ホープライトプリキュア   作:SnowWind

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第18話・Aパート

リン子が出張!?千歳の1人暮らし初体験!

 

 

 

 いつもと変わらぬ朝に突然、リン子から爆弾発言を飛ばされた千歳は大いに驚きながらも、朝食を終えて学校へ行く支度を始める。

 そしていつものようにリン子に髪を結ってもらいながら、千歳は出張について聞いてみた。

 

「出張って、いつから?」

 

「今週の日曜日から水曜日までね。

 日曜の夕方ごろにはここを出るわ。」

 

「そっそう、でもリン子と私が2人暮らししてるの、上の人は知ってるはずよね?」

 

 千歳は少し声を震わせながら、リン子の上司を遠回しに非難する。

 3日間とはいえ、立場上、母子家庭である自分たちに対して親に出張を命令するなんて、この世界の常識で考えれば理不尽な話である。

 

「ええ、でもお得意先との打ち合わせとご挨拶も兼ねて、是非ついてきて欲しいって、上の人が頭を下げてまでお願いしたのよ。

 だからさすがに、断りきれなくて。」

 

 少し自分に申し訳なさそうにリン子が事情を説明する。

 リン子が今の職についてから約半年。

 それだけで出張を任されるほどだから、彼女がどれだけ職場で重宝されているかが伝わってくる。

 そんなリン子の事は内心、育ての親として誇りに思っているが、同時に一人残されることになる自分よりも仕事を優先してしまったのかと思ってしまう。

 それにほんの3日間なのかもしれないが、一度それを許容してしまったら、この先3日間程の出張であればもう断ることが出来なくなるだろう。

 これからも先、1人で過ごさなければならない日が来るのだろうかと思うと、それだけで気が落ち着けなかった。

 そんなことを考えている内にリン子が自分の髪を結い終わり、制服のリボンを結んでくれた。

 

「これでよしと。」

 

「・・・ありがとう。」

 

 リン子にお礼を言いながら、千歳は鞄を手に取り玄関に立つ。

 

「それに、3日くらいならあなた1人でも大丈夫でしょう?」

 

「なっ・・・。」

 

 が、家から出ようとした矢先、リン子から発された言葉に千歳の思いは盛大に反転する。

 

「とっ当然よ!3日くらい1人で過ごすことなんてわけないわ!」

 

 そしてリン子への反抗心からつい強気な態度を取ってしまった。

 先ほどまで1人置いていく事を不満に思いながら、今度は露骨に子ども扱いされたことについムキになってしまう。

 しかもそれが所謂子供心から来る反発心となれば、自分は遠まわしに彼女のことを『母親』と同質の存在だと認めてしまうことになるので、殊更膨れた様子を見せて顔を背けてしまう。

 

「ふふっ、あなたならそう言うと思った。」

 

 が、微笑むリン子の様子を見て、千歳は彼女の口車に上手く乗せられてしまったことに気が付く。

 だがもう後の祭り。

 一度見栄を張ってしまった手前、引くに引けない状態に自分を追い込んでしまった千歳は、せめてもの強がりで堂々と胸を張って登校するのだった。

 

 

 

 

 …

 

 

 

 

 夢ノ宮中学校2年1組の教室。

 雛子たちは千歳を誘ってお弁当を食べていたところ、千歳から衝撃の言葉を聞いてしまう。

 

「リン子さんが出張!?」

 

 さっそく話題に上がった言葉に要が驚いて身を乗り出す。

 

「そんなに驚かなくても。」

 

「驚くわよ。

 だってリン子さんが家を空けるってことは、千歳ちゃんしばらく1人で暮らすってことでしょ?」

 

「と言っても、ほんの3日だけよ?」

 

「でっでも、ちとせちゃん、家事とかできるの?」

 

 驚き心配する雛子たちを前に千歳はあくまでも平静を装うが、蛍さえも心配そうに尋ねてきたので少し困惑した様子を見せる。

 だが千歳には申し訳ないが、彼女の日常で世話役にして母親代わりでもあるリン子1人に身の回りのことを全て任せている姿はありありと想像できても、1人で家事をこなしている姿はどう頑張っても想像できないのだ。

 それに忘れたわけではないが彼女は異世界(フェアリーキングダム)出身だ。

 こちらの世界では日常生活においても大なり小なり機械の恩恵を得ているが、あちらでは機械と言う概念そのものが存在していない。

 洗濯1つとっても今の時代、昔話のように川で洗濯と言うわけにはいかないので、家事をするには機械の類に触れることは避けて通れない。

 そして雛子が見た限りでは、千歳がこれまで触れた機械の類はインターフォンとテレビやエアコンのリモコンくらいである。

 家事をするにあたって必要な機械である掃除機や洗濯機の使い方をちゃんと覚えているのだろうか?

 

「やったことはないけど、リン子がしているところを横で見たことはあるから、何とかなるわよ。」

 

 一方千歳は殊更何もないかのようにあっさりと言ってのけるが、案の定の答えに雛子たちの不安は増す一方だった。

 如何に彼女が勉強もスポーツも共にそつなくこなす完璧超人なイメージがあったとしても、それは基礎能力に裏打ちされたものであり、家事の類に関する経験値は全くないはず。

 そんな千歳から隣で見ていたから大丈夫だなんて根拠のない自信を言われても何も説得力がない。

 何の脈絡もない自信を持ちだすところまで隣の悪友と似てなくてもいいのに・・・と、雛子は全く関係のない方向でも呆れながら小さくため息を吐く。

 

「あっそうだ、チェリーちゃんに3日だけちとせちゃんのお家にお泊まりするようにたのもっか?」

 

 すると蛍がそんな提案をあげてきた。

 そう言えばチェリーは、フェアリーキングダムにいた頃はメイド見習いとしての研修をリン子の元で受けていたと言っていたし、常に家事を担っている蛍からわざわざ提案が上がったということは、チェリーは家事に必要な機械を使ったことがあるのだろう。

 蛍の両親は共働きなので夜までいないことが多いようだし、その間に蛍と一緒に家事をしたことがあるのかもしれない。

 いずれにしても名案だと思い、雛子も要も首を縦に振って頷く。

 

「そこまでしてもらわなくてもいいわよ。」

 

 が、千歳本人はそれをやんわりと断る。

 どう見ても意地を張っているだけなのは明白だが、ここまで来ると今は何を提案しても流されてしまいそうだ。

 雛子たちは仕方なく、千歳の様子を見ることにするのだった。

 

 

 

 

 …

 

 

 

 

 日曜の夜。

 リン子は私室で出張の支度を終えたところだった。

 この街から出張先のビジネスホテルまでおよそ3時間ほど。

 今から家を出れば、向こうへの到着は夜の10時を回るころになるだろう。

 本来ならば今日の夕方にはホテルへ到着する予定だったが、ギリギリまで千歳の様子を見て起きたかったリン子は、上司に頼み何とかこの時間まで出発を後らせてもらったのだ。

 が、そのことをうっかり千歳に知られてしまい、子ども扱いをされたのだと思った彼女は猛反発。

 普段なら自分に任せっきりの皿洗いを、1人で出来るから出張の支度をしていろとリビングを追い出されたのだ。

 1人でも家事をこなせるから大丈夫だとアピールするのが目的なのだろうが、そんな千歳の『子供心』を汲んだリン子は何も言わず彼女に任せることにした。

 そして身支度を終えたリン子がリビングを訪れると、千歳がちょうど夕飯で使った食器を洗い終えたところだった。

 どこか誇らしげに胸を張っている姿は面白可笑しく、同時に微笑ましいものだと思いながらリン子は玄関の前に立つ。

 

「リン子、もう出るの?」

 

 すると両手を吹きエプロンを外した千歳が、玄関前まで来てくれた。

 

「ええ。」

 

 あれだけ威勢よく意地を張っていた千歳だったが、今の姿はどこか元気のないように見えた。

 いざこの時が来れば寂しいと言う思いが隠しきれてないのだろう。

 産まれたときから今日までずっと、この子の側についていたから。

 それにほんの数日とは言え、自分から離れて1人で生活をするのは、彼女にとって人生で初めての経験となる。それが不安でたまらないのだろう。

 リン子は赤いハイヒールに足を入れながら千歳に目配せをする。

 その意味を捉えた千歳が、不思議そうに首を傾げながら側に来る。

 

「わっ。」

 

 そんな千歳の頭をリン子は優しく撫でる。

 

「ちょっと、リン子。」

 

「ちゃんと良い子にしてるのよ?」

 

 あの時は千歳を煽るような言葉で乗せてしまったが、ああでも言わなければこの子は納得しなかっただろう。

 だが不安なのはこちらも同じだ。

 千歳の身の回りのことを全て請け負うのが仕事だったから仕方ないとはいえ、自分はこの子に家事のいろはを教えたことがないのだ。

 こちらの世界に来てもそのスタンスを変えなかったことが、こんな形で裏目に出てしまった。

 一応、部屋は隅々まで掃除したし洗濯物も全て乾かしてある。

 ご飯だって3日分は作り置きしてあるので、数日間家事をしなくてもは大丈夫なよう下準備はしたが、それでもこの子の様子を近くで見ることは出来ないのだ。

 

「もう、子ども扱いしないでよ・・・。」

 

 千歳は少し不貞腐れるように顔を俯けて呟く。

 不安と反発の入り混じったその言葉を聞き、リン子は優しく千歳を抱く。

 

「ご飯は冷蔵庫に作り置きしてあるから、レンジで解凍して食べるのよ?」

 

「それもう聞いた。」

 

「あとコンロは絶対に使ってはダメ。」

 

「それも聞いた。」

 

「それから洗濯と掃除は無理にしなくてもいいからね。

 空けるのは3日間だけだし、替えの服も3日分くらいはあるはずだから。」

 

「もう、それくらいなら出来るわよ。いつまでも子ども扱いしないで。」

 

 突っぱねるような言い方をするも、千歳の言葉には覇気がなく、自分から離れようともしなかった。

 これ以上はこちらの方が名残惜しくなりそうだから、リン子は千歳から手を離す。

 

「ふふっ、わかったわ。それじゃあ行ってきます。

 何かあったら遠慮なく連絡しなさいね。」

 

 そう言いながら携帯電話をかざすリン子を一瞥し、千歳はそっぽを向いて一言言う。

 

「・・・いってらっしゃい。」

 

 ドアを開けて外に出て、最後にもう一度だけ、千歳の姿を一瞥する。

 寂しさと不安が滲み出ていた表情を見ながら、リン子は少しずつドアを閉めるのだった。

 

 

 

 

 …

 

 

 

 

 翌朝、起床した千歳はいつものように身支度を整えてリビングに向かう。

 

「おはよう、リン・・・。」

 

 いつもの癖で呼びかけてしまいそうになった千歳は、台所にリン子の姿がいないのを確認して寸でで止まる。

 

「っと、リン子は昨日出てったばかりじゃない。」

 

 気を取り直して食パンをトースターに入れ、冷蔵庫から牛乳とジャムを取り出してテーブルに並べるが、心に潜む寂しさを隠しきるには至らない。

 こんがりと焼けたパンを口にするが、普段とは焼き加減が明らかに違う。

 そして牛乳を飲む度に、リン子の入れたモーニングコーヒーの味が頭をよぎった。

 これまで感じたことのない、非常に味気ない朝食の中で千歳は今頃、出張で都心にいるリン子のことを心配する。

 

「リン子・・・どうしてるかな?」

 

 今でこそこの夢ノ宮市は住み慣れた街となり、この世界の常識についても多くを身に付けることができているとはいえ、千歳たちにとってこの世界が異世界であることに変わりはなく、夢ノ宮市以外の世界を知らない。

 テレビで都心の映像が映し出されるのを見たことはあるが、それだけでも人の数も建物の数もこの街の比ではないことは一目瞭然であった。

 そんなところに今彼女がいると思うと心配でならない。

 

「・・・もう、初日からこんなんじゃ、帰ってからリン子に笑われるわよ。」

 

 と、ここで千歳は無理やり思考を遮断する。

 冷静に考えればこの世界で既に社会人として働き、チェリーたちの身分証明書まで作り出せる彼女は、自分よりも遥かにこの世界に馴染んでいる。何も心配なんていらないはずだ。

 リン子の恋しさにこんなことにまで思考が回ってしまったかと思うと恥ずかしい。

 これではまるで親離れできない子どもではないか。

 

「そうよ、いつまでもリン子に頼りっぱなしじゃダメ。

 私だってもう子供じゃないんだから。」

 

 食器を片付け皿を洗い、髪とリボンを結んだ千歳は学校へ行くための支度をする。

 だがこの時、今日は独り言が多くなっていたことに、千歳は気付かなかったのだった。

 

 

 

 

 …

 

 

 

 

 要が雛子と一緒に登校していると、手を大きく振って笑顔でこちらに駆け寄る蛍の姿が見えた。

 

「かなめちゃ~ん!ひなこちゃ~ん!」

 

「蛍、おはよう。」

 

「おはよう、蛍ちゃん。」

 

 蛍と合流し、3人でお喋りしながら登校していると、ふと先週の会話を思い出す。

 

「そう言えば、リン子さんの出張って今日からだったっけ?」

 

 要が話題を振ると、蛍も雛子もあっ、とした表情で顔を見合わせる。

 

「ちとせちゃん、だいじょうぶかな?」

 

「さすがに登校できないってことはないと思うけれど・・・。」

 

「それはちょっと心配し過ぎじゃない?」

 

 さすがに千歳に対して失礼なほどに大げさな心配だなと思い、要は雛子の言葉に肩を落とすが、その気持ちもまあ、わかる。

 赤子の頃からリン子に育てられてきた千歳のことだから、彼女が私生活の大半をリン子に面倒を見てもらってきたことは想像に難くないし、何よりリン子はなんでも出来すぎる。

 この世界にきて半年で機械の扱い方をマスターし、自分の戸籍を獲得し身分証明書さえも作り出してしまうほど、この世界の情緒に対して詳しい。

 既に社会人として大成で来ていることを考えると、下手をすれば自分たちよりもよっぽどこの世界の社会に馴染んでいるのだ。

 だがその分、いなくなったときの影響と言うのは決して小さくはないはず。

 さすがに千歳が1人で服も着られないほどにリン子に依存しているとは思えないが、例えば寝坊はしないか、朝食はちゃんと取れているのか、家の戸締まりを忘れていないか等、パッと思いつくだけでも心配の種は多い。

 一瞬、母親か!と自分でツッコミを入れたくなったが、こればかりは仕方がないだろう。

 

「みんな、おはよう。」

 

 すると学校前で千歳がこちらに向かってくるのが見えた。

 制服はちゃんと着用できており、カーディガンもシャツも、スカートにもシワは見られない。

 シャツがはみ出ていることもなく、身だしなみはしっかりと整っており、さっそく着替えまでも世話役のリン子に任せっきりではないのかと言う疑念が払拭されたのだが・・・

 

「・・・あれ?」

 

 彼女の姿を見た途端、要は声を詰まらせる。

 隣を見ると雛子と蛍も目を丸くしていた。

 

「ちとせちゃん・・・。」

 

 蛍が言いずらそうに口を開く。

 こればかりはリン子に任せていたのだなと言う箇所が一見してわかってしまったのだ。

 

「どうしたの蛍?」

 

「えと・・・せいふくのリボン、むすびかた、ちょっと変じゃないかな?」

 

「えっ?」

 

 千歳は驚きながら自分のリボンと蛍のリボンを見比べる。

 左右対称、しっかりと中心に結び目が作られている蛍のリボンと違い、千歳のは左右の長さがバラバラ、結び目も中心になく何よりも結び方が明らかに違っていた。

 二重三重に交差結びを繰り返して、無理やり形をよく見せようとしているだけなのだ。

 ついでに言えば、オシャレに無頓着な要でさえ一見して気づいたレベルだから、『ちょっと変』どころのレベルではない。

 

「あと髪形の位置、少しズレてない?」

 

「ウソ!?」

 

 困惑する千歳に雛子が追い討ちをかける。

 普段千歳は、長い青髪をまとめてサイドテールで束ねており、髪は耳に被さらない程度の位置にピッタリと合わせている。

 だが今日はいつもよりも手前の位置で束ねており、彼女の長髪が耳に覆いかぶさっていた。

 これも普段の千歳を見ていれば一見してわかるレベルの違いである。

 蛍と雛子に立て続けに指摘された千歳は、大いに慌てながら周囲を見渡す。

 すると登校中の生徒たちはみんな、千歳を一瞥しては不思議そうな表情を浮かべていた。

 

「・・・そういえば今日、周りからの視線が妙におかしかった気がしたけど・・・。」

 

 そんな千歳の言葉に要と雛子はそろってため息を吐く。

 道行く生徒たちもみんな、今日の千歳の違和感に気が付いていたのだ。

 そう、歩く姿さえもモデルのように映る千歳は、決して持って生まれた容姿だけでそこまでの魅力を引き出しているわけではない。

 服装と髪形もビシっと決めていたからこそ、彼女の容貌は引き立てられていたのだ。

 だが今日はそれが瓦解してしまっている。

 それも制服だけならばいつもの様に綺麗に着こなしているので、猶更リボンと髪の崩れ具合が強調されてしまったのだろう。

 余談だが、彼女の今の姿だって決して見るに堪えないと言うほどの酷い有様ではない。

 これが平凡な容姿の生徒だとしたら道行く生徒の中に溶けこんでいたのだ。

 そう、千歳でなければ明るみに出るような問題ではなかったのだ。

 

「もしかして私・・・かなり目立っていた・・・?」

 

 そう、恐ろし気に聞いてくる彼女を前に、要たち3人は揃って頷くのだった。

 

 

 

 

 …

 

 

 

 

 雛子たちは急いで教室まで向かう千歳の後を追い、2年3組に足を運んだ。

 着くや否や千歳は挨拶も無しに自分の席に着き、リボンと髪を必死に隠そうと俯いてしまう。

 

「千歳ちゃん、俯いて隠したって、一日中そうしているわけにもいかないでしょ?」

 

「それは・・・そうだけど。」

 

「私が直してあげるから、ほら、顔を上げて。」

 

 雛子がやんわりとした口調で千歳を諭すと、ゆっくりと顔を上げてくれた。

 まずは制服のリボンを解き、千歳に教えながら結んでいく。

 

「これでよしと。」

 

「わざわざありがとう、雛子。」

 

 頬を赤くしながらも、千歳は雛子にお礼を言う。

 

「どういたしまして。結び方はこれで覚えられたかしら?」

 

「えっ、ええ、もう失敗はしないわ。」

 

 やや歯切れの悪い千歳の返事を聞いて微笑みながら、雛子は千歳の髪を解き、鞄から携帯用の櫛を取り出し千歳の髪をとき始める。

 

「いや~教室に入って来た時からなんか変だなとは思ってたけど。」

 

 こちらの様子を見ながら未来が割って入ってくる。

 

「・・・そんなに目立ってたかしら?」

 

「かなりね。」

 

「千歳は元が良すぎるからね。ちょっとした綻びも命取りよ。」

 

 未来のストレート過ぎる感想と、優花の褒められているのか責められているのか判断に困る言葉を重ねられ、千歳は深くため息を吐いた。

 

「それでもリボンの結び方知らなかったのはびっくりだよ。

 普段お母さんにしてもらってるの?」

 

「まあ・・・そんなところ。」

 

 未来の言葉には『私は1人で出来るけど?』と言う意味が含まれていたからか、千歳が煮え切らない返事をする。

 最もそれ以上に、リン子を母と認めてしまうことについ反抗的になってしまったのだろう。

 

「千歳のお母さんって明後日まで出張なのでしょ?

 初日からこんなんで大丈夫?」

 

 どこまでも遠慮のない、だが千歳のことをしっかりと案じている優花の言葉に、千歳は言葉を詰まらせる。

 その内に雛子は彼女の髪を結い終わっていた。

 

「はい、おしまい。」

 

「おっ、いつもの位置に落ち着いたな。」

 

 要の感想に雛子は少しだけ鼻を高くする。

 人の髪をとかして結うのは初めてだったが、存外上手く行くものだ。

 特に千歳の髪はとても澄んだ青色でサラサラのストレートだったものだから、彼女には悪いが人形遊びをしていたようで楽しかった。

 これがプライベートだったら色んな髪形をセットして遊んでいたかもしれない。

 

「髪を結うときはちゃんと鏡を見てやった方がいいわよ?」

 

「そうしたつもりだったのだけど・・・。」

 

 雛子の忠告に千歳は渋い表情を浮かべる。

 

「自分でもわからなかった?」

 

「・・・。」

 

 雛子はその沈黙を肯定と受け取り、要と未来、そして優花からやれやれと言ったため息が出る。

 どうも千歳は自分でしていることと、リン子に任せていることの習熟度に大きな差があるようだ。

 制服は乱れることなく着ていることから恐らく自分で着替えているのだろう。

 だがリボンと髪の結びがこのありさまと言うことは、こちらは普段からリン子に任せっきりだったに違いない。

 そして千歳は、家事はリン子が隣で行っているところを見ただけだと言っていたはずだ。

 だから雛子を含むこの場にいる全員が確信しただろう。

 千歳は絶対に家事ができないと。

 

「あっ、あの、ちとせちゃん。

 やっぱりきょうはサクラちゃんにきてもらったほうがいいよ。」

 

 同じ懸念を抱いた蛍があわあわしながら以前の提案を再び突き付ける。可愛い。

 そんな中でもチェリーたちのことを知らない未来や優花の前なので、ちゃんと人間の名前を使い分けるあたり流石の気遣いである。可愛い。

 

「サクラちゃん?」

 

「千歳んとこの近所に住んでる、親戚で家政婦見習いの女子高生だよ。」

 

 初めて聞く名前に未来が首を傾げ、要が答える。

 なぜか『女子高生』と言う単語を強調していたような気がするが気のせいだろう。

 

「だから大丈夫だって。」

 

 だがこの期に及んでも千歳は強がりを止めなかった。

 蛍の手前、カッコつけたいと思う気持ちは分かるが、これ以上は無益だと言うのに一向に止める気配がない。

 千歳がここまで意地っ張りだったとは知らなかった雛子たちは、友達の新しい一面が見られたことを楽しく思う一方で、何もこんなときに意地を張らずともと思ってしまう。

 

「千歳ちゃん、あまり無理はしない方が。」

 

「無理なんかじゃないわよ。

 リン子がいなくても、3日くらい私1人で何とかしてみせるんだから。」

 

 だがどこまでも、リン子への反抗期と言う子供心が邪魔をするみたいだ。

 これはもういっそのこと、その決心が折れるまで1人で任せてみようと思う雛子であった。

 

 

 

 

 …

 

 

 

 

 学校を終えて家に帰った千歳は、鞄を部屋に置いてさっそくリビングへと向かった。

 

「よし、まずはリビングの掃除からね。」

 

 千歳は気合を入れて掃除に臨む。

 リン子には3日くらい放っておいても大丈夫と言われたがそうはいかない。

 この世界では意味を成さないとは言え、自分はフェアリーキングダムの姫だ。

 それを誇りに思っているし、その矜持を捨てるつもりもない。

 そして人の上に立つものは常に人の模範とならなければならない。

 姫たる自分が埃の残った部屋で生活しているだなんて、あってはならないのだ。

 だが何も心配はないはずだ。

 何せこの世界には掃除機と言う便利な機械がある。

 如何な自分が家事の経験が無いとは言え、フロアの上を滑らせるだけで塵も埃も吸い取ってしまう、この世界の文明の結晶ともいうべき代物の力を持ってすれば、すぐに部屋中をピカピカにすることが出来るだろう。

 千歳はさっそく掃除機を見つけて手に取りスイッチを探す。

 掃除機を使うのはこれが初めてだが、これまでの経験から、電化製品の電源を入れるスイッチは、ものによって場所こそ違えど、名前は大体共通しているはずだ。

 即ち『入』または『切』、あるいは『ON』または『OFF』。

 その文字を見つけることが出来れば掃除機を動かすことが出来るはずだ。

 そして探してみると案の定、『入』または『切』のスイッチを見つけることが出来た。

 これで掃除機を動かすことが出来る!

 

「よし!やるわよ!」

 

 気合を入れ直していざスイッチオン!・・・と思いきや

 

「・・・あれ?」

 

 何度『入』のスイッチを押してもうんともすんとも音を立ててくれない。

『この掃除機は音も小さく騒音にならない!』と銘打ったCMを見たことはあるが、それとは明らかに形が違うし、何よりも小さいどころか一切の無音なのだ。

 

「まさか壊れた?

 いえ、そんなはずは・・・ならどうして?」

 

 さすがにこれはおかしいと思いながらも、これまで掃除機を使ったことのない千歳は大いに困惑しながら、分けもなく周囲を見渡す。

 するとコンセントの差込口が目に留まった。

 

「そうよ!コンセントだわ!」

 

 電化製品はコンセントにコードを刺して電気を供給しないと動かないと言うことを今になって思い出す。

 この世界の常識として知識は得ていたが、実際にはコンセントにコードを刺さなくても、テレビのリモコンのように電池で動く機器も存在していたので、千歳にはその切り分けが出来ていなかったのだ。

 だがここで千歳は必死になって、リン子が掃除機を使っていた姿を思い出す。

 朧気ながらも、掃除機から長いコードが引かれ、それがコンセントに差し込まれていた記憶が浮かんでいた。

 

「間違いないわ。

 掃除機はコードをコンセントに差し込むタイプね。

 これで何とかなりそうだわ!」

 

 思い当たったが吉。千歳はコンセントに刺しこむためのコードを探してみるが・・・。

 

「・・・おかしいわね。どこについてるのかしら?」

 

 掃除機をくまなく見てみても、コードらしきものが一切見当たらない。

 記憶の中の映像では、リン子がこのリビング中を掃除機を使って掃除している姿が再生される。

 目の前にあるコンセントに繋がれながら、リビング中を走らせられるのであれば、コードはかなりの長さがあるはず。

 となると、コードは外付けなのかと思ったが、これまでリン子がコードを掃除機に付けていた姿を見たことはなかった。

 再び行き詰った千歳は、額を抱えて記憶の糸を懸命に辿る。

 そこで思い出して来たのは、リン子が掃除機を片付ける時、本体についているボタンを押した途端、コードが掃除機の中に吸い込まれていった光景だ。

 つまりコードはこの掃除機の本体に収納されているのだ。

 

「それなら、きっと取り出すことも出来るはずだわ。」

 

 リン子がボタン1つでコードを回収したと言うことは、逆に1つのボタンで取り出すことも出来るはず。

 そう思い当たった千歳は、改めて掃除機のボタンをくまなく探してみる。

 すると本体の中央に、何やらひと際目立つボタンがあった。

 試しにそれを押してみると、本体のカバーが外れてしまった。

 それだけではない。カバーと一緒に大きな袋のようなものがついてきた。

 

「もしかしたら、この袋の中にコードが巻かれて収納されているのかしら?」

 

 千歳は何とかして袋を開けられないかと、掃除機のカバーと袋を無理やり引き剥がそうとし・・・

 

「きゃあっ!」

 

『ゴミ袋』の中に積もっていたゴミを盛大に床に撒き散らすのだった。

 

 

 

 

 …

 

 

 

 

 放課後、蛍は雛子と一緒に要の部活動の見学に来ていた。

 体育館では要と理沙が協力して練習に取り組んでいる。

 雛子の話によれば来月に地区大会が開かれるようで、それに優勝出来れば県大会に出場できるらしい。

 そして以前の練習試合で、要はチームの主力選手としての力を発揮し始めたので、エースである理沙とのチームワークを促すための練習が多くなっているようだ。

 要のバスケに対する情熱と実力は流石だと思いながらも、普段ライバル心を剥き出しにしている理沙と手を取り協力し合う姿は中々に新鮮である。

 だがそんなどこか微笑ましくもある光景を見ながらも、蛍の表情はどこか浮かないままだった。

 

「千歳ちゃんのこと、心配?」

 

 隣に並ぶ雛子がそう声をかけてくる。

 彼女の前では嘘をついても意味がない・・・と言うよりも多くの人から分かりやすいと言われている自分がウソをついたところで隠せるわけもない。

 だから蛍は今の素直な気持ちを打ち明けることにした。

 

「・・・うん。いまごろ、お家にいるころだよね?

 だいじょうぶかな・・・。」

 

 千歳には家事の経験が一切ないからやってはダメだ、と言うつもりは無い。

 誰だって最初は未経験なのだから、そんなことを言いだしたら何も体験出来なくなってしまう。

 だが問題はそれを見守ってくれる人、失敗してもフォローしてくれる人がいないと言うことだ。

 特に一番心配なのが火の元の扱いだ。

 最近ではガスを一切使わない電子コンロと言うものも増え始めているようだが、あのマンションではガスコンロであることは、以前リン子の料理を手伝ったときに確認済みだ。

 そして料理をしたことなければガスコンロに触れる機会だってないだろう。

 リン子の性格を考えれば、千歳にガスコンロを使わせないために、前もって料理を作り置きして、電子レンジで解凍するだけで食べられるように準備をしてくれている可能性はあるが、問題は千歳の性格を考えれば、リン子の見よう見まねでガスコンロを使う可能性も否めないと言うことだ。

 あまり千歳のことを疑いたくはないが、どうも彼女は普段はクールで思慮深いのに、リン子の前だと背伸びしがちな傾向があるので、不安が拭えない。

 一歩間違えれば、ご近所を巻き込んだ大惨事に成りかねないのだから猶更である。

 

「それならさ、様子を見て来たらどう?」

 

 すると雛子がそんな提案をしてきた。

 確かにここまで心配ならば直接様子を見に行くのが一番だろう。

 失敗しているようなら助けてあげればよいし、上手く行っているのであれば心配は杞憂に終わる。

 だが一方で行ってもいいかと言う懸念もある。

 

「でも・・・メーワクにならないかな?」

 

 チェリーに手伝いに行ってもらえばと言うこちらの提案を、千歳は常に否定してきた。

 母親代わりであるリン子から自立するために自分の力だけで家事をこなそうとしている彼女の決意に泥を塗るような真似にならないだろうか?

 それとほんの少し、断られてしまったらどうしようと思うところもある。

 千歳のプライドを傷つけてしまうのではないかと言う不安と、拒否されるかもしれないと言う恐れが蛍の決心を鈍らせていた。

 

「蛍ちゃんだからこそ、行っても大丈夫だと思うな。」

 

 雛子がそう優しく声をかけてくれる。

 

「千歳ちゃん、今絶対に困ってると思うの。

 でもああ見えてすっごく意地っ張りで、見栄っ張りだから、なかなか自分からは手伝ってって言ってこないじゃない?」

 

 その雛子の言葉に蛍はクスリと笑う。

 まるで普段、要の事を話しているかのような言い方だったからだ。

 

「だから、蛍ちゃんから行ってあげなよ?

 どのみち私や要が行ったところで、私たちも家事が出来るわけじゃないからね。」

 

 その言葉に、蛍の迷いはなくなった。

 本当に困っている人は自分からはそう言い出せない。

 そんな人たちの助けにもなりたいと言うのが、蛍の思いなのだから。

 

「うん・・・ありがとうひなこちゃん!」

 

 雛子にお礼を言い、蛍は千歳の家へと真っ直ぐ向かう。

 そんな蛍の様子を雛子は優しく見守るのだった。

 

 

 

 

 …

 

 

 

 

 部屋を綺麗にするどころか盛大にゴミを撒き散らしてしまった千歳は、しばし呆然とした後に洗濯機のある洗面所へと向かった。

 自分の不甲斐なさに泣きたい気持ちに駆られたが落ち込んでいる暇はない。

 制服に埃が付いてしまったのだからすぐに洗濯をしなければならない。

 撒き散らしてしまったゴミは後で箒と塵取りを使えば良いことだ。

 ・・・そもそも最初から使ったことのない掃除機よりも箒を使えば良かったのでは?と今更ながらに思い自分に呆れるが、今はそれよりも制服についてしまったゴミを落とすのが先だ。

 だがここでまたも同じ問題が発生する。

 自分は洗濯機を使ったことがない。

 さらに言えばリン子が洗濯機を使うところをほとんど見たことがない。

 そもそも意味を成していなかったことは置いておくにしても、掃除機のように記憶を辿ることもできないのだ。

 そしてこればかりは掃除機の代わりに箒と塵取り、というような原始的な手段を取ることもできない。

 故郷にいた頃、メイドが川原で洗濯をしていたのを手伝った経験があるが、あのときのような洗濯に使うほどの大きさのタライは残念ながら手元にはなく、そもそもこの世界では化学物質による環境問題が世界的に大きく問われている。

 家にある洗剤がどんな成分で作られているのか判断することが出来ない以上、迂闊に川で洗濯なんてできないのだ。

 

「だっ大丈夫よ。

 これだって電化製品、きっとスイッチ1つで簡単に出来るはずだから。」

 

 それでも千歳は自分を鼓舞して、恐る恐る洗濯機を覗きこむ。

 これまでと同じように『入』、『切』に加えて『水量』と書かれたものや『すすき』、『洗い』等々のスイッチが見受けられる。

 これを順に押して洗濯を実行していくのだろう。幸いにも故郷での経験からその手順は覚えられている。

 だがここで千歳は1つの問題に直面する。

 

「15リットル、30リットル、50リットル・・・水の適量ってなに!?」

 

 水量のスイッチには必要な水量が幾分かの刻みで書かれていたが、千歳には洗濯物比の水量がわからないのだ。それだけではない。

 

「そもそもこの洗濯機、どうやって水を入れるのよ!?」

 

 洗濯機の中に水を満たして洗濯物と洗剤を入れるまでは想像できたが、この洗濯機をいっぱいに満たせるほどの水量をどこで調達すれば良いのだ?

 まさか機械文明がここまで発達しているこの世界で、洗面台からコップいっぱいの水をすくって運んでいくなんて原始的な方法を使うわけがないわけだろう。

 と、悩んでいる内に千歳は洗濯機の横に長いホースが置かれていることに気付く。

 そして洗濯機の隣には風呂場がある。

 

「もしかして、これを使ってお風呂から水をくみ上げるのかしら?」

 

 千歳は風呂場の扉を開けてホースの長さを見比べてみる。

 この長さなら浴槽まで十分に届くだろう。これで水の問題点は解決だ。

 

「あとは、洗剤ね。」

 

 再び辺りを見回してみると、洗濯機の上の棚に洗剤らしき箱を見つけた。

 ホースを足元に置き、箱を手に取り中をみると、粉末が箱いっぱいに詰められており、取っ手のついたカップも入っている。

 間違いなくこれが洗剤だ。

 

「よし。」

 

 あとは洗濯機の中に衣類を入れ、ホースから水を汲みこの洗剤を入れてスイッチを入れるだけ。

 何だか諸々の問題事項を忘れている気がするが、少なくとも掃除機の時とは違い成すべきことは明確になった。

 千歳が力強く意気込み、洗濯籠に向かって足を運び込む。

 だが慣れない家事に戸惑い冷静さを欠いていたことと、ようやく上手く行けるのではないかと光明が差してきたことで注意力が散漫となっていた千歳は、足元への注意が疎かになっていた。

 

「あ・・・。」

 

 しまった、と思った時には既に遅し。

 足もとに置いたホースに足を取られた千歳は、手に持つ箱を宙に放り投げながら転んでしまう。

 次の瞬間、地面にうつ伏せで倒れた千歳は、放り投げた洗剤を盛大に被るのだった。

 

 

 

 

 …

 

 

 

 

 千歳の住むマンションに着いた蛍は、顔を覚えていてくれていた管理人にお辞儀をしながら302号室を目指す。

 そして部屋の目の前まで来た蛍は、少しだけインターフォンを押すことを躊躇するも、すぐに迷いを断ってボタンを押す。

 しばらくの間応答がなく、もしかしたら家事に集中していて気づかなかったのかと思い、もう一度押してみようかと思った矢先、スピーカーから千歳の声が聞こえてきた。

 

「はい・・・どちら様ですか?」

 

 覇気のない、疲れ切った様子が伝わってくるような声が聞こえ、蛍はここへ来て良かったと思った。

 

「ちとせちゃん、ほたるだけど。」

 

「えっ!?蛍!!?」

 

 千歳が素っ頓狂な声をあげて驚く。

 

「えっとね、ちとせちゃんきっと、はじめての家事でたいへんだとおもったから、おてつだいしにきたの。」

 

 たどたどしながらも千歳にここへ来た目的を話す蛍。

 

「べっ、別に大丈夫よ!言ったでしょ?これくらい私1人でも出来るって!

 わざわざ蛍に手伝ってもらうほどのことでもないわよ。」

 

 この場でも1人で大丈夫だと主張する千歳だが、声が微かに震えており普段のような堂々とした余裕を感じられない。

 それが強がりだと言うことは蛍にもわかった。

 彼女は今、困っているのだ。

 初めての家事が上手く行かず、いつもの堂々とした振る舞いに余裕が持てないくらいに。

 だから蛍は・・・

 

「・・・ねえ、ちとせちゃん。」

 

 助けてあげたいと、心から思った。

 今困り果てている、自分の大切な友達を。

 

「うまくいかなくても、カッコわるくなんてないんだよ?」

 

「え・・・?」

 

「はじめてのことだもん、うまくいかないのはあたりまえだよ。

 わたしだって、はじめておかーさんのおてつだいしたとき、ぜんぜんうまくいかなかったもん。」

 

 そう言いながら、蛍はまだ小学校に上がる前のころを思い出す。

 あの時は料理をすれば食材を床に落とし、洗濯物はまともにたためず、掃除すれば前よりも散らかしてしまいと、まだ幼かったことを考慮しても散々な有様だった。

 母の負担を減らすために始めた家事のお手伝いなのに、逆に負担をかけてしまった。

 自分には向いていないと何度もいじけて止めようと思ったほどだ。

 それでもめげずに精いっぱい頑張り続けたから、蛍は1人でも家事をこなせるまでに成長した。

 多くの事を失敗から学び、今に繋いで見せたのだ。

 だから初めての家事で上手く行かなかったことを、恥じる理由なんてどこにもない。

 

「・・・。」

 

「ちとせちゃん、まえにもいったよね?

 ちとせちゃんはいつもわたしのことたすけてくれて、わたしのこと、まもってくれて。

 でも、わたしだって、ちとせちゃんのたすけになりたいっておもってるんだよ?」

 

 尚も沈黙を続ける千歳に蛍は自分の思いを素直に伝える。

 勉強も運動もそつなくこなせる千歳と自分では能力に大きな差があるから、彼女が自分の助けを必要とすることなんてないと思っていたから。

 だけど今、彼女の力になれる。

 自分の特技を彼女のために活かすことが出来る。

 自己満足かもしれないが、蛍にはそれが嬉しかった。

 ほんの少しでもいいから、千歳へ恩返しがしたかったから。

 

「だから・・・ここをあけて、ちとせちゃん。」

 

 懇願する蛍の言葉から少し間を置き、ドアが開く音がした。

 玄関前に立つ千歳は頭に粉洗剤を被り、服は埃まみれの状態で、肩を落として表情を沈ませていた。

 普段の堂々としたカッコイイ彼女の姿からはおよそ想像もできないものだが、それでも蛍はそんな千歳を笑わなかった。

 それは彼女が、初めての家事に1人の力で頑張った証なのだから。

 


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