「こっ酷くやられたようだな。バーバ・ヤガー」
「油断していただけ―――などとはいわん……が、遠く東の地はいまだに霊力が強いものが多すぎる……」
あの島国からどれだけの『実力者』がやってくるのか分からないが、七人の戦姫に応じて七の妖魔として存在している自分たちなのだ。
それ以上の数がいれば、簡単に殺されるだろう。
ドレカヴァクの言葉に返しながら最悪の未来を予想するが……そのようなことは、目の前の魔神の前では言えない。
言えば如何なヤガーと言えども殺されるだろうことは見えていたからだ。
「それでモモ様―――どうするのかな?」
「どうするも何も無かろう水魔。小勢である内に叩き潰す。それだけではないか」
「ご尤も」
戦の妙味は将軍―――トルバランほど熟知していないヴォジャノーイと言えども、そのぐらいは分かる。しかし案外、神の一柱というのも我慢が利かないタイプのようだ。
「このままテナルディエの動きに歩調を合わせていてはな。祭りに出遅れてしまう―――ドレカヴァク。貴様は帰ってきたならば予定通りにせよ」
窓に佇んでいた闇の化身の男は、業物の剣を掴んで外へと出ようとする。
「では―――」
「魔剣を奪うついでに『ロラン』なる騎士と遊んでこよう」
「ならば僕も着いていきましょう。婆さんをここまで連れてきただけじゃ少しばかりつまらないからね。婆さん。モモ様からの『贈り物』でちゃんと養生しときなよ。もう若くないんだから」
言いたいことだけ言って部屋を出て行く侍ととその従者たる盗賊にも見える男二人。
見ようによってはサーガにも出てくるかもしれない二人であったが、彼らが刻むのは悪漢としての伝説だけだろう。
その身にあるべきものは世の安寧ではなく世の混沌だけなのだから―――。
† † † †
銀の竜星軍の陣地から二百アルシンは離れた場所に簡易な会談場所が出来上がった。
お互いに伏兵などを潜ませないように周囲に隠れられるような場所は無く、会談も幕中ではなく外で行うことにした。
しかし居並ぶ諸将、諸戦士の数が多すぎた。傍目には年端もいかぬ少女に見えるものもいるが、それでも見るものが見れば、それがどれだけの実力者なのか分かるはず。
だが、残念ながらやってきたグレアスト含め、グレアストの護衛達の中には、そうした武に長じたものはいなかった。
「オージェ子爵」
「うむ。間違いない。グレアストだの」
ティグルが老将軍に確認を取り、やってきた灰色の髪の、如何にも貴公子然とした顔立ち―――しかし、どうにも後ろ暗いことばかりをやっている男の性なのか化粧だけでは隠せぬ『陰気』さが顔に滲んでいた。
そんな男が前に出てきたのを見て、ティグルは前に出て自己紹介をした。それと同時にグレアストもまた自己紹介をしてから銀の竜星軍の人間たちを観察していき、その中にオージェ子爵を確認して意地の悪そうな笑みを浮かばせる。
「オージェ子爵。隠居したと思っていたが、まだまだ元気そうだな」
「息子に爵位をゆずっていきたいところだが、あいにく世の中が平穏ではないのでな」
「せっかく健康なまま老いることが出来たのだ。無理せぬ方がいいだろう」
皮肉の言い合い。それに対して、同席していた息子であるジェラールが抜き差しならない表情でグレアストを睨む。
憤激しては不味いし、かといって父を侮辱されて何もせぬは不孝者というものだ。
ジェラールの顔も既知であったグレアストは父子もろとも鼻で笑った。
―――それだけで、諸将のグレアストの印象は最悪に落ちた。自分たちを幕営させもらっているのは、この子爵家なのだ。
店子として大家に対して義理を果たすは当然。故に―――全員の視線が険しくグレアストに向けられた。
そして次に挨拶したエレオノーラに対する態度は露骨すぎた。そして次々と述べられる言葉の羅列は、ティグルを貶め、エレオノーラの美しさを称えるという―――セクハラと同時に行われるエレオノーラの逆鱗撫でに気づいているのかいないのか。
「そこまでにしておけ。竜殺しの栄誉は俺にもあるのだからな。エレオノーラだけを褒め称えるのは、お門違いだな」
鞘込めの刀をグレアストとエレオノーラの境界に差し出す。殆ど重みを感じぬが当てられた得物の剣呑さにグレアストは視線をやっとのことで、こちらに向けた。
「戦姫殿の他に聞こえてきた噂だが―――まさか真実だとはな。お初にお目にかかる東方剣士リョウ・サカガミ」
「婦女子に対する接触が過ぎるな侯爵。女の扱いは間違えば―――男の地位を簡単に貶める」
挨拶に対して挨拶を返さずに、警告を発する。それに対してどう出るか。
「……肝に銘じておこう。少なくとも戦姫の色子などと称される貴卿だからな」
こちらの視線と言葉でようやく接触を終えたグレアスト。それでも止まらなければ手を斬りおとすぐらいはしていたかもしれない。
そんな自分に笑みを一度浮かべたティグルは表情を真剣なものに変えてから口を開く。
「グレアスト侯爵。我が家の客将が無礼をしたが―――我々は、あなたの口説き文句に時間を浪費したくない。時は金なりという格言をご存知のはず」
「中々に言う……ヴォルン伯爵……」
「リョウ・サカガミの『剣』は私の言葉と同義だと思って『会談』に挑んでいただきたい」
脅すつもりか? と言外にティグルを睨むグレアストだが、ティグルはそれを受け流して、着席するように促す。
リョウとしては一触即発の場にガス抜きをするつもりだったのだが、むしろ―――。
ジェラールとルーリックが自分の両肩をそれぞれで叩いてから、こちらの顔を見ながら親指を立ててきた時には、『お前ら実は仲良しだろ?』などという皮肉を言う間もなくオルガ隊の面々、リムアリーシャ、フィグネリアまで親指を立ててきた。
グレアストに見えぬ位置にて無言で『よくやった!』と言ってくる面々……。
(ガスを『吸い込む』までは予想していなかった……)
皆が手を出せぬ中、自分だけは己の積み上げてきた『威』で、やり返すことだけを考えていたのだが……予想以上の『悪漢』ぶりにみんなの心は一致していたようだ。
とはいえ、その数分後には自分も爆発することになるのは、やはり自分も皆と一緒だったということだ。
着席して酒を銀杯に注ぎ飲み干した後には潤んだ喉が滑らかに舌を滑らせて会談が始まった……もっとも、その実、殆ど喋っていたのはグレアストであった。
要約すると……。
一、テナルディエ公爵と戦うならばガヌロン公爵に着け。
二、ガヌロンの陣営に組すれば、褒美としてテナルディエ公爵の中心都市『ランス』略奪の権利を与える。
三、ただし、協力する以上こちらが要求するものは全て差し出せ。無論、どんな事情であっても拒否は許されない。
四、二番目の条件であるランス陥落のための先陣を斬るのは、銀の竜星軍。
ざっと挙げれば、こんな所だ……しかし、ランスという街に立ち寄ったこともあるリョウとしては、その失陥が容易ではないことも分かっている。
エルルもアルルもあまり良い顔をしていない。数年程度とはいえ住んでいた街なのだ。そこに獣の如きことをやられては良い気分ではないだろう。
「お話は分かりました。同盟者の皆と話し合って明日にでも返事を出させていただきたいと思うのですが」
「いや、返事はいまこの場でもらいたい」
その返答を予想していなかった訳ではないが、随分と性急だとも感じた。
「貴殿に与えられているのは、恭順するか否か―――無論、日和見の中立など許さぬ。仮に汝らが先にテナルディエ公爵を打破出来たとしても、こちらに着いていなければ我らは貴殿らを撃破する」
冷血な視線と共に二者択一だけを求めるグレアスト。それに対してティグルの―――『腹』は既に決まっているだろうことが、老従バートラン、そしてオルガも分かっていた。
一度だけ目を閉じて、射をする際の呼吸、射抜くための集中の動作にも似たことをしてから一言。放った。
「リョウ、グレアスト侯爵に返事を―――」
「―――委細承知」
望んでいた言葉。同時に―――会談場所に鍔と鞘が打ち鳴らされる音が響いた。
「成程、私も東方文化にそれなりに教養ありますので分かるが、曖昧だな。『金打』で返すとは、これでは……」
「あなたが何を言っているのか分からないな」
グレアストの言葉を遮り冷ややかに告げる。呆けた顔をするグレアストだが、次にはその顔のまま『後ろ』に転げ落ちた。
「なっ……!?」
背中に感じる痛みに耐えつつ起き上がるグレアスト。
ことが、ここに至り気づく。先ほどの鍔と鞘が打ち鳴らされたように『見え』『聞こえた』行為。
寸分たがわず斜断されて後ろに転げ落ちるようになった椅子。肘掛すらも斬られていた。
(斬ったというのか、あの一瞬で!?)
知らず嫌な汗をかき、ぞっ、とするグレアスト。ムオジネルにて『協力』しあうことを約束した『男』も語っていた事実。
―――一度、剣が閃けば地獄行き。―――不心得者ならば気づかぬうちに獄卒と対面―――。
神流の剣士は―――そういう『鬼人』だ。その言葉を思い出した。
「侯爵、これがティグルヴルムド・ヴォルン閣下のお心だ。国王の沈滞を好機と見て、乱賊猛々しく王宮の威を着る貴様らに着くことなど我が殿にはあり得ぬわ!!」
「……!! 本気か?……分かっているかどうか知らないが、お前たちの旗を王宮がどう見るかすらわからぬのだぞ…!」
「盗人たけだけしい! 王の領分を犯すさえ重罪だというのに、あまつさえ何の咎もない閣下の土地を狙っていたのは貴様らもテナルディエと同賊! 領民の安堵と国のために立ち上がった閣下の旗を誰が『不義不忠』と言えるものか!!」
理屈、というよりも言葉の勢いでグレアストは呑まれている。
返そうと思えば返せる弁舌だが見事に叩きつけられるそれと、見せ付けられた絶技ゆえに言葉が出てこないのだ。
「後悔するぞ……!」
立ち上がり逃げ腰な姿勢での捨て台詞。しかし、その言葉は全員の心に――――『火』を点けた。
『やれるものならば―――やってみせろ!!!』
ティグルの旗に様々な思惑、感情で集った将星のもの達。
だがそれでもその『旗』にこそ自分たちは『命』を預けたのだ。利害だけではないその『心』に従い誰もがグレアストを睨み己の武器を打ち鳴らして、決意の心とした。
「お引取り願おうグレアスト侯爵。私を信じてくれた人々の為に、ガヌロン公の『旗』に就くことは無い」
最後を締めくくるようなティグルの威厳を込めた言葉。
家臣含めての、その『威圧』に負けたのか、護衛を引き連れて逃げるように、情けない表情を見せながら去っていくグレアスト。
そうして嵐が止むと同時に―――誰もが息を突いた。次いで、張本人ともいえるリョウが愚痴るように言うと皆であれこれ言い合う結果に。
「やってしまったな」
「だがスカッとしたのは間違いない。お前にしては中々に助かった」
イイ笑顔をするエレオノーラ。そうとうあの男のセクハラに辟易していたと見られる。
「サーシャやユージェン様から頼まれていたからな」
―――エレンに寄ってくる蛾。ティグルではどうにも出来ない蛾ならば打ち払え―――。そんなのを受けていたのだ。
しかし、誰もが表情に明るい所を見ると……不満が溜め込まれていたのは事実。
グレアストの要求が緩やかであったならば、陣営内には不満が残った可能性もある。となれば爆発させたのはある意味、必定だったかもしれない。
「いつも冷静な貴卿にしては随分と感情的な声だったな勘定総監?」
「私とて情のある人間なのでな。あの男には非常に我慢ならなかった」
ルーリックのからかいの言葉に、あさっての方向を向き、気恥ずかしいのか、そんなことを言うジェラール。
そんな二人を見て老将軍は穏やかな笑みを浮かべていたりする。
とはいえ、みんなの心情を代弁するように放っていた斥候の一人が陣地にやってきた。
それは待ち望んでいたものでもあったからだ。
斥候の報告を聞いた老将軍は、今度は人の悪い笑みを浮かべてはき捨てる。
「北に一日ほどの距離に緑地に金色の一角獣の旗か、ガヌロン公爵め。最初からそのつもりだったようじゃ」
老将軍の言葉を受けて全員が慌しく動く。中でも先陣務めの「オルガ隊」は早かった。
「エルルとアルルに凶賊の仕業に見せかけて殺させるのは無しの方がいい。真正面から打ち破ってティグルの武威を見せ付けてやる」
『ちぇー』
「やりたかったの!?」
双子の残念そうな言葉にハンスは驚いたが、作業の手は緩めない。
まさかり担いだ金太郎ならぬ『馬太郎』を筆頭にオルガ隊は先手となるべく準備を開始する。
簡易的な会談場所を引き払いつつ、陣地に命令を発するために伝令を出す。
そんな中、総大将であるティグルは、一時命令を中断して自分の侍女である幼馴染に向き直った。
「ティッタ。バートランと何人かを着けるから陣に戻っていてくれ」
主の言葉を聞いたティッタは、少しだけの寂しさを覚えハシバミ色の瞳を濡らし、されどそれを乱暴に拭ってから、主であり想い人である男性を見て、一言を言うことにした。
その一言に己の想いを込めることにした。
「ティグル様……私はティグル様の―――『ご武運お祈りしています』―――」
「―――ああ。絶対に『帰ってくる』―――」
そんな二人の様子にオルガは「しくじった顔」をするも、ティッタはオルガ隊の面々に向き直って口を開く。
「皆もティグル様を頼んだよ」
「任せてくださいなの!」「王様は必ずお守りします」「僕は新参ですが、ヴォルン家の家臣として奮闘します」
「―――うん、任せてティッタさん。ティグル―――私が『ティグルの武運』になってみせるよ」
一度は少しの嫉妬をしたオルガだったが、心の底が一緒であったのを再確認して、そんなことを言う。
「ああ、頼りにしているよオルガ」
そうして家臣たちからの頼りある言葉を聞いてから、全員を見回してティグルは総大将としての務めとして―――号令を発した。
「敵はガヌロン公爵!! 銀の竜星軍の初陣―――勝利で飾るぞ!!」
言葉と同時に天を突かんばかりの意気を上げた諸将。
そうして―――オーランジュ平原の戦いの火蓋は切って落とされたのであった。