鬼剣の王と戦姫   作:無淵玄白

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日間ランキング17位……ルーキーじゃない(苦笑)のにルーキーランキングでは3位とか―――、いやはや身に余る光栄です(震え)

拙作を読んでくれた皆様方のお陰です。更に言えばそんな中、多大な評価を下さった13名の方々には感謝感謝です。


「虚影の幻姫Ⅰ(前)」

 

「山はいいものですね。死んだ母にもこんなところを見せたかった」

 

 

「そんな余裕かましていていいんですかね? 現実逃避しても現状は変わらないんですよ」

 

 

「分かってるよ。そんなことは」

 

 

幻想主義者にして現実主義者な戦姫の言葉に答えながらも、足を動かす速度は変わっていない。

 

 

サーシャの時とは違う意味でとにかくその健脚を動かしていた。動かさなければ―――死んでしまうからだ。

 

 

姫抱きで抱えているティナを気にしつつも後ろを振り向くと、どんな獣を数百まとめても届かないであろう遠吠えを上げるトカゲに似て非なる生き物。

 

 

百チェートはあろうかという朱色の鱗をした竜。一歩でこちらが数百歩を踏破する生き物相手に遁走をするなどあまりにも無謀ではあったが、現状。この山という地形が自分たちに利していた。

 

 

乱立する木々を利用して時に直角に、時に水平にと縦横無尽な動きをすることで竜を翻弄してきたが、そろそろ限界だ。

 

 

「人里にまでいけば竜とて下りてこないんですけどね。深入りしすぎましたよ」

 

 

「同感だ。とはいえ、そろそろ決着を着けるとするか―――」

 

 

言った瞬間に朱色の竜―――「火竜(ブラーニ)」という種は、辺り一面を焼き尽くす火炎を吐いて宣戦布告のようにしてきたが、寸前でティナの転移によって開けた場所に出る。

 

 

山の斜面を必死に下りてきたのは、ここに誘導するためであった。

 

 

「木は無く、岩もなく、あるのは土と草の平地―――。ここで決着を着けてやる火吹き竜」

 

 

木々の間からこちらを怒りの目で見てくる竜を挑発する。背中にはティナがいるのだ。負けられない。

 

 

(前にもこんな事があったな……)

 

 

思い出すのは昔のこと、死を覚悟する前にこんなことを考えるのは、まだ死ねないと考えているからだ。

 

 

後ろに幼い姫君。前には人食いの熊。引き抜くは当時の自分には重すぎた剣だ。自分の命だけではない重さ。

 

 

それでも守らなければいけないものがあるというのならば、男は戦わなければならない。

 

 

「其は、祖にして素にして礎 はじまりにしておおもとにしていしずえとなる。高天原に神留まり坐す其の神より生まれ出ずる幾十もの神々、其は戦神、素戔嗚之神」

 

 

唱える呪によってリョウの周囲が明るくなる。緑色の光が彼の姿を照らすその緑色の光が集まりリョウの前に一本の剣を作り出した。

 

 

「それがリョウの―――、本当の得物」

 

 

後ろにて呆然としたティナの声に応える形で、その剣を握りしめて一振りすると周囲の草の殆どが、一薙ぎで倒れていた。

 

 

しかし斬れてはいない。「倒れた」状態のままでいる。

 

 

武骨な鉄剣。リョウの持つ刀に比べれば斬ることに特化していていないように見える。柄尻に何かを埋める穴のようなものがあるが、今は空洞のままである。

 

 

だがその剣を手にしたリョウを見て、目の前の巨獣は一歩退いた。だからこそ―――ヴァレンティナには、本当にこれがリョウの本気の剣なのだと実感できた。

 

 

「いざ参る」

 

 

構えたリョウが飛び出すと同時に、巨獣もまた意を決して飛び出した。

 

 

その姿は、ヴァレンティナにとっては自分が大好きな物語の中から出てきた英雄譚(ジェスタ)の英雄のようであり、目に焼き付いて離れなかった。

 

 

 

 

 

「で、お客さんの部屋を空けるようなんだよ。まぁ恋人同士なんだから一緒の部屋にいた方があたしゃいいと思ってるよ。というわけで四十秒で支度しな」

 

 

そんな無茶な。と思いながらも、自分の私物はそんなに無いので、部屋を空けるだけだったら自分が出ていき……ティナの部屋に行くことになる。

 

 

朝も早くから朝食を終えた途端に宿の女主人に言われたことは、「部屋」を空けてほしいということだった。

 

 

「こんなボロ宿屋に千客万来とかありえないような」

 

 

「今日の夕飯は覚悟しときなよ。塩っ辛いのと激甘のを用意してやるから」

 

 

怒られてしまった。とにもかくにもお金が心許ないのでやはり主人の言うことに従うほかなくなる。部屋の私物。旅袋一つを持ちティナの部屋をノックする。

 

 

「どうぞー。私たちの愛の巣にノックはいらず「おかみさん、少し金を高く積むからやっぱりその部屋、俺が使うよ」ちょっと!」

 

 

早くも掃除用意をし始めた主人にそんなことを言うと同時に、襟を掴まれて部屋に引きずり込まれた。

 

 

引きずり込まれて最初に見えたのは、怒った顔をしているティナの顔であった。こちらを見下ろしている彼女に悪いと言いながらティナの部屋の内装は随分と変わっている。

 

 

恐らくエザンディスの転移能力で色々と自分の城から持ってきたのだろう。だが一番には様々な衣装がクローゼットに納められていることだ。

 

 

一番手前に折りたたまれているは自分の買った服であることが嬉しい。

 

 

「一緒の布団で寝た仲なのに、何で嫌がるんですか?」

 

 

「変な言い回しするな。山に行く前に寝袋でも買った方がいいかな……いや、すまん。だからその大鎌の石突で喉を押さないでくれる」

 

 

笑顔のまま怖いことをしてくるティナに対して、両手を上げて降参をする。

 

 

「全く、ここまでの美女が誘っているというのに手も出さないなんて本当に……実は男色家なのでは」

 

 

「そんなわけあるか」

 

 

真面目な顔でこちらをのぞき見てくる戦姫に言いながら、今日の予定の準備をする。

 

 

その中でも標準的な装備として、山に行くのならば弓を持つのが相応だろうが……。少し考えてそれをやめにした。

 

 

だが、こちらの準備を見てティナは疑問を感じたようだ。

 

 

「弓は持たないので? 短弓程度ならばこの辺の武器屋でも売っていますよ」

 

 

「……まぁその色々あるんだよ。俺の秘められし過去というやつだ……」

 

 

「心底嫌そうな顔で言っていなければ影のある美形として見えましたけれど、そんな風には見えませんね」

 

 

ティナの言葉は間違いなく、今の自分は本当に思い出したくないことを思い出した顔。苦虫をかみつぶしたような顔をしていると認識出来た。

 

 

実際、それは自分の武士としての汚点の一つでもある。

 

 

「それじゃ山への道中はそれを話しながら行くとしましょうか。リョウの昔話を聞かせてください」

 

 

「ああ、それはいいんだけど……せめて向こうを向けとか色々言ってくれ。男に着替えを見せるな」

 

 

色んな意味で彼女と一緒にいることは自分の理性を試されるということだと今更ながら理解してきた。

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

 

「おかみさん。それじゃ俺たちはちょいと出るから」

 

 

「あいよ、気を付けて、そんじゃお嬢ちゃん。この台帳にサインをお願いできる」

 

 

「わかりました」

 

 

宿の逗留客だろうか。フードを重く掛けていてこちらからでは容姿の仔細はわからなかったが、二人の男女が自分の後ろを通って外に出て行ったようだ。

 

 

その時、少しだけ自分の持つ小さな戦斧が震えたような気がしたが、気のせいだろう。

 

 

「しかし一泊でいいのかい? 嬢ちゃんがどうしてそんな旅がらすをしているのか探る気はないが、それでもゆっくりしていけばいいのに、御代は勉強させてもらうからさ」

 

 

「……色々と事情があるんです。ごめんなさい」

 

 

「いいよ。こんな稼業だと色んな人を見てるから余計なお世話をやきがちになってしまうんだよ」

 

 

女主人の気遣いは嬉しい。だがここに長居することは出来ない。ここは戦姫アレクサンドラ・アルシャーヴィンの土地でもあるのだから。

 

 

自分は自分の領地を捨ててこんなことをやっている。己に課せられたものを投げ出して、他の戦姫の恩恵ある土地に泊まることはあまりにも不敬だ。

 

 

だから、こんな放浪の旅をしている。一泊だけなのはそういう後ろめたさもあったからだ。

 

 

(次はブリューヌにでも行こう。その後……お金を貯めてヤーファにでも行けば何かが掴めるかもしれない)

 

 

フードを外して、その薄紅色(ピンク)の髪を晒してから女主人の案内で部屋に入る。

 

 

案内された部屋は上等とは言えなかったが、それでも自分の路銀ではこんなもんだろうとして、納得させることにした。

 

 

「注意点としてはこの階には騒がしい男女がいるんだけど、きっと身分違いの駆け落ちだろうからさ。あんまり気にしないでくれると助かるよ」

 

 

「問題ありません。親しい男女が騒がしいのは自然な流れですから」

 

 

「いやそういう意味じゃないんだけど……っていうか嬢ちゃん随分と耳年増だね」

 

 

宿泊するうえでの注意点に付け加えてさり気に失礼なことを言われたような気もするが、それよりも早くベッドに入って休みたいと―――戦姫オルガ・タムは思った。

 

◇  ◆  ◇  ◆

 

 

「? なんでしょうか? どっかで見た顔を見たような気がしたのですが……気のせいでしょうか?」

 

 

後ろを振り返り宿の方をしきりに見返すティナを少し急かす。レグニーツァの城下町を歩きながら、街道へと抜ける道へと足を向けていると自然と公宮の方へと目は向いてしまう。

 

 

ここからでは無論、見えないのは当たり前なのだが、それでもあそこには病床に伏せた一人の女の子がいるのだ。

 

 

(血の病か……呪いの可能性もあるが、やはり一番には内科処置からやっていくべきだろうな)

 

 

重い病人を治すには、まず粥を与えて穏やかな薬を飲ませ五臓が整い、体が回復するを待って肉食をもって元気をつけ強い薬を与えれば病気は治る。

 

 

現在、サーシャに処方しているのは苦いとはいえ穏やかな薬だ。これから山に入り取る薬草などは、全て劇薬とも取れるものだ。

 

 

(呪縛を解くにしても体の変調を解かなければいけないんだ)

 

 

そう考えていたのだが、考えを読んだのか不機嫌な面構えでティナがこちらを睨んできた。

 

 

「なんか凄く嫌です。何で公宮の方を見ていたんですか?」

 

 

「いや、まぁ色々と考え事を……というか近い近い」

 

 

上目使いに睨んでくるのが男であればこの上なく嫌であるのだが、絶世の美女がそれをやるとどうしても怒る気も起きない。

 

 

しかし「他の女の事を考えていました」などと正直には言えない。さすがに自分とてそのぐらいのデリカシーはある。考えていた時点でデリカシーも何もあったものではないのだが。

 

 

「にしても弓を持たないなんて本当にどういうことですかリョウ? シカなどが現れたらどうするのですか?」

 

 

「はっきり言おうティナ。俺は弓が大の苦手なんだ。武芸の師からも『お前は弓による射戦の際には射るな。その後の突撃戦で如何なく力を発揮しろ』とか言われてしまうほどだ」

 

 

げんなりしつつも、ティナに言うべきことを言う。少し呆然とした顔をするティナには悪いが、事実なのだ。

 

 

「それでも遠くの敵から矢を射かけられた時にはどうするのですか? アスヴァールには長弓の兵団もあったはずですが……」

 

 

「確かにあれには苦労させられた。エリオットなんて愚物にはもったいない腕前の集団だったから良く覚えている」

 

 

ヤーファが誇る弓の名門『日置流』の弓術士にも負けぬほどの弓の腕前だった。しかしながら馬上から射る流鏑馬(やぶさめ)が一般的な武士との違いでもあるのだが、接近してしまえばそれだけで終わりだった。

 

 

第一、一発引くごとにあれだけの時間がかかってしまうと、多くの部隊を組織出来ていても――――。

 

 

「正面ではなく側面に回り込んでしまえばいいだけだ。騎兵の機動力を活かすわけだ」

 

 

「そんな簡単にいきますかね?」

 

 

「狙いを付けた時点で、弓を引っ張った。その間に照準を外せばいいだけだ」

 

 

短弓などによる面制圧の矢ではないのだから躱すのは容易だ。一発を打ち落とせば次の行動に対する余裕が出来る。

 

 

もっともそれを実践しただけだ。などとタラードに語ったらば、「言うは易し、行うは難しとはお前の故郷の格言だろう」などと皮肉を込めて言われた。

 

 

三百、四百アルシンの距離を踏破して側面に躍り出る。それが出来なければ打たれるだけだ。

 

 

「弓が使えないから剣や槍の腕を磨いた。もっともやっぱり一番使えるのは剣だな。だから弓上手には羨望を覚えてしまう」

 

 

正直怖いのだ。どんなに勇気があってもそんな遠距離から殺意の意思が飛んでくるというのは。けれど自分の弓は、十チェートも真っ直ぐ飛ばないお粗末なものだ。

 

 

「なんでそんな風なんでしょうね? 私もエザンディスに選ばれる前はサーベルや槍も使っていましたから、武は全てに通じると思うんですけど」

 

 

ティナの言葉は真理だ。だが世の中事実と理だけが全てを決めるわけではないということもままあるもので。

 

 

「予想はあるんだよ。俺の遠いご先祖様というのはヤーファともまた違う国の王族だったそうで、その先祖曰く『槍や弓は兵の武器であり、剣は王の武器である』とのこと」

 

 

「随分と狭量なご先祖様ですね」

 

 

「全くだ。それ以来、連綿と坂上よりも前の家の血が凝縮されて俺は弓が全く使えない器用貧乏になってしまったんだ」

 

 

タラードの技量に羨望を覚えたし、エリオット配下のハミッシュなる弓兵にも羨望を覚えた。

 

 

だが彼らではないとも思えた。この西方の真なる光は――――。自分の剣が閃光だとするのならば、その閃光に勝るとも劣らぬ弓技を見せてくれなければ困る。

 

 

「まるでブリューヌ王国の思想ですね。あの国も弓を蔑視して剣や槍での大乱戦こそが戦の正道としていますからね」

 

 

ジスタートとは山脈を挟んで隣り合っている王国。ブリューヌ王国の戦の作法とはそういうものらしい。

 

 

ティナに言わせればジスタートも蔑視とはいかずとも、戦の勝敗を決める要素ではないとしている。

 

 

「この西方では戦いとは手段であり儀式でもありますから、戦神トリグラフや神王ペルクナスなど天上の神々に対して恥じることのない戦いをせよという意味でも長距離兵器による蹂躙戦を忌避しているかと」

 

 

「なるほど」

 

 

ティナの説明は明快であり真理の一つであった。だが人死にを夥しく出すよりはいいんじゃないかと思うのだが、それが彼らのメンタリティなのだから、それに対しては特に何も言わない。

 

 

「けどそれだけならばただ苦手でいいじゃないですか? 何でそんな嫌そうな顔をしていたんですかリョウは」

 

 

「そこをツッコむのか君は……、様々な上役との付き合いの通例行事として王族や貴族なんかが集まっての獣狩りというものがあるだろ」

 

 

「この辺りでは狩猟祭などと言いますね。それがどうしたんですか? 本当に苦そうな顔をしていますよ」

 

 

その言葉と同時に門兵に見送られながら街道へと出た。空の色は変わらず晴天。あの日もこんな天気だったと考える。

 

 

―――坂上 龍がまだ十になった頃の話。武士の息子の殆どは己の武芸の鍛錬のほどを仕えている大名や将軍の前で晒す場を与えられる。

 

 

その場において龍は負け知らずであった。三段の斬りつけも、一太刀に全てを掛ける斬も、平突きも。同年代の卓越した剣士はもちろんそれよりも上の剣客相手にも勝てていたのだ。

 

 

剣術においては天賦の才があったであろう龍は、天狗になっていたのだろうか、いや今でもあの時の自分は天狗になっていたと思っている。

 

 

結果として、その後にもっと上の「帝」の狩猟会に招かれた際に―――失態を犯してしまった。失態というほどではないが、それでも得手があれば不得手もあるという好例となってしまっただけなのだが。

 

 

「俺の弓が射抜けたものは土と草だけだった」

 

 

「……悲惨な話ですね」

 

 

「野兎なり雉でも狩れればよかったんだが……というかそんなに同情した目で見ないでくれ」

 

 

思わず目を背けて穴があったら入りたい気分だ。いまのアタイを見ないで。

 

 

ティナはそれで納得してはいたが、続きを話そうかどうしようかという気分だ。

 

 

この話には続きがあった。失意の中、大人達が酒宴を開き慰めてくれるということを子供ながらの反発心で飛び出した龍。

 

 

そんな龍は「神熊」の住む山に入り、野生の熊を仕留めてやろうかという時に―――彼女が現れた。女とも男とも言える格好をした人。

 

 

今だから彼女と言えるが、当時の自分はその判別が出来なかった。そんな彼女は山に入ろうとする自分に問いかけをしてきた。

 

 

『その剣で熊を仕留められるのか?』

 

 

『仕留められる。俺はこの剣だけでなく他にも剣を持っているから負けない』

 

 

■■の剣客は不敗であり絶対必殺を誓っていると得意気に話し、これは「帝」様を守る剣だと自慢していた。

 

 

『そうか。ならばその剣で私を襲うだろう熊を撃退してくれるな』

 

 

と言い放つとその子は自分より先に山に入っていった。言葉の意味を斟酌していた龍であったが、それよりも先に危ないと思い、その子の後を急いで追った。

 

 

―――後にその女の子が自分が守ることになる「御館様」であり、ヤーファの最高権力者になることなど当時の龍には全く理解出来るはずもなかった。

 

 

そうして心の中で、陛下のことを思い出すとその姿が前を歩くティナの姿に重なって似ているような気もしてくる。

 

 

「どうかしましたか?」

 

 

「いや、何でもない。さてとこのジスタートの山にはどんな獣がいるんだか」

 

 

視線を感じたティナに応えてから鹿か熊、猪の類でもいるかと思っていたが、一瞬にしてティナはこちらの予想を崩してきた。

 

 

「竜がいます」

 

 

「……は?」

 

 

呆然としたこちらに再度念押しするようにティナは繰り返す。

 

 

「ですから竜がいますよ。お隣のブリューヌにも度々現れるのですが、この西方では野生の竜が山に棲んでいるのです」

 

 

なんでもないことのように言うティナだが、つまりはあの巨大な獣がこの西方大陸では珍しくないとのことだ。

 

 

アスヴァールでは腐敗の吐息を吐く邪竜を殺し思いがけず「竜殺し」の称号を得たが、この地ではそうでもないのだろうか。

 

 

「ああ、別に竜を頻繁に見るわけではないですよ。ただ山を入っていくとそういうのを見てしまうんです。ただ竜は街までは降りてきません。だから出会ったら不運としか言いようがない天災です」

 

 

「恐ろしいな。まぁ我が国でも神代の狼や猪を見ることもあるが、それでも竜か……」

 

 

武芸をするものにとってどんなものよりも恐ろしいのは、己の武器が全く通じない相手と戦うことだ。

 

 

「ちなみにこのジスタートでは黒鱗の竜と幼い竜は殺すことは許されません。とはいえ鋼の武器を通さぬ身体の前では殺すことも至難なのですが」

 

 

建国王の化身であったであろう黒竜を害することを許さない風習は根強い。だがそもそも黒竜自体見掛けることはない。

 

 

「まぁよほど運が悪くない限り、そんなことは無いですから安心してハイキングに行きましょう。青空の下で食べるご飯は美味しいですから」

 

 

「それはもっともだな。運が悪くない限りそんな不運はないだろうさな」

 

 

不安をかき消すようにティナと笑いながらレグニーツァ近郊の山の一つに入っていったのだが―――つくづく、自分は不運なのだとこの時ほど実感したことはない。

 

 

その山はこの辺りでは「火竜山」と言われ、レグニーツァの先住民族発祥の地であり、かつ「活火山」から「休火山」になっている山。

 

 

火の影響を受けたその土地は肥沃な穀倉地帯を形成しつつも、火竜にとっても住みよい土地だったのだ。

 

 

†  †  †  †

 

 

「で、これが死体を兵士に出来る玉というわけだよ。これさえあれば君たちは無限の兵力を得たことになる」

 

 

笑いながら語る青年の周りには、ムオジネルから買い入れたもしくはムオジネルの商船を襲って手に入れた奴隷達の死体が山と出来ている。

 

 

その中には自分の部下もいる。ぞっとするほどの手際であった。海賊船のまとめ役。船長フランシスは現れた男に恐怖していた。

 

 

だが本当の意味で恐怖するのは、その玉―――磨き抜かれた宝玉(オーブ)が光り輝くと同時に、死体は動き出した。

 

 

生気の無い目で死んだときの有様のまま動き出すそれは正に死体の兵士。オーブを持った相手に従っている様を見ると、確かにそうだ。

 

 

「お前は死神か……もしくはティル=ナ=ファが暗黒をまき散らすための使いか……?」

 

 

「女の使いっぱしり扱いされるのは性分じゃないね。ただ嫌いな女を殺すのは好きかな。そしてその女が泣き叫ぶ様もね」

 

 

ぞっ、としながらも自分に投げ渡されるオーブ。そしてそのまま気楽な様子で塒としていた祠から去っていく青年。

 

 

そして更に祠の外の砂浜には大量の食糧と―――青色の鱗の細長い蛇のような獣が三頭ばかり鎖に繋がれていた。

 

 

大量の食糧の内訳としてはこの獣のエサの割合の方が多い。どうあってもこちらがジスタートを襲うように必要な量を運んできたのだろう。

 

 

「待て、ここまでするお前の目的は何だ。俺たちに味方して何の利益があるんだ」

 

 

「だから言っただろ。女の泣き叫ぶ様が好きなんだよ。特に戦場に生きる誇り高き―――戦乙女のね」

 

 

つまりこの男は、自分たちが戦姫達の領地を襲うと踏んでこれらのものを寄越したのだ。

 

 

振り返りながら言ってきた男は、その後―――小舟でどこかに去って行った。おぞましき気配を身に沁みこませたその男が消えるまで安心は出来なかった。

 

 

「不気味な男でしたね頭ァ」

 

 

「だが有用なものを寄越してくれたのは間違いない。ジスタートの戦姫は一騎当千の存在。それを相手取るのに無限の兵士と竜というのはいい手段だ」

 

 

もっとも死体とてもとは人間なのだから、その人間の死体をどこから調達してくるのかが問題であるが、殺した敵の兵士も含めればいいだけだ。

 

 

更に言えば骸骨も死体なのだから、墓場を荒らすのも一つだ。

 

 

「食料は何日もつ?」

 

 

「五日は全員が腹いっぱいくえますぜ」

 

 

「ならば、それを一週間に絞れ―――適度な飢えを抱いた状態で勝利と欲求の発散の為に全員に禁欲令を発する。その上でジスタートを襲う」

 

 

「女はどうします?」

 

 

「それも禁止だ。どうせ一週間後には、もっと上等の女を手に入れられる。場合によっては戦姫も手に入れられるかもしれんぞ」

 

 

いやもしかしたらば領地そのものすらも奪えるかもしれない。それほどまでに今、自分たちの戦力は充実している。

 

 

「ムオジネルの火砲に、ザクスタンの新型投石器―――俺には勝利と栄光しか見えんよ」

 

風が、運が向いてきた。そうとしか言えないと思って黒髭海賊団船長フランシスは高笑いを上げた。だが、その運命は容易く一人の剣士によって覆されることになる。

 


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