鬼剣の王と戦姫   作:無淵玄白

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「虚影の幻姫Ⅰ(後)」

 

 

 

「で、どうしてこんなことになっているんだか……」

 

 

「本当、あなたって騒動とか不運とかそういう星の下に生まれているんですね」

 

 

「野望に塗れた腹黒女に絡まれたりとかも加えとけ」

 

 

と言った瞬間にこちらの頬を笑顔で引っ張るティナ。だからといって痛いだの何だの言うわけにはいかない。

 

 

後ろを振り返ると、そこには轟音を上げる獣の王。獅子ではなく―――竜が迫ってきていた。

 

 

しかも朱色の鱗。ティナの説明によれば、火竜(ブラーニ)という種類であり、その炎は―――。

 

 

竜の口中に溜め込まれていた炎が一気に吐息と共に辺り一面に広がり、木々と岩が炎に包まれていき――――。

 

 

「岩すらも溶かす―――か」

 

 

残ったものは炭一つ無かった。焼け焦げた大地一つだけがその熱量を物語る。

 

 

こちらからの有効な手段は無い。山の斜面はこの竜にとっては独壇場だ。逃げ切れるか逃げ切れないか。

 

 

掛けていた御稜威の力を解き、竜の方に御稜威を及ぼす。

 

 

「素は重、背に野槌、十重の大岩、二十重の大山、火圧し、地歪め、風鈍る」

 

 

媒介こそ無いものの、あれほどデカければ特に苦も無く重圧の負荷がかけられるだろう。しかしながら、行き足が少し鈍っただけでそれほどの影響は無かった。

 

 

(こういうのはどっちかといえば道士や陰陽師の領域なんだよな)

 

 

己の身体を変革することには慣れているが、他のものに対して影響を及ぼすのは苦手だと言い訳をしておいてから、再び軽量の御稜威をと思った瞬間に浮遊感が襲った。

 

 

「リョウの御稜威をもう何種類か見ておきたいところですが、まぁ命の危険には変えられませんね」

 

 

「ありがとう。おかげで距離が稼げた」

 

 

このまま下山できるかと思いたいが、この山の中ではなかなかにティナも集中力が削がれるということらしい。

 

 

どこを見ても同じ光景だからなのか、それともこの土地の霊力が関係しているのかは分からないが。

 

 

一番に考えられるのは「磁場」が狂っているのだろう。

 

 

「にしても随分と追ってきますね。余程気が立っているんでしょうか?」

 

 

木々に身を隠しながら木々の奥でまだ何か巨大なものが這いずっている音が聞こえてくる。どうやら追うのを諦めていない。

 

 

諦めていればその音が山頂の方に遠ざかっていくはずだからだ。

 

 

「竜にも繁殖期とかあるのかな」

 

 

あそこまで凶暴になるというのはそういう時期なのかもしれない。もっとも竜の生態というのはこの西方でもまだまだ分かっていないことが多いそうだが。

 

 

「リョウってば野外が好みだなんて趣味が危ないですよ」

 

 

この女の脳内でどれだけの意訳がされたのか若干興味がありつつも、どうしたものかと考える。

 

 

周りの木々は青々と生い茂っており、夏の季節に恥じない育ちっぷりだ。同じくあの竜も久々の肉の味に飢えているのかもしれない。

 

 

「とはいえ、いつまでも付き合っているわけにもいかないな。薬草も十分採ったし、これ以上はいる意味が無い」

 

 

「ごめんなさい。エザンディスの転移がここでは何故か短距離しか出来ないんです」

 

 

「気にしてないさ。ただティナその短距離転移を何回か繰り返して、何とか平地に出ることは出来ないか」

 

 

「平地……ですか?」

 

 

「ああ、見える範囲に収まればそこに転移は出来るだろう。そこで―――決着を着ける」

 

 

あの巨大な竜から完全に逃げることは不可能だ。どこかで痛撃を与えておく必要がある。それが出来れば安全に逃げられる。

 

 

出来うることならば殺したくないのだ。だがそうはいかないだろう。そしてティナに語った自分の本当の得物を晒すときかもしれないとして気を引き締めた。

 

 

「そうですね。このエザンディスは集中力もそうですが何より体力をかなり使いますので」

 

 

「ので?」

 

 

その続きは、ティナはこちらの首に手を回してくることで言葉の代わりとした。耳元に吹きかけられる甘く切なげな吐息が、言葉を代弁しているように感じた。

 

 

 

――――私を物語に出てくるヒロインのように姫抱きしてください――――。

 

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

 

「では、この内容でよろしいですね」

 

 

大きな机を境に、瞳の色が左右で異なるドレス姿の少女は、取り決めにサインをした書状を見せながら了解したかどうかを聞いてくる。

 

 

「僕としても異存はない。ただこの場合、君達の割り当てが少しばかり多くなるのだけどいいのかな」

 

 

机の境の片側にていつもの平服ではなく戦装束。何年も着ていなかったのではないかと思われるぐらいに、久しぶりな服に袖を通した黒髪の少女が疑問を呈する。

 

 

ジスタートが誇る七戦姫の内の二人。エリザヴェータ・フォミナとアレクサンドラ・アルシャーヴィンは、この時、海賊討伐の戦場での取り決めに関して喧々囂々(むしろエリザヴェータのみ)の争いをしていた。

 

 

「ルヴ-シュの兵は精強であり何より私に心より従ってくれる信の兵です。傭兵募集をしているあなたの領地の軍よりもよく働きますわよ」

 

 

鮮やかな赤い髪を掻き上げながら言うエリザヴェータ。それはあからさまな挑発だった。

 

 

公宮務めの武官の一人が顔を赤くしてサーベルに手を掛けようとしたが、その武官を振り向かずサーシャは手で遮る形で抑えた。

 

 

一触即発の状態を手の平一つで鎮めたサーシャであったが、彼女が態々苦しい戦いをしてくれるというのならば、レグニーツァにとっては不利益は無い。

 

 

だが、それ以上に何かしらの事情が見え隠れもする。実際、彼女も当初は傭兵募集を掛けていたはずなのに、一度雇った連中に違約金まで払って、追い返したのだ。

 

 

(間諜でもいたのかな。どうにも焦っているように見える)

 

 

詳しい事情は分からないが、レグニーツァ側としては作戦行動に不満もない。戦利品の分配にかんしても異論は無い。不測の事態が起きた場合はお互いに協力してこれを打ち払う。

 

 

不測の事態というものが、どのようなものかと仮定する必要もあるが、海賊が邪神と契約していて訳の分からん呪術を使ってきたり、海の竜がいきなり現れて襲って来たりと。

 

 

考えれば馬鹿馬鹿しいものから、ありえそうなことまで何でもござれである。そんなことまで考えていては何も出来ない。

 

 

「ところで起き上がっていて大丈夫なの?」

 

 

「心配してくれるのかい?」

 

 

エリザヴェータの言葉に、微笑を零しながら言う。自分が起き上がって、しかも戦装束で現れたことが彼女にとってはとても想定外だったようである。

 

 

「病人は病人らしく寝ていた方がよろしいかと」

 

 

彼女の言葉は挑発もあるが、心配も含まれているだろう。彼女とエレンに起きた顛末は何気なく聞いている。だからこそだろう。

 

 

「苦い薬ばかり飲まされてね。良薬は口に苦しという言葉の通りで―――今は、この通りだ」

 

 

戦場に出れるかどうかは分からないけれどね。と含みを持たせた言葉でエリザヴェータをけん制しておく。心配を少しはしてくれた彼女には悪いが、自分とてこの土地を治めている領主なのだ。

 

 

甘い考えばかりではいられない。

 

 

(リョウが何かしら良い薬を取ってきてくれるらしいからね。にしてもここまで身体が動くとは)

 

 

無茶をすれば剣を振るえるだろう。だが無茶をしなければ普通に生活することは可能となっている。

 

 

「……あなたの雇った傭兵には随分と毛色の違うものがいると聞いているけれど、彼が余計なことをしてくる可能性は無いのかしら」

 

 

「誰のことだい? 申しわけないが君の軍と違って僕の軍はいい加減でね。どんなに卓越した腕でも傭兵風情は傭兵風情として雇わせてもらっているよ」

 

 

「………」

 

 

こちらのはぐらかしに怒りの表情で押し黙るエリザヴェータ。十七歳の少女に対して少し意地が悪かったかと思いながらも、自分に仕えてくれている武官を侮辱されたのだ。この程度の仕返しはさせてもらう。

 

 

そうしてからこちらの少しの器の大きさを見せつける。

 

 

「冗談だよ。東方剣士リョウ・サカガミのことだね」

 

 

「彼がヤーファの意を受けた間諜の可能性は無いといいきれますか?」

 

 

琥珀色の右目の眦を上げながらエリザヴェータは問いかけてくる。

 

 

「言葉から察するに彼は、故郷ではそれなりの地位にいるようだ。ただ彼の言葉を信じるならばヤーファにはそんなつもりは無いらしい」

 

 

西方侵略という脅威の可能性をサーシャも考えたが、彼の言葉にはそんなつもりは無さそうだった。

 

 

それならば、アスヴァールの争乱を完全に納めた上で親ヤーファ政権を樹立させて西方侵略の橋頭保にしただろう。

 

 

「額面どおりにそれを受け取ったのですか」

 

 

「まだ断定は出来ない。ただ彼が暴走した時は、僕が責任を以て食い止めよう。彼を雇ったのは僕だからね」

 

 

言葉でそう言いながらもそんな疑うようなことはしたくない。彼には大きな借りもあるし、何よりどこか好きになってしまったのは事実だからだ。

 

 

「……いいでしょう。ではお互いにどちらかが敵を発見したならば、これを撃滅するために全力を尽くす。お互いの物見の目と間諜の実力に期待しましょう」

 

 

「同感だね。見送りはいるかい?」

 

 

「結構です。ではアレクサンドラ、出来うることならば戦場で武を競い合いましょう」

 

 

踵を返して己の武官と文官を伴い退室をするエリザヴェータ・フォミナを見ながら、あれぐらいの歳のころの自分はこんな感じだったろうかと思う。

 

 

自分としてはもう少し落ち着いていたかもしれないが、それはただ単に自分の運命を自覚していたからだけにすぎない。

 

 

(考えてみたらばわざわざ他の戦姫に自分の実力で黙らせるなんてことをやっている時点で僕もエリザヴェータと変わらないのかもしれない)

 

 

苦笑してから、現実に対処をする。地図に記されている近海の島々。この中に海賊共の塒があるはずなのだ。

 

 

それを発見出来ればいいのだがという思いで見入ろうとした時、文官の一人が声を上げた。

 

 

「しかしアレクサンドラ様、よろしいのですか? このような条件をお受けになられて」

 

 

「なんだみんなそんなに血に飢えていたのか? それは気付かなかったな」 

 

 

「人をまるで殺人鬼のように言わないでください」

 

 

「わざわざ大変な役目を他の奴が率先してやってくれるんだ。後方支援だけはきっちりやれば文句は無いよ」

 

 

文官にその旨を伝えると渋々ながらも引き下がる。本当の所は戦利品の分配なのだろう。

 

 

海賊共が何を持っているのかは分からないが、金銀財宝を溜め込んでいた場合。あちらが多くを持っていくことになるだろう。

 

 

「僕が戦場に出る以上。第一の軍規を定めるとしたならば「利得」よりも「命」を大事にしろ。それだけだ」

 

 

どんなに財貨を大量に得たとしても心臓ひとつ人間ひとり失えばそれは財貨以上の損失となるのだ。

 

 

用兵上手の将が一人失われればそれは金貨一千枚でも賄えまい。兵士一人にしてもそうだ。

 

 

公国の兵は「常備軍」でありブリューヌなどのように、領民を徴兵しているわけではないのだ。

 

 

練度もそうだが、かかった金の額が違う。だが、それ以上に―――命を大事にしなければ戦には勝てない。

 

 

「死んでは勝利の美酒も何も無いんだ。それが承諾できないというのならば、この場を辞してくれ」

 

 

故郷を蹂躙する蛮夷を倒す義憤は結構だが、それで死んでしまっては元も子もない。

 

 

だからこその言葉であることはこの中にいる全員が理解している。そしてこの戦姫が示した軍規がどういった心情で発せられたのかを理解しないものはこの場にはいなかった。

 

 

頭を低くして改めて自分たちの領主を拝跪した部下たちに頭を上げるように言うサーシャ。

 

 

「さて、では現実に対処するとしようか。場合によっては上陸作戦もするようだからね」

 

 

地図にあるどこかで海賊共が英気を養っていると思うと腸が煮えくり返る思いだ。

 

 

「マトヴェイに一時的に海軍総督の地位で探らせますか?」

 

 

「それはいい。しかし見つからないだろうね。彼は何度もあの辺りの航路を取っているから海賊がどこら辺にいるのかを探っているそうだ」

 

 

アスヴァ―ルとジスタートまでの航路の間にもある全ての小島をまさか探るわけにもいくまい。

 

 

「こういっては不謹慎ですが楽しそうですな」

 

 

紙の報告書を携えた老従僕がいつの間にか自分の側に来て、そんなことを言う。

 

 

「まさかマトヴェイが『連れてきた特効薬』がここまでアレクサンドラ様に効くとは思いませんでしたな。心身…いえ、心の部分だけでもあなたを全快させたことは勲章ものですよ」

 

 

「……そういうのは下種の勘繰りだと思いませんか?」

 

 

平素の小娘な感覚で発した言葉に老従僕は、『竜具で蜃気楼を作ってまで、男に会いに行くなど年頃の乙女にしか思えませんよ』と小声で言われて顔が赤くなるのを隠せなくなる。

 

 

紙の報告書にさっと眼を通してから老従僕が言う心の部分を全快させた特効薬は、今何をしているのだろうかと思い窓の外の景色に眼を移した。

 

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 

体当たり。その重量と質量を活かした攻撃に特に何をするわけでもなく前に出ながらリョウは体捌きで躱す。だがその速度は尋常ではなかった。

 

 

横で見ているティナはそう感じた。土砂が吹き上がって世界が茶色に染まった。それを遠吠えで消そうとしたのかそれともただ単に吠え猛りたかったのかは分からないが、火竜は轟音を上げた。

 

 

鼓膜が砕けそうなそれを前にしながらも、リョウの動きは変わらなかった。火竜の尾が接近しようとする剣士を打擲しようかという時に、その尾が宙に舞った。

 

 

(尾を斬った!? あの剣で……)

 

 

だがリョウの目は尾には向いていない。まるで鬱陶しい虫を追い払ったかのように、剣を振り上げていた。そのままに火竜に接近している剣が腹を斬ろうかという時に、身体を回転させてリョウに牙を向けて噛もうとする。

 

 

巨大な頤に生える太すぎる牙がリョウに食い込む。そんな予想は一瞬で無くなった。身体を回転させてリョウを視界に納めようとした竜からは消えていたのだ。

 

 

また横かという時に、リョウは空から降ってきた。その剣―――直刀、太刀というものを下にしながらの急襲。巨大すぎる竜の首の付け根。そこを狙ったのだろうが、身じろぎした時に外れて背に突き立ち盛大に血液を流す火竜。

 

 

痛苦に身を捩り、背中にいるリョウを振り落そうと滅茶苦茶に動く火竜。粉塵が舞い上がり時折吹かれる火炎が草を燃やしていく。

 

 

だがリョウはそんなことに頓着せずに、背に刃を突きたてながら尾の方まで走っていく。

 

 

「はっ!!!」

 

 

途中で固い何かに当たったのか、気合い一声で背開きの作業を終えて刃を抜いて地面に降り立つ。

 

 

火竜は復讐の好機として、遠吠えを上げながら火炎を吹いた。

 

 

「リョウ!!」

 

 

その火炎は完全にリョウを包み込んだ。最悪の想像がヴァレンティナに過った。その火炎の過ぎた後に―――リョウはいた。

 

 

「大丈夫だ。問題ない」

 

 

「いや、問題ありますよ!! 何ですかその剣は!?」

 

 

思わず突っ込まざるを得ないのは、その剣の形状が少し変形していたからだ。直刀を基点にして大きな刀身―――氷で出来たものが形成されていた。

 

 

その剣が炎を無力化したのだと気づくと同時に、良く見ると空洞であった柄尻の穴に何かが埋め込まれていた。

 

 

「氷蛇剣と俺は読んでいる。これが俺の持つ神宝にして神剣―――「クサナギノツルギ」の力なんだよ」

 

 

血振りをするように氷の刀を下にしたリョウ。その様子に火竜はたじろぐ。

 

 

まさか自分の火炎攻撃が無にされるとは思っていなかったのか、だがその答えはリョウが出してくれた。

 

 

「そうだな火竜。お前にとっちゃこいつは同胞みたいなものだな。黒竜の化身が与えた竜具と何が違うかは分からないが、こいつはお前と同類だ。だからお前は―――恐れている。オロチの力を」

 

 

言葉に舐めるなとでも言わんばかりに火竜は爪を振るってきた。リョウはその攻撃を受け止めて、受け流す。力の移動が絶妙だ。

 

 

武を嗜むティナだからこそその動きの精妙さ技術の高さに惚れ惚れしてしまう。だが、なぜリョウは先ほどのように体で捌かないのか少し気になった。

 

 

これに関しては火竜の作戦勝ちであった。先程までの一連の攻防は火竜が無謀な突撃をする「前」からの読みで動いていたのだ。

 

 

リョウの剣とは始点から終点までの道筋を描くのと同様であり、それが成されなかった時に再び始点を作ることが必要となる。

 

 

神速にも思われたリョウの速さとは「剣速」「身速」「読速」の三つを以て行われる。左右の竜爪の攻撃は単純だが、それが竜の膂力を以て行われれば必定リョウでも難儀する。

 

 

(豪剣の使い手を何度も相手しているようなものだ。だがまぁ力だけに頼った動きでは俺を倒すことは出来んよ)

 

 

氷の剣の面積が減っていく。ヴァレンティナは飛び出し、援護をしようかと思ったがリョウが目で制してきた。

 

 

(私の方の動きも読めている―――リョウにとってこれは窮地ではないの?)

 

 

竜具に選ばれた戦姫には、人間を超えた超抜能力とでも言うべきものが与えられる。中でも己の体力などを消費して放たれる竜技(ヴェーダ)は、放たれれば尋常の者には容赦なき死を、超常の者にも痛撃を与える。

 

 

(百チェートを超える竜相手では一撃では無理でしょうけど私の竜技とリョウの刀でなんとかなるはず)

 

 

けれども、危機感が無くなる。リョウはここで死ぬような人間ではない。そんな直観が存在している。だから本当に彼が窮地になった時に自分のとっておきを晒す。

 

 

ヴァレンティナの決意と共にリョウの動きに変化が起きた。爪の鋭さと手の大きさを利用した叩き付けに負けて剣が地面突き刺さる。

 

 

狂える巨竜は、そのままに体を動かそうとしたがそれは為されなかった。身体が動かないという現実の前では―――。

 

 

(凍っている!)

 

 

見ると朱色の鱗の竜手が青く変色して、そして、突き立った爪の地面には霜が降りていた。

 

 

「氷の剣の面積が減っていたのは、溶けていたのではなく火竜を凍らせるためだったのね」

 

 

「そういうことだ!」

 

 

最後の仕事として地面を凍らせたクサナギノツルギを引き上げたリョウは「剣速」「身速」で首を横に移動しながら斬ろうとしたが、炎を自分の手に吹き付けた竜はそのまま――――「空」に飛び上がった。

 

 

「んなっ!?」

 

 

「びっくりですよ。こればかりは流石に……私も見たことありません」

 

 

あの火竜は―――混血だったのだ。「飛竜(ヴィーフル)」と「火竜(ブラーニ)」の二つの特性を持つ竜であったのだ。

 

 

「あの時、斬れなかったのは――――翼の骨。―――肥大化した肩胛骨から伸びる翼だったってわけか」

 

 

迂闊とはいえ、これを予測出来るという風なのが難しい。何せ、あの竜の翼は今しがた生えたような気もする。

 

 

「しかし不味いことになった。あの竜だがどうにも正気じゃないっぽい」

 

 

「わかるんですか?」

 

 

遥か高みまで上昇を続けていく火竜を前にしてティナもこちらにやってきて詳しく話を聞く。

 

 

「原因は分からないが、何かしらの施術をされて狂わされている。このままだとレグニーツァに被害を出すかもしれない」

 

 

だが、火竜は既に空高く舞い上がり、こちらを睥睨している。その顔がこちらにだけ向いていればいいが、もしも街の方に向かえば。

 

 

「ここで仕留めなければいけない―――けれど……」

 

 

弓でもあれば、いや弓でも届かない距離だ。あそこまで高く上がってしまった存在を倒すものはない。せめてこの剣を撃つことが出来る「魔弾の使い手」がいてくれれば。

 

 

無いものねだりは出来ない。一か八か軽量化の御稜威で地面の縛りから解放されてあの竜に肉薄するのも一つ。

 

 

「エザンディスの転移で空中に出ますか?」

 

 

「まだこの山の影響から逃れられていないんだろ。下手すれば激突死だ」

 

 

「じゃあどうするのですか? このままでは大勢が死にます。そんなことは容認出来ません。私は戦姫である前にジスタートの貴族なのです」

 

 

彼女の悲痛な叫びに、最初の案で何とかしようとした時に、甲高い音が響く。何かが鳴り響く音。それはどんどん高くなっていく。

 

 

「これは……」「鳴り響いているのはお互いの武器か」

 

 

こんな現象は初めてだ。そして埋めていた「氷の勾玉」が外れて、「虚無の勾玉」が自動的に剣に嵌め込まれた。

 

 

瞬間。自分たちの脳裏に「出来ること」が直接伝わった。頭痛すら伴うそれを行うのに迷う暇は無い。狂える火竜は今にも街に向かいそうだ。

 

 

視線でのみお互いに応答しあい空中にいる火竜をはったと睨みつける。お互いにお互いの攻撃が出せる間隔を置いて、行動を開始した。

 

 

同時にエザンディスが光輝き、またクサナギノツルギも光を発する。

 

 

光り輝く得物を手に、お互いに虚空に向けて見えぬ敵。悪霊を打ち払うかのように凄烈な斬撃を放ち。お互いに虚空に居ない観客。祖霊を称えるような剣舞を披露する。

 

 

ヴァレンティナとリョウの舞は光の粒を周りに振りまきながら終わりがないかのように思えたが、終焉はあっけなく来た。

 

 

今まではお互いに周囲を付かず離れずの踊りを披露していた男女はお互いを正面の視界に納めた瞬間に、ヴァレンティナは上段からエザンディスを振りおろし、リョウは下段からクサナギノツルギを振り上げた。

 

 

鎌刃と刀身がぶつかり合い、甲高い音が鳴り響く中、二人はこの剣舞に対する名称を叫んだ。

 

 

『天之瓊矛=天之逆鉾』

 

 

上空を飛ぶ火竜にとってそれは予想外の「攻撃」であった。

 

 

二人が斬を虚空に向かって放つ度に、火竜の身体は切り刻まれた。それだけでも致命傷ではあったが、最後―――天空より放たれる光柱の圧力と地上より放たれる光の砲撃は既に致命傷であった竜にとってとどめの一撃となった。

 

 

自分たちの後ろに落ちた火竜の音で夢を見ているような心地から解放されて現実に戻る。

 

 

「今のは……いったい…」

 

 

「とにかく今は火竜の方を見に行こう。死んでいるとは思うが……」

 

 

呆然としつつも自分たちが先ほどまでやっていたことの結果を見なければならない。離れた所に落ちた火竜の身体はやはり鋭利な刃物で切り刻まれていかのようにずたぼろであった。

 

 

(斬撃を「転移」させたということか……)

 

 

自重で出来上がった穴の中に落ちている火竜はそれでもまだ生きているようだ。この山の主としての貫録かそれとも。

 

 

「リョウ……どうします?」

 

 

「介錯するのも吝かではないけれど」

 

 

ティナもここまでの「技」であったとは想像していなかったようだ。何より自分たちがこれをやったという感覚が無い。

 

 

しかし、自分たちの行いの結果であると認識して、この竜を楽にさせることに――――。

 

 

『その必要は無い。いずれ我が肉体は滅びるだろう。この苦痛もまた生きている証拠だ』

 

 

「ッ!!」

 

 

「竜が喋った!?」

 

 

『頭の中に直接伝えているだけだ。我がヒトの言葉を介しているわけではない』

 

 

まさに驚きである。ここまでのことが出来るとは、やはりこの剣が何かをしている。クサナギノツルギをみやると同時に、竜が言葉を発している。

 

 

『そうだ。その剣。我らが始祖の一つでもある八つ首の大蛇の現身ともいえるその剣が、汝らに言葉を伝えている』

 

 

「……そうか。何というか色んな意味で驚きだぞ。黄泉の国に行く前にいくつか質問させてもらってもいいか?」

 

 

『構わん。人と話すなど我にとっても初の事だ。冥途の土産を作らせろ』

 

 

随分と人間的な事を言う獣だと苦笑しながら思うが、とりあえず今は質問を優先する。

 

 

「お前を狂わせたのは何者だ?」

 

 

『気付いていたか……だが我は狂わされたのではない。支配から逃れようとして狂ってしまったのだ』

 

 

「支配?」

 

 

不穏な言葉にティナも眉を顰める。古来よりどの国でも竜というものの調教及び騎馬とした例は無いのだ。そんなことが出来るやつがこの巨竜を従わせようとしたのならば、それは大変な脅威だ。

 

 

『そうだ。黒ローブの「老人の擬態」をした邪の者に同じく「青年の擬態」をした魔の者―――この二人が、我を支配しようとしてきた』

 

 

竜の思わぬ言葉に背筋が寒くなる思いだ。探し求めた忌むべき者の存在を確認出来たのだ。

 

 

『黒い巨大な鎖だ……それを嵌め込まれた竜は、二人に従わされた。事実この「火竜山」の火竜の一頭は、奴らに連れて行かれた』

 

 

だが、この巨大な竜は山の主であり、そのような醜態は晒さなかったそうだが、呪いを掛けることで自分を衰弱させてきた。

 

 

『その強力な呪は私を蝕み、灰や炭という食糧ではなく山の獣を全て食い尽くさんとする強烈な飢餓感であった』

 

 

この竜が山の主でありそのような行動を起こさないということを分かっていて、そのような呪いを掛けたのだ。

 

 

悪辣な。と吐き捨てたくなる。その後、随分と衰弱したところで再び来てとらえに来る手筈だったのだろう。

 

 

『さて、どうやら我の命もここまでのようだ―――死に行くものの言葉を聞いてくれた礼だ。これをこの地の焔の姫にくれてやれ。無論、お前たちが使っても構わないがな』

 

 

死力を振り絞った遠吠えの後に火竜は、口から紅に輝く綺麗な球形に磨かれたオーブを寄越した。

 

 

体液に塗れたそれは、形見分けのつもりだろうが正直もう少し幻想的に寄越せないのかと見当違いの悪態を突く。

 

 

その時、竜の幼生が小さな羽を動かしながら、こちらにやってきた。朱色の鱗をしたそれは、死に行く巨竜の頭に頬を撫でつけている。

 

 

「あんたの息子か?」

 

 

『そんな所だ。次のこの山の主として育ててきたのだが……その責任は果たせなくなってしまったな』

 

 

己の炎が燃え上がり荼毘に付していく巨竜の命はもう終わるのだろう。頬を撫でつけている幼竜に炎を移さないために、身じろぎして押しのけた巨竜。

 

 

「……あなたを殺したのは私たちです。だからこの子は我々が立派に育て上げましょう」

 

 

未だに親に頬を撫でつけようとしていた幼竜を抱き上げたティナ。その腕に爪が入りながらも構わずそれを宣言した。

 

 

親から引き離された幼竜の切ない鳴き声が耳に辛い。

 

 

『すまない。そしてありがとう―――良い山の主となれ』

 

 

その言葉を最後に、巨竜の身体が完全に燃え上がった。その炎は誰かを害することも山を焼き尽くすこともなく数刻後に消え去り、その焼け跡に多くの獣たちがあつまりつつあった。

 

 

「……そろそろ行こう。ここからは彼らの見送りだ」

 

 

「ええ、では行きますよ」

 

 

親の死骸を見ていた幼竜は、その羽をはためかせてティナの腕の中に再び納まった。

 

 

「気に入られたな」

 

 

「どうでしょう。ただ単に、寝首を掻く機会をうかがっているだけかもしれません」

 

 

「それはそれで将来有望だな」

 

 

からかいながらも、考えることは一つ。この地にいる邪なるもののこと、あの肥満将軍だけでなくジスタート、もしくは大陸のどこかにその存在はいたのだ。

 

 

見過ごすわけにはいかない。となると、今のままでは我を通して様々なことは出来ない。タラードの時と同じく、自分に必要なもの。それは実力をみせつけることで作られる地位。

 

 

もしくはそういう高い地位にいる人間の力で何とかこちらの思惑を通すことだ。今後の方針を定めると、その高い地位にいる人間がため息交じりに言う。

 

 

「何というか早く沐浴がしたい気分です。山を下りたらば一気にメザンティスで帰りますよ」

 

 

「俺もそんな気分だ。風呂に入ってさっぱりしたい」

 

 

「一緒に入りますか?」

 

 

ティナのからかい混じりの言葉に、何と返したらばよいやらと思いながら、疲れる身体を引きずりながら下山をしていくことになった。

 

 

そして自分たちが下山をすると同時に、ここに入山していく連中がいたことは、この時のリョウたちには全く気付けぬことであった。

 

 

そのことが後々に禍根を残すことになるなど、その時は思いもよらなかったのだ。

 

 


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