鬼剣の王と戦姫   作:無淵玄白

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日間ランキングで第7位―――初の一ケタ台。異星最強では取れなかった順位に正直感動しています。

そして何より多大な評価及び登録、一読してくれた皆様方に感謝感謝です。

本当にありがとうございました!


「雷渦の閃姫Ⅰ」副題『羅轟の月姫、ブリューヌへ』

 

 

 

「まさかアレクサンドラが起き上がっていようとは……想像だにしていませんでした」

 

 

「やはり例の剣士の仕業でしょうか?」

 

 

馬車の中に入っていた文官の言葉で、信じたくないがエリザヴェータもそう信じつつある。

 

あれ程の病人を一時的に普通の生活する程度に回復させられる術を持っている医者などこの西方の名医を全員集めてもいないだろう。

 

 

無理をしているわけではないことは、はっきりと見て分かった。となると考えられるのは、何かしらの新たな医術がレグニーツァにもたらされたということだ。

 

 

その源としておそらく、東方辺りの技術が流入したと見て間違いない。

 

 

「こちら側としてはあれこれ難癖をつけていざという時の侵略の口実にしてしまおうと思っていたのに……」

 

 

「戦姫さま。今の我々にとって優先すべきはアレクサンドラ様との競争ではありません。『内側』の問題の解決を優先すべきです」

 

 

「分かっています。その為に兵力を抑えてルヴ-シュ兵だけで事に当たることにしたのですから」

 

 

文官の言葉でため息が漏れる。アレクサンドラには、ああは言ったが本当に「戦利品」の分配が問題なのだ。

 

 

身内の問題でまたもや失態を演じるなど、あまりにも無様。しかし、無事では済まないぐらいは分かっていそうなのに。

 

 

(それでも案じるのは、肉親だからなのでしょうか……)

 

 

何かが自分の胸に突き刺さるのを感じてから外の景色に眼を移す。ジスタートの夏は短い。その中でも懸命に陽光を浴びることで木々の青さが煌めいていくのはどこでも同じだ。

 

 

左と右、どちらの目で見てもその景色は変わらない。とエリザヴェータが、感想を述べた瞬間に見ていた景色に混ざっていた山の裾野の辺りから「光の柱」が伸びて、更に「光の柱」が落ちてくるのを見た。

 

 

御者もそれを確認したのか、少しの間だけ馬車の動きが雑になる。良く見るとその光は、一体の獣を打ち据えていた。

 

 

竜だ。それも巨大な竜。それが光の柱の攻撃で落ちていく。

 

 

山中に落ちてしまった巨竜の地響きがこちらにも伝わったかのように現実に戻る。無論、距離がありすぎてそんなものは響かなかったのだが。

 

 

現実に戻ると同時に行動を開始する。

 

 

「あの山まで行けますか?」

 

 

「街道が整備されてるわけではありませんが、とりあえず近くまで行きます。そこからは騎馬でいった方がよろしいでしょう」

 

 

御者が馬を宥めてから、こちらの質問に対して行き方を提案したが、自分としても同意見だ。

 

 

八頭立ての馬車のスピードはとんでもないが、山道を行くには不適であった。とはいえルヴ-シュの戦姫の頼みゆえに御者はもてる限りの技術で馬を飛ばして火竜山の麓へと到着した。

 

 

「エリザヴェータ様。お気をつけて」

 

 

「あなた達も、何がいるか分かりませんからね」

 

 

あんなことが出来るのは戦姫か、それに匹敵する武具を持った存在。ある男を調べた情報からもはやエリザヴェータは連想してしまっていた。

 

 

鞍を付けて手綱を加えさせられた一頭の馬に跨り駆けていく。あれだけ走ったというのに今跨っている馬は、疲れ知らずだ。

 

 

しかしながら、間に合うだろうか。あそこにあの剣士がいる可能性は――――。

 

 

「入山しているのならば下山するはず。そこで――――」

 

 

ようやく山の麓。入山口が見え始めてきた。風で目が乾きながらもエリザヴェータは入口に注目していた。

 

 

はっきりとは見えない。如何な軍馬とはいえ、まだ距離がありすぎる。だが誰かが出てきたのは分かった。

 

 

男と女だろうか。木の陰で良くは見えない上に運悪くもその時、日光がエリザヴェータの眼を焼いた。

 

 

眼を細めて何が何でもと思っていたが、女が長柄の槍のようなものを持っているのを確認したところで姿が消えうせた。

 

 

幻だったのではないだろうかと思われるぐらいに、すっかり消えていた。いつもの癖で左目、右目の単眼で見たところで世界は変わってはいなかった。

 

 

自分の見間違いだったのだろうか。そう思い少し落胆しながら、最後に確認出来たところまで赴く。

 

 

「ご苦労様。少し休んでいなさい」

 

 

粗末ながらも入山者用の厩舎に馬を止めてから、そこへと向かう。己の武器。雷を振るう鞭を手にそこまで行くと変わらず誰もいなかった。

 

 

苛立ちまぎれに地面を鞭で打とうとした瞬間。その地面の跡に気付く。

 

 

足跡。人間二人に―――幼竜一頭といった足跡が残っていた。

 

 

「ここにいたのね。そしてあの光の柱を作ったのも、この足跡の持ち主。間違いなく―――いた」

 

 

だが、それが件の東方剣士とは限らない。それでも、この山に戦姫に匹敵する超常の力を持った存在がいて竜を殺したのだ。

 

 

「かならずや、その顔―――拝見させていただきます。そしてその時は私に無駄足をさせた代価を払わせましょう」

 

 

言葉と同時に光の鞭が、地面を焼き払い、それだけに止まらず周囲の木々すらもなぎ倒した。

 

 

雷渦ヴァリツァイフを振るう戦姫エリザヴェータ・フォミナは、戦場にてこの代価を支払わせると誓い、踵を返した。

 

 

(それにしても一緒にいた女性は……もしや、いやそんなわけはないでしょう)

 

 

ここから一瞬にしていなくなる。『瞬間移動』とでも言うべき能力には心当たりがあったが、それが使える女性は自分と同じ戦姫だ。

 

 

そして治めている領地も違う。そして何より彼女が傭兵程度に構っているとは思えなかった。

 

 

そんな勝手な納得をしてから彼女はやってきた武官達を迎えながら、再びルヴ-シュへの帰途につくこととなった。

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

目の前に飛び込んできたのは、木の床であった。ありがたいことに視界に収めていたのが床であれば後頭部を打つことによる怪我は無い。

 

 

受け身を取ることは可能だろうと思い、もう一つの懸念事項である同伴者の姿は、同じく空中にあった。

 

 

しかし彼女は集中が途切れたのか朦朧としている。落ちながら意識を失っているのは控えめにいっても良くない。

 

 

こちらが先に落ちることは間違いなく、即座に床に手を突き彼女を受け止めるべく振り返りながら立ち上がったのだが―――。

 

 

「ぶげらっ!」

 

 

間抜けな言葉を上げてしまったのは、視界を覆う形で幼竜が顔に伸し掛かってきたからであり、幼竜が退くとそこには薄目を開けつつも何とか意識を保っているティナの顔であって、その体重を支えるには少しばかり時間が足りず、こちらは後ろに倒れこむ形で何とか彼女を迎えることが出来た。

 

 

「なんだいなんだい!? 何の音だい……」

 

 

「た、ただいま帰りました。えーと騒いでしまってすみません」

 

 

恐らく色々ととんでもない音がこの宿に響いてしまったのだろうか、ティナの部屋に飛び込んできたのは宿のおかみであった。

 

 

ティナを寝ながら抱きしめるという格好は控えめにいっても色々と間が悪い。だからなのかおかみさんは――――。

 

 

「まぁ……ほどほどにしておきなよ。この宿には今、成年してもいない女の子も泊まっているんだからね」

 

 

「は、はい。色々と騒がせてしまってすみません……」

 

 

ティナも気付いて、苦笑いを浮かべておかみさんに言った。そして、最後に幼竜―――「プラーミャ」が、小さく吠えながら頭を下げた。

 

 

情けない主人に代わって謝ったかのような行動を褒めるべきなのか、それともそもそもはお前のせいだというべきなのか分からずに、とにもかくにもそれは終わった。

 

 

「というわけでだ……ティナどいてくれない」

 

 

「ヤです♪」

 

 

このまま固い床を敷布団にして寝ていろということか、という視線での抗議が通じたのか立ち上がるティナ、やれやれと思うと同時に色々と状況を確認しなければならない。

 

 

色々とティナも聞きたいことがあるだろう。水差しから水を杯に注ぎながら、それをお互いに二回飲み干してから、喉の通りを良くする。

 

 

尋問をされるわけではないのだ。これから語ることは、今回、自分たちに起こったことへの理解を深めるためなのだ。

 

 

「まずは俺から語ろうか……」

 

 

「お願いします」

 

 

プラーミャを膝に乗せながら彼女はベッドに腰掛けて、聞く姿勢を整えた。そして、自分はクサナギノツルギを持ちながらその来歴を語る。

 

 

 

―――古代の時代に天上より追放されし一柱の神あり。彼の者の名―――素戔嗚尊(スサノオノミコト)。

 

 

祖神イザナギの息子であった彼は、母であるイザナミに会いたいと言い泣き喚きながら、天上の他神達に多くの迷惑をかける暴神でもあった。

 

 

結果として彼はその後、父に離縁を言い渡され、姉にも愛想を尽かされて天上に生きること叶わず地上の世界に降りることになった。

 

 

その後、地上にてある一人の姫と出会う。姫の名前は櫛名田比売(クシナダヒメ)。

 

 

姫の眼には涙が溜まっており、荒ぶる戦神であっても母を慕う優しき子であるスサノオにとってクシナダヒメの涙は見過ごすことは出来なかった。

 

 

『何が悲しくてあなたは泣いておられるのですか?』

 

 

『私には八人の姉がおりました。しかし八年の間に八人の姉様は、ある蛇に食われてしまったのです』

 

 

クシナダヒメにいた八人の姉は、八つの鎌首と八つの尾を持つ巨大な蛇。八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の腹に納まったという。

 

 

スサノオが訪れたその年はクシナダヒメがオロチの生贄にされる年だったのだ。

 

 

クシナダヒメの両親の土地を荒らす「荒神」「祟神」でもあるヤマタノオロチに逆らえるものなどおらず、遂に姉と同じく生贄になることを若い身空のクシナダヒメは嘆いていた。

 

 

『ならばその大蛇を私が退治しよう。クシナダヒメ。それが成ったならば私の妻になってほしい』

 

 

優れた剣士であったスサノオは、自分が天上の神イザナギの息子であることも伝えると両親も賛成を示し此処に天神と地神との間で初の婚約がなった。

 

 

そして生贄であるクシナダヒメを食らいに来たヤマタノオロチに絞りに絞った「強い酒」を飲ませてよっぱらったところを、スサノオは「トツカノツルギ」にて八つの首と「七つの尾」を切り落とすことで退治した。

 

 

最後に残った尾が、スサノオを背後から突き刺そうとした瞬間。女装してクシナダに見せかけていたスサノオの髪にある「櫛」に姿を変えていたクシナダヒメの言葉で難を逃れたスサノオ。

 

 

最後の尾を切り裂くと同時に出てきたのが――――――

 

 

「その剣ということですか?」

 

 

「伝承によるところでは、そう伝えられている。ジスタートの建国神話と同じく嘘か真か分からぬ話だよ。後はお決まりの通り、クシナダとスサノオは地上に自らの国を作り地上世界を治めていったのさ」

 

 

ティナの質問に答えると同時に、その鉄剣を少し鞘から抜き刀身を光に翳す。

 

 

「八つの首を持つ「竜」ですか……というか我が国とは違って、竜が敵なのですねリョウの国では」

 

 

「俺の字名である龍と竜の違いはあるけれどね。そしてこの剣の使用法だが、俺が知っていることは、各八つの『勾玉』を柄の穴に埋めることで属性を付与することが出来るといったところだ」

 

 

詳しい神話によれば八つの首はそれぞれで違う「鱗」の色をしていたたしく「朱色」の首は「炎」を吐き、「藍色」の首は「冷気」を吐いたらしいのだ。

 

 

勾玉がどういった経緯で作られたかは分からないが、伝承の通りにこのオロチの現身ともいえる剣は、八つの勾玉の『自然力』をその剣に宿す。

 

 

「全部を使ったことがあるんですか、その勾玉は」

 

 

「一応は、な。反応を示したものもあれば反応しなかったものもある。君のエザンディスと反応した『虚無』の勾玉は、斬った物体を完全に「消失」「消滅」させるものだったから、あまりにも危険すぎてそうそう使わなかった」

 

 

もしくは隠されたものがあるかもしれないが、と心中でのみ言って「炎」「氷」「雷」「風」の四つの勾玉のみ全容を明らかにするぐらいには使っていた。

 

 

首輪の形で繋がれている勾玉の数は八つで色も八色だ。

 

 

それを見せてから、何故それが竜具と反応したかである。実際、虚無の勾玉自体をティナの持つエザンディスに近づけても反応は無い。

 

 

「危ないから、気を付けてくれ」

 

 

神鉄の鞘にいつでも納められるようにしておきながら、虚無の勾玉を嵌めたが―――やはり反応は無い。

 

 

「少しだけどエザンディスが喜んでいる感じはしますが、あの時のような充足感はありませんね」

 

 

「そうか……」

 

 

実際、あの攻撃の際に聞こえた声も無かった。声はこう語ってきたのだ。

 

 

『形無きものを形有るものとして扱い『創造』しろ―――己の世界を創れ』

 

 

指示は抽象的な癖に出来ることが伝わるなどおかし過ぎる。結果、『世界創造の槍』という『技』を放つことが出来た。

 

 

「実を言うとああいう超常の能力というのは戦姫にとっては珍しくありません。リョウには話していませんでしたが、竜具には己の体力などを消費して放つ『竜技』(ヴェーダ)というものがあるのです」

 

 

「竜技?」

 

 

問い返すと、プラーミャの喉を撫でながらティナは説明をする。戦姫達の持つ竜具にはその属性を最大限に活かした一撃「千」殺の技があるのだという。

 

 

「竜の技、そのままでありますが、そのぐらい強力な攻撃なのです――――飛翔する風の刃が竜巻のごとく荒れ狂い竜すらも塵芥に返すこともあれば、氷柱(つらら)よりも凶悪な氷の棘が、凍てつかせながら臓腑を貫くことも」

 

 

(彼女にもそれが出来るのか――――)

 

 

ティナの説明を受けながら考えることは、ここの領地の戦姫のことであった。彼女がもしもそんなものを使えば身体がどうなるかは分からない。もしかしたらば最悪死ぬかもしれない。

 

 

「俺の攻撃が竜具と同様の効果だったか?」

 

 

「それよりも上でしょう。どちらかといえばリョウの持つクサナギノツルギは戦姫の持つ竜具の「負担」を減らしかつ「倍増」させているのでは?」

 

 

「負担は分割だろう。あれをやった後の疲労感は君と同じく結構なもんだ」

 

 

事実、下山するまでにティナの休憩の時に自分も体を休めていたのだから。

 

 

「まぁそんな超常の剣なんかよりもリョウが、己で納めた剣術の方が、私にとっては魅力的に思えますよ。竜具なんてのは結局、当人の武に色眼鏡をさせかねないんですから」

 

 

「……そうかな。まぁ褒められて悪い気はしない」

 

 

実際、クサナギノツルギ―――アメノムラクモとも呼ばれるこの剣の本来の使い方とは、その戦神の「もう一つ」の武器を用いた時に発揮される。

 

 

だからこそ陛下は、「王」を探せと命じて西方に送り出したのだ。だが自分の剣技が賞賛されて悪い気はしないのだ。

 

 

「では、そろそろ湯浴みをしますか。この宿唯一の美点と言えばそのぐらいですからね」

 

 

「プラーミャの住処だった山は休眠期とはいえ火山だからな。その影響なんだろうな」

 

 

小首を傾げながら「なんのことー?」とでも言っているような幼竜の頭を撫でてから、「温泉」に入る準備をする。

 

 

準備をする前に少しばかり考える。元の部屋をおかみさんが掃除してくれたとはいえ、何かしら不具合を生じさせてしまったかもしれないと思い、今の宿泊客に一度挨拶をしていくことに。

 

 

「私はプラーミャと一緒に先に行ってますので、早くしてください」

 

 

「別に混浴ってわけでもないだろう……」

 

 

男湯、女湯に分かれていることはティナも理解しているだろう。そうして行動を別々にして部屋を出る。

 

 

(風呂を浴びて一眠りしたらば、公宮の方に行った方がいいかな。あの宝玉の詳細も知りたいし)

 

 

あの火山の竜が、何かしらの守護者であった場合、サーシャに責が及ぶかもしれないのだから。

 

 

譫言を考えながらノックをすると、声が聞こえた。幼い声だ。確かにまだ成人していない―――女の子の声であった。

 

 

「失礼、この部屋の元住人だ。少しいいかな?」

 

 

「すみません。おかみさんから聞きました。この部屋は元々あなたが使っていたそうなんですよね」

 

 

「ああ、別に追い出されたことはいいんだが、何か気になるようなことはあったかな。手荷物を広げることは無かったけれど、君の不快になるようなことが無ければ尚のこといい」

 

 

出てきた薄紅色―――桃色とでもいえば言い髪色の女の子の姿は―――とても奇抜であった。

 

 

(ティナもそうだが西方の娘の間ではヘソを出す格好が流行ってるのかな?)

 

 

もう一人、いるにはいるが彼女は、自分の身体の関係上、そういった服を着ないだけで機会があれば着るかもしれない。

 

 

「問題ないです。特に匂いが籠っているわけでもないですし、危険物が落ちているわけでもありませんでしたから…けれど……ヤーファの方……ですか?」

 

 

「珍獣を見るような目は、もう慣れたが……」

 

 

何故にこの女の子は俺の下半身を凝視しているのだろうか、と疑問が出てきてしまう。少女にそんな風に見られて興奮する趣味はあのハゲ肥満将軍のようにはない。

 

 

恐らく腰に差している得物を見ているということは、分かる。

 

 

「それじゃ俺はこれで、邪魔をしてすまない」

 

 

「いえ、ただその前に一つ質問してもいいですか?」

 

 

真剣な言葉に振り返ると、彼女は少し奇妙な質問をしてきた。

 

 

「あなたにとって王と民、そして領地とはなんだと思いますか?」

 

 

「何で俺みたいな流れの傭兵に聞くのか分からないが、まぁ答えてやる。より良き治世を求めつつもその心を「人間」として留めることだ」

 

 

「―――どういう意味ですか?」

 

 

「民も人間であるならば王も人間だ。その持ってしまった巨大な『力』の前に自分は超越者だと思いがち、いや錯覚してしまうが、それでも人心を人の域に留めることだ」

 

 

この国の建国王は黒竜の化身だったかもしれないが、と付け加えると彼女は少し眉根を動かした。

 

 

自分の国の王。陛下は先祖返りをしたかのように「血」が濃く、人間としての域が脅かされているが、それでも彼女は「人間」なのだ。

 

 

人間として同じ世界に生きるならば、時に非情な決断を下そうとも人間として「悲嘆し」「激怒し」心を人としていなければならない。

 

 

「領地というものは―――先祖代々生きてきた場所だ。開墾をし、治水をし、生きていく術を得る場所。そこに生きる人の作るもので王は生きている」

 

 

だからそれを常々忘れてはいけない。王の「血」と「肉」は、民の作るもので出来ているのだと。

 

 

「仮にもしも蛮夷や王の敵がやってきたならば、どうするのだ? それを捨てざるを得なくなった時には―――」

 

 

「取り戻す。何年掛けてもな。まぁ現実にはそんな事態にならないよう努力するべきだよ」

 

 

真剣だ。彼女の言葉は、それに応えた。言葉を感じるに彼女は「旅人」という以前に、そういう「定住生活」というものを「知らない」ような気がする。

 

 

サーシャとは別だ。居つくべき場所にいられず出て行った彼女と、居るべき場所に馴染めず出て行ったこの子とでは、少し気が合わないのかもしれない。

 

 

「……ありがとう。参考になった」

 

 

「お節介ついでだが、君はこれからどこに行こうとしているんだ?」

 

 

「………遠くに行き、そして結論を出したい。私には「資格」がありながら逃げ出してしまったから」

 

 

抽象的な言葉ながらも彼女なりに、何か負い目を感じているらしい。それがどういったものかは分からないが。

 

 

「なら、ブリューヌに行った方がいいな。君の「相」を見る限り、星の位置としては「尚早」ながらも、西に「求めるべき光」があると思われる」

 

 

その「光」は、自分にも通じているかもしれない。彼女に「占」を働かすと何故か、自分にも通じるものが出てきたのは驚きだが。

 

 

「ブリューヌ王国……またもや他の方の領地を通るのか……気が重い…」

 

 

「実行するもしないも、君次第だ。俺の忠告が「吉」と出るか「凶」と出るかは分からないのだしね」

 

 

正直、余計なことを言ってしまって厄が増えるということもありえるのだ。ちゃんとした卜占が出来るのならばともかく自分では逆の結果を招きかねない。

 

 

「ありがとう。名前を聞いてもいいかなヤーファのお兄さん」

 

 

「リョウ・サカガミ―――また会う時が来たらば、その時は君の名前を教えてくれ」

 

 

後ろに手を振りながら、浴場へと向かう。彼女の悩みは尽きないだろうが、それでも何かしらの指針にはなっただろうと思いつつ、自分自身の悩みはどうすればいいのか悩んでしまう。

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

「で、何で君がいるのかな……」

 

 

「それは夫婦たるものお互いの背中を流しあうとかいうのがヤーファの伝統とか聞きましたけど」

 

 

東方文化が間違って伝わっていなくもないことを喜ぶべきか、それとも嘆くべきなのか。

 

 

タオルで身体を隠しているとはいえ、ティナの身体の美しさが目の毒ともいえる。その色々と起伏がありすぎる女神像にも似た彼女は、自分の側に寄ってくる。

 

 

そして幼竜であるプラーミャは、故郷と似た硫黄の匂いが嬉しいのか風呂場で寛いでいた。

 

 

湯気で見えないという幸運が発生しないので、色々と不味すぎる。

 

 

「……気持ちいいですね。身体から疲れが取れていくようです」

 

 

「同感だ」

 

 

その一方で、身体の一部がどうしても熱く発熱するかのようになってしまう。こんな美女に近くにいられて「立たない」男はいないだろう。

 

 

しかしその現場を見られるのは、やはり不味い。

 

 

「なぁティナ……確認しておきたいことがあるんだがいいかな?」

 

 

「なんなりと」

 

 

「俺はさ……そんなに君に好意的に思われるような人間かな……こんな知り合って三日程度しか経っていない相手にそこまで入れ込むなんて……ちょっと…困る」

 

 

「それは私の気持ちの問題であってリョウには関係無いのでは? とはいえ、そう思われるのも普通かもしれませんね。けれど別に理由が無いわけじゃありませんよ」

 

 

自分から離れて浴場の真ん中でこちらに背中を向けて彼女は語り始める。リョウ・サカガミという剣士のことを聞いた時のことを、そしてそれらを全て聞いた後で、自分が抱いた想いを。

 

 

「私にとって物語に出てくる伝説の騎士や王というのは、とても憧れるものなのです。幻想の物語に語られる存在。貴族の女子として生れた以上、誰かの下に嫁ぐ人生しか無いと思っていた私にとって本当に世界を変えてくれるものでした」

 

 

中でもアスヴァール建国の女王ゼフィーリア『甲冑こそが我が夫、戦場こそが我が宮殿』という女傑はティナにとって衝撃だった。

 

 

戦場に立つことは無くとも、非力な女性でも戦える術が無ければ暴漢に襲われた時に、何も出来ずに凌辱されるかもしれない。

 

 

そんな風な言い訳がましいことを言って、ティナはレイピアなどを与えられて、護身の術―――というには、かなり苛烈なものを己の身に修めていった。

 

 

同時に貴族として様々な教養を身に着けていく数年の間に、竜具が自分の目の前に現れた。

 

 

「戦姫に選ばれオステローデに赴いた時、人生が開けた瞬間に思えましたの。だって私の人生には自由意思が無いままに好きでもない相手の下に嫁ぐかもしれなかった」

 

 

こちらに背中を向けているから分からないが、ティナは晴れやかな笑顔をしているはずだ。そのぐらいに弾んだ声に聞こえた。

 

 

ティナの実家、エステス家は確かに王家連理ではあるものの、その実態としては領地も無く、度々の禄を与えられて生活しているだけの―――いわば貧乏な臣籍降下した王族のようなものらしい。

 

 

そんな彼女が実家の不遇を感じて、そうしてきたのは―――何となく分かる気がする。

 

 

「戦姫としてオステローデの土地を治めることになってから、更に色んな事を知った。そんな風に日々を過ごしつつ策謀を巡らす日々にアナタのことを噂に聞いた」

 

 

憧れの覇王(ブレトワルダ)ゼフィーリア女王が治めていた土地にて起こった内乱に介入して、敵味方に恐れられるほどの剣士がいると。

 

 

異国の剣を持ち、異国の装束を身に纏いし剣士――――名を「リョウ・サカガミ」という。

 

 

赤竜の化身アルトリウスの再来なのではないかと恐れられるほどに神がかった武勇の彼によってアスヴァールは一時の平穏を得た。

 

 

「どんな人なのだろう。どんな声をしているのだろう。どんな顔をしているのだろうと色々と想像を膨らませていきました―――本当に傍から見たらばあなたは、英雄譚の主人公ですよ」

 

 

「そんなたいそうな人間じゃない。本当にそこにいる人々のことを考えるならば、俺は―――エリオットもジャーメインも殺して、あの国を救っていた」

 

 

恋をする乙女のようなティナの告白には悪いのだが、それが出来なかったのは、結局自分は異国の人間であり、「陛下」の剣だと思っていたからだ。

 

 

気持ちが沈んでしまうのは、あの国の人々の思いを裏切ったからだ。タラードがいるから大丈夫だと自分を宥めても、自分の為したことで救ってきた人は納得できなかったのではなかろうかと。

 

 

「それも含めて会いたいと思っていました。実際に会ったあなたは確かに二枚目の類ではありましたけど、英雄というには少しのんびりしすぎではないかと思ってしまいました」

 

 

「覇気も何もなかっただろ?」

 

 

「ええ、だからああいう風に騎兵を使って実力を測った。リョウは本当に英雄と言える人間なのかと―――」

 

 

結果、自分はティナの策略を全て退けた。その結果なのか自分は彼女に好かれた。努力の結果と言ってしまえばそれまでだが、そこまでとんでもないことをしたわけではないはず。

 

 

「ゼフィーリア女王には伴侶となるべき人はいなかった。ただ逸話の一つとして『魔法使い』が、彼女を支えていたというのが私は好きなんです」

 

 

「だから俺に側にいてほしいのか……」

 

 

「私はまだまだあなたのことを知らない。故郷で仕えている方も、婚約者の有無も、どんな生き方をしてきたのかも、知りたいし教えてほしい。リョウは私にとっては吟遊詩人(ミネストレーリ)が謳う武勲詩に出てくる勇者であり、女傑にとっての魔法使いのような存在ですから」

 

 

いつの間にか自分の側にやってきたティナの身体の軟らかさが伝わる。彼女を止める暇もないままに抱きしめられる。

 

 

自然な抱き着かれに、どうしようもなくなる。

 

 

「ティナ……だったら俺は謝らなきゃならないことが一つあるんだけど……」

 

 

真摯な告白。未だ見ぬ自分に過大な期待と好意を抱いてくれたティナを疑い、その上で秘密にしていたことの一つを言わなければならない。

 

 

これからどんな形であれ彼女と付き合っていくというのならば、苦衷の思いでそれを吐き出そうとした瞬間。

 

 

「アレクサンドラと会っていたのでしょう? 更には意識を失った彼女を姫抱きで街の中を駆け抜けたとか」

 

 

「何で知っているんだ!?」

 

 

思わず大声を出してしまう。その言葉に微笑を零しながら、ティナは―――それはもう怖い笑顔を浮かべながら、こちらに迫ってくる。

 

 

多分、祖神イザナギもこのような形相のイザナミに追われたからこそ必死で逃げたのではないかと、そう思わせるぐらいに怖い表情だ。

 

 

「私がシレジアから帰ってきてそれとなく話を集めると、町中その噂で持ちきり。戦姫に拝謁する機会が少ないとはいえ、みんなして分かってしまったのでしょうね」

 

 

ティナの背後で炎が上がっている風に見える。無論、プラーミャが火炎を吐いているわけではないのだが、何でそんなものが見えるのだろう。

 

 

とにもかくにも言い訳をさせてもらいたい。弁解の機会を――――。

 

 

「けどまぁ……彼女も戦姫として危険人物かもしれない相手を知るためには懐に入るしかなかったのでしょうね。そのぐらいは理解しておきましょう」

 

 

「それはそうだけれども、ティナと同じく俺に好感を持ってくれたような気がするんだよ。だから余計に心苦しい」

 

 

昨夜と同じく、少し余計な勘違いをしたティナに今回は、真実を話す。だがしかし彼女は色んな意味で「強い女性」だった。

 

 

「ご心配なく。例えリョウが戦姫を複数惚れさせたとしても私は許してあげます。『戦姫穴姉妹』も想定の範囲内ですよ!」

 

 

「お前のその言動が既に俺の想定の範囲外だよっ」

 

 

英雄色を好む。と前置きした上で、自分が正妻、アレクサンドラ第一妾妃、などと滔々と語るティナに頭が痛くなる思いだ。

 

 

そう言いながらも不安げな声が耳に届く。

 

 

「………私も髪を切った方がいいですか?」

 

 

「あんまり母さんに似た女性ばかりというのは、俺の心理に良くないかな。それにティナの手入れの行き届いた長い髪は、故郷では美人の証だから―――切らないでいてくれ」

 

 

上目づかいに聞いてくるティナの頭を撫でながら、陛下にもこんなことを聞かれたなと思い出して苦笑する。

 

 

しかし頭を撫でられたティナは不敬罪云々を言ってくるかと思えば黙って身を委ねてくれている。そうして―――身体を洗い髪を洗い流すという更なる「苦行」が待っていながらも、美女との穏やかな時間を過ごすことが出来た。

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

「あら上がったのかい? 風呂の湯加減はどうだった?」

 

 

「とても燃え上がりましたわ。肌の火照りが、心の火照りになるかのようで♪」

 

 

「おかみさん。頼むから今後は「混浴」なんて東方文化参考にしないで」

 

 

違う意味でお互いに赤くなりながら、風呂場から出るといつも通りのカウンターにいた人に声を掛けられる。

 

 

「二人が燃え上がっている中悪いけど、リョウ。あんたに明日公宮に出仕するようにって兵士さんたちが来たよ」

 

 

「何かあるんだろうな。時間の程は?」

 

 

「昼前には来てくれると助かるってさ」

 

 

こちらの了解も取らずに帰るとはその兵士は少し失格ではないかと思うが、ここのおかみを信頼しているということかもしれない。

 

 

そしてサーシャは俺を信頼してくれているのだろう。

 

 

「おかみさん。この幼竜用のご飯もお願いします。今は本当にお腹が空いていますから」

 

 

「あいよ。さっき他のお客さん達は夕飯済ましたから、気兼ねなく話しながら食べなよ」

 

 

あのロリータも食事を済ませたのだろうか、もう少し話しておきたかったような気もするが、そこは彼女との縁がなかったのだろうと思い直して、部屋着のままに食堂へと入った。

 

 

―――食事を終えて、部屋に戻ると同時に今後の方針を話し合う。そこでティナは少し興味深い話をしてきた。

 

 

「ムオジネルの武装商船が襲われた?」

 

 

「その他にもザクスタンの軍船が襲われただの、結構色んな話が入ってきまして……それらには共通するものがありますの」

 

 

シレジアにいる情報通であり、王の使者としても何かと使われているポリーシャの戦姫によれば、剣呑なものが海賊に渡ったかもしれないとのことだ。

 

 

もともとは、王都に対する海賊討伐の陳情であったのだが、烈火の如き抗議であり一時、またもや侵略戦争でも起こす気か今度は二国が同盟を結んでと宮殿には緊張が走ったが、間諜などの様々な報告によればそうではない。

 

 

いや「戦争」のためのものを奪われたので、怒っているのだが、その理由は「新兵器」を奪われたからということだった。

 

 

「ジスタートの戦姫はもとより、ブリューヌの黒騎士など一騎当千の輩を倒すために隣国は様々な新兵器を投入しているのです。その中でも今回はムオジネルが少々厄介かもしれません」

 

 

「……火薬兵器か……」

 

 

それは何も目新しい技術というわけではなかった。様々な燃焼物を使って「反応」を意図的に起こすことで延焼を起こす。どこの国でもそれなりに開発しては、その煩雑さに兵器としての転用を諦めるほど。

 

 

「反応」する薬品の配合もそうだが、配合作業の段階で場合によっては多くの死人を出す。事故の規模によっては、とんでもない損失だ。

 

 

「硫黄はともかくとして、「硝石」なんて大量に手に入るものじゃないだろ」

 

 

「それがそうでもないんですよ。特にムオジネルのような国では」

 

 

ティナ曰く、四季はあれどもどちらかといえば寒冷なジスタートとは逆に一年を熱帯として過ごしているムオジネルとでは、条件が違う。

 

 

あの国ではそれが大量に、そして「天然」で産出されている。

 

 

国土も広く、それに応じて人口数も周辺国とは比べ物にならないムオジネルは一度に二万、三万もの兵力で周辺国を威圧してくる。

 

 

「なのにそんなものを開発していたのかよ」

 

 

「ジスタートを守護する戦姫にはどの国も苦渋を飲まされてるから、いい加減借りを返したいとかって思いなのでしょう」

 

 

迷惑なことです。と言う本人がその戦姫なのだが、その辺は言わない方がいいだろう。

 

 

しかしそんなものをムオジネルやザクスタンはどこに運ぼうとしていたのか……いやもう見当はついていた。

 

 

不安定な新兵器を試すのにいい実験場。休戦条約こそ取り付けたが、いまだに争い収まらぬ国。

 

 

アスヴァールに持ち込まれようとしていたのだ。無論、どちらの陣営も今すぐというわけではないだろう。

 

 

だが小競り合い程度の戦いで試す機会はある。そうして、得られた結果から更なる改修を施して、やがてはこの国に向けられるのだろう。

 

 

この「砲口」が――――。ティナやサーシャに向けられるというのか。

 

 

「長距離兵器の怖さは弓を使えない俺が一番知っている。こんなものが君やサーシャに向けられるなんて……冗談じゃない」

 

 

「心配してますの?」

 

 

「駄目か?」

 

 

「いいえ、とても嬉しいです」

 

 

目を閉じて、こちらの言葉を刻んでいるようなティナの様子に少し軽率だったかと自戒する。

 

 

とにもかくにもこの情報は、既にサーシャもルヴ-シュの戦姫もつかんでいるはず。それに関することでの話し合いなのだろう。

 

 

「君は明日、どうするんだ?」

 

 

「さぁて、どうしましょうかね……一度領地に戻るのもいいかもしれませんし、アレクサンドラに土の味を覚えさせるのもいいかもしれません」

 

 

「おおーい。あんまり過激なことはよしてほしいんだけど」

 

 

「心配いりません。リョウの隣が誰のものかを教えてあげるだけです」

 

 

それはつまり―――自分の故郷で言うところの「痴情の縺れからの刃傷沙汰」という行為に他ならない。

 

 

嫣然と笑うティナに最初出会った時の印象を思い出す。戦姫の中では最年長というサーシャの冷静さに賭けるようだ。

 

 

そしてまたもや来てしまったのは色んな意味で緊張を強いられる就寝時間である。

 

 

「とりあえず俺、もう一枚布団を―――」

 

 

「どうぞ♪」

 

 

用意が良すぎるというぐらい階下のおかみさんに布団を要求しようとしたのにティナが二枚目の布団を出してきた。

 

 

しかも敷いたところが、彼女のベッドである。まぁそもそも一人部屋だからしょうがない話なのだが……。

 

 

「プラーミャ来い」

 

 

掛け布団を上げて、敷布団を叩いて来るように促すティナへの「防波堤」としてプラーミャを間に入れて布団の中に入った。

 

 

幼竜は左右に何度か首を振ってから欠伸をするかのように口を開けてから眠った。「小型犬」程度の大きさであるプラーミャを間に挟むと彼女との密着状態は無くなる。

 

 

「むぅプラーミャ。ママはパパに抱き着きたいのに、そんな風に邪魔しちゃいけません」

 

 

「誰が誰の母親と父親なんだよ」

 

 

まさかこの歳で一児(竜?)の父親になるとは……とはいえ、自分がこの幼竜の親代わりであることには変わらない。

 

 

ティナと自分はこの子の親を殺してしまったのだから。朱色の鱗を撫でながら、お互いに自分たちの子供を慈しむ。

 

 

この子が成竜になった際に、どんな結末を迎えるのやら。食い殺される未来もあるし、再びあの火竜山の主になるかもしれない。

 

 

野生に帰るこの子を見送る日まで自分たちがこの幼竜の保護者だ。

 

 

「お休みティナ。今日は本当に助かった」

 

 

「だったら―――せめて手ぐらいは握ってほしいです」

 

 

「こうでいいか?」

 

 

今日は、随分と甘えてくるティナに弱りながらも、色々なことがありすぎて彼女も不安なのだろうと考慮して、その願いに応える。

 

 

驚いた顔を一瞬見せた後に、穏やかな顔でこちらを見返してくる。

 

 

「お休みなさいリョウ。明日またアレクサンドラの匂いを着けて帰ってきたらば、切り落としますからね♪」

 

 

何を切り落とすのか、少し怖くなりつつもあまり怒らせない方がいいだろう。ティナは陛下にとても似ている「情熱的な女性」なのだから。

 

 

「注意しておくよ。ただ……ちょっと難しいかもしれないからさ。勘弁してくれ」

 

 

「努力してください」

 

 

話をしながらも眠気が途端にやってくる。見ると、ティナも船を漕ぎ出しそうになっている。

 

 

実際、今までのことの疲れはかなりのものであった。自分も今日は色々ありすぎた。話から察するに明日、彼女は自分の領地に一度戻るようだ。

 

 

少しだけ気が楽になりつつも――――寂しいなという思いがやってきて、この手の温もりや軟らかさは忘れないように考えながらリョウもまた眠りに着くこととなった。

 

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 

 

「お世話になりました」

 

 

「何もこんな早朝に出なくてもいいのに……何か急ぎの用事でもあるのかい?」

 

 

宿を出るといまだに太陽も完全に上りきっていない時間帯。薄明の時間に、戦姫オルガ・タムはここを離れることにした。

 

 

戦姫アレクサンドラに悪いというのもあったが、それ以上に―――あの剣士の言が真実であるかどうかを確かめたかった。

 

 

西のブリューヌ王国。そこに自分が求めている何かがあるのだとすれば、自分はそれを早く知りたかったからだ。

 

 

本当は、この戦斧を持つ資格を喪失するための放浪の旅ではあったのだが、少しだけ違うことも知りたくなる。

 

 

「急ぎでなくても早くに知ることは良いことだと思いましたから―――だから私は行くんです」

 

 

「そうかい。気を付けて、これは餞別だよ」

 

 

「―――ありがとうございます」

 

 

渡された日持ちする携行食の中身を見て、本当に感謝してもしきれない。そのぐらいにこの女将には世話になった。

 

 

深く深く一礼をしてから西へとオルガ=タムは歩いていく。まず目指すはヴォージェ山脈。

 

 

そこに整備されている街道を通ると同時に、ブリューヌへと赴く。

 

そこで何が起こるかは分からない。そこに何があるかは知らない。

 

 

けれども、あのヤーファの剣士の言は自分の運命を言い当てているような気がしてならなかった。

 

 

 

 


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