尊敬、と言うと少しちがうかもしれない。
その男は唯一、少年が憧れた男。
究極にまで洗練されたその圧倒的暴力は、当時まだ5年生だった少年をいともたやすく魅了した。
万人がその男に立ち向かっていっては綺麗な放物線を描いて殴り飛ばされる。その光景を少年はただただ見ていた。
そして同時に、少年にある価値観が人生で初めて芽生えた。
『かっけえ…』
その男を表す言葉なら数多あるだろう。
「一騎当千」 「天下無双」
しかし少年のその言葉がもっともシンプルにその男の本質を表していた。
今も記憶にこびりついているのは背中の3本の傷。その日から少年は、その傷に『最強』の文字を見出した。
______________
「貴様が佐々木か」
「……はあ…どいつもこいつも…。先生をつけろってんだよタコ助野郎」
ある日の昼下がり、職員室にて2人の男女が対峙していた。男の方は今名前の出た通り佐々木だ。左手に資料を持ち、右手にコーヒーを持っていたことから資料の整理中だったことが伺える。
「んでさっきの返事だが、確かに俺は佐々木であってるぞ。」
とりあえず両手に持っていたものを机に置き、座っていた椅子ごと体を女の方に向ける。
女の見た目は金髪の西洋人がゴスロリ衣装を着ているような感じで、ここ石矢魔でもそうそう、というかまず見かけない格好だった。
「それで?何の用だ。つかお前誰だ。俺が受け持ってるクラスの生徒じゃねえよな?」
佐々木は自分が受け持っているクラスの生徒は全員名前と顔を覚えるようにしていた。しかしこの女は見覚えがない。というか、こんな自己主張の激しい外見なら去年1年間でも受け持ったらまず目につくはず。
ーー1年生か…。
佐々木はそう結論づけた。
「私が誰かはどうでも良いことだ」
対する女はそういうとうっすらと笑みを浮かべる。そして
「重要なのは、貴様が誰かということだ」
「あ?」
次の瞬間には佐々木に肉薄していた。手にはいつの間にか剣のようなものが握られている。
女は自分の剣のリーチに佐々木が入るやいなや、剣を振り上げ上段から振り抜いた。
常人ならば今の一連の動作を目で追うことすらできないだろう。ましてや、かわすことなど。
「おいこら。一体どういう了見だ。場合によっちゃ生活指導が入るぞ」
しかし、振り下ろした先に佐々木はいなかった。すこし体を逸らすことによって女の一撃を完璧にかわしていた。
この時点で、佐々木が常人であるという仮定は女の頭から消えた。
(なるほど。わかってはいたが、この男やはり強い)
女ーヒルダが思い出すのは先日の佐々木と男鹿の一戦。
色々と足らないところはあるが"強さ"というその一点において、男鹿は規格外といってもいいほどのものを持っていた。少なくとも、ヒルダが今まで見た中で男鹿ほどの実力を持つ人間はいなかった。しかし、それを打ち破ったのがこの男。
男鹿の渾身の一撃をまるで意に介さず、逆に圧倒的一撃をもって男鹿を沈めた。
ーー上限が、見えない。
ヒルダがその時の佐々木を見て真っ先に思ったことである。
そしてそれは、今現在も変わらない。
「っち」
ヒルダは迅速にバックステップを行い、体勢を立て直す。
そして、間髪入れずにもう一度攻撃を仕掛けた。先ほどよりも数段速いスピードから繰り出される刺突。
「おい、まず要件を話せ」
が、当然のごとく回避。これまた体重移動だけで佐々木は逃れていた。
(これもかわすか……。ならば)
ヒルダは刺突のエネルギーをそのまま横への薙ぎ払いに転換した。体の捻りも加え、さらに攻撃のスピードが増す。
ズパンッ!
今度こそ何かにクリーンヒットした感触を覚えるヒルダ。しかし、同時に違和感が芽生える。明らかに手応えが軽すぎる。少なくとも人間を切り裂いた時の重みではない。
急いで振り抜いた先に目線を合わせると、積み上がっていた資料がバラバラと崩れ落ちた。対する佐々木は当然のごとく無傷である。
資料は佐々木の机に積み上がっていたものだ。何枚かは無傷かもしれないが、大半は無惨な状態になっていた。
その光景を間近で見て、やれやれとかぶりを振る佐々木。
「最近の不良ってやつは喧嘩に真剣を使うのか」
もちろんそんなわけはない。いくら天下の不良校である石矢魔でも、喧嘩に真剣を用いたりはしない。まず持っていない。
それでは不良ではなくヤクザの喧嘩だ。というか抗争だ。
がしかし、補足をするならば、真剣を使う輩はいないがチェーンソーとナイフを使う輩ならいる。
「これ以上はやめておけ。学校の備品が壊れるかもしれねーだろ。その紙束の件は許してやるから」
佐々木の机の上の資料くらいなら、また佐々木がプリントすれば済む話だ。それにめんどくさいと思うことはあれど、怒りはしない。
しかしもし学校の備品が先程の資料のように無残に細切れになるといことになれば、佐々木は己の憤怒を抑えつけられる自信がなかった。
故の忠告。
しかし。その言葉に対してヒルダは剣を構えなおすことで答えた。
「はあ、石矢魔の生徒ってのはなんでこうも聞き分けがわりい奴が多いんだ…。」
再びヒルダが突進する。三度見たその光景。佐々木相手に、いや、たとえ誰が相手であったとしても、同じ攻撃を3度もすれば流石にパターンがつかまれる。ましてや、今相手にしているのはあの男鹿を赤子扱いする佐々木である。1度通用しなかった攻撃が、3度やったからといって通用するわけがない。そんなことは誰でもわかる。
そう、もちろんヒルダにも。
激突寸前、佐々木の目の前で傘が開く。
一瞬、佐々木の視界は全て傘で覆われた。必然、ヒルダの姿が視界から消える。
そしてその一瞬をついてヒルダは佐々木の左後ろに移動する。
最初の攻防で佐々木相手に真正面からやっても無意味ということは理解していた。それでももう1度同じパターンで仕掛けたのは、全てこの時のための布石。
馬鹿の一つ覚えのように突っ込んでるように見せて、一瞬の意表をつく。
それがヒルダの戦法だった。
(とった…!)
死角からの上段切り落とし。確かに佐々木の反応速度は尋常ではない。どんな攻撃も見てから対応できる。
しかし、見えていないのなら話は別。反応のしようがない。
故にヒルダは確信した。勝利とはいかないまでも、確実に一太刀はいれられると。
が、その考え自体が甘かった。
「っち、女に手をあげんのは趣味じゃねえんだけどな」
今度こそヒルダは驚嘆で言葉が出てこなかった。かわすのならまだわかる。いや、それでも十分異常だが、勘でかわしたというのならばまだ納得はしないが理解はする。
しかし、この男はどうだ。
人差し指と親指だけで器用に刀を白刃どりなど、人間の所業ではない。つまり、あの一瞬のうちにヒルダの気配を察知し、体勢を変え、自分に向かってくる刃を正確に掴んだということになる。
(バカなっ!あの一瞬でここまでできるはずがない!)
二本指とは思えないほど強固に固定される剣。いくらヒルダが信じられなくともそれが真実。
「はあ、いくら話を聞こうと思っても耳も傾けねえしなあ。」
佐々木がゆっくりと拳を上げ、手を手刀の形にする。
(!?まずい!)
それを見てからのヒルダの判断は迅速だった。咄嗟に剣を離してその場から離脱しようとする。
しかし、
「とりあえず落ち着きやがれ」
異常なスピードで振るわれた手刀はヒルダがその場から離脱するよりも早く彼女を捉える。その手刀はヒルダの剣をいともたやすく折り、そのままヒルダの首へ叩き込まれた。
「ぐっ!!」
メシメシと首から伝わってくる衝撃に、ヒルダはあっけなく意識を手放した。
「さて……職員室片付けねーとな…」
男のつぶやきは、誰に聞かれることもなく職員室に響いた。
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「おい、聞いたか?とうとう姫川まで男鹿にやられたってよ」
「もちろんだ。神崎に続いて姫川まで…。男鹿のやつまじに石矢魔とりきてんのか?」
「まさか…。仮にそうだとしても石矢魔にはまだ東邦神姫のうちの2人がいる。邦枝は神崎と姫川とは別格の強さだし、東条に関しては別次元の強さだ。」
それに、と言って男は付け足す。
「石矢魔には奴がいる。今最も最強に近い、佐々木がな」
「でもその佐々木は石矢魔統一には興味ねえんだろ?大丈夫かよ」
「………こまえけぇこたぁいいんだよ!とりあえず神崎と姫川の入院中に勢力がだいぶ動いてる。俺たちもさっさと身固めねえと…『おい…』っ!?」
突如、喋っていた2人の背後から声がかかる。重くのしかかる低い声。もちろんこの2人にも聞き覚えがあった。というかトラウマになりつつある声。
もう誰かは見当がついている。あとはその答え合わせだ。
己の予想が間違っていることを心の中で願いながら、2人はゆっくりと振り返る。
「さ……佐々木…」
彼らにとっては残念なことに、予想は完璧に的中していた。もはや叫ぶ気にもなれない。そんなことに気を回している場合ではなかったのだ。
即座に自分の身振りを振り返る。ここ最近、佐々木に目をつけられることをした覚えはない。学校の備品を壊したわけでもない。授業妨害をしたわけでもない。
ならばなぜ…
「そこのお前」
「は、ははははははい!!俺!?っすか!?」
思考が答えに行き着く前に中断させられる。
佐々木に指さされた方は半泣き半漏らしで応えた。おまけに何故か敬礼付きで。
もう一方の男はただひたすらに胸を撫で下ろす。
「今、姫川やら入院やらと言っていたな。」
「は、はぁい!言ってましたであります!」
「それはちょうどいい。おい、お前が姫川について知ってること、全て話せ」
「了解であります!!」
男は号泣しながらそう答えた。
「ここか」
先日男に聞いた情報によると、姫川は男鹿に喧嘩を売り、物の見事に敗れ、その時負った怪我で入院したらしい。場所は市でも有名な病院。佐々木は今日そこに来ていた。
詳しく聞いたところによると神崎も一緒に入院中とかで、佐々木は2人ぶんのお見舞いの品をこさえて来た。
「402号室です」
受付に部屋番号を聞き、佐々木は部屋へと向かう。
「まじかこりゃ」
部屋番号の下の名前欄を見て佐々木がそうこぼす。まずは姫川の方から見舞いをしようと思ったら、姫川の文字の下にしっかりと神崎と書かれていた。
しかし佐々木は少し考えたあと、何事もなかったかのように扉の取っ手に手をかけた。
要は考えようである。多少びっくりしたが見舞いの手間が省けると思えば気にすることなど特にはない。
室内からは多人数での話し声が聞こえてくる。
どうやら神崎も姫川もそこまで深刻な容態ではないようだ。
扉を横にスライドする。
「よう」
途端に病室に静寂が訪れた。
「さ、佐々木!?」
「な、なんでてめーが!」
一瞬たって、やっと思考が回復した神崎と姫川がベットから上体をかなりの勢いで起こす。側には夏目と城山もおり、両者とも目をひん剥いている。夏目に関してはなかなか見ない顔だ。
「ん?ああ…。神崎と姫川。お前らが重症で入院しているって聞いてな、見舞いに来たんだが…。元気そうで何よりじゃねーか。教師に向かって『てめー』だの、呼び捨てだのできるぐらいには回復してるらしいな。」
佐々木の額に青筋が浮かぶ。
それと同時に神崎と姫川の顔色がみるみるうちに青くなっていく。
「敬語の使い方から教えてやる」
「ちょっ!タンマタンマ」
「ま、まて!いくらだ!?いくら出せば…」
「問答無用」
2人は頭にチョップをくらった。
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『クイーンが帰ってくる?』
「そうみたいなんだよねー。なんでも北関東を制圧し終わったとかで」
夏目の話によると、
それを聞いた神崎と姫川の反応は似たようなもので、あまりよくは思ってないように伺えた。
「まあ、お前らどっちも邦枝に負けてるしな」
そう。この2人、以前どちらも邦枝に敗北経験があるのだ。姫川に関して言えば特にひどく、さんざん舐めた態度で言い寄った挙句、手痛いどころでは済まないしっぺ返しをくらった。そのことを細かく知っているのは佐々木だけである。しかし、噂はだいぶ広がっていた。
指摘された2人だが、それが事実であるのと、指摘したのが佐々木なだけあって反論しづらい。というかできないので、お互い気まずそうに目をそらす。
「まあ、奴ら最近ずっと欠席してっからな。そろそろ忠告しなきゃダメだと思っていたところだし、ちょうどいいっちゃちょうどいいな」
「あははー、クイーンに対してそんなこと言えるの佐々木先生ぐらいだよ」
「あたりめーだろ…。俺以外ほとんど教師いねーんだから…」
「そういう意味じゃ無いんだけどねー」と笑って流す夏目。
石矢魔がいくら天下の不良校と言われていても、留年制度や退学制度はしっかりと存在する。出席日数が大幅に欠けるということは、即ち留年の危機を意味していた。
なので佐々木はそろそろ電話してでも忠告しようと思っていたのだが、帰ってくるのならば都合がいい。その時に知らせに行くことに決めた。
「んじゃあ、俺は帰る。お前らもだいぶ回復してきたようだしな。近いうちに復帰もできんだろ」
あれから少しばかり会話し、日が沈みかけてきたところで佐々木は席を立った。
「とりあえずお前ら、戻ってきても問題は起こすんじゃねえぞ。喧嘩結構だが、くれぐれも校舎を壊すことは…」
「わかった、わかったよ!」
何故か殺気が漏れ始める佐々木を神崎は必死で帰らせた。
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その頃、某所にて。
「姉さん。お疲れ様です。これで最後の勢力も潰し終わりました。」
「ふうー、案外大したことなかったわね。寧々もお疲れ様。」
「はい。それで、終わって早々悪いんですが、」
「?どうしたのよ」
「いえ、石矢魔のことで」
「石矢魔か……なんか久しぶりな気がするわね。佐々木先生も、元気でやってるかしら」
「うっ、あの人外教師っすか…」
「寧々は佐々木先生苦手よね」
「ま、まあ。いえ、そんなことはいいんです。問題なんですが、最近石矢魔で幅きかせてる男がいまして」
「………男…?」
「はい、名を、男鹿辰巳と…」
前回までたくさんの誤字報告をいただき、ありがたさ反面、恥ずかしさもあります。自分でも読み直したりするのですが、気づかないものです。