熱砂の砂漠に駱駝に跨る騎兵が雲霞の如く散っている。その手に持った摸擬刀―――それに似せた鉄の棒などで軍事演習を行っているのは、黒い肌色の人間達である。
この熱砂の国における標準的な人種の人間達が、摸擬戦をおこなっては、その都度戦う相手が入れ替わる。いなくなった人間達は怒号と土煙が上がるところから逃げていく。
判定撃破されたからだ。時間を置いて―――再びの演習となる。
ともあれ実戦形式というには、程遠いが、それでも乱戦となった際の動きの良し悪し、指揮の明暗ぐらいは分かる。
「カシムは良さそうだな。ブリューヌに入った際には先鋒を任せてもいいだろう」
「カシムはそこまで大軍を動かせるほどの将であるとは思えません。奴は一度、土に塗れると冷静な判断を下せないと思われます」
「経験させればいいだけだ。第一、あの男が言う限りでは、そこまで余裕があるとは思えんからな。そうでなくても手に入れた情報だけならば、進入口の戦力は減らされているはずだからな」
あの男―――ダーマードは、つい二週間前に謁見してきたブリューヌ不平貴族「ウルリシュ=スカルポン」なる人間の顔を思い出す。
最初は交易目的での謁見及び、ムオジネルに対する間諜もしくは一種の反乱煽動の為の調略行為だと思った。
ブリューヌにおける復権を遂げるためにムオジネルの力を利用したい。そういう追い詰められた人間特有のものを感じつつもダーマードは、胡散臭いものを感じていた。
平民の出ゆえの妙な嗅覚とでもいえばいいのか、その男から感じられるのは没落したがゆえのものではなく栄華を享受しつつも、更なる欲を求めているように感じられた。
王家に対しての忠誠などは感じられなかったが、それでも自分達に対する完全な仲間ともいえないだろう。
「まぁ嘘であろうな。嘘であろうが一応聞いておいて悪い話ではない。恐らくブリューヌ南部には然程の影響力を持たない貴族なのだろう。察するにテナルディエや王宮とは別―――、恐らくガヌロン公爵ゆかりのものであろうな」
「そこまで分かっていながら、何故に切り捨てなかったので?」
「意味が無い。出自が明らかでないブリューヌ人を殺したところで金銭がさほど取れるわけではないからな」
物盗りと同じことをさせる気か。と言外に含みながら再びクレイシュは演習現場をつぶさに見る。
「ふむサラディン、カシュー、ケイド、シャダム、ルーファス……そんな所かな。軍団指揮に適した人間というのは」
どれだけの数の方面軍を作るか分からないが、大軍指揮が出来る人間の選定は済んだ。そんな中、ふとダーマードは思い出す。あの男―――まだヤーファに放った工作員から人物像を知られていないが、それでも中々の戦略戦術を知っている人間であった。
彼にも出世への道があれば、寧ろ―――彼が連れて来た家臣団には有能なものが多いのだ。それさえあればブリューヌを奪い取るぐらいは出来るかもしれない。
「……閣下、あの者を使わないので? 王墓の守番だけではあまりにも無体が過ぎませんか?」
「ダーマード、それは温情で言っているのか? それとも純粋に戦術的な見地に立って言っているのか?」
「半分半分といったところです……ただ、あまりにも左遷が過ぎるとどんな激発が起こるかわかりませぬ」
剽悍な顔を少し歪ませながらダーマードはクレイシュの無表情の言葉に肝を冷やしつつも応える。
確かに情もある。彼は自分と同じく距離の「近長」を選ばぬ戦いが出来る男だ。ヤーファ人の実力者としては、以前見た「化け物」に及ぶかもしれないが、それでも親近感沸いてしまう。
それ以外にもあの男を自由にさせておくのは不味いとも思えるのだ。そんな懸念はクレイシュとてあるだろうに。
「確かにな。だが、あの男を一度戦場に出せば―――出世は容易のはず」
「だから捨て置くと?」
「ワシとて実力は理解している。その才知・勇気ともに明敏にして素晴らしいが――――あの男、心に『狼』を飼っておる。確かに戦わせれば大きな益を齎すだろうが、それと同じぐらいの災厄も齎すだろうよ」
冷静に、こちらに懇々と理解させるようにクレイシュは言う。
ならば暗殺者でも向ければいいのではと思うが、アサシン教団全てを圧倒出来るだけの「忍者集団」を家臣としているので、全て退けられた。
「しかしお前の言うことも一理ある。兄君が気に入っている以上、一度は戦ばたらきさせねばなるまいな……遠ざけるのも限界だ」
王弟クレイシュはムオジネルの軍事総責任者であり、兄である王に忠誠を誓っている。それはいずれ反乱を起こすためではなく、当人が「政事」よりも「軍事」に重きを置いていたからだ。
そして何より二人とも求めていたものが一致していた。兄は「領土」を、弟は「戦争」を。
この西方における傍迷惑極まりない『金銀』兄弟のそれに誰もが頭を抱えていた。
「にしても陛下はなぜ、彼を召抱えたのでしょうな?」
「アスヴァールでのことが一番だろう」
アスヴァールの内乱。これにはかなりの国々が関わっていた。それぞれの思惑で二つの陣営に協力することで自分達に負い目がある政体を作ろうとしたのだが、東方よりやってきた龍は、それらの思惑を全て覆した。
そして片方の勢力は完全に自分達のあずかり知らぬ第三勢力に取って代わられた。ムオジネルにとっての関心事に変化が起こった瞬間だった。
それ以来、ヤーファという国が特殊なのか、それともその男だけが特殊なのか、それを確認したくて件の男の素性調査とともにヤーファに人を放ったが、どうにも滞っている。
流石にヤーファという国に溶け込むには、ムオジネル人は異端すぎたのかもしれない。
「何にせよ今の所はブリューヌ侵攻だ。それが先か――――」
クレイシュの嘆息と共の言葉を引き継いでダーマードが言った。
「アケチ=『テンカイ』=ミツヒデの素性が判明するのが先か―――ですな」
男の名前を告げながらダーマードは、その人間の姿を思い出していた。
「そういうことだ。まぁとにかくミツヒデにはそれとなく言っておけ。客将として出番がくるか分からぬが、出陣時期ぐらいは教えておいたほうがいいだろう」
「承知しました」
そうしてダーマードは頭を下げながら、恐らく『ミツヒデ』を使うことは確実だろうと思えていた。
自由騎士を抑えられるだけの剣士は――――彼しかいないのだから―――――。それぐらいの剣の冴えを、あの武芸大会の後に見ていた。
† † †
現れた男は、さなきだに気に食わない男であった。
黒い衣装に黒い長髪―――女のような男だが、その面貌は確実に男であった。
格好だけ見れば、街中で気取った色事師にも見える。しかし、その面構えは女どころか男も食うようなものだ。
まるで隙の無い蛇のように、昔、どこかで聞かされた壷の中の「毒虫」を思い出させる男であった。
「お初にお目にかかるフェリックス閣下、ご助力したく馳せ参じました―――」
「そなたが、魔人か……。一応、聞くが何が出来るかな?」
「剣を少々に妖術を少々といったところです」
妖術―――、何とも不気味な響きだ。そして言葉だけは丁寧ながらも慇懃無礼極まりない所が、どうにもフェリックスには気に食わない。
だが、その緩やかな所作ながらも蛇のような隙の無さが―――武人としてのレベルを物語る。
使える手駒、特に自由騎士と呼ばれるヤーファ人を倒せるだけの武人を欲していたのも事実なのだから。
「名は何と言う?」
「モモタロウとでも呼んでもらえば」
澱みない回答。まるでこちらが出す質問を分かっていたかのような速さ。それを感じながらも、まずは一つやってもらいたいことがあるとして伝える。
「南部の商業都市と縁深い貴族にして私の政敵の一人であるマルセイユというものがいる」
その男はテナルディエとは違い商人の不正な取引やそれらにまつわる目こぼし。賄賂の類を受け取らない男として有名であった。
清廉潔白な男といえばそうであり、ボードワンなどの王宮の臣からも信頼厚い老公である。
一部の商人からの受けは最悪ではあるのだが、その反面、テナルディエの保護している商業都市に比べて海賊からの襲撃も少ない。
それはマルセイユが、領土内の海洋都市に海洋騎士団を組織して航路守備を徹底させてあるからであった。
無論、こちらとてそれなりの軍備は整えているものの、元々の領土ではなく傘下に治めているだけなのでマルセイユのように直接指揮を取れるわけではない。
大きな襲撃あれば、その限りではないが……何にせよ治安維持を完璧にしている貴族なので商人も安心して商売出来るという側面もあった。
「大まかには分かった。だが被害はどれほどだ?」
「焼き払ってしまえ。無論、女は売り払い、貨幣あればそれは全て奪うことだ」
一瞬、一刹那にも満たないはずだが、モモタロウなる男が呟いたような気がした。聞こえぬほどの小声で「つまらん」と聞こえた。
しかしながらその後に聞こえてきた言葉は、従容としたものであり颯爽と身を翻して出て行くモモタロウ。
姿が見えなくなってから、隣に控えていた老人に問う。
「―――あの男、使えるのか?」
「ご安心を、それよりも先程モモタロウ殿が言っていた一兵も着けなくていいという約定は守られた方がよろしいかと」
「魔人とやらの実力を知りたかったのだがな」
「お戯れを」
言葉を最後に下がるドレカヴァク。マルセイユの領地を詳細に教えるためだろう。その様子は―――テナルディエには終ぞ見せない「配下」としての態度に近かった。
やがてそれでもマルセイユの辺りに潜り込ませていた斥候の知らせでテナルディエは知ることとなる。
魔人とは本当に化け物であり……自分はとんでもない悪魔と組んでしまったのだと思い知ることとなった。
† † † † †
ガヌロン支配するアルテシウムは厳重な警戒態勢で支配されていた。正しく来て欲しくないもの達を拒むような様だ。都市自体に入るのですら、厳重な顔照合と割符の照合が行われており、ちょっとした長蛇の列が出来ていた。
ここで生活している者たちにとって、これはとても不便なものだろうが、領主であるガヌロンが王宮に行っている間に間諜の一匹でも入れては、自分達が殺されてしまうのだから衛兵達もそれらを厳にしなければならない。
表向きの理由はそれだったが、裏向きの理由としてはそうではなかった。
そもそもアルテシウムは歴史ある都市である。詳しくは知らないが建国王シャルルが、ブリューヌ建国以前より存在していたこの都市を守るのにガヌロン家を登用したという話。
同時に、建国王は代々の王族にアルテシウムでの戴冠儀式を行うように言ったのだ。
それらの伝統が廃れてから、かなりの時間が経っている。どういった事情があるかは知らないが、それでもこのルテティアの都市アルテシウムには自分がブリューヌ王族として認められるべきものがあるはずなのだ。
「ただいま帰りました」
「ご苦労様」
木陰で休みながら、待ち人を待っていたのだが様子から察するに芳しくは無さそうだ。
この都市での名産である林檎酒(リンメー)を水で割ったものを、木陰に入ってきた自分と同じような旅着の女性に渡す。
駆けつけ一杯を飲み干した彼女。美麗な女性でありながらも、腰にあるべき得物が彼女をただの美人ではないと示していた。
「都市は言わずもがな。モーシアの神殿、共同墓地全てに厳重な警備を敷いていますよ」
もう一杯を注いで渡すと女性―――ジャンヌは飲み干した。
ジャンヌの報告を聞いてから、レギンは考える。これはつまりテナルディエ公爵への備えというよりも、自分を近づけさせないためだろう。
つまりガヌロンは自分達が生存していると知っているのだ。ディナントで幕舎に入ってきた手のものは、ガヌロン配下だったのかと思いつつ、これからどうしたものかと考える。
「このまま北部地域に留まるのは拙いですね。いつまた刺客を差し向けられるか分かりませんから」
少し視線を話した先にはアルテシウムがある。しかし、精々300アルシン先にある街。そこに入ることは至難の技だ。
五つの門全てが厳重な警備を敷いている上に、自分はそこまで卓越した運動能力を持っていない。
「王宮はガヌロンが居て重要決済に関して取りまとめようとしている。そして南部はテナルディエの支配地域……逃れるとすればそちらですか」
「南部……ならば私の故郷に行きますか。そこで『奸賊討つべし』で義勇兵を募りましょう」
「いいんですかジャンヌ?」
「私すらも死んだことになっているのです。パラディン騎士の偽者として追われた以上、汚名は濯ぎたいのですよ」
腰のドゥリンダナを鳴らして宣言するジャンヌのはしばみ色の目が闘志に溢れる。
彼女はあのディナントでの戦の後にある女剣士、黒髪の双剣士と打ち合って生き残った。
ロランのライバルが自由騎士であるのならば、自分のライバルはあの炎の双剣握る剣士―――恐らく戦姫だとしてきた。
「それとレギンの調べて欲しいこと『アルサス領主』。彼は生きていたそうです」
「!? 本当ですか!?」
そうして自分の懸念の一つを解消してきたジャンヌだが、その後には何とも「はらはら」するようなことを報告してきた。
生きていたアルサス領主。ティグルヴルムド=ヴォルンであるが、彼はジスタート戦姫の捕虜となっていた。
その後、アルサス領主は自領に迫るテナルディエ公爵の軍勢をジスタート……自分達がディナントで戦った戦姫の公国軍の力を借りて退けたという話だ。
「民衆の反応はどうなんですか?」
「……賛意が二、反意五、不明三といったところです」
どんなに裁量権ある戦姫の公国とはいえジスタートは外国なのだ。そんな連中が他国に踏み込んできたのだから、不安がる気持ちは分かる。
しかし公爵が何の理由も無く自国の貴族の土地を踏み荒らしたのだ。それに対する反発もある。
だが、アルサスなど辺境もいいところであるのだから人々の関心も薄い。
しかしながら、テナルディエ遠征軍がディナントでの国軍と同じく敗残の兵となって帰ってきたことは伝わっており、ジスタート恐るべしという意見もある。
「……どうにも要領を得ませんね」
「同感です。しかしながらこの後のアルサス伯爵の考えは分かります」
「ネメタクムへと兵を向ける……」
自分の領土に土足、鉄靴で入り込んできた賊に対してティグルは行動を開始するはずとしてきたジャンヌの言葉を否定できない。
あの伯爵に、そこまでの覇気があったとは少しだけ見くびっていた面もある。
しかし彼の心に従う強軍あれば公爵と戦うことは可能だろう。
「どうします? 今からならばアルサスに行けますけど」
「―――恋敵に啖呵切って出てきたんです……そんなかっこ悪いことできません……」
いじけるようなレギンにジャンヌも掛ける言葉が無い。溜め息を明後日の方向に吐く。
「とはいえ……状況が動けば、もう一度サングロエルに潜り込むチャンスがあるかもしれません……ティグルヴルムドには悪いですがジスタート軍と共に両公爵を引っ掻き回してもらいましょう」
「悪女ですねレギン。そんな方にお仕え出来て私はとても嬉しいです」
笑いながらの皮肉に口を曲げつつも、それぐらいしか今は出来ないのだ。
そして、この混乱状況の中で動く可能性がある国がある。
ムオジネルだ。あの砂の狼達が、南部から侵攻する可能性もあるのだから、そちらに対する対処も必要になるはずだ。
民に認められるためにも武功なども必要だ。何より南部には頼れる人間がいるのだ。
「マルセイユ公は、私のことを知っていますからね。ドンレミで義勇兵を組織しつつ接触しましょう」
レギンは自分の近親者以外で、公式に「知っている人間」の一人だとして身分保障は可能のはずだとした。
そして後々にティグルヴルムドの軍に入ればいいだけだ。
そこで己の身分を明かして、ティグルヴルムドを官軍として認めさせればいいだけである。
上手くいくかどうかはわからないが、今の自分にとって出来ることはそれぐらいだ。
休ませていた馬はどうやら回復したようであり、鼻を鳴らしてきた。
出発して向かう所は―――ブリューヌ南部。そこでこそ運命を変えるのだ。変えるためにも戦う―――未来の女王は、そう心に決めて馬に跨った。