その日少しだけ来るのが遅かったリリーは、糸を切られた人形のように席に崩れ落ち、祈りを捧げるように手を組んでいた。
自分は何事かあったのだろうかと、心配になりながらリリーに繋がることにした。
それは感情の暴風としか表現出来ない心象の有様だった。
不安、恐怖、苦しみ、悲しみ、諦念、絶望、憎悪。様々な感情がうねり暴れまわる。
このままにしておけばきっと彼女の心は壊れてしまうだろう。
彼女が自分が来たことを感じ、震えて泣きじゃくる心と共に伝えた言葉は・・・。
――――助けて
リリーの慟哭にも似たそれを聞いた自分に何も迷いはなかった。
何があっても彼女を救うことを心に決めた。
リリーが落ち着くのを待ち事情を聞くことにした。
彼女が起こったことを一つ一つ順序立てて説明していく、意識が繋がるというのはダイレクトにそのときの感情すらも伝えられる。
どれだけ彼女が心細かったか、自分を縋り求めていたか・・・。
全ての事情を聞き終わり、自分は幾重にも思考を重ね取るべき道を模索する。
ただ、これからの指針や行動を告げるよりも彼女に伝えるべきことを伝えることにした。
(リリー、誰も彼もを救い皆が仲良くめでたしなんて綺麗事だ、そんな世界ならそもそもこの事態になっていないからね。これから自分がこの件に関わるということは君以外の人の人生を狂わせてしまうことになるかもしれない)
リリーの心が震えるように、酷く不安に揺れた。
(―――それでも君だけを救おう)
彼女の世界が滲み、幾つも幾つも雫が頬を伝って行く。
「ぁあ・・・っああっ・・・せ、んせい・・・うぁぁ・・・あああああ・・・」
堪えきれなくなったように、彼女は声を上げて泣いた。
悪いがこちらは神様でもなければ、聖人君子にもなろうとは思わない。
さぁ、身勝手な正義を振りかざそう。
自分を助けてくれた少女を救うために、倫理も禁忌もかなぐり捨てて彼女の世界に殴り込みだ。
禁書の類の魔術書ですか?と不思議そうにリリーが聞き返すのを頷くように伝える。
(そう、まず呪いの類は除外し、単純に魔力を宿してしまったものを探すんだ。あとで説明もするつもりだけど、それはある魔術の媒体として使用出来る)
こちらの思考を受け取り、彼女は司書を連れ厳重に施錠された扉の前に立った。
この魔術図書館の司書、ティミー・ファイムという名前だそうだ。淡い薄紅色の長い髪は肩でゆるく纏められており、尻尾のように結われた先が腰のあたりまで伸びている。どこか母性を感じさせる優しげな顔立ちは年齢を読ませないほどに幼さも感じさせるが、体つきは少女にはない大人の魅力を備えている。
「原則として私と一緒に探すこと、それから強い呪いを秘めた魔術書も多いから私に聞いてから触れること、そして貸し出せるかどうかは私の判断というよりも魔力捜査の既定値だから・・・逸脱しているような強力過ぎるものは無理なの、いいかしら?」
「はい、分かりました・・・ティミーさん無理言ってごめんなさい」
「ん、ああいいのいいのっ。だって毎日この図書館に来てくれるリリーちゃんだもの少しくらいの融通をきかせることくらいなんてことないわ」
ティミー司書はそう言って施錠された扉に鍵を使う。ガチャリと音がすると、扉を覆っていた鎖が霧のように消えていく。どうやら魔術的な封印も重ねられていたのだろう。
扉を開くと、濃密な魔力が充満した部屋が顔を出す。
禁書の所蔵室だけはあり、相当の魔力が秘められている魔術書が収められているのだろう。
「さて、リリーちゃん。どの魔術書がご所望なのかしら?」
「触りはしないので少し見て回ってもいいですか?」
「ええもちろんよ、ここには素晴らしい魔術書の原本だってあるのだからどれだけでも眺めていたい気持ちだって分かるわ・・・」
ティミー司書はうっとりとした表情で両頬に手を当て、溜息をつくように息を吐いた。
どうやらこの司書は魔術書マニアなのかもしれない。
リリーの視界を追って、魔力の根源を追うように魔術書を眺める。自分が求めるのは強力な魔力を秘める魔術書でも呪いを秘めた魔術書でもない。魔術の媒体となるレベルの魔力を秘めている魔術書にほかならない。
リリーに満遍なく所蔵室の本棚を見るように伝え、視界を確保していく。
そうしていくつかの本棚を見渡して、遂にそれに見合う魔術書を見つけることが出来た。
「ティミーさんこの本・・・大丈夫でしょうか?」
「どれどれ、ラゴリクゼァリティゴ・・・かぁ・・・リリーちゃん渋い本を選ぶわねぇ!この魔術書はね魔術陣が精巧に描かれすぎてコレ自体が魔力を持ったと言われてるの。ただこの魔術理論や魔力操作法自体は特別なものでもなくて、しかも、複製や改作されてるから禁書でなくても見られるわよ?」
「えと、私原本とかその・・・好きなんです・・・」
どう言い繕うかと迷いながらリリーが呟くように言った瞬間、司書の目がまるで輝くように大きく見開く。
「分かる!!分かるわ!!リリーちゃん!そう、そうなのよ!様々な魔術理論や操作法それを確立していくそのまさに原初!魔術師が己の生涯を賭して研究し記したまさに・・・描かれているのは人生っ!魔術師達の生きた証それが魔術原本なのよっ!!・・・あぁ、まさか私と分かり合える人に出会えるなんて素晴らしいわ!!」
「あ、あはは・・・はい」
ティミー司書はリリーの手を両手で包むように握り、大きく開いた目でじっと見つめながら口を開く。
「・・・どうかしら、魔術書愛読家同士語り合わない?」
「い、いえっ、お誘いは嬉しいんですが!は、早く読みたいなぁって!」
「――っ!!!・・・私としたことが・・・あぁ!ごめんなさい!そう、そうよね!!原本を手にしてそれを開くことが出来ないもどかしさっ!!一刻も早くその人生の扉を開き、書かれた文字に思いを馳せたいっ!!分かりすぎるっ!!・・・任せて!すぐに貸出準備してあげるっ!」
捲し立てるように話し切った司書はリリーの手を掴み、所蔵室の鍵を掛けるのも焦れったげに素早く施錠し、カウンターに急ぐと装飾が施されたルーペのようなものを魔術書にかざした。
するとそのルーペのレンズ部分が少し強めの青い光を放つ。
「んー・・・少し魔力は強めだけど、魔力捜査の既定値はクリアね。よし、それじゃあ貸出カードに名前書いてくれる?」
「はい」
「ラゴリクゼァリティゴ貸出許可っと・・・期限は2週間。よろしくね?」
「ええ、分かってます。ありがとうございましたティミーさん」
貸出手続きを終え、リリーが礼を言うとティミー司書は耳元に顔を寄せ、今度お話しましょうねと囁き図書館を出る彼女に手を振った。
図書館を後にして中庭に差し掛かる頃、リリーがこれからどうするんでしょうと伝えてくる。
(リリー、学生名簿や職員名簿みたいなものは手に入るだろうか?出来れば顔を把握出来るようなものが望ましいのだけど)
「え?それだったら普通にアカデミー入学時に貰った・・・じゃなかった」
こちらの思考に普通に会話で返答してしまい、少し顔を火照らせてリリーは頭を振った。
どうやら、アカデミー入学時に魔術で姿を投影させる学生名簿と職員名簿が配布されたらしく、学生寮の自室に仕舞ってあるとのことだった。
リリーは学生寮を足早に自室に入り、部屋を見回し安堵のため息を吐いた。
散らかっていないかを気にしたのだろう。彼女の部屋は簡素で少女らしさは無かったが、きれいに整頓されていて使い易さを重視しているようだった。
(それじゃあ、これからのことを伝えようか)
「はい、先生お願いします」
リリー自身は肉体があるので思考で会話をするよりも声に出したほうがやりやすいらしく、自室なら独り言のような会話を聞かれることもないだろうということでこの形で会話することになった。
(まず、君は実技大会で優勝できる自信はあるのかい?これは謙遜や慢心は抜きにして今の君のありのままの実力として答えて欲しい)
「ありのままということなら、私の今の実力では無理だと思います」
自分の質問に彼女はきっぱりと否定したが、ちゃんと今の実力ならと言ってくれたのが嬉しかった。
リリーは頑張ることを今の言葉に込めたのだ。ならやるべきことは変わらない。
(じゃあ、一番大事なことを聞こう・・・これから君を救うにあたって、こちらのことを信じられるかどうか。君の体から君の精神を取り出し、こちらの精神を入れる。君はこの魔術書に一時的に封印される。これはハッキリ言って相当相手を信頼していても恐ろしいことだと思う。だからこそよく考えて答えを出して欲しい)
「信じます」
(リリー、よく考えてと言っただろう。即答するようなことじゃないと思うんだが・・・君の体を完全にこちらが乗っ取り、君として行動することになるんだぞ。それはとても――)
「先生、私は先生を、先生だけを信じます」
彼女は名前も知らない姿もない自分のことを信じると、何の迷いもない声で言い切った。
心に真っ直ぐな信頼と好意を伝えながら―――。
普通に考えれば彼女の行動は愚かすぎて、救いようもない。
ただ、今回だけに関して言えば彼女はきっと救われる。
こんなにもこちらを信じてくれる彼女を裏切るなんて思いもしない自分がいるのだから。
(全く、君は度胸が座っているんだか、考えなしなのか・・・それじゃあその信頼を裏切れるわけがないじゃないか。よし、段取りを説明していこうか)
「お願いしますっ!先生!」
リリーにこちらが行うことを説明していく。彼女は驚いたり関心したりと忙しそうに反応してくれた。
最後にリリーには名簿から身近な人物や知り合い程度の人物、そして教員、その間柄や呼び方を魔術映像と共に説明してもらった。
昔見た時代劇であった言葉をふっと思い出す。
さぁさぁ・・・細工は流々、仕掛けは上々、後は仕上げを御覧じろってか・・・。
―――彼女の