笑し始めたのだ。
「要!!いくらなんでも笑いすぎでしょ!!」
雛子が顔を赤くして反論するも、要の爆笑は収まらない。
「だって良いの雛子!?蛍にここまで言われちゃっていいの!!?」
「はわわっ!ふたりともおっおちついて!
ごっごめんなさい、ひなこちゃん!」
なんだかとんでもない爆弾を投げてしまったと蛍は慌てて仲介に入る。
そうでなくても、日頃雛子にあれだけお世話になっておきながら、『本音』とは言えあんなことを言うなんて失礼すぎる。
「別にあれくらいいつもの通りじゃない。放っておきなさいよ。」
「でもちとせちゃん・・・。」
すると千歳が隣に立ち、そんなことを言ってきた。
確かに要が笑い雛子が怒るなんて『いつもの通り』で片付いてしまうほど見慣れた光景ではあるのだが、今回ばかりはこちらの発言がきっかけとなっている以上、どうしても後ろめたさを感じてしまう。
そんな自分の心境を察してくれたのか、千歳が優しく肩に手を添えてくれた。
ふと、見上げると千歳のいつもの凛々しい横顔が映り、先ほどまでの会話の流れで蛍はつい考えてしまった。
もしも千歳がお姉ちゃんだったら・・・。
「蛍?どうかしたの?」
「えっ!?ええと・・・。」
千歳をじっと見ていたところを彼女に不思議がられ、蛍は声を上ずらせてしまう。
「・・・ちとせちゃんが、おねーちゃんだったら、わたし、ちょっとうれしいかなって・・・。」
少し逡巡し、顔を赤くしながら蛍は本音を打ち明ける。
綺麗でカッコよくて、勉強も運動も出来て、優しくて面倒見が良い。
そんな千歳が姉だったら、間違いなく自慢の姉となっていただろう。
そして千歳にも弱いことを自覚している蛍は、彼女が姉であればと言う仮定には何の抵抗もなかったのだ。
「・・・あなた、人には子ども扱いするなって言うのに、私の事は大人扱いするのね。」
「えっ!?」
だがここで千歳から思わぬ言葉を受けてしまう。
千歳の言う通り、彼女の事を姉と思ったと言うことは、同い年であるはずの千歳を無意識の内に年上扱いしてしまったと言うことだ。
年下だろうと年上だろうと、実際の年齢として扱っていないと言う点では、要の態度と何ら違いはない。
普段要に怒っておきながら、自分も相手を同い年と思わないなんてさすがに理不尽な話である。
蛍は大慌てで千歳に謝罪する。
「ごっ、ごめんなさい!わたし、そんなつもりでいったわけじゃ・・・。」
「ああっ、ごめんごめん。ほんの冗談よ?」
「え・・・?」
だがそう言った本人は特に気にしている様子も見せず、クスクスとこちらの反応を見て笑っていた。
本当に気にしていないことに安堵すると同時に、初めて彼女にからかわれたことに蛍は少しだけ複雑になる。
「ふわっ・・・。」
だが直後、千歳に柔らかく頭を撫でられ、そんな気持ちも一瞬で吹き飛んだ。
「私も、蛍みたいな妹だったら大歓迎よ。」
言葉の意味だけなら要と同じ。
だがその言葉はからかう風でもなく、表情も意地の悪い笑顔とは違い、見ていて安堵する笑顔だった。
そんな笑顔で、そんな口調で、そんなことを言われては、怒る気もわかないどころか、どこかくすぐったく思えてしまう。
何よりも千歳が姉であれば良いと思った蛍にとって、彼女に妹として扱われることは、ある意味本望とも言えるものだ。
「えへへ・・・。」
照れくさそうに、でも嬉しそうに笑う蛍。
「ふふっ。」
蛍を可愛がるように微笑む千歳。
「・・・贔屓やろ。」
そんな2人の様子を要が納得のいかない顔で見ていた。
「人望の差よ。」
そして雛子が情け容赦ない言葉で一刀両断するのだった。