時折小休止を挟みつつ歩き続け、日が傾き大地が暁に染まる頃、長く伸びた二人の影は二人よりもさらに長くそして大きく伸びている廃墟の手前にあった。
所々原形を留めていない部分もあるが、全体で見れば形は保たれている方であろう廃墟。
元は工場として稼働していたのだろう、住宅とは異なるその外観を暁に染めながら、その廃墟は静かに佇んでいた。
「今日はここで一夜を過ごそう」
ツルギの提案を否定する事もなくアンバーは受け入れると、二人は廃工場の内部へと足を踏み入れた。
外観と同じく内部も廃墟と化した当時と同じ姿を保っているかと思ってはいたが、それは誤った考えであったようだ。
この大地がウェイストランドと呼ばれるようになるその時のまま時間が止まっているかと思われた廃工場内部は、人が居なくなって久しいとは言い難かった。
倒れた棚や厚みのある埃をかぶった机等、所々には人の管理の手を離れて久しい光景が映るが、全体でみると人の手が加わっている光景が目につく。
何処かしらから運び込んだであろう所々痛みが見られるマットレス。簡素な椅子に、同じく簡素な机。アンティークのつもりか机の上には壊れたパソコンの姿もある。
その脇には小物入れなどに使っていたのか、小物入れとしては似つかわしくない外見を持つ弾薬ケースが置かれていた。
「先客……、が居たみたいだね」
マットレスに手を触れながらツルギは予想外の先客の存在をアンバーに伝える。
しかし、ツルギ自身はこの状況にそれ程危機感を持っている様子はない。
「でも、どうやら最近は帰って来てない様だ」
マットレスに積もった埃の状況から推測してか、このマットレスの主は最近は使っていない。即ち、この場に自分達以外の第三者が潜んでいる可能性は低い。その様に結論付けたようだ。
「それじゃ、安心って訳?」
「いや、完全にとはいかないさ。このマットレスの主がウェイストランドの大地に没したかどうかは分からないし、ただ単に遠出しているだけかも知れない。それに、自分達と同じようにこの廃校場にやってこない者がいないとも限らないしね」
「なら、どうしてそんなに危機感が無いのよ」
「そんなに気を張ってたら持たないよ。ま、夜襲を受ける可能性がなくはないけど、一応その時に備えて対策を施すだけの時間はあると思うから大丈夫かなっと」
肩の力を抜いてとアンバーを諭すと、ツルギはこの一夜を安全に過ごせる為に必要な条件を整えるべく廃工場内を散策し始めた。
一方のアンバーは、後を付いて行こうかとも思ったがこの場を離れた後に何者かが廃工場に入って来るとも限らないと考え。積った埃を手で払うと、簡素な椅子に腰を下ろしツルギが戻って来るのを待つ事に。
それからどれ程経過しただろうか、近づいてくる足音が耳に入ってくる。自然と足音のする方へと顔を向けると、そこには近づいてくるツルギの姿があった。
「今夜を安全に過ごすのに丁度いい場所を見つけたんで、そこに移動しよう」
「あ、ちょっと!」
そう言うとツルギは踵を返しその場所へと向かう。そんなツルギの後を追いかけるようにアンバーは急いで椅子から腰を上げると小走りに彼の後に続いた。
先ほどの場所よりも廃工場をおくへと進んだ所に在る、所謂事務所と思われるスペース。そこに二人の姿があった。
事務所であるから当然ながら机やパソコンが並べられている、そしてその間を縫うようにマットレスが置かれている。
「はい、これ。缶詰とレーションだけど今晩の夕食」
バックパックから取り出したのだろう数種のパウチと缶詰。そして缶切り等それらをアンバーに手渡すと、ツルギ自身はまだ準備が終わっていない部分があるからと言い残すと事務所を後にする。
一人残されたアンバーは適当に椅子に腰かけると、手渡された夕食の缶詰に缶切りを当て開け始めた。
一人で食べる食事は慣れている、既に何百何千と繰り返してきた事だ。しかし、何故か今回ばかりは一人で食べている事に虚しさの様な寂しさの様な、そんな気持ちがこみ上げてくる。
どうしてそんな気持ちがこみ上げてくるのか若干戸惑いつつも、アンバーは静かなる夕食を続けた。
「お待たせ」
そして夕食を食べ終えたのを見計らったかのように、ツルギが再び事務所に戻ってくる。
「ご馳走様」
「あ、もう食べ終わったんだ」
「えぇ」
空になった缶詰やパウチを適当に一か所にまとめておくと、アンバーは特に何をするでもなくツルギの方を見つめ続けた。
一方のツルギは、自身も夕食を取るべくバックパックからアンバーに手渡したのと同じ缶詰やパウチを取り出すと、夕食を取り始めた。
アンバーの視線が気にはなったが、特に何か反応を返す事もなく。ツルギは黙々と夕食を食べ続けると、程なくして本日の夕食を終えた。
その後、特に二人の間で会話が盛り上がる事もなく。途切れ途切れに会話を交わしながら、互いに明日に備えての準備を、と言ってもツルギが殆どであるが、を行い時間を潰していく。
こうして時間の経過と共に眠気が押し寄せると、準備を整えた事もあり二人は各々のマットレスへと体を横たわらせた。
「それじゃ、お休み」
「お休みなさい」
特に眠気を妨げるような音が聞こえてくるわけでも、まして事務所の扉が爆発とともに強引に開けられる事もない。即ち、安らかな時間が流れていた。
しかし、そんな安らかな時間は意外な人物によって妨げられてしまう。
「ね、ねぇ……。ツルギ」
「ん? んぁ」
ツルギが眠りについてから幾分の時間が経過したのだろうか、不意にアンバーの声がまるで耳元でささやかれたかのように聞こえてくる。
まだ眠りが浅かったからか、それとも日頃の生活の賜物か。囁き声で目を覚ましたツルギはアンバーの声から緊急の心配性がないと直感的に判断し、薄らと目を開けるとゆっくりと声の方へと顔を動かした。
するとそこには、ツルギの寝ぼけ眼を全開へと誘う光景が広がっていた。
「あ、なぁ!」
そこには確かにアンバーが居た、しかしその姿は、眠る以前までに見ていた姿とは異なっていた。
その姿は、アンバーがこの世に生を受けた時の姿。羞恥心など何処にもない、まさにありのままの姿であった。
何故彼女がこの様な姿を曝け出しているのか、ツルギには見当もつかない。ただ、少なくとも、ツルギをからかう為にここまで大胆な事をしているという事ではなさそうだ。
「ど、どうしたんだアンバー。そ、そんな」
「私ね、今まで生きてきてこれ程誰かに暖かくされた事なんてなかった。だから、多分、戸惑ってるの。それで、何とかその気持ちを整理したくて」
大胆な行動を取っていた裏には、どうやらアンバーの気持ちを落ち着かせようとする制御の一環である部分が関与していたようだ。
それにしては、随分色々と段階を通り越している気がしなくもない。
「無償の恩なんて、やっぱり私には重すぎて。でも、今の私には恩を返せる手段といったらこれ位しか思いつかなくて」
「アンバー……」
「だから、ね、ツルギ。私を、抱いて」
それに加え、ツルギの善意が今のアンバーにとっては重すぎて受け止め切れなかった反動も加わっている様だ。
原因の一端が自身にあると理解したツルギは、何とか事を起こさず乗り切ることも出来たであろうが、彼女の気持ちを受け止める覚悟をする。
それで彼女の気持ちに整理がつき、彼女が少しでも前に進めるのなら、ツルギはその身を貸すことぐらい厭わない。
薄明かりが照らす中重なり合う男と女。例えこの大地が地獄に変わろうとも、変わることのない連鎖の営みがそこにはあった。
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