もう明け方に近い深夜、蒼い月明かりに照らされた草原は風に揺れる度に光を反射させ、まるで漣のように繰り返される。
そして、そこに佇んでいるのは女神か天使かと謳われる美しい魔女―――。
その光景は高名な絵画のように神秘的だ・・・。
「久しぶりね?初めましてかしら?イツキ・カミシロさん?」
「・・・どちらも正しいんだ。お好きに。フィーンアリアさん」
「それは正しくないわね?イツキ。私の名前を忘れたのかしら?それとも・・・私に親愛の情をもう抱いてないと言う主張かしら?そうだったら・・・私、貴方をどうするか分からないわ―――」
―――怖っ!?何だこの鬼気迫る表情は・・・っ!前よりも遥かに狂気をはらんでいる。
これはヤンデレとかいう類いのものなのだろうか、分からないが何故か冷や汗が止まらない。
「・・・フィーナと呼んでも?」
「ええ、勿論。貴方にしか許していないのだから。二度とその名以外で呼ばないでね?」
「分かった。・・・フィーナは凄く綺麗になったね、恋人は出来たの?」
「あぁ、私が穢れていないか聞きたいのね?大丈夫よ私のこの肌に触れた人間は誰一人いないわ・・・心配されるのは仕方ないわよね、8年も離れていたのだもの・・・でも私の唇も身体も全て誰にも穢されてなどいないわ、安心したかしら?」
「えっと・・・。いや、そんな心配はしてなかった・・・かな・・・」
久しぶりに会った魔女はとても扱いが難しい人物に成長したらしい。普通の会話が出来そうにないことがこの時点で薄々と感じられていた。
フィーナは僕に近付き、ぎゅっとこの身体をきつく抱きしめて震える声で吐露する・・・。
「ずっと・・・探していた。やっとよ・・・やっと貴方に辿り着いた・・・。もう、離れないでくれる?私とずっと・・・一緒にいてくれるわよね・・・?」
「・・・いや、弟子にするとかそういう話だったはずじゃなかったかな・・・?」
「――――、そうね・・・。じゃあ弟子にはなってくれるのね?そうよね?まさか、ここで弟子にもならない、私と一緒にいることも出来ないなんて酷いこと言わないわよね?そうでしょう?」
「・・・あ、うん。弟子になるのは構わないよ・・・?」
「・・・ねぇ、もしかして私以外の誰かを好きになった?答えて・・・?私以外に身体を許した?私以外にその唇を許したりした?・・・本当のことを言って?」
「・・・何でそんな話に!?身体を許してもいないし、唇も親と人じゃないのとしか・・・」
「そう!そうなのね!だったら、ん――――」
僕の答えにフィーナは嬉しそうに応じ、両手で顔を挟むように添え強引に唇を奪った。
彼女の花々の良い香りに包まれ、柔らかな唇が強く押し当てられる。頭が真っ白になっていく中、あまりの心地良さに唇が開いてしまう。
それを待っていたかのように彼女は唇を割り開き、熱いくらいの赤い舌を滑り込ませ、僕の口の中を蹂躙していく。その熱く、甘美な舌は僕の舌を逃がさないというかのように何度も絡めていく――。
「んん!?んぅんんんんんんんん!?ぷぁ!?んぅぅぅんんんんん―――――」
「ちゅる・・・ぷぁ、だったら、これで私が初めてということでいいかしら?」
いいかしら?ではない。どうなっているんだこれは・・・。確かにフィーナは別れ際に僕に好意を伝えてきたのは覚えている。それはもっと純粋なものではなかったか―――。
いや、8年もの歳月は彼女の中の好意を変質させ、捻じ曲げてしまったのだろうか。
とにかく彼女の矢継ぎ早の質問も何か恐怖を感じてしまうし、行動も殆ど危ない人だ。
「フィーナ!こういうことは、ちゃんと気持ちを通じあわせてからするものだよ!―――君の気持ちを分かるなんて軽々しく言うつもりはない。8年間ずっと恋焦がれ続けてくれたのかもしれない。でも今の僕をちゃんと見て!!フィーナの想いはただ相手に押し付けるだけのものなの!?」
「―――――っ!わ、わた・・・し。ごめんなさい・・・そうね、舞い上がって貴方を蔑ろにしていたわね・・・本当にごめんなさい」
フィーナは今にも泣き出してしまいそうなくらいに狼狽し、その手は小さく震えていた。
彼女はこんなにも弱々しかっただろうか、毅然とし、余裕があり、何よりも優雅だった気がする。
「でも・・・いつか、私を一番に想って?ダメなら一緒に死んでちょうだいね?」
「・・・ぷっ、あはははは」
前言撤回だ。何が弱々しいものか、微笑みを浮かべて言い放つ言葉に笑いがこみ上げる。
狂気を宿し、毅然として余裕綽々。何より優雅に微笑みを浮かべる彼女はやはりあの魔女なのだ。
「条件?・・・それを飲まないと弟子にはなれない、そういうことかしら?」
フィーナは眉を顰めて不機嫌さを隠そうともせずに問い返す。
今直ぐにも連れ去りそうなフィーナを宥め賺し、僕は弟子になる条件を出した。
これは僕にとって絶対に引けない一線、惜しみ無い愛情を注いでくれた両親のために。
「そう、これを飲まないなら僕はフィーナとは何処へも行けない。フィーナはここに住むわけにもいかないんだろう?僕を何処かへ連れて行くはずだ。だったら条件を飲んでもらう」
「――――、分かったわ・・・聞きましょう?」
「真っ当な方法で、僕を弟子にすることを僕の両親に認めてもらうこと―――それだけだよ」
少し考え込む様子で、フィーナはその長い睫毛を震わせるように瞳を隠す。
人差し指を顎先に当てると、もう一方の指先でくるくるとサイドから流れる長く綺麗な髪を弄っていた。彼女の考え事をする時の癖なのだろうか、その仕草はとても可愛らしかった。
「――――、その条件、飲みましょう。
フィーナはこちらの提示した条件を飲み、少し目を細めて不敵に笑う―――僕は少し分かってしまう。きっと彼女はこの条件をぐうの音も出ないくらい完璧にこなしてしまうのだろうと・・・。
空が少し白み始めた頃、フィーナは準備があるから数日後に迎えに来るとだけ告げると、僕に背を向けて歩き始めた。薄明るい光に靡く髪がキラキラと反射して後ろ姿でさえ溜息が出るほどに美しい人だった。―――本当にこんな人に好かれるなんて僕は恵まれすぎてるんだろうなぁ・・・。そんなことを思いながら見つめ続けていると、彼女はくるりと振り返り、二本の指先を唇に当て、軽く音を立てながら投げキスをして、にこりと微笑み今度こそ振り返ること無く去っていった。
ーAnother Viewー
私は蜻蛉返りの様相で直ぐに王都レッドベルへと急ぎ馬車を走らせた―――。
翌日の午前中には王都に着くことが出来た。軽く仮眠を取っただけだが、全く眠気は感じない。私は足取りも軽く歩き始めた――――。
向かった先は魔術アカデミーの施設、魔術図書館。
溜まりに溜まった貸しを返してもらいましょうか?ティマイアス・アドケニア・グラインドレス。
私は懐かしい門をくぐり抜け、図書館へと一直線に進む。あの庭園を見に行くのも一興ではあったが、今はそういう気分でもなかった。
重厚な木製の扉を開き、私は悠然と中央に佇んでいた人物に足を向けて歩く。
授業中なのだろうか、人の気配は感じられない。いや、何時来てもここには殆ど人など来ていた試しなど無かったか・・・。
私の姿を見て、引き攣った表情で迎えるティマイアスをにっこりと笑って黙認してやる。
「お久しぶりね?ティマイアス。ツケの回収に来てあげたわよ?」
「これはこれは、随分な物言いですねぇ~。フィーンアリアさん・・・私が貴方に何の借りを作ったのか記憶が定かではないのですがねぇー・・・」
「皆言えというのかしら?10年前の禁書の横流し?8年前の目を貸したこと?6年前には貴方のクソみたいな情報で被った損害を許してあげたかしら?5年前には―――――」
「ああぁぁぁあぁぁ、もういいですもういいですー!分かりました分かりましたよぉ~・・・言っておきますけど大したことは出来ませんからね?本当に・・・私の立場も考えてくださいねぇ~」
薄紅色の髪をかき混ぜるように頭を抱えたティマイアスをいい気分で見下ろし、短く息を吐く。
私は彼女に目的とやって欲しいことを告げる。冷や汗を拭いながら、彼女は問いかける。
「勿論、大叔母様には許可を取ったんですよねぇー?ねぇ?ですよねぇ?」
「あはは、まさか。許可を取るのも貴方よ、ティマイアス?ここなら連絡手段も直ぐ確保出来るでしょう?お祖母様に会いに行かなくても許可くらい取れるでしょう?いいわね?やりなさい」
「ひーん・・・あーやだやだ・・・これだから
泣き言を呟いているティマイアスにさっさと背を向けて歩みを進めながら口を開く。
「私は気が長くないことくらい知ってるわよね?それから貴方にも当日付き合ってもらうから」
「カエレーハヤクカエレー!いいですか!?これで全部チャラですからねぇ!?絶対ですからね!」
「あはははは、ええいいわよ?まぁ、貴方がこれから先私に借りを作らないとは限らないけれどね?そういう機会がないことを祈っておいてあげるわ。それじゃあね?ふふふ」
図書館を後にし、アカデミーの門に差し掛かる。
私は一体どんな表情をしているのだろうか?ふと、気になって自分の頬をに触れてみると、口角を上げていることが分かった。そうか、私は楽しそうにしているのだ、そう、今私は楽しいのだ。
ーAnother View Endー
ーAnother Viewー
久々にアカデミーを出て、やって来た先はギルド協会本部。
偽造が不可能な特殊な魔術を使った王印の押された身分証明書を受付に提示する。
「魔術師連盟、魔術師監査官ティマイアス・アドケニア・グラインドレス様で御座いますね」
「ええ、そうです。実はですねぇ~ある事件を調査しておりまして、参考人としてこちらに所属しているニック・レイトルマンさんとゾイ・ニェステさんの招集をお願いしたいのですが」
「はい、直ちにその二名をこちらに招集致します。依頼に向かっていた場合はお時間が掛かると思いますので、その場合は直ぐにお知らせ致しますね」
「助かります」
愛想が良く、物腰の柔らかい眼鏡の受付嬢に礼を告げ、待合室スペースへと移動する。
少し硬い座り心地が何とも言えない長椅子に腰を下ろし、貼り付けられた依頼の張り紙を眺めた。
暫くそうしていると受付嬢がお茶を持ってやって来て、直ぐにもこちらに向かってくることを告げてくれる。私は短く礼を返し、お茶を啜って待つことにした。
「ずずぅ・・・はぁ~。さてさてー、どう、もっていきましょうかねぇ?」
面倒くさい駆け引きなどしないで済むのが一番なんですがねぇ・・・。
それよりもこの後に控えている大叔母様への報告のほうがきついものがあるのだ。
昔の学園長の気持ちが分かってきて、私は何とも言えない共感を感じてしまうのだった。
小一時間も待つこと無く、呼び出してもらった二人の協会員と顔を合わせることになった―――。
「どうもー、こういう者です」
私がそう言って、身分証明書に魔力を流すと宙空に投影された私の身分が王印と共に映し出される。
二人は何故呼び出されたか、心当たりがない様子で顔を見合わせていた。
そりゃあそうだよねぇ・・・。こっちだってこの役職で呼び出す理由なんてないもん・・・。
「魔術師監査官殿が俺達に何用で?心当たりがないんだがな」
「悪いけれどアタシもよ」
「あはは、そう固くならないでくださいよ。別に貴方達をどうこうすると言った話ではなく、ある事件の参考人としてお呼びしただけですのでー。実はですねぇ、件のホウタル山のワイバーンの死体の中に魔術によって即死しているものが3つあったのですよー」
「――――・・・」
そう言いつつ、私は二人の表情を眺めるように目を細めた。
―――流石ですねぇ・・・、何の動揺もなし、ですかー。まぁいいんですけどねぇ。
私は、二人を迎える時に立ち上がった長椅子に戻りながら、二人にも正面の椅子を勧める。
全員が腰を下ろした所で、再び私は口を開いた。
「調査した所、貴方達以外は子供ばかりとのことでしたよね?」
「ああ、そうだ」
「やはり!!そうなんですね!?」
「――っ!?」
「ホウタル山を調査したのはさる高名な魔術師の方でして、もしもその子供の中にこれほどの魔力を持った者がいるならば、是非に弟子にしたいと仰りましてねぇー。それで当事者の貴方達に話を聞くためにこうして参ったわけなんですよ」
二人は顔を見合わせ、逡巡をしている様子だった。さて、人間というのは損益かと思ったら利益だったと知った時、その感情の揺らぎを隠せる者は少数だと言う。かく言うこの二人も大多数の方に分類されたようだ。
「―――・・・悪いが、俺は何も知らない。魔術を使ったというのも初耳だぞ」
「アタシも・・・魔術で死んでるって言われてもなぁ・・・」
「ふむふむ、そうなんですねぇ~」
さてさてそれではここで引きましょうかね・・・。事前情報なんて殆ど貰ってないのですから。
「―――そうですか。分かりました。どうもご足労頂き本当に有難うございました。残念ですけどこちらとしても不確かな情報で推薦を推す訳には参りませんので、イツキ・カミシロ君には諦めてもらうしか無いみたいですねぇ~。それじゃあこれで―――」
『待って(くれ)!?』
二人は示し合わせたかのように声を揃えて私を引き止めた。あまりの素直さに頬を緩めてしまいそうになるが、柔和な表情を崩すこと無く、怪訝そうに二人を見遣る。
「なんでしょうか?まだ、何か・・・?」
「いや、その・・・諦めるって何だ?その子は弟子になりたがっていたのか?」
「そ、そう。ぼ、じゃないその子に会ったの?」
「ええ、勿論。あれほどの才能の持ち主であれば魔術を本格的に学べる場があるのなら、行きたいと思うのが普通でしょう?ですが、正式な推薦状も作れそうにないので、今回は諦めてもらうしかないでしょうねぇ」
私がフィーンアリアから言われたことは、イツキ・カミシロという少年を弟子にしたいということと、魔術連盟から推薦状を作るためにホウタル山事件の当事者から話を聞けということだけ。
後は全てが私の作り話といっては何だが、高名な魔術師が弟子にしたがってることは真実ではあるだろう――――現在の魔術師の頂点である魔女が欲しているのだから。
「魔術監査官殿、虚偽の報告をしていたことを謝る。今から全てあの時起こったことを話すよ」
「―――ふむふむ、では記録の魔術を展開しますが、異論はありますか?」
「ない、俺は今からあの事件の真実を語ろう」
ニックとゾイから語られた真相は、逆にこちらが頭を抱える様なものであった。
持続魔術を3名へ長時間行使し、その上で結界を維持、武器強化に、高位魔術を連発―――。
何なんだその化物は・・・寧ろこの報告を元に推薦状を作る私の頭がおかしいと思われるのではないだろうかと心配になってくる。―――そりゃあ、あのフィーンアリアがあんな顔するはずだわ。私は妙に納得しながらも、溜息を止めることが出来なかった。
二人の報告を記録し終わり、労いの言葉を掛けながら私はギルド協会本部を後にする。
待っているのは面倒くさい書類作成と大叔母様への報告だ・・・。
私はこの件を受けてしまったことへの後悔とフィーンアリアへの憤りを胸に自室へと足を向けたのだった――――。
ーAnother View Endー
私はフィーナを書いている時が一番楽しいかもです。
にゃー1。