「・・・すんすん・・・。はぁ~・・・はぁはぁ・・・失礼しま~す・・・」
時刻は朝6時前辺りだろうか、僕はいつもの如く身体に感じる長くサラサラした髪の毛の感触と、温かい肌がまとわり付く感覚で目を覚ます。
鼻孔を擽る甘く柑橘系のような女の子の香りが漂い、僕はそれを軽く蹴り飛ばした。
「ひゃん!!・・・て、天使様!お目覚めですか!?お、おはようございます!」
「うん、おはよう、ねぇイリス。僕この起こし方止めろって何回言った?」
「て、天使様・・・私は止めたいのですが、何故かいつも身体が勝手に添い寝を・・・」
イリスは人差し指を合わせながら眉根を下げて上目遣いをしていた。
あざとさを感じるが、本人は自覚してはいないのだろう。
―――イリスが家に来てから早くも1年が過ぎていた。
初めは彼女の暴走っぷりに驚き戸惑ったり、行き過ぎた忠誠心に頭を抱えたりとしたが、今では慣れを通り越し、楽しめているのだから人間の適応力は凄まじい。
最近は僕も両親も貴族という立場の違いを気にすること無く、イリスを家族のように接するようになっていた。
そして、それをとても嬉しそうに受け入れる彼女に好意を抱かないわけはなかった。
だからこそ、毎晩寝る前に僕の枕元でくんくんと鼻を鳴らしながら髪の匂いを嗅いだり、こうして早朝から添い寝で起きるのを待つといった行為をされるのは正直困りものなのだ。
「はい、イリスくん。正座」
「はい♪天使様♪」
イリスはさっと、身を整え正座をする。大体の言いつけは遵守するくせに、自分の本能と性癖には全く逆らわないダメ騎士を見下ろしながら溜息を吐く。
「イリスはバレてないと思ってるかもしれないけど、毎晩寝る前に僕の枕元でくんくんと匂いを嗅ぐのも本当に止めて欲しいんだけど?」
「――――あひっ!?そそそそそんなことはしておりませんぞなもし!?」
「はぁはぁ言いながら20分近くも匂いを嗅いでおきながらバレてないと思ってるのが不思議だよ!」
「――――~~~~~っ!ががが・・・我慢・・・出来ず・・・つい・・・」
彼女は匂いフェチなのだろうか、よく僕の匂いを嗅いでは悦に浸ることがある。
後、興奮すると直ぐに鼻血を出すので、枕元が偶に血塗れになっていることがあった。
怖いので止めて欲しくて仕方ないのだが、彼女自身無意識にやっているらしく余り強く言えない。
一年で変わったことと言えば、僕は歳を1つ取り、身長がかなり伸びたようだ。
8歳と半年以上の平均身長を大幅に超える145センチ程になり、イリスとは10センチも変わらないくらいになった。身体の成長はとても良好と言えるだろう。
最近は
彼女は騎士を自負するだけはあり、その剣のセンスたるや僕では到底敵わないモノを持っていた。
ただ、彼女との試合稽古は隙を見てはこちらを羽交い締めにすることが多い。
その後はいつも鼻血を垂れ流しているので確実に性癖のままに行動しているのに違いなさそうだ。
イリスは身長はそれ程変化しなかったのだが、成長期であるらしく胸はどんどん大きくなっているらしい。視覚的にも一年前とは比べ物にならない程大きくなったが、事ある毎に胸が大きくなりましたと宣言しながら、僕に揉んでみてくれと頼むものだからその度に母に正座をさせられ説教された。
最早、どちらが貴族の淑女か分からなくなると、偶に訪れるイリスの親友であるメイドのエノアが呟いていたのが印象的だった。
「イリス、もういいから。さっさと着替えてくるように」
「はい♪天使様♪」
イリスはパジャマのピンクのネグリジェを翻し、僕の部屋を後にした。
僕は寝間着を脱ぎ、普段着に着替えながら今日のことを考えていた。
今日は、有志のギルド会員達により街の子供達を近くの山へ遠足に連れて行くという催しが行われることになっていた。
僕は参加するつもりは無かったのだが、ファナが参加するということでコートディア家、主にベックから猛烈な勢いで参加するように強要された。
―――頼む!イツキ坊!!うちの娘に悪い虫がつかねぇように守ってくれるよな!?むしろイツキ坊が俺の女に手を出すなって言ってくれるって俺は信じてるんだぜ!?
思い出したくもない台詞を思い出してしまったが、まぁそんなこんなで僕もその遠足とやらに半ば強制的に参加させられる事となっていた。
着替え終わり、階下のリビングに降りてくると既に起きて朝の支度をしている両親と朝の挨拶を交わす。少し遅れてイリスもやって来て同じように挨拶を交わした。
テーブルに並べられた彩りの良い朝食をつつきながら、父が口を開いた。
「そういや、今日はホウタル山に遠足に行くんだっけか?」
「うん。ベックさんが参加してくれると言うまで家に帰さないって軟禁しようとしたからね」
「ぶはははは。アイツの親ばかには頭が下がるなぁ!」
「でも大丈夫?ホウタル山ってモンスターも沢山いるんでしょう?」
「お義母様!私が付いているのです!ご安心くださいませ!」
「うん、イリスちゃんが付いてると全然安心できないわ。主にイツキの貞操が」
「それは母さんが正しいね」
「ふぇ!?わ、私はこう見えても乙女ですよ!!奪うより奪われたい系の乙女なのですよ!?」
「あはははは。いやぁいいなぁ。こういう感じ、イツキも最近は口調が変わったしな・・・。俺はイリスちゃんが来てくれて感謝してるんだよ」
「ほ、ほほほぅ!?天使様!!私お義父様に認められました!!――――ふ、ふひ」
父が言っている事は全く間違っていない。事実僕の口調は変わっていた。
両親に対しての余所余所しさは完全に無くなり、気安さのある口調に変化した。
その変化はポンコツ精霊とダメ騎士への無数のツッコミ対応に依るものだった。
それを両親は大いに喜んでいるのだが、僕としては何とも言えない気持ちになるのだった。
程なくして朝食を終え、父が仕事へと向かい、僕とイリスは遠足の準備を整えることにした。
「イツキ、忘れ物はない?護身用の装備は大丈夫?」
「うん、平気だよ」
「イリスちゃんに襲われそうになった時にも迷わず使うのよ?分かってる?」
「・・・母さん。それはどうなの・・・?」
母のイリスに対する信頼度の低さに苦笑混じりに答えつつ、母が作った弁当の入った革製のバッグを肩に掛ける。それからイリスの準備を待って、二人で家を出て、集合場所へと向かった。
「イツキ君!おはよう~。ごめんね?お父さんが無理言って・・・」
「おはようファナちゃん。気にすること無いよ、僕も興味が無いわけじゃなかったからね」
「そ、そっか。良かった!今日は宜しくね!・・・そ、その一緒に楽しもうね!」
「うん。そうだね」
集合場所へと到着した僕らに真っ先に駆け寄って来たファナと挨拶を交わす。
彼女の顔立ちは幼い子供からより少女らしく愛らしい変化をし始めていた。
髪も背中辺りまで伸び、目線は僕より少し下くらいだが、それほど変わらない。
余程気に入っているのか、あの時贈った花の髪留めは今やファナのトレードマークのようになっていた。
家にもよく遊びに来るファナだったが、何故かイリスとは致命的に相性が悪いらしく二人で会話している所を見たことがない程だ。
人を嫌うような子では無いので少し不思議ではあるが、やはり相性というのは大事だということだろうか。
僕の手を取り繋ごうとするファナにイリスが能面のような笑顔を浮かべて割って入る。
「おはようございますー。今日は私も同行するのでどうぞ宜しくお願いしますね」
「――――おはようございます。・・・宜しく、です」
ファナは僕の手を取ろうとした形でイリスに握手を求められたのを渋々受け入れる。
「今日はいいお天気で良かったですね!天使様♪・・・あとファナちゃん」
「ん?そうだね」
「・・・そうですね」
そう言いながらイリスはファナの手を繋いでから反対の手で僕の手を取った。
こう見ると、二人の仲は悪くないように見えるだろうが、実際二人が浮かべている笑顔は怖い。
僕は短く息を吐いて、イリスを
「イリス、意地悪しないの。ほらファナちゃん」
イリスの手をそっと外し、ファナに手を差し伸べる。先程とは比べ物にならない満開の花のような笑顔をその顔に浮かべ、彼女は僕と手を繋いだ。
「・・・えへへ、その、ありがとう。イツキ君・・・」
「うぅぅ・・・天使様~・・・」
「はいはい、イリスもね・・・」
涙目のイリスに反対の手を差し出すと直ぐ様笑顔を浮かべるのだから現金な騎士だ。
集合場所には僕らの他に10歳くらいの男の子が3人、女の子が1人集まっているようだ。
僕らを合わせて7名の参加者を守りながら引率するのが正面に立っている二人組の男女だろう。
「俺はニック・レイトルマンってんだ。戦士で登録している。ギルドランクはAだからな。皆安心して俺に任せておいてくれ」
ニックの体付きは長身で筋肉質、見た目からしてまさに王道の戦士といったところだった。
ただ、浅黒い肌に金髪の角刈り頭といういかにもな強面を予想するだろうが、全く違う。
凄く人が良さそうだった・・・つまり、どういうことかというと、10人中10人がニックの印象をいい人そうだね、と答えるくらい優しい眼差しを持った人物だった。
「アタシはゾイ・ニェステよ。登録は弓使いね。ギルドランクはB、モンスターが皆に近づく前に倒しちゃうから安心してくれていいわよ」
ゾイと名乗った女性は細身でスタイルがそこそこに良い。ベリーショートの赤毛に、少しキツネ目の悪戯っぽい表情が特徴的だった。黒いノースリーブタートルネックの上に革製の胸当てを付け、ショートパンツにロングブーツという出で立ちは動きやすさを重視しているようだ。
ちなみにそれはニックにも言える。生地はゴツそうだがノースリーブのシャツに腰にあるアックスホルダーを支えるためか肩からクロスするように二本のベルトが巻かれている。革製の長いズボンには薬などを入れておくためだろう至る所に小さなベルトが巻かれ、そこに布袋がぶら下がっていた。
「それで今日皆を連れて行く所はホウタル山だ。この山はそこまで恐ろしいモンスターはいないし、山には薬草類が豊富に生息しているんだ。将来薬師になりたい子にはいい勉強にもなると思うぞ」
「山頂付近には綺麗な花畑が広がっててとっても素敵なとこよ?女の子達も楽しみにしててね」
二人がホウタル山を軽く説明するのを聞き、子供達は元気よく、はーい、と返事を返す。
それを微笑ましく二人が見つめながら、装備の点検を行っていった。
季節は夏を目前に迎え、少し刺すような日差しが眩しい。
この地域には日本のような梅雨がないのでジメジメとした暑さではないのが過ごしやすい。
初夏の風を身体に感じながら僕らはホウタル山の山道の入り口へと歩き始めた。
皆
「少年!両手に花とはいい男っぷりじゃないか。秘訣を教えて欲しいくらいだな!」
「それが分かれば誰も苦労しないでしょうね・・・」
「はっはっは。違いねぇ!というか、そこのアンタは騎士かい?良い身なりをしてるようだが」
「ええ、私はユライリス。こちらの天使様に仕えている騎士です」
イリスの淀みのない返しにニックは目を丸くしていた。
彼は失礼にならない程度に軽く笑いながら続けた。
「ははは、天使様ときたか。道理で品のいい面構えをしてるはずだぜ少年」
「イリスが勝手に言ってるだけなので気にしないでくださいね。少しだけ可哀想な子なので」
「て、天使様!?それは一体どういう意味ですか・・・?」
「あははは、仲が良さそうでいいじゃねぇか。ま、俺達が頑張るが、もし危なかったらユライリスも手を貸してくれるとありがたい」
「ええ、勿論。天使様の騎士として恥ずかしく無い働きはするつもりです」
そりゃ助かるね、と笑いながらニックは先導しているゾイの所に戻っていった。
街を出て小一時間は経過したと思わしき頃、ホウタル山の入り口が目の前に広がっていた。
少しは打ち解けたのか、僕を挟んでならお互いに会話をするようになったファナとイリスも山道の入り口に差し掛かるとやっと手を離してくれた。
久しぶりの遠出にどうやら僕も大分わくわくと胸を躍らせているようだ。
どんな景色やモンスターに出逢うのかを楽しみに、僕らは山道へと足を踏み入れたのだった。
そろそろ、あの子が見つけそう。
にゃー1。