脱落者の生理現象   作:ダルマ

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第一部 出会い
第一話


 荒れ果てた大地とは異なり、傷付く前と何ら変わりない何処までも続く青い空。空を見上げれば、そこには過去の悲惨な現実など微塵も感じさせない。

 しかし、人間は何時までも空を見ている訳にはいかない。未来に向かって歩くためには、前を向いていかなければならない。

 例えその視線の先に、朽ち果てた大地が広がろうとも荒れ果てた街並みが広がっていようともだ。

 

 ウェイストランドの大地に生息する生態ピラミッドの底辺に『レイダー』と呼ばれる人々の存在がある。

 野生生物以下の知能しか持たない人間、或いは人の皮を被っただけの単細胞生物。他にもスクールボーイ以下の存在やモヒカン野郎等々。様々なあだ名を持つ者達である。

 彼ら或いは彼女らは、自分達の仲間以外の人間を見つけると問答無用で襲い掛かる。それはその者が持つ物資が目当てであったり、或いはその者自身を食肉として食す為だ。

 レイダーは全員ではないにしろ、大抵の奴は人間が人間の肉を食べる事を習慣としている。所謂カニバリズムと呼ばれる者達でもある。

 

 略奪、強盗、拷問、殺人。更に殺した人間の一部をアンティークの如く自身の住処に飾っていたりもする。まさに底辺の中の底辺、それがレイダーなのだ。

 

「ヒャッハー! 久々の新鮮な肉だぁっ!」

 

「あぁ、肉だ肉! だがその前に、素敵なお楽しみタイムだ!」

 

 独特な言い回しを発しながらレイダーと呼ばれる二人の男が、その見るからに手作り感満載の改造衣服を身に纏い、その手に物騒な拳銃を握りながら荒れ果てた廃墟に佇んでいた。

 いや、よく見ればその場にいるのは二人のレイダーだけではなかった。二人の前には、壁際に追い詰められたであろう人影が一つ。

 まるで追い詰められた小動物の如く、怯えた様子で二人のレイダーを見つめるのは一人の女性。年は二十代だろうか、茶色のセミロングに顔は比較的整った目鼻立ちをしているが、その身に纏う衣服はお世辞にも小奇麗とは言い難い。

 所々破け擦り切れてボロボロな衣服ではあるが、その衣服の下に隠れた女性特有の身体的特徴は、二人のレイダーにとっては興奮を更に高ぶらせるには十分すぎる程の威力があった。

 

「ひひひ、もうたまんねぇ。今にも俺のマグナムが火を噴きそうだぜ!!」

 

「あぁ? マグナムだぁ。てめぇのはマグナムじゃなくてデリンジャーだろうが!」

 

「言うじゃねぇか。そう言うてめぇも似た様なもんじゃねぇか!」

 

 興奮して気が立ってるからか、レイダーの二人は些細な事で口論を始めた。互いに罵り合い、さらに過激になるのにそう時間はかからなかった。

 そんな二人のやり取りを見ていた女性は、今ならば逃げられるかもしれないと。そう感じ取っていた。

 二人の視線は自分には向けられていない、ならばこれはまたとない機会だ。慎重に、ゆっくりと、気付かれないように少しづつ動けば大丈夫。

 

 レイダーに見つかり捕まればもはや待っているのは五体満足の死か、文字通り体をバラバラにされての死か、そのどちらかだ。

 だが、そんな死の運命から逃げられるかもしれない。少しづつ少しづつと離れていく内に、彼女の脳内にはまだ見ぬ明るい未来が思い描かれていく。

 

「おいおい、お嬢ちゃん。何処に行こうってんだぁ? ぁあ!」

 

 刹那、一発の銃声が響き渡ると同時に、彼女はその動きを止めた。いや、止めざるを得なかった。

 自身の手が次に着けようとしていた地面には、今し方出来たばかりの弾痕がその姿を現し。視線を二人のレイダーに向ければ、片割れのレイダーが拳銃を向けている。向けられた拳銃の銃口からは、まだ硝煙が見られる。

 

「俺達から逃げようなんていい度胸だ。その度胸に免じて、たっぷり可愛がってやるよ。ひゃはは!」

 

 下劣な笑いを浮かべ、舌なめずりしながらもう片方のレイダーが彼女に近づく。

 

「おい、最初はてめぇに譲るが後でちゃんと替われよ!」

 

「分かってるよ」

 

 まるで怯える彼女の反応を楽しむかのように時間をかけてゆっくりと近づくレイダー。そんな相棒の行動に軽く舌打ちをしつつも、もう一方のレイダーは見張り役を続けてる。

 もはや思い描いた淡い希望など何処にもない、やはり運命は変わらない。

 彼女は恐怖に体を震えさせながらも、最後の抵抗とばかりにせめてその時だけは目に焼き付ける事の無いようにと堅く瞳を閉じる。

 最後に目にした光景は、今まさに自身の体に手を伸ばそうかとするレイダーの姿。その後に待っているのは、もはや想像に難しくない。

 

 だが、視覚を閉じた彼女が次に感じ取ったのは、レイダーが自身の体を玩具にするようなものではなかった。

 遠くから聞こえた発砲音。と僅かに遅れて低い声と共に何か液体のようなものが自身の顔にかかったのを感じる。

 そして次に聞こえてきたのは、見張り役を買って出ていたレイダーの声であった。

 

「何処にいやがる! 出てきやがれ!」

 

 刹那、今度ははっきりと分かる程の発砲音が耳に響く。それも一発だけではない、二発三発と連続して聞こえる。

 これには視覚を閉じていた彼女も違和感を覚えずにはいられなかった。先ほどから聞こえる発砲音は何なのか、何時まで経ってもレイダーの手が自分の体を掴まないのは何故なのか。

 様々な疑問が頭の中を駆け廻り、視覚と言う名の情報を欲し始める。

 

 意を決して、その固く閉じた瞳をゆっくりと開けてみる。と、目の前には、先ほどまで自身の体を欲していたレイダーが仰向けにして倒れている。

 

「……ひ!」

 

 しかもよく見れば、その薄汚れた醜い顔には本来ある筈のない穴が開いており。冷たくひび割れたコンクリートの大地に赤いペンキを広げている。

 しかも気づけば、その赤いペンキの一部が自分の衣服や顔にもかかっていた事に気が付いた。

 目の前のレイダーは頭を撃ち抜かれ死んだ。紛れもない死が、目の前に広がっていた。

 

「す、姿を現しやがれ! こそこそしやがって、ぶっ殺してやる!」

 

 目の前の死に彼女は動揺していたが、もう片方のレイダーの声にふと冷静さを取り戻す。

 未だ生きているもう片方のレイダーを視線で探せば、彼は近くの廃車の陰に身を隠しながら自身を狙う何者かに向けて声を張り上げている。

 しかしその声には、近づいてくる死の恐怖に耐えかねてか恐怖の色が滲み出ている。

 

「ど、何処だぁ! 出てこぉぉい」

 

 自身の気を保つ為か、それとも威嚇か。当てずっぽうと見えんばかりに手にした拳銃を発砲する。

 断続的に響く発砲音。しかし、やがて弾が尽きたのか、威勢の良い音がはたりと聞こえなくなった。

 

「しま、弾が……」

 

 唯一自身の精神を支えていた物が一時的に役に立たなくなり、軽くパニックを起こしたその瞬間を、どうやら死神は見逃さなかったようだ。

 弾を探そうと少しばかり廃車の陰から身を乗り出してしまった瞬間、遠くから先ほどと同じ発砲音が木霊した。

 刹那、先ほどまで生にしがみ付いていたレイダーの体は、糸の切れた人形の如く重力に逆らう事無く廃車の陰へとその姿を没した。

 

 

 一体何が起こっていると言うのだろうか。彼女はそう思わずにはいられなかった。

 少し前まで自身の体を玩具の様に弄ぼうとしていた二人のレイダーが、今やこの廃墟同様に物言わぬ存在へと成り下がっている。

 今なら確実に逃げられる、いや、もう逃げる必要はないか。兎に角自分は助かった。死の運命から逃れられた安心感からか、彼女の腰は重いままであった。

 

 だが、その判断が間違いであったと彼女はしばらく後になって気づく事になる。

 しばらくした後、自身の後ろから何者かの足音が聞こえてきたからだ。その足音はだんだんと近く、確実に自身に迫って来ているのが分かった。

 先ほどのレイダーの発砲音を聞きつけたのか、理由はどうあれ誰かが近づいてきている事だけは確かだ。

 

 逃げなければ。

 折角舞い込んできた機会をみすみす逃す事はない。一目散に走れば、撒けるかもしれない。

 先ほどまでの重たさは何処へやら。軽々と腰を上げ立ち上がると、彼女は振り向く事なく一目散にその場から走り去ろうとした。

 

「あ、ちょっと!」

 

 のだが。不意にくぐもった間の抜けた声が彼女の耳に届くや否や、走り去ろうとするその足を止め、ふと声のした方へと振り向いた。

 すると、そこにはガスマスクを被った体つきからして男性であろうと思しき人物が、まるで画面を一時停止したかのごとく待ってくれと言わんばかりの体勢のままその場で固まっていた。

 

「安心してくれ、俺はレイダーでも奴隷商人でもない。だから、な。ちょっと話を聞いてくれるか」

 

 怪しくないと本人は言っているが、突然現れたガスマスクを被った人物を見て怪しくないと思う者が果たしてウェイストランド内にどれ程いるだろうか。

 紺色のアサルトスーツを着込みタクティカルベストにレッグポーチ、更にはスリングで肩吊りされたライフルと思しき銃の姿も見られる。

 その装備の充実ぶりからして、幾ら平和の二文字とは程遠いウェイストランドと言えど、同様の装いをした人をよく見かけるとは言い難い。

 

 一旦は停めた足ではあったが、目の前の人物が主張する言葉に疑問を抱かずにはいられず。じりじりと、彼女は停めていた足を動かしまるで肉食動物に睨まれた小動物の如く少しづつ距離を取ろうとする。

 

「いや、あの、だから。……そうだ、このガスマスクを外したら少しは警戒を緩めてくれるかな?」

 

 彼女の同意を得ずに一方的にそう言うや否や、ガスマスクの男は被っていたガスマスクを慣れた手つきで外し始めた。

 

「さ、これで少しは怪しくない奴だって思ってくれるか?」

 

 ガスマスクの下から現れたその素顔は、彼女が頭の中で勝手に想像していたものよりもかなり異なっていた。

 頬骨が出ていたり、傷があったり、或いはその目つきたるやまるで蛇の如く鋭い。と勝手に思っていたら、実物は真逆とも言っていいくらいであった。

 黒い短髪に黒い瞳、頬骨も出ていなければ傷もない。目つきも優しく。まるでこの地獄の時代を生きているには不釣り合いな顔だ。

 

 少なくとも、彼女の感覚では先ほど恐らく地獄に落ちてしまったであろうレイダーよりも断然に良い顔立ちであった。

 

「あ、そうだ。先ずは自己紹介だよな。俺の名前はツルギ、職業は……トレーダーの護衛からゴミ漁り、家事代行まで。まぁ、所謂何でも屋だ」

 

 自身の名を名乗りその職業まで明かした。これに対してそのまま無視して逃げるなんて事は彼女にはできず、彼女もまたツルギと名乗った何でも屋に自身の名を告げる。

 

「わ、私はアンバー。手に職は無いわ」

 

「そっか。それじゃ互いに自己紹介も終わったし、握手でも」

 

 そう言うとツルギはアンバーの前に右手を差し出した。

 差し出された右手に多少戸惑うアンバーではあったが、言葉を交わしてツルギは自身に害を加える人ではないのではと思い始めていたアンバーは、多少ぎこちなくではあるが自身も手を出し握手を交わす。

 

「色々と話をしたいんだけど、ここだと少し難しいから。移動してもいいかな?」

 

 握手を交わし終えたツルギは、不意にそんな事を言いだした。

 

「え? えぇ」

 

「じゃ、少し移動しようか」

 

 本当に話だけだろうかと一瞬勘繰りはしたものの、襲うならいつでもその機会はあった、しかし彼はそうしなかった。なら信じてみようか。

 との考えに居たり、アンバーはツルギの提案を受け入れると彼の後に続いてその場を後にする。




読んでいただき、どうもありがとうございます。

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