鬼剣の王と戦姫   作:無淵玄白

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長らくお待たせしました。


『後始末―――そしてブリューヌへ』

 

 来客用の部屋。様々な人間が訪れてきた場所に馥郁たる香りが充満する。

 ライトメリッツのそんな外交交渉の最前線に似つかわしくないものだ。もっとも戦姫であるエレンの気質からいって、あまり好かない人間はいれたくないだろう。

 

 そういう意味では目の前の人間はかなりの偉業を成し遂げたといっていいだろう。

 なんせエレンが好かない人間の筆頭とも言えるのだから―――。

 

「その高さから淹れることに意味はあるのか?」

「ジャンピングと言って、対流を起こさせる事で茶葉を攪拌させるのよ―――今まで呑んできた紅茶との違いを楽しみにしておきなさい」

「ああ、楽しみにしておく」

 

 この場での目的は、本来ならば人質の身代金に関してのあれこれであったのだが、それに関しては現在エレオノーラとライトメリッツの文官、そしてオルミュッツ側の大公閣下とが首っ引きで交渉している。

 時々、そのもう一つのテーブルでの交渉の合間にこちらを見てくるエレンの恨めしげな視線が、交渉をオルミュッツ有利に働かせようとしていた。

 自分とリュドミラがこうして違うテーブルで紅茶に関してあれこれやっているのは結局の所、大公閣下の「気遣い」であった。

 

 結局、今回の戦いにおいてティグルの武功は無いのだ―――。裏方であれこれやって戦争を止めた。

 実利無き名誉の勝利。それを知るものは少なく、ならばということでオルミュッツは最高の『姫』を用いてのおもてなしをすることで過不足なくすることにした。

 

 それは分かるのだが、何もいまこの時にやらなくてもいいのではないかと思う所存であった。

 自分が見ている所で、『いちゃいちゃ』と触れ合う二人を見て交渉に身が入らない。

 

(しかもこんな時に限って、あの男はいやしない!!)

 

 ヴァレンティナと逢引でもしているのだろうと分かっているからこそ、両方に苛立つ。

 この場に、もう二人ぐらいいれば、あのお茶会の邪魔をしてくれていただろうに、という思いだ。

 そんなこんなしつつも、人質交渉はスムーズに終焉へと向かおうとしていた。

 それは目の前のリュドミラの父親からの気遣いであることに気付けないほどエレンも馬鹿ではなかった。

 

 † † †

 

「それじゃ彼女は、ブリューヌ王宮に向かったのか?」

「ええ、途中までは送り届けましたが、その後は―――野となれ山となれって感じですね」

 

 言葉こそ失礼千万ではあるが、道中で様々なことを知りたかったのだろうと推測は出来た。

 ソフィーヤ・オベルタスが何を見聞きしてくるのか、そしてそれがティグルにどんな影響を及ぼすのかは分からないが、まぁ一先ずは様子見だろう。

 

「この後のご予定は?」

「遂に出立だろうさ。奸賊討つべしとしてな」

 

 すぐさま、ネメタクムとの戦争状態に入るとは限らないが、一先ずテリトアールに宿営してから南部を目指す。

 それが一応の目論見である。

 

「予定通りといえば予定通りですわね。ただ……一つよろしくない噂が出てますの」

 

 ティナの深刻さを伴った言葉で知らされることは、『予定外』でありながらも『予想外』のことではなかった。

 

「南ブリューヌの貴族ピエール・マルセイユ『敗死』……誰にやられたかなんて聞くまでも無いな」

「ええ、ただ―――それならば流石の王宮も黙ってはいないはず。後は分かるはずでしょうリョウ」

 

 アルサスにもあり得たかもしれない運命が反対方向に降りかかった。

 しかし、そのやり方は尋常なものではなかったということだ。尋常ではない手口。

 

『ヒトの軍勢』ではないものを使役して何者かがマルセイユ公を殺したのだ。

 ティナの語るところによればマルセイユの港を襲ったのは黒い獣の軍勢と黒い長髪の剣士『一人』

 

 そしてマルセイユと『公然』と敵対をしていたのは―――テナルディエ公爵である以上は関与は疑われる。

 だがそんな余他話で、嫌疑を向けるわけにもいかず王宮としては何処に剣を向ければいいのか分からない状況であるとのことだ。

 

「マルセイユ様は両公爵ほどではありませんが、ブリューヌの古い有力者。しかもムオジネルに対する壁も担っていたのですから、これらに関してもジスタートは聞きたいのですよ」

「俺はテナルディエ公爵じゃないが、彼としては勢力図をすっきりさせるために、南部の「たんこぶ」を落としたんじゃないかな?」

 

 こういう風に誰が敵で誰が味方か分からない状況ほど勢力を整理するために戦いは起きる。

 ティグルのアルサスを狙ったのも、長じればジスタートの介入をさせないための焦土作戦だ。

 

「一理ありますね。ただ今でなくてもいいはず」

「確かに、国内状況が定まっていないというのに、拙いやり方だな」

 

 だが、その黒い剣士とやらが、自分の想像している相手ならば、信用を得るために「国」一つを滅ぼすだろう。

 ぞっ、としない話だが……ここで軽々しく動けない。

 願わくばかつての川楊家の国―――出雲の顛末のごとくならないことを願うのみ。

 

(何百年経っていると思っているんだ……それでも倒さねばならないだろうな)

 

 それこそが神流の剣客としての本来の務め。この地を瘴気まみれにしない為にも……、桃の『魔神』は自分が殺さなければなるまい。

 

「竜殺しの次は『神殺し』ですか―――リョウの武勲が増えるたびに私の胸は高鳴ります」

「女王になるための準備がまた一つ進んでか?」

「もちろん♪ ―――それ以外の理由は、語らずとも私の胸の中だけで温めておきましょう」

 

 掛けていたソファー。広く大きく余裕ある作りのものだというのに態々こちらによりかかってきたティナ。

 自然と頭を撫でる体勢になってしまい、サラサラの艶やかな髪に手を這わせる。

 

 途中で止まる事を知らぬティナの髪を愛撫していたのだが……いつの間にか入ってきたフィーネのジト目に晒されて、何となく居心地が悪くなる。

 

「会談が終わったから呼びに来たんだが……もう少し遅めにしとこうか?」

「やれやれ。名残惜しいですが、流石にエレオノーラの屋敷で『粗相』をするわけにもいきませんからね」

「そんな事したらば殺されるなぁ」

 

 容易に想像出来る未来を回避して、フィグネリアの案内に従う。今のフィグネリアは、数日前までの様相とは違っていた。

 巷で言われる『乱刃のフィーネ』としての衣装と髪色で本来の自分を取り戻して、ライトメリッツにいた。

 

 買って上げたドレスはミラとの対決でエレオノーラがボロにしてしまった。

 結果として、彼女は元の衣装に戻る事を余儀なくされた。また髪の色も元に戻っていた。

 その際にエレオノーラと一悶着あったが、それは多分……時間だけが解決してくれる問題だろう。

 

「結局、フィグネリアも着いて来るのか?」

「ああ、オルミュッツの大公閣下にも依頼されちまったからね。『双子』のことを頼むって」

 

 アルル、エルルのザクスタンの女戦士二人に随分とミラの父親は寛容であった。

 今回の事件の首謀者として最初は殺されるも止む無しとしていた双戦士であったが、ミラの父親はそれよりも『ヴォルン閣下にご助力しなさい』ということで手打ちにした。

 憤懣溜めていたミラであったが、やられた方がそんな調子であったので、溜め息一つ突いて、それを良しとした。

 

 会談場所の扉を開けるとそこには反比例した表情の人々の群れがあった。

 エレオノーラ及びライトメリッツ文官達は、微妙な不満少し溜めている表情。というよりも文官達はエレオノーラの表情に少しばかりびくついているといった方がいいだろう。

 片やオルミュッツ陣営はミラはニコニコ顔、大公閣下も「えびす」顔を見せている辺り、ティグルとミラの『お茶会』は上手くいったのだろう。

 

「どうやら全ての交渉は終えられたようですね」

「ええ、最後のことに関しては―――サカガミ卿を交えて話したいと思いましてね」

 

 用意された長大なテーブル。そこにオルミュッツ陣営と向かい合う形でそれぞれが座りあう。

 席順はとりあえず皆が弁えていたのでさほどの混乱は無かったが、フィグネリアが立ちっぱになろうとしていたのでティナが強引に座らせたぐらいだろうか。

 そうして全員が着席すると同時にミラの代弁とでも言うかのように大公閣下が言を放つ。

 それは予想通りといえば予想通りの言葉であった。

 

「つまりテナルディエ公爵との取引を一切行わない」

「今回の事でオルミュッツの民は多大なまでの心労を与えられました。言うなればこれはテナルディエ公爵によって、オルミュッツの民を襲われたのと同意です」

 

 言葉の裏に隠された怒りを滲ませたミラの父親の言葉。それにミラも殊更反論は無いようだ。

 だが、それでそちらに迷惑はかからないのかと問う。どういった所で大口の顧客を失うということはオルミュッツにとっても痛手のはず。

 

「いいえ、私もお父様に同意なのよ。だからそこは気にしなくていいわ。ここまで仁義に欠けたことをやられては堪忍袋の緒が切れる」

 

 母が存命だったならば、同じく言っていたというミラの言葉は真実強かった。

 

「ティグルヴルムド卿―――中立だけでいいのかしら? 望むならばオルミュッツからも兵を貸してあげるわよ。ピピンも恩を返したいらしいからね」

「衛兵長を失うのはどうかと思うし、まだ息子さんだって全快じゃないはず―――病気の時に父親を奪うのは忍びないな」

 

 何より隣の銀髪の険しい視線を受けたティグルではそういうのが関の山だっただろう。

 

「そういうと思っていたわ。だから南部の方に睨みを私達は利かせるわ。準軍事同盟ってところでどうかしら?」

「つまり南部に我々の戦線が形成されればお前は、山を下ってやってくるのか?」

「ええ、勇猛なる戦士の守護者『ヴァルキリー』の如くね」

「猪の間違いだろう」

『エレン(エレオノーラ)』 

 

 エレオノーラの発言に対して、親しい間柄の人間全員から咎めの言葉が投げかけられた。流石に無礼であったが、ミラの父親は苦笑するに留まっている。

 苦笑というよりも「知っている」やり取りゆえだろうか。

 

 何でもライトメリッツとオルミュッツの戦姫同士が仲が悪いのは、近場故のことだけではない一面もあるらしい。

 特にミラの曾祖母の辺りから―――『男』の取り合いで刃を交えることも多かったとか……あほらしい戦の理由とも取られかねないが当人達にとっては至極大真面目なもの。

 

 タトラの城砦があそこまで堅牢なのもオルミュッツの戦姫が惚れた相手を閉じ込めてそこで夜伽をするために作ったとの話。

 更にいえば攻めたくても攻めきれぬライトメリッツの風姫の悔し涙を肴に―――これ以上考えていると、頭が痛くなりそうな話でもある。

 

 事実、目の前の大公閣下もエレオノーラの前の戦姫に『見所がある』として惚れられたりしていたのだが、恋の鞘当ての結果としては、気性が激しい所があるとはいえ楚々とした所もあったミラの母親の方に軍配が上がった。

 

(なんだってこんなことに詳しくなっているんだろうなぁ……)

「私の教育の賜物ですわね。『傲慢の風姫、憤怒の雪姫』というこの辺りのマイナーメジャーな伝説ですわ」

「人の心を読むなー」

 

 洞察力あり過ぎる『強欲の幻姫』に言いながらも無駄だろうなと感じる。

 とはいえ、それらの故事を言われて、思い当たる節があったのか顔を真っ赤にする戦姫二人。

 意味が分からないティグルは呆けた顔をしているが、まぁ胡乱な話であろうということは完全に理解したようだ。

 

「そうだな……最終的には確かに中原でテナルディエ軍とぶつかり合う可能性が高いけれども、南部に行くこともありえるんだよな」

 

 南部にまで押し込んでの戦いになる可能性を考えていたわけではない。ニース近辺でぶつかり合うだろうというのが連合軍としての読みであった。

 だが南部―――アニエス近辺まで戦線を延ばすとなると協力者は多くいて悪いわけではない。

 保険として、それを考慮していてもいいだろう。だが次にはティグルの思案は打ち切られる。

 

「ピエール・マルセイユ公無くしたブリューヌ南部は不穏な空気が立ち込めてますからね。妥当かと」

「マルセイユ様が!?」

「―――お知り合いだったのですか?」

 

 タイミングを見計らって口を出したティナの言葉。それにティグルは腰を浮かせるほどの勢いで返した。

 返された方も予想外の反応だったらしく、顔を驚かせていた。

 

 言葉を失ったティグルに取り合えず詳細な事を話すティナ。一言ごとにティグルの顔が少し呆けていく。

 そして放心して天井を仰ぎ見るティグルである。

 

「……俺が関係しているのだろうか?」

「いいや、テリトアールでの動き、オルミュッツの動きを斟酌するに『政敵』だから潰したというのが正しいだろうな」

「嘆いている暇は無いぞ―――これ以上の悲劇を止めたければ―――分かるだろ?」

 

 自分とエレオノーラの言葉を受けたティグルは表情を改めてからミラに向き直るティグル。

 

「―――ああ。リュドミラ、南部で何かあればその時は助力お願いしたい」

「決断できたことは褒められるべきね。ならば―――私も決断するわ」

 

 言葉で控えていた従者の一人が豪奢な箱を取り出して長大なテーブルに乗せる。

 その箱を開けたミラ。中に納められていたのは―――多くのミスリル製の武器。そしてそれらの下に決して刃で切り裂かれないようにとしてオルミュッツの軍旗があった。

 旗を貸し与える。それ即ちティグルの背後には「オルミュッツ」が同盟者として着いているという意思表示なのだ。

 

「我がオルミュッツは要請あればヴォルン伯爵閣下にご助力します。今の所は南部の様子を見ておきますがご要望あれば即応。それが我が民と我が父を人知れず救ってくれた勇者に対する最大の恩返しです」

 

「ありがとうございますリュドミラ=ルリエ殿―――なるべく次に会うときは穏やかな場所でいたいものですが、その時はよろしくお願いいたします」

 

 微笑を交わし合い、次に会うのが戦場では無いことを祈りあう二人の言葉。それに対して口を「への字」に曲げているエレオノーラ。

 そんな様子に皆が苦笑するしか無くなる。

 

「本当にありがとうねティグルヴルムド―――私の大事なモノを全て取り戻してくれて」

「気にしなくていいよ。俺にとってはやれるだけのことをやっただけだ。そして―――アルサスと同じ目に逢う者達を増やしたくなかった」

 

 結局の所、それだけだった。彼がここまでオルミュッツの為に尽力したのは―――テナルディエ公爵の手で泣く人間を増やしたくなかったのだろう。

 己の心に従ったからこそ、彼の目の前には道が開ける。

 

「交渉妥結して早速で申し訳ないが、我々はそろそろ出発せねばならない」

「慌しいですな。とはいえ我々もそろそろお暇しようか」

 

 エレオノーラの言葉を受けてミラの代わりに父親である大公が返事をする。何故ならばミラは本当に名残惜しそうな顔をしていたからだ。

 年頃の少女らしいそれを目にして微笑を零していた父親ではあったが、気付けで呼びかけられたミラも遂に立ち上がり、一礼をして部屋を出て行く。

 その一時の別れを惜しむそれを見たティグルは、『微笑み』で心配するなと言外に言うしかなかった。

 

 オルミュッツの使節団がいなくなると同時に静寂が部屋に篭る。しかしそれは一時のみであって、口を開くはエレオノーラであった。

 

「一つ確認しておくが、ティグル―――お前は―――私のものだ……だから、あんまり他の女に入れ込むな。情がありすぎるとそこまで酷な判断出来なくなってしまう」

「今の俺にとってはアルサスの保全のための戦いが第一だ……何より、君に対してまだ払うべきものを払っていない―――ただ、俺を大事にしてくれる人には、情のない対応はできそうに無い」

 

 懐の深いティグルではあるが、エレオノーラとしては自分だけを見てほしい想いが先行している。

 それが少しのすれ違いを生んでしまう。一種の嫉妬に狂ってしまうのだ。

 

(不器用すぎる)

 

 誰もがそう思いつつ、その二人を部屋に残していつでも行軍出来るように準備をしておくことにした。

 それぐらいの『ご褒美』があってもいいだろうという思いで、皆が出ていった瞬間であった。

 

 † † †

 

「まさかあの若者が、ミラにとっての『大事なモノ』になるとは―――私の人を見る目もまだまだだな」

「だ、大事なモノではなく! 新しい友人です!! 胡乱なことを言わないでよ!!」

 

 父の言葉に少しだけ噛みつく娘だが、本当に父親としてはそう思えたのだ。

 最初は自由騎士リョウ・サカガミこそがリュドミラにとっての『良人』になると思っていた。

 しかしながら彼は氷の姫を『賢妹』として見るだけで終わった。最終的には悪縁を断ち切る形で連れてきた流星の若者がミラの心に止まったのだった。

 それを父としては良しとした。

 自由騎士が信じた人間はミラにとってはしがらみを断ち切る刃を持った青年。そしてその青年はミラの心に住み着いた様だが……同時に何の因果か、風姫の心にも住み着いているようだ。

 

 父としては負けるな。と思いつつ、あの青年が果たしてどのような道筋を辿っていくのかが非常に興味深くもある。

 

 その道中にて自分の娘を『選んで』くれれば嬉しく思いつつ、今度は自分の茶を飲ませてやろうと思うのであった。

 

 そんな父のからかいを受けてリュドミラ・ルリエは……ぼそっと呟く。

 

「髪型……少し変えてみようかしら?」

 

 今までは、そこまで気にしていなかったが、もう少し―――少しだけ違うモノにしてみようと言うミラの意識は少女らしいお洒落への目覚めとなるのだった……。

 

 


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